ベーシックインカム派の諸君へ
あるケースワーカーが斃れた日の夜更けに
ベーシックインカム。生存保障についてアリガタイ念仏があるとふきまくるのなら、その念仏となえながら生活保護をめぐる現実の苦闘のなかにダイブするがいい。舫(もやい)のことをいうのはいい。それならより長期にわたって生保取得をめぐるたたかいに挺身してきた全生連のこともいえ。共産党系だからといってそのたたかいを無視するいわれはない。第二の朝日訴訟たる現在の生存権裁判をささえているのはこの連合会につどう人々ではないか。あるいは公扶研の歩みにしても同様だ。ケースワーカーの組織だからといって見向きもしないでいいわけはない。あるいは日雇‐野宿労働者運動のなかからたちあがった生存運動もそうだ。派遣村だけが失業補償としての生活保護の取得に活躍したのではない。そうして、個人的な闘争が記録されぬまま存在しつづけていることについても想像力をもて。
生活保護法がうたう理念を現実のものとすべく、現実の泥沼のなかではいずりまわるようにしてつづけられてきた苦闘がある。社会保障費の削減をすすめてきた日本政府のあしもとでは、生保受給を「窓際」でしぼる事態はたしかに存在する。そこに人を人としてみない差別がまかりとおる現実もある。しかし厚生官僚の逆コースと現実のあいだでいたばさみになりながら苦しい仕事をになってきた現場の人々と、そして制度の外側にある運動が壁をつきやぶるたたかいを試みながら、現実の生保の運用を築いてきたこともまた一面の歴史的事実であるのだ。
生活保護の担っている問題は、一部の人々に関連するだけではなく、すべての国民に関連する社会保障における生存権の問題 (杉村宏「発刊にあたって」──『生活保護50年の軌跡 ソーシャルケースワーカーと公的扶助の展望』)この「国民」という枠組みにかんしては留保が必要である。人はすべて生きる権利があるからだ。そこに国籍の有無をとういわれはない。しかしここに、官僚制度のなかにあって可能なかぎりの存在の生きる権利についてゆるぎない確信をもってたたかってきた人間の言葉がある、とみることもまた可能だろう。制限があるとはいえ、いっていの範囲の「外国人」にもまた生活保護制度が準用されてきたからである。ただし「滞在許可証を持たざる者たち」はこのわくぐみの外部にある。
たしかにたたかいに「理論」は必要だ。だが、それほどまでにベーシックインカムをいいたてるのであれば、その理念を念頭におきながらいまいちど生活保護法を読んでみることだ。その基本原理をしめす冒頭の総則だけでもいい。そこに救貧思想をのりこえる生存擁護の思想が書き込まれていることがみてとれないだろうか。もちろん「国家がなす事業」に限界はある。しかしきみたちのいう留保なしのインカムの素描は、じつはこの法がうたう精神のなかにもあらわれている。「無差別平等」。その成立の背景に理想に燃えたニューディーラーの存在をみとめる歴史を検証するのもいいだろう。だが、きみたちの理論闘争はなによりも、このかすかなてがかりを現実のものとしていくたたかいの一環でなければならない。
生活保護法
(この法律の目的)
第1条 この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
(無差別平等)
第2条 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。
(最低生活)
第3条 この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。
etikedo : 生存 ベーシック・インカム



