KRIEGSHÖG & DEATHTRIBE split7”レコ発
11/1(土) 2008
Shinokubo EARTHDOM
(2-32-3 B1, Okubo, Shinjuku-ku, Tokyo / Map)
KRIEGSHÖG
DEATHTRIBE
INTRUDERS
VOĈO PROTESTA
AKUTARE
OLEDICK FOGGY
DISTURD (TSUYAMA)
悪AI意 (KITAKYUSHU)
FORWARD
明日はハードコアパンク祭り。
Shinokubo EARTHDOM
(2-32-3 B1, Okubo, Shinjuku-ku, Tokyo / Map)
KRIEGSHÖG
DEATHTRIBE
INTRUDERS
VOĈO PROTESTA
AKUTARE
OLEDICK FOGGY
DISTURD (TSUYAMA)
悪AI意 (KITAKYUSHU)
FORWARD
明日はハードコアパンク祭り。
etikedo : DIYパンク
Christianiaは街そのものがスクウォット
無産大衆経由・回虫経由 自治街 Christiania 強制排除→暴動の報
Christiania(クリスティアニア)は「無政府主義国家」
・1967年、海軍基地の撤退によりケーベンハウン(København、コペンハーゲン)にあるクリスチャンスハウン(Christianshavn)地区の一部が空く
・1971年、多様者(ヒッピー、反資本主義者、コムニスト等々)が空いた土地・建物を占拠、コムーネ(市当局)との交渉により自主管理街として成立。住民自治会による運営がはじまる
・2004年、L205法制定、「正常化」開始。ポリボックス設置・巡邏強化。「Christianiaは麻薬犯罪の巣窟」キャンペーン強化
・現在、住民は政府側の代替住宅提供(有料)の提案を拒否して孤立
2007年3月に「若者の家」(Ungdomshuset)の強制排除以後、攻撃の矛先がいよいよ Christiania に向かってきたということでしょうか──。
なお、Ungdomshuset があったのはノアブロ(Nørrebro)地区のイャクトヴァイ69番地(Jagtvej 69)で、市中心部(IndreBy)を挟んで Christiania の北東に位置します。ノアブロは移民街でもあるとのこと。
んで、Ungdomshuset 利用者はすでに新しい建物を入手。6月11日に市議会が市北西部のドロテアヴァイ61番地(Dortheavej 61)にある二つの建物を提供することを決定したとフースの人々が公表(WE GOT A NEW HOUSE!)。うへっ
・地図 Christianaia
・地図 Jagtvej で色んなことがありました
・地図 Dortheavej 61
追記 Ungdomshuset ──「ウンド(ダ)ムシュゼット」と発音してる人(=行ったことある人)がいます。分解すると「ウンド(ダ)ムス・フーセット」。ungdom(s)=youth hus(et)=house sは属格、etは中性名詞につく定冠詞(後ろにつく)
Christiania(クリスティアニア)は「無政府主義国家」
・1967年、海軍基地の撤退によりケーベンハウン(København、コペンハーゲン)にあるクリスチャンスハウン(Christianshavn)地区の一部が空く
・1971年、多様者(ヒッピー、反資本主義者、コムニスト等々)が空いた土地・建物を占拠、コムーネ(市当局)との交渉により自主管理街として成立。住民自治会による運営がはじまる
・2004年、L205法制定、「正常化」開始。ポリボックス設置・巡邏強化。「Christianiaは麻薬犯罪の巣窟」キャンペーン強化
・現在、住民は政府側の代替住宅提供(有料)の提案を拒否して孤立
2007年3月に「若者の家」(Ungdomshuset)の強制排除以後、攻撃の矛先がいよいよ Christiania に向かってきたということでしょうか──。
なお、Ungdomshuset があったのはノアブロ(Nørrebro)地区のイャクトヴァイ69番地(Jagtvej 69)で、市中心部(IndreBy)を挟んで Christiania の北東に位置します。ノアブロは移民街でもあるとのこと。
んで、Ungdomshuset 利用者はすでに新しい建物を入手。6月11日に市議会が市北西部のドロテアヴァイ61番地(Dortheavej 61)にある二つの建物を提供することを決定したとフースの人々が公表(WE GOT A NEW HOUSE!)。うへっ
・地図 Christianaia
・地図 Jagtvej で色んなことがありました
・地図 Dortheavej 61
追記 Ungdomshuset ──「ウンド(ダ)ムシュゼット」と発音してる人(=行ったことある人)がいます。分解すると「ウンド(ダ)ムス・フーセット」。ungdom(s)=youth hus(et)=house sは属格、etは中性名詞につく定冠詞(後ろにつく)
公安条例は治安弾圧法令
I
「公安条例」の本質って、思ったより理解されていないような気がしてきました。こんな発言を見たからです。
公安条例が設立された本来の目的から逸脱し政治的抑圧の道具に成り下がってることくらいデモに参加したことがある奴だいたい知ってるでしょ。公安条例は集会・デモを規制するために制定されたものです。つまりそれは最初から「政治的抑圧の道具」でした。このことについては後述します。
さて、条例がもたらす許可制度は、今にいたるも集会・表現の自由を著しく制限する効果をもたらしています。条例のもとではデモを好きなように「届ける」ことはできません。このことは「申請」の実務に携われば理解できます。東京都公安条例下の「デモ申請」に何度も行ったことがあり、その都度、警察から理不尽に「申請」を妨害されてきた経験がある立場としては、「本来の目的」って何だろう?と疑問に思わざるをえません。
東京都での運用の現実とはこうです。窓口にすぎない警視庁・管内各警察署はまず「集会・集団示威運動許可申請書」を配布しません。警視庁・各署は、「申請」者が警察のいうとおりに(コース・時間等の)デモ内容を決定しなければ、「許可申請書」を持ってこようとすらしません。警視庁・各署の「申請」妨害への対抗策としては、「許可申請書」を「申請」者の側で作成するという方法があります。なお、警視庁・管内各警察署が作成する「許可申請書」には、条例が規定する内容以上の事項が含まれています(もちろんその法源は存在しません)。警察がこのように勝手なことをやっているという意味では、条例は最初から「逸脱」運用されているといえます。
※「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」(東京都)が規定する「許可申請書」の記載事項引用コメント元のブログ記事で言及されている「アキバデモ」にしても、「事前弾圧」を受けていたと解釈することが可能です。アキバデモ「申請」者の報告を見てみましょう。
1 主催者の住所、氏名
2 前号の主催者が開催の区(特別区の全域を一地域とみなしてその地域)市、町、村以外に居住するときは、その区、市、町、村内の連絡責任者の住所、氏名
3 集会、集団行進又は集団示威運動の日時
4 集会、集団行進又は集団示威運動の進路、場所及びその略図
5 参加予定団体名及びその代表者の住所、氏名
6 参加予定人員
7 集会、集団行進又は集団示威運動の目的及び名称
先日の交渉の際には「中央通りはやめてくれ」「いや、そこをなんとか」で小一時間押し問答をしたわけですが、今回は中央通りは仕方がないから諦めるということで一応の妥結を見ました。東京・秋葉原の中央通りは公道なので通れるはずです。実際、別の「プレカリアート@アキバ」デモでは中央通りの一部を通っています(1)。「妥結」せずに「許可申請書」を出せば、末広町の辺りまでをコースとすることもできるでしょう。
しかし引用した「アキバデモ」申請者の報告にあるとおり、警察は通したくない通りに関しては頑強に妨害します。条例のもとでは、デモ「申請」は実施の72時間前までには出さなければならないという時間的制約があります。また警察署内で警官と対峙する体力的・精神的限界もあります。つまり、意を決して、法律論争をしながら我慢比べで警察の方を翻意させるか、予め自作の「許可申請書」を持参して突きつけるかしない限り、デモ主催者が希望コースを諦めざるをえない現実があるわけです。事前の「弾圧」(抑圧)だという所以です。
条例にしたがえば、「申請」を受理し「許可/不許可」を判断するのは公安委員会の仕事です。出発地の管轄署は公安委員会への窓口にすぎず、デモ「申請」への警察の介入は許されないはずですが、こうした「抑圧」が大手を振ってまかり通っています。しかもこの運用実態は、都道府県公安委員会の庶務を警察官が担うという法制度上のカラクリに最初から規定されています(警察法による)。実際、私はあるデモ「申請」で、コースをめぐって警視庁の警備部と揉めた時、「このまま出したら公安委員に意見を具申しますから、○○さん」「なにそれ、公安委員に不許可の判子押させるってこと?」「そうです」「そんなこといっていいの?」と応酬したことがあります。別の機会にも、同じく警視庁の中の人に「公共の安寧秩序を乱すおそれがあるからそのコースは遠慮してくれ」といわれたこともあります。実際、警備警察の連中に「結局警察が判断してんだもんな〜」といっても彼らは否定しません。「許可/不許可」の判断自体も警察の手中にあるということもまた問題です。
こうした現実は東京だけでなく、公安条例が存在する地域にもあてはまります。(他の地域でのデモ「申請」でも警察に妨害された個人的経験もありますし、知人の経験を聞いてもそうだといえます)
II
(25都県・35市の)各自治体が制定する条例の字面だけを眺めれば、治安弾圧法令として以外の「本来の目的」があるようにも読めるのかもしれません。しかし公安条例の制定はGHQ軍政の一部でもあります。つまり条例は、明確にGHQ—日本政府の「治安維持」を目的として出発していたのでした。
公安条例の嚆矢となった福井市の「災害時公安維持に関する条例」(第27号、1948年7年7日公布)は、48年6月28日に発生した福井大地震を受け、福井軍政部が市に命令して制定させたものです。その目的は災害救援活動を開始した共産党を排除するためで、軍政部は条例を根拠に「一切の集会・デモを禁止」としただけでなく、救援活動そのものから共産党をパージしました。なお、あからさまな治安弾圧立法に危機感を持った布施辰治弁護士が違憲訴訟を起こしています(2)。
集会・デモを直接の規制対象とした最初の公安条例は、1948年7月31日の大阪市の「行進、示威運動及び公の集会に関する条例」ですが、これもまた「大阪軍政部の独断による市政への介入でした」(大阪市)(3)。しかしこの条例は集会・デモ弾圧の性格をあまりに露骨にしていたため、大阪軍政部が慌てて修正させ、たった二ヶ月で「行進および集団示威運動に関する条例」(第77号、48年10月5日公布)が新たに制定されています(4)。東京都では、49年5月30日に制定反対運動の犠牲者を出したのち、10月20日に「集団行進及び集団示威運動に関する条例」(第111号)が制定されています(翌年規制強化)。
福井市の条例は災害復興を名目としていましたが、その後の各自治体で制定された公安条例は集会・デモの取締りを直接の目的としていました。GHQ軍政が各自治体に条例を制定するよう政治介入した契機の一つとして、48年に大阪・神戸の朝鮮人学校廃止の反対運動(阪神教育闘争)の広がりがあげられます。GHQは、この運動が民族の別を超えて大衆的に広がるのを見て、24日には神戸基地司令官の名で「非常事態宣言」を発令したうえで、1732人を逮捕し136人を軍事裁判にかけるという大弾圧で潰しています。GHQは大衆運動の基盤となった集会・デモを取り締る枠組みをつくるため自治体に公安条例制定を急がせただけでなく、49年には団体等規正令(破防法の前身)をポツダム命令として自ら制定しました。この二つの法令は憲法に抵触する内容でしたが、「運動・団体潰し」のためにGHQ軍政が力づくで成立させたものというべきでしょう。
公安条例は特定の運動潰しだけでなく、GHQ・日本政府が思うままに政治弾圧を加えるための手段として活用されました。例えば生存/労働運動、反戦運動の盛り上がりを背景に、東京では50年に集会・デモの禁圧に条例が威力を発揮しています。警視庁は6月2日から5日までデモを禁止し、5日さらに当面の禁止を宣言。翌6日にマッカーサーが共産党追放指令を吉田首相宛の書簡で出し、16日に集会禁止令が発令されます(当時の国警本部が全国警察に集会・デモの全面禁止を指令)。25日の朝鮮戦争勃発後、東京都は7月4日に前年制定の条例を強化する「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」(第44号)を制定し、集会・デモの禁止体制をさらに強めました。そして東京都の新たな公安条例は、翌51年の中央メーデーの皇居前広場(「人民広場」)使用禁止に見られるように、猛威を振るっていくことになります。なお、このころの戦争に反対する動きは、「反占領行為・反米行為」としてGHQに弾圧される全国的な状況がありました。
その後、憲法違反の治安弾圧条例に対して反対運動が起こり、東京では条例の廃止請求が91,134署名をもって51年2月7日の臨時都議会に上程され(否決)、51年10月26日には京都地裁が違憲の判断を出しています。その後、他にも続いた地裁・高裁段階での違憲判決の流れを最高裁が覆しながら、またその後にも地裁レベルで違憲判決が出るなど、判例法理が矛盾する状況にあります。
(1)デモコース詳細:総評会館前 → 本郷通り →(小川町交差点左折)→ 靖国通り →(淡路町交差点)→(須田町交差点左折)→(万世橋交差点)→ 中央通り →(秋葉原西口交差点)→ 神田明神通り →(神田明神下交差点左折)→ 本郷通り →(湯島聖堂左折)→ 聖橋 → 総評会館前
(2)弁護士布施辰治旧蔵資料内容細目(明治大学図書館所蔵)
(3)大阪市「デジタルギャラリー(画像で見る歴史史料) 3 連合軍の進駐」
(4)修正内容は「集會の事前届出の廢止、官公署附近のデモ集會禁止明文規定の廢止の外、條例案自体においても第四條の條件違反に對する罰則の削除等」(大阪市・例規決議書類[行進及集団示威運動]、出典前同「デジタルギャラリー 連合軍の進駐」)。
接見(面会)の制限強化について
日本が普遍的人権を擁護する民主国だと思っている方も多いと思いますが、こと被疑者・未決拘禁者・受刑者の処遇を見れば、その実態に驚愕せざるをえない局面が多々あります。
特に被疑者が直面する大きな問題としては外部交通権行使の制限があげられます。平たくいうと接見(面会)の制限です。しかもこの制限は2006年5月以後、法理上強化されました。
2006年5月の刑事収容施設法施行以前は、勾留前の身体拘束段階では、法理上は接見(面会)は誰でも可能なはずでした。しかし、土・日曜、早朝・正午・夜などの時間帯だと、たとえ勾留前段階の接見要求であっても「執務時間外」という理由で弁護士以外の接見はほとんどといっていいくらい妨害されてきました。
監獄法の接見に関する条文では時間制限の規定はなかったのですが、監獄法を改廃して施行された刑事収容施設法では、外部交通権の一部拡大・一部縮小という事態が見られ、接見(刑事収容施設法では面会という)については執務時間内とすると明文化して制限を強化してしまいました。
それまではこの執務時間を理由にした接見妨害は、施設(警察署)の管理運営に関する「規則」を唯一の根拠とするものでしたが(実は国家公安委員会規則第18号=被疑者留置規則にも時間制限規定はない)、新たに法的根拠が与えられたわけです。これで勾留前段階の執務時間外での非弁護人による接見は絶望的となったと見てよいでしょう。
なお公安事件で勾留がついた場合、ほとんど一緒に接見禁止処分がくっついてきます。
特に被疑者が直面する大きな問題としては外部交通権行使の制限があげられます。平たくいうと接見(面会)の制限です。しかもこの制限は2006年5月以後、法理上強化されました。
2006年5月の刑事収容施設法施行以前は、勾留前の身体拘束段階では、法理上は接見(面会)は誰でも可能なはずでした。しかし、土・日曜、早朝・正午・夜などの時間帯だと、たとえ勾留前段階の接見要求であっても「執務時間外」という理由で弁護士以外の接見はほとんどといっていいくらい妨害されてきました。
監獄法の接見に関する条文では時間制限の規定はなかったのですが、監獄法を改廃して施行された刑事収容施設法では、外部交通権の一部拡大・一部縮小という事態が見られ、接見(刑事収容施設法では面会という)については執務時間内とすると明文化して制限を強化してしまいました。
それまではこの執務時間を理由にした接見妨害は、施設(警察署)の管理運営に関する「規則」を唯一の根拠とするものでしたが(実は国家公安委員会規則第18号=被疑者留置規則にも時間制限規定はない)、新たに法的根拠が与えられたわけです。これで勾留前段階の執務時間外での非弁護人による接見は絶望的となったと見てよいでしょう。
なお公安事件で勾留がついた場合、ほとんど一緒に接見禁止処分がくっついてきます。
逮捕時間、検察送致、勾留など
麻生でてこい!!リアリティツアー救援会ブログに、28日早朝に行われた東京地検前での激励行動が報告されていますね。ご苦労さまです。
報告から引用
警察は逮捕後に被疑者を留置場に拘束するわけですが、その前に所定の逮捕手続きが行われます。人定質問・指紋採取と顔写真撮影・所持品検査(必要あれば押収品目録の作成)・弁解録取書の作成などです。現実には逮捕手続き時間中は外部交通が認められないので、逮捕即日の接見はこの手続き後に可能となります。
警察が被疑者を手元において捜査できる時間には、人権擁護上の観点から制限が設けられており、最長で48時間となります。この時間を超えて捜査が必要と警察が判断する場合、警察の権限は捜査に限定されているため、検察に勾留請求をかけるように依頼します。たてまえとしては検察でも独自の捜査が必要なため、被疑者の身柄・書類が警察から地方検察庁に送らることになります。これが検察送致です。なお、警察が被疑者に違法性なし、あるいは起訴するまでもなく微弱と判断した場合には、48時間以内に釈放されることもありますが稀です。
送致を受けた検察は、24時間以内に被疑者の勾留を請求すべきかどうか判断しなければなりません。したがって、捜査機関(警察・検察)が裁判所の関与なく被疑者を身体拘束できる最長時間が72時間となるわけです。この段階で検察が勾留の必要がないと判断した場合は、釈放となります。これを検事釈放(いわゆる「検パイ」)といいます。
警察の要求どおりさらに捜査が必要と検察が判断すれば、勾留請求を地裁に対して行います。このとき被疑者の身柄は書類とともに地裁に送られ(押送)、裁判官が被疑者に対して勾留質問を行い、請求の認容/却下が判断されます。この質問の場を勾留裁判といいますが、弁護人は立ち会えず、通例は十数分程度で終わります。そして請求のほとんどが認容されますから(確率9割以上)、裁判というより勾留儀式といった方がいいかもれません。
救援会からは検察送致後の報告が公開されていませんので、おそらく今日には勾留が請求されるでしょう。なお、勾留が認容された場合、被疑者の身柄は捜査機関から独立した刑事施設に移されるべきですが、日本の刑事収容施設法(旧・監獄法)は警察署内の留置場の代用を認めています。このため法制度上、警察・検察は勾留中の被疑者を制限なく取調べることが可能です。この代用監獄制度は冤罪の温床として国連人権委員会に指弾され続けていますが、日本政府は監獄法の改定時にもどこふく風で、むしろ2006年5月に施行された刑事収容施設法では代用監獄(現・代用刑事施設)の存続を強化する挙に出ました。警察がアリバイ的に「取り調べの映像記録」を行っても、そもそも身柄が警察署内に拘束されている以上、ほとんど意味がありません。
なお公安事件の場合、公安警察(政治警察)の側が起訴を目的としていなくても、被疑者を精神的に痛めつける嫌がらせ目的で勾留を利用するケースが多くあります。リアリティツアー弾圧の被害者たちが心配です。
報告から引用
- 一般的に、警察が「被疑者」を独自判断で勾留できるのは48時間以内です。
- 警察は48時間の後、検察に「被疑者」、関係書類、押収物を引き渡します。これを“送致”と呼びます。
警察は逮捕後に被疑者を留置場に拘束するわけですが、その前に所定の逮捕手続きが行われます。人定質問・指紋採取と顔写真撮影・所持品検査(必要あれば押収品目録の作成)・弁解録取書の作成などです。現実には逮捕手続き時間中は外部交通が認められないので、逮捕即日の接見はこの手続き後に可能となります。
※弁解録取は法制度上は被疑者に「弁解の機会を与える」というものですが、運用の実際により、警察主導の取調べに転化されることがほとんどなので、黙秘する方が被疑者にとっての自己防衛となるでしょう。実際、弁録調書が供述調書扱いされることもあります。
警察が被疑者を手元において捜査できる時間には、人権擁護上の観点から制限が設けられており、最長で48時間となります。この時間を超えて捜査が必要と警察が判断する場合、警察の権限は捜査に限定されているため、検察に勾留請求をかけるように依頼します。たてまえとしては検察でも独自の捜査が必要なため、被疑者の身柄・書類が警察から地方検察庁に送らることになります。これが検察送致です。なお、警察が被疑者に違法性なし、あるいは起訴するまでもなく微弱と判断した場合には、48時間以内に釈放されることもありますが稀です。
送致を受けた検察は、24時間以内に被疑者の勾留を請求すべきかどうか判断しなければなりません。したがって、捜査機関(警察・検察)が裁判所の関与なく被疑者を身体拘束できる最長時間が72時間となるわけです。この段階で検察が勾留の必要がないと判断した場合は、釈放となります。これを検事釈放(いわゆる「検パイ」)といいます。
警察の要求どおりさらに捜査が必要と検察が判断すれば、勾留請求を地裁に対して行います。このとき被疑者の身柄は書類とともに地裁に送られ(押送)、裁判官が被疑者に対して勾留質問を行い、請求の認容/却下が判断されます。この質問の場を勾留裁判といいますが、弁護人は立ち会えず、通例は十数分程度で終わります。そして請求のほとんどが認容されますから(確率9割以上)、裁判というより勾留儀式といった方がいいかもれません。
救援会からは検察送致後の報告が公開されていませんので、おそらく今日には勾留が請求されるでしょう。なお、勾留が認容された場合、被疑者の身柄は捜査機関から独立した刑事施設に移されるべきですが、日本の刑事収容施設法(旧・監獄法)は警察署内の留置場の代用を認めています。このため法制度上、警察・検察は勾留中の被疑者を制限なく取調べることが可能です。この代用監獄制度は冤罪の温床として国連人権委員会に指弾され続けていますが、日本政府は監獄法の改定時にもどこふく風で、むしろ2006年5月に施行された刑事収容施設法では代用監獄(現・代用刑事施設)の存続を強化する挙に出ました。警察がアリバイ的に「取り調べの映像記録」を行っても、そもそも身柄が警察署内に拘束されている以上、ほとんど意味がありません。
なお公安事件の場合、公安警察(政治警察)の側が起訴を目的としていなくても、被疑者を精神的に痛めつける嫌がらせ目的で勾留を利用するケースが多くあります。リアリティツアー弾圧の被害者たちが心配です。
ただ歩くということ
さて、リアリティツアーが政治性を持つことは分かりきったことだと思う。しかし人は十人十色、こういう見方もある。
それはさておき、主催者関係の「ただ歩いていた」との言表は、東京都公安条例の治安弾圧法規としての優れて予防拘束的な性質を暴露するもので、寄り歩きの政治性を否定するものではない。
事後対応の一時的集合とはいえ、行動主催の一部とみなしうる「麻生でてこい!!リアリティツアー救援会」の主張を見てみよう。(ただし「救援」活動は、行動には参加していなかった被逮捕者の近しい人々の協力のもとに行われることが多いため、行動主体と「救援」主体がまったく同じであるとは限らない)
そもそも同ツアーの呼びかけを見れば、その行動が持つ政治性は明白だ。「ただ歩くこと」は、それを否定しない。「ただ歩くこと」はまた、「歩くこと」がデモ(集団示威行進)でありうること自体を否定しない。それはただ、「デモには許可がいる」「デモは警察の思う通りに規制されるべきである」という警察の「公正中立」さを信じて疑わない権威主義的な精神への異議を表す。それは「政治的なるもの」の異化を拒否しようとする態度でもある。
デモ──集団示威行進という「ただ歩くこと」は、その時代・状況に応じて警備公安警察に様々に取り締まられてきた。かつて「無届け」でデモが行われえた時代があったことを知るとき、人は「ただ歩くこと」がどのように不当に規制されてきたのかの歴史的経過をも理解することになる。
しかも集団で「ただ歩くこと」が、あるものは「祭り」として受け止められ、またあるものは「政治的な示威行進」として別コースを歩かされ、さらにはまたそうした分化のコースにのせられずに「歩くこと」のまま放置される(1)という複数の現実は、「歩くこと」の「取り扱い」を違える警察の政(まつりごと)の性質を端的に示している。
弾圧をしかけられた人々がいう「ただ歩くこと」は、警察の勝手し放題への怒りにもとづくものとも受け止められよう。というのも、このツアーを主催をする人々(2)は「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」をはじめ、「自由と生存のメーデー」、あるいはその他の様々な行動に際して、常に警察によってがんじがらめにされてきたからである。しかし「政治的、即がんじがらめ」というのも実は近視眼的な見方だ。多様にある「政治的」デモの色々をよく見てみれば、警備公安警察の動員が少なく規制がスカスカになっているものもあんのね、ということくらい誰にでも分かる。
問題は、「こいつらはダメだ」と決めつける警察の勝手な「読み」にある。
「サウンドデモ」への警察の規制対応の変化を見てもそのことは明らかだ。たとえば2000年代前半の東京では、主催者から「デモの届け」(いわゆる「デモ申請」)が出されていれば、警視庁は「サウンドデモ」の敢行を現場で受け入れていた(3)(4)。しかし2006年になると警視庁(の公安部)は急にその態度を変え、「サウンドデモ」によく見られた「トラックの荷台にDJが乗車する」様態を違法化した。そしてそれは同年の「自由と生存のメーデー06」の弾圧に行き着いた(5)。法制度の運用変更の手管は、新たに道交法第55条にひっかけるというものだった。それが原因で、東京の荷台乗車式「サウンドデモ」のほとんどが「荷物押さえという目的」外の荷台乗車を可能とするために、道交法第56条および同法施行規則第8条に依拠して「荷台乗車申請」を行う煩雑さにとらわれることになった(ただし06年メーデー弾圧の直後に行われたある大きなデモでは、トラック荷台へのDJ乗車という同様の隊列が無事にデモを終えた事実があり、警察の「勝手し放題」は当初から明らかだった)。
警備公安警察=政治警察による「ただ歩くこと」の規制は、何によってか選別的にしかけられる。そのことの見極めと、自己言及のありようへの解釈のバラバラさ加減にしばし思うことがある秋の夜長。いったい私は何をいいたいのだろう。そうだ──
こういってしまえば主催者にしてみれば余計なお世話かもしれない。でも、ただ歩くことが闘いとなることだってあるのです。
(1)この数年の東京でも、「申請」なしで警察が「黙認」した集団示威行進が幾つかあった。イラク爆撃を目前とした2003年3月に行われた、新宿駅頭から米大使館まで集団で歩道を歩いていくパンクスのデモなどが思い起こされる。爆撃が開始された20日以後、同大使館近辺では「政治的人間」が所払いとなった。
(2)もちろん「フェスタ」や「メーデー」の主催はそれぞれ異なる。ただ、その集まりが不変のものではありえないとしても、一定の近しい人々の努力によるものであることには違いがない。
(3)ASC(Against Street Control)の一連のイラク反戦デモなど。ちなみにASCという「主催名」は後付け。サウンドシステムを携行するデモは今やすっかり「サウンドデモ」という呼称に落ち着いているが、ASCは Reclaim the Streets! を意識して「レイヴデモ」としていた。もちろん「サウンドデモ」という呼び方も「好きにして」状態だっからこその定着といえる。このテキトーさ加減が離合集散する非党派的な多様者集合のいいところかも。
(4)公安条例のもとでは、デモ「申請」に対する「許可/不許可」の判断は公安委員会の職掌となる(ただし警察法の規定により、地方自治体レベルの公安委員会の庶務を警察官が担うため、公安委員会の独立監視機関としての性格は保証されない)。この場合、「申請」はあくまで出発地の管轄署を窓口として経由するだけであり、受理するのは公安委員会である。したがって「警察がデモを許可する(不許可にする)」という認識は形式論上は誤り。書類転送の窓口にすぎない警察署で、コースや時間などについて警備課に指図されて唯々諾々としたがえば、それは警察の脱法的な管理手法にのせられていることになる。このカラクリやその対処法につていは「8・5プレカリアート@アキバ」(2006)の「デモ「申請」顛末記」や、「自由と生存のメーデー」の「デモの心得みたいなもの」(2007)、「デモへの道」(2008)あたりが参考になるだろう。もちろんこれらの情報資源が絶対的な解だというつもりはない。
(5)メーデー弾圧事件と被弾圧者の支援活動の経過についてはメーデー救援会のウェッブログを参照のこと。
当の「被害者側」が一生懸命『これは政治行動じゃないんですよ〜。ただの“見学ツアー”ですよ〜。遠足みたいなもんですよ〜。』と自らの政治性を否定するかのような主張をしているところ。馬鹿は誰か。
もう馬鹿かと。
それはさておき、主催者関係の「ただ歩いていた」との言表は、東京都公安条例の治安弾圧法規としての優れて予防拘束的な性質を暴露するもので、寄り歩きの政治性を否定するものではない。
事後対応の一時的集合とはいえ、行動主催の一部とみなしうる「麻生でてこい!!リアリティツアー救援会」の主張を見てみよう。(ただし「救援」活動は、行動には参加していなかった被逮捕者の近しい人々の協力のもとに行われることが多いため、行動主体と「救援」主体がまったく同じであるとは限らない)
誰もが歩くことができる行動を、渋谷駅頭から麻生邸の前まで歩きながら、その土地だけで62億ともいわれる豪邸をくっきり目に焼き付けて帰る。「ただそれだけ」が指示するものは(麻生首相の)「豪邸をくっきり目に焼き付けて帰る」である。それが政治的行動であるか否かは、読むものの判断に委ねられる。
「リアリティ・ツアー」とは、ただそれだけの「ツアー」でした。
そもそも同ツアーの呼びかけを見れば、その行動が持つ政治性は明白だ。「ただ歩くこと」は、それを否定しない。「ただ歩くこと」はまた、「歩くこと」がデモ(集団示威行進)でありうること自体を否定しない。それはただ、「デモには許可がいる」「デモは警察の思う通りに規制されるべきである」という警察の「公正中立」さを信じて疑わない権威主義的な精神への異議を表す。それは「政治的なるもの」の異化を拒否しようとする態度でもある。
デモ──集団示威行進という「ただ歩くこと」は、その時代・状況に応じて警備公安警察に様々に取り締まられてきた。かつて「無届け」でデモが行われえた時代があったことを知るとき、人は「ただ歩くこと」がどのように不当に規制されてきたのかの歴史的経過をも理解することになる。
しかも集団で「ただ歩くこと」が、あるものは「祭り」として受け止められ、またあるものは「政治的な示威行進」として別コースを歩かされ、さらにはまたそうした分化のコースにのせられずに「歩くこと」のまま放置される(1)という複数の現実は、「歩くこと」の「取り扱い」を違える警察の政(まつりごと)の性質を端的に示している。
弾圧をしかけられた人々がいう「ただ歩くこと」は、警察の勝手し放題への怒りにもとづくものとも受け止められよう。というのも、このツアーを主催をする人々(2)は「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」をはじめ、「自由と生存のメーデー」、あるいはその他の様々な行動に際して、常に警察によってがんじがらめにされてきたからである。しかし「政治的、即がんじがらめ」というのも実は近視眼的な見方だ。多様にある「政治的」デモの色々をよく見てみれば、警備公安警察の動員が少なく規制がスカスカになっているものもあんのね、ということくらい誰にでも分かる。
問題は、「こいつらはダメだ」と決めつける警察の勝手な「読み」にある。
「サウンドデモ」への警察の規制対応の変化を見てもそのことは明らかだ。たとえば2000年代前半の東京では、主催者から「デモの届け」(いわゆる「デモ申請」)が出されていれば、警視庁は「サウンドデモ」の敢行を現場で受け入れていた(3)(4)。しかし2006年になると警視庁(の公安部)は急にその態度を変え、「サウンドデモ」によく見られた「トラックの荷台にDJが乗車する」様態を違法化した。そしてそれは同年の「自由と生存のメーデー06」の弾圧に行き着いた(5)。法制度の運用変更の手管は、新たに道交法第55条にひっかけるというものだった。それが原因で、東京の荷台乗車式「サウンドデモ」のほとんどが「荷物押さえという目的」外の荷台乗車を可能とするために、道交法第56条および同法施行規則第8条に依拠して「荷台乗車申請」を行う煩雑さにとらわれることになった(ただし06年メーデー弾圧の直後に行われたある大きなデモでは、トラック荷台へのDJ乗車という同様の隊列が無事にデモを終えた事実があり、警察の「勝手し放題」は当初から明らかだった)。
警備公安警察=政治警察による「ただ歩くこと」の規制は、何によってか選別的にしかけられる。そのことの見極めと、自己言及のありようへの解釈のバラバラさ加減にしばし思うことがある秋の夜長。いったい私は何をいいたいのだろう。そうだ──
弾圧粉砕 闘争勝利!
こういってしまえば主催者にしてみれば余計なお世話かもしれない。でも、ただ歩くことが闘いとなることだってあるのです。
(1)この数年の東京でも、「申請」なしで警察が「黙認」した集団示威行進が幾つかあった。イラク爆撃を目前とした2003年3月に行われた、新宿駅頭から米大使館まで集団で歩道を歩いていくパンクスのデモなどが思い起こされる。爆撃が開始された20日以後、同大使館近辺では「政治的人間」が所払いとなった。
(2)もちろん「フェスタ」や「メーデー」の主催はそれぞれ異なる。ただ、その集まりが不変のものではありえないとしても、一定の近しい人々の努力によるものであることには違いがない。
(3)ASC(Against Street Control)の一連のイラク反戦デモなど。ちなみにASCという「主催名」は後付け。サウンドシステムを携行するデモは今やすっかり「サウンドデモ」という呼称に落ち着いているが、ASCは Reclaim the Streets! を意識して「レイヴデモ」としていた。もちろん「サウンドデモ」という呼び方も「好きにして」状態だっからこその定着といえる。このテキトーさ加減が離合集散する非党派的な多様者集合のいいところかも。
(4)公安条例のもとでは、デモ「申請」に対する「許可/不許可」の判断は公安委員会の職掌となる(ただし警察法の規定により、地方自治体レベルの公安委員会の庶務を警察官が担うため、公安委員会の独立監視機関としての性格は保証されない)。この場合、「申請」はあくまで出発地の管轄署を窓口として経由するだけであり、受理するのは公安委員会である。したがって「警察がデモを許可する(不許可にする)」という認識は形式論上は誤り。書類転送の窓口にすぎない警察署で、コースや時間などについて警備課に指図されて唯々諾々としたがえば、それは警察の脱法的な管理手法にのせられていることになる。このカラクリやその対処法につていは「8・5プレカリアート@アキバ」(2006)の「デモ「申請」顛末記」や、「自由と生存のメーデー」の「デモの心得みたいなもの」(2007)、「デモへの道」(2008)あたりが参考になるだろう。もちろんこれらの情報資源が絶対的な解だというつもりはない。
(5)メーデー弾圧事件と被弾圧者の支援活動の経過についてはメーデー救援会のウェッブログを参照のこと。
あそう、でてこい
62 億円の邸宅(あそう首相んち)の見学に向かっただけで三人が逮捕されたという話。警視庁公安部は相も変わらず粘着公費ストーカーの本性暴露。今回、二課だけじゃなくて一課のやつもでばってきてたとか……麻生シフトということなら、きっと警衛関係もいたんでしょう。いやいやそっちは秋葉原か。
つうかYouTubeにputされた動画見ると転び公妨じゃねえかよおい。しかもそこかしこに見知った公費穀潰しどもがいるって分かってしまう自分に嫌気がさしつつ、怒りが抑えられません。プレカリアー トの労働運動を支持する立場としてはふだんは解雇反対闘争勝利!なわけですが、公安警察だけはリストラすべしという気持ちです。
画像のリンク先は「麻生でてこい救援」のブログ。支援よろしくお願いします。って、ここ見てる人がいるかどうか不明ですが。
そもそも見学(リアリティツアー2)は、反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉のプレ企画でした。11月29・30日にも企画があるようなので、そちらもぜひよろしくお願いします。
しかし、金持ちの家って貧乏人が眺めにいくのも禁止なんでしょうか。貧乏人は存在自体が犯罪なんでしょうか。それが階級政治のなせるわざということなんでしょうか。
つうかYouTubeにputされた動画見ると転び公妨じゃねえかよおい。しかもそこかしこに見知った公費穀潰しどもがいるって分かってしまう自分に嫌気がさしつつ、怒りが抑えられません。プレカリアー トの労働運動を支持する立場としてはふだんは解雇反対闘争勝利!なわけですが、公安警察だけはリストラすべしという気持ちです。
画像のリンク先は「麻生でてこい救援」のブログ。支援よろしくお願いします。って、ここ見てる人がいるかどうか不明ですが。
そもそも見学(リアリティツアー2)は、反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉のプレ企画でした。11月29・30日にも企画があるようなので、そちらもぜひよろしくお願いします。
しかし、金持ちの家って貧乏人が眺めにいくのも禁止なんでしょうか。貧乏人は存在自体が犯罪なんでしょうか。それが階級政治のなせるわざということなんでしょうか。
危機は破滅への道か、変革への道か
毎週週明けが楽しみないっぱいいっぱいの金融資本主義 短観
・欧米で「時価会計」に一部「修正」を加えて公的資金投入の大枠合意
※緊急避難措置とはいえ、あっさり「金融自由化」の看板を投げ捨てた…
・金融サミット──「成功体験」(中川財政・金融相)とはしゃぐ御仁もいるが、損失額を確定せず無限定に公的資金を投入し傷口を広げたバブル崩壊〜金融危機の日本の経験は「成功」事例ではない。金融システム不安への資金投入の遅れがもたらしたとされる「失われた10年」(10数年)の「失敗経験」についても、今次の欧米の対応ではすでに公的資金投入は既定路線となり、いうべきことはすでに何も残されていない。あるいは資金投入のために「国際標準会計」(「時価会計」)適用一部回避の挙に出た欧米資本主義に無言のままの日本が(むしろ追従)、いったい何をいえるのか。せいぜい「G8議長国です」という面を下げる程度で、サミットの規模はすでにG20レベルなのでそれもどうかと……
・日本の主要銀行(都銀)は資金潤沢(日銀の当座預金に余剰資金がダブついている)
・日本の主要銀行(都銀)はバブル崩壊後の公的資金投入で、不良債権対策を除いて一番資金を投入してきたのは国債の購入。金融強化法案による再度の資金投入要請は都銀のマッチポンプではないのか。都銀はまだ体力があるからいいとして、むしろ問題はリーマンのCDOとかつまんでた信組・地銀などではないか。デフォルトに陥りそうなアイスランド・カウプシング銀行のサムライ債は、金融機関以外にもベネッセコーポレーションなどがつまんでいる。
※バブル崩壊で経営破綻した金融機関の経営責任はうやむやのまま(旧長銀経営陣の刑事裁判は今年7月の最高裁で逆転無罪確定、同じく旧日債銀経営陣は07年3月に高裁有罪判決)(長銀・日債銀の「A級戦犯」と目された人物は時効成立、その後それぞれ死去)。大手行は完済進むも破綻処理に伴う金銭贈与額は18.6兆円
・主要銀行の「貸渋り」は「サブプライム破綻」が原因ではなく、バブル破綻後10年以上もその傾向にある
→銀行の中小産業融資のリスク回避と、企業の間接金融離れとの関連は?
(どちらが因果をなすのかは要検討か)
・ロシア・マフィア資本のマネロン基地であったアイスランド金融に対するIMF援助
→アイスランドの銀行国有化に端を発したアイスランドとイギリスの対立は、アイスランドと預金保護されない外国勢という拡大展開をたどりそう。ベルギー・ルクセンブルクが預金者独自保護へ
・ハンガリーはEUとIMFから援助
・パキスタンとウクライナは支援国なくIMFに支援要請
・世界同時株安に対して、金融サミットで金融環境の大幅修正はあるのか
→すでに緊急避難的に修正された欧米資本主義は、統制・自由の混合型に移行しつつあるとも見れるが?
・修正による金融不安が払拭できなければ、実体経済への悪影響は必至
・消去法による円の相対浮上がこのまま続けば(株安のスパイラルともなり)、外需主導の日本の景気はこれまた沈滞必至
持たざる者は失うものはほんとーに何もなく、本来なら「マネーゲーム狂奏、低見の見物」を決め込んでいればいいはずなのだけど、実体経済が厳しくなれば当然こちらにも直接響いてきてしまう。ということで、貧しくふてぶてしく生きる術の「再開発」が必要かもしれない。んー戦争はダメ。戦争なら内乱。
・欧米で「時価会計」に一部「修正」を加えて公的資金投入の大枠合意
※緊急避難措置とはいえ、あっさり「金融自由化」の看板を投げ捨てた…
・金融サミット──「成功体験」(中川財政・金融相)とはしゃぐ御仁もいるが、損失額を確定せず無限定に公的資金を投入し傷口を広げたバブル崩壊〜金融危機の日本の経験は「成功」事例ではない。金融システム不安への資金投入の遅れがもたらしたとされる「失われた10年」(10数年)の「失敗経験」についても、今次の欧米の対応ではすでに公的資金投入は既定路線となり、いうべきことはすでに何も残されていない。あるいは資金投入のために「国際標準会計」(「時価会計」)適用一部回避の挙に出た欧米資本主義に無言のままの日本が(むしろ追従)、いったい何をいえるのか。せいぜい「G8議長国です」という面を下げる程度で、サミットの規模はすでにG20レベルなのでそれもどうかと……
・日本の主要銀行(都銀)は資金潤沢(日銀の当座預金に余剰資金がダブついている)
・日本の主要銀行(都銀)はバブル崩壊後の公的資金投入で、不良債権対策を除いて一番資金を投入してきたのは国債の購入。金融強化法案による再度の資金投入要請は都銀のマッチポンプではないのか。都銀はまだ体力があるからいいとして、むしろ問題はリーマンのCDOとかつまんでた信組・地銀などではないか。デフォルトに陥りそうなアイスランド・カウプシング銀行のサムライ債は、金融機関以外にもベネッセコーポレーションなどがつまんでいる。
※バブル崩壊で経営破綻した金融機関の経営責任はうやむやのまま(旧長銀経営陣の刑事裁判は今年7月の最高裁で逆転無罪確定、同じく旧日債銀経営陣は07年3月に高裁有罪判決)(長銀・日債銀の「A級戦犯」と目された人物は時効成立、その後それぞれ死去)。大手行は完済進むも破綻処理に伴う金銭贈与額は18.6兆円
・主要銀行の「貸渋り」は「サブプライム破綻」が原因ではなく、バブル破綻後10年以上もその傾向にある
→銀行の中小産業融資のリスク回避と、企業の間接金融離れとの関連は?
(どちらが因果をなすのかは要検討か)
・ロシア・マフィア資本のマネロン基地であったアイスランド金融に対するIMF援助
→アイスランドの銀行国有化に端を発したアイスランドとイギリスの対立は、アイスランドと預金保護されない外国勢という拡大展開をたどりそう。ベルギー・ルクセンブルクが預金者独自保護へ
・ハンガリーはEUとIMFから援助
・パキスタンとウクライナは支援国なくIMFに支援要請
・世界同時株安に対して、金融サミットで金融環境の大幅修正はあるのか
→すでに緊急避難的に修正された欧米資本主義は、統制・自由の混合型に移行しつつあるとも見れるが?
・修正による金融不安が払拭できなければ、実体経済への悪影響は必至
・消去法による円の相対浮上がこのまま続けば(株安のスパイラルともなり)、外需主導の日本の景気はこれまた沈滞必至
持たざる者は失うものはほんとーに何もなく、本来なら「マネーゲーム狂奏、低見の見物」を決め込んでいればいいはずなのだけど、実体経済が厳しくなれば当然こちらにも直接響いてきてしまう。ということで、貧しくふてぶてしく生きる術の「再開発」が必要かもしれない。んー戦争はダメ。戦争なら内乱。
etikedo : 資本主義
そうでしょうとも、鳩山さん
以下、MSN産経ニュース
そもそも階級が違うというお話。しかし、現内閣で第一位の資産家(鳩山総務相)が第二位の資産家(麻生首相)を庇うというのも、何ともまあ分かりやすい階級政治ではある。
「ホテルのバーっていうのは、別にどなたも来ていますから」というのは麻生首相の弁だが、そうした場所に来られない貧乏人は首相の目には映っていないということになる。
まあでも、バーに通うのはたとえ首相であれ自由なわけで、「高いというのはイメージが違う」などと取り繕わずに開き直ればいいだけだと思うのだけど。
首相の「ホテルのバー」で場外戦 鳩山兄が弟に苦言どこにそんな高級な「喫茶店」があるのだろう。
「弟が庶民感覚から外れていると、兄貴の私もそうだと思われて迷惑する」
民主党の鳩山由紀夫幹事長は24日の会見で、弟の鳩山邦夫総務相が同日の記者会見で麻生太郎首相の高級ホテルのバー通いを「喫茶店でお茶を飲むのに毛の生えたような話」と語ったことに不快感を示した。
鳩山兄弟は政界で屈指の資産家だ。弟の発言による自身のイメージダウンを恐れたのか、由紀夫氏は「首相が行くのは超一流ホテルのバーで、庶民感覚からすれば安いとはいえない。こういう発言は弟にも慎んでもらいたい」とおかんむりだった。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081024/stt0810241823009-n1.htm
そもそも階級が違うというお話。しかし、現内閣で第一位の資産家(鳩山総務相)が第二位の資産家(麻生首相)を庇うというのも、何ともまあ分かりやすい階級政治ではある。
「ホテルのバーっていうのは、別にどなたも来ていますから」というのは麻生首相の弁だが、そうした場所に来られない貧乏人は首相の目には映っていないということになる。
まあでも、バーに通うのはたとえ首相であれ自由なわけで、「高いというのはイメージが違う」などと取り繕わずに開き直ればいいだけだと思うのだけど。
etikedo : 階級
イランのフェミニズム
イランのフェミニズム関連メモ。
・2005年国際女性デイ、テヘランで野外の大衆集会。著名なペルシャ詩人シーミーン・ベフバハーニー(Simin Beh'bahāni)も合流。動画に見られる女性たちの毅然とした姿に感銘を受ける……使われている楽曲は何でしょう?
・2006年6月15日、男女平等を求めるデモで弾圧。70名逮捕、5名起訴。
・2007年3月4日、テヘランの女性デイ記念集会で33名弾圧。8日の集会は警察に強制解散させられる。
以上、主催は「女たちの広場」(Meydaan, Woman’s Field)。ミーダーン(広場)は「石打ち刑の永久廃絶を求めるキャンペーン」などを果敢に進める女性団体。大衆的な運動で知られる。
その他、イランには弁護士シーリーン・エバーディー(Širin Ebâdi)が、女性、子供、アフガン難民の人権擁護のために活動している。1975年イラン初の女性裁判官となるも79年イラン革命で失職。現テヘラン大法学教授。2003年10月ノーベル平和賞受賞。ムスリマ、イラン人として最初の受賞者。「子供の権利擁護協会」(SPARC)、「人権擁護活動者センター」(DHRC)の創設メンバー。
※ムスリマは女性形。言葉の性区別にしたがうとこの表記になる。
-> イスラームのフェミニズム関連のメモ
・2005年国際女性デイ、テヘランで野外の大衆集会。著名なペルシャ詩人シーミーン・ベフバハーニー(Simin Beh'bahāni)も合流。動画に見られる女性たちの毅然とした姿に感銘を受ける……使われている楽曲は何でしょう?
・2006年6月15日、男女平等を求めるデモで弾圧。70名逮捕、5名起訴。
・2007年3月4日、テヘランの女性デイ記念集会で33名弾圧。8日の集会は警察に強制解散させられる。
以上、主催は「女たちの広場」(Meydaan, Woman’s Field)。ミーダーン(広場)は「石打ち刑の永久廃絶を求めるキャンペーン」などを果敢に進める女性団体。大衆的な運動で知られる。
その他、イランには弁護士シーリーン・エバーディー(Širin Ebâdi)が、女性、子供、アフガン難民の人権擁護のために活動している。1975年イラン初の女性裁判官となるも79年イラン革命で失職。現テヘラン大法学教授。2003年10月ノーベル平和賞受賞。ムスリマ、イラン人として最初の受賞者。「子供の権利擁護協会」(SPARC)、「人権擁護活動者センター」(DHRC)の創設メンバー。
※ムスリマは女性形。言葉の性区別にしたがうとこの表記になる。
-> イスラームのフェミニズム関連のメモ
etikedo : フェミニズム
労働者の歌 後藤謙太郎
労働者の歌
後藤謙太郎
労働者は労働□故に叛×す、
理論を止めろ、
この現実を見ろ
血は血を、
□□□□□□□□□□□、
戦闘労働者の□□□□□□□
無産者ぞ、わけて戦闘労働者ぞ
怯ゆるものか、過激法案
尊ぶはたゞ労働者の行動ぞ、
インテレゲンチヤの理論を葬れ
葬れよ、インテレゲンチヤを葬れよ、
わけて日本のインテレゲンチヤを!
ラフエルを葬れ、靴工を尊べ、
社会は工場ぞ、大なる工場ぞ
暴力、暴力、暴力なるかな、
彼等に□□□暴力は正義ぞ
□□□□□□□あらず、どん底の、
俺の生れし労働階級
黙々と鉄窓の下に坐する夜の、
その感激に今宵も生かしめ
かゝる日ぞ、□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□
遺稿集『労働放浪監獄より』(後藤謙太郎遺稿集刊行会、1926)に収録
後藤謙太郎
1895年熊本県日奈久生まれ、渡りの炭坑労働者、人足などとして各地を放浪。アナキスト系の放浪詩人として作品を残す。19922年6〜7月に石田正治、大串孝之助らとともに反軍ビラを頒布し「軍隊宣伝事件」として24年7月懲役一年の判決を受け、巣鴨刑務所に下獄。外部交通を遮断された末、25年1月20日獄中縊死。
後藤謙太郎
労働者は労働□故に叛×す、
理論を止めろ、
この現実を見ろ
血は血を、
□□□□□□□□□□□、
戦闘労働者の□□□□□□□
無産者ぞ、わけて戦闘労働者ぞ
怯ゆるものか、過激法案
尊ぶはたゞ労働者の行動ぞ、
インテレゲンチヤの理論を葬れ
葬れよ、インテレゲンチヤを葬れよ、
わけて日本のインテレゲンチヤを!
ラフエルを葬れ、靴工を尊べ、
社会は工場ぞ、大なる工場ぞ
暴力、暴力、暴力なるかな、
彼等に□□□暴力は正義ぞ
□□□□□□□あらず、どん底の、
俺の生れし労働階級
黙々と鉄窓の下に坐する夜の、
その感激に今宵も生かしめ
かゝる日ぞ、□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□
(巣鴨精神病院にて、二、二〇夜)
『労働者』1923.6.7 掲載
『労働者』1923.6.7 掲載
遺稿集『労働放浪監獄より』(後藤謙太郎遺稿集刊行会、1926)に収録
後藤謙太郎
1895年熊本県日奈久生まれ、渡りの炭坑労働者、人足などとして各地を放浪。アナキスト系の放浪詩人として作品を残す。19922年6〜7月に石田正治、大串孝之助らとともに反軍ビラを頒布し「軍隊宣伝事件」として24年7月懲役一年の判決を受け、巣鴨刑務所に下獄。外部交通を遮断された末、25年1月20日獄中縊死。
全日本自由労働組合第九回定期大会「喰わせろ」
------ 転載 ------
全日本自由労働組合第九回定期大会
闘争方針
(1)生活を守る闘い
イ、最低生活保障給獲得の闘い
最低生活保障給の考え方は一言でいえば「喰わせろ」の考え方です。私たちは昨年までは、労働者階級の一員として最低生活を保障する最低賃金法の制定を目標に、賃金闘争を組んできました。しかしいま私たちはここで過去の闘いの点検の中から、私たちの闘いが「反失業、食わせろ、職よこせ」に発展せずいつの場合も賃金闘争に解消してしまった数多くの欠陥を、賃金闘争自体の中から発見したのです。それは従来私どもの性格と任務があいまいにされていた点も大きく禍わいしたのですが、労働者階級としては最も正しい要求である筈の最低賃金制確立に対する理解の仕方が、私どもにとって、失業者としての闘いを解消する役目を持っていたのです。即ち賃金(労働の対価)という考え方から来る監督に対するヘツライ、格付賃金による腕くらべ的競争心理、というものが私たちを現場の 中へしばりつけ、〔食わせろ〕の方向を見失う結果になりがちであったのです。
現在の政府は私たちを決して失業者とは見ておりません。生かさず殺さず、生活保護程度以下の金でしばりつけ、人なみの土方仕事を強せいし、すずしい顔で失業者を定職化してしまったようなつもりになっているのです。また一般の会社や工場の労働者も、三千円〜四、五千円程度のはした金で(近江絹糸はよい例)一人前の労働者扱でしぼりとっているのですが、普通からいえば、最低生活も保証されないこの人たちは、半失業者と見るべきものです。いくらかでも金をあたえて、雇っておれば失業者でないなどとは、とんでもないことです。ですから私たちはこの一年間、先ず食わせろ、職よこせにすべての要求を結びつけて闘わない限り、私どもの生活を守る闘いの前進はありえないと思うのです。このような訳で最低生活保障給獲得の闘いは総ての闘いのテコになるものです。また労働者的連帯の上では、最低賃金制確立の闘いと結びついて闘われるものなのです。しかし私たちにとっては社会保障制度の闘いの一環として、「すベての失業者に食えるだけの手当を出せ」に大きく発展する闘いなのです。このような意味をもつものとして、失業者は勿論、その家族もまた当然、生活は保障されねばなりません。
こうした観点に立って私たちは当面の要求を
最低生活保障給八、〇〇〇円(一カ月失業者一人につ)
一、〇〇〇円(家族一人につき)
と決めました。
一、賃金一律五〇円引上げの闘い
私たちは私たちの最低生活保障給を目標として決めましたが、現在のいろいろの事情、例えば、民間賃金が安い、現場の中の格付給、外では市民層、農民層のこれに対する理解の点等があり、直ちに私たち全部が、これ一本にまとまり闘いをくむところまでにはいたりません。
当面はやはり現場の中で全員が話し合い、よく理解しあって決め、そしてそれが市民にも、農民にも支持され、直に行動に移れる要求が必要なのです。つまり統一要求というものがこれなのです。要求を一つ一つ闘い取るなかから、最低生活保障給へ高めてゆくのです。そのためには私たちはすでに当面五〇円一律引上げを決めております。これは格付賃金を打ち破る一つの基本にもなり、現場の中のおじさん、おばさんも一致して闘える条件をもつのです。ですから闘い方としては、何よりも現場の中の話し合い運動から出発しなければなりません。そしてこの闘いはアブレ、首切りの闘いと結びつき守勢から攻勢に転ずる転機となるものです。
二、予算単価完全支払いの闘い
一律五〇円値上げの闘いは、政府に対しワク増せの闘いですが、予算単価の闘いはワク内の闘いです。つまり現在の地方自治体(市町村)は、政府から必要な失対予算を取りながら、これをごまかしてワク一ぱいを登録された人たちに支払わないところからきているのです。こういう自治体が多いということは、政府の出している全国平均予算単価の二八三円が額面通り支払われずに、私たちだけが馬鹿を見ているのです。
自治体の考えとしては、単価をへらして全体のワクを増やそうとしたり、事務費の方へまわしたり、カントクにワクを使おうとしたり、これをごまかすため、格付操作で私たちの目をくらまそうとしております。私たちはこれと闘うために、先ずワクの完全公開を要求しなければなりません。
こうして闘いとったワクはどのように使用されるか、平均就労日数確保の条件と共に、私たちで組織的にかん視してゆく必要があります。現在私たちの中心的力とならなければならない東京のなかまは、東京都庁(労働局)のテッテイしたワクの非公開政策を打ち破ることができずに苦しんでいるのと反対に、神奈川のなかまはテッテイして公開を闘いとり、年間予算が一円でもあまればそれも全部はき出さしているのです。
三、格付賃金打破の闘い
これから私たちの生活を守ってゆくために、格付賃金とどのような関係があるのか明らかにしてみたいと思います。ここで問題になるのはほかのことと違い、格付反対の闘いはこのままでは闘いにならないのです。なぜならば私たちのなかには、格付賃金に満足し喜んでおる人もいるでしょう。喜んでいなくてもあった方がよいと考えている人もかなりいるからなのです。会社や工場の中で働いた経験のある人は良く知っているでしょう。課長や係長、班長がばかにいばりちらし、下のものは自分の口や家族のくらしのことを考えて、いつもヘイヘイと働いてきたことを。この制度の底にあるものは働かないものはドンドン首を切ってしまい、何んにも文句を云わずヘイヘイと働くものには昇給もし、格も上げてやろうという資本家一流のあくどい考え方からきているのです。つまりこういう仕組みが職階制というのですが、現在のような賃金ストップの苦しいなかでも、賃金は上げないが定期昇給はしてやると、資本家どもはいっているのです。しかしこのような考え方は資本家だけのものではなく、資本家をふくめた政府全体の考え方になり、労働省がその先頭になって資本家の利益を守っているのです。
ここで私どもの現場の中を見てみましょう。格付賃金制度がしかれてから労働強化がはげしくなり、少しでも余計な賃金がほしさに、無理な仕事を我まんしてやったため、身体をこわし病気に倒れ、また死んでいった人も数多くあります。またこのためなかま同志のけんか、いがみ合い、競争がはげしくなってきたことも特徴です。またカントクが馬鹿にいばり出し、自分の気にくわないものは就労拒否をしたり、婦人に対しては貞操まで提供させたり、その罪悪は数知れません。こんな現場のありさまでは、私たちの生活を守るための闘いが上に向かないで、なかま同志の争いという形に終りがちになるのです。つまり男と女の間 の対立となり、AとCという階級の対立となっているのです。この場合Aの階級はすでに格付賃金反対の闘い、本質的には生活を守る闘いの戦列から落伍しているのです。格付賃金はこのようにして私たちの食わせろに結集して闘う力を、分裂させ、ドレイにしばりつける敵の最大の武器であることを知らねばなりません。私たちはこれとの闘いをなくしては外のどのような闘いも満足には闘いとれないでしょう。労働省も格付賃金制度だけでは、他のどんなことをゆずっても、一歩もゆずれないとは、度々の交渉でいっております。
今後の見通しはMSA態勢がますま強化されるつれ、カントクの暴力化、時間延長、新しい失業者との首のすげ替え、失対現場の打切り、査察制度の一層の強化などの一連の政策がさらに私たちにのしかかってくるのは明らかなのですから、これらの闘いの基本になるこの闘いを忘れて、ほかのすベての闘いはありえないのです。では次にどのように闘いを進めてゆくのでしょうか。目標はもちろん格付賃金の全廃でなければなりません。現場の中での討議や、話し合いや、あらゆる機会に、格付賃金の本質を語り、その矛盾を暴露し、全体の意識を反格付の方向へ向け直すことが第一番に必要なことでしょう。こうして具体的には賃金闘争と結びついて闘われなければなりません。「食わせろ」、「一率に上げろ」がなかまの間にある格付を認めようとする考え方を少しでも直してゆく力となるでしょう。こうして現在の格付を圧縮し、先ず一段階でも縮めることに成功しなければなりません。つぎにこの闘いの手段となるものは現場の自主管理の方向です。カントク支配の強い現場からはこの闘いは組めないからです。自主的に労働規律をつくり出し、作業配置までも闘いとった現場では、格付のモデルといわれる東京でさえ一部ではあるが、賃金を現場でプールし、または輪番にし、事実上格付を無いものにしてしまってきているのです。この芽をさらに大きくするために、闘いを孤立させず第二、第三組合とも統一行動を組み、逆に職制(カントク)を孤立させる方向へ進めてゆくことが大切です。
四、実質賃金獲得の闘い
実質賃金闘争はいろいろの形、内容で私たちの生活内容を高めてゆくためのものです。ですからこの闘いは地域の商人や居住の市民とも結合し、また生活保護を受けている人や病気の人たちの要求も積極的に取り上げ、ハバ広い地域共闘の上に闘わなければならないのです。また私たち同志でも助け合い運動の方向として、少しでも生活をらくにするために福利厚生活動を活発にしてゆく必要があるのです。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/28/rn1956-544.html
金融不安定性仮説
仮説が実証されたのか?──資本主義(金融市場資本主義って同義反復的だが)は本質的に不安定性を内包すると主張し(金融不安定性仮説 Financial Instability Hypothesis)、シカゴ学派の隆盛によって忘れられていた経済学者ハイマン・フィリップ・ミンスキー(Hyman Philip Minsky, 1919-1996)の再評価という動き──の今さらメモ。
- Simon Wilson, Hyman Minsky: Why Is The Economist Suddenly Popular?
- When fortune frowned, The Economist
- Justin Lahart, In Time of Tumult, Obscure Economist Gains Currency
- ポール・マカリー「プランクトン理論とミンスキーの邂逅」
- マーティン・ウルフ「金融危機は、暗い部屋にいるゾウのように」
- 佐賀卓雄「サブプライム問題とミンスキー・モメント」 PDF
金融機関の安全性クッション(margin/cushon of safety)を欠いた住宅モーゲイジ貸付に端を発した混乱はまさに信用サイクルのメルトダウンであり(Minsky moment にあたる)、金融危機が国際的に拡大した現在、中央銀行が銀行を救済する段階にさしかかっている。しかし危機の協奏曲はどこまで続くのか。
ミンスキーはしばしば radical Keynesian, post Keynesian と評され、邦訳書として以下がある。
『金融不安定性の経済学—歴史・理論・政策』(多賀出版)
『ケインズ理論とは何か—市場経済の金融的不安定性』(岩波書店)
『投資と金融—資本主義経済の不安定性』(日本経済評論社)
その他原著情報などについては THE HISTORY OF ECONOMIC THOUGHT WEBSITE での紹介へ。
- Simon Wilson, Hyman Minsky: Why Is The Economist Suddenly Popular?
- When fortune frowned, The Economist
- Justin Lahart, In Time of Tumult, Obscure Economist Gains Currency
- ポール・マカリー「プランクトン理論とミンスキーの邂逅」
- マーティン・ウルフ「金融危機は、暗い部屋にいるゾウのように」
- 佐賀卓雄「サブプライム問題とミンスキー・モメント」 PDF
金融機関の安全性クッション(margin/cushon of safety)を欠いた住宅モーゲイジ貸付に端を発した混乱はまさに信用サイクルのメルトダウンであり(Minsky moment にあたる)、金融危機が国際的に拡大した現在、中央銀行が銀行を救済する段階にさしかかっている。しかし危機の協奏曲はどこまで続くのか。
ミンスキーはしばしば radical Keynesian, post Keynesian と評され、邦訳書として以下がある。
『金融不安定性の経済学—歴史・理論・政策』(多賀出版)
『ケインズ理論とは何か—市場経済の金融的不安定性』(岩波書店)
『投資と金融—資本主義経済の不安定性』(日本経済評論社)
その他原著情報などについては THE HISTORY OF ECONOMIC THOUGHT WEBSITE での紹介へ。
現代のドヤ、拡散する寄せ場
石原慎太郎都知事が3日の定例会見で、「ネットカフェ難民」を問題として騒ぐなとの所論の根拠として、同喫茶店より相場の安い宿があるとして山谷地域の簡易宿泊所をあげた。相場は「200〜300円」などとする現状を無視した発言が問題となり、風評の観点から台東区長・区議会議長らが抗議する事態となっている。
山谷地区にある安宿の相場の実相はといえば、桁が一つ多く、2000〜3000円台が中心的な価格帯だ。現在の東京で最も格安の宿といえば、おそらく一部屋に二段ベッドを詰め込んだドミトリータイプのレストハウス(レストボックス)で、相場は1000円台である。
簡易宿泊所とは何か。木賃宿、俗にいう「ドヤ」(宿の逆語)である。山谷がかつてドヤ街と呼ばれたのは、人足を日雇いで「売り買い」する寄せ場が山谷にあり、日雇い労働者の投宿をあてにするこれらドヤもまた密集して存在してきたからだ。漫画「あしたのジョー」の細民街の描写は、これが元になっている。なお、職安、寄せ場(飯場)、安宿の密接という街の情景は戦前からのものである。
寄せ場にまわされる仕事が激減している昨今、とうに溢れた日雇い労働者はドヤの主要な客ではなくなっている。いや、かつての日雇い労働者で、高齢化に伴い運良く生活保護を確保できた人間が最も多い。西澤晃彦によれば、97年現在でドヤ宿泊者の過半数がこれらの人々である。しかし宿泊所を経営する側は生き残りをかけて「一般客」の呼び込みを課題としており、ウェブサイトを持つ宿はかつての木賃宿のイメージを払拭させ、新たなユーザを想定した案内を出している(もちろん従来タイプの宿もまだまだ多い)。実際、バックパッカーや、ビジネスホテル代わりに使う人たちも増えている。山谷では投宿先を探す「外人」をちらほらと見かける。山谷の地名が抹消されたのは住居表示制度が実施された1966年だが、バブル崩壊や経済構造の変化の影響もあり、いまや実体的にも山谷はかつての山谷ではなくなっているのだ。
かつてドヤの圧倒的利用者であった日雇いのセンパイたちはどこに行ったのか。その多くが生保受給者としての長期宿泊者になっただけではない。ある者は各地の飯場へと移動し、またある者は野宿へと向かうこととなった(向かわざるをえない事情があった)。隅田川沿いのテント・小屋掛けの集団野営を、人は知るだろうか。隅田川沿いに限らないが、これらテント・小屋はセンパイたちの住処である。日本経済の高度成長期を底辺で支えた彼らは、山谷周辺で野宿者となっているのである。高齢化しつつある寄せ場の日雇い労働者は(山谷労働者福祉会館によれば山谷では50歳代後半という)、仕事を失えばすぐに路上に放逐される状況にあるため、労働力「市場」の変化とともに寄せ場周縁で「見えない存在」へと転化せざるをえない。それに流動・転出先は寄せ場近隣に限られるものではなく、都区部の各盛り場もあげられるだろう。盛り場ではそれだけ「エサ」場も多くなるからである。新宿・渋谷・池袋等々──、しかし彼らが存在するのは都市の陰の領域だ。多くの人が気付かないし、気にもとめない。
東京都下には野宿者(野宿労働者)が集住するコミュニティが存在している。しかし集団的な野宿は、実際に「地域住民」としてでなければ見えないものだ。「少年がホームレスを襲撃した」などの陰惨な事件報道などでようやく知る・思い起こす人の方が圧倒的だろう。こうした状況は、野宿者をやっかいもの扱いし、迷惑視する「市民」の態度に支えられて成立する。野宿者は現に生きているのに、見えないものとされているのである。今回、抗議者として登場した台東区にしても、隅田川沿いなどの集団的な野宿者に対しては排除・「新規流入」阻止の執達吏でしかない。役人を支えるのは正当化された「迷惑」の論理である。だから彼らは「街のイメージ論」しか語ることができない。
話をもう一度、ネットカフェとドヤに戻そう。石原都知事は、山谷のドヤを利用しないネットカフェの客はぜいたくなのだと筋立てたかったのだろうが、そもそもネットカフェじたいが簡易宿泊という機能を提供している以上、それらカフェ宿が否が応でも現代のドヤとなる状況をまったく理解していないと言える。
「ネットカフェ難民」の主役は若手の日雇い労働者だ。彼・彼女たちはスポット派遣企業に登録して日雇いの仕事をえるというギリギリの暮らしをしている。日払いのデヅラ(賃金)しかあてにできない人にしてみれば、月極の清算となる通常の賃貸住居という住処の確保はおぼつかない。日雇いは月単位でものごとを進めることが困難だ。だからこそ宿泊可能なネットカフェや漫画喫茶は、レストハウスなどと並んで現代のドヤたりうるのである。
また、現代の日雇い派遣労働で活計を手にするものにとって、コスト以外の面からいっても山谷という東京東部の一地区に納まるのは現実的ではない。仕事を毎日獲得できる保証もなく、派遣される先も様々という状況がかつての寄せ場と類似していたとしても、現代の手配師たる派遣業者は山谷には集中していないからだ。スポット派遣企業は、都区部の沿線各所に営業拠点を持っている。仕事も分散している。寄せ場のように手配師が職安付近の一地域に群がっていれば、求職の場と居住する場は重なっていた方が何かと都合がよいはずだが、現代の日雇い派遣は、ドヤの簇生と労働者どうしの交流という地縁の外延的形成を提供する機能を持たない。都区部各所のネットカフェなどが宿として利用されるのは、そうした事情にもよっている。
つまり「ネットカフェ難民」とは、寄せ場が都市社会全体に拡散してきた──〈寄せ場の社会化〉とでもいうべき状況の産物にほかならない。グッドウィルが日雇い派遣業を廃業し、フルキャストもまた撤退しようというこんにちにおいても、流動化(「柔軟化」)する雇用・労働の状況は基本的に変わらないと思われる。「雇用の安全弁」として都合のいい存在を、強大な経営者団体が要求し続けているからである。労働社会・労働力「市場」と、雇用の需給を補完する福祉の在りようを変革しなければ、「難民」は確実に増え続けるだろう。
山谷地区にある安宿の相場の実相はといえば、桁が一つ多く、2000〜3000円台が中心的な価格帯だ。現在の東京で最も格安の宿といえば、おそらく一部屋に二段ベッドを詰め込んだドミトリータイプのレストハウス(レストボックス)で、相場は1000円台である。
簡易宿泊所とは何か。木賃宿、俗にいう「ドヤ」(宿の逆語)である。山谷がかつてドヤ街と呼ばれたのは、人足を日雇いで「売り買い」する寄せ場が山谷にあり、日雇い労働者の投宿をあてにするこれらドヤもまた密集して存在してきたからだ。漫画「あしたのジョー」の細民街の描写は、これが元になっている。なお、職安、寄せ場(飯場)、安宿の密接という街の情景は戦前からのものである。
寄せ場にまわされる仕事が激減している昨今、とうに溢れた日雇い労働者はドヤの主要な客ではなくなっている。いや、かつての日雇い労働者で、高齢化に伴い運良く生活保護を確保できた人間が最も多い。西澤晃彦によれば、97年現在でドヤ宿泊者の過半数がこれらの人々である。しかし宿泊所を経営する側は生き残りをかけて「一般客」の呼び込みを課題としており、ウェブサイトを持つ宿はかつての木賃宿のイメージを払拭させ、新たなユーザを想定した案内を出している(もちろん従来タイプの宿もまだまだ多い)。実際、バックパッカーや、ビジネスホテル代わりに使う人たちも増えている。山谷では投宿先を探す「外人」をちらほらと見かける。山谷の地名が抹消されたのは住居表示制度が実施された1966年だが、バブル崩壊や経済構造の変化の影響もあり、いまや実体的にも山谷はかつての山谷ではなくなっているのだ。
かつてドヤの圧倒的利用者であった日雇いのセンパイたちはどこに行ったのか。その多くが生保受給者としての長期宿泊者になっただけではない。ある者は各地の飯場へと移動し、またある者は野宿へと向かうこととなった(向かわざるをえない事情があった)。隅田川沿いのテント・小屋掛けの集団野営を、人は知るだろうか。隅田川沿いに限らないが、これらテント・小屋はセンパイたちの住処である。日本経済の高度成長期を底辺で支えた彼らは、山谷周辺で野宿者となっているのである。高齢化しつつある寄せ場の日雇い労働者は(山谷労働者福祉会館によれば山谷では50歳代後半という)、仕事を失えばすぐに路上に放逐される状況にあるため、労働力「市場」の変化とともに寄せ場周縁で「見えない存在」へと転化せざるをえない。それに流動・転出先は寄せ場近隣に限られるものではなく、都区部の各盛り場もあげられるだろう。盛り場ではそれだけ「エサ」場も多くなるからである。新宿・渋谷・池袋等々──、しかし彼らが存在するのは都市の陰の領域だ。多くの人が気付かないし、気にもとめない。
東京都下には野宿者(野宿労働者)が集住するコミュニティが存在している。しかし集団的な野宿は、実際に「地域住民」としてでなければ見えないものだ。「少年がホームレスを襲撃した」などの陰惨な事件報道などでようやく知る・思い起こす人の方が圧倒的だろう。こうした状況は、野宿者をやっかいもの扱いし、迷惑視する「市民」の態度に支えられて成立する。野宿者は現に生きているのに、見えないものとされているのである。今回、抗議者として登場した台東区にしても、隅田川沿いなどの集団的な野宿者に対しては排除・「新規流入」阻止の執達吏でしかない。役人を支えるのは正当化された「迷惑」の論理である。だから彼らは「街のイメージ論」しか語ることができない。
話をもう一度、ネットカフェとドヤに戻そう。石原都知事は、山谷のドヤを利用しないネットカフェの客はぜいたくなのだと筋立てたかったのだろうが、そもそもネットカフェじたいが簡易宿泊という機能を提供している以上、それらカフェ宿が否が応でも現代のドヤとなる状況をまったく理解していないと言える。
「ネットカフェ難民」の主役は若手の日雇い労働者だ。彼・彼女たちはスポット派遣企業に登録して日雇いの仕事をえるというギリギリの暮らしをしている。日払いのデヅラ(賃金)しかあてにできない人にしてみれば、月極の清算となる通常の賃貸住居という住処の確保はおぼつかない。日雇いは月単位でものごとを進めることが困難だ。だからこそ宿泊可能なネットカフェや漫画喫茶は、レストハウスなどと並んで現代のドヤたりうるのである。
また、現代の日雇い派遣労働で活計を手にするものにとって、コスト以外の面からいっても山谷という東京東部の一地区に納まるのは現実的ではない。仕事を毎日獲得できる保証もなく、派遣される先も様々という状況がかつての寄せ場と類似していたとしても、現代の手配師たる派遣業者は山谷には集中していないからだ。スポット派遣企業は、都区部の沿線各所に営業拠点を持っている。仕事も分散している。寄せ場のように手配師が職安付近の一地域に群がっていれば、求職の場と居住する場は重なっていた方が何かと都合がよいはずだが、現代の日雇い派遣は、ドヤの簇生と労働者どうしの交流という地縁の外延的形成を提供する機能を持たない。都区部各所のネットカフェなどが宿として利用されるのは、そうした事情にもよっている。
つまり「ネットカフェ難民」とは、寄せ場が都市社会全体に拡散してきた──〈寄せ場の社会化〉とでもいうべき状況の産物にほかならない。グッドウィルが日雇い派遣業を廃業し、フルキャストもまた撤退しようというこんにちにおいても、流動化(「柔軟化」)する雇用・労働の状況は基本的に変わらないと思われる。「雇用の安全弁」として都合のいい存在を、強大な経営者団体が要求し続けているからである。労働社会・労働力「市場」と、雇用の需給を補完する福祉の在りようを変革しなければ、「難民」は確実に増え続けるだろう。
菊岡久利
菊岡久利 きくおか・くり
1909.3.8〜1970.4.22 詩人・小説家。「本名」・高木陸奥男(むつお)。別号・鷹樹寿之介。青森県弘前市生れ。第一外語露語科卒。若くしてアナキストの運動に合流。
青森県近代文学館によれば、弘前に生まれ、母方の実家のある秋田県の小学校に入学とある。以下、同文学館から。
・小学校卒業後上京、海城中入学→中退、黄瀛・尾崎喜八・宮崎丈二らと詩誌『海』出す
・1925年 秋田・小坂鉱山大争議に参加
・1930年11月 『弾道』に農本主義批判を書く。
・1935年 岡本潤と詩誌『反対』主宰
・1936年 武田鱗太郎主宰の『人民文庫』に詩を寄せる。日本無政府共産党事件被疑者として勾留中、友人の支援で詩集『貧時交』発行。
・1938年 大井廣介主宰『槐』(えんじゅ)の創刊同人となる(40年『現代文学』改題)
・戦時中に転向し、頭山秀三門下となる
・1947年 高見順、池田克巳らと『日本未来派』創刊
無共党での弾圧はとばっちりと思われる。『槐』は『人民文庫』廃刊後に残党が興したもの。アナキスト系のプロレタリア文学運動から、ボルシェヴィキに近い『人民文庫』『槐』へというシフトは、堀田昇一の軌跡と重なるものがある。
菊岡の転向の経緯は不明。また戦後の『日本未来派』にはどのような立場から参加したかも要調査か。しかしとにかく詩「貧時交」を見ると詩集が欲しくなる。ただいま素寒貧なので、手にするのは先のことになるだろうけれど。
cf.
- 青森県近代文学館 菊岡久利 作家解説/プロフィール
- 卞宰洙〈朝鮮と日本の詩人-68-〉 菊岡久利
- 【青森県近代文学の名品】Vol.24 菊岡久利 色紙「りんご」
- 【青森県近代文学の名品】Vol.64 菊岡久利 短冊「師横光利一 嗚呼薨去す 光、影、柩車ゆく 久利」
- 菊岡京子『谷の風』
菊岡京子(きくおか・きょうこ)
本名、高木京子。大正10年3月父鈴木喜平、母ヤスの次女として東京日本橋に生まれる。昭和3年東京市立坂本小学校に入学。昭和12年精華女学校を卒業。昭和22年詩人菊岡久利と結婚。東京都中野区に住む。昭和25年鎌倉市佐助に転居。昭和26年長女ノンコ誕生。昭和35年次女エシノ誕生。昭和45年菊岡久利死去。その少し前に鎌倉小町通りに和紙専門店「社頭(しゃとう)」開店。平成13年次女エシノに社頭経営をゆずり現在に至る。(「BOOK」データベース)
1909.3.8〜1970.4.22 詩人・小説家。「本名」・高木陸奥男(むつお)。別号・鷹樹寿之介。青森県弘前市生れ。第一外語露語科卒。若くしてアナキストの運動に合流。
青森県近代文学館によれば、弘前に生まれ、母方の実家のある秋田県の小学校に入学とある。以下、同文学館から。
・小学校卒業後上京、海城中入学→中退、黄瀛・尾崎喜八・宮崎丈二らと詩誌『海』出す
・1925年 秋田・小坂鉱山大争議に参加
・1930年11月 『弾道』に農本主義批判を書く。
・1935年 岡本潤と詩誌『反対』主宰
・1936年 武田鱗太郎主宰の『人民文庫』に詩を寄せる。日本無政府共産党事件被疑者として勾留中、友人の支援で詩集『貧時交』発行。
・1938年 大井廣介主宰『槐』(えんじゅ)の創刊同人となる(40年『現代文学』改題)
・戦時中に転向し、頭山秀三門下となる
・1947年 高見順、池田克巳らと『日本未来派』創刊
無共党での弾圧はとばっちりと思われる。『槐』は『人民文庫』廃刊後に残党が興したもの。アナキスト系のプロレタリア文学運動から、ボルシェヴィキに近い『人民文庫』『槐』へというシフトは、堀田昇一の軌跡と重なるものがある。
※堀田は熊本県天草出身で、上京後の20年代は全国自連派の黒色自由労働組合にいたことがある。黒色自由は東京南部を活動範囲とした立ちん坊(日雇い労働者)の労組で、ボル派との抗争を繰り返した。堀田はその後、ナップなどボル系プロ文へ移行。
菊岡の転向の経緯は不明。また戦後の『日本未来派』にはどのような立場から参加したかも要調査か。しかしとにかく詩「貧時交」を見ると詩集が欲しくなる。ただいま素寒貧なので、手にするのは先のことになるだろうけれど。
cf.
- 青森県近代文学館 菊岡久利 作家解説/プロフィール
- 卞宰洙〈朝鮮と日本の詩人-68-〉 菊岡久利
- 【青森県近代文学の名品】Vol.24 菊岡久利 色紙「りんご」
- 【青森県近代文学の名品】Vol.64 菊岡久利 短冊「師横光利一 嗚呼薨去す 光、影、柩車ゆく 久利」
- 菊岡京子『谷の風』
菊岡京子(きくおか・きょうこ)
本名、高木京子。大正10年3月父鈴木喜平、母ヤスの次女として東京日本橋に生まれる。昭和3年東京市立坂本小学校に入学。昭和12年精華女学校を卒業。昭和22年詩人菊岡久利と結婚。東京都中野区に住む。昭和25年鎌倉市佐助に転居。昭和26年長女ノンコ誕生。昭和35年次女エシノ誕生。昭和45年菊岡久利死去。その少し前に鎌倉小町通りに和紙専門店「社頭(しゃとう)」開店。平成13年次女エシノに社頭経営をゆずり現在に至る。(「BOOK」データベース)
etikedo : アナキスト
オアハカでの虐殺
オアハカ州。メヒコ最貧地域。インディヘナの自治運動が虐殺という支配者の返礼に見舞われる地域。そこでまた「外人」が殺された。
インディメディアのジャーナリスト Brad Will がオアハカ州で虐殺されたのは2006年10月27日。そして08年9月24日、USユージーン出身のフェミニスト Marcella “Sali” Grace Eiler の他殺体が発見された。痛ましいことに、状況から見てレイプされたあげくに虐殺されたとのこと。
- Justice for our sister Marcella Sali Grace! オリジナル・カスティージャ語版
- Hasta Siempre Sally Grace: Another US Activist Murdered in Oaxaca
- March for Sali in Oaxaca 9月30日のマーチ
- Flicker に残された Sali の手によるオアハカの写真
- sali - pictures 友人によるメモリアルサイト
オアハカには(も)制度的革命党の意を受けた準軍組織が存在しており、ファシスト民兵が自治運動を弾圧する「汚い仕事」を請け負っている。オアハカにおける自由を求める闘いは、即ち死を覚悟してのものとなる。
無論、オアハカで殺されるのは「外人」だけではない。燎原の火のように広がる自治運動に恐怖する州政府によって、激しい弾圧が繰り返されてきた。いったいどれだけ多くの人々が殺されてきた/いるのか。APPOによれば、06年の衝突以来、同年11月時点で犠牲者17名、行方不明者70名を数えた。厳しい状況については以下参照。
- メキシコ・ワハーカで起きていること
- メヒコ:オアハカのアナキスト囚人に自由を!
オアハカの自治運動体など
- APPO オアハカ人民民衆集会(先住民団体、農民団体、労組などの連合組織)
- CIPO-RFM オアハカ・インディヘナ民衆評議会「リカルド・フローレス・マゴーン」
- ¡Oaxaca en Pie de Lucha!
インディメディアのジャーナリスト Brad Will がオアハカ州で虐殺されたのは2006年10月27日。そして08年9月24日、USユージーン出身のフェミニスト Marcella “Sali” Grace Eiler の他殺体が発見された。痛ましいことに、状況から見てレイプされたあげくに虐殺されたとのこと。
- Justice for our sister Marcella Sali Grace! オリジナル・カスティージャ語版
- Hasta Siempre Sally Grace: Another US Activist Murdered in Oaxaca
- March for Sali in Oaxaca 9月30日のマーチ
- Flicker に残された Sali の手によるオアハカの写真
- sali - pictures 友人によるメモリアルサイト
オアハカには(も)制度的革命党の意を受けた準軍組織が存在しており、ファシスト民兵が自治運動を弾圧する「汚い仕事」を請け負っている。オアハカにおける自由を求める闘いは、即ち死を覚悟してのものとなる。
無論、オアハカで殺されるのは「外人」だけではない。燎原の火のように広がる自治運動に恐怖する州政府によって、激しい弾圧が繰り返されてきた。いったいどれだけ多くの人々が殺されてきた/いるのか。APPOによれば、06年の衝突以来、同年11月時点で犠牲者17名、行方不明者70名を数えた。厳しい状況については以下参照。
- メキシコ・ワハーカで起きていること
- メヒコ:オアハカのアナキスト囚人に自由を!
オアハカの自治運動体など
- APPO オアハカ人民民衆集会(先住民団体、農民団体、労組などの連合組織)
- CIPO-RFM オアハカ・インディヘナ民衆評議会「リカルド・フローレス・マゴーン」
- ¡Oaxaca en Pie de Lucha!
北米大統領選に伴う転向者と、政党反対者
旧聞。Baby, I'm An Anarchist! と叫んでいた Against Me! が、選挙への参加促進を目的とする団体 Rock the Vote に協力し、わざわざそれ用のミュージッククリップを用意していた(YouTube版)。
自称アナキスト・バンドのブッキングとかで大変な思いをした某君がいうことにゃ、アメリカのアナキストとかいってる連中は素直に信じられない、特に若い奴らは流行でやってんじゃないか……と。Against Me!、同類。
じゃあガチンコのアナキストが大統領選に際してどうしているかというと、民主党・共和党どっちもクソクラエで反対行動を呼びかけてきた(毎回そう)。両党の全国大会は以下のとおり。
共和党全国大会、ミネソタ州セントポール、2008年9月1〜4日
民主党全国大会、コロラド州デンバー、2008年8月24〜28日
で、
8月、デンバー、DNC Disruption 08
9月、セント・ポール、RNC Welcoming Committee
共和党大会迎撃ではやはり何人か逮捕されたのこと(17歳の若手含む)
RNC 08 Arrestee Support 救援組織
Friends of the RNC 8 弾圧の経緯を知るにはここ
その他
・Unconventional Action ポータル的
・Bash Back! トランス&クィアな人たち
・Recreate 68 昔なつかしの人も出ます
・Unconventional Michigan ミシガン
・ACTIVATE ミシガン
・Media Mouse ミシガン 独立メディア
・Crash the Conventions ソーシャリスト系?
・People’s Networking Convention マディソンの対抗集会
Stop! Take some time to think, figure out what’s important to you.serious decision の一つの帰結が、選挙に行けってことらしい。投票するしないは手前勝手に決めりゃいいことで、他人から何か言われることじゃない。「アナキスト」なら、30年代のエスパーニャのように「シリアス」な局面でもせいぜい好きにしなってだけなはず。
You’ve got to make a serious decision.Stop! / Against Me!
自称アナキスト・バンドのブッキングとかで大変な思いをした某君がいうことにゃ、アメリカのアナキストとかいってる連中は素直に信じられない、特に若い奴らは流行でやってんじゃないか……と。Against Me!、同類。
じゃあガチンコのアナキストが大統領選に際してどうしているかというと、民主党・共和党どっちもクソクラエで反対行動を呼びかけてきた(毎回そう)。両党の全国大会は以下のとおり。
共和党全国大会、ミネソタ州セントポール、2008年9月1〜4日
民主党全国大会、コロラド州デンバー、2008年8月24〜28日
で、
8月、デンバー、DNC Disruption 08
9月、セント・ポール、RNC Welcoming Committee
共和党大会迎撃ではやはり何人か逮捕されたのこと(17歳の若手含む)
RNC 08 Arrestee Support 救援組織
Friends of the RNC 8 弾圧の経緯を知るにはここ
その他
・Unconventional Action ポータル的
・Bash Back! トランス&クィアな人たち
・Recreate 68 昔なつかしの人も出ます
・Unconventional Michigan ミシガン
・ACTIVATE ミシガン
・Media Mouse ミシガン 独立メディア
・Crash the Conventions ソーシャリスト系?
・People’s Networking Convention マディソンの対抗集会
針・糸・その他でDIY
備忘的URIs
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Stencil Punks
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