skvato
仕事のあいまにメモ
squat(占拠)はエスペラント語で skvato (substantivo/名詞), skvati (verbo/動詞) と表記する流儀もあるようだ。たしかにスクウォットというのは「うずくまる」から派生した口語なので、kaŭri とすると直訳調だし、これでもいいかという気がする。とすれば squatter は skvatanto になる。ただしこの用例は Androzine のウェップサイトでしかみたことがない。こんな案配。
squat(占拠)はエスペラント語で skvato (substantivo/名詞), skvati (verbo/動詞) と表記する流儀もあるようだ。たしかにスクウォットというのは「うずくまる」から派生した口語なので、kaŭri とすると直訳調だし、これでもいいかという気がする。とすれば squatter は skvatanto になる。ただしこの用例は Androzine のウェップサイトでしかみたことがない。こんな案配。
Skvato, el ‘squat’ = kontraŭleĝe okupata domo aŭ konstruejoAndrozine はフランスの「ゲイ/レズビアン」のファンジン。ほかにも queer -> kvira とかの直訳調単語を紹介してます。通用すんのかな。教えてエスな人。
府中緊急派遣村
メモ)いわゆる2009年問題がさしせまるなか、たしかに緊急の“村”ですね。府中は東京西部(多摩地域)の「企業城下町」。
- 府中緊急派遣村(主催者)
- 派遣切り抑止へ団結 府中(asahi.com マイタウン/多摩版)
首切り職員村の
「作品」(オカシラ)がうまそう。はらへった。メシ喰って一息つくってのも、ひとつのエクスタシー。がんばれ。
京都大学時間雇用職員組合 Union Extasy の解雇撤回要求の無期限ストライキ、とりあえず三日目の記事にリンク。
挑戦状も、そこにいる人らも、みんなイカス。イキル。職よこせ金よこせ生きる。生きさせろじゃなくて、どっこい生きてます。どうしたって生きるしかないんだから。黙ってのたれ死ぬな!
京都大学時間雇用職員組合 Union Extasy の解雇撤回要求の無期限ストライキ、とりあえず三日目の記事にリンク。
挑戦状も、そこにいる人らも、みんなイカス。イキル。職よこせ金よこせ生きる。生きさせろじゃなくて、どっこい生きてます。どうしたって生きるしかないんだから。黙ってのたれ死ぬな!
明日は明日の家がたつ
最近は心を入れかえて?賃労働を最優先しているので、まったくなにもできていません。私用ふくめ労働力再生産日もけっこうつぶしています。やけのやんぱちを少しあらためて自分の生活を優先するとこうなるのだ、ということがよくわかりました。困ったもんだし、なさけないことですが。
こないだA誌の編集委員とのはなしのなかで言及したことなんですが、戦前、とくに1920〜30年代の東京下町の中小労組がみな長時間労働にいそしみながら(たとえば印刷工の場合、10時間超なんてあたりまえ!)活動できたのは、実は家族的・隣近所的な共同性がいっていあったからじゃないのかな、ということがあります。単身者どもは組合事務所で自炊しながら雑魚寝してたりとか、小さい組合だとそういうところもあったわけで。そもそも事務所なんか「だれかんち」ってこともあったわけで、そうして誰かが働きにいってデヅラおとしてみんなでメシ喰う、これは「自由労働者」(たちんぼ)の組合の場合。
いわゆる戦時体制期に「統制」された状況とことなり、30年代までの日本資本主義のもとでは、労働者のなかにはワタリの「職工」(しょっこう)が少なからずいて、かれらが腕一本で「労働市場」を横断的に流動していたことも、融通しあうという共同性の維持に少なからず影響をおよぼしていたのではないかと思います。とりわけ中小の群小工場なんかはそうですね。しかし夜10時に集まって相談しながら問題の起きた工場にみんなでおしかけるって、つまりは小さな町工場にいる職工が横断的につながってた、つながらざるをえなかったからこそできるワザなんですよね。いまでいう地域合同労組・コミュニティユニオンはこの系譜をひいてるんじゃないかと。しかし独占─下請け─孫請け─etcの底辺の零細親父も悲惨だったかなという気もするけど、まあ払うもん払わないといけないのはいつの時代もいっしょ。問題は甘い汁すってるやつが安穏とあぐらをかいてるその足下で、びんぼったれどうしがいがみあわなきゃならん構図。そりゃひとりぽっちだと陰々滅々ですわね。
話がそれる。んで、この戦前の超不安定雇用の先輩労働者たちはこうした共同性のなかで融通しあうことで、じっさい失業しても死なずに生きのびていました。争議になると「とーちゃん工場占拠」「かーちゃん物資もって行商」という家族ぐるみ闘争になったという記録もあります。……あーやばい、こんなとこでメモ書きしてないで、のばしのばしにしているものをかたづけないと。アナボル論争なんて主義者の論争だけみてても、現実の労農の運動がどうだったかなんて見えてこないんじゃ。なんのこっちゃ。
さて、「とーちゃん・かーちゃん・こども」の家族のありようはともかくとして、見知ったなかまうちでなんとかやりぬくという生きるための集団性は、古くて新しいものなのかもしれません。ひところ(もうだいぶ昔か)ブルジョア・アトミズムがうんぬんかんぬん…とよくいわれましたが、ブルジョア的単体として生きるには、とうぜんながらほとんどの賃金労働者は貧しすぎます。じゃこのさきどうすんの。ないものは背に腹にゃかえられぬ、あるところからブンドルしかありませんが、現実的にはなかなかそうもいってられない場合、なかまうちでなんとかするということもとーぜん視野にはいってくるでしょう。そういやおれ、東南アジアへDIYツアーに行ったときにバンドメンバーに借りた金を五年もかかって清算したとか(無利子金融ありがたや)、そういうわれながらひでえ話があるんですが、でもそんな一方向的なアレはともかくとして、お互いになんとか手をかしたりかりたりして生きのびるってことは十分射程にはいってくるでしょう。そう、貧乏人ほど都合つけあったりしてなんとかしてんじゃないのかというわけ。無尽やるほど余裕ないけど。しかし問題は友だち・仲間がいないぜどうなるんだ問題はここでは問題化できずに素通りするということです。ひどいな。
ってことで、いつにもましてコジツケがすぎますが、自由と生存の家! みんなで住むとか、それだけでもけっこう心強いものがあるのでは……貧+貧=強靭、という感じで。「孤独への権利」をたいせつにするひとには集住は向かないかもしれませんが(おれか)、ある共同性をもった居住の空間をつくりだすというのはこの殺伐としたサバイバルの時代には興味深いものがあります。弾圧くらうときは一蓮托生というような気もしますが、ガサの立ち会いもひとりよりふたり、ふたりよりさんにん、というようなこともおりこみずみで、「居住=運動」と展開できれば面白いのでは、と放言しておきます。面白いだけじゃすまないはずですけどね、なんとか日々暮らしていくということは……それこそ貧乏人ほどオモクロになる。
四谷三丁目物件は職場から近いはずなのですが、とにかくけっこう賃労働+αでままならず一度もお手伝いに行ってまへん。それどこじゃなくてそもそも労組の活動からもけつわってますが、とにかくおもしろい取り組みとしてメモ。
ではおやすみなさい。もうろうとしながら書いてるので、起きたら消すかも。
こないだA誌の編集委員とのはなしのなかで言及したことなんですが、戦前、とくに1920〜30年代の東京下町の中小労組がみな長時間労働にいそしみながら(たとえば印刷工の場合、10時間超なんてあたりまえ!)活動できたのは、実は家族的・隣近所的な共同性がいっていあったからじゃないのかな、ということがあります。単身者どもは組合事務所で自炊しながら雑魚寝してたりとか、小さい組合だとそういうところもあったわけで。そもそも事務所なんか「だれかんち」ってこともあったわけで、そうして誰かが働きにいってデヅラおとしてみんなでメシ喰う、これは「自由労働者」(たちんぼ)の組合の場合。
いわゆる戦時体制期に「統制」された状況とことなり、30年代までの日本資本主義のもとでは、労働者のなかにはワタリの「職工」(しょっこう)が少なからずいて、かれらが腕一本で「労働市場」を横断的に流動していたことも、融通しあうという共同性の維持に少なからず影響をおよぼしていたのではないかと思います。とりわけ中小の群小工場なんかはそうですね。しかし夜10時に集まって相談しながら問題の起きた工場にみんなでおしかけるって、つまりは小さな町工場にいる職工が横断的につながってた、つながらざるをえなかったからこそできるワザなんですよね。いまでいう地域合同労組・コミュニティユニオンはこの系譜をひいてるんじゃないかと。しかし独占─下請け─孫請け─etcの底辺の零細親父も悲惨だったかなという気もするけど、まあ払うもん払わないといけないのはいつの時代もいっしょ。問題は甘い汁すってるやつが安穏とあぐらをかいてるその足下で、びんぼったれどうしがいがみあわなきゃならん構図。そりゃひとりぽっちだと陰々滅々ですわね。
話がそれる。んで、この戦前の超不安定雇用の先輩労働者たちはこうした共同性のなかで融通しあうことで、じっさい失業しても死なずに生きのびていました。争議になると「とーちゃん工場占拠」「かーちゃん物資もって行商」という家族ぐるみ闘争になったという記録もあります。……あーやばい、こんなとこでメモ書きしてないで、のばしのばしにしているものをかたづけないと。アナボル論争なんて主義者の論争だけみてても、現実の労農の運動がどうだったかなんて見えてこないんじゃ。なんのこっちゃ。
さて、「とーちゃん・かーちゃん・こども」の家族のありようはともかくとして、見知ったなかまうちでなんとかやりぬくという生きるための集団性は、古くて新しいものなのかもしれません。ひところ(もうだいぶ昔か)ブルジョア・アトミズムがうんぬんかんぬん…とよくいわれましたが、ブルジョア的単体として生きるには、とうぜんながらほとんどの賃金労働者は貧しすぎます。じゃこのさきどうすんの。ないものは背に腹にゃかえられぬ、あるところからブンドルしかありませんが、現実的にはなかなかそうもいってられない場合、なかまうちでなんとかするということもとーぜん視野にはいってくるでしょう。そういやおれ、東南アジアへDIYツアーに行ったときにバンドメンバーに借りた金を五年もかかって清算したとか(無利子金融ありがたや)、そういうわれながらひでえ話があるんですが、でもそんな一方向的なアレはともかくとして、お互いになんとか手をかしたりかりたりして生きのびるってことは十分射程にはいってくるでしょう。そう、貧乏人ほど都合つけあったりしてなんとかしてんじゃないのかというわけ。無尽やるほど余裕ないけど。しかし問題は友だち・仲間がいないぜどうなるんだ問題はここでは問題化できずに素通りするということです。ひどいな。
ってことで、いつにもましてコジツケがすぎますが、自由と生存の家! みんなで住むとか、それだけでもけっこう心強いものがあるのでは……貧+貧=強靭、という感じで。「孤独への権利」をたいせつにするひとには集住は向かないかもしれませんが(おれか)、ある共同性をもった居住の空間をつくりだすというのはこの殺伐としたサバイバルの時代には興味深いものがあります。弾圧くらうときは一蓮托生というような気もしますが、ガサの立ち会いもひとりよりふたり、ふたりよりさんにん、というようなこともおりこみずみで、「居住=運動」と展開できれば面白いのでは、と放言しておきます。面白いだけじゃすまないはずですけどね、なんとか日々暮らしていくということは……それこそ貧乏人ほどオモクロになる。
四谷三丁目物件は職場から近いはずなのですが、とにかくけっこう賃労働+αでままならず一度もお手伝いに行ってまへん。それどこじゃなくてそもそも労組の活動からもけつわってますが、とにかくおもしろい取り組みとしてメモ。
ではおやすみなさい。もうろうとしながら書いてるので、起きたら消すかも。
etikedo : 居住



