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無政府主義将軍マフノのドラマ

2009
04-07
無政府主義将軍といえばネストル・マフノ。

このウクライナ・パルチザンの人生がウクライナ/ロシアでTVドラマ化されていました(制作2005年、RTVi放送06年)。うかつにも全然知らずにいて、YouTubeで検索していてつい最近気がつきました。だれか翻訳して字幕つけてください。ドンパチスペクタクルっぽいから軍オタにも需要あるんじゃないかと…(冗談)。なお、作品の参考情報を英語化したウェップページに The Nine Lives of Nestor Makhno があります。

それにしても、マフノフシチナ(マフノ運動)がTVドラマの対象になるのも、ロシア共産党正史の重圧から「解放」された現在だからこそのことかもしれません。つまりボルシェヴィキ反革命にぶっつぶされたウクライナ労農革命運動史にも、叙情的な歴史ものがたり化がなされうる時間がおとずれたということです。

しかし、アルシーノフのマフノ運動史を訳した郡山堂前氏によれば、「現地の人はマフノ反乱について余所者にはあまり話したがらない、話しても無駄だと思っているらしいこと、しかし同時にマフノ反乱に否定的な態度の人でもマフノとマフノ反乱を誇りにしているようだということ」があります(1)。ここから状況の変化がどうあれば他律的なTV映像化が可能となるのか、むしろそのことのほうが気になります。

現在、ウクライナといえば、親ロシアか反ロシアかというUS帝国の戦略上の二元論にそった報道ばかりがなされ、ひとびとがどうであるかを伝えようとするマス・メディアはほとんど存在しません。もちろんインディメディアなどの独立メディア運動体が存在しているので、その気になれば情報はいくらでも入手することはできるでしょうし(ただし言語の壁がありますが)、また運動体からの情報もあるわけで、マフノたちのたたかいが提起した自由共産の革命運動の今日的な意味がどうあるのかということは、たとえつたないものであっても考究されうべきものだと思います。

むしろ金融資本主義崩壊後の世界にあって、「自分の運命を自分自身の手に握り、自分の生活を自分自身の意思、自分自身の真実によって建設するためにこそ、われわれは勝つのだ」(2)というマフノ運動の意義が生かされるべきであり、懐古趣味の叙事詩はほんとうは必要ないのであります。

(より理論的な関心でいうと、マフノ運動は革命の扼殺者=ボルシェヴィキに敗北したのち、アナキスト総同盟論というこんにちにまでおよぶ組織論的問題を提起しているため、運動の総括はたんなる訓古学にとどまらないはずです。)

(1) ピョートル・アルシノフ『マフノ運動史 ウクライナの反乱・革命の死と希望』(郡山堂前訳、社会評論社、2003年)の訳者解説より。同氏は1999年から2001年にかけてドニエプロペトロフスク市(旧エカチェリノスラフ市)に滞在し、「現地の人」の反応を直接経験しているとのこと。
(2)ドイツ・オースリア軍兵士やコザックに向けたマフノ初期のビラより:「勝利か死か──歴史的瞬間としての現在、これこそがウクライナの農民が直面している問題である。だが、われわれの全てが死ぬことはありえない、われわれは余りにも数が多いからだ、われわれは──人類そのものだからだ。それゆえ、われわれは勝つだろう。だが、これまでのように、新たな主人に自分の運命をゆだ ねるために、われわれは勝つのではない。そうではなく、自分の生活を自分自身の意思、自分自身の真実によって建設するためにこそ、われわれは勝つのだ」(前同 p.55)

文献(絶版本ばかり)
  • ヴォーリン『知られざる革命 クロンシュタット反乱とマフノ運動』(野田茂徳・野田千香子訳、現代思潮社、1966年)
  • ヴォーリン『一九一七年・裏切られた革命 ロシア・アナキスト』(野田茂徳・野田千香子訳、林書店、1968年)
  • ポール・アヴリッチ『ロシア・アナキズム全史』(野田茂徳訳、合同出版、1971年)
  • ピョートル・アルシーノフ『マフノ叛乱軍史 ロシア革命と農民戦争』(奥野路介訳、鹿砦社、1973年) 郡山訳は新訳
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村長とメーデーと基本所得構想

2009
03-13
メーデーにさいし、自治体首長として自治体労働者にゲキをとばし、それだけでなく、どこの馬の骨とも分からない(これはほめことばね)自由と生存のメーデーにも個人参加した村長さんがいる。しかも在野の仏教研究(般若経研究)の篤学のようでもあり、めずらしいひとだなと思っていた。

そのかれが昨年来、窮乏する自治体の牽引者として、かのBI(ベーシック・インカム)への支持というか、BIをてことした生存保障の議論喚起につとめている。よのなかにはおもしろい村長がいたもんだというとりとめのない話。

信州 中川村 村長からのメッセージ 「ベーシック・インカム」は妙案かも

菊岡久利

2008
10-07
菊岡久利 きくおか・くり
1909.3.8~1970.4.22 詩人・小説家。「本名」・高木陸奥男(むつお)。別号・鷹樹寿之介。青森県弘前市生れ。第一外語露語科卒。若くしてアナキストの運動に合流。

青森県近代文学館によれば、弘前に生まれ、母方の実家のある秋田県の小学校に入学とある。以下、同文学館から。
・小学校卒業後上京、海城中入学→中退、黄瀛・尾崎喜八・宮崎丈二らと詩誌『海』出す
・1925年 秋田・小坂鉱山大争議に参加
・1930年11月 『弾道』に農本主義批判を書く。
・1935年 岡本潤と詩誌『反対』主宰
・1936年 武田鱗太郎主宰の『人民文庫』に詩を寄せる。日本無政府共産党事件被疑者として勾留中、友人の支援で詩集『貧時交』発行。
・1938年 大井廣介主宰『槐』(えんじゅ)の創刊同人となる(40年『現代文学』改題)
・戦時中に転向し、頭山秀三門下となる
・1947年 高見順、池田克巳らと『日本未来派』創刊

無共党での弾圧はとばっちりと思われる。『槐』は『人民文庫』廃刊後に残党が興したもの。アナキスト系のプロレタリア文学運動から、ボルシェヴィキに近い『人民文庫』『槐』へというシフトは、堀田昇一の軌跡と重なるものがある。

※堀田は熊本県天草出身で、上京後の20年代は全国自連派の黒色自由労働組合にいたことがある。黒色自由は東京南部を活動範囲とした立ちん坊(日雇い労働者)の労組で、ボル派との抗争を繰り返した。堀田はその後、ナップなどボル系プロ文へ移行。

菊岡の転向の経緯は不明。また戦後の『日本未来派』にはどのような立場から参加したかも要調査か。しかしとにかく詩「貧時交」を見ると詩集が欲しくなる。ただいま素寒貧なので、手にするのは先のことになるだろうけれど。

cf.
- 青森県近代文学館 菊岡久利 作家解説プロフィール
- 卞宰洙〈朝鮮と日本の詩人-68-〉 菊岡久利
- 【青森県近代文学の名品】Vol.24 菊岡久利 色紙「りんご」
- 【青森県近代文学の名品】Vol.64 菊岡久利 短冊「師横光利一 嗚呼薨去す 光、影、柩車ゆく 久利」
- 菊岡京子『谷の風』

菊岡京子(きくおか・きょうこ) 
本名、高木京子。大正10年3月父鈴木喜平、母ヤスの次女として東京日本橋に生まれる。昭和3年東京市立坂本小学校に入学。昭和12年精華女学校を卒業。昭和22年詩人菊岡久利と結婚。東京都中野区に住む。昭和25年鎌倉市佐助に転居。昭和26年長女ノンコ誕生。昭和35年次女エシノ誕生。昭和45年菊岡久利死去。その少し前に鎌倉小町通りに和紙専門店「社頭(しゃとう)」開店。平成13年次女エシノに社頭経営をゆずり現在に至る。(「BOOK」データベース)


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noiz

Author:noiz
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