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日本の労働運動が組織できんかった対象?

2010
03-23
根来祐さんが「日本の労働運動がパート労働者を組織できんかったこと」と書いてるけど、ある意味では正しく、ある意味では間違ってると思う。組織率からいえば「組織できんかった」といえる。けど、女性パート労働者を組織してきた運動がぜんぜんなかったかといえば、そりゃ違う。運動の内実はともかくとして、(女性の)パート労働者を組織してきた組合はたしかにある。地域合同労組もそうだけど、あのゼンセンだって流通部門では合同労組なんか問題にならないくらい強力に組織してきてるじゃん。つまりもっというと、女性のパート労働者でも組織される人とされない人に分かれているということです。これはたしかに運動の力量の問題にかかわるのだけれども。
 組織率の観点からすれば、日本の労働運動はいまや男女問わず労働者を組織できなくなってきたというべきで、とりわけ官公労と大企業中心の労働運動を問題にするなら、それは単に「男」中心というだけでなく、下請け・孫請け・ひ孫請けの底辺の野郎どもを度外視する差別的な「男本工」の世界であったとより踏み込んで規定すべきでしょう。だからこそニコヨンの全日自労や寄せ場における各組合・争議団の運動が成立したのだし。中小企業における運動は事情がややことなっていて、総評における合同労組の先駆である全国一般は中小企業対策という性格があり、それは総評合流以前の「中立」的な労働運動の系譜に属していて、しかも群小の工場が林立する地域における一般労組の運動は戦前からあって零細企業も射程にいれていたわけです。こっちのほうは家族ぐるみの運動として成立せざるをえなかった特質があり、戦後総評のある時期に「家族ぐるみ運動」が成果として語られたわけだれども、意地悪いいいかたをすればそれは戦前の運動のやきなおしにすぎなかった。
 話が脱線するけれど、パートではないにせよ、のちにゼンセンの女性部門の根幹となった繊維産業に就労する女性労働者の運動を組織したのは野郎ばかりじゃない。むしろ女性の職場活動家がいなければあれだけの組織化と闘争はできなかったはず。だってかつての紡績女工の運動って寮ぐるみ・生活ぐるみの闘いだったんだから。そのゼンセンがこんにちにおいても、たとえ排他的なユニオンショップ(職場ぐるみ)であれ、女性の非典型雇用労働者をも組織していることは当然無視できるわけがないのです。てゆーか日本の労働運動のうち、パートの組織化でもっとも力があるのってゼンセンでしょ。
 自分の目の届く範囲・かかわった範囲でのみの話として「パートは──」というならそりゃ限定して語るべきで、個別具体的な話を一般化できるかどうかはまた別の問題になる。人はどうしても自分が知っていることを世界のすべてと思い込みがちなので、このあたりのことについては慎重に考えてしかるべきなわけです。

それでも根来さんの眼目である論及(労働運動は男が組織してきた──だよね?)は、大雑把にいえば、まあそうなのかなとも思う。それにそれは労働運動にかぎったことじゃないし、根来さんは社会運動一般にありがちなこととして念頭においてるんでしょう。自分も「男」であるのにこういうのはなんですが、なんにつけてもヘテロの男、男、男ばかりの運動というのはありふれた光景だからです。
 でもやっぱり男が場を規定・リード・支配しがちという話と、労働運動の組織化の射程についてはやはり単純化して考えない方がいいと思います。男ばっかりじゃない地域運動・住民運動もたくさんあるしね……それこそ「パートの主婦」のような存在が主軸をしめる運動だってあるわけですよ、人がそれを知るかどうかはともかく。だから個人がかかわってきた限りでの「運動」の特質を性急に一般化して語るときに付随する陥穽について、自覚的であるべきだと思います。
 おまけに根来さん的文脈からすると、「妻」も「彼女」もいない・いらない単身者の男性、つまり「シャドウワーク」ももちろん自分でやる「男」はいったいどこにいればいいのかと(笑)。とりわけ asexual 指向の「男」はまあ……「女」「男」の紋切り型の弁別の場からは退場するしかないのかもしれないけど。
 さらに脱線すると、わたしの場合、酒も飲めないんで、「飲みゅニケーション」をインフォーマルな意思決定の場にされるとけっこうツライもんがあるんだよなー。飲む人と場を共有することじたいはできるんだけど。全国の下戸よ! 団結せよ! 謀議はシラフでよろしく、なんつってな。
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コルトとカワイ

2009
11-09
コルトとカワイ、音楽産業労働者的団結! 遠征準備に奔走したみなさん、ごくろうさまでした。(おれなんもしてないのに、コルト闘争遠征団から缶バッジをちゃっかりもらってしまった……)

コルト・コルテック(韓国)の労働者は世界中のギターをたくさんつくってきた。そのコルト労働者による No Wokers, No Music というスローガンが、音楽産業資本の理不尽な体質をうきぼりにしている。楽器製作者や音楽教室の講師をつかいすてる「業界」にいったいなんの夢があるのだろう。

コルト・コルテックの争議についてはレイバーネットChamponを参照のこと。カワイ音楽教室の争議についてはfufの闘争ページを参照してください。

闘争勝利

2009
03-18
「名ばかり管理職」問題を社会にしらしめたマクドナルド店長の裁判闘争が、ほぼ全面的な勝利におわりましたね。

一審勝訴後、マクドナルドは不払いだった店長職の残業手当を清算するという全社的方針変更にふみだしていましたが、その一審判決をうけいれるかたちで高裁で和解へ。同社は同社の店長職が法律上の管理職にあたらないという一審の判決水準をみとめただけでなく、雇用条件の報復的な不利益変更もおこなわないという和解条件ものんだとのこと。まさに当該・管理職ユニオンの大金星。

たたかって「負ける」こともあるけど(もしかしたら「負ける」ことのほうが多いかもしれない)、そもそもたたかわなければ「勝つ」ことさえないのだということをあらためて思います。重要なのは、たとえ裁判闘争が「社内」的には個的なものであったとしても、その勝利の地平が職場全体にもたらす影響ははかりしれないということでしょうか。バイト・パートは──。

府中緊急派遣村

2009
02-26
メモ)いわゆる2009年問題がさしせまるなか、たしかに緊急の“村”ですね。府中は東京西部(多摩地域)の「企業城下町」。

【転載】1.28京品闘争連帯集会

2009
01-27
主催の東京ユニオンのウェッブサイトより転載
東京ユニオン : ご支援に心から感謝。1.28京品闘争連帯集会へ

 昨日の強制執行に対して、300名の労働者の整然たるピケ隊は労働者の大義を胸に、京品ホテル前で徹夜の闘いを貫徹しました。
  1000名を超える裁判所、警察、機動隊の国道第一京浜を封鎖し、地域いったいを戒厳令状態にして行われた強制執行は、リーマングループと京品実業の不当な解雇廃業をいっそう、満天下に明らかにしました。労働者の生存権をかけた闘いとして、東京ユニオン京品ホテルの闘いは、多くの労働者に支えられて、今後も続きます。

●当面の闘い 1月28日〔水〕午後6時30分より「闘争100日突破!京品ホテル闘争勝利!連帯集会」を総評会館104号室で開催します。28日当日は、昼12時より京品ホテル社前にて抗議集会を開催します。一時間程度の予定です。ご支援よろしく。
総評会館 地下鉄新御茶ノ水駅、小川町 JR御茶ノ水駅下車

●体の節々が痛んでいますが、闘いの意気はますますあがっています。東京ユニオン一同、全国の仲間の連帯に感謝申し上げます。

自主管理のたたかい

2009
01-25
仕事で外出していて現場にかけつけることができなかったのですが、本日早朝、東京・品川の京品ホテルで強制執行をめぐる攻防がありました。労組・支援の300人がピケをはって警官隊の排除攻撃に抵抗したものの、ついにホテルあけわたし……という事態に。

放漫経営者による外部資本へのホテル叩き売りに反対し、昨年から自主営業をつらぬいてきた京品ホテル労働者。今回の執行で一歩引くことになりましたが、不当解雇撤回をかかげてたたかいつづけるとのことです。断乎支持。

コーポラティズムから自律的労働者運動へ

2008
12-19
連合が春闘でベアアップを要求するという話題がマスメディアにのせられるにしたがい、待ってましたとばかりに「正規雇用の組織労働者への恨み節」がそこかしこで登場しつつあるようだ。これは経団連にとっても都合のよい「輿論」(よろん)に転化しうるだろう。

もちろん、おおくの人が不況にあえぎ、「非正規雇用」のなかまたちが大量に解雇されつつあるこのタイミングで春闘の話をするとなれば、連合主流派の行き方を見て「所詮、正社員の利益確保のみ」という感想が出てくるのはやむをえないという気もする。しかしだれに頼まれたわけでもない「労働者間のルサンチマン」を代弁する批評がいくらくりかえされても、それはあくまで外在的なものにとどまる。むしろそのような批評はまた批評するものの立場をも糾問することになる。すなわち、「そういうお前はどこにいてなにをやっているのか」という問いである。この問いのまえには、もちろん私もたたされる。

金融資本主義のギマンがもたらした世界的な同時不況のもとで、それぞれの持ち場での苦闘が存在する。そしてそれはいまにはじまったことではない。またたたかいの場はたんに「正規雇用」の組織労働者のものにかぎらない。ひとりでも加入できる地域合同労組のたたかいはもとより、労働組合によらずに個人で使用者(経営者)の不正・不当を追及する人々のたたかいもある。そうした「個別労使紛争」は裁判闘争へと集約されていくが、裁判以前のものとしての日夜のたたかいもとうぜんのようにある。官民とわず稼働貧困者(いわゆる「ワーキングプア」)が大量にうみだされているこんにち、従来の労働組合運動と、そして寄せ場の労働運動・野宿労働者運動や「主婦パート」などの「個的」にして恊働性をもつ闘争(1)などの労組運動主流の枠外にあるたたかいは、たとえ「見えないもの」であってもなおいっそう確実に存在しているのである。

生きぬくための苦闘のなかからは、不可避のものとして「御用組合」批判もでてくるだろう。2005年の連合の会長選挙に際し、全国ユニオン(合同労組の連合体)の候補者は「未組織労働者の組織化」「非典型労働者の組織化」──「非典型」はいまでいう「非正規」にあたる──をおしだした2001年の「ニュー連合」路線を現実のものとするよううったえた。とくに「非正規労働者」に軸をすえた運動と、「均等待遇化」路線のなおいっそうの推進をうったえる主張(2)は、「正規雇用」の立場には耳がいたいものであったはずだが、それでもいっていの共感をもってむかえられた。会長選挙は名だたる大組織であるゼンセン同盟の候補者(303票)の勝利におわったが、ゼンセンにくらべてはるかに小さな組織である全国ユニオンの候補(107票)はおおかたの予想をうわまわって健闘したのである。これは政労使コーポラティズム、つまり総体としての労使協調路線に対する批判票が結集したものともとらえられる事態だっただろう。

このように日本の「組織労働者」の代表的存在である連合のなかにおいてさえ、「非正規雇用」の労働者の自己組織化としての表現である「たたかう合同労組」の潮流が存在し、健闘しているのである。このことはもっと知られてもよい。全国ユニオン系の合同労組に結集する人々、あるいは他潮流の合同労組に結集する人々は、でしゃばるほどには自らを語ることがないように見える。しかし近年の派遣ユニオンの派遣企業に対するたたかい、「名ばかり管理職」問題を追及する東京管理職ユニオンのたたかい、過労死問題などにも必然的にとりくんできた全国一般東部労組のたたかい、NOVA倒産問題などで語学学校教員をささえてきた全国一般なんぶ(東京)ゼネラルユニオン(大阪)のたたかい、「外国人研修生の虐使」問題に立ち向かってきた全統一労組のたたかい、あるいは労働問題を生存問題として直結させようとする「フリーターユニオン」(3)の地をはうようなたたかい、数え上げればきりがないけれども、守勢にたたされながらもみずから立ち上がるなかに新たなみちすじを見出そうとする動きが全国各地で顕在化しつつある。従来組織されてこなかった、自己組織化してこなかった人々のあらたな決起は、労組ナショナルセンター・連合体の別をとわず、さまざまな場において合同労組が続々と結成されていく動きにも表現されている。ともすればわすれられがちな中小零細企業の労働者のためにたたかうという合同労組の歴史はふるく、ひもとけばそれは戦前からのものであることを人は知るだろう。そうしてこの「ひとりでも加入できる」合同労組の「自力自闘」は戦後なんどもの高揚を経験してきたが、分断されたままの労働者の最後の「孤塁」としていままたその姿を劃然(かくぜん=ハッキリ)とあらわしつつあるのである。

「正規雇用」と「非正規雇用」とのあいだに存在する現実の矛盾・亀裂はふかい。しかし労働現場の矛盾に直面してなやみくるしみつつも、しかしあくまで「均等待遇」「同一労働同一賃金」のスローガンのもとに、なおその矛盾をのりこえようとたたかうひとびとがいる。たとえそれが不当な攻撃にたいするせいいっぱいのやり返しにすぎないとしても、私はこうした動きにこそ希望をみる。安全圏からの、あるいはみずからの姿をかくしたままのひとごとのような批評は、批評それじたいとしては大状況を理解しようとするうえで参考になることはあっても、「現場」の苦闘にはほとんど役にたたないだろう。いま・ここにある使用者(経営者)の不当労働行為にたいして、すぐにでもとりくむべきたたかいの準備に合同労組のなかまたちは東奔西走している。ときおりマスメディアにとりあげられるような「絵になる」たたかいは氷山の一角にすぎない。首切りに対決し、賃金未払いをゆるさず、あるいはそもそもアルバイト・パート・派遣・契約などのどんな労働者も労働者なのだと声をあげ、孤立の状況を緩和すべく「団結」の場を確保・拡充しようとする営々たる人々の努力に、合同労組に加入しながら何もしない私は頭をたれる。

いうまでもなく以前にもましてきびしい年の瀬だ。各地の越年のたたかいへ!(4)

(1)たとえば、パート・未組織労働者連絡会は労働基準法を武器に裁判闘争をたたかい、成果をのこしている。その一つの報告として「[労働権の確立をめざし JRAと裁判し勝訴]山口静子」がある。こうした「個的」なたたかいの一つをとってみても、ひとはたたかってはじめて状況をきりひらく端緒をつかむことができるのだということが明確に示されている。

(2)ゼンセン同盟・高木剛候補の対立候補者となった全国コミュニティ・ユニオン連合会の鴨桃代は、「連合改革への私の決意」で次のようにのべている。こんにちやかましくいわれる「逆均等待遇」への視座は、鴨にはこの時点で(あるいはそれ以前から)すでに内在していたといえよう。
連合が結成された1989年当時、パートは連合組合員と同じく約800万人でした。そして現在、連合組合員は700万人弱。それに対してパートは1200万人です。つまり、連合は、いまだに正社員中心の組織を脱することができず、いまの雇用・就労形態の変化に立ち遅れている実態にあります。

連合は、2001年の大会において「ニュー連合」方針を提起し、「未組織労働者の組織化」「非典型労働者の組織化」を強くアピールしてきました。さらに、連合評価委員会も強くそのことを指摘しています。しかし、連合全体としての取り組みはまだまだ不十分だと思っています。

いま求められているのは、連合組合員数を上回る非正規労働者をもっと本気で仲間に加え、「均等待遇」の立法化や「理由のない有期雇用」への規制などに総力をあげて取り組むことです。非正規労働者の声を反映し目線にたった運動を提起する、直面 している問題を一緒にたたかうことです。連合が、もっとも労働組合を必要としている人たちの拠り所になることです。

また、この仕事は正社員でなければならない(できない)ということではなくなってきています。企業によっては、正社員賃金を非正社員賃金に合わせる、「逆均等待遇」を始めているところもあります。均等待遇は正規、非正規問わず、全労働者の課題としての取り組みが求められています。

私は、この間、連合が笹森会長を先頭に推進してきた「非正規雇用労働者の組織化」「均等待遇立法化」をさらに推進していきたいと思います。それが、今回の会長選に立候補した第一の理由です。

(3)「フリーター」を名称にふくむものとしては、フリーター全般労組(Precariat Union、東京)フリーターユニオン福岡、フリーター労組仙台がある。またユニオンぼちぼち(関西非正規等労働組合)なども同種の労組群に数えられよう。

(4)各地の情報・相談窓口については「08-09 各地の越冬・越年行動スケジュール」(ubiqueerまとめ)を参照のこと。

全日本自由労働組合第九回定期大会「喰わせろ」

2008
10-20
------ 転載 ------

全日本自由労働組合第九回定期大会

闘争方針
(1)生活を守る闘い
  イ、最低生活保障給獲得の闘い

 最低生活保障給の考え方は一言でいえば「喰わせろ」の考え方です。私たちは昨年までは、労働者階級の一員として最低生活を保障する最低賃金法の制定を目標に、賃金闘争を組んできました。しかしいま私たちはここで過去の闘いの点検の中から、私たちの闘いが「反失業、食わせろ、職よこせ」に発展せずいつの場合も賃金闘争に解消してしまった数多くの欠陥を、賃金闘争自体の中から発見したのです。それは従来私どもの性格と任務があいまいにされていた点も大きく禍わいしたのですが、労働者階級としては最も正しい要求である筈の最低賃金制確立に対する理解の仕方が、私どもにとって、失業者としての闘いを解消する役目を持っていたのです。即ち賃金(労働の対価)という考え方から来る監督に対するヘツライ、格付賃金による腕くらべ的競争心理、というものが私たちを現場の 中へしばりつけ、〔食わせろ〕の方向を見失う結果になりがちであったのです。
 現在の政府は私たちを決して失業者とは見ておりません。生かさず殺さず、生活保護程度以下の金でしばりつけ、人なみの土方仕事を強せいし、すずしい顔で失業者を定職化してしまったようなつもりになっているのです。また一般の会社や工場の労働者も、三千円~四、五千円程度のはした金で(近江絹糸はよい例)一人前の労働者扱でしぼりとっているのですが、普通からいえば、最低生活も保証されないこの人たちは、半失業者と見るべきものです。いくらかでも金をあたえて、雇っておれば失業者でないなどとは、とんでもないことです。ですから私たちはこの一年間、先ず食わせろ、職よこせにすべての要求を結びつけて闘わない限り、私どもの生活を守る闘いの前進はありえないと思うのです。このような訳で最低生活保障給獲得の闘いは総ての闘いのテコになるものです。また労働者的連帯の上では、最低賃金制確立の闘いと結びついて闘われるものなのです。しかし私たちにとっては社会保障制度の闘いの一環として、「すベての失業者に食えるだけの手当を出せ」に大きく発展する闘いなのです。このような意味をもつものとして、失業者は勿論、その家族もまた当然、生活は保障されねばなりません。
 こうした観点に立って私たちは当面の要求を
 最低生活保障給八、〇〇〇円(一カ月失業者一人につ)
        一、〇〇〇円(家族一人につき)
 と決めました。

 一、賃金一律五〇円引上げの闘い

 私たちは私たちの最低生活保障給を目標として決めましたが、現在のいろいろの事情、例えば、民間賃金が安い、現場の中の格付給、外では市民層、農民層のこれに対する理解の点等があり、直ちに私たち全部が、これ一本にまとまり闘いをくむところまでにはいたりません。
 当面はやはり現場の中で全員が話し合い、よく理解しあって決め、そしてそれが市民にも、農民にも支持され、直に行動に移れる要求が必要なのです。つまり統一要求というものがこれなのです。要求を一つ一つ闘い取るなかから、最低生活保障給へ高めてゆくのです。そのためには私たちはすでに当面五〇円一律引上げを決めております。これは格付賃金を打ち破る一つの基本にもなり、現場の中のおじさん、おばさんも一致して闘える条件をもつのです。ですから闘い方としては、何よりも現場の中の話し合い運動から出発しなければなりません。そしてこの闘いはアブレ、首切りの闘いと結びつき守勢から攻勢に転ずる転機となるものです。

 二、予算単価完全支払いの闘い

 一律五〇円値上げの闘いは、政府に対しワク増せの闘いですが、予算単価の闘いはワク内の闘いです。つまり現在の地方自治体(市町村)は、政府から必要な失対予算を取りながら、これをごまかしてワク一ぱいを登録された人たちに支払わないところからきているのです。こういう自治体が多いということは、政府の出している全国平均予算単価の二八三円が額面通り支払われずに、私たちだけが馬鹿を見ているのです。
 自治体の考えとしては、単価をへらして全体のワクを増やそうとしたり、事務費の方へまわしたり、カントクにワクを使おうとしたり、これをごまかすため、格付操作で私たちの目をくらまそうとしております。私たちはこれと闘うために、先ずワクの完全公開を要求しなければなりません。
 こうして闘いとったワクはどのように使用されるか、平均就労日数確保の条件と共に、私たちで組織的にかん視してゆく必要があります。現在私たちの中心的力とならなければならない東京のなかまは、東京都庁(労働局)のテッテイしたワクの非公開政策を打ち破ることができずに苦しんでいるのと反対に、神奈川のなかまはテッテイして公開を闘いとり、年間予算が一円でもあまればそれも全部はき出さしているのです。

 三、格付賃金打破の闘い

 これから私たちの生活を守ってゆくために、格付賃金とどのような関係があるのか明らかにしてみたいと思います。ここで問題になるのはほかのことと違い、格付反対の闘いはこのままでは闘いにならないのです。なぜならば私たちのなかには、格付賃金に満足し喜んでおる人もいるでしょう。喜んでいなくてもあった方がよいと考えている人もかなりいるからなのです。会社や工場の中で働いた経験のある人は良く知っているでしょう。課長や係長、班長がばかにいばりちらし、下のものは自分の口や家族のくらしのことを考えて、いつもヘイヘイと働いてきたことを。この制度の底にあるものは働かないものはドンドン首を切ってしまい、何んにも文句を云わずヘイヘイと働くものには昇給もし、格も上げてやろうという資本家一流のあくどい考え方からきているのです。つまりこういう仕組みが職階制というのですが、現在のような賃金ストップの苦しいなかでも、賃金は上げないが定期昇給はしてやると、資本家どもはいっているのです。しかしこのような考え方は資本家だけのものではなく、資本家をふくめた政府全体の考え方になり、労働省がその先頭になって資本家の利益を守っているのです。
 ここで私どもの現場の中を見てみましょう。格付賃金制度がしかれてから労働強化がはげしくなり、少しでも余計な賃金がほしさに、無理な仕事を我まんしてやったため、身体をこわし病気に倒れ、また死んでいった人も数多くあります。またこのためなかま同志のけんか、いがみ合い、競争がはげしくなってきたことも特徴です。またカントクが馬鹿にいばり出し、自分の気にくわないものは就労拒否をしたり、婦人に対しては貞操まで提供させたり、その罪悪は数知れません。こんな現場のありさまでは、私たちの生活を守るための闘いが上に向かないで、なかま同志の争いという形に終りがちになるのです。つまり男と女の間 の対立となり、AとCという階級の対立となっているのです。この場合Aの階級はすでに格付賃金反対の闘い、本質的には生活を守る闘いの戦列から落伍しているのです。格付賃金はこのようにして私たちの食わせろに結集して闘う力を、分裂させ、ドレイにしばりつける敵の最大の武器であることを知らねばなりません。私たちはこれとの闘いをなくしては外のどのような闘いも満足には闘いとれないでしょう。労働省も格付賃金制度だけでは、他のどんなことをゆずっても、一歩もゆずれないとは、度々の交渉でいっております。
 今後の見通しはMSA態勢がますま強化されるつれ、カントクの暴力化、時間延長、新しい失業者との首のすげ替え、失対現場の打切り、査察制度の一層の強化などの一連の政策がさらに私たちにのしかかってくるのは明らかなのですから、これらの闘いの基本になるこの闘いを忘れて、ほかのすベての闘いはありえないのです。では次にどのように闘いを進めてゆくのでしょうか。目標はもちろん格付賃金の全廃でなければなりません。現場の中での討議や、話し合いや、あらゆる機会に、格付賃金の本質を語り、その矛盾を暴露し、全体の意識を反格付の方向へ向け直すことが第一番に必要なことでしょう。こうして具体的には賃金闘争と結びついて闘われなければなりません。「食わせろ」、「一率に上げろ」がなかまの間にある格付を認めようとする考え方を少しでも直してゆく力となるでしょう。こうして現在の格付を圧縮し、先ず一段階でも縮めることに成功しなければなりません。つぎにこの闘いの手段となるものは現場の自主管理の方向です。カントク支配の強い現場からはこの闘いは組めないからです。自主的に労働規律をつくり出し、作業配置までも闘いとった現場では、格付のモデルといわれる東京でさえ一部ではあるが、賃金を現場でプールし、または輪番にし、事実上格付を無いものにしてしまってきているのです。この芽をさらに大きくするために、闘いを孤立させず第二、第三組合とも統一行動を組み、逆に職制(カントク)を孤立させる方向へ進めてゆくことが大切です。

 四、実質賃金獲得の闘い

 実質賃金闘争はいろいろの形、内容で私たちの生活内容を高めてゆくためのものです。ですからこの闘いは地域の商人や居住の市民とも結合し、また生活保護を受けている人や病気の人たちの要求も積極的に取り上げ、ハバ広い地域共闘の上に闘わなければならないのです。また私たち同志でも助け合い運動の方向として、少しでも生活をらくにするために福利厚生活動を活発にしてゆく必要があるのです。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/28/rn1956-544.html

リップサービスは醜い

2008
09-28
九州帝国ブログ板で知ったのですが、なんというか、話し相手の気をひくためにリップサービスする態度って、はしたないと思うんです。
今、フリーター労働運動などの中に、雁さんを振り返る動きがあるようです。
(ono)さんがいうように「フリーター労働運動」の仲間で谷川雁の話をしている人がいるなんて聞いたことありません。そもそも現場に入ってこようとする奇特な「サークル」の人たちが周囲にいないし、いてもたぶん必要ないということになろうかと思います。「自分たちでやってる」からです。きっと僕なんかが知らないフリーターの労働運動がどこかにあるのでしょう。

それに非正規労働運動の文脈で谷川雁に言及するなら、炭坑闘争ももちろんあるんですが、後に谷川が経営者として臨んだテック闘争について避けることはできません。現場は常に矛盾と哀しみに満ちています。そのことを黙過しておいて、甘言弄して歓心買おうなんざ、みみっちくっていけねえや。


:D

noiz

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


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