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無法者、公安警察

2009
08-22
またも逃避で更新。ただのメモ。なんでもありの公安警察・思想検事のきたないやり口を告発する法大生あり。負けるな!
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研究者と主体性

2009
08-20
かつてあった研究者の主体性をめぐる苦闘について知る。

三〇年以上も前の青年中国研究者会議のあいさつは、「大学闘争に象徴される文化闘争を,一歩後退した地点で学問,研究,教育の問題として持続的に継承せんとし」た意気込みにあふれ、同会議がなくなろうといまなおその意義を失わない。この意気込みは、批評のにみ閉じこもって人をせせら笑うばかりという腐敗した精神とは無縁だ。

しかしこのような研究者集団はいまはもう存在しないようにも思える。いうまでもなく、かかる問題は史学ばかりにとどまるものではなく、客観をよそおって自らを隠す怯懦はあらゆる領域をおおう。

ちなみに『中国民衆反乱の世界』は続刊があるようだ。(頒価がむちゃくちゃ高い……)

労工として殺され、生きる人々

2009
08-12
戦時中の中国人強制連行問題といえば、たとえば花岡事件などは知っていたつもりですが、七尾の強制連行についてはまったく知らずにいました。それでなにがオトシマエだおまえは状態ですが、とりあえずリンクだけ。ウェッブページのタイトルの漢字が一字違っているようですが、七尾中国人強制連行問題
 運動体のサイトがないため地方議員さんのページへのポインタです。でも、サイトなんかなくても運動はできます。基本は紙つぶてです。

 さて、七尾の運動については、9日一緒に持ち場についた方にいろいろと教えてもらいました。びっくりしたのは、「いつのまにか前におしだされて──」と語ったその方が、ほとんど持ち出しで運動にとりくんできたということ。裁判闘争をすすめるために、たびたび大陸にとんで交流と調査を続けてきたというのです。どこかの篤志家がカンパしてくれるわけでもありません。他の仲間たちや弁護士もまったくの手弁当だそうです。それでもそれを助ける人々がいるから社会運動が成立するのです。人間の歴史は政治がかなりの部分をしめますが、政治に直接かかわらない人間もまた歴史をつくるのだということをよく示している話だな、と思いました。
 そしてわたしはただひたすら頭があがりません。前面にたつことと裏方の仕事に違いはないと思っていますが、ことこうした運動で前面にでることで引き受けざるをえないリスクというのもまた確かにあるからです。それは単に経済的負担というだけでなく、日本帝国主義の罪業を認めようとしない自民族中心主義者からの攻撃をも引き受けるということを意味しています。

 話をきくなかで、印象にのこったことをもうひとつ。
 強制労働の当該や「労工」として殺された人々の遺族が、最近までずっとだまってきたということ。「おまえ(のおやじ)は日帝のために働いた」といわれるのがおそろくして沈黙してきた経過があるというのです。これは当然にも戦争がなければありえない悲劇です。日本帝国主義の罪業は、戦争そのものだけでなく戦後もたらされる事態によって倍加せざるをえないのです。戦争と革命からある程度の時間が経過し、ようやく証言にたつことが可能になったということもあるでしょう。しかし沈痛の黙秘という事態を動かしたのは、やはり人間どうしが交流する社会運動あってのことです。

 大陸各地からきた人々はそろいのゼッケンをつけていて、前面には怨とありました。
 偶然にも怨ということについて思うところがあって、そしてなぜか愕然としました。慰霊行事で当該や遺族が慟哭にくずれおちても怨念はきっと昇華されないだろうと、そう思うことの不遜さを懼(おそ)れながら、なぜかそう思わざるをえませんでした。困苦は集団的でありながらも、結局は一人ひとりのものであるしかないからかもしれません。
 ではかわりに「人民連帯」によって怨みが晴らされるのでしょうか。あるいは帝国主義の打倒によってでしょうか。わたしには分かりません。ただ少なくとも、人々の実際の連なりのなかでなにかが動くということが確実にあります。それだけのことを思いながら、大陸からきた人々がうたうインターナショナルのサビの部分だけをそっと唱和しました。

23号地にて

2009
08-10

我還父親
6830人分の慟哭
大日本帝国が焼ける夏の日
定年退職後もかけずり回る人がいる

裹頭衆は合意形成をわらうか

2009
08-08
I

 仏教の話ついでに。

 ちかごろ、直接民主主義的なものごとのとりきめかたについての議論が、よく見受けられるようになった(気がする)。方法論としての合意形成論(decision making)、その実践的役割への言及──。
 なるほど、集団的な意思決定への過程が民主的でない、あるいは民主主義をうたないがら形骸化しているという現状批判は、よく分かる。どこにいっても、おさだまりの「意思決定するものの慣習」がその場を制していることは否めないように思う。とくに限られた時間のなかでの決定は、ともすれば多数派と少数派の対立と対立の表面的回避による決着のなかでしかなしえないものとしてあるだろう。このことは社会運動の現場においても例外ではない。
 だから意思決定についての課題としても、これまた輸入思潮の出番とされる。そしてもっぱらそうしたヨコモジの新たな方法論を、なにかすべてを解決するかのようなものとして傾聴する権威主義さえ見受けられるようだ。
 だが、いわれるところの集団的な合意形成にあたって、ほんとうに直接民主主義的な手続きやその追及がなされているのかどうかについては一概にいえるわけがない。日本であろうが、海外であろうが、現場ではそれはつねに問題としてある現在進行形の課題だ。
 反グローバリズム(あるいはオルター・グローバリゼーション)の社会運動の文脈のなかで画期的な抵抗闘争としてしばしば言及されるシアトルやジェノヴァの闘争にしても、全体を統一するような合意形成はありえなかった。その双方とも、実力行使を辞さない部分は最初から運動体の連合にはくわわっていなかった。だからかれ・かのじょらは最初から鬼っ子として叩かれる結果のなかにいた。間違いなく現場は分裂していた。その分裂のなかで、とりわけシアトルでは、一方は「ブラックブロック」を暴徒とよび、別の一方は平和主義者を「ピースコップス」とよんでお互いを侮蔑しあった。とある北米在の宿無しアナーコ・パンクの仲間はその経験を、ある意味で直接行動派とピースコップスとの闘いだったと笑ってふりかえったことがある。「おれたちを売る平和主義者はどこにでもいるからな」といってかれは肩をすくめた。
 ところがグレーヴァーのように「新しいアナーキスト」として売出され中のもののなかにさえ、たとえばブラックブロックをなにか非暴力主義的な本来性をもつものであるかのようにいいなす傾向が存在する。非暴力直接行動? ばかをいえ! ブラックブロックとは現場共闘の一時的な集合体で、その行動の性質について一概にいおうとすることじたいが間違いだ。平和におわる行動もあれば、実力行動にでる行動もある。分かりきったことではないか。ショーウインドウ破壊やモロトフカクテル投擲なども含まれる実力行動に従事するものをつかまえ、それを非暴力の使徒であるかのように位置づけるやり方は、欺瞞のわざというほかない。

 問題は、暴力をめぐる議論だ。現場はこのことをめぐってつねに分裂している。

 そうであるのに、たとえばこの日本では、海外の運動に派生する目新しい事象を見つけだしては、これを新たな民主主義の時代の到来を告げるものとして紹介し、その積極的な意義だけを強調する傾向がある。しかしそうした態度は、人がなすことにかならずつきまとう負の性質をおおいかくすことにさえ通じるだろう。
 もちろん、行動の多様性を保証するものとしての合意形成に関して、運動全体の統一をはかるものではないという議論があることは承知している。それでもなお、治安当局との一定のせめぎあいが前提としてあるときに、行動の空間的制約があるなかでの合議に関しては、やはりその一定の制約に対応する総体的な連絡がなければ(その連絡は調和的でなくてもよい)、現場は分裂せざるをえない。その分裂を含み込んだ場の共有ないし競合が最初から前提とされているならそれでよい。分裂・競合をめぐる各運動体は相互に批判しあえばいいだけだからである。問題は、それがけっして調和的なものでなくむしろ分裂含みであるということについてふれることを慎重に回避しながら、多様性とそれを保証するという合意形成のすばらしさについて喧伝する欺瞞にある。そんなに多数派になりたいのかということが、そこで問われる。

II

 さて、この地における合議をめぐる闘いの歴史はいうまでもなく古い。通俗的な言説として日本人の特質に「和」があるかのようにいうものがある。その正否はともかくとして、その「和」の根幹は、日本人は中世以後、基本的に衆議によってものごとを決めてきたという、その歴史的性質に規定された幻像にあるだろう。
 王権の権威が相対的に低下し、東国を中心とする幕権が京(京都)にさえ部分的におよんだとき、その社会はどうだったのか。中世の社会的本質をいうものとして「自力救済」ということばがあるが、これはひとことでいってしまえば弱肉強食に依拠した自由のことだ。誰も助けてくれないやったものがちの世界。そしてその力の世界のなかにあって朝幕に対抗する第三極をなしたのが、南都北嶺の武装した有力寺院であった。そしてその有力寺院の経済活動とともに台頭したのが金貸しどもである。中世の世界には統一された国家権力は存在しなかった。
 これら寺門は内部に武装勢力をかかえこむことによって権門としての地位を確保した。南都は興福寺・東大寺をはじめとする古代から残存する奈良の宗派勢力、北嶺はいうまでもなく京都をにらむ位置にあった山門=比叡山延暦寺などの諸寺坊で構成された天台宗系勢力のことだ。朝幕の権力に伍した寺社勢力には、高野山や根来寺などの真言宗系の宗派もあった。武家が支配したとされる東国においてさえ、たとえば日光山輪王寺などが一大武装勢力を形成して自治権を獲得していた。
 とまれ、権門としての寺社勢力は、その武力によって自治が保証されていた。その自検断の前には、朝廷も幕府も容易に手をだすことさえできなかった。そしてその荒ぶる寺社勢力はときとして朝廷とも結びつきながら広大な版図を手にしていった。(これら権門的宗派をのちにほりくずすのが浄土教系門徒で、一向一揆はその極端な自治的表現であった。)
 ところで、中世では政治権力の構成のされ方に変化が生じたことはよく知られるところだ。独裁から集団合議の権力へと移行するのである。朝廷でも武家でも基本的に変わりはない。むしろ突出する独裁者的人間が頂点にたつと、必ず波乱がまきおこった。朝令暮改の権力亡者・後醍醐しかり、将軍職初期時代の足利義政しかり。長期間の中世的世界のなかにあって、政治権力さえ規定したものごとのありようには、専制ではなく合議による動かされた形跡が一貫してみられる。
 これは政治権力だけでなく、あらゆる社会集団にみられた傾向である。惣村や都市の自治も、賤民とされたものたちの社会の自治も、基本的に合議によって運営されている。その社会を構成する基本的特質の大勢のなかに、有力寺院の政治もまたあったのである。
 その武装する有力寺院は独自の寺法をもって運営されていた。ものごとの決定には座主・別当の意思も影響をおよぼしはしたが、基本的には僧団(サンガ)の合議によってその運営が規定された。しかもサンガは上臈(上位)のものだけなく、下級の僧侶・宗教者・雑役従事者も構成するものとしてあった。寺院内にはいくつもの合議集団が形成され、そのなかには下位のものたちの集団も存在した。そして上位はつみあげられていく下位からの合意を無視することができなかった。武装していたのはかれら下位のものたちだったからである。そして京にのりこむ嗷訴やよその寺社との喧嘩について議論するかれらは、独特の合議の方法をもっていた。
 裹頭(かとう)袈裟というものがある。目元だけを残して頭をすっぽりとおおいかくす頭巾の役目をはたす特異な袈裟のことだ。そして南都北嶺の下級の僧団はこの頭巾をかぶって重要な会議をとりおこなった。裹頭衆の僉議(せんぎ)で、下級僧侶・僧兵たちは顔をかくし、比叡山ではさらに鼻をつまんで声音まで変えて各々が発言するというかたちをとった(『源平盛衰記』)。そうやって発言者を特定させないことで、意見の内容そのものだけをもってその合否をきめようとしたのだ。そこには、発言者に序列的権威を認めず、また外部からの介入を排し、内容だけでものごとを考えようとするまっとうな精神があった。とくに下位僧団の衆議は、ときに大衆蜂起にかんする議決をしなければならないなどの、自らのいのちにかかわることがしばしばあったため、集団の利害について生半なことでは決定しようがなかったはずなのだ。だからそこで個人的な利害得失が排除されるのも当然のことだったのである。とはいえ、酒を飲みながらだとか(延暦寺)、寺院内の大湯屋でもうろうとするなかで(興福寺)大衆蜂起の会議をしていたケースもあったようで、その場合は勢いだけで蹶起したのかよ!(どこが成員民主主義だよ)という「問題」が残るが、まあそれもいいじゃねえか、死ぬのは自分だ。
 このように、法相宗・華厳宗・天台宗・真言宗などの「顕密体制」をなす諸宗派に見られる「ブラックブロック」(笑)も、その行動会議でいちおうはまじめに衆議していたわけだ。あるいは土一揆のさいの百姓の意思決定も同様で、かれらは衆議・連判することで、オトナ主導とはいえ成員平等原理による合意をもって一揆契状を結び、戦乱の世界に対処した。南都北嶺の宗教秩序を打破する一向一揆にしても同じことであった。ただそれらは階級ごとの自足する秩序を形成しただけで、階級の異同をのりこえようとする水平性をもった民主主義であったかといえば、やはりそうとはいえない。
 しかしなにも近代以前のすべてが暗黒であったとする必要はない。制約はあるにしても、民主主義の萌芽はすでに前近代の世界にさえある。問題はやはり、理念そのものの高邁さがどうであるかよりも、実践の苦しみのなかにこそあるのだ。立派なことなら誰でもいうが、おれはもっとババをつかんだやつらのみじめでみっともなくてしょうがない、でもそれぬきには自治などありえない右往左往──そういう話がききたい。きれいごとは、もう、ほんとうにたくさんだ。

 でも「近代の超克」にならないように気をつけよう(わら)。

一休 乱世に生きた禅者

2009
08-07
『放浪息子』と別のとこで買ってきたのが一休さん本。『一休 乱世に生きた禅者』(NHKブックス、1970年12月)。200円也の貧乏読書。著者の市川白弦は仏教者(宗教者)の転向問題にとりくんだアナキスト禅者です。くわしくは白仁さんによる解説を。72年還俗とのことなので、坊さんだったころの著作ですね。あわせて再読しようと思っていた中公クラシックスの『狂雲集』がみあたりません。汚部屋のどこかにあるはずなのに。

(追記)白弦さんて黒衣同盟の運動を禅宗(臨済宗)でも実行しようとしたんですよね。浄土真宗における黒衣の意味とその後の同胞運動については、小武正教「袈裟と僧階制度 ─「僧侶の水平運動」・黒衣同盟に学んで」をどうぞ。七条袈裟批判の真意とかが簡明に解説されています。
 真宗には黒衣同盟や同朋運動がありますが、どうやら浄土宗の方には黒衣に特別の意味をこめた運動はないようですね。法然さんを追慕する黒衣行脚・法要があるようですけど、ふだんは白衣金襴じゃね~。そもそも袈裟をつける意味なんて、縫い合わせたボロきれ(糞掃衣:ふんぞうえ)をまとうところにこそあるんだから、坊主はみんな本源にたちかえるべきなんじゃないかと思うのですがいかが。

なみだの放浪

2009
08-07
せっぱつまっていた一件が一段落して、久々に街「放浪」のあげく漫画を買ってきました。

『放浪息子』9巻(志村貴子)、なみだなみだの放浪展開。めざとい人には旧聞でなにをいまさらなんですが。

主人公は「女の子になりたい」男の子、中学生。もうそれだけでなみだ(ぉぃ)。巻末では、「女の子/男の子」という思春期のゆれ(だけ)がモメントじゃないんだって主人公の意思がかいま見られるくだりがでてきます。ここでまたなみだ。あのーこれ漫画なんですがって、分かってますよ。

それにしても他校のセーラー服きて学校にいっちゃう放浪ぶりは……作者よくやった。このくそ差別的な社会(子供社会ふくむ)で越境しようとするものは「弾圧」されるってところを、オブラートにくるんで読ませるのがね、なんといえばいいのか、絵柄がかわいらしいのでさらーっと読めそうなのにまいど肺腑をえぐられるような感じになっとるわけです。

おしむらくは主人公が「かわいい男の子」で、「ブサイクな男の子」じゃないところ。それじゃ漫画にならないのか。いやそんなことはないはずだ。ただし作中には「かわいくない」と「自覚」している男の子が主人公の親友としてでてきます。かれもまた越えたい人。

画面が白いとかキャラの描き分けができてないとかいろいろいわれてきたようですが、テーマ偏重愛好読者にとってはそんなことは二の次なのだ。

巻末のおまけで作者が「汚部屋女」だってイシデ電が暴露してますが、ぼくんち「汚部屋」。うへへ。

【ポインタ】黒色救援会の声明

2009
08-06
これは転載するより、ブログをすみからすまで、ぜんぶちゃんと読んでもらった方がいいね。

★7.6 大阪黒色救援会声明

去年の釜の件です。こっちも入り用だと思うので余裕のある方はぜひ。それから獄中者への激励の手紙も喜ばれるかもしれません。詳細は直接問い合わせてね。Vivu la ABC/FWF!

【転載】渋谷警察署の横暴を許さない!反弾圧カンパのお願い

2009
08-06
色々思うことがあるが転載だけ。カンパ! 金ねえよ! お金持ちよろしく。

渋谷警察署の横暴を許さない!反弾圧カンパのお願い

 昨年11月、渋谷の野宿者に対して指紋採取・写真撮影攻撃を強行した渋谷警察署だが、野宿者や外国人など「持たざる者」に対する排除・排斥主義に基づいた弾圧攻 撃はとどまることを知らない。去る5月30日イラン人のAさんが、ケバプ屋台の賃金をめぐりトラブルがあったイラン人のBさんと喧嘩沙汰になり、渋谷署東口交番から渋谷署に任意同行の末、暴行の容疑で逮捕された。被害者であるBさんは何ら受傷 していないのにかかわらず、右薬指打撲、左肘擦傷など受傷したAさんのみが逮捕されたである。のじれんとして昨年4月再来日以降野宿状態であり、統合失調症の既往 歴(現在は治癒)のあったAさんを支援してきた。7月、精神科を退院し、町田のSSS(悪名高き生活保護施設)で生活保護を受けていたAさんが今年5月退所処分になり、荷物を廃棄されたことについて、町田福祉事務所にともにかけあう矢先の逮捕だった。Aさんの突然の逮捕を受け、即座に救援態勢を組んだが、勾留期限の6月10日面会に行ったところ、暴行の件は釈放になったが、再逮捕されたとのこと。その 容疑は電磁的公正証書原本不実記録・同供用ということが弁護士の追及で判明した。6月12日付の東京新聞や産経新聞の記事によれば、ケバプの屋台に使用する車が東京都の「ディーゼル車規制」のため車検を取る際、居住実態のない他県に住民票を移し「不正に登録を受けた」としてAさんともにBさんも同容疑で逮捕された。さらにAさんの外国人登録証の住所が町田のSSSになっており、そのことも同容疑に問われているという。
 警察権力は一体何を問題にしようとしているのか!かかる「被疑事実」において誰が不利益被っているというのか!Aさんは離婚したとはいえ、永住資格があり、日本人の妻との間に4人の子供がいる。その子供さんたちとの関係もうまくいっているとのことだった。私たちはこの間の「在特会」と称する連中の差別、排外主義攻撃と今回の渋谷という地域に現れた弾圧と同質なものを見る。
 Aさんは6月30日略式裁判で30万円の罰金の判決を受け釈放されたが、8月14日の期限まで罰金を納付することが困難で、このままでは60日間の労役場行きの可能性がある。
 またAさんの逮捕に先がける形で、2月、渋谷駅国道246号沿いガード下で野宿していた仲間Cさんが酒に酔った通行人からダンボールを蹴られ、追及したところヘッドロックなどの反撃を受け、防御するために指の一部を噛みちぎるという「事件」があった。Cさんは東京地裁から執行猶予付きの有罪判決を受けたが、全く野宿者として日常的に通行人から受ける暴力について判決に反映されてないことや、「被害者」とされる通行人の検察調書を追認した判決を不服として控訴審を闘うことを決意した。
 Aさんの「事件」といい、Cさんの「事件」といい、渋谷署の差別、排外主義に満ちた「持たざる者」の弾圧に対して、私たちは絶対にその追及の手を緩めない。
 つきましてはAさんの30万円の罰金やCさんの控訴審費用に対して、多くの方々のご注目、ご支援とともに、現金カンパをよろしくお願いします。

のじれん 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
連絡先 080−3127−0639
カンパ送り先 郵便振替00160−1−33429 「のじれん」(反弾圧カンパ とお書き添え下さい)

マレーシアで治安維持法反対デモが弾圧される

2009
08-03
逃避の一環でメモ。

8月1日、マレーシア・クアラルンプルにて国内治安維持法(1960年制定)反対デモに1~2万人参加。ポリ5000人がでばって弾圧。逮捕者報道にはばらつきあり、AFPでは288、ロイターでは589人。
マレーシアの Abolish ISA Movement や Wikipedia によると、この治安維持法(The Internal Security Act 1960; Akta Keselamatan Dalam Negeri)では外部交通を遮断したままひとまず60日間勾留できると説明されている。日本では最長23日間だが、その2.6倍か。その間、弁護士、家族いっさい接見できない。しかしそれだけじゃすまないケースもあるようだ。さらに2年間の勾留(!)ともなれば Kem Tahanan Perlindungan Kamunting(Kamunting Detention Centre、カムンティン拘置所)行きで、この場合は家族の訪問が可能だとか。

Wikipedia に掲載されているひっかけられた人の一覧見ると、最近はジェマー・イスラミーヤーの人らが2年間の勾留をくっている。なかには4年、6年勾留という人もいる。これは勾留が延長されているということか。なんというおそろしい未決勾留システム。未決ですよ。裁判なしで数年間も拘置所にぶち込んでおけるんですよ。カムンティンの拘置所では暴動も起きていますよ。拷問事件もあるというからそりゃ当然だ。

この弾圧法、もとは反共法としてあったようだが、その後いろんな人がひっかけられている。21世紀に入ってからはイスラーム主義組織つぶしにも使われていると見える。
Abolish ISA, Close Down KEMTA!(KEMTAはカムンティン拘置所のこと)


:D

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


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