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[持たざる者]とブッシュと

2009
10-30
2009年11月3日(火)の東京はデモ2連荘日和?!
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Voĉo Protesta - Vojo al Libereco 12" LP リリース

2009
10-25
Vojo al Liberecoイギリスの DIY パンクレーベル LA VIDA ES UN MUS より voĉo protesta (voco protesta, cの上に^) の Vojo al Libereco 12" LP がリリースされました。すでに日本各地のレコ屋/ディストロに入ってきてるようです。ハードコアパンクをうけつけない人にはとーぜんオススメできません。ほとんどの曲が1分代でドッタドットタ、ドッタドットタ、ギャー!で終わると想像してください……これじゃ意味不明か(笑)。拘束もとい高速パンク好きな人向けだと思います。

レコーディング時のメムブロは voĉo(voice): uemoto, gitaro(guitar): aoki, baso(bass): sima, tamburo(drum): kawaguĉi。ギターのヘルプで aoki くん(snowline)にお世話になりました。コーラスとB面ラストのヴォーカルは ascum さんです。

LP のタイトルになっている “Vojo al Libereco” は、「自由への道」という意味です。歌詞はすべてエスペラント語で書いていますが(いつまでたっても学習中なのでインチキ・エスペラント)、いちおう日・英の対訳つき。

いまのところ気がついている歌詞の誤植・誤記は以下のとおり。すんません。
  • B面の klasa politico は klasa politiko の誤植。
  • B面の nenio estas krima の英訳部分 no one isn’t criminal は no one is criminal の誤記。意味がさかさま。
追伸:現在 vo/g はぼくが兼任でリハしてますが、いまだにがっつりギターロ(ギター)募集中です。ブリブリの fuzzzzz...!! な音色でやってみたいという人は連絡ください。Shitlickers、Curde SS、初期 Anti Cimex、Private Jesus Detector あたり……ってな感じか。活動は東京がベース。

韓国の反徴兵運動について思い起こすことども

2009
10-22
雨宮処凛さんがマガジン9条でキム・ソンハさんのルポをまとめている。韓国人のキムさんは日本に滞在中で、徴兵拒否の当事者だという。
 韓国には徴兵制がある。オトコだけの徴兵だ。拒否すれば投獄。おまけに代替制度もない。それじゃみんな軍隊いくんだろうなと思うと、拒否する人もいる。投獄覚悟で徴兵を拒否する人たちが存在するのだ。
 たとえば、徴兵制がらみでもっともおおくの被弾圧者を輩出しているといわれる「エホバの証人」の場合、徴兵検査は受けて入営するものの、実地の訓練で武器をもつところで最後的に拒否して抗拒罪(抗命罪)で投獄されるケースが多いときく。仏教徒でも拒否する人がでた。もちろん「反戦・平和」などの思想信条によって拒否する人もいる。いずれにせよ、韓国で(徴兵逃れではなく)徴兵拒否が社会的問題として大きく表面化したのは、2001年以降のことだったと思う(2000年からぽつぽつ動きは現れていたようだけれど)。
 なお、アムネスティは2002年に、「韓国では毎年500人以上が良心的徴兵拒否で投獄されている」と報告している。

ところで、雨宮さんのルポ「韓国・徴兵制なんて嫌だ! ある若者の闘い。(その3)」では、キムさんに「だめ連」の存在を教えた「A氏」の存在が言及されている。なぜ伏せられているのかよくわからんのだけど、通称ブンブンのことだろう。ブンブンは2001年1月に東京で“叛徴兵マニフェスト”を書きあげ、帰国後しばらくして騒動をまきおこしたアナキストだ。東京滞在中に19歳になってソウルにかえった兄ちゃんで、セックスピストルズでアナキズムを知ったというパンクスでもあった。
 ブンブンは2000年12月に東京にやってきて、早稲田にある「あかね」という知る人ぞ知る“交流居酒屋”を根城にして、日本の気のいい連中と交流しまくった。「おそらく韓国の徴兵問題についてアピールしようと思ってきたのだろう」という雨宮さんの書き方はちょっとおおげさかもしれない。ブンブンはまず友人をたよって東京に遊びにきたんだ、というのがぼくの印象だからだ。遊びにきたというのはほんとうのことで、うちに泊まり込んだときにゃ古谷実のギャグ漫画を見て笑い転げていたもんだ。はじめ飛び入りで店番をやって、あとですっかり定着してしまった「あかね」では、よくチヂミを焼いていた。みんなかどうか分からないけれど、お人好し連中の多くがブンブンの人なつっこい笑顔につられて笑った。
 もちろん徴兵がいやだというブンブンの気持ちは、東京にくるまえからのものだった。そうして東京滞在中に日本には徴兵制度がないと実際に耳にすることになり、「おれだって軍隊なんかいきたくねー!」「アナキストといっておきながら国にしたがうしかないのか」というせつない思いをあふれんばりにさせていったのだろうとぼくは見ている。ブンブンは宣言を書くまえから、東京の友人たちと徴兵についてよく議論した。もちろん話が韓米・日米の安保体制におよぶこともしばしばだった。「あかね」でブンブンと交流した多くの人たちが、徴兵制度、ひいては現実の軍事体制の問題について考えさせられたことだろう。道場親信さんが東アジアにおける軍事体制と徴兵制とのかかわりについて考究しはじめたのも、ブンブンの反徴兵の思いに接したことが契機となっている。
 こうしてブンブンは年明けにマニフェストを書いた。おまけに帰りたくないとグズついているうちに案の定オーバーステイ。空港でとっつかまって入管に送られ、しばらくそこに留め置かれたが、友人の支援もあってドタバタしながら帰途についた。

2001年2月にソウルに帰ったあと、ブンブンはアナキスト仲間の協力のもとにウェブサイト Anti-Military Service! をたちあげ、反徴兵宣言を公表した。宗教的信条による良心的拒否ではなく、思想(アナキズム)にもとづく反徴兵宣言は前例がなかった。あくまで「反徴兵 anti-military service」であるところに、ブンブンと仲間たちの意志が示されていた。翌年の3月に東京から支援者が訪問したとき、かりに代替制度があったとしても、国家にしたがって服務することに否定的な意見をブンブンは伝えている。
 でも、反徴兵を公然と宣言すればやっぱりそのままですむわけがない。しかもアナキストの立場からキッパリといいはなったのだから、国家権力が黙っているはずがなかった。2001年3月には、徴兵拒否・忌避関連のウェブサイトに対する警察の捜査がいっせいに開始された。照準をあわされた3サイトのなかには当然ブンブンたちの Anti-Military Service! も含まれていた。というより、政治思想的な立場から反徴兵を公然と掲げたブンブンたちがもっとも付けねらわれた。しかしブンブンと仲間一人は刑法違反(「徴兵拒否団体加入罪」)を理由に警察からの出頭要請の攻撃を受けたものの、これを拒否。直後に諸団体が逮捕されないように声明してくれたが、同時期に存在していた他の徴兵拒否サイトや、徴兵逃れ(徴兵忌避)の情報交換サイトなどは自粛するなどしてつぶれた。また残ったサイトもやがて消滅していった。とうのブンブンたちのサイトも、翌年の5月には国家によるインターネット検閲がもとでホスティング会社が恫喝され、強制的につぶされることになる(のちに復活するが現存しない)。こうした一連の動きをハンギョレ新聞などのマスコミがとりあげ、騒ぎがひろまったのだ。
 こうしてブンブンがソウルに戻ってすぐに波乱がまきおこったため、心配した東京の友人たちが4月末にソウルにとんでメーデーでの宣伝活動に合流した。ぼくがソウルのメーデーってものすげえんだなと直接知ったのは、このときのことだ。東京の有志はのちに「韓国の反徴兵運動に連帯する会」をつくって活動し、リーフレットや日本語情報サイト(現存しない)を制作するなどしてソウルでの動きを伝えたのだった。
 紆余曲折もいろいろあって、ブンブンは不安でつらい時間を長くすごしたはずだ。しかし2002年5月、ついに兵務庁から「おまえはいらない」と通告されてブンブンはお役御免となった。これはほんとうに例外的なことだった。政府高官だの金持ちだのの息子に徴兵逃れが可能でも、おおっぴらに徴兵制度を問題にして放免された人間はそれまでにいなかったのだ。昔だったらむりやり軍隊にたたきこまれてイジメぬかれていたかもしれない。この例外措置はひょっとしたら、ブンブンたちが反徴兵だけでなく反軍・反国家などの韓国政府にとってトンデモナイことを宣伝しまくっていたことに関係しているような気もした。兵務庁からの徴兵免除通告と並行して、ブンブンたちの反徴兵サイトが弾圧されたため、よけいに思想宣伝が問題とされたように思えたのである。
 ブンブンは「生真面目」に運動するのが苦手なやんちゃ坊主だったけれど(延世大の文化祭にバンドで参加するも尻出しを糾弾されたことがある)、それでも韓国のいろいろな大衆運動の場にしっかり登場して徴兵制の問題を訴えている。2001年のソウルのメーデーではアナキスト仲間とともに黒旗をふりまくって駆け足デモに参加した。もちろん徴兵拒否者としてのさまざまな場への登場は、仲間のサポートがあってこそのことだった。同時期に拒否した人々も含め、サポートしてくれる弁護士チームだってつくられた。だから推測できる理由がどうあれ、ブンブンが軍隊にとられなかったのは「みんなのおかげ」だったはず、ともいえるのだ。その後かれは世界放浪の旅に出て、いまは韓国に戻っている。
 いずれにせよ、大韓民国はいまでも朝鮮民主主義人民共和国とは「休戦」の状況にしかないのだし、それにアメリカが軍事面でおさえつけているわけだから、運動規模としては小さかったともいえるブンブンたちの挑戦は、社会的には大きな問題を提起していたのだと思う。しかし、いまも韓国には徴兵制度が厳然としてあり、代替制度はない。徴兵を拒否すれば投獄されるという状況に変わりはないのだ。だからキム・ソンハさんの闘いの困難さを思うと、陰鬱な気持ちになる。でも、本人ががんばる以上はやっぱりがんばってほしい。

ところで、そもそもなんでブンブンが東京に遊びにきたかというと、そりゃアナキストの“友だちネットワーク”のせいだとしかいいようがない(笑)。これはネタでもなんでもなくて、東京からソウルにたびたび出かけては現地のアナキストと交流していた日本人アナキストがいて、その人の交友関係からはじまったともいえる。
 ブンブンの東京行きには、仲間うちで先輩にあたるマニック(通称、この人も若かった)も同行していて、「ちゃんと帰ってきなさいよ」といいのこして先に帰ったのだったが、やはり親身にサポートしてくれたひとりだ。韓国の徴兵制は男性固有のキャリア形成に結びついており、当時すでに軍事問題は性差別の問題でもあるとあらためて捉えられはじめた時期だったことも手伝ってか、マニックの仲間のフェミニストも支援してくれた。
 そしてブンブンとマニックの運動仲間にコリアン・アナキスト・ネットワークを運営していたドープヘッド(通称)がいて、かれがそのサブサイトとして反徴兵サイトをつくって強制閉鎖の憂き目にあったのだった。ドープヘッドは反戦・反基地運動などでいまも活発に活動している。
  • 2000.12 ブンブン、東京にくる
  • 2001.1 ブンブン、東京に滞在したまま19歳となり(徴兵対象年齢)、“叛徴兵マニフェスト”執筆。オーバーステイ状態へ
  • 2001.2 ブンブン、ソウルに戻り反徴兵運動開始。インターネットを駆使して活発に宣伝をくりひろげる
  • 2001.3.20 徴兵拒否関連のウェブサイト弾圧で3サイトに関連捜査。ブンブンたちのサイト Anti-Military Service! も捜査対象とされ、圧力がかかる
  • 2001.4.11 反徴兵・忌避関連の5サイトを捜査し、2サイトを閉鎖、3サイトに内容を全面改変するように措置したと警察が公表
  • 2001.4(下旬) 東京より友人数人がソウルに激励訪問
  • 2001.5.1 ソウルのメーデーに合流。一連の労働争議弾圧の直後ということもあり、緊張感がみなぎっていたが、労働者の大結集で警察は要所警護のみで手を出さず。東京のメーデーでも有志がビラまき
  • 2001.7.29 ソウルからブンブンの友人であるイ・ユンスクさんとマニック(通称)を迎え、東京の有志が早稲田奉仕園で集会を開催。(『かけはし』に掲載された報告記
  • 2001.9 ブンブンの徴兵検査期限
  • 2001.10 ブンブン、韓国中を旅してまわる(済州島も訪問)
  • 2001.10.11 親もとに徴兵検査通知が届く(ブンブンは放浪中)。以後、親と親戚からの圧力が強まる。とくにお母さんからの懇請に負け、変則的に病院で検査をうける(結果は兵務庁に通報)
  • 2001.11 『週刊金曜日』第388・389号に取材記事掲載。竹内一晴「韓国青年ブンブンの徴兵拒否宣言(1)・(2)」
  • 2002.1 稲垣真美『良心的兵役拒否の潮流』(社会批評社)刊行(※ブンブンとは直接関係しないが参考として)
  • 2002.2.20 ブンブンらアナキスト仲間がブッシュ訪韓反対集会(野外)に参加、ブンブンがデザインした反ブッシュTシャツが100枚はける。ドープヘッドのギターにのせて「軍隊に行くな」を歌う
  • 2002.3.11-15 東京より支援者がソウル訪問し、ブンブン(20)、仏教徒の良心的徴兵拒否者のオ・テヤン(呉太陽)さん(26)と交流。オさんは2月に在宅起訴処分を受けていた
  • 2002.3.14-15 ブンブン、オさんと初めて会い、徴兵拒否談義をかわす
  • 2002.5 「韓国の反徴兵運動に連帯する会」、パンフ『韓国の反徴兵運動を考える』発行
  • 2002.5.24 延世大で開催された徴兵拒否をテーマとする平和人権文化祭で、ブンブンが参加するバンド「女子高生解放戦線」のライブ中に尻を出し、演奏強制中断。女子学生総会から糾弾を受け企画者側が謝罪
  • 2002.5.27 サイト Anti-Military Service! が、インターネット検閲機関のICEC(情報通信倫理委員会)の「審議」にもとづく二ヶ月の閉鎖命令と、反徴兵・反軍の主張が憲法違反だとして関連情報の削除要求を受ける。同日『大学生新聞』によるブンブンのインタビューが公表される(取材は4月20日)
  • 2002.5.29 ブンブン、兵務庁より徴兵せずとの通告を受ける
  • 2002.5.31 警察から圧力を受けたホスティング会社がサイト Anti-Military Service! を強制閉鎖。インターネット国家検閲に反対する共同対策委員会が抗議声明を即日公表
  • 2002.6 『日韓ネットニュース』22号に記事掲載。亀田博「韓国の反徴兵運動」
  • 2002.7.27 「韓国の反徴兵運動に連帯する会」、早稲田奉仕園でシンポジウム「兵隊にならないこと・戦争に行かないこと:反徴兵を日本で考える」を開催
  • 2002.8 『市民の意見30の会・東京ニュース』73号に記事掲載。道場親信「反徴兵を日本で考えること」
  • 2004.4 『南を考える』第6号に記事掲載。相川陽一「日本国憲法への「まなざし」を感じていくこと:韓国の徴兵拒否青年との出会いから」
参考
韓国の良心による兵役拒否の現況と人権 第60回国連人権委員会共同報告書(2004)
韓国徴兵制と人権問題を考えるPANDA(2007~)

追記:「徴兵制の方が民主的」?

反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉2009

2009
10-20
反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉2009もう秋もなかばをすぎました。まもなく反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉が開催される季節です。

『悍』第3号の宣伝

2009
10-19
『悍』第3号『悍』第3号に寄稿しました。題して「暴民哭々 近代成立期民衆の〈公怨〉について」。
 新政反対一揆と困民党などの負債農民騒擾のはざまの時期に起きた、ある農村での焼討ち事件を題材にしています。事件にまきこまれた被差別者についてほじくりかえすような内容を含めたため、あえて戸籍名で書いています。
 特集は「暴力燦々」ですが、要請に応えられたかといえば非常に疑わしい。わたしはもとより非暴力主義者ではありませんが、かといって無前提に(あるいは国民主義的に)暴力を礼賛するという根性をもっていないからです。しかし「持たざる者」の蜂起という条件を前提とすれば、やはりある暴力を肯定・支持しなければならない場合があるという思いも持っています。ただし、貧民が国民としてつくりかえられるとき、その暴力については同時に拒絶しなければならないとも考えます。

原稿の前文を引いておきます。
明治改元からおよそ一〇年、神奈川県南のとある農村で地主宅を焼討つ農民暴動があった。死傷者一一人を出したとされるこの事件は、新政による土地所有制の転換がもたらした村落共同体の動揺の極限化として記録されている。事件はまた貧農が強欲な地主を討つ義挙として様々に語られ、加害者側への同情さえ集めた。しかし原形をとどめない複数の死体とその凄惨な記憶がこびりつく共同体の沈痛は、外部からの無責任な言祝ぎで消え去るものではない。人々は同じ場所でその後を生き抜かねばならないからである。貧しさを罪悪視し、圧倒的な富の私有とその相続を是とする社会のありように今も昔も大きな違いがないのだとすれば、富の私的集積に対決しようとした往昔の人々の苦悩は、現在のわれわれをも捕捉して離そうとしない。貧富二元化の矛盾、暴力と秩序との往還、その過程で顕現する差別、そして闘争主体の共同性の内実──本稿では、これら近代成立期の共同体内の相克を見ることを通じ、われわれが今生きる社会をどのように捉えるのかということをも考えてみたい。
(これより以下の部分は、09年10月25日5時30分に、加削が分かるように補訂を行いました。灰色が削除部分、緑色が追加部分です。補訂の主旨は、批判は言説・行為じたいにすべきものとの見地から、また賃金労働者としての自らの立ち位置に照らしあわせ、妥当性を欠いたと思われる部分を直すというものです。

同誌に書くにあたことで問題にぶちあたりました。

・外山恒一なるというファシストを自称する人物と版を同じくしたこと
・千坂恭二なるという鵺的な「戦争肯定」論を吐く輩提起する人物と版を同じくしたこと

わたしは、戦争にもファシズムにも反対です。

前者については、初稿をあげた段階で同時に掲載されることを知りました。後者については、第1号での所論をちゃんと読んでいませんでした。いまも読んでいません。ファシズムや国民社会主義(ナチス含む)の「左派的」性格の解説など、なにを今さらと思っていたからです。第3号を改めて読んでみて、この怠惰を自己批判します。ただそれらのことを事前に知っていたら書かなかったかといえば、それは分かりません。『悍』は政治組織の機関誌ではなく、その書き手は版を同じくすることで即座に同位性をもつわけではないからです。
 両者ともはファシズム擁護ないしその紹介者の立場をとっており、います。当人のウェブサイトによれば、とりわけ外山はムッソリーニに仮託しながら、アナキストに対してファシストへの転向を呼びかける人物です。外山がイタリアのファシズムに依拠しようとするところに、その意図がよく表れています。戦争に敗北したとはいえ、フランコ軍との戦闘と同時進行で社会革命を闘って未完のまま殲滅された「アナキスト革命のスペイン」は、ファシストに転向し、かつまたアナキストへ転向を呼びかける外山にとっては都合が悪すぎるわけです。だから「転向者」に見えるムッソリーニのイタリアを選択せざるをえない。
 他方、千坂はあいもかわらずの超越者的な立ち位置から(バクーニン主義者時代には「宇宙から」ものをいっていた──cf.『歴史からの黙示』)、ファシズムないし国民社会主義についての「社会主義的可能性」を示唆するという、より巧妙な転向への誘い水をまきちらしています。
 なんだかんだいいながら、「思想」としてのファシズムがどのようにありえたとしても、史的現実としてのファシズムが支配的資本の走狗の役割をはたした現実としてのファシズムことはごまかせないはずですその口でその現実を迂回して、ファシズムないし国民社会主義のインターナショナリズムをいうのは人を愚弄する瞞着にすぎません。しかし最近では外山のエピゴーネンのような氏からの影響を示唆する自称「素人」の国民主義者のサークルが東京にも登場しています。
 これをこのまま放置しておけば、事実としてのファシズムないし国民社会主義ナチズムと天皇制帝国主義がはたした現実にもたらした反民衆主義・反階級主義・反インターナショナリズムを、こんにちにおいても蔓延させることにつながるでしょうは容認できません。日本帝国主義本国人として生きざるをえず、いまもそのようにして生きのびていながら帝国主義の打倒を希求する立場としては、いま以上の収奪と差別を前提とする生は耐えがたい。国民主義という枠組みによって階級分断の問題とインターナショナリズムをごまかそうとする煽動はたたきつぶさが登場するのなら、やはり対峙しなければならないとわたしは考えています。¡No Pasarán! とはいえど、そのためには論争が必要なのだと思います。

【転載】ベオグラード6最新情報(10月13日付)

2009
10-19


★【転載】ベオグラード6最新情報(10月13日付)

 レコンストラクションの催し物は行われたが、検察は降ってわいた災いを更に引きずり出そうとしている。昨日(14日)、警察はある同志のパソコンを押収した。奴らはまた、ASIの別の4人のメンバーを出頭させ、証拠提出させようとしている。
 これは更なる警察によるハラスメントであり、いかなる罪状もなく、留置したままにしておこうとする厚顔無恥な策動である。

(★旅浪人同志の翻訳より)

【転載】先月のASIからのアピール(17 Sep.2009)

2009
10-19


★先月のASIからのアピール(17 Sep.2009)

 2009年9月4日に、ベオグラード地方裁判所の2009年9月3日付け捜査判決の決定に基づき、翌日に拘束されたベオグラード6は30日間以上の拘留判決を下された。告訴状の容疑事実は、8月25日午前3時にギリシャ大使館建物正面に落書きをし、ベオグラード市街フランチェスカ通りにある同大使館の建物に2本の火炎瓶を投げた、というものである。暴虐を待望するものは、もっとも激しい批判者を、全くもって陳腐な論理でその抑圧機構を通して国家の数々の法で扱う。明確に自らの絶対自由主義者的信条を表現するそれらの個々人は、単なる容疑者として図表化される。降った災いは、それらの入獄で終わり、一般大衆に国家のご都合についての誤った絵図が配布される。この降った災いにおける警察及び検察の無法な行為のせいで、拘束者たちは国際テロ犯罪を犯したとされたのだ。 ならずものセルビア国家の刑法におけるその法は、虐殺、人間性への犯罪、一般市民への戦争犯罪、虐殺や戦争犯罪を犯すことを鼓舞することや組織すること、積極的な戦争指導などを十把一絡げにして扱う。そのような分類の法的な重みの大きさのせいで、この間の弾圧のために強いられた出費は10000ユーロにもなる。故にこの救援金要請の目的のために、このページの下にある口座が、拘束中のアナキスト救援のために設けられた。また、集められた基金の状況同様に拘束者の声明についての追加情報を得ることが出来る電話番号・メールアドレスなどの連絡先もある。 我々は、自由を愛する個々人や組織群が、この人道的カンパ行動に参加し、拘束されたアナキストらを彼らの無実を証明することで支援いただきたい。
 アナルコサンジカリストに自由を!

@カンパ方法について
 口座は・・・
SWIFT: RZBSRSBG

RAIFFEISEN BANKA AD

Bulevar Zorana Djindjica 64
BEOGRAD, RS

名義人は・・・

IBAN RS35265050000016043150

MILAN (MILUTIN) STOJANOVIĆ

ADDRESS: SENJE

(★旅浪人同志の翻訳より)

【転載】ベオグラード6最新情報(5 Oct.2009)

2009
10-08


★ベオグラード6最新情報(5 Oct.2009)

 30日経ったが、状況は未だ霧の中である。6人の同志たちは再拘留期間中、如何なる通信も得ることが許されていない。
 9月28日から29日の夜に予定されていた“レコンストラクション”は延期され、10月12日から13日の夜となった。そうでなければ、同志たちが解放されないだろうからだ。目撃者の追加証言があり、より多くの個々人が証言に招待される可能性がある。セルビア国家の法(というワガママ!)によると、同志たちの嫌疑をかけられている犯罪が、10年以上の量刑となる時には、同志たちは更なる告発無く最高6カ月間、再拘留を延長されうる。

(★旅浪人同志の翻訳より)

【転載】セルビア国家司法部門は6名のASI同志を即刻解放せよ!

2009
10-08


★セルビア国家司法部門は
6名のASI同志を即刻解放せよ!★

 ★アナルコサンジカリスト・イニシアティヴ(セルビア語圏)声明

 2009年9月4日、セルビア語圏のベオグラード地方裁判所が、拘束されたアナルコサンジカリスト・イニシアティヴ(以下、ASIと略)メンバーの30日間の拘留を行うことの決定をくだした。
 我々の同志たちは反国際テロ法で告訴されたのだ。
 労組総連合としてのASIは今夏のギリシャ大使館攻撃について、メディアを通じてこの法に責任を持たされる組織として見いだされた。
 我々は、今一度、この機会に、公に大使館攻撃者の個別政治闘争の方法がアナルコサンジカリズムの方法ではなく、我々が我々自身の政治的立場を公に叫び、我々が総ての絶対自由主義者や進歩的組織やサンジカリスト運動などによって民衆にもたらそうとする努力を通じて、全くもってタレ流された非難が違うということを想起させるために活用する。この弾圧自体の構造、“被告人”としての絵図を通した陳腐な論理の法律群に対峙するその猛々しい非難者への暴虐的な抑圧を国家権力が望むものであることは、きっぱりと彼ら6人の絶対自由主義者的信条によって声明された。権力機構による悪辣な行為の数々は、最初の拘束の瞬間での国際テロに対する極刑という彼らの家族への脅しや彼らのアパートへの不法なガサなどからも観測されうるものだ。
 我々は今、有名なアナキスト組織である“Crni Ilija(黒いイリヤ)”の行為を支持しないし、我々はなお、“国際テロリズム”として何が起こったのかを特徴づける事など出来ない。というのも、テロリズムは言うまでもなく、一般市民らの命を脅かすことになるが、この場合には、誰も傷つけられず、象徴的物的損害のみがなされたからだ。
 この国家がこしらえた茶番劇は、単に不正と失望の現代社会を指摘しようと決断した威嚇しようとする何者かの一方通行を用意したということが明白である。
 一般社会の無関心の中では、個々人は、多くの不信感に到達し、時に自己破滅、報道統制をぶち破ろうとしたり、注意の中心に自分たちの事柄を据えるための方策におよぶ。
 首切りされ、仕事場で身を削る労働者を思い出してほしい。もしくは不運で、貧窮せる、セルビア大統領府に手榴弾を発破させることで恐怖せしめた者が公然と、自分たちの抱えた問題に注目を得ようとした、というようなことだ。
 連帯のためのある象徴的行動を我々が説得することを、病的マナーによって、その表現をも許さないのであれば、反社会行為やテロリズム行為として扱うべき道理しかのこされない叛乱行為に及ぶ者たちと共にあろう。
 我々は拘束された同志たちとその家族と連帯することを表明し、この降ってわいた災いについての真実を要求する!

★アナルコサンジカリストに自由を!

アナルコサンジカリスト・イニシアティヴ(ASI-IWA)


★ASIメンバー6名でっち上げ拘束を許すな──ベオグラード

@状況について

 9月4日土曜日、セルビア語圏ベオグラードで5名の活動家がでっち上げの罪で拘束された。
タディ・クレパ(Tadej Kurepa)、イワン・フウォヴィ(Ivan Vulovi)、サンヤ・ドイキ(Sanja Dojki)、ラチボール・トリフナチ(Ratibor Trivunac)、ニコラ・ミトロヴィチ(Nikola Mitrovic)の5氏はアナルコサンジカリスト・イニシアティブ(IWAセルビア語圏セクション)の活動家である。(警察は6人目も捜索、イワン・サヴィチ“Ivan Savic”氏も数日後に拘束された)
 奴らの言い分では、拘束者たちは、2009年8月25日のギリシャ大使館で起こった直接行動に関係している、という。
 その行動とは、ソドロス・イリオポウロス同志への象徴的連帯行動として、ガラス一枚のひび割れ、大使館建物正面の小さな焦げ痕やサークルAのペイントという騒ぐほどのことでもない損害があっただけだった。しかしながら、検察はこのことを”国際テロリズム”の一環であると考え、そのようなものとして我々の同志たちに罪状を付す気が十分である。セルビア国家が同志たちを反テロ法関連の罪に問うことを進めれば、同志たちは懲役3ー15年の刑を科せられてしまう。
 そのように、6人は拘束され、心理的圧迫を加えられ、法的状況が整うまでの少なくとも1カ月間、留置されることになった。
 告訴された1人であるIWA総書記のラチボール・トリフナチ氏は公明正大に、自分が行動について何も知らないのに、拘束されたことを明らかにした。権力が彼や彼の同志たちをブチノメそうとやってきたのは、これが最初ではなかった。言うまでもないが、彼らが国家権力の根源的な批判者であるという事実のほかに理由など無いのだ。

 我々は、行動にたちあがるよう、世界中の民衆・同志に呼びかける!
 セルビア大使館や同政府関連機関などに抗議を行えるならば、可能な限り早く、お願いしたい。
 統一一日行動よりは、行動は数日くらいに拡散したものであればよいと我々は考えるが、日和見せずにやっていただくのがよいと思う! 9月15-16日までに行動を組織していただくよう努力されたい。
 また、我々がこのページ上に添付している宛先リストへのファックスや抗議書を送付されたい!
 希望されるなら、このページからセルビア語圏実効支配政府への手紙を送ることも可能だ。ご自身の文面を書くことも、我々の用意したサンプルレターを活用することも出来る。我々のページは、署名簿を保持しうるので、我々はセルビア語圏の同志たちにそれらに目を通していただき、どんな組織や個々人が抗議を送ってくれたかを知ることが出来る。
 あなた方のデモや抗議、この弾圧事件に対する報告の文面などの情報を送ってほしい!

 6人の同志を今すぐ解放せよ!

@“セルビア共和国”外交関連部門アドレス

http://www.mfa.gov.rs/Worldframe.htm

“セルビア共和国”大使館
 東京都品川区北品川4724
 イワン・ムルキチ
EMBASSY OF THE REPUBLIC OF SERBIA

4724, Kitashinagawa, Shinagawa-ku,
TOKYO
JAPAN
Ambassador, Ivan Mrkic

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このテクストは★旅浪人同志によって翻訳・編集された(荒訳とのこと)。転載については各自判断のうえ得手勝手にどうぞ。

セルビアのアナルコ・サンディカリスト6人に弾圧

2009
10-06
セルビアのベオグラードで弾圧。弾圧されたのはアナルコ・サンディカリスト・イニシアティブ(SK ASI: Sindikalna konfederacija Anarho-sindikalistička inicijativa)のメンバーら6人。ASIは国際労働者協会(IWA-AIT)の加盟組織。風邪がなおらぬ、詳報次回。


:D

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


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