「徴兵制の方が民主的」?
「韓国の反徴兵運動について思い起こすことども」へ次のようなコメントが寄せられました。
募兵制度はいうまでもなく「国民国家に支配された底辺階級からなる軍隊」をうみだします。この文脈からすれば、徴兵制度が「皆兵」であるところに「より民主的だ」と感じる心情が出てくることもまああるのだろうなと思います。しかしそれはある陥穽にはまりこんでいます。
というのも、歴史的にも、また現実のこととしても、徴兵制は圧倒的に「男性皆兵」でありつづけてきたからです。現状で女性も徴兵の対象となるのはイスラエルとマレーシアくらいで、世界的にみてごく少数の存在です(しかもマレーシアでは女性は男性と同じ軍務につくわけではない)。
近代国家は男性を徴兵し、その代償として男性に選挙権を与えることで「男性だけに平等な国民」をうみだしてきました。近代国家がうみだした国民パラダイムには、男性による社会支配のイデオロギーが貫徹していたとするほかないでしょう。
〈国民=男〉という人間の断絶を捨象して(おそらく募兵制より)「徴兵制の方が民主的」というなら、性差別の問題を見落とすことになります。元記事では、韓国でも男性のみの徴兵であり、それが男性固有のキャリア形成に結びついていると指摘しましたが、そうした男性性の優位という〈国民軍的社会〉の特質をそのままにしておいていいとは思えません。
では、女性、あるいはセクシュアル・マイノリティもひとしく徴兵されればいいのでしょうか。性別によらない「国民皆兵」であるならば、その限りにおいて「平等の拡張だ」とは主張できるでしょう。しかしそれはあくまで「国民の平等」です。国民のあいだだけに「民主的」なるものとは、国民国家的な制約のもとにありつづける「なにか」にすぎません。支配的資本が圧倒的に超国籍的に活動しているいま、そして現実の問題としてそこに軍事が密接にからみついているのに、一国主義的な単位で「民主的」といってすむのかどうか。
さらに代替措置についてですが、韓国に徴兵の代替措置が制度として導入されれば「反徴兵という問題」が解決されうるかといえば、そのことについてもすんなり同意できません。これも元記事で弁別しておいたことですが、すくなくともアナキストを自認していたブンブンは、代替制度が導入されたとしても、その代替サーヴィスに服務することじたいにも疑問を感じていました。結果として「かれ」は特例的に国家の方から「いらない」とはじかれたので、「代替服務も拒否」は現実の問題とはなりませんでしたが、なりゆきによってはそうした厳しい問題が提起される可能性もあったわけです。ブンブンが提起しかけた問題は、代替サーヴィスへの服務もまた、軍事制度にくみこまれた「国民としての奉仕」の本質をもちつづけるということでした。いいかえれば、「かれ」は徴兵制度をとおして国家主義の問題を提起していたということです。
「反国家」ないし「アナキズム」という姿勢に親和的であるなら、それが仮定の問題であるとしてもやはり重要な問題でありつづけるでしょう。じゃアナキストなんかやめちまえば問題ないじゃんということなら、もちろんこれ以上議論にはなりません。(なおそれでも国民性・性別をとわないパルチザン論や抵抗権論についてならまだ脱線できますが──ただしこういっておいてなんですが、自分が武装する気もない以上はしょせん無責任な放言にしかならないので、あまりそうした議論をする気にはなれません)
tari-G これは代替措置の問題。|軍を持つ国家の場合、そもそも徴兵制の方が民主的というのは忘れられがち。勿論代替措置は必須。代替制度導入は過渡的要求としてありうると思います。しかしそれで人間を差別する軍事という問題にカタがつくわけではありません。
募兵制度はいうまでもなく「国民国家に支配された底辺階級からなる軍隊」をうみだします。この文脈からすれば、徴兵制度が「皆兵」であるところに「より民主的だ」と感じる心情が出てくることもまああるのだろうなと思います。しかしそれはある陥穽にはまりこんでいます。
というのも、歴史的にも、また現実のこととしても、徴兵制は圧倒的に「男性皆兵」でありつづけてきたからです。現状で女性も徴兵の対象となるのはイスラエルとマレーシアくらいで、世界的にみてごく少数の存在です(しかもマレーシアでは女性は男性と同じ軍務につくわけではない)。
近代国家は男性を徴兵し、その代償として男性に選挙権を与えることで「男性だけに平等な国民」をうみだしてきました。近代国家がうみだした国民パラダイムには、男性による社会支配のイデオロギーが貫徹していたとするほかないでしょう。
〈国民=男〉という人間の断絶を捨象して(おそらく募兵制より)「徴兵制の方が民主的」というなら、性差別の問題を見落とすことになります。元記事では、韓国でも男性のみの徴兵であり、それが男性固有のキャリア形成に結びついていると指摘しましたが、そうした男性性の優位という〈国民軍的社会〉の特質をそのままにしておいていいとは思えません。
では、女性、あるいはセクシュアル・マイノリティもひとしく徴兵されればいいのでしょうか。性別によらない「国民皆兵」であるならば、その限りにおいて「平等の拡張だ」とは主張できるでしょう。しかしそれはあくまで「国民の平等」です。国民のあいだだけに「民主的」なるものとは、国民国家的な制約のもとにありつづける「なにか」にすぎません。支配的資本が圧倒的に超国籍的に活動しているいま、そして現実の問題としてそこに軍事が密接にからみついているのに、一国主義的な単位で「民主的」といってすむのかどうか。
さらに代替措置についてですが、韓国に徴兵の代替措置が制度として導入されれば「反徴兵という問題」が解決されうるかといえば、そのことについてもすんなり同意できません。これも元記事で弁別しておいたことですが、すくなくともアナキストを自認していたブンブンは、代替制度が導入されたとしても、その代替サーヴィスに服務することじたいにも疑問を感じていました。結果として「かれ」は特例的に国家の方から「いらない」とはじかれたので、「代替服務も拒否」は現実の問題とはなりませんでしたが、なりゆきによってはそうした厳しい問題が提起される可能性もあったわけです。ブンブンが提起しかけた問題は、代替サーヴィスへの服務もまた、軍事制度にくみこまれた「国民としての奉仕」の本質をもちつづけるということでした。いいかえれば、「かれ」は徴兵制度をとおして国家主義の問題を提起していたということです。
「反国家」ないし「アナキズム」という姿勢に親和的であるなら、それが仮定の問題であるとしてもやはり重要な問題でありつづけるでしょう。じゃアナキストなんかやめちまえば問題ないじゃんということなら、もちろんこれ以上議論にはなりません。(なおそれでも国民性・性別をとわないパルチザン論や抵抗権論についてならまだ脱線できますが──ただしこういっておいてなんですが、自分が武装する気もない以上はしょせん無責任な放言にしかならないので、あまりそうした議論をする気にはなれません)
野苺の声
野苺の声
(詞曲:nelleven)
わたしはもう目をあけていた
目覚めの疼痛をやりすごして
四方から風を感じるためにわたしは腕をひろげ
突き刺すような操縦をはらいのける
わたしは温室の花じゃないから
あなたが優しいふりをする必要なんてない
わたしはあなたがたの虚偽にみちた顔を理解できない
ただ真実の自分と向かいあう
わたしたちには夢がある
わたしたちには伝えるべき考えがある
あなたは自分自身を裏切ってしまったけれど
わたしたちまで売りわたそうとしないで
わたしたちには夢がある
わたしたちには伝えるべき考えがある
あなたが信念を棄ててしまってから
わたしたちは灰燼のなかから外に出ることを選んだ
安静は認めて同意することではなく
平和は承知して引きさがることでもない
あなたの傲慢がふたたびわたしを焼くのだとしても
わたしはもう二度と沈黙はしない
2008年11月6日、街頭行動をおさえつける台湾警察の弾圧に抗議し、台北の学生たちが行政院前にすわりこんでから一周年。弾き語りの曲「野苺の声」もまた宣伝の役割をになったが、上記はその粗訳(素人訳のため内容無保証)。
○11月6日午前11時ごろから、学生たちが行政院前ですわりこみを開始。要求は以下のとおり(詳しくは行動声明を参照)。
一、對於警察濫用國家暴力、侵犯人權的行為、法務部、監察院及相關機關應進行調查、儘速公布結果,並追究其行政與法律責任
二、對於做出相關決策、發佈命令的政府首長、司法、立法、監察機關應追究其政治與法律責任
三、立即修改違憲的集會遊行法、落實對於人民言論、集會、結社自由的保障
○7日、すわりこみの学生は200人ほど。午後4時ごろ、一部の学生が警察によってごぼう抜き排除され、学生たちは自由広場(中正紀念堂)に再結集してすわりこみを続行。以後、すわりこみが各市に飛び火。
○9日、1990年の「野百合運動」(台湾民主化を要求する学生運動)をもじり、学生たちが「野草苺」と名乗りはじめる。各層からの参加や物資支援がつづく。
○10日、学者が連帯声明を公表。
○15日、他市の学生も合流して自由広場で行動。
○12月7日、無届けのデモ。主催発表3000人。
(詞曲:nelleven)
わたしはもう目をあけていた
目覚めの疼痛をやりすごして
四方から風を感じるためにわたしは腕をひろげ
突き刺すような操縦をはらいのける
わたしは温室の花じゃないから
あなたが優しいふりをする必要なんてない
わたしはあなたがたの虚偽にみちた顔を理解できない
ただ真実の自分と向かいあう
わたしたちには夢がある
わたしたちには伝えるべき考えがある
あなたは自分自身を裏切ってしまったけれど
わたしたちまで売りわたそうとしないで
わたしたちには夢がある
わたしたちには伝えるべき考えがある
あなたが信念を棄ててしまってから
わたしたちは灰燼のなかから外に出ることを選んだ
安静は認めて同意することではなく
平和は承知して引きさがることでもない
あなたの傲慢がふたたびわたしを焼くのだとしても
わたしはもう二度と沈黙はしない
★
2008年11月6日、街頭行動をおさえつける台湾警察の弾圧に抗議し、台北の学生たちが行政院前にすわりこんでから一周年。弾き語りの曲「野苺の声」もまた宣伝の役割をになったが、上記はその粗訳(素人訳のため内容無保証)。
○11月6日午前11時ごろから、学生たちが行政院前ですわりこみを開始。要求は以下のとおり(詳しくは行動声明を参照)。
一、對於警察濫用國家暴力、侵犯人權的行為、法務部、監察院及相關機關應進行調查、儘速公布結果,並追究其行政與法律責任
二、對於做出相關決策、發佈命令的政府首長、司法、立法、監察機關應追究其政治與法律責任
三、立即修改違憲的集會遊行法、落實對於人民言論、集會、結社自由的保障
○7日、すわりこみの学生は200人ほど。午後4時ごろ、一部の学生が警察によってごぼう抜き排除され、学生たちは自由広場(中正紀念堂)に再結集してすわりこみを続行。以後、すわりこみが各市に飛び火。
○9日、1990年の「野百合運動」(台湾民主化を要求する学生運動)をもじり、学生たちが「野草苺」と名乗りはじめる。各層からの参加や物資支援がつづく。
○10日、学者が連帯声明を公表。
○15日、他市の学生も合流して自由広場で行動。
○12月7日、無届けのデモ。主催発表3000人。
- 1106 nellevenのログ。「野苺の声」元詞掲載。楽曲mp3へのリンクあり
- 野苺運動の行動声明 野草莓運動の声明の和訳
- TAIWAN Wild StrawBerries Movement 英語版ブログ
- 野草莓運動ㄧ野莓之聲 情宣動画(写真の連画)
- 野莓之聲政院紀實版MV 情宣動画。後半で行政院前でのごぼうぬきが収録されている
民主党による立憲主義の否定と「戦争国家」への道
近代民主政における憲法は国家権力の暴走を抑止するために存在する。したがって、憲法は権力行使にたずさわる人々が遵守すべきものとしてさだめられる。それは「国民」が守るべきものとしてあるのではない。この立憲主義の原理は日本国憲法においても貫徹する。
むろん、象徴天皇制に反対のわたしは日本国憲法の改憲そのものを否定しない。しかし改憲論議のドサクサにまぎれて、国家を縛るものという憲法の根幹をゆがめさせてはならないとも考える。これをゆるせばいつか来た道をたどることにもなるからである。旧帝国軍隊は、軍部大臣現役武官制をてことして軍部独走政権を合法的に獲得していった。全体主義は合法的にやってくる。このことを「国民」は忘れようもないはずだ。
いま、与党民主党の鳩山由紀夫首相などが「憲法解釈は内閣が行う」とのべている。これは立憲主義への敵対である。法令の執行状況などについて政治家が官僚に答弁させるのは「議会制民主主義」のしくみとして当然のことだが、官僚答弁を原則禁止にしようと民主党の小沢一郎がわめきつづける目的はどこにあるのか。究極的には内閣独裁ではないのか。こうした民主党実力者の動向に対する造反のきざしは同党内部には見えない。連立をくむ他党も「脱官僚」のマジックワードに踊らされたままだ。なるほど、「変革」がはじまりつつあるといっても過言ではない。
内閣であれ内閣法制局長官であれ、憲法の「解釈」主体が政府であることに変わりはないが、官僚答弁禁止の策動はある局面でこの政権がもつ本質をもっともあらわにする。つまり、戦争にまつわる国家の本質である。内閣法制局はすでに自衛隊の海外派兵を条件つきで合憲と「解釈」したが、集団的自衛権行使や国連安保理決議下の自衛隊の武力行使については依然として違憲「解釈」であり、「戦争国家」化へのブレーキが名目的にではあれ存在する。しかし現政権がいま躍起になってしかけている「脱官僚依存」の政治劇場に内閣法制局もくみしかれるのであれば、このブレーキすら解除される。「脱官僚依存」の煙幕のもとに立憲主義を扼殺し、内閣法制局長官を官僚として黙らせ、政治家に「解釈」を行わせるとなれば、「戦争国家」への水路はいっきに開かれる。
衆院戦での勝利につづき、民主党がきたる参院戦で単独過半数の勝利を手にすれば「一丁あがり」ではないか。
第99条この数年来、自民党議員などは「国民の義務」を憲法に明記させようなどと、およそ近代立憲主義の本義への無理解をさらけだしながら改憲論議なるものを行ってきた。まるで「国民」がどのように統治されたいのかをさだめるものが憲法であるかのような倒錯的な「論議」だ。あまりにデタラメすぎて話にもならない。しかし憲法が「人間は暴走する」という歴史的経験からくる現実的解であるなら、このような無理筋の立憲主義の破壊策動にはいちいち闘わなければならない。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
The Emperor or the Regent as well as Ministers of State, members of the Diet, judges, and all other public officials have the obligation to respect and uphold this Constitution.
むろん、象徴天皇制に反対のわたしは日本国憲法の改憲そのものを否定しない。しかし改憲論議のドサクサにまぎれて、国家を縛るものという憲法の根幹をゆがめさせてはならないとも考える。これをゆるせばいつか来た道をたどることにもなるからである。旧帝国軍隊は、軍部大臣現役武官制をてことして軍部独走政権を合法的に獲得していった。全体主義は合法的にやってくる。このことを「国民」は忘れようもないはずだ。
いま、与党民主党の鳩山由紀夫首相などが「憲法解釈は内閣が行う」とのべている。これは立憲主義への敵対である。法令の執行状況などについて政治家が官僚に答弁させるのは「議会制民主主義」のしくみとして当然のことだが、官僚答弁を原則禁止にしようと民主党の小沢一郎がわめきつづける目的はどこにあるのか。究極的には内閣独裁ではないのか。こうした民主党実力者の動向に対する造反のきざしは同党内部には見えない。連立をくむ他党も「脱官僚」のマジックワードに踊らされたままだ。なるほど、「変革」がはじまりつつあるといっても過言ではない。
内閣であれ内閣法制局長官であれ、憲法の「解釈」主体が政府であることに変わりはないが、官僚答弁禁止の策動はある局面でこの政権がもつ本質をもっともあらわにする。つまり、戦争にまつわる国家の本質である。内閣法制局はすでに自衛隊の海外派兵を条件つきで合憲と「解釈」したが、集団的自衛権行使や国連安保理決議下の自衛隊の武力行使については依然として違憲「解釈」であり、「戦争国家」化へのブレーキが名目的にではあれ存在する。しかし現政権がいま躍起になってしかけている「脱官僚依存」の政治劇場に内閣法制局もくみしかれるのであれば、このブレーキすら解除される。「脱官僚依存」の煙幕のもとに立憲主義を扼殺し、内閣法制局長官を官僚として黙らせ、政治家に「解釈」を行わせるとなれば、「戦争国家」への水路はいっきに開かれる。
衆院戦での勝利につづき、民主党がきたる参院戦で単独過半数の勝利を手にすれば「一丁あがり」ではないか。
戦争機械
人生問題としてのパンク(笑)
いまさらの反応なんですが、勤労しない理由〜オールドパンクとニューパンク〜(1)・(2) via "おっさんパンク"vs"フーディーズ・パンク"。
ふええ、アナーコ・パンクって「旧パンク」なんだ?
でもそれってたぶん近視眼的なものの見方からくる誤解だと思うな。スクウォットや社会センターはCRASSのダイアルハウスだけじゃないんだぜ! たまたま大方の目にふれないだけで、いまでもアナーコ・パンクは世界中にうじゃうじゃいる(アフリカではきかないが)。もちろんオールドばかりじゃないぜ。
たしかに、かつてCRASSなんかがメジャーにいったアーリーパンクスを「punk is dead」としてこきおろし、サッチャーのマルビナス戦争(フォークランド紛争)に反対して社会的にセンセーションをまきおこしたようなポビュラリティはいまのUKアナーコ・パンクにはないかもしれない。CRASSやそのあとにつづいたアナーコ・パンクスはロード・プロテスト(road protest)や「シティを止めろ!(Stop the City!)」などのUKにおける反資本主義的な社会運動や、反戦・反核運動とクロスすることでその活動の幅を広げていたともいえるけれど(というかCRASSあたりのアナーコ・パンク運動の全体像は当時の社会運動を理解しなければ把握できない)、アナーコ・パンクの動きが社会運動それじたいの消長に影響されたのはまあ当然だろうね。それに拠点個々の歴史をみるなら、「すたれたな……」という感慨をもつオールドパンクスがいても不思議じゃない。だってひとつの拠点はいつまでも続くものじゃないから。
だけど、実勢としてはアナーコ・パンクの運動はむしろ世界的に拡大してるんじゃないかな。ヴィールスがあっちこっちにバラまかれてもう消毒のしようもないというか。ラテンアメリカやアジアにもむかしっから飛び火してるし。これってパンクだけに限定される動きなのではなくて、オートノミスト、アナキスト的な運動の動向にからんでる。社会運動、もしくは文化/政治運動の消長にともなってパンクスの“DIY文化”運動もしつこくはびこりつづけているってわけだ。ただしUSの場合は、ヨーロッパから飛び火してきたスクウォッティングは1980〜90年代が全盛で、いまではジェントリフィケーションの波にあらわれてごく少数が残ってるだけだという状況についてはいっておかないとまずいかも。それでも ABC NO RIO とかが拠点として頑張ってる。
上記の「勤労しない理由」では、UKにおけるアナキストの運動がソフト路線に変わってきたととらえられているけど、それは一部の動向だけを見た判断ではないのかなぁ〜って思う。もちろん CLASS WAR のようなドンパチ派がいったんは下火になったことも事実だけれど、1990年代後半から直接行動にまたもや火がついてUKの治安弾圧テクノロジーがより進んだという状況をふまえないと。シティ暴動とか反サミットとかメイデイとかで一部の連中はやりたい放題だったわけだし、今年の3月・4月にもロンドンで反G20闘争がかなりの規模でまきおこって、rampART というスクウォットが弾圧をくらってたのも記憶に新しいところだ(rampART はロンドンにある DIY 文化拠点としてパンクもすくなからずクロスしてたけど、今年の10月15日に強制排除でつぶされた)。こういうDIYパンクとクロスする拠点はUKにはけっこうあって、もともとはアナキスト系の福祉受給支援の運動体がはじめた 1 in 12 Club もそのひとつ(他所さまの訪問記「1in12」)。ここはギグスペースもあってヨーロッパのDIYパンクにはよく知られた拠点だ。こうした自主管理の拠点はつぶされたり自滅したりしながら、同時に新たにうみだされつづけている(パンクとして?ロンドンにこだわるなら Autonomous London からの情報をたぐってみればいい)。こうした拠点をめぐる攻防にはDIYパンクス、アナーコ・パンクスがすくなからずかかわっている。
行動するパンクスが社会運動に密接にからんでいる好例として、ダンマルク・ケーベンハウンの Ungdomshuset(若者の家)をあげてもいいだろう。悪名高いノアブロ地区のヤクトヴァイ69番地にあったスクウォット拠点の Ungdomshuset は、2007年3月1日に警察の空挺部隊が急襲して陥落したけれど、それで数日の暴動となってダンマルク政府・ケーベンハウン市政府(コムーネ)に衝撃をあたえている。だってヨーロッパ中からアナキストやらアウトノーメンやらパンクスやらがワラワラとわいてきて結集するわ、14かそこらのクソガキまで独自のデモ隊列くむわで大騒ぎだったのだ。さすがにこんくらいの歳だと暴動の主体にはなりえないけど、それでも未成年が何人もパクられてた。このスクウォットをめぐる闘争は、「暴力反対」の「大人」連中からはおさだまりの非難があびせられた。ききわけのないガキってわけ。でもガキンチョパンクスの親世代にあたるヒッピーやアーリーパンクスなんかも結束して、Ungdomshuset を支持する大デモを敢行していて、ガキの闘争と矮小化することもできない。ここらへんがヴァイキング末裔のふところの深さ?というのか「非常識」というのか「野蛮」というのか(笑)、警察と市街戦さながらのイケイケドンドンの衝突を起こした連中が市当局に代替物件(ドロテアヴァイ61番地)を提供させるという一定の勝利をえてしまうところに、アウトノーメ的な文化/政治運動の強力さがある(もちろん暴動で実刑確定の被弾圧者がでた)。まー街そのものがスクウォッティングだっつうクニスチャニア地区がすぐ近くにあるくらいだから。で、当然 Ungdomshuset にはパンクスがなだれこんでいた。Ungdomshuset はヨーロッパ最大規模のDIYパンク祭 K-Town Festival(現 Shittown Festival)の会場だったんで、パンクスが黙ってるわけがなかった。てゆーかそもそもアナーコ・パンクスはアウトノーメ的な運動の担い手だしね。
ま、なんにせよ、アナーコ・パンクはジジイだけじゃなくて若いもんもいまだにたくさんいる。
どうも話が脱線する。で、パンクの階級問題についてちょっと。アーリーパンクスの一部がアートスクールだのの出身だという話をもってきてパンクはもともと労働者階級のものじゃないんだってまとめたがる傾向があるのは知ってるけど、問題はそのあとなんじゃないかな。とっぱながプチブル的だろうがそんなこたぁどうでもいい。連中はどうせすぐに撤退したんだから。問題は、パンク(あるいはそのあとにつづいたDIYパンク)といわれるシーンに実際にいたのは大多数が貧乏な労働者もしくは失業者だったわけじゃん。パブロックとかとの交差だって、UKプロレタリアートの文化ぬきには考えられないことだし。いいじゃん、もう。受容した圧倒的多数がプロレタリアだったんだから、あれこれいったってしょうがないじゃん。
ヨーロッパの一部じゃ失業給付が手厚い(=ぬるい)ってことで「労働者階級うんぬん」も神話にすぎないんだってな話にもなるんだろうけど、でもそれって労働者の先達による闘争の成果をうけついでいるだけのことで、パンクを受容したのがまぎれもなく明日なんかないプロレタリアートのクソガキどもだってことにゃ変わりはない。プチブル連中が流行にのってすぐにどっかにいっちゃったのはまあご愛嬌。あおられてパンクにいきついたのが未来に希望ももてない連中で、それがアナーコだか、オイだか(「左」のオイパンク集団──RASH: Red and Anarchist SkinHeads みたいなのもいるけど)にアウトプットが分かれるということはあっても、基本的にみんなロクな仕事もない不安定なプロレタリアかドロップアウト組。商業パンクとそのグルーピーはどうだか関知しないけど、すくなくともDIYパンク、アナーコ・パンク、ハードコアパンクは層としてほとんどがそう。
それが明確にゲットーの文化として成立してるのかどうかってことで、これまた問題にされるんだろうけどね。アナキズムなんてインテリのものじゃん? みたいな。フーディーズのあっけらかんとした小理屈ヌキのパンクのほうがすがすがしいってのも、字面だけからすればそうかもしれない。でもアナーコ・バンクとかいったって、みんな最初はたんなるカッコイイだけの記号としてサークルAを受容するとか、そういうことなんだと思うんだけどな。それにUKじゃないけど、シカゴじゃヒスパニック系のゲットーから LOS CRUDOS なんかがでてきたってこともある。アフロ・パンクみたいにアフリカン・アメリカンのコミュニティから育てられるってことだってある。パンクがどういう連中にどのように受容されてったのかということは、地域ごとに即して具体的にしかいえないような気もするし、おおざっぱにいえるような気もするし、よくわからん。
じゃ日本はどうなのよっていえば、やっぱり同じことだと思う。初期はどうだかしらね。でも少なくともハードコアのはじめの方は、はっきりいって不良のにいちゃんねえちゃんの文化の一部。とくにメジャーがどうこうということにはまったく関係しようとしないアンダーグラウンドのハードコアパンクは、社会的ステイタス(笑)の上昇には貢献するわけないし、そういう指向もその背景となるような文化的資質ももたない。むしろそういう地下のパンクスは分断され固定された状況への執着を見せてんじゃないの、と思うことさえある。ハードコア初期土着型の「ジャパコア」なんかをみてもそうだけど、肉体労働者であることを誇示するような装いが一部に定着してきたじゃん。日本での初期ハードコアは、ゾクかパンクかってな案配の「不良」文化との融合という特質もある。昔のライヴハウスって「テメどこよ?」みたいな空気充満してたじゃん(笑)。ケンカばっかでハコからしめだしくって。だから「パンクがヤンキーに殴られていた」(町田康)っつーのは、1970年代末そういう状況があったのかもしれないけど、たんに町田がいた場所がそうだっただけなんじゃねのという気もするんだよなあ。とにかく、パンクがパンクどうしメンチきってドツキあってるっつーのはひところの文化としてあったわけだけど、ヤンキーとハードコアパンクということならむしろかぶってたように思う。で、こーいうのもひっくるめて支持してきたのはまぎれもなく労働者階級のガキじゃないのかって話。ヨーロッパと日本でその見え方が違うのは社会保障のありかたの相違を反映してんでしょ。むしろ「労働神聖」の神話がガッチリ社会をつかみ、最低生活保障としての生保取得にエグいほどスティグマをちょうだいしなきゃならんような日本のほうが状況はよりハードで、「労働拒否」できない環境のなかでヒーコラしながら、それでもなおみんなパンクなんだって(笑)。そりゃおのれの腕一本で労働に勤しんで食おうとするパンクスがプチブルだといかいわれたらむかつくだろう。そんなのはセルアウトした連中にまかせておけばいい話なんでさ。
でもみんな歳くって人生どうすんだろ? ひとごとじゃないんだが、それこそ問答無用のノー・フューチャー……
最後に。フード付のパーカーはオールドなパンクだって着ています(笑)。
ふええ、アナーコ・パンクって「旧パンク」なんだ?
でもそれってたぶん近視眼的なものの見方からくる誤解だと思うな。スクウォットや社会センターはCRASSのダイアルハウスだけじゃないんだぜ! たまたま大方の目にふれないだけで、いまでもアナーコ・パンクは世界中にうじゃうじゃいる(アフリカではきかないが)。もちろんオールドばかりじゃないぜ。
たしかに、かつてCRASSなんかがメジャーにいったアーリーパンクスを「punk is dead」としてこきおろし、サッチャーのマルビナス戦争(フォークランド紛争)に反対して社会的にセンセーションをまきおこしたようなポビュラリティはいまのUKアナーコ・パンクにはないかもしれない。CRASSやそのあとにつづいたアナーコ・パンクスはロード・プロテスト(road protest)や「シティを止めろ!(Stop the City!)」などのUKにおける反資本主義的な社会運動や、反戦・反核運動とクロスすることでその活動の幅を広げていたともいえるけれど(というかCRASSあたりのアナーコ・パンク運動の全体像は当時の社会運動を理解しなければ把握できない)、アナーコ・パンクの動きが社会運動それじたいの消長に影響されたのはまあ当然だろうね。それに拠点個々の歴史をみるなら、「すたれたな……」という感慨をもつオールドパンクスがいても不思議じゃない。だってひとつの拠点はいつまでも続くものじゃないから。
だけど、実勢としてはアナーコ・パンクの運動はむしろ世界的に拡大してるんじゃないかな。ヴィールスがあっちこっちにバラまかれてもう消毒のしようもないというか。ラテンアメリカやアジアにもむかしっから飛び火してるし。これってパンクだけに限定される動きなのではなくて、オートノミスト、アナキスト的な運動の動向にからんでる。社会運動、もしくは文化/政治運動の消長にともなってパンクスの“DIY文化”運動もしつこくはびこりつづけているってわけだ。ただしUSの場合は、ヨーロッパから飛び火してきたスクウォッティングは1980〜90年代が全盛で、いまではジェントリフィケーションの波にあらわれてごく少数が残ってるだけだという状況についてはいっておかないとまずいかも。それでも ABC NO RIO とかが拠点として頑張ってる。
上記の「勤労しない理由」では、UKにおけるアナキストの運動がソフト路線に変わってきたととらえられているけど、それは一部の動向だけを見た判断ではないのかなぁ〜って思う。もちろん CLASS WAR のようなドンパチ派がいったんは下火になったことも事実だけれど、1990年代後半から直接行動にまたもや火がついてUKの治安弾圧テクノロジーがより進んだという状況をふまえないと。シティ暴動とか反サミットとかメイデイとかで一部の連中はやりたい放題だったわけだし、今年の3月・4月にもロンドンで反G20闘争がかなりの規模でまきおこって、rampART というスクウォットが弾圧をくらってたのも記憶に新しいところだ(rampART はロンドンにある DIY 文化拠点としてパンクもすくなからずクロスしてたけど、今年の10月15日に強制排除でつぶされた)。こういうDIYパンクとクロスする拠点はUKにはけっこうあって、もともとはアナキスト系の福祉受給支援の運動体がはじめた 1 in 12 Club もそのひとつ(他所さまの訪問記「1in12」)。ここはギグスペースもあってヨーロッパのDIYパンクにはよく知られた拠点だ。こうした自主管理の拠点はつぶされたり自滅したりしながら、同時に新たにうみだされつづけている(パンクとして?ロンドンにこだわるなら Autonomous London からの情報をたぐってみればいい)。こうした拠点をめぐる攻防にはDIYパンクス、アナーコ・パンクスがすくなからずかかわっている。
行動するパンクスが社会運動に密接にからんでいる好例として、ダンマルク・ケーベンハウンの Ungdomshuset(若者の家)をあげてもいいだろう。悪名高いノアブロ地区のヤクトヴァイ69番地にあったスクウォット拠点の Ungdomshuset は、2007年3月1日に警察の空挺部隊が急襲して陥落したけれど、それで数日の暴動となってダンマルク政府・ケーベンハウン市政府(コムーネ)に衝撃をあたえている。だってヨーロッパ中からアナキストやらアウトノーメンやらパンクスやらがワラワラとわいてきて結集するわ、14かそこらのクソガキまで独自のデモ隊列くむわで大騒ぎだったのだ。さすがにこんくらいの歳だと暴動の主体にはなりえないけど、それでも未成年が何人もパクられてた。このスクウォットをめぐる闘争は、「暴力反対」の「大人」連中からはおさだまりの非難があびせられた。ききわけのないガキってわけ。でもガキンチョパンクスの親世代にあたるヒッピーやアーリーパンクスなんかも結束して、Ungdomshuset を支持する大デモを敢行していて、ガキの闘争と矮小化することもできない。ここらへんがヴァイキング末裔のふところの深さ?というのか「非常識」というのか「野蛮」というのか(笑)、警察と市街戦さながらのイケイケドンドンの衝突を起こした連中が市当局に代替物件(ドロテアヴァイ61番地)を提供させるという一定の勝利をえてしまうところに、アウトノーメ的な文化/政治運動の強力さがある(もちろん暴動で実刑確定の被弾圧者がでた)。まー街そのものがスクウォッティングだっつうクニスチャニア地区がすぐ近くにあるくらいだから。で、当然 Ungdomshuset にはパンクスがなだれこんでいた。Ungdomshuset はヨーロッパ最大規模のDIYパンク祭 K-Town Festival(現 Shittown Festival)の会場だったんで、パンクスが黙ってるわけがなかった。てゆーかそもそもアナーコ・パンクスはアウトノーメ的な運動の担い手だしね。
ま、なんにせよ、アナーコ・パンクはジジイだけじゃなくて若いもんもいまだにたくさんいる。
どうも話が脱線する。で、パンクの階級問題についてちょっと。アーリーパンクスの一部がアートスクールだのの出身だという話をもってきてパンクはもともと労働者階級のものじゃないんだってまとめたがる傾向があるのは知ってるけど、問題はそのあとなんじゃないかな。とっぱながプチブル的だろうがそんなこたぁどうでもいい。連中はどうせすぐに撤退したんだから。問題は、パンク(あるいはそのあとにつづいたDIYパンク)といわれるシーンに実際にいたのは大多数が貧乏な労働者もしくは失業者だったわけじゃん。パブロックとかとの交差だって、UKプロレタリアートの文化ぬきには考えられないことだし。いいじゃん、もう。受容した圧倒的多数がプロレタリアだったんだから、あれこれいったってしょうがないじゃん。
ヨーロッパの一部じゃ失業給付が手厚い(=ぬるい)ってことで「労働者階級うんぬん」も神話にすぎないんだってな話にもなるんだろうけど、でもそれって労働者の先達による闘争の成果をうけついでいるだけのことで、パンクを受容したのがまぎれもなく明日なんかないプロレタリアートのクソガキどもだってことにゃ変わりはない。プチブル連中が流行にのってすぐにどっかにいっちゃったのはまあご愛嬌。あおられてパンクにいきついたのが未来に希望ももてない連中で、それがアナーコだか、オイだか(「左」のオイパンク集団──RASH: Red and Anarchist SkinHeads みたいなのもいるけど)にアウトプットが分かれるということはあっても、基本的にみんなロクな仕事もない不安定なプロレタリアかドロップアウト組。商業パンクとそのグルーピーはどうだか関知しないけど、すくなくともDIYパンク、アナーコ・パンク、ハードコアパンクは層としてほとんどがそう。
それが明確にゲットーの文化として成立してるのかどうかってことで、これまた問題にされるんだろうけどね。アナキズムなんてインテリのものじゃん? みたいな。フーディーズのあっけらかんとした小理屈ヌキのパンクのほうがすがすがしいってのも、字面だけからすればそうかもしれない。でもアナーコ・バンクとかいったって、みんな最初はたんなるカッコイイだけの記号としてサークルAを受容するとか、そういうことなんだと思うんだけどな。それにUKじゃないけど、シカゴじゃヒスパニック系のゲットーから LOS CRUDOS なんかがでてきたってこともある。アフロ・パンクみたいにアフリカン・アメリカンのコミュニティから育てられるってことだってある。パンクがどういう連中にどのように受容されてったのかということは、地域ごとに即して具体的にしかいえないような気もするし、おおざっぱにいえるような気もするし、よくわからん。
じゃ日本はどうなのよっていえば、やっぱり同じことだと思う。初期はどうだかしらね。でも少なくともハードコアのはじめの方は、はっきりいって不良のにいちゃんねえちゃんの文化の一部。とくにメジャーがどうこうということにはまったく関係しようとしないアンダーグラウンドのハードコアパンクは、社会的ステイタス(笑)の上昇には貢献するわけないし、そういう指向もその背景となるような文化的資質ももたない。むしろそういう地下のパンクスは分断され固定された状況への執着を見せてんじゃないの、と思うことさえある。ハードコア初期土着型の「ジャパコア」なんかをみてもそうだけど、肉体労働者であることを誇示するような装いが一部に定着してきたじゃん。日本での初期ハードコアは、ゾクかパンクかってな案配の「不良」文化との融合という特質もある。昔のライヴハウスって「テメどこよ?」みたいな空気充満してたじゃん(笑)。ケンカばっかでハコからしめだしくって。だから「パンクがヤンキーに殴られていた」(町田康)っつーのは、1970年代末そういう状況があったのかもしれないけど、たんに町田がいた場所がそうだっただけなんじゃねのという気もするんだよなあ。とにかく、パンクがパンクどうしメンチきってドツキあってるっつーのはひところの文化としてあったわけだけど、ヤンキーとハードコアパンクということならむしろかぶってたように思う。で、こーいうのもひっくるめて支持してきたのはまぎれもなく労働者階級のガキじゃないのかって話。ヨーロッパと日本でその見え方が違うのは社会保障のありかたの相違を反映してんでしょ。むしろ「労働神聖」の神話がガッチリ社会をつかみ、最低生活保障としての生保取得にエグいほどスティグマをちょうだいしなきゃならんような日本のほうが状況はよりハードで、「労働拒否」できない環境のなかでヒーコラしながら、それでもなおみんなパンクなんだって(笑)。そりゃおのれの腕一本で労働に勤しんで食おうとするパンクスがプチブルだといかいわれたらむかつくだろう。そんなのはセルアウトした連中にまかせておけばいい話なんでさ。
でもみんな歳くって人生どうすんだろ? ひとごとじゃないんだが、それこそ問答無用のノー・フューチャー……
最後に。フード付のパーカーはオールドなパンクだって着ています(笑)。
etikedo : DIYパンク
Voĉo Protesta - Vojo al Libereco 12" LP リリース
イギリスの DIY パンクレーベル LA VIDA ES UN MUS より voĉo protesta (voco protesta, cの上に^) の Vojo al Libereco 12" LP がリリースされました。すでに日本各地のレコ屋/ディストロに入ってきてるようです。ハードコアパンクをうけつけない人にはとーぜんオススメできません。ほとんどの曲が1分代でドッタドットタ、ドッタドットタ、ギャー!で終わると想像してください……これじゃ意味不明か(笑)。拘束もとい高速パンク好きな人向けだと思います。レコーディング時のメムブロは voĉo(voice): uemoto, gitaro(guitar): aoki, baso(bass): sima, tamburo(drum): kawaguĉi。ギターのヘルプで aoki くん(snowline)にお世話になりました。コーラスとB面ラストのヴォーカルは ascum さんです。
LP のタイトルになっている “Vojo al Libereco” は、「自由への道」という意味です。歌詞はすべてエスペラント語で書いていますが(いつまでたっても学習中なのでインチキ・エスペラント)、いちおう日・英の対訳つき。
いまのところ気がついている歌詞の誤植・誤記は以下のとおり。すんません。
- B面の klasa politico は klasa politiko の誤植。
- B面の nenio estas krima の英訳部分 no one isn’t criminal は no one is criminal の誤記。意味がさかさま。
etikedo : DIYパンク
韓国の反徴兵運動について思い起こすことども
雨宮処凛さんがマガジン9条でキム・ソンハさんのルポをまとめている。韓国人のキムさんは日本に滞在中で、徴兵拒否の当事者だという。
韓国には徴兵制がある。オトコだけの徴兵だ。拒否すれば投獄。おまけに代替制度もない。それじゃみんな軍隊いくんだろうなと思うと、拒否する人もいる。投獄覚悟で徴兵を拒否する人たちが存在するのだ。
たとえば、徴兵制がらみでもっともおおくの被弾圧者を輩出しているといわれる「エホバの証人」の場合、徴兵検査は受けて入営するものの、実地の訓練で武器をもつところで最後的に拒否して抗拒罪(抗命罪)で投獄されるケースが多いときく。仏教徒でも拒否する人がでた。もちろん「反戦・平和」などの思想信条によって拒否する人もいる。いずれにせよ、韓国で(徴兵逃れではなく)徴兵拒否が社会的問題として大きく表面化したのは、2001年以降のことだったと思う(2000年からぽつぽつ動きは現れていたようだけれど)。
なお、アムネスティは2002年に、「韓国では毎年500人以上が良心的徴兵拒否で投獄されている」と報告している。
ところで、雨宮さんのルポ「韓国・徴兵制なんて嫌だ! ある若者の闘い。(その3)」では、キムさんに「だめ連」の存在を教えた「A氏」の存在が言及されている。なぜ伏せられているのかよくわからんのだけど、通称ブンブンのことだろう。ブンブンは2001年1月に東京で“叛徴兵マニフェスト”を書きあげ、帰国後しばらくして騒動をまきおこしたアナキストだ。東京滞在中に19歳になってソウルにかえった兄ちゃんで、セックスピストルズでアナキズムを知ったというパンクスでもあった。
ブンブンは2000年12月に東京にやってきて、早稲田にある「あかね」という知る人ぞ知る“交流居酒屋”を根城にして、日本の気のいい連中と交流しまくった。「おそらく韓国の徴兵問題についてアピールしようと思ってきたのだろう」という雨宮さんの書き方はちょっとおおげさかもしれない。ブンブンはまず友人をたよって東京に遊びにきたんだ、というのがぼくの印象だからだ。遊びにきたというのはほんとうのことで、うちに泊まり込んだときにゃ古谷実のギャグ漫画を見て笑い転げていたもんだ。はじめ飛び入りで店番をやって、あとですっかり定着してしまった「あかね」では、よくチヂミを焼いていた。みんなかどうか分からないけれど、お人好し連中の多くがブンブンの人なつっこい笑顔につられて笑った。
もちろん徴兵がいやだというブンブンの気持ちは、東京にくるまえからのものだった。そうして東京滞在中に日本には徴兵制度がないと実際に耳にすることになり、「おれだって軍隊なんかいきたくねー!」「アナキストといっておきながら国にしたがうしかないのか」というせつない思いをあふれんばりにさせていったのだろうとぼくは見ている。ブンブンは宣言を書くまえから、東京の友人たちと徴兵についてよく議論した。もちろん話が韓米・日米の安保体制におよぶこともしばしばだった。「あかね」でブンブンと交流した多くの人たちが、徴兵制度、ひいては現実の軍事体制の問題について考えさせられたことだろう。道場親信さんが東アジアにおける軍事体制と徴兵制とのかかわりについて考究しはじめたのも、ブンブンの反徴兵の思いに接したことが契機となっている。
こうしてブンブンは年明けにマニフェストを書いた。おまけに帰りたくないとグズついているうちに案の定オーバーステイ。空港でとっつかまって入管に送られ、しばらくそこに留め置かれたが、友人の支援もあってドタバタしながら帰途についた。
2001年2月にソウルに帰ったあと、ブンブンはアナキスト仲間の協力のもとにウェブサイト Anti-Military Service! をたちあげ、反徴兵宣言を公表した。宗教的信条による良心的拒否ではなく、思想(アナキズム)にもとづく反徴兵宣言は前例がなかった。あくまで「反徴兵 anti-military service」であるところに、ブンブンと仲間たちの意志が示されていた。翌年の3月に東京から支援者が訪問したとき、かりに代替制度があったとしても、国家にしたがって服務することに否定的な意見をブンブンは伝えている。
でも、反徴兵を公然と宣言すればやっぱりそのままですむわけがない。しかもアナキストの立場からキッパリといいはなったのだから、国家権力が黙っているはずがなかった。2001年3月には、徴兵拒否・忌避関連のウェブサイトに対する警察の捜査がいっせいに開始された。照準をあわされた3サイトのなかには当然ブンブンたちの Anti-Military Service! も含まれていた。というより、政治思想的な立場から反徴兵を公然と掲げたブンブンたちがもっとも付けねらわれた。しかしブンブンと仲間一人は刑法違反(「徴兵拒否団体加入罪」)を理由に警察からの出頭要請の攻撃を受けたものの、これを拒否。直後に諸団体が逮捕されないように声明してくれたが、同時期に存在していた他の徴兵拒否サイトや、徴兵逃れ(徴兵忌避)の情報交換サイトなどは自粛するなどしてつぶれた。また残ったサイトもやがて消滅していった。とうのブンブンたちのサイトも、翌年の5月には国家によるインターネット検閲がもとでホスティング会社が恫喝され、強制的につぶされることになる(のちに復活するが現存しない)。こうした一連の動きをハンギョレ新聞などのマスコミがとりあげ、騒ぎがひろまったのだ。
こうしてブンブンがソウルに戻ってすぐに波乱がまきおこったため、心配した東京の友人たちが4月末にソウルにとんでメーデーでの宣伝活動に合流した。ぼくがソウルのメーデーってものすげえんだなと直接知ったのは、このときのことだ。東京の有志はのちに「韓国の反徴兵運動に連帯する会」をつくって活動し、リーフレットや日本語情報サイト(現存しない)を制作するなどしてソウルでの動きを伝えたのだった。
紆余曲折もいろいろあって、ブンブンは不安でつらい時間を長くすごしたはずだ。しかし2002年5月、ついに兵務庁から「おまえはいらない」と通告されてブンブンはお役御免となった。これはほんとうに例外的なことだった。政府高官だの金持ちだのの息子に徴兵逃れが可能でも、おおっぴらに徴兵制度を問題にして放免された人間はそれまでにいなかったのだ。昔だったらむりやり軍隊にたたきこまれてイジメぬかれていたかもしれない。この例外措置はひょっとしたら、ブンブンたちが反徴兵だけでなく反軍・反国家などの韓国政府にとってトンデモナイことを宣伝しまくっていたことに関係しているような気もした。兵務庁からの徴兵免除通告と並行して、ブンブンたちの反徴兵サイトが弾圧されたため、よけいに思想宣伝が問題とされたように思えたのである。
ブンブンは「生真面目」に運動するのが苦手なやんちゃ坊主だったけれど(延世大の文化祭にバンドで参加するも尻出しを糾弾されたことがある)、それでも韓国のいろいろな大衆運動の場にしっかり登場して徴兵制の問題を訴えている。2001年のソウルのメーデーではアナキスト仲間とともに黒旗をふりまくって駆け足デモに参加した。もちろん徴兵拒否者としてのさまざまな場への登場は、仲間のサポートがあってこそのことだった。同時期に拒否した人々も含め、サポートしてくれる弁護士チームだってつくられた。だから推測できる理由がどうあれ、ブンブンが軍隊にとられなかったのは「みんなのおかげ」だったはず、ともいえるのだ。その後かれは世界放浪の旅に出て、いまは韓国に戻っている。
いずれにせよ、大韓民国はいまでも朝鮮民主主義人民共和国とは「休戦」の状況にしかないのだし、それにアメリカが軍事面でおさえつけているわけだから、運動規模としては小さかったともいえるブンブンたちの挑戦は、社会的には大きな問題を提起していたのだと思う。しかし、いまも韓国には徴兵制度が厳然としてあり、代替制度はない。徴兵を拒否すれば投獄されるという状況に変わりはないのだ。だからキム・ソンハさんの闘いの困難さを思うと、陰鬱な気持ちになる。でも、本人ががんばる以上はやっぱりがんばってほしい。
ところで、そもそもなんでブンブンが東京に遊びにきたかというと、そりゃアナキストの“友だちネットワーク”のせいだとしかいいようがない(笑)。これはネタでもなんでもなくて、東京からソウルにたびたび出かけては現地のアナキストと交流していた日本人アナキストがいて、その人の交友関係からはじまったともいえる。
ブンブンの東京行きには、仲間うちで先輩にあたるマニック(通称、この人も若かった)も同行していて、「ちゃんと帰ってきなさいよ」といいのこして先に帰ったのだったが、やはり親身にサポートしてくれたひとりだ。韓国の徴兵制は男性固有のキャリア形成に結びついており、当時すでに軍事問題は性差別の問題でもあるとあらためて捉えられはじめた時期だったことも手伝ってか、マニックの仲間のフェミニストも支援してくれた。
そしてブンブンとマニックの運動仲間にコリアン・アナキスト・ネットワークを運営していたドープヘッド(通称)がいて、かれがそのサブサイトとして反徴兵サイトをつくって強制閉鎖の憂き目にあったのだった。ドープヘッドは反戦・反基地運動などでいまも活発に活動している。
★韓国の良心による兵役拒否の現況と人権 第60回国連人権委員会共同報告書(2004)
★韓国徴兵制と人権問題を考えるPANDA(2007〜)
韓国には徴兵制がある。オトコだけの徴兵だ。拒否すれば投獄。おまけに代替制度もない。それじゃみんな軍隊いくんだろうなと思うと、拒否する人もいる。投獄覚悟で徴兵を拒否する人たちが存在するのだ。
たとえば、徴兵制がらみでもっともおおくの被弾圧者を輩出しているといわれる「エホバの証人」の場合、徴兵検査は受けて入営するものの、実地の訓練で武器をもつところで最後的に拒否して抗拒罪(抗命罪)で投獄されるケースが多いときく。仏教徒でも拒否する人がでた。もちろん「反戦・平和」などの思想信条によって拒否する人もいる。いずれにせよ、韓国で(徴兵逃れではなく)徴兵拒否が社会的問題として大きく表面化したのは、2001年以降のことだったと思う(2000年からぽつぽつ動きは現れていたようだけれど)。
なお、アムネスティは2002年に、「韓国では毎年500人以上が良心的徴兵拒否で投獄されている」と報告している。
ところで、雨宮さんのルポ「韓国・徴兵制なんて嫌だ! ある若者の闘い。(その3)」では、キムさんに「だめ連」の存在を教えた「A氏」の存在が言及されている。なぜ伏せられているのかよくわからんのだけど、通称ブンブンのことだろう。ブンブンは2001年1月に東京で“叛徴兵マニフェスト”を書きあげ、帰国後しばらくして騒動をまきおこしたアナキストだ。東京滞在中に19歳になってソウルにかえった兄ちゃんで、セックスピストルズでアナキズムを知ったというパンクスでもあった。
ブンブンは2000年12月に東京にやってきて、早稲田にある「あかね」という知る人ぞ知る“交流居酒屋”を根城にして、日本の気のいい連中と交流しまくった。「おそらく韓国の徴兵問題についてアピールしようと思ってきたのだろう」という雨宮さんの書き方はちょっとおおげさかもしれない。ブンブンはまず友人をたよって東京に遊びにきたんだ、というのがぼくの印象だからだ。遊びにきたというのはほんとうのことで、うちに泊まり込んだときにゃ古谷実のギャグ漫画を見て笑い転げていたもんだ。はじめ飛び入りで店番をやって、あとですっかり定着してしまった「あかね」では、よくチヂミを焼いていた。みんなかどうか分からないけれど、お人好し連中の多くがブンブンの人なつっこい笑顔につられて笑った。
もちろん徴兵がいやだというブンブンの気持ちは、東京にくるまえからのものだった。そうして東京滞在中に日本には徴兵制度がないと実際に耳にすることになり、「おれだって軍隊なんかいきたくねー!」「アナキストといっておきながら国にしたがうしかないのか」というせつない思いをあふれんばりにさせていったのだろうとぼくは見ている。ブンブンは宣言を書くまえから、東京の友人たちと徴兵についてよく議論した。もちろん話が韓米・日米の安保体制におよぶこともしばしばだった。「あかね」でブンブンと交流した多くの人たちが、徴兵制度、ひいては現実の軍事体制の問題について考えさせられたことだろう。道場親信さんが東アジアにおける軍事体制と徴兵制とのかかわりについて考究しはじめたのも、ブンブンの反徴兵の思いに接したことが契機となっている。
こうしてブンブンは年明けにマニフェストを書いた。おまけに帰りたくないとグズついているうちに案の定オーバーステイ。空港でとっつかまって入管に送られ、しばらくそこに留め置かれたが、友人の支援もあってドタバタしながら帰途についた。
2001年2月にソウルに帰ったあと、ブンブンはアナキスト仲間の協力のもとにウェブサイト Anti-Military Service! をたちあげ、反徴兵宣言を公表した。宗教的信条による良心的拒否ではなく、思想(アナキズム)にもとづく反徴兵宣言は前例がなかった。あくまで「反徴兵 anti-military service」であるところに、ブンブンと仲間たちの意志が示されていた。翌年の3月に東京から支援者が訪問したとき、かりに代替制度があったとしても、国家にしたがって服務することに否定的な意見をブンブンは伝えている。
でも、反徴兵を公然と宣言すればやっぱりそのままですむわけがない。しかもアナキストの立場からキッパリといいはなったのだから、国家権力が黙っているはずがなかった。2001年3月には、徴兵拒否・忌避関連のウェブサイトに対する警察の捜査がいっせいに開始された。照準をあわされた3サイトのなかには当然ブンブンたちの Anti-Military Service! も含まれていた。というより、政治思想的な立場から反徴兵を公然と掲げたブンブンたちがもっとも付けねらわれた。しかしブンブンと仲間一人は刑法違反(「徴兵拒否団体加入罪」)を理由に警察からの出頭要請の攻撃を受けたものの、これを拒否。直後に諸団体が逮捕されないように声明してくれたが、同時期に存在していた他の徴兵拒否サイトや、徴兵逃れ(徴兵忌避)の情報交換サイトなどは自粛するなどしてつぶれた。また残ったサイトもやがて消滅していった。とうのブンブンたちのサイトも、翌年の5月には国家によるインターネット検閲がもとでホスティング会社が恫喝され、強制的につぶされることになる(のちに復活するが現存しない)。こうした一連の動きをハンギョレ新聞などのマスコミがとりあげ、騒ぎがひろまったのだ。
こうしてブンブンがソウルに戻ってすぐに波乱がまきおこったため、心配した東京の友人たちが4月末にソウルにとんでメーデーでの宣伝活動に合流した。ぼくがソウルのメーデーってものすげえんだなと直接知ったのは、このときのことだ。東京の有志はのちに「韓国の反徴兵運動に連帯する会」をつくって活動し、リーフレットや日本語情報サイト(現存しない)を制作するなどしてソウルでの動きを伝えたのだった。
紆余曲折もいろいろあって、ブンブンは不安でつらい時間を長くすごしたはずだ。しかし2002年5月、ついに兵務庁から「おまえはいらない」と通告されてブンブンはお役御免となった。これはほんとうに例外的なことだった。政府高官だの金持ちだのの息子に徴兵逃れが可能でも、おおっぴらに徴兵制度を問題にして放免された人間はそれまでにいなかったのだ。昔だったらむりやり軍隊にたたきこまれてイジメぬかれていたかもしれない。この例外措置はひょっとしたら、ブンブンたちが反徴兵だけでなく反軍・反国家などの韓国政府にとってトンデモナイことを宣伝しまくっていたことに関係しているような気もした。兵務庁からの徴兵免除通告と並行して、ブンブンたちの反徴兵サイトが弾圧されたため、よけいに思想宣伝が問題とされたように思えたのである。
ブンブンは「生真面目」に運動するのが苦手なやんちゃ坊主だったけれど(延世大の文化祭にバンドで参加するも尻出しを糾弾されたことがある)、それでも韓国のいろいろな大衆運動の場にしっかり登場して徴兵制の問題を訴えている。2001年のソウルのメーデーではアナキスト仲間とともに黒旗をふりまくって駆け足デモに参加した。もちろん徴兵拒否者としてのさまざまな場への登場は、仲間のサポートがあってこそのことだった。同時期に拒否した人々も含め、サポートしてくれる弁護士チームだってつくられた。だから推測できる理由がどうあれ、ブンブンが軍隊にとられなかったのは「みんなのおかげ」だったはず、ともいえるのだ。その後かれは世界放浪の旅に出て、いまは韓国に戻っている。
いずれにせよ、大韓民国はいまでも朝鮮民主主義人民共和国とは「休戦」の状況にしかないのだし、それにアメリカが軍事面でおさえつけているわけだから、運動規模としては小さかったともいえるブンブンたちの挑戦は、社会的には大きな問題を提起していたのだと思う。しかし、いまも韓国には徴兵制度が厳然としてあり、代替制度はない。徴兵を拒否すれば投獄されるという状況に変わりはないのだ。だからキム・ソンハさんの闘いの困難さを思うと、陰鬱な気持ちになる。でも、本人ががんばる以上はやっぱりがんばってほしい。
ところで、そもそもなんでブンブンが東京に遊びにきたかというと、そりゃアナキストの“友だちネットワーク”のせいだとしかいいようがない(笑)。これはネタでもなんでもなくて、東京からソウルにたびたび出かけては現地のアナキストと交流していた日本人アナキストがいて、その人の交友関係からはじまったともいえる。
ブンブンの東京行きには、仲間うちで先輩にあたるマニック(通称、この人も若かった)も同行していて、「ちゃんと帰ってきなさいよ」といいのこして先に帰ったのだったが、やはり親身にサポートしてくれたひとりだ。韓国の徴兵制は男性固有のキャリア形成に結びついており、当時すでに軍事問題は性差別の問題でもあるとあらためて捉えられはじめた時期だったことも手伝ってか、マニックの仲間のフェミニストも支援してくれた。
そしてブンブンとマニックの運動仲間にコリアン・アナキスト・ネットワークを運営していたドープヘッド(通称)がいて、かれがそのサブサイトとして反徴兵サイトをつくって強制閉鎖の憂き目にあったのだった。ドープヘッドは反戦・反基地運動などでいまも活発に活動している。
- 2000.12 ブンブン、東京にくる
- 2001.1 ブンブン、東京に滞在したまま19歳となり(徴兵対象年齢)、“叛徴兵マニフェスト”執筆。オーバーステイ状態へ
- 2001.2 ブンブン、ソウルに戻り反徴兵運動開始。インターネットを駆使して活発に宣伝をくりひろげる
- 2001.3.20 徴兵拒否関連のウェブサイト弾圧で3サイトに関連捜査。ブンブンたちのサイト Anti-Military Service! も捜査対象とされ、圧力がかかる
- 2001.4.11 反徴兵・忌避関連の5サイトを捜査し、2サイトを閉鎖、3サイトに内容を全面改変するように措置したと警察が公表
- 2001.4(下旬) 東京より友人数人がソウルに激励訪問
- 2001.5.1 ソウルのメーデーに合流。一連の労働争議弾圧の直後ということもあり、緊張感がみなぎっていたが、労働者の大結集で警察は要所警護のみで手を出さず。東京のメーデーでも有志がビラまき
- 2001.7.29 ソウルからブンブンの友人であるイ・ユンスクさんとマニック(通称)を迎え、東京の有志が早稲田奉仕園で集会を開催。(『かけはし』に掲載された報告記)
- 2001.9 ブンブンの徴兵検査期限
- 2001.10 ブンブン、韓国中を旅してまわる(済州島も訪問)
- 2001.10.11 親もとに徴兵検査通知が届く(ブンブンは放浪中)。以後、親と親戚からの圧力が強まる。とくにお母さんからの懇請に負け、変則的に病院で検査をうける(結果は兵務庁に通報)
- 2001.11 『週刊金曜日』第388・389号に取材記事掲載。竹内一晴「韓国青年ブンブンの徴兵拒否宣言(1)・(2)」
- 2002.1 稲垣真美『良心的兵役拒否の潮流』(社会批評社)刊行(※ブンブンとは直接関係しないが参考として)
- 2002.2.20 ブンブンらアナキスト仲間がブッシュ訪韓反対集会(野外)に参加、ブンブンがデザインした反ブッシュTシャツが100枚はける。ドープヘッドのギターにのせて「軍隊に行くな」を歌う
- 2002.3.11-15 東京より支援者がソウル訪問し、ブンブン(20)、仏教徒の良心的徴兵拒否者のオ・テヤン(呉太陽)さん(26)と交流。オさんは2月に在宅起訴処分を受けていた
- 2002.3.14-15 ブンブン、オさんと初めて会い、徴兵拒否談義をかわす
- 2002.5 「韓国の反徴兵運動に連帯する会」、パンフ『韓国の反徴兵運動を考える』発行
- 2002.5.24 延世大で開催された徴兵拒否をテーマとする平和人権文化祭で、ブンブンが参加するバンド「女子高生解放戦線」のライブ中に尻を出し、演奏強制中断。女子学生総会から糾弾を受け企画者側が謝罪
- 2002.5.27 サイト Anti-Military Service! が、インターネット検閲機関のICEC(情報通信倫理委員会)の「審議」にもとづく二ヶ月の閉鎖命令と、反徴兵・反軍の主張が憲法違反だとして関連情報の削除要求を受ける。同日『大学生新聞』によるブンブンのインタビューが公表される(取材は4月20日)
- 2002.5.29 ブンブン、兵務庁より徴兵せずとの通告を受ける
- 2002.5.31 警察から圧力を受けたホスティング会社がサイト Anti-Military Service! を強制閉鎖。インターネット国家検閲に反対する共同対策委員会が抗議声明を即日公表
- 2002.6 『日韓ネットニュース』22号に記事掲載。亀田博「韓国の反徴兵運動」
- 2002.7.27 「韓国の反徴兵運動に連帯する会」、早稲田奉仕園でシンポジウム「兵隊にならないこと・戦争に行かないこと:反徴兵を日本で考える」を開催
- 2002.8 『市民の意見30の会・東京ニュース』73号に記事掲載。道場親信「反徴兵を日本で考えること」
- 2004.4 『南を考える』第6号に記事掲載。相川陽一「日本国憲法への「まなざし」を感じていくこと:韓国の徴兵拒否青年との出会いから」
★韓国の良心による兵役拒否の現況と人権 第60回国連人権委員会共同報告書(2004)
★韓国徴兵制と人権問題を考えるPANDA(2007〜)
『悍』第3号の宣伝
『悍』第3号に寄稿しました。題して「暴民哭々 近代成立期民衆の〈公怨〉について」。新政反対一揆と困民党などの負債農民騒擾のはざまの時期に起きた、ある農村での焼討ち事件を題材にしています。事件にまきこまれた被差別者についてほじくりかえすような内容を含めたため、あえて戸籍名で書いています。
特集は「暴力燦々」ですが、要請に応えられたかといえば非常に疑わしい。わたしはもとより非暴力主義者ではありませんが、かといって無前提に(あるいは国民主義的に)暴力を礼賛するという根性をもっていないからです。しかし「持たざる者」の蜂起という条件を前提とすれば、やはりある暴力を肯定・支持しなければならない場合があるという思いも持っています。ただし、貧民が国民としてつくりかえられるとき、その暴力については同時に拒絶しなければならないとも考えます。
原稿の前文を引いておきます。
明治改元からおよそ一〇年、神奈川県南のとある農村で地主宅を焼討つ農民暴動があった。死傷者一一人を出したとされるこの事件は、新政による土地所有制の転換がもたらした村落共同体の動揺の極限化として記録されている。事件はまた貧農が強欲な地主を討つ義挙として様々に語られ、加害者側への同情さえ集めた。しかし原形をとどめない複数の死体とその凄惨な記憶がこびりつく共同体の沈痛は、外部からの無責任な言祝ぎで消え去るものではない。人々は同じ場所でその後を生き抜かねばならないからである。貧しさを罪悪視し、圧倒的な富の私有とその相続を是とする社会のありように今も昔も大きな違いがないのだとすれば、富の私的集積に対決しようとした往昔の人々の苦悩は、現在のわれわれをも捕捉して離そうとしない。貧富二元化の矛盾、暴力と秩序との往還、その過程で顕現する差別、そして闘争主体の共同性の内実──本稿では、これら近代成立期の共同体内の相克を見ることを通じ、われわれが今生きる社会をどのように捉えるのかということをも考えてみたい。(これより以下の部分は、09年10月25日5時30分に、加削が分かるように補訂を行いました。灰色が削除部分、緑色が追加部分です。補訂の主旨は、批判は言説・行為じたいにすべきものとの見地から、また賃金労働者としての自らの立ち位置に照らしあわせ、妥当性を欠いたと思われる部分を直すというものです。)
同誌に書くにあたことで問題にぶちあたりました。
・外山恒一なるというファシストを自称する輩人物と版を同じくしたこと
・千坂恭二なるという鵺的な「戦争肯定」論を吐く輩提起する人物と版を同じくしたこと
わたしは、戦争にもファシズムにも反対です。
前者については、初稿をあげた段階で同時に掲載されることを知りました。後者については、第1号での所論をちゃんと読んでいませんでした。いまも読んでいません。ファシズムや国民社会主義(ナチス含む)の「左派的」性格の解説など、なにを今さらと思っていたからです。第3号を改めて読んでみて、この怠惰を自己批判します。ただそれらのことを事前に知っていたら書かなかったかといえば、それは分かりません。『悍』は政治組織の機関誌ではなく、その書き手は版を同じくすることで即座に同位性をもつわけではないからです。
両者ともはファシズム擁護ないしその紹介者の立場をとっており、います。当人のウェブサイトによれば、とりわけ外山氏はムッソリーニに仮託しながら、アナキストに対してファシストへの転向を呼びかける人物です。外山氏がイタリアのファシズムに依拠しようとするところに、その意図がよく表れています。戦争に敗北したとはいえ、フランコ軍との戦闘と同時進行で社会革命を闘って未完のまま殲滅された「アナキスト革命のスペイン」は、ファシストに転向し、かつまたアナキストへ転向を呼びかける外山氏にとっては都合が悪すぎるわけです。だから「転向者」に見えるムッソリーニのイタリアを選択せざるをえない。
他方、千坂氏はあいもかわらずの超越者的な立ち位置から(バクーニン主義者時代には「宇宙から」ものをいっていた──cf.『歴史からの黙示』)、ファシズムないし国民社会主義についての「社会主義的可能性」を示唆するという、より巧妙な転向への誘い水をまきちらしています。
なんだかんだいいながら、「思想」としてのファシズムがどのようにありえたとしても、史的現実としてのファシズムが支配的資本の走狗の役割をはたした現実としてのファシズムことはごまかすせないはずです。その口でその現実を迂回して、ファシズムないし国民社会主義のインターナショナリズムをいうのは人を愚弄する瞞着にすぎません。しかし最近では外山のエピゴーネンのような氏からの影響を示唆する自称「素人」の国民主義者のサークルが東京にも登場しています。
これをこのまま放置しておけば、事実としてのファシズムないし国民社会主義ナチズムと天皇制帝国主義がはたした現実にもたらした反民衆主義・反階級主義・反インターナショナリズムを、こんにちにおいても蔓延させることにつながるでしょうは容認できません。日本帝国主義本国人として生きざるをえず、いまもそのようにして生きのびていながら帝国主義の打倒を希求する立場としては、いま以上の収奪と差別を前提とする生は耐えがたい。国民主義という枠組みによって階級分断の問題とインターナショナリズムをごまかそうとする煽動はたたきつぶさが登場するのなら、やはり対峙しなければならないとわたしは考えています。¡No Pasarán! とはいえど、そのためには論争が必要なのだと思います。



