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無政府主義将軍マフノのドラマ

無政府主義将軍といえばネストル・マフノ。

このウクライナ・パルチザンの人生がウクライナ/ロシアでTVドラマ化されていました(制作2005年、RTVi放送06年)。うかつにも全然知らずにいて、YouTubeで検索していてつい最近気がつきました。だれか翻訳して字幕つけてください。ドンパチスペクタクルっぽいから軍オタにも需要あるんじゃないかと…(冗談)。なお、作品の参考情報を英語化したウェップページに The Nine Lives of Nestor Makhno があります。

それにしても、マフノフシチナ(マフノ運動)がTVドラマの対象になるのも、ロシア共産党正史の重圧から「解放」された現在だからこそのことかもしれません。つまりボルシェヴィキ反革命にぶっつぶされたウクライナ労農革命運動史にも、叙情的な歴史ものがたり化がなされうる時間がおとずれたということです。

しかし、アルシーノフのマフノ運動史を訳した郡山堂前氏によれば、「現地の人はマフノ反乱について余所者にはあまり話したがらない、話しても無駄だと思っているらしいこと、しかし同時にマフノ反乱に否定的な態度の人でもマフノとマフノ反乱を誇りにしているようだということ」があります(1)。ここから状況の変化がどうあれば他律的なTV映像化が可能となるのか、むしろそのことのほうが気になります。

現在、ウクライナといえば、親ロシアか反ロシアかというUS帝国の戦略上の二元論にそった報道ばかりがなされ、ひとびとがどうであるかを伝えようとするマス・メディアはほとんど存在しません。もちろんインディメディアなどの独立メディア運動体が存在しているので、その気になれば情報はいくらでも入手することはできるでしょうし(ただし言語の壁がありますが)、また運動体からの情報もあるわけで、マフノたちのたたかいが提起した自由共産の革命運動の今日的な意味がどうあるのかということは、たとえつたないものであっても考究されうべきものだと思います。

むしろ金融資本主義崩壊後の世界にあって、「自分の運命を自分自身の手に握り、自分の生活を自分自身の意思、自分自身の真実によって建設するためにこそ、われわれは勝つのだ」(2)というマフノ運動の意義が生かされるべきであり、懐古趣味の叙事詩はほんとうは必要ないのであります。

(より理論的な関心でいうと、マフノ運動は革命の扼殺者=ボルシェヴィキに敗北したのち、アナキスト総同盟論というこんにちにまでおよぶ組織論的問題を提起しているため、運動の総括はたんなる訓古学にとどまらないはずです。)

(1) ピョートル・アルシノフ『マフノ運動史 ウクライナの反乱・革命の死と希望』(郡山堂前訳、社会評論社、2003年)の訳者解説より。同氏は1999年から2001年にかけてドニエプロペトロフスク市(旧エカチェリノスラフ市)に滞在し、「現地の人」の反応を直接経験しているとのこと。
(2)ドイツ・オースリア軍兵士やコザックに向けたマフノ初期のビラより:「勝利か死か──歴史的瞬間としての現在、これこそがウクライナの農民が直面している問題である。だが、われわれの全てが死ぬことはありえない、われわれは余りにも数が多いからだ、われわれは──人類そのものだからだ。それゆえ、われわれは勝つだろう。だが、これまでのように、新たな主人に自分の運命をゆだ ねるために、われわれは勝つのではない。そうではなく、自分の生活を自分自身の意思、自分自身の真実によって建設するためにこそ、われわれは勝つのだ」(前同 p.55)

文献(絶版本ばかり)
  • ヴォーリン『知られざる革命 クロンシュタット反乱とマフノ運動』(野田茂徳・野田千香子訳、現代思潮社、1966年)
  • ヴォーリン『一九一七年・裏切られた革命 ロシア・アナキスト』(野田茂徳・野田千香子訳、林書店、1968年)
  • ポール・アヴリッチ『ロシア・アナキズム全史』(野田茂徳訳、合同出版、1971年)
  • ピョートル・アルシーノフ『マフノ叛乱軍史 ロシア革命と農民戦争』(奥野路介訳、鹿砦社、1973年) 郡山訳は新訳
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Author:noiz
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