『悍』第3号の宣伝
『悍』第3号に寄稿しました。題して「暴民哭々 近代成立期民衆の〈公怨〉について」。新政反対一揆と困民党などの負債農民騒擾のはざまの時期に起きた、ある農村での焼討ち事件を題材にしています。事件にまきこまれた被差別者についてほじくりかえすような内容を含めたため、あえて戸籍名で書いています。
特集は「暴力燦々」ですが、要請に応えられたかといえば非常に疑わしい。わたしはもとより非暴力主義者ではありませんが、かといって無前提に(あるいは国民主義的に)暴力を礼賛するという根性をもっていないからです。しかし「持たざる者」の蜂起という条件を前提とすれば、やはりある暴力を肯定・支持しなければならない場合があるという思いも持っています。ただし、貧民が国民としてつくりかえられるとき、その暴力については同時に拒絶しなければならないとも考えます。
原稿の前文を引いておきます。
明治改元からおよそ一〇年、神奈川県南のとある農村で地主宅を焼討つ農民暴動があった。死傷者一一人を出したとされるこの事件は、新政による土地所有制の転換がもたらした村落共同体の動揺の極限化として記録されている。事件はまた貧農が強欲な地主を討つ義挙として様々に語られ、加害者側への同情さえ集めた。しかし原形をとどめない複数の死体とその凄惨な記憶がこびりつく共同体の沈痛は、外部からの無責任な言祝ぎで消え去るものではない。人々は同じ場所でその後を生き抜かねばならないからである。貧しさを罪悪視し、圧倒的な富の私有とその相続を是とする社会のありように今も昔も大きな違いがないのだとすれば、富の私的集積に対決しようとした往昔の人々の苦悩は、現在のわれわれをも捕捉して離そうとしない。貧富二元化の矛盾、暴力と秩序との往還、その過程で顕現する差別、そして闘争主体の共同性の内実──本稿では、これら近代成立期の共同体内の相克を見ることを通じ、われわれが今生きる社会をどのように捉えるのかということをも考えてみたい。(これより以下の部分は、09年10月25日5時30分に、加削が分かるように補訂を行いました。灰色が削除部分、緑色が追加部分です。補訂の主旨は、批判は言説・行為じたいにすべきものとの見地から、また賃金労働者としての自らの立ち位置に照らしあわせ、妥当性を欠いたと思われる部分を直すというものです。)
同誌に書くにあたことで問題にぶちあたりました。
・外山恒一なるというファシストを自称する輩人物と版を同じくしたこと
・千坂恭二なるという鵺的な「戦争肯定」論を吐く輩提起する人物と版を同じくしたこと
わたしは、戦争にもファシズムにも反対です。
前者については、初稿をあげた段階で同時に掲載されることを知りました。後者については、第1号での所論をちゃんと読んでいませんでした。いまも読んでいません。ファシズムや国民社会主義(ナチス含む)の「左派的」性格の解説など、なにを今さらと思っていたからです。第3号を改めて読んでみて、この怠惰を自己批判します。ただそれらのことを事前に知っていたら書かなかったかといえば、それは分かりません。『悍』は政治組織の機関誌ではなく、その書き手は版を同じくすることで即座に同位性をもつわけではないからです。
両者ともはファシズム擁護ないしその紹介者の立場をとっており、います。当人のウェブサイトによれば、とりわけ外山氏はムッソリーニに仮託しながら、アナキストに対してファシストへの転向を呼びかける人物です。外山氏がイタリアのファシズムに依拠しようとするところに、その意図がよく表れています。戦争に敗北したとはいえ、フランコ軍との戦闘と同時進行で社会革命を闘って未完のまま殲滅された「アナキスト革命のスペイン」は、ファシストに転向し、かつまたアナキストへ転向を呼びかける外山氏にとっては都合が悪すぎるわけです。だから「転向者」に見えるムッソリーニのイタリアを選択せざるをえない。
他方、千坂氏はあいもかわらずの超越者的な立ち位置から(バクーニン主義者時代には「宇宙から」ものをいっていた──cf.『歴史からの黙示』)、ファシズムないし国民社会主義についての「社会主義的可能性」を示唆するという、より巧妙な転向への誘い水をまきちらしています。
なんだかんだいいながら、「思想」としてのファシズムがどのようにありえたとしても、史的現実としてのファシズムが支配的資本の走狗の役割をはたした現実としてのファシズムことはごまかすせないはずです。その口でその現実を迂回して、ファシズムないし国民社会主義のインターナショナリズムをいうのは人を愚弄する瞞着にすぎません。しかし最近では外山のエピゴーネンのような氏からの影響を示唆する自称「素人」の国民主義者のサークルが東京にも登場しています。
これをこのまま放置しておけば、事実としてのファシズムないし国民社会主義ナチズムと天皇制帝国主義がはたした現実にもたらした反民衆主義・反階級主義・反インターナショナリズムを、こんにちにおいても蔓延させることにつながるでしょうは容認できません。日本帝国主義本国人として生きざるをえず、いまもそのようにして生きのびていながら帝国主義の打倒を希求する立場としては、いま以上の収奪と差別を前提とする生は耐えがたい。国民主義という枠組みによって階級分断の問題とインターナショナリズムをごまかそうとする煽動はたたきつぶさが登場するのなら、やはり対峙しなければならないとわたしは考えています。¡No Pasarán! とはいえど、そのためには論争が必要なのだと思います。
【転載】ベオグラード6最新情報(10月13日付)
【転載】先月のASIからのアピール(17 Sep.2009)
★先月のASIからのアピール(17 Sep.2009)
2009年9月4日に、ベオグラード地方裁判所の2009年9月3日付け捜査判決の決定に基づき、翌日に拘束されたベオグラード6は30日間以上の拘留判決を下された。告訴状の容疑事実は、8月25日午前3時にギリシャ大使館建物正面に落書きをし、ベオグラード市街フランチェスカ通りにある同大使館の建物に2本の火炎瓶を投げた、というものである。暴虐を待望するものは、もっとも激しい批判者を、全くもって陳腐な論理でその抑圧機構を通して国家の数々の法で扱う。明確に自らの絶対自由主義者的信条を表現するそれらの個々人は、単なる容疑者として図表化される。降った災いは、それらの入獄で終わり、一般大衆に国家のご都合についての誤った絵図が配布される。この降った災いにおける警察及び検察の無法な行為のせいで、拘束者たちは国際テロ犯罪を犯したとされたのだ。 ならずものセルビア国家の刑法におけるその法は、虐殺、人間性への犯罪、一般市民への戦争犯罪、虐殺や戦争犯罪を犯すことを鼓舞することや組織すること、積極的な戦争指導などを十把一絡げにして扱う。そのような分類の法的な重みの大きさのせいで、この間の弾圧のために強いられた出費は10000ユーロにもなる。故にこの救援金要請の目的のために、このページの下にある口座が、拘束中のアナキスト救援のために設けられた。また、集められた基金の状況同様に拘束者の声明についての追加情報を得ることが出来る電話番号・メールアドレスなどの連絡先もある。 我々は、自由を愛する個々人や組織群が、この人道的カンパ行動に参加し、拘束されたアナキストらを彼らの無実を証明することで支援いただきたい。
アナルコサンジカリストに自由を!
@カンパ方法について
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MILAN (MILUTIN) STOJANOVIĆ
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(★旅浪人同志の翻訳より)



