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イスラームのフェミニズム

2008
09-30
調べもののついでの備忘録。増量中。内容保証不可。




ミスル(エジプト)で結成されたムスリム同胞団(Al-Ikhwān al-Muslimūn)は、イスラーム復興主義の運動体のなかでは「穏健派」とされる。同胞団の歴史にはそのはじめから、イスラーム主義の枠内であれ女性運動との連携があった。ただし同胞団とこの女性運動はともに時の政権から弾圧される立場にあったため、提携は自然な流れにあったかもしれない。あるいは、現在のヨルダンにおける同胞団の政治部門であるイスラーム行動戦線(Hizb Jabhah al-‘Amal al-Islami)は、民主主義とシューラー(衆議)に基づく政治、女性・青年の権利擁護を唱えている。党内人事はシューラーによっているという。

イスラーム主義といえばすぐに「原理主義者」「過激派」ということが連想されるが、当然のことながらイスラーム主義者の運動には幾つもの潮流がある。「原理主義者」や「過激派」が西欧的な価値観からもっとも激しく非難されるのは「家父長制」「性差別」「普遍的人権の欠如」などについて。女性だけでなくセクシャル・マイノリティへの暴力と抑圧も夙(つと)に指摘されるところだ。「改革派」に対する「原理主義者」からの暗殺恫喝があるのも事実。しかし、イスラーム主義の外部だけでなく内部に改革派的な女性の動きが存在していることもまた事実である。

アラブ世界にあって早期に女性解放論が登場したのはミスル(エジプト)であろう。そのうち女性の権利擁護を最も早く唱えたのは、非イスラーム・近代主義の立場から『女性解放』(1899)を著したカースィム・アミーン(Qasim Amin)である。アミーンの非ムスリムという立場性を批判して登場したのがマラーク・ヒフニ・ナシーフ(Malak Hifni Nasif, 1886-1918)で、女性の権利擁護をイスラームの枠内で位置づけようと試みた。フーダ・アル‐シャーラウィ(Huda al-Sha’rawi, 1882-1947)は短命であったナシーフの試みを再評価し、ミスル人女性同盟(Al-Ittihad al-Nisa’i al-Misri)を結成し、ワフド党(Hizb al-Wafd)女性部の指導者となった。

ザイナブ・アル‐ガザーリ(Zainab al-Ghazali, 1917-2005)は、ワフド党の英帝国主義との妥協に同調できず在野のまま活動した。早くから女性運動に入ったガザーリは17歳でシャーラウィ率いる女性同盟を脱退し、18歳でムスリマ女性協会(Jamaa’at al-Sayyidaat al-Muslimaat, 1936-64)を組織。イスラム復興主義運動体の先駆であるムスリム同胞団を創設したハッサン・アル‐バンナ(Hasan al-Banna)から合流要請を受けるも、同協会の自立性を確保するために拒否。しかし協力して運動を進め、バンナ暗殺(1948)の前年に同胞団に加入し、エジプト政府の弾圧で壊滅的状況にあった同胞団の再建に努めた。女性協会もまた政府によって何度も強制解散させられ、ガザーリ自身もたびたび投獄され、そして拷問を経験している。

cf.
Jordan Today~今日のヨルダン:ヨルダンの政党イスラム行動戦線、幹事長と執行部を選出
Egyptian Feminism in a nationalist century By Margot Badran
Zaynab Al-Ghazali - Islamic Thinkers Society
福田志津枝「現代エジプトの福祉と女性運動 ─エジプト調査研究の報告─」 PDF


現在、イスラーム主義の著名な在野活動者といえば、マグリブ(モロッコ)の「公正と善行」(Al-Adl wa al-Ihsan)に女性部門をつくり、同グループのスポークスパーソンになっているナーディア・ヤスィーン(Nadia Yassine, 1958-)といったころか(彼女自身はフェミニストとは自称しない)。ヤスィーンは大衆的支持で知られ、立憲君主制のもと「民主化」を勧めるというマグリブの体制に対抗する行動には多くの(下層の)ムスリマが結集する。「公正と善行」は非暴力主義を掲げる穏健派のイスラーム主義運動体で、独自の教育・福祉運動を展開しているが、ヤスィーンは王制を批判して共和制について言及したため、それだけで起訴された(2005年6月)。彼女の父、シェイク・アブデッサラーム・ヤスィーン(Cheikh Abdesslam Yassine)は「公正と善行」の創設者であり、モロッコにおけるスーフィの権威である。そうした家に生まれたことが関係しているのか、娘ナーディアのイスラームへの忠誠は、世俗主義的な男女同権を盛り込んだ家族法(Mudawwana)改定への強硬な反対に表れている(改定は2003年)。なお、女性人権民主同盟(LDDF)モロッコ女性民主協会(ADFM)などの女性団体は新家族法を支持した。

イスラミック・フェミニズムの流れを神学的に発展させたのが、アフリカン・アメリカン(母方がベルベル人系)のアミナ・ワドゥード(Amina Wadud, 1952-)である。北米の大学で学位を修めたのち、カイロ大学でクルアーンを、アズハル大学でイスラーム哲学を研究し、マレーシア国際イスラーム大学に勤めていた折にイスラームに男女平等の改革を求める「イスラームの姉妹たち」(Sisters in Islam)の創設に加わる。ワドゥードの著作『クルアーンと女性』(Qur’an and Woman, Fajar Bakti, 1992 初版マレーシア)はイスラーム世界に少なからぬ衝撃を与え、欧米諸国だけでなくヨルダン、南ア、ナイジェリア、ケニア、ネパール、パキスタン、インドネシア、マレーシアなどで草の根の講演会が行われた。ワドゥードの活動は神学・理論的な領域に留まらず、2005年3月18日、ニューヨーク市で自らイマーム(導師)を務めた女男同席の金曜礼拝を組織し、男性だけがイマームを独占してきた伝統を破って波紋を呼んだ。女性イマームも認められるとするワドゥードのクルアーン解釈には、少数ながらイランのムフスィン・キャディーヴァル(Mohsen Kadivar)のようなイスラーム法学者(シーア派・十二イマーム派)からの擁護者も現れている。

cf.
非公認の宗教団体 指導者の娘が抗議デモ - モロッコ
A’ishah’s legacy: Amina Wadud looks at the struggle for women’s rights within Islam
Interview Amina Wadud
Interview with the Muslim Reform Thinker Amina Wadud "The Koran Cannot Be Usurped"
イスラムと女性【ミリエト紙】
女性の導師はトルコでスカーフを外した【ラディカル紙】




その他・人物略伝

ナワール・エル・サーダウィ(Nawal El Saadawi, 1931-)  アラブ・イスラーム世界のみならず非イスラーム世界でも著名なフェミニスト作家、心理学者。ミスル・カイロ北部の Kafr Tahla 村に生まれる。55年カイロ大卒。保健省に勤務しているときに三人目の夫となるシェリーフ・ヘタタ(Sherif Hetata)と出会う。政治活動を理由に保健省大臣の職を解任されたのち、73~76年に国立アインシャムス大学で働き、79~80年に国連のアフリカ・中東女性プログラムのアドバイザーを務める。81年1月よりサダト政権の反政府派弾圧が始まり、9月投獄。サダト暗殺後の同年中に釈放。91年イスラーム主義者の脅迫のため、カイロから米ノース・カロライナに移住。96年エジプトに戻る。2001年、女性のベール着用・一夫多妻制・相続法などのイスラームの慣習法にふれる発言で告訴される。04年、欧州議会の南北賞を受賞。

○『あるフェミニストの告白』(未來社, 1989, Memoirs of a Woman Doctor, 1986)
○『イヴの隠れた顔──アラブ世界の女たち 』(未來社, 1994, The Hidden Face of Eve: Women in the Arab World, 1977)
○『0度の女──死刑囚フィルダス』(三一書房, 1987, Woman at Point Zero, 1979)
○『女性に天国はあるのか』(未來社, 1996, She Has No Place in Paradise, 1979)
○『女子刑務所──エジプト政治犯の獄中記』(三一書房, 1990, Memoirs from the Women's Prison, 1984)
○『もうひとりの私』(學藝書林, 1990, Two Women in One, 1983)
○『カナーティルの12人の女囚たち』(未來社, 1992)
○『女ひとり世界を往く』(図書出版社, 1992)
○『イマームの転落』(草思社, 1993, The Fall of the Imam, 1987)


ファーティマ・メルニーシー(Fatima Mernissi, 1940-) マグリブの社会学者。古都フェス生まれ。民族主義運動のなかで設立された学校で初等教育を受ける。仏ソルポンヌ大、米ブランダイス大などで学位を修めたのちマグリブに戻り、ムハンマド5世大に勤務。イスラームのフェミニズムに果たした功績で知られるが、社会学者としてもマグリブの女性の置かれる状況を調査し(ユネスコやILOなどとも協力)、その改善に理論的支援を行っている。2003年、スーザン・ソンタグとともにアストゥリアス皇太子賞(スペイン皇太子賞)受賞。 著書も多く、日本では三作が翻訳されている。

○『ヴェールよさらば──イスラム女性の反逆』(アストラル, 2003, Beyond the Veil, 1975)
○『イスラームと民主主義──近代性への怖れ』(平凡社選書, 2000, Islam and Democracy: Fear of the Modern World, 1992) 書評
○『ハーレムの少女ファティマ』(未來社, 1998, Dreams of Trespass: Tales of a Harem Girlhood, 1995)

cf.
The Veil and the Male Elite: A Feminist Interpretation of Women's Rights in Islam


リファット・ハッサン(Riffat Hassan, 1943-) イスラムのフェミニズムの理論的パイオニアの一人。パキスタン出身、72年娘とともにアメリカに移住。ルイズヴィル大・宗教学教授。「クルアーンは人権のマグナ・カルタ」として男女平等を主張。婚姻慣習にまつわる「名誉殺人」の反対派として「パキスタンにおける暴力の女性犠牲者の権利のための国際ネットワーク」(The International Network for the Rights of Female Victims of Violence in Pakistan)を99年に設立。

cf.
Members, One of Another: Gender Equality and Justice in Islam
Are Human Rights Compatible with Islam?


ファトゥ・ソウ(Fatou Sow) セネガル出身。著名なアフリカン・フェミニスト。ソルボンヌ大で学位を修める。ユネスコや大学教員で働く一方、DAWN(Development Alternatives with Women for a New era)などの女性団体に所属して活動。自己規定は「ムスリム・フェミニスト」だが、新自由主義を厳しく批判するとともに文化相対主義にも反対する。政治的にはセキュラリズム(政教分離)の戦略を採ることで男性のイスラーム支配に対抗し、同時に西欧フェミニズムの「普遍主義」を拒否する立場にあるという。

cf.

西アフリカにおいて女性が果たしてきた政治的役割 05年3月
日本アフリカ学会第 43 回大会 海外からの招聘者による記念講演 PDF




その他・リソース

International Congress on Islamic Feminism 2006年よりバルセローナで開催。イスラーム内部のフェミニストが一同に会する国際会議。
岩本珠実「イスラムと女性の人権 ─国連での討議をとおして─」 PDF
ズィーバー・ミール=ホセイニー『イスラームとジェンダー ──現代イランの宗教論争』(明石書店, 2004)




-> イラン関係のメモ
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リップサービスは醜い

2008
09-28
九州帝国ブログ板で知ったのですが、なんというか、話し相手の気をひくためにリップサービスする態度って、はしたないと思うんです。
今、フリーター労働運動などの中に、雁さんを振り返る動きがあるようです。
(ono)さんがいうように「フリーター労働運動」の仲間で谷川雁の話をしている人がいるなんて聞いたことありません。そもそも現場に入ってこようとする奇特な「サークル」の人たちが周囲にいないし、いてもたぶん必要ないということになろうかと思います。「自分たちでやってる」からです。きっと僕なんかが知らないフリーターの労働運動がどこかにあるのでしょう。

それに非正規労働運動の文脈で谷川雁に言及するなら、炭坑闘争ももちろんあるんですが、後に谷川が経営者として臨んだテック闘争について避けることはできません。現場は常に矛盾と哀しみに満ちています。そのことを黙過しておいて、甘言弄して歓心買おうなんざ、みみっちくっていけねえや。

Punk is Dead が希望であるとき

2008
09-28
Acclaim Collective の9月21日付ニュースに書かれている記事を、思わず唸りながら読んだ。

「自分たちのことは自分たちでやる」──つまり大手音楽資本・産業を介在させない自律的な〈文化=社会〉運動としてパンクを捉える流儀にしたがってきた「同志」の提起に、僕は少なからず意を強くしている。Acclaim 主催のH君は、レーベルやディストロをただ「こなしてきた」だけの人じゃない。意に沿うギグにせっせと出かけては「出店」してギグでの情報拠点を持ち込み、あるいは「仲間」の「社会的な運動」へもコミットしてきた人だ。「自分たちでやるんだ」という流儀にあっては、情報を集約・交換するという営為はどんなに小さくても重要なことだ。それはマスのコマーシャリズムやマーケティングに収奪される「文化」から背反する根拠となるからだ。その意味で機会をつくってきたH君および Acclaim の努力には心強いものがあった。

もちろんどんな人間も完全無欠ではない。H君にしても人知れずの苦労や失敗、それに伴う他者からの賛同・批判さまざまに抱えてきたものと思う。僕自身、「ポリティカルな」主張を掲げるクラストパンクのバンドに参加してきた日々のなかで、いつだって「正しく」「うまく」やってきたと思い上がることはできはしないのだ。むしろ失敗や試行錯誤の繰り返しを続けてきたなかにこそ今があるのだし、そもそも「正解」はないとさえ思っている。とはいえ、DIYパンクにとって重要なことは、どれだけ自分たちのことを自分たちでコントロール(自主管理)できるかという一点に集約される。

長くなるが、Acclaim の「転換」宣言の半分ほどを引用する。
私たちが「越えられない問題」とは何か?

Acclaim全体の方針としては、「音楽だけのパンク」をさらに排除していくことになるでしょう。私たちは、音楽だけでは何の社会的価値もないことを知りながら、常にそのことに沈黙しているような気がします。しかし、パンクが今の今まで続いてきた理由は、常に音楽以外のもの、音楽の周囲で何かが起こってきたからです。Acclaimにとって、 パンクは絶対に反国家・反資本主義です。そしてそれは、「イメージとしての反」ではなく、また、政治的な「運動」に限定されるものでもなく、私たちの「現実」と「現実」を繋ぐものとして機能してこそのものです。やはり、パンクは常に、私たちが単純に問題を理解しないための武器であってほしいし、私たちが話さないことを話し始める武器であってほしいし、私たちがなぜそれをしなぜそれをしないかを考えるための武器であってほしいし、このシステムが進むにつれて奪われた私たちの「仕事」を取り戻すための武器であってほしいし、私たちが生きる希望を取り戻すための武器であってほしい。パンクはこうした武器になったときに初めて社会的価値を獲得します。ここに私たちの「それぞれの現実」はありません。

人と人との「現実」がない「音楽だけのパンク」ーーAcclaimは、それこそが私たちが「越えられない問題」だと思っています。つまり、Acclaim の転換期というのは、以上のことから「より小さな世界」を求める、ということです。心情的には今、パンクの可能性は希望が1%、絶望が99%です。しかし、その1%を追求する情熱はますます燃え上がっています。今まで多くのパンク/ハードコア・バンドが「Punk is Dead」と唄ってきた意味がようやくここにきて理解できたような気がします。彼らが唄った 「Punk is Dead」とは、その1%にかける断続的な希望なのだったと。

(Acclaim Collective「今後のAcclaimについて」)
「イメージ」や「政治的な運動」に限定されない、僕たち自身の諸「現実」をつなぐための武器としてパンクを再解釈しようとする宣言に、心から「異議なし!」と応えたい。

思えば、僕自身がハードコアパンクの世界に戻ったきっかけは、9・11以後の侵略戦争に抗するデモのなかでの出会いにある。契機がこうだから、僕が「シーン」に再び自己投企する回路となったバンドは「ポリティカル」と見られてきただろうし、またバンド=自分たちの方でもそのことをあえて避けなかった。しかし「音楽だけではない」という態勢をとってきたつもりで、それでどれだけのことをできたのかといえば前述のとおり逡巡しないわけにはいかない。あえていえば、「ポリティカルであること」にのみ終始しすぎてきた嫌いさえある。いうまでもないことだけれど、自己充足の態度が純化すれば、他者と対話していく努力から遠ざかることになるからだ。

日本のパンクは細分化されている。これは日本に限らないとは思うが、細分化されたパンクの多くが「音楽としての」それぞれに自閉していることも事実だ。とりわけ巨大資本の論理に毒された類いのパンクの特殊性は、〈文化=社会〉運動とは決して交雑しようとしないところにある。〈文化=社会〉運動、あるいは〈政治〉的運動と合流しようとするパンクスは、「インディペンデント」「アンダークラウンド」のなかにあっても絶対少数派だ。こうした日本での状況は、スクウォット(住宅占拠)運動と結合した欧州DIYパンクの文化的・政治的な自律化との道行きと異なり、〈文化〉の自律性の経済的根拠・土台を欠いてきた環境に求められよう。自主管理の空間を欠いた社会という背景を持つ日本のパンクは、場の自律を追求するにはあまりにも経済的に過重なコストと文化的な事大主義に取り巻かれている。この意味で、毛利嘉孝『はじめてのDiY──何でもお金で買えると思うなよ!』は、肯定的なものばかりを捉え事態を楽観的に描きすぎている(ハウツー本的な激励もないよりはマシだけれど)。

しかし Acclaim が提起するように希望がまったくないわけではない。DIYパンクはこの日本でも絶滅してはいなし、パンクに限らず自生的な「何か」の動きは絶えず繰り返されている。希望をつなぐという目的からすれば『はじめてのDiY』のような机上の提起もいいだろう。

〈われわれ〉は社会的なものとしての「パンクの死」を宣告しながら、その再生にかける希望のただなかで「生きる」ことを追求する。単に「インディペンデント」「アンダーグラウンド」であることへの充足から跳躍すること、それは「現実」と「現実」をつなげようとする努力のうちにはじまる。そうした〈生=社会的営為〉に内包される「武器」としてのパンクの発現を求める動き=〈運動〉のなかで、「Punk is Dead」のパンク、「threat」(脅威)としてのパンクの再生が期されることになると僕は信じている。

閨閥

2008
09-28
小泉純一郎元首相が政界引退。
引退に際し地盤は次男・進次郎に引き継がせる。
これで四代目の世襲となる。

「改革」の本態がこれだ。
即ち、閨閥の再生産のもとにある階級社会の秩序防衛。

騒音の記録

2008
09-27
昨日、パンク仲間のスタジオでレコーディング。
今まではアナログな MTR を使って raw な音でまとめていたけど、
今回はデジタルとアナログの半々の環境で作業。
それでも相変わらず音はブリブリな fuzzzz x mangel となるはず。
10月中にレーベルに音源送れるかな、といったところ。

【転載】知って得する借家法 第1回勉強会

2008
09-25
【転載にあたっての勝手なコメント】
賃貸アパート・マンションに住むギリギリの借家人にとって、この学習会はためになると思います。ただし会場は東京西部。主催は、敷金礼金0を謳うあのスマイルサービスの不正を追及する借家人権利向上委員会です。


--- 転載ここから

『知って得する借家法 第1回勉強会』


あなたは今どんなところに住んでいますか?
アパート?マンション?一軒家?
建物にはいろんなタイプがありますが、賃貸物件に住んでいる人はたくさんいるでしょう。

賃貸アパートに住んでいたら、
「いきなり賃料増額をふっかけられた」、「立ち退きを迫られた」、「敷金が返ってこない」などなど、
大家さんや不動産業者との間でトラブルが発生し、納得いかないまま泣き寝入りした経験がある人も少なくないでしょう。

そんな時に知っていると便利なのが借地借家法です。
借地借家法とは、主に借主を保護するために、民法の特別法として制定された法律です。
今回、その借地借家法について弁護士を講師にお招きし、基礎的なことを学習する第1回目の勉強会を開くことになりました。
勉強会の後は、軽い食事がある交流会も予定しています。


ひとりひとりが借家人としての権利に気付き、共に学び、協力すれば、いいアイデアも生まれてうまくいくはず。

借家人だからといって、借りてきたネコの様に振る舞うことはありません!
悪質な大家さんや不動産業者に対して、力を合わせて「ニャー(NO!)!」の声を上げましょう!

主催:借家人権利向上委員会
http://ameblo.jp/syakuyanin-kenrikojoi/
講師:スマイルサービス被害対策弁護団 林大悟弁護士(浦和シティ法律事務所)
日時:9/28(日)14:00~17:00(勉強会は最初の1時間程度です)
場所:素人の乱12号店
〒166-0002 東京都杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
http://keita.trio4.nobody.jp/shop/12/map.html
(JR中央線高円寺駅下車徒歩7分 北中通り商店街アヤマ接骨院脇の階段を昇って奥)
入場料:500円+1Drink(余ったお金はスマイルサービス裁判支援のカンパに回します)

貧者とともに生きた人

2008
09-22
上笙一郎/山崎朋子『光ほのかなれども──二葉保育園と徳永恕』(現代教養文庫)
※ネットに書影なし、スキャンする手間もなし

 ようやく見つけた。先週の土曜日、仕事の準備などでちょっとだけ事務所に顔を出したときに立ち寄った近所の古本屋で発見。ここの古本屋は品揃えに意思が感じられるので(いやどんな本屋にしても意思はあるはずだけれど)、たまに覗いている。朝日新聞社、光文社文庫、そしてこの現代教養文庫(版元・社会思想社は92年廃業)と、刊行されてはすぐに絶版されるという行路を繰り返したらしい数奇な運命のこの本、貧乏人してみればそれなりによい値段がついていたものの、探し物でもあったのでさっさとレジに向かった。
 二葉保育園は、1900年に東京三大スラムの一つ、四谷鮫河橋(鮫ヶ橋)につくられた貧民幼稚園である二葉幼稚園が改組されたもの。
 徳永恕はその二葉保育園/幼稚園の二代目の園長で、まさにびんぼったれの子供たちに尽くした行いの人。
 ちなみに東京のいわゆる貧民窟(スラム)は関東大震災で最後的に消えてなくなった(震災以前から細民街への移転の動きあり)。現代の貧乏人の住まいは、野宿者の小屋掛け・テント掛けの集住空間のほか、ネットカフェ、レストボックス、ゲストハウスなどに拡散した観がある。ドヤ(木賃宿)はすでに昔日の様相と異なって、海外バックパッカー向けの安宿に様変わりしているところも多い。

[貧者とともに生きた人]の続きを読む

「住所は公園」訴訟、敗訴確定の見通し

2008
09-19
野宿者の「住所は公園」とする訴訟、最高裁敗訴の見通しが高いとのニュース。

cf. 「住所は公園」敗訴確定へ、大阪  ホームレス男性に10月判決(共同通信)

訴訟のあらましについては釜パトのウェッブログ参照。

「住所は公園」を認めた大阪地裁は、現実に公園の設営された野宿者(野宿労働者)のテントに郵便物が配達されていた現実を追認した画期的な判決を出した。しかし大阪高裁は「われわれの健全な社会通念に沿わない」と逆転させた。最高裁もこれを追認する構えだという。「公共」空間のただなかにあってその空間を〈いま・ここ〉の生存の場として占拠し、「居る」という現実が残されながらも、そのような現実など存在しないものとして、あるいはあるまじきものとして社会的に排除していくこと(social eviction)にレジティマシー(正当性)を与える法理ができあがる。

生存のための公共空間の占拠が指弾される社会は、経済的な〈まだ最終的に落伍していない/したとはみなされていない者〉のみを「健全」とした上で、相互に牽制しあう権力を内面化する世界だ。非合法・違法であることが即ち「悪」であるなら、この社会は実は悪党で溢れかえっている。しかも今にはじまったことではない。潜在的には圧倒的多数の人がそうならざるをえない優れて過去から現在までを貫く通時的な可能性が徹底的に隠蔽されていく。

これが私たちの生きる社会の豊かさであるというなら、〈われわれ〉は貧しくてもなお生きる可能性をたぐるしかない。「懸命に働いても暮らしが楽にならない」という労働社会のあり方、そのなかでの働き方の内実を問うより道がない。

しかしそれだけでは依然として「健常者」の問いにとどまることになる。それも〈われわれ〉の社会の現実だ。

9月20日はフリーソフトウェア・デイ

2008
09-19
2008年は GNU プロジェクト開始25周年にあたる。

そこでフリーソフトウェア財団(FSF)が主催して9月2日より記念イヴェントを開催、ウェッブサイトのトップに俳優/作家のスティーブン・フライ(Stephen Fry)が GNU の誕生を祝う動画へのスプラッシュを「Freedom Fry」として掲載中。動画そのものは GNU のサイトにある。出演は、フライが2月にガーディアン紙で GNU/Linux を激賞していたところ(ブログ再録記事)をスカウトされた模様。

そして FSF/GNU では9月20日を「フリーソフトウェアの日」として、27日まで記念イヴェントを続けるという。FSFのディレクター、ピーター・ブラウンはこの記念の企図について次のように語る。
「いくつかのフリーソフトウェア・アプリケーションが人気を博しただけで、ソフトウェアの自由が達成できなければ、誰にとっても不幸なことだ。だから、このコミュニティーが掲げる目標はソフトウェアがMicrosoftプラットフォームでうまく動くという以上のものだということを思い起こしたい。これはそのための我々なりの方法なのだ。その目的はすべての人に使ってほしいフリーソフトウェアの完全な環境を作ることであり、最終的には、すべてのプロプライエタリー・ソフトウェアを置き換えることだ」
「我々は特定のプロジェクトの成功や普及を望んでいるのではない。GNUの普及活動は素晴らしいことだが、それは問題の一部でしかないことを認識しなければならない。我々は、協力して取り組むことによってのみ成功できるのだ」
記念のウェッブページでは GNU が推奨する GNU/Linux ディストリビューションの一つである gNewSense の活用が謳われている。gNewSense は Ubuntu ベースだが、Linux カーネルからプロプライエタリなコードやモジュールが取り除かれ、フリーではないソフトウェアもそのリポジトリもパージされている。プロプライエタリ(独占的)なドライバも徹底して排除するというのは OpenBSD の頑固さにも通じるところがあるかもしれない。Firefox も Epiphany に置換。「自由な状態にあるという意味でのフリー」を掲げる gNewSense はまさに GNU ライクな Linux ディストリビューションと言うほかない。

コモンズを称揚して実践するということは、当然プロプライエタリなものを使わないということでもあるのですね、聖イグヌチウス、もといストールマン先生!(何を今さら)

……これでまた「政治的信条」によるウェッブサーバやデスクトップの構築へのギーク的欲望が拡大されたかも。日本語のリソースがほとんどないが、余ってる計算機と時間があったら入れてみよう。でも、安定稼働している Debian や CentOS ベースのサーバはそのまま使うと思うけれど。

ワード・リロイ・チャーチルについて

2008
09-11
ワード・リロイ・チャーチルの「病理としての平和主義──米国の疑似プラクシスに関するノート」(1986)が森川莫人さんによって翻訳された。雑誌『アナキズム』11号に掲載される予定。同論説は北米の社会運動に携わる一部の人々のなかで議論をまきおこした。プラクシス(praxis)は「実践」と読んでおこう。

このテクストの読解にあたって参考になるかどうかは分からないが、Wikipedia などから著者の略歴を簡単にまとめておく。

ワード・リロイ・チャーチル(Ward LeRoy Churchill)
1947年イリノイ州エルムウッドに生まれる。父はマスコギー族とクリーク族、母はチェロキー族の血を引くという。66年米軍入隊、ヴェトナム戦争時には長距離強行偵察隊(LRRP)──グリーンベレーより過酷な任務につくとされる──に所属した。帰米後 SDS や Weather Underground に協力。84年にはコロラド・アメリカ・インディアン運動(CO AIM)の共同ダイレクタとなり、コロンブス・デイに反対する運動をデンバーで組織。またAIMの同志でラコタ=チペア族のレオナルド・ペルーティエ防衛委員会のスポークスパースンも務めた(ペルーティエはでっち上げの殺人罪に問われ収監中)。74年からサンガモン州立大(現・イリノイ大スプリングフィールド校、イリノイ州サンガモン郡)で学位を修め、78年よりアファーマティヴ・アクションの担当者としてコロラド大ボウルダー校に勤務し、エスニック研究ブログラムの一環として北米先住民問題も教えることとなった。90年より正式に教員となり、96年にエスニック研究学部に移動、2002年に学部長となる。01年のエセー「止まり木で眠るニワトリの正義のために」(On the Justice of Roosting Chickens)が口実となり、05年からコロラド大当局のパージ策動が開始され、07年7月24日解雇された。この時、エスニックな出自を「詐称」とする攻撃がくわえられたが、チャーチルが指摘するように、現在までに続く連邦政府の混血・同化を柱とする先住民絶滅政策の歴史をふまえるならば、そもそも誰が先住民であるのかないのかを「記録」によってのみ決めつけるのは不当であろう(1954~66年には「血が薄まった」として全米で100部族以上が解散させられたが、レッドパワー運動により「再認定」要求の流れが強まっている)。CIAやFBIを使った連邦政府のアメリカ・インディアン運動(AIM)に対する弾圧と先住民コミュニティの分断攻撃がありながらも、チャーチルの北米先住民のための研究や著作・論説は先住民の諸コミュニティに好意的に捉えられており、同化主義を強制する血統量定法(blood quantum laws)の規定にも係らず、チェロキー族連合キートゥーワー(Keetoowah)バンドは「栄誉ある協力メンバーの位置にある」(honorary associate membership)とその功労に報いてきた。

主要著作
  • 『弾圧のエージェント』(1988, Agents of Repression) ジム・ヴァンダー・ウォールとの共著。FBIのコインテルプロ・プログラムによるブラック・パンサー党とアメリカ・インディアン運動への弾圧を分析。
  • 『支配人種の幻想』(1992, Fantasies of the Master Race) アメリカ文化のなかのアメリカ・インディアンのシンボルの戯画化の分析に取り組む。映画「ダンウス・ウィズ・ウルブズ」の原作となったトニー・ヒラーマンのミステリ小説(ナヴァホ族シリーズなど)やニュー・エイジ運動に現れた文化帝国主義を批判した。
  • 『大地のための闘い』(1993, 2002, Struggle for the Land) 合衆国政府のアメリカ・インディアン虐殺・追い出しによる土地収奪の歴史を分析した論集。
  • 『インディアンとは我々なのか』(1994, Indians are Us?) 『支配人種の幻想』に続くアメリカ・インディアンに対する文化侵略・帝国主義を分析。パインリッジ居留地での虐殺を描いた映画「ブラック・ ローブ」、レオナルド・ペルーティエの起訴、スポーツマスコット、インディアン芸術・工芸法(Indian Arts and Crafts Law)、血統量定諸法(blood quantum laws)などをジェノサイドの手段として考究。特にニュー・エイジによるシャーマニズムとアメリカ・インディアンの伝統の搾取を批判しいてる。
  • 『原住民の息子より インディヘニスム選集』(1996, From a Native Son: Selected Essays on Indigenism, 1985-1995) アメリカ先住民の歴史・分化・政治運動を扱った論説集。
  • 『ジェノサイドについての若干の問題』(1997, A Little Matter of Genocide) 1492年から現在に続く民族浄化についての分析。北米インディアンへの抑圧だけでなく、カンボジアのポル・ポト、トルコのアルメニア人弾圧、「ジプシー」に対する欧州人、ナチスのポーランド人・ユダヤ人虐殺などを扱っている。
  • 『正義の曲解』(2002, Perversions of Justice) アメリカ連邦政府のインディアン諸法の分析を通じ、その手法は先住民に対してだけでなく、対外的な植民地主義的「帝国の論理」として展開していると析出。
  • 『止まり木で眠るニワトリの正義のために──合衆国の帝国的横暴と犯罪性の帰結についての考察』(2003, On the Justice of Roosting Chickens: Reflections on the Consequences of U.S. Imperial Arrogance and Criminality) 大学パージの原因となった論説を増補したもの。AK Press の支援による。米軍の内政干渉と国際法違反を分析した二部構成となっている。
  • 『インディアンを殺して人間を救え──居留地学校がもたらした虐殺の衝撃』(2004, Kill the Indian, Save the Man: The Genocidal Impact of American Indian Residential Schools) 家から居留地学校(カナダ)・インディアン寄宿学校(アメリカ)に強制移住させられた先住民の子供たちの歴史を追跡することによって、 1880年代から百年間続いた政府の政策がいかに民族根絶的なものあったかを究明。
その他、論文「病理としての平和主義」と同タイトルの著書がある(マイク・ライアンとの共著)。副題は「北アメリカにおける武装闘争の役割についての考察」(Reflections on the role of armed struggle in North America)。

cf.
Ward Churchill Solidarity Network
超大国を歩く:終身教授 テロ評論で解雇の危機
Indigenism, Anarchism, and the State: An Interview with Ward Churchill


:D

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

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