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【転載】不安定な仲間の生活を支える住宅建設へカンパを

2009
02-27
明日というか日付としてはもう今日なんだけど責了にもってかないといけない仕事があるわ、しかも夜も私用でつまってるし、さらに土曜日も客先で仕事。うえー。つーこって Google News 見て寝るべと思いつつ、つい習慣で組合のログをふとみると呼びかけでてんじゃん! 以下転載。
不安定な仲間の生活を支える住宅建設へカンパを

 私達フリーター全般労働組合は不安定な生活を強いられている仲間が安心してくらせる住生活環境を獲得するため、住宅建設「自由と生存の家」(仮称)を開始します。
 現在、国内労働者の約20%が年収200万円以下という生活保護基準ギリギリの生活を強いられていると言われています。私たちフリーター全般労組の組合員の場合、この傾向は更に強まり、年収180万円以下の組合員が全体の約2/3を占めています。年収180万円以下とは月収に換算すると15万円以下で生活するということです。派遣やアルバイトで働き、生保基準ギリギリで働く仲間は病気になっても生活のため仕事を休めず、ちょっとした出来事ですぐに生活保護を受けざるを得ない状況になってしまいます。
 この事実は、年末年始に日比谷公園での「年越し派遣村」の活動などを通じていわゆる「派遣切り」問題で広く知られることとなりました。また、失業と同時に住居を失う「ハウジングプア」問題がクローズアップされ始めました。
 私たちは、どうすれば仲間の生活を底上げし、安心して暮らす環境を獲得出来るかを討議した結果、住宅確保の取り組みを進めことを決断しました。住宅費の負担軽減と生存を支えあう仕組みを持った住居が必要と判断したからです。今回着手している物件は新宿区にあるある駅近くの木造2階建てアパート2棟です。この物件は、先の不動産業者さんの所有で1DK×11部屋、各部屋に風呂・トイレもあり、多少痛みはありますが、少し手を入れれば住める状況にあります。可能な限り自分たち自身の手で片付けや改修作業を行い、不動産業者さんにかなりご協力もいただいて、4月1日開設を目指し「自由と生存の家」(仮称)の開設作業を進めています。
 この住宅事業は単なる宿所提供に留まらない労働・生活相談機能や文化・交流など支え合い機能をも合わせ持つことも考えています。近い将来、同様の住宅を各地で、様々な方々が立ち上げたいと思えるようなモデルケースにしたいと意気込んでいます。
 ただ、本住宅開設には多額のお金が必要です。今は仲間からの出資でなんとか工事を進めている状態ですが、資金不足は否めません私達の趣旨に賛同してくださるみなさんのご協力をお願いします。また、私達の取組みにご協力していただける家主さんも同時に募集していきます。

●振込み口座:ゆうちょ銀行 記号:10250 番号:48022861
名義 自由と生存の家実行委員会

○他金融機関からの振込み:ゆうちょ銀行 店名:〇二八 店番:028 種目:普通預金
口座番号:48022861 名義:自由と生存の家実行委員会

◆お問い合わせ:自由と生存の家実行委員会
〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階
電話/FAX: 03-3373-0180
実行委員会ブログ:http://jyutaku.yunegoro.lovepop.jp/
メールアドレス:freeter.jutaku@gmail.com
貯金なんか全然ねーおれもたしかにハウジングプア予備軍・現ワーキングプア。「年収180万円以下の組合員が全体の約2/3を占めています」のひとり。去年なんか予想もつかないこと(「ちょっとした出来事」?)がいろいろあって下半期ほとんどなんもしねえでこのラインさえかなり割り込んでよく生きのびたよな~ぜいたくしたいという気がぜんぜんないからかな~とか、まあそういう状況で、で、労働しても能率わるいせいか素寒貧(スカンピン……ってまた文語調!)がつづいて今年もたぶん180万(以下)水準ってとこだろう。ぎりぎりだけどそれでも生きてるけどね。けど、まったくスマンことに組合費もずぅぅぅっと滞納してるんで、このままいけば規約にしたがって自動でサヨナラの日も近い。いちおー下部構造再構築がことしのテーマだけど、できなかったらできなかったでまあどうにかするしかないんだけど。どうすんだよ。

そういや年末年始、ひさびさに顔をあわせた兄貴に「おめえ東京で炊き出されてんのかと思ったよ」と笑われた。確実に親が先に死ぬし、ドモリがちな未来しかいまのところ見えてない。no future こそわが未来。ルンペンプロレタリアート・パンク! 違うか。

んなこたーともかく、余裕のある人は住宅部会にカンパしてください。「派遣2009年問題」もいよいよふきあれるだろうし、たのんます。
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skvato

2009
02-26
仕事のあいまにメモ

squat(占拠)はエスペラント語で skvato (substantivo/名詞), skvati (verbo/動詞) と表記する流儀もあるようだ。たしかにスクウォットというのは「うずくまる」から派生した口語なので、kaŭri とすると直訳調だし、これでもいいかという気がする。とすれば squatter は skvatanto になる。ただしこの用例は Androzine のウェップサイトでしかみたことがない。こんな案配。
Skvato, el ‘squat’ = kontraŭleĝe okupata domo aŭ konstruejo
Androzine はフランスの「ゲイ/レズビアン」のファンジン。ほかにも queer -> kvira とかの直訳調単語を紹介してます。通用すんのかな。教えてエスな人。

府中緊急派遣村

2009
02-26
メモ)いわゆる2009年問題がさしせまるなか、たしかに緊急の“村”ですね。府中は東京西部(多摩地域)の「企業城下町」。

首切り職員村の

2009
02-26
「作品」(オカシラ)がうまそう。はらへった。メシ喰って一息つくってのも、ひとつのエクスタシー。がんばれ。

京都大学時間雇用職員組合 Union Extasy の解雇撤回要求の無期限ストライキ、とりあえず三日目の記事にリンク。

挑戦状も、そこにいる人らも、みんなイカス。イキル。職よこせ金よこせ生きる。生きさせろじゃなくて、どっこい生きてます。どうしたって生きるしかないんだから。黙ってのたれ死ぬな!

明日は明日の家がたつ

2009
02-26
最近は心を入れかえて?賃労働を最優先しているので、まったくなにもできていません。私用ふくめ労働力再生産日もけっこうつぶしています。やけのやんぱちを少しあらためて自分の生活を優先するとこうなるのだ、ということがよくわかりました。困ったもんだし、なさけないことですが。

こないだA誌の編集委員とのはなしのなかで言及したことなんですが、戦前、とくに1920~30年代の東京下町の中小労組がみな長時間労働にいそしみながら(たとえば印刷工の場合、10時間超なんてあたりまえ!)活動できたのは、実は家族的・隣近所的な共同性がいっていあったからじゃないのかな、ということがあります。単身者どもは組合事務所で自炊しながら雑魚寝してたりとか、小さい組合だとそういうところもあったわけで。そもそも事務所なんか「だれかんち」ってこともあったわけで、そうして誰かが働きにいってデヅラおとしてみんなでメシ喰う、これは「自由労働者」(たちんぼ)の組合の場合。

いわゆる戦時体制期に「統制」された状況とことなり、30年代までの日本資本主義のもとでは、労働者のなかにはワタリの「職工」(しょっこう)が少なからずいて、かれらが腕一本で「労働市場」を横断的に流動していたことも、融通しあうという共同性の維持に少なからず影響をおよぼしていたのではないかと思います。とりわけ中小の群小工場なんかはそうですね。しかし夜10時に集まって相談しながら問題の起きた工場にみんなでおしかけるって、つまりは小さな町工場にいる職工が横断的につながってた、つながらざるをえなかったからこそできるワザなんですよね。いまでいう地域合同労組・コミュニティユニオンはこの系譜をひいてるんじゃないかと。しかし独占─下請け─孫請け─etcの底辺の零細親父も悲惨だったかなという気もするけど、まあ払うもん払わないといけないのはいつの時代もいっしょ。問題は甘い汁すってるやつが安穏とあぐらをかいてるその足下で、びんぼったれどうしがいがみあわなきゃならん構図。そりゃひとりぽっちだと陰々滅々ですわね。

話がそれる。んで、この戦前の超不安定雇用の先輩労働者たちはこうした共同性のなかで融通しあうことで、じっさい失業しても死なずに生きのびていました。争議になると「とーちゃん工場占拠」「かーちゃん物資もって行商」という家族ぐるみ闘争になったという記録もあります。……あーやばい、こんなとこでメモ書きしてないで、のばしのばしにしているものをかたづけないと。アナボル論争なんて主義者の論争だけみてても、現実の労農の運動がどうだったかなんて見えてこないんじゃ。なんのこっちゃ。

さて、「とーちゃん・かーちゃん・こども」の家族のありようはともかくとして、見知ったなかまうちでなんとかやりぬくという生きるための集団性は、古くて新しいものなのかもしれません。ひところ(もうだいぶ昔か)ブルジョア・アトミズムがうんぬんかんぬん…とよくいわれましたが、ブルジョア的単体として生きるには、とうぜんながらほとんどの賃金労働者は貧しすぎます。じゃこのさきどうすんの。ないものは背に腹にゃかえられぬ、あるところからブンドルしかありませんが、現実的にはなかなかそうもいってられない場合、なかまうちでなんとかするということもとーぜん視野にはいってくるでしょう。そういやおれ、東南アジアへDIYツアーに行ったときにバンドメンバーに借りた金を五年もかかって清算したとか(無利子金融ありがたや)、そういうわれながらひでえ話があるんですが、でもそんな一方向的なアレはともかくとして、お互いになんとか手をかしたりかりたりして生きのびるってことは十分射程にはいってくるでしょう。そう、貧乏人ほど都合つけあったりしてなんとかしてんじゃないのかというわけ。無尽やるほど余裕ないけど。しかし問題は友だち・仲間がいないぜどうなるんだ問題はここでは問題化できずに素通りするということです。ひどいな。

ってことで、いつにもましてコジツケがすぎますが、自由と生存の家! みんなで住むとか、それだけでもけっこう心強いものがあるのでは……貧+貧=強靭、という感じで。「孤独への権利」をたいせつにするひとには集住は向かないかもしれませんが(おれか)、ある共同性をもった居住の空間をつくりだすというのはこの殺伐としたサバイバルの時代には興味深いものがあります。弾圧くらうときは一蓮托生というような気もしますが、ガサの立ち会いもひとりよりふたり、ふたりよりさんにん、というようなこともおりこみずみで、「居住=運動」と展開できれば面白いのでは、と放言しておきます。面白いだけじゃすまないはずですけどね、なんとか日々暮らしていくということは……それこそ貧乏人ほどオモクロになる。

四谷三丁目物件は職場から近いはずなのですが、とにかくけっこう賃労働+αでままならず一度もお手伝いに行ってまへん。それどこじゃなくてそもそも労組の活動からもけつわってますが、とにかくおもしろい取り組みとしてメモ。

ではおやすみなさい。もうろうとしながら書いてるので、起きたら消すかも。

組対法弾圧は対岸の火事か

2009
02-25
わたしゃ現代社にも赤砦社にも所属してるわけじゃないんですが、解放派(現代社)への組対法弾圧がいよいよヤバいことになってますね。「詐欺罪」から水準あげてむりやり組対法にもってくあたり、強烈な国家意思がすけてみえます。まつろわぬ決起者はようしゃなく潰していくというやりかた。これは激生する「社会不安」がいまだ自殺や個人的決起に内向しているうちに固めていこうとする予防弾圧というほかないと思います。

「その筋のもの」以外はだれも見向きもしませんが(報告が継続的にあるのは『救援』紙くらいです)、先鋭的な党派相手だからかんけーねーやと思ってる諸君。とくにアナキズムだとか「危険な思想」についてふきまくっている諸君。きみらも無関係ではありません。

「非暴力直接行動」と中和してるから大丈夫だって? そりゃよかったですね。でも合法主義の枠組みさえ破砕されたとしたらきみらはどうするのですか。非暴力だといってあえて法にふれる準備はできているのですか。たとえば届け出のデモにしたって公安条例や道交法の網をかぶせられている時点で、不当にも行政警察活動(あるいは治安警察活動)によってハナから非合法化されていると考えるべきです。もちろん法をたてとしてギリギリとせめぎあうことは重要ですが、「向こうは何でもありだ」という前提を設定してどう行動するかを対処していくことがキモになる。

暴動? バカいっちゃいけません。決起する主体も(自己)組織化できていないのに、集合的な意思の爆発を「あおる」ことなんかできやしません。あおって現場にいないというのは論外。対岸の火事の暴動なんてしらない。ふくだけふいて現場から逃亡するやつのいうことは信用しない。そも、幕末から維新にかけて、社会‐政治権力に牙をむいた世直しの騒動や一揆はなぜおきたのか。かれらは「加わらなければ家を焼く」と強制動員をかけながらも、「世直し」「世ならし」の神さえ登場させて、その決起における紐帯の論理を維持しようと努力していました。われわれは歴史から学ぶ必要があります。しかし政治権力史だけみても意味はありません。われわれ買い食いの貧乏人としての先人の主体のありようこそが問題となるのです。およそ主体と状況の結合をめざすものでなくては、百万遍のことばも無意味です。それこそ「行為によるプロパガンダ」とはよくいったものだとおもいます。

そもそも社会変革を口にするものが弾圧のことを考えない、というほうがよほどどうかしています。自らのうちに服務規律をもって日々生きるべきです。だからネタもってうろつくようなバカはしらないというのです。日本でのマリファナ解放の示威行進にマリファナもってくバカはいないでしょう。もちろんわたしは嗜好の自由はみとめます。しかし警戒心なくへらへらしているひとの面倒をみるほどだれも暇ではない、ということです。デモに個人情報満載(他人の情報も含む)でお客さんとして参加して「暴れる」なんて論外。いや、暴れたっていいと思いますが、現実にはパクられます。そのときになってオタつくんじゃねーぞ、ということです。準備と覚悟もないなら「ごっこ」はほどほどにしましょう、ということです。いずれにせよ手持ちの金と日用品(タオル、下着、歯ブラシなど)だけもって参加しましょう。などといってもいまは冗談ですむかもしれませんが、そのうち冗談じゃなくなります。とくに「警察のいうことをきかない」という立場を選択した場合は。

ようするに、ふきまくるなら準備しとけよって話。「革命」がはじまっている? 冗談じゃない。現実には「反革命」が圧倒的に進行中。だからこそ直接行動派の「アクティヴィスト」は警戒心ゆえに遵法的生活という基礎を構築したうえで、なにをどうするのかを考えるべきだというのです。突破は行動の先にある。

さて、模索舎のけ~ちゃんが警報を書いていますが、現代社への波状的な弾圧については三里塚の「農家便り」からの報告も参考になるでしょう。

農家便り:緊急連絡不当逮捕続報抗議を理不尽

きのうは国際母語デー

2009
02-22
きのう、2月21日は国際母語デー(International Mother Language Day)

UNESCO Interactive Atlas of the World's Languages in Danger では、消滅の危機にひんする言語の分布をオンラインの地図上にみえるようにしている。Japan にしぼってみると、Ainu (Hokkaido)、Amami、Hachijō、Kunigami、Miyako、Okinawan、Yaeyama、Yonaguni がリストアップされる。

Russuian Federation でリストアップされる言語のなかには Nivkh (Amur)、Nivkh (Sakhalin)、Orok がふくまれいる。Nivkh はニブフ民族、Orok はウィルタ民族のことだ。

ユネスコが記録する「危機にひんする言語」のなかで、日本地域では「北方」の言語主体として Ainu があげられながら、Nivkh や Orok がみあたらない。日本帝国主義がサハリンでなにをやったのかをユネスコにレクチャーする人間がいないということだろうか。事務局長は「日本人」であるからこそ帝国主義本国人として沈黙するということだろうか。

かつてサハリン南部では、この地に先住していたひとびとに皇民化教育が強制された。かのダーヒンニェニ・ゲンダーヌが「北川源太郎」という名前をあたえられたことなどは既知の史実となった。しかも日本帝国主義のつめあとは、戦争にまきこまれた一部の少数民族が移住するというかたちで「北海道」のなかに深々ときざまれたままだ。

シスカ(敷香、現ポロナイスク)にあった陸軍特務機関がウィルタ・ニブヒの人々を「北方戦線の秘密戦士」としたてあげて戦争にかりだしながら、敗戦を知るや特務の連中はさっさと逃げ出してかれらを放置した。残された「戦士」たちはソ連政府によって敵国に協力した民族としてシベリア送りとなった。抑留後、かれらはサハリン帰郷もかなわず「北海道」(網走など)に移住をよぎなくされている。

日本帝国主義はさまざまな植民地経営の技術を開発したが、シスカには土人事務所をもうけながらアイヌ民族以外の人々を「土人」にも数えず、戸籍を作成しないという差別政策を貫徹した。かれらを「原住民人名簿」でのみ人頭を把握してオタスに強制集住させるやりくちは、アイヌに対する強制移住によるジェノサイドと同様の凶悪さをしめしているが、日帝は少数民族に対してことなる政策を適用することで分断の銃弾をうちこんだ。「樺太土人戸口届出規則」をアイヌにのみ適用し、ウィルタ、ウリチ、エヴェンキ、ニブフ、ヤクートの五族は「原住民人」としてその外部においやったのである。

「北方戦線の秘密戦士」なるものは、こうした重層化した日帝の差別政策の延長のもとにうみだされたのだ。しかし日帝は戦後には手のひらをかえし、「特務機関の非公式招集だった」と逃げをうって「戦士」の補償要求を打ち砕いている(1)。国家かくありき。出先機関の暴走を強調してこれに責任をなすりつけてすまそうとする破廉恥は、国家のやり逃げ口上として常套である。

ゲンダーヌがのこした「ジャッカ・ドフニ」(大切なものを収める家)は告発しつづけるだろう。しかし現運営者のウィルタ協会によれば、この木組みの平屋は老朽化の危機にひんしているという。

死ね、日本帝国主義!

(1)「第077回国会 内閣委員会 第4号」の小笠原貞子委員の質問からはじまるやりとりを参照のこと。

FNBKL

2009
02-17
クアラ・ルンプルにFNBがあるのは知っていたけれど(前にバンドで行ったときにFNBで活動しているというパンクスがいた)、ふとブログを見ると日本での反G8運動ためにカンパを呼びかけている(昨年末)。呼びかけには「大きな抗議を準備するのに多大な資金をついやした」としか出ていない。でも状況からすれば豊浦・壮瞥キャンプへのカンパのはず。どういう要請があったかは知らないが、ともあれFNBKLの心意気はすばらしい。

COX18 再占拠

2009
02-17
Ascia スクウォット(空き家占拠)はつねに強制排除の危機ととなりあわせだ。しかし排除に抗して再占拠する、というたたかいもある。

ミラノに COX18 という名高い CSOA がある。CSOAとは Centro Sociale Occupato Autogestito(自主管理の、占拠した、社会チェントロ)の略。COX18 は30年以上にもわたってミラノの文化的・社会的活動の拠点として運営されてきた。

2009年1月22日午前7時、100人の警官が COX18 を急襲し、占拠者を排除した。しかしスクウォッターと支援者ははやくも24日に大規模な抗議デモを組織。デモには COBAS(COmitati di BASe:下部委員会)系の独立労組なども参加するなどはばひろい支持があり、26日の夜には Palazzo Marino(市庁舎)前の広場で、30、31日の夜には Piazza XXIV Maggio(ヴェンティクワトロ広場)で抗議集会がひらかれている。

そして2月13日夜半、COX18 は「もちろん聖ヴァレンティノ!」というユーモアとともに200人あまりの人々によってふたたび占拠された。これでどうして即座に弾圧されないのかよく分からないが、とにかく28日にはふたたび大規模なデモが予定されている。

アクティヴィズム2.0(笑)

2009
02-15
また燃料が投下されました。

「鼎談 小田マサノリ×成田圭祐×山川宗則 アクティヴィズムの回顧と展望——アクティヴィズム2.0に向けて」(『図書新聞』No.2905 ・ 2009年02月14日)

《総評》
欧米崇拝はもういいよ。防衛込みの自己規律化(それはけっして「行動の自由」と衝突しない)と総括なき「実践」は、「現場」からはてしなく離れていくだけだと思う。ようするにやばい局面でケツワリするようなんばっかの主体なき新しい運動論やアナキズム論なんてまったく意味がないということ。「反G8」で日本の自称(新しい)アナキストがやったことは現場請負いの官僚的な運動の展開だったでしょ。既存ノンセクトや党派のほうがキッチリやってるよ。というか総括は? やったことの肯定的、否定的の両方のことがらを確認して、それが当初の目標からしてどうであったかを分析して位置づけて共有するというだけのこともしないで、「回顧と展望」もなにもない。

《論点と雑感》
★マイケル・ハートの運動区分論(サイクル論)を「輸入」してあてはめようとすることの妥当性に疑問あり。ハートっていや、実務になわずに豊浦キャンプではしっかり「官僚ハウス」(キャンプ場施設に揶揄的につけられた名称)に滞在したひとりだと聞いているけど、こういうのは信用しないよ。現場で何もしない知識人ほど邪魔なものはない。
★独立メディアがはたした役割についての分析には異論なし。ただし08年7月5日・札幌の逮捕者のうち、ロイターのカメラパーソンがG8MNTVへの映像投稿により早期釈放につながったと聞いたというのは初耳。救援ではそんな情報なかった。というかロイターだから勾留請求されずに検パイされたんだよ。ロイターだって逮捕をうけて動いてたわけだから。分析は必要だけれど自画自賛中毒には気をつけたい。
★「アクティヴィスト・キャンプ」として「当別、豊浦、壮瞥」だけに言及することになるのはどうして? 7月9日には豊浦・壮瞥両キャンプは伊達キャンプが準備したデモに合流したというのに、宣伝戦もふくめ伊達キャンプの人たちは有志的に救援にも協力してくれたというのに、なんでこうなっちゃうんだろ。「共common」の運動のはずなのに「他者」(なのか?)の努力をふまえようとする視点が欠落している。もしかして「既存運動」の活動者と「アクティヴィスト」は別物? とすればそもそも「アクティヴィスト」ってなに?
★当別キャンプの報告集に言及しつつ、出先で弾圧をだした出撃拠点としての総括がその報告集にまったくないことにはふれられない。まーそもそも当別キャンプがちゃんと総括してないのがおかしいよ。報告集では5日のピースウォークの行動ベースのために設営したんだってしっかり自賛してるんだけど。大本営発表は滅びへの第一歩。
★ピースウォークに向けた当別キャンプでの会議で(文脈からして4日だな)、日本側が提起した「素人の乱」っぽい「アイデア」が海外アクティヴィストの賛同をえたという。それで「オルター・グローバリゼーションの運動にようやく追いつけたような気がしました」「これまでは後追いだったけど、あの瞬間だけは周回遅れのトップランナーになれたような気がしました」。追いつき追いこせ文明開花だぞ! とほほ。当別キャンプ当事者から行動会議の存在についてふれられているので補足するけど、この会議では「インターナショナルズ」の主導ではじまり、「日本人」の一部がおもしろおかしい提起をするだけして、隊列の責任主体をだーれも担おうとしなかったよね。このとき「インターナショナルズ」はハシゴはずされてたことに気付いてない。それで一部が防衛協力の要請してきて、内向きには「防衛はまかせとけ」ですませて、現場はあれでしょ? 戦術独自に固めてたとしか考えられない部分(みんなの好きなブラックブロック)は規律もって動いてたけどあとは…… ワークショップやってたんなら防衛会議ひとつくらいキャンプ側でくみたてるべきだけど、それは任じゃないって態度。結果的にアナキズムを偽装した請負運動になってしまった。よもやそんなことになってるとは思ってなかったとはいえ、おれも隊列合流受け入れ側として合意したんだから、請負構造にてをかしたことになると自覚してます。これはサウンドデモの助っ人としてえらいめにあって含みもってる人みんなにいえることです。これはこれでちゃんと各自で総括してないとだめだね。「あいつが悪い」だけじゃダメなんだって。もちろんどんな経験にも肯定的側面はぜったいにあるわけで、ダメだったことばかりに分析を収斂させることもできないしそのつもりもないけど、酸っぱいことはほかにいう人がいないので、いちおーここで補足。
★というわけで称揚されている自発的な「合意形成会議」についても、肝心なことがスッポリぬけおちてたという点で有効に組織できなかったとみています。ようするにあれやりたいこれやりたいってはしゃいでただけじゃん。キャンプ組織者も好きなことだけやりちらかして土壇場にきて防衛だけお願いします、でも防衛の請負は実はキャンプ滞在者のほとんどは知らないんです、じゃ、困んだよね。担うべきものがケツワリしたあんな無責任隊列みたことねえよって話で、独自方針たててるなら自力自闘を原則にして自分たちで隊列かためて、弾圧くっても救援を他者に担わせないですむように訓練してくださいな。デモ訓くらいキャンプでできんべ。あ、密集デモじゃないって? そか。ま、でも、自己規律の形成がいやならサウンドデモはやんないほうがいいと思う。あれは警察との対峙になれてる人間がよけいに必要になるから。すくなくとも、当日の救援の初動には企画者はだーれもいなかったなんてことは二度とないように。
★ひとのことをいう以上は、自分のことも。G8MNの技術人足として急遽札幌にいくことにしたため、6月末の東京の反G8デモには参加せず。ここは「労組員」としてつないでたので、かわりに仲間に頼んでほんらいおれがやるべき役割をおしつけてます。たしかに技術人足のかわりはいないんだけど、デモの防衛だってそんなにやろうという人いないから、日が迫ってからの方針変更はよくなかったと反省してます。
★「ブロック」を「部隊」って訳してる人なんているの? それはともかく、数々の「○○ブロック」の発生をよろこぶのはいいけどとにかく自立しよう(あまり自立自立っていいたくないんだけど)。「ブロック」ごとに集団行動をとる場合はとにかく自らまわすように。自分たちだけでデモ組織してみれば、共同行動のなかで「ブロック」ごとに独自行動をとるために、その共同行動ごとの実質においてどう調整していけばいいのか類推できるようになるはずだからね。どんな行動をくみたてるにしてもやはり現場の訓練をつみかさねるしかない。自己組織化から逃げといてアクティヴィズムもなにもあったもんじゃないよ。お客さんに直接行動はありえない。
★やはりパペットはデヴィッド・ソルニットが伝授、二〇〇八年は「パペット元年」なんだとか。「元年」疑義あり。
★事前にインフォツアーでネットワークをつくったって確かにそりゃそーだけど、総体として見たらまともに意思一致すらされていないグダグダなインフォツアーで現場が混乱したのに、ほんと捉え返すのがいやなんだなあ。
★今回のサミット行動でアクティヴィズムのスタイルや戦術が変わりはじめる? 「新しい闘いの文化」へ否応なく変化してゆく? 「アクティヴィズム2.0」。キャンプは運動のハッカソンてな具合か。でもね、人間は計算機のように入力されたコードによっていつでもどこでも合理的に行動できるわけじゃないんだよ。人間は知識だけの外部注入ではそうやすやすと開発されたりはしない。なんというか心意気や情動を無視して連帯ってなりたたないような気がするんだよね。あいつがしんどい局面で頑張ってんだからおれもやるとか、そういうことでしかないような。だからこちらは札幌ではよっぴいて機材設営したり設定ファイル書いてたりしてたんだけど。やってることは「アクティヴィズム1.0」「α版」どころか規格外、「ロートル0.0」。でも実践のうらづけのない欧米からの輸入だけ思潮に開発されるくらいなら、おれ未開土人でいいや。土人には天皇もいらないけどね。
★たしかに海外の人たちと直接交流して一緒に行動する機会をつくれたのは、とてもいいことだと思う。でも海外だけじゃない。ふだん知らない運動はどこにでもある。そうして違うものがであうことによって自らを再考することはえがたい経験です。そういう意味で、海外・日本とわず、ふだん自分が関係していないことだとかを参照して、それを紹介して、そうするなかで自らを客観視しようとする(難しいけど)こともまた訓練のひとつなんだと思う。「戦果」なんてそんなの後からついてまわるもの。ショボくてもどれだけ主体性をもって打ち込めたか。総括だってほんとうはそのとりくみの一部にすぎない。そしてできれば、〈われわれ〉のほとんどみんな「グローバルノース」の日帝本国人にすぎないんだって確認できれば……
★海外にいってうらやましがるのはご愛嬌。コレクティブハウス、政治的活動としての共同生活。そうね、それもよさそうに見えるよね。党派活動家が効率的な資源集中と意思一致のために集住してるじゃん。って違うか。でもスクウォットは難しくても居住の実践は日本でも前からあるよ。いいかげん外で交流してきただけで何かした気になる錯覚はそろそろおしまいにすべき頃合い。いまどき情報の横流しだけしたってネタすぐにわれるんだし、なんの価値もない。だから情報もってる、知識があると思われるひとがみつくろわれて、そこにぶらさがるような構造もとうぜん壊すべき。アナキズムをいうのならね。そして「自分の土地」で耕作=工作しましょう。インディメディアのスローガンである自分でメディアになろうってのはそういうことも含んでいるはず。

われながらなんて後ろ向きな…… でもまだ続いてる有志総括は共有するつもりです。ききたくねーよーな話ばかりだと思うけど、自分がいた範囲で他者にも関係あるようなことについては分析込みで文書まわします。おれじしんまったく楽しくありません。でも、こういうことが「共有」できなきゃ「次」はありえない。

ヨーロッパ・ネオナチの結集、これに反撃するアンティファの闘争

2009
02-14
以前にもメモしたが、2009年2月14日、ドイッチュラント・ドレスデンにネオナチが結集する。各地のネオナチ、ファシストの政治組織が集まるのだ。当然のようにして、これにたいする反対闘争が広範によびかけられていた。ドイッチュラントでは反ファシスト(antifa)の闘争が維持されている。とくにその実力行使部隊としてアウトノーメ(autonome)がになってきたことはいまさらいうまでもない。この13、14日にも、各地で大規模な闘争が生起している。こういうときに口先がためされる。

Dresden: 13./14. Februar 2009 - Werden sie durchkommen?

ベーシックインカム派の諸君へ

2009
02-12
あるケースワーカーが斃れた日の夜更けに

ベーシックインカム。生存保障についてアリガタイ念仏があるとふきまくるのなら、その念仏となえながら生活保護をめぐる現実の苦闘のなかにダイブするがいい。舫(もやい)のことをいうのはいい。それならより長期にわたって生保取得をめぐるたたかいに挺身してきた全生連のこともいえ。共産党系だからといってそのたたかいを無視するいわれはない。第二の朝日訴訟たる現在の生存権裁判をささえているのはこの連合会につどう人々ではないか。あるいは公扶研の歩みにしても同様だ。ケースワーカーの組織だからといって見向きもしないでいいわけはない。あるいは日雇‐野宿労働者運動のなかからたちあがった生存運動もそうだ。派遣村だけが失業補償としての生活保護の取得に活躍したのではない。そうして、個人的な闘争が記録されぬまま存在しつづけていることについても想像力をもて。

生活保護法がうたう理念を現実のものとすべく、現実の泥沼のなかではいずりまわるようにしてつづけられてきた苦闘がある。社会保障費の削減をすすめてきた日本政府のあしもとでは、生保受給を「窓際」でしぼる事態はたしかに存在する。そこに人を人としてみない差別がまかりとおる現実もある。しかし厚生官僚の逆コースと現実のあいだでいたばさみになりながら苦しい仕事をになってきた現場の人々と、そして制度の外側にある運動が壁をつきやぶるたたかいを試みながら、現実の生保の運用を築いてきたこともまた一面の歴史的事実であるのだ。
生活保護の担っている問題は、一部の人々に関連するだけではなく、すべての国民に関連する社会保障における生存権の問題 (杉村宏「発刊にあたって」──『生活保護50年の軌跡 ソーシャルケースワーカーと公的扶助の展望』)
この「国民」という枠組みにかんしては留保が必要である。人はすべて生きる権利があるからだ。そこに国籍の有無をとういわれはない。しかしここに、官僚制度のなかにあって可能なかぎりの存在の生きる権利についてゆるぎない確信をもってたたかってきた人間の言葉がある、とみることもまた可能だろう。制限があるとはいえ、いっていの範囲の「外国人」にもまた生活保護制度が準用されてきたからである。ただし「滞在許可証を持たざる者たち」はこのわくぐみの外部にある。

たしかにたたかいに「理論」は必要だ。だが、それほどまでにベーシックインカムをいいたてるのであれば、その理念を念頭におきながらいまいちど生活保護法を読んでみることだ。その基本原理をしめす冒頭の総則だけでもいい。そこに救貧思想をのりこえる生存擁護の思想が書き込まれていることがみてとれないだろうか。もちろん「国家がなす事業」に限界はある。しかしきみたちのいう留保なしのインカムの素描は、じつはこの法がうたう精神のなかにもあらわれている。「無差別平等」。その成立の背景に理想に燃えたニューディーラーの存在をみとめる歴史を検証するのもいいだろう。だが、きみたちの理論闘争はなによりも、このかすかなてがかりを現実のものとしていくたたかいの一環でなければならない。
生活保護法

(この法律の目的)
第1条 この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

(無差別平等)
第2条 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。

(最低生活)
第3条 この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。

職質夜話

2009
02-11
数年前のとある好日、東京・JR新宿駅の中央東口改札(地下)を出たところに二人の警官が「テロの警戒」(ぷっ)でたっておりました。歌舞伎町にカマボコぶっこんで生活課どころか機動隊まで投入して人狩りやるとか、スーパー異常な時期のことです。いまも異常ですけど。

んで、その前を通りすぎようとすると、二人組のうち若い方が「ちょっと待って」と高圧的に声をかけてきました。せっかくの好日が気分の悪い日に! そして官憲の偉そうな態度にはやくもカッチーン。こちとらやましいところがないからこそ職質にはいつも応じないし、友人が違法逮捕される経験がなんどもあって警察がきらいなので、とうぜん立ち止まりません。歩きながら「職質かぁ?」とでっけー声できくと、「はい」といきなりトーンダウン。でもついてきます。若いやつのうしろにもう一人ついてきているのが見えます。

「なに、おれがハンザイシャだっていいたいの?」
「いえ。ちょっといま警戒中でして…」
「だからなにがワリいの? おれがテロやんの?」
「いえ、そーいうのが…ほら危険ですから。ちょっと…」

予想外のこちらの(悪質な?)態度にとまどったのか、こともあろうに若造くん、鋲(びょう)つきのベルトとウォレットチェーンをさわってこようとします。だからなんだよ。もちろんそれをかわしつつ歩きつづけます。

「あー? これでショウガイっつーのか、こるぁ!」
「いえ」
「ざけんなショクシツはニンイだろがぁ」
「ええ」
「レージョーはよ?」
「え」
「さわりたきゃフダもってこいっつんだよ! いいな、ショクシツならキョヒすっからな!」

逆に顔をゆびさしながら捨てぜりふ。(来るかな?)とかまえつつ歩き続けましたが、ここで年かさの方が若いのにもういいと目で合図してあっさりあきらめていきました。この間、およそ一分くらい。

この場合の令状って身体捜索令状のことです。「てめ、どこ中よ!」とかはいってませんが、しかしこうやって文章化すると、われながらかなりイキガッタふうのイタイ人だなぁ。でもイタイくらいにふるまわないとポリはかさにかかってくる。いやマジで。

このとき突破が可能だったとのは、まず警官の人数が二人だったからということがあるでしょう。それから改札付近で人目が多かったこと。あとあくまでデカイ態度。もちろんこっちの。周囲はなにあれーとドン引きなわけですが、うーるへー。じっさい急いでいたのでバシっと切りたかったし、おまけに見てくれのこといわれてついつい怒鳴り声をあげましたが、間合いはかりながらやってますよそら。囲まれた場合はもうすこし慎重さが必要ですけど。ちなみに職質切りの可否にガタイはあんま関係ねーと思います。こんなとこで「フレキシブル」になっても人生ものすごくムダって感じですが、まあ状況判断とそれに応じた態度のとりかたがものをいう。基本的にヒクツになっちゃダメ。

知人から囲まれてるって電話があったときに助けにいったときもそうでしたが(たまたま近くにいただけで年中ヒマなわけじゃありません)、法律論でひとつひとつつぶしていくと巡査は態度をかえてくるので、こうなるとぎゃくに街ゆく人にアピールした方がいいです。このときは全員の警察手帳から記録とったうえであきらめさせました。もちろんこっちの身許はあかしません。あと向こうの人数が少なく包囲されてない場合は立ち止まらないこと。制服のオマワリには管轄のしばりが多少あるので、管轄ぬけるまで歩き続けるのもテです。ただしアキバだと複数管轄であらそって人いじめてるようだからダメかもね。もちろん囲まれてない場合でもいきなり走らないこと。運がわるいとタックルされてでっちあげられてしまう。

向こうが公妨をでっちあげてくるタイミングとかが判断つかない、音声や映像を記録する媒体ももってなくて不安だという場合なんかは、むりしないほうがいいかもしれません。それからハナっから強制的にやられてどうにもならなかった場合は、むこうのネタをつかむこと。警察は権力かさにきてひとの腹をさぐるのにたけていますが、法理上の整合性をもって逆襲されることにはなれていませんから。というわけで警職法・刑訴法・警察手帳規則の読み込みが望ましいです。現場ではとにかく手帳ださせて照会。可能ならはっきりイヤダといいながら行われつつある職権濫用を記録。カネとひまと気力がある人はそれから公訴提起。ここが貧乏人のつらいところ。

国家公安委員長をやった人間もひっでー職質を受けて、「自由主義社会というのは、国家からの自由も、できるだけ保障する社会なんだ。(中略)怪しいものを持っていないのなら見せなさい。見せないからといって、怪しいものを持っているからだろうと疑うことは、とんでもないはき違いなのだ」と発言せざるをえないような時代ですから(しかし「先生」だとわかるとコロっと態度をかえる渋谷署は人間を差別するウンコ)、不当なことにはいちいちキッチリ反撃しとかないとますますキビシーことになるのは目に見えてます。警察の違法活動はいまにはじまったことじゃないんですけどね。

元国家公安委員長もいっているように、イェーリングの『権利のための闘争』って、あれ、金言です。闘争しなきゃ権利なんか守られるわけないじゃん。時間のムダだから我慢するとかって効率の問題は副次的なもの。先人の血で権利があがなわれてきたことは奴隷には理解しがたいのかもしれないけど、奴隷解放の事業は奴隷じしんの決起による以外にないことも歴史が証明しています。

なお、ネタもってうろついてるようなドアホのことは知りません。

パペットがやってきた──いつ・どこに?

2009
02-07
回虫さんの重い提起にふれ、パペットの来歴について若干のメモを残しておきます。

※追記:すんません日本語に不自由しておりテニヲハができておりませんでタイトルすら修正。かつテクスト増減中。こうした内容にふれると思いが千々乱れるのであります、というのはいいわけです。

「ラディカルパペット零年」──確定版を読んでいないのでハッキリしたことはいえませんが、このテクストがいうように2008年を日本における「パペット元年」とするなら、それは誤認です。すくなくとも03年には京都でパペットがつくられています。おおきなパペット(あやつり人形)を街頭行動に集団的に登場させるという動きは、日本ではたしかに昨年から本格化したのかもしれません。とはいえ、たとえ一体にすぎないパペットでも巨大であれば集団で登場させるしかなく、その意味でやはり08年元年説は間違っています。

08年といえば、4月の「パペティスタ」(Puppetistas)の営為を資料として念頭においた「自由と生存のメーデー」の自力自闘の創作過程では重量が課題となりましたが、こうした創作上の課題は、アカデミー領域運動であるG8対抗国際フォーラムきもいりのパペットの「輸入‐受容」のなかであっけなく改良・更新されるかっこうになったといえるでしょう。その後、パペット表現が東京の一部でひろがったことは周知のとおりです。

しかしある特定の個人をスタープレーヤとして紹介しなくても、街頭行動へのパペットの持ちこみは、ベトナム反戦運動に随伴した「パンとパペットの劇場」(Bread & Puppet Theater)などに見られるように、人の表現行為がもつ共同性のなかに自生するものとしてふるくから存在してきたのだと確認できるはずです。いうまでもなく、巨大な人形の制作と行動への合流ということははじめから複数の人間の恊働に依拠するものだからです。したがって、この日本の状況下にあって無前提に大学を「公共空間」だと規定するG8対抗国際フォーラムがデヴィッド・ソルニットをうやうやしく紹介したやり方は、ソルニットがあくまで活動者の一員であるならかれにとって災厄でしかなかったでしょう。逆にかれがアカデミシャンたらんとするのであれば利害は一致していたのでしょう。いずれにせよ、ワークショップの講師を任意のだれかに務めさせることが問題だというのではありません。そもそも無名の大衆運動の伝統のなかであらわれたにすぎないパペットに対して、そのパペット使いの一人だけを有名人として抽出する権威主義こそが問題であるべきなのです。

いまもむかしも、社会運動にはさまざまな無名のパフォーマンスが合流します。それはまさに大衆的な運動においてだからこそ見られることであり、そして名もなき人々の闘いとしての表現はどこにでもあった/あるとすべきでしょう。その創意と有効性がみとめられれば、人はすぐにそれをまねしてとりいれるものです。社会運動も例外なく模倣の文化によって支えられるのであって、実際、街頭行動のなかにパペット表現を導入する動きはかずおおくの無名の人々・集団によって担われてきました。北米では前記した「パペティスタ」もそうですし、「パペット使い組合」(The Puppeteers' Cooperative)もソルニットらの「芸術と革命の集団」(Art and Revolution Collective)も後追いとして同様です。そしてこれらの集合の背後には、名乗ることのない、名指されることのない、よりおおくの人々の営為があるはずなのです。

日本でも、すでにイラク反戦運動のさなかに巨大なパペットが登場していました。それはやはり無告の活動者の努力によるもので、制作者は北米から移住して京都にいついていた二人組でした。2003年当時、そのパペットは幸か不幸か模倣を誘発しませんでしたが、その特異さはきわだっていました。たしか有事法に反対する20労組よびかけの反戦デモ(東京)だったかで実物を見る機会があり、二人の作り手=使い手との再会を喜んだのですが、それぞれの役割があって近くで歩くことはできませんでした。二人はアナキストでしたが、このときはSYN(新自由主義・国家主義と対決する学生・青年ネットワーク)の隊列に合流して東京にやってきていたので、移動・運搬の手段もそのわくで便宜がはかられていたのでしょう。諸党派が主力の「五者共闘」(有事立法─改憲阻止 反帝国際連帯 反戦闘争実行委員会)の隊列にアナキストの手によるパペットがにょきっと突っ立っているさまがおかしくて、それだけが鮮明な記憶として残っています。あの類いのパペットが日本で最初に登場したのは党派系の隊列だった可能性もあるわけです。でも、それもだからどうしたという話にすぎません。ともあれ二人にとってパペットは慣れ親しんだ表現手段のひとつにすぎず、手間がかかるにしても特別なことをしたという意識もなかったと思います。

少人数の創意では影響力もかぎられたためか、二人組が日本を離れてからは同様のパペットを見ることはなくなりました。ごたくをならべる前に黙々とつくりあげる営為に拡散の機縁がなかったということです。二人の創作がアカデミーの領域で称揚されたことはもちろんありません。しかし無名の活動者の自己称揚なき営為がほとんど影響力をもつことがなかったのに対して、昨年のソルニットの場合がそうであったように、ほんらい活動者仲間であるはずの人間を著名人としてまつりあげることで伝播してしまうような「運動」の内実にいったいどのような可能性があるでしょうか。反権威主義をかかげるのであれば、むしろアカデミーという囲い込まれた権威のなかで領分を確保しようとするようなフォーラムこそボイコットすべきだったでしょう。しかしぼくは自分に関係のないこととしてこれを無視していました。勝手にすれば、というわけです。ただ「北海道にのりこむ」という点では、にかわじたてのサミットホッパー=外来者として──そして帝国主義本国人として──ぼくも同じ穴のムジナだったのでした。

話をもどすと、その後、人をぎょっとさせる非日常的な異装としては03年の演劇人反戦の顔面白塗りや06年の「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」のナマハゲがありましたが、大きな人形の再登場は07年のフリーターユニオン福岡の五月病祭まで待つことになる──それが個人的な運動の記憶です。

ひょっとしたら、それ以前にも名もなき存在としてのデモ中のパペットがどこかで登場していたかもしれません。ぼくが知らないだけでその可能性はおおいにあります。ケリー・モグが示唆しているように、デモンストレーションという公共空間での行動において、異形を表現の一要素として活用するこころみはいつ・どこででもあるはずだからです。だからあれこれの行動や表現には「零年」は存在しないはずなのです。あるのは共有だけ。そのことをふまえてこそ「社会運動史の記録」は生かされるのだと思っています。

参考資料


:D

noiz

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


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