死せるサーバ、生ける屍を走らす(サーバいれかえの話)
どうも生ける屍です。「……」となりがちなおしせまる個人的状況のなか、某おんぼろサーバが逝去されやがりました。社会運動への貢献ふくめいろんなものをホストしてたのに。慟哭。なきながらというのはウソですが、今週末は徹夜作業コースでしたとも、ええ。わかってます。環境を冗長化してないのがいけないんです。でもいつもいきあたりばったり対応でしのくだけの余裕しかないんです。いまもまだ不具合のこしたままのテイタラク。ハードディスクが生きていたのが不幸中の幸いでしたが、それでもダメの累積状況にドミノ倒し的効果あり。
さて、今回おせわになったのは CentOS。いれかえにつかった計算機がデュアルCPU×64bit対応だったので(旧サーバにくらべてなんてゼータク)、64bit対応版いれちまいました。CentOS は「RHELクローン」ではあるものの、コミュニティベースで開発がすすむ GNU/Linux のひとつ。コミュニティ発 OS という意味では Debian と双璧をなすディストロなのです。
しかしワタクシ、いつまでこーいう「突貫工兵」やってるのかしらん。息たえるまでか……と妄想しつつ、とりもなおさずフリーソフトウェア運動への深甚なる感謝の気持ちをここに表明いたします ;-)
追伸:今日はこちらでお会いしましょう。
さて、今回おせわになったのは CentOS。いれかえにつかった計算機がデュアルCPU×64bit対応だったので(旧サーバにくらべてなんてゼータク)、64bit対応版いれちまいました。CentOS は「RHELクローン」ではあるものの、コミュニティベースで開発がすすむ GNU/Linux のひとつ。コミュニティ発 OS という意味では Debian と双璧をなすディストロなのです。
しかしワタクシ、いつまでこーいう「突貫工兵」やってるのかしらん。息たえるまでか……と妄想しつつ、とりもなおさずフリーソフトウェア運動への深甚なる感謝の気持ちをここに表明いたします ;-)
追伸:今日はこちらでお会いしましょう。
【転載】ベオグラード6、“国際テロリズム”の刑下される(2009年11月5日付)
★【転載】ベオグラード6、“国際テロリズム”の刑下される(2009年11月5日付)
IWA/AIT書記とセルビア語圏の同志たちは我々に幾つかのおぞましいニュースを知らせてきた。去る9月5日より拘束され、拘禁されたままのベオグラードの6人のアナルコサンジカリストたち(ベオグラード6と略します)は、国際テロリズムの罪ででっち上げられようとしている。ベオグラード6は懲役15年の刑に直面している。
ベオグラード6は去る2009年8月25日に(ベオグラードの)ギリシャ大使館でペイントし、窓しか損傷しなかった火炎瓶を投擲した当人たちとして起訴された。ベオグラード6の同志たちが、きっぱりとそれらの出来事に何ら関係がなかったと述べた事実は、セルビア語圏実効支配政府をして、なにものかに負罪しようというその強迫観念を揺らがせるものではなかった。実際、パリからベオグラードに至るまで、どこででも国際警察はとても似通っている……。奴らは同じインストラクターを持っているにちがいない……。
故に、ベオグラード6は国際テロリズムの罪を付されている。近い内に、このことは、少なくとも数カ月間、ベオグラード6が拘置所で一切の交通を遮断されたままになるということである。
今も自由である現地の同志たちは、決定をアピールする何らかの方法があるかどうかを知ろうとしている。更なる情報は追って出されるだろう。
ともかく、最悪の状況が現在、起こっている。闘争は長期化し困難なものとなり、ベオグラード6は我々総ての支援を必要としている。
弁護費用は明らかにとても高くつくと思われるので、連帯努力としてのカンパを申し出る個々人は、“Solidarité Belgrade(ベオグラード連帯)”の文字列を付記して以下のアドレスにCNT AITへの送金が可能である。
CNT AIT
108 rue Damremont
75018 PARIS
(★旅浪人同志の翻訳より)
『天皇条項の削除を!』の紹介
『天皇条項の削除を!』(堀内哲編著、JCA出版)が刊行されたとか。(ono)さんに頼めば貧民特別割引価格で購入できるもよう。書影がブログ「山歩き・不逞」にアップされてます。それにしてもこのご時世、貴重な「不敬本」の刊行に拍手。
ところで JCA 出版といえば、最近では SECT6 の資料集の刊行が目を引きますが、アナキスト部族にはむかしからなじみのある版元ですね。だからなんなんだってヨタです、はい。
ところで JCA 出版といえば、最近では SECT6 の資料集の刊行が目を引きますが、アナキスト部族にはむかしからなじみのある版元ですね。だからなんなんだってヨタです、はい。
コルトとカワイ
コルトとカワイ、音楽産業労働者的団結! 遠征準備に奔走したみなさん、ごくろうさまでした。(おれなんもしてないのに、コルト闘争遠征団から缶バッジをちゃっかりもらってしまった……)
コルト・コルテック(韓国)の労働者は世界中のギターをたくさんつくってきた。そのコルト労働者による No Wokers, No Music というスローガンが、音楽産業資本の理不尽な体質をうきぼりにしている。楽器製作者や音楽教室の講師をつかいすてる「業界」にいったいなんの夢があるのだろう。
コルト・コルテックの争議についてはレイバーネットとChamponを参照のこと。カワイ音楽教室の争議についてはfufの闘争ページを参照してください。
コルト・コルテック(韓国)の労働者は世界中のギターをたくさんつくってきた。そのコルト労働者による No Wokers, No Music というスローガンが、音楽産業資本の理不尽な体質をうきぼりにしている。楽器製作者や音楽教室の講師をつかいすてる「業界」にいったいなんの夢があるのだろう。
コルト・コルテックの争議についてはレイバーネットとChamponを参照のこと。カワイ音楽教室の争議についてはfufの闘争ページを参照してください。
etikedo : 労働運動
「徴兵制の方が民主的」?
「韓国の反徴兵運動について思い起こすことども」へ次のようなコメントが寄せられました。
募兵制度はいうまでもなく「国民国家に支配された底辺階級からなる軍隊」をうみだします。この文脈からすれば、徴兵制度が「皆兵」であるところに「より民主的だ」と感じる心情が出てくることもまああるのだろうなと思います。しかしそれはある陥穽にはまりこんでいます。
というのも、歴史的にも、また現実のこととしても、徴兵制は圧倒的に「男性皆兵」でありつづけてきたからです。現状で女性も徴兵の対象となるのはイスラエルとマレーシアくらいで、世界的にみてごく少数の存在です(しかもマレーシアでは女性は男性と同じ軍務につくわけではない)。
近代国家は男性を徴兵し、その代償として男性に選挙権を与えることで「男性だけに平等な国民」をうみだしてきました。近代国家がうみだした国民パラダイムには、男性による社会支配のイデオロギーが貫徹していたとするほかないでしょう。
〈国民=男〉という人間の断絶を捨象して(おそらく募兵制より)「徴兵制の方が民主的」というなら、性差別の問題を見落とすことになります。元記事では、韓国でも男性のみの徴兵であり、それが男性固有のキャリア形成に結びついていると指摘しましたが、そうした男性性の優位という〈国民軍的社会〉の特質をそのままにしておいていいとは思えません。
では、女性、あるいはセクシュアル・マイノリティもひとしく徴兵されればいいのでしょうか。性別によらない「国民皆兵」であるならば、その限りにおいて「平等の拡張だ」とは主張できるでしょう。しかしそれはあくまで「国民の平等」です。国民のあいだだけに「民主的」なるものとは、国民国家的な制約のもとにありつづける「なにか」にすぎません。支配的資本が圧倒的に超国籍的に活動しているいま、そして現実の問題としてそこに軍事が密接にからみついているのに、一国主義的な単位で「民主的」といってすむのかどうか。
さらに代替措置についてですが、韓国に徴兵の代替措置が制度として導入されれば「反徴兵という問題」が解決されうるかといえば、そのことについてもすんなり同意できません。これも元記事で弁別しておいたことですが、すくなくともアナキストを自認していたブンブンは、代替制度が導入されたとしても、その代替サーヴィスに服務することじたいにも疑問を感じていました。結果として「かれ」は特例的に国家の方から「いらない」とはじかれたので、「代替服務も拒否」は現実の問題とはなりませんでしたが、なりゆきによってはそうした厳しい問題が提起される可能性もあったわけです。ブンブンが提起しかけた問題は、代替サーヴィスへの服務もまた、軍事制度にくみこまれた「国民としての奉仕」の本質をもちつづけるということでした。いいかえれば、「かれ」は徴兵制度をとおして国家主義の問題を提起していたということです。
「反国家」ないし「アナキズム」という姿勢に親和的であるなら、それが仮定の問題であるとしてもやはり重要な問題でありつづけるでしょう。じゃアナキストなんかやめちまえば問題ないじゃんということなら、もちろんこれ以上議論にはなりません。(なおそれでも国民性・性別をとわないパルチザン論や抵抗権論についてならまだ脱線できますが──ただしこういっておいてなんですが、自分が武装する気もない以上はしょせん無責任な放言にしかならないので、あまりそうした議論をする気にはなれません)
tari-G これは代替措置の問題。|軍を持つ国家の場合、そもそも徴兵制の方が民主的というのは忘れられがち。勿論代替措置は必須。代替制度導入は過渡的要求としてありうると思います。しかしそれで人間を差別する軍事という問題にカタがつくわけではありません。
募兵制度はいうまでもなく「国民国家に支配された底辺階級からなる軍隊」をうみだします。この文脈からすれば、徴兵制度が「皆兵」であるところに「より民主的だ」と感じる心情が出てくることもまああるのだろうなと思います。しかしそれはある陥穽にはまりこんでいます。
というのも、歴史的にも、また現実のこととしても、徴兵制は圧倒的に「男性皆兵」でありつづけてきたからです。現状で女性も徴兵の対象となるのはイスラエルとマレーシアくらいで、世界的にみてごく少数の存在です(しかもマレーシアでは女性は男性と同じ軍務につくわけではない)。
近代国家は男性を徴兵し、その代償として男性に選挙権を与えることで「男性だけに平等な国民」をうみだしてきました。近代国家がうみだした国民パラダイムには、男性による社会支配のイデオロギーが貫徹していたとするほかないでしょう。
〈国民=男〉という人間の断絶を捨象して(おそらく募兵制より)「徴兵制の方が民主的」というなら、性差別の問題を見落とすことになります。元記事では、韓国でも男性のみの徴兵であり、それが男性固有のキャリア形成に結びついていると指摘しましたが、そうした男性性の優位という〈国民軍的社会〉の特質をそのままにしておいていいとは思えません。
では、女性、あるいはセクシュアル・マイノリティもひとしく徴兵されればいいのでしょうか。性別によらない「国民皆兵」であるならば、その限りにおいて「平等の拡張だ」とは主張できるでしょう。しかしそれはあくまで「国民の平等」です。国民のあいだだけに「民主的」なるものとは、国民国家的な制約のもとにありつづける「なにか」にすぎません。支配的資本が圧倒的に超国籍的に活動しているいま、そして現実の問題としてそこに軍事が密接にからみついているのに、一国主義的な単位で「民主的」といってすむのかどうか。
さらに代替措置についてですが、韓国に徴兵の代替措置が制度として導入されれば「反徴兵という問題」が解決されうるかといえば、そのことについてもすんなり同意できません。これも元記事で弁別しておいたことですが、すくなくともアナキストを自認していたブンブンは、代替制度が導入されたとしても、その代替サーヴィスに服務することじたいにも疑問を感じていました。結果として「かれ」は特例的に国家の方から「いらない」とはじかれたので、「代替服務も拒否」は現実の問題とはなりませんでしたが、なりゆきによってはそうした厳しい問題が提起される可能性もあったわけです。ブンブンが提起しかけた問題は、代替サーヴィスへの服務もまた、軍事制度にくみこまれた「国民としての奉仕」の本質をもちつづけるということでした。いいかえれば、「かれ」は徴兵制度をとおして国家主義の問題を提起していたということです。
「反国家」ないし「アナキズム」という姿勢に親和的であるなら、それが仮定の問題であるとしてもやはり重要な問題でありつづけるでしょう。じゃアナキストなんかやめちまえば問題ないじゃんということなら、もちろんこれ以上議論にはなりません。(なおそれでも国民性・性別をとわないパルチザン論や抵抗権論についてならまだ脱線できますが──ただしこういっておいてなんですが、自分が武装する気もない以上はしょせん無責任な放言にしかならないので、あまりそうした議論をする気にはなれません)
野苺の声
野苺の声
(詞曲:nelleven)
わたしはもう目をあけていた
目覚めの疼痛をやりすごして
四方から風を感じるためにわたしは腕をひろげ
突き刺すような操縦をはらいのける
わたしは温室の花じゃないから
あなたが優しいふりをする必要なんてない
わたしはあなたがたの虚偽にみちた顔を理解できない
ただ真実の自分と向かいあう
わたしたちには夢がある
わたしたちには伝えるべき考えがある
あなたは自分自身を裏切ってしまったけれど
わたしたちまで売りわたそうとしないで
わたしたちには夢がある
わたしたちには伝えるべき考えがある
あなたが信念を棄ててしまってから
わたしたちは灰燼のなかから外に出ることを選んだ
安静は認めて同意することではなく
平和は承知して引きさがることでもない
あなたの傲慢がふたたびわたしを焼くのだとしても
わたしはもう二度と沈黙はしない
2008年11月6日、街頭行動をおさえつける台湾警察の弾圧に抗議し、台北の学生たちが行政院前にすわりこんでから一周年。弾き語りの曲「野苺の声」もまた宣伝の役割をになったが、上記はその粗訳(素人訳のため内容無保証)。
○11月6日午前11時ごろから、学生たちが行政院前ですわりこみを開始。要求は以下のとおり(詳しくは行動声明を参照)。
一、對於警察濫用國家暴力、侵犯人權的行為、法務部、監察院及相關機關應進行調查、儘速公布結果,並追究其行政與法律責任
二、對於做出相關決策、發佈命令的政府首長、司法、立法、監察機關應追究其政治與法律責任
三、立即修改違憲的集會遊行法、落實對於人民言論、集會、結社自由的保障
○7日、すわりこみの学生は200人ほど。午後4時ごろ、一部の学生が警察によってごぼう抜き排除され、学生たちは自由広場(中正紀念堂)に再結集してすわりこみを続行。以後、すわりこみが各市に飛び火。
○9日、1990年の「野百合運動」(台湾民主化を要求する学生運動)をもじり、学生たちが「野草苺」と名乗りはじめる。各層からの参加や物資支援がつづく。
○10日、学者が連帯声明を公表。
○15日、他市の学生も合流して自由広場で行動。
○12月7日、無届けのデモ。主催発表3000人。
(詞曲:nelleven)
わたしはもう目をあけていた
目覚めの疼痛をやりすごして
四方から風を感じるためにわたしは腕をひろげ
突き刺すような操縦をはらいのける
わたしは温室の花じゃないから
あなたが優しいふりをする必要なんてない
わたしはあなたがたの虚偽にみちた顔を理解できない
ただ真実の自分と向かいあう
わたしたちには夢がある
わたしたちには伝えるべき考えがある
あなたは自分自身を裏切ってしまったけれど
わたしたちまで売りわたそうとしないで
わたしたちには夢がある
わたしたちには伝えるべき考えがある
あなたが信念を棄ててしまってから
わたしたちは灰燼のなかから外に出ることを選んだ
安静は認めて同意することではなく
平和は承知して引きさがることでもない
あなたの傲慢がふたたびわたしを焼くのだとしても
わたしはもう二度と沈黙はしない
★
2008年11月6日、街頭行動をおさえつける台湾警察の弾圧に抗議し、台北の学生たちが行政院前にすわりこんでから一周年。弾き語りの曲「野苺の声」もまた宣伝の役割をになったが、上記はその粗訳(素人訳のため内容無保証)。
○11月6日午前11時ごろから、学生たちが行政院前ですわりこみを開始。要求は以下のとおり(詳しくは行動声明を参照)。
一、對於警察濫用國家暴力、侵犯人權的行為、法務部、監察院及相關機關應進行調查、儘速公布結果,並追究其行政與法律責任
二、對於做出相關決策、發佈命令的政府首長、司法、立法、監察機關應追究其政治與法律責任
三、立即修改違憲的集會遊行法、落實對於人民言論、集會、結社自由的保障
○7日、すわりこみの学生は200人ほど。午後4時ごろ、一部の学生が警察によってごぼう抜き排除され、学生たちは自由広場(中正紀念堂)に再結集してすわりこみを続行。以後、すわりこみが各市に飛び火。
○9日、1990年の「野百合運動」(台湾民主化を要求する学生運動)をもじり、学生たちが「野草苺」と名乗りはじめる。各層からの参加や物資支援がつづく。
○10日、学者が連帯声明を公表。
○15日、他市の学生も合流して自由広場で行動。
○12月7日、無届けのデモ。主催発表3000人。
- 1106 nellevenのログ。「野苺の声」元詞掲載。楽曲mp3へのリンクあり
- 野苺運動の行動声明 野草莓運動の声明の和訳
- TAIWAN Wild StrawBerries Movement 英語版ブログ
- 野草莓運動ㄧ野莓之聲 情宣動画(写真の連画)
- 野莓之聲政院紀實版MV 情宣動画。後半で行政院前でのごぼうぬきが収録されている
民主党による立憲主義の否定と「戦争国家」への道
近代民主政における憲法は国家権力の暴走を抑止するために存在する。したがって、憲法は権力行使にたずさわる人々が遵守すべきものとしてさだめられる。それは「国民」が守るべきものとしてあるのではない。この立憲主義の原理は日本国憲法においても貫徹する。
むろん、象徴天皇制に反対のわたしは日本国憲法の改憲そのものを否定しない。しかし改憲論議のドサクサにまぎれて、国家を縛るものという憲法の根幹をゆがめさせてはならないとも考える。これをゆるせばいつか来た道をたどることにもなるからである。旧帝国軍隊は、軍部大臣現役武官制をてことして軍部独走政権を合法的に獲得していった。全体主義は合法的にやってくる。このことを「国民」は忘れようもないはずだ。
いま、与党民主党の鳩山由紀夫首相などが「憲法解釈は内閣が行う」とのべている。これは立憲主義への敵対である。法令の執行状況などについて政治家が官僚に答弁させるのは「議会制民主主義」のしくみとして当然のことだが、官僚答弁を原則禁止にしようと民主党の小沢一郎がわめきつづける目的はどこにあるのか。究極的には内閣独裁ではないのか。こうした民主党実力者の動向に対する造反のきざしは同党内部には見えない。連立をくむ他党も「脱官僚」のマジックワードに踊らされたままだ。なるほど、「変革」がはじまりつつあるといっても過言ではない。
内閣であれ内閣法制局長官であれ、憲法の「解釈」主体が政府であることに変わりはないが、官僚答弁禁止の策動はある局面でこの政権がもつ本質をもっともあらわにする。つまり、戦争にまつわる国家の本質である。内閣法制局はすでに自衛隊の海外派兵を条件つきで合憲と「解釈」したが、集団的自衛権行使や国連安保理決議下の自衛隊の武力行使については依然として違憲「解釈」であり、「戦争国家」化へのブレーキが名目的にではあれ存在する。しかし現政権がいま躍起になってしかけている「脱官僚依存」の政治劇場に内閣法制局もくみしかれるのであれば、このブレーキすら解除される。「脱官僚依存」の煙幕のもとに立憲主義を扼殺し、内閣法制局長官を官僚として黙らせ、政治家に「解釈」を行わせるとなれば、「戦争国家」への水路はいっきに開かれる。
衆院戦での勝利につづき、民主党がきたる参院戦で単独過半数の勝利を手にすれば「一丁あがり」ではないか。
第99条この数年来、自民党議員などは「国民の義務」を憲法に明記させようなどと、およそ近代立憲主義の本義への無理解をさらけだしながら改憲論議なるものを行ってきた。まるで「国民」がどのように統治されたいのかをさだめるものが憲法であるかのような倒錯的な「論議」だ。あまりにデタラメすぎて話にもならない。しかし憲法が「人間は暴走する」という歴史的経験からくる現実的解であるなら、このような無理筋の立憲主義の破壊策動にはいちいち闘わなければならない。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
The Emperor or the Regent as well as Ministers of State, members of the Diet, judges, and all other public officials have the obligation to respect and uphold this Constitution.
むろん、象徴天皇制に反対のわたしは日本国憲法の改憲そのものを否定しない。しかし改憲論議のドサクサにまぎれて、国家を縛るものという憲法の根幹をゆがめさせてはならないとも考える。これをゆるせばいつか来た道をたどることにもなるからである。旧帝国軍隊は、軍部大臣現役武官制をてことして軍部独走政権を合法的に獲得していった。全体主義は合法的にやってくる。このことを「国民」は忘れようもないはずだ。
いま、与党民主党の鳩山由紀夫首相などが「憲法解釈は内閣が行う」とのべている。これは立憲主義への敵対である。法令の執行状況などについて政治家が官僚に答弁させるのは「議会制民主主義」のしくみとして当然のことだが、官僚答弁を原則禁止にしようと民主党の小沢一郎がわめきつづける目的はどこにあるのか。究極的には内閣独裁ではないのか。こうした民主党実力者の動向に対する造反のきざしは同党内部には見えない。連立をくむ他党も「脱官僚」のマジックワードに踊らされたままだ。なるほど、「変革」がはじまりつつあるといっても過言ではない。
内閣であれ内閣法制局長官であれ、憲法の「解釈」主体が政府であることに変わりはないが、官僚答弁禁止の策動はある局面でこの政権がもつ本質をもっともあらわにする。つまり、戦争にまつわる国家の本質である。内閣法制局はすでに自衛隊の海外派兵を条件つきで合憲と「解釈」したが、集団的自衛権行使や国連安保理決議下の自衛隊の武力行使については依然として違憲「解釈」であり、「戦争国家」化へのブレーキが名目的にではあれ存在する。しかし現政権がいま躍起になってしかけている「脱官僚依存」の政治劇場に内閣法制局もくみしかれるのであれば、このブレーキすら解除される。「脱官僚依存」の煙幕のもとに立憲主義を扼殺し、内閣法制局長官を官僚として黙らせ、政治家に「解釈」を行わせるとなれば、「戦争国家」への水路はいっきに開かれる。
衆院戦での勝利につづき、民主党がきたる参院戦で単独過半数の勝利を手にすれば「一丁あがり」ではないか。
戦争機械
人生問題としてのパンク(笑)
いまさらの反応なんですが、勤労しない理由〜オールドパンクとニューパンク〜(1)・(2) via "おっさんパンク"vs"フーディーズ・パンク"。
ふええ、アナーコ・パンクって「旧パンク」なんだ?
でもそれってたぶん近視眼的なものの見方からくる誤解だと思うな。スクウォットや社会センターはCRASSのダイアルハウスだけじゃないんだぜ! たまたま大方の目にふれないだけで、いまでもアナーコ・パンクは世界中にうじゃうじゃいる(アフリカではきかないが)。もちろんオールドばかりじゃないぜ。
たしかに、かつてCRASSなんかがメジャーにいったアーリーパンクスを「punk is dead」としてこきおろし、サッチャーのマルビナス戦争(フォークランド紛争)に反対して社会的にセンセーションをまきおこしたようなポビュラリティはいまのUKアナーコ・パンクにはないかもしれない。CRASSやそのあとにつづいたアナーコ・パンクスはロード・プロテスト(road protest)や「シティを止めろ!(Stop the City!)」などのUKにおける反資本主義的な社会運動や、反戦・反核運動とクロスすることでその活動の幅を広げていたともいえるけれど(というかCRASSあたりのアナーコ・パンク運動の全体像は当時の社会運動を理解しなければ把握できない)、アナーコ・パンクの動きが社会運動それじたいの消長に影響されたのはまあ当然だろうね。それに拠点個々の歴史をみるなら、「すたれたな……」という感慨をもつオールドパンクスがいても不思議じゃない。だってひとつの拠点はいつまでも続くものじゃないから。
だけど、実勢としてはアナーコ・パンクの運動はむしろ世界的に拡大してるんじゃないかな。ヴィールスがあっちこっちにバラまかれてもう消毒のしようもないというか。ラテンアメリカやアジアにもむかしっから飛び火してるし。これってパンクだけに限定される動きなのではなくて、オートノミスト、アナキスト的な運動の動向にからんでる。社会運動、もしくは文化/政治運動の消長にともなってパンクスの“DIY文化”運動もしつこくはびこりつづけているってわけだ。ただしUSの場合は、ヨーロッパから飛び火してきたスクウォッティングは1980〜90年代が全盛で、いまではジェントリフィケーションの波にあらわれてごく少数が残ってるだけだという状況についてはいっておかないとまずいかも。それでも ABC NO RIO とかが拠点として頑張ってる。
上記の「勤労しない理由」では、UKにおけるアナキストの運動がソフト路線に変わってきたととらえられているけど、それは一部の動向だけを見た判断ではないのかなぁ〜って思う。もちろん CLASS WAR のようなドンパチ派がいったんは下火になったことも事実だけれど、1990年代後半から直接行動にまたもや火がついてUKの治安弾圧テクノロジーがより進んだという状況をふまえないと。シティ暴動とか反サミットとかメイデイとかで一部の連中はやりたい放題だったわけだし、今年の3月・4月にもロンドンで反G20闘争がかなりの規模でまきおこって、rampART というスクウォットが弾圧をくらってたのも記憶に新しいところだ(rampART はロンドンにある DIY 文化拠点としてパンクもすくなからずクロスしてたけど、今年の10月15日に強制排除でつぶされた)。こういうDIYパンクとクロスする拠点はUKにはけっこうあって、もともとはアナキスト系の福祉受給支援の運動体がはじめた 1 in 12 Club もそのひとつ(他所さまの訪問記「1in12」)。ここはギグスペースもあってヨーロッパのDIYパンクにはよく知られた拠点だ。こうした自主管理の拠点はつぶされたり自滅したりしながら、同時に新たにうみだされつづけている(パンクとして?ロンドンにこだわるなら Autonomous London からの情報をたぐってみればいい)。こうした拠点をめぐる攻防にはDIYパンクス、アナーコ・パンクスがすくなからずかかわっている。
行動するパンクスが社会運動に密接にからんでいる好例として、ダンマルク・ケーベンハウンの Ungdomshuset(若者の家)をあげてもいいだろう。悪名高いノアブロ地区のヤクトヴァイ69番地にあったスクウォット拠点の Ungdomshuset は、2007年3月1日に警察の空挺部隊が急襲して陥落したけれど、それで数日の暴動となってダンマルク政府・ケーベンハウン市政府(コムーネ)に衝撃をあたえている。だってヨーロッパ中からアナキストやらアウトノーメンやらパンクスやらがワラワラとわいてきて結集するわ、14かそこらのクソガキまで独自のデモ隊列くむわで大騒ぎだったのだ。さすがにこんくらいの歳だと暴動の主体にはなりえないけど、それでも未成年が何人もパクられてた。このスクウォットをめぐる闘争は、「暴力反対」の「大人」連中からはおさだまりの非難があびせられた。ききわけのないガキってわけ。でもガキンチョパンクスの親世代にあたるヒッピーやアーリーパンクスなんかも結束して、Ungdomshuset を支持する大デモを敢行していて、ガキの闘争と矮小化することもできない。ここらへんがヴァイキング末裔のふところの深さ?というのか「非常識」というのか「野蛮」というのか(笑)、警察と市街戦さながらのイケイケドンドンの衝突を起こした連中が市当局に代替物件(ドロテアヴァイ61番地)を提供させるという一定の勝利をえてしまうところに、アウトノーメ的な文化/政治運動の強力さがある(もちろん暴動で実刑確定の被弾圧者がでた)。まー街そのものがスクウォッティングだっつうクニスチャニア地区がすぐ近くにあるくらいだから。で、当然 Ungdomshuset にはパンクスがなだれこんでいた。Ungdomshuset はヨーロッパ最大規模のDIYパンク祭 K-Town Festival(現 Shittown Festival)の会場だったんで、パンクスが黙ってるわけがなかった。てゆーかそもそもアナーコ・パンクスはアウトノーメ的な運動の担い手だしね。
ま、なんにせよ、アナーコ・パンクはジジイだけじゃなくて若いもんもいまだにたくさんいる。
どうも話が脱線する。で、パンクの階級問題についてちょっと。アーリーパンクスの一部がアートスクールだのの出身だという話をもってきてパンクはもともと労働者階級のものじゃないんだってまとめたがる傾向があるのは知ってるけど、問題はそのあとなんじゃないかな。とっぱながプチブル的だろうがそんなこたぁどうでもいい。連中はどうせすぐに撤退したんだから。問題は、パンク(あるいはそのあとにつづいたDIYパンク)といわれるシーンに実際にいたのは大多数が貧乏な労働者もしくは失業者だったわけじゃん。パブロックとかとの交差だって、UKプロレタリアートの文化ぬきには考えられないことだし。いいじゃん、もう。受容した圧倒的多数がプロレタリアだったんだから、あれこれいったってしょうがないじゃん。
ヨーロッパの一部じゃ失業給付が手厚い(=ぬるい)ってことで「労働者階級うんぬん」も神話にすぎないんだってな話にもなるんだろうけど、でもそれって労働者の先達による闘争の成果をうけついでいるだけのことで、パンクを受容したのがまぎれもなく明日なんかないプロレタリアートのクソガキどもだってことにゃ変わりはない。プチブル連中が流行にのってすぐにどっかにいっちゃったのはまあご愛嬌。あおられてパンクにいきついたのが未来に希望ももてない連中で、それがアナーコだか、オイだか(「左」のオイパンク集団──RASH: Red and Anarchist SkinHeads みたいなのもいるけど)にアウトプットが分かれるということはあっても、基本的にみんなロクな仕事もない不安定なプロレタリアかドロップアウト組。商業パンクとそのグルーピーはどうだか関知しないけど、すくなくともDIYパンク、アナーコ・パンク、ハードコアパンクは層としてほとんどがそう。
それが明確にゲットーの文化として成立してるのかどうかってことで、これまた問題にされるんだろうけどね。アナキズムなんてインテリのものじゃん? みたいな。フーディーズのあっけらかんとした小理屈ヌキのパンクのほうがすがすがしいってのも、字面だけからすればそうかもしれない。でもアナーコ・バンクとかいったって、みんな最初はたんなるカッコイイだけの記号としてサークルAを受容するとか、そういうことなんだと思うんだけどな。それにUKじゃないけど、シカゴじゃヒスパニック系のゲットーから LOS CRUDOS なんかがでてきたってこともある。アフロ・パンクみたいにアフリカン・アメリカンのコミュニティから育てられるってことだってある。パンクがどういう連中にどのように受容されてったのかということは、地域ごとに即して具体的にしかいえないような気もするし、おおざっぱにいえるような気もするし、よくわからん。
じゃ日本はどうなのよっていえば、やっぱり同じことだと思う。初期はどうだかしらね。でも少なくともハードコアのはじめの方は、はっきりいって不良のにいちゃんねえちゃんの文化の一部。とくにメジャーがどうこうということにはまったく関係しようとしないアンダーグラウンドのハードコアパンクは、社会的ステイタス(笑)の上昇には貢献するわけないし、そういう指向もその背景となるような文化的資質ももたない。むしろそういう地下のパンクスは分断され固定された状況への執着を見せてんじゃないの、と思うことさえある。ハードコア初期土着型の「ジャパコア」なんかをみてもそうだけど、肉体労働者であることを誇示するような装いが一部に定着してきたじゃん。日本での初期ハードコアは、ゾクかパンクかってな案配の「不良」文化との融合という特質もある。昔のライヴハウスって「テメどこよ?」みたいな空気充満してたじゃん(笑)。ケンカばっかでハコからしめだしくって。だから「パンクがヤンキーに殴られていた」(町田康)っつーのは、1970年代末そういう状況があったのかもしれないけど、たんに町田がいた場所がそうだっただけなんじゃねのという気もするんだよなあ。とにかく、パンクがパンクどうしメンチきってドツキあってるっつーのはひところの文化としてあったわけだけど、ヤンキーとハードコアパンクということならむしろかぶってたように思う。で、こーいうのもひっくるめて支持してきたのはまぎれもなく労働者階級のガキじゃないのかって話。ヨーロッパと日本でその見え方が違うのは社会保障のありかたの相違を反映してんでしょ。むしろ「労働神聖」の神話がガッチリ社会をつかみ、最低生活保障としての生保取得にエグいほどスティグマをちょうだいしなきゃならんような日本のほうが状況はよりハードで、「労働拒否」できない環境のなかでヒーコラしながら、それでもなおみんなパンクなんだって(笑)。そりゃおのれの腕一本で労働に勤しんで食おうとするパンクスがプチブルだといかいわれたらむかつくだろう。そんなのはセルアウトした連中にまかせておけばいい話なんでさ。
でもみんな歳くって人生どうすんだろ? ひとごとじゃないんだが、それこそ問答無用のノー・フューチャー……
最後に。フード付のパーカーはオールドなパンクだって着ています(笑)。
ふええ、アナーコ・パンクって「旧パンク」なんだ?
でもそれってたぶん近視眼的なものの見方からくる誤解だと思うな。スクウォットや社会センターはCRASSのダイアルハウスだけじゃないんだぜ! たまたま大方の目にふれないだけで、いまでもアナーコ・パンクは世界中にうじゃうじゃいる(アフリカではきかないが)。もちろんオールドばかりじゃないぜ。
たしかに、かつてCRASSなんかがメジャーにいったアーリーパンクスを「punk is dead」としてこきおろし、サッチャーのマルビナス戦争(フォークランド紛争)に反対して社会的にセンセーションをまきおこしたようなポビュラリティはいまのUKアナーコ・パンクにはないかもしれない。CRASSやそのあとにつづいたアナーコ・パンクスはロード・プロテスト(road protest)や「シティを止めろ!(Stop the City!)」などのUKにおける反資本主義的な社会運動や、反戦・反核運動とクロスすることでその活動の幅を広げていたともいえるけれど(というかCRASSあたりのアナーコ・パンク運動の全体像は当時の社会運動を理解しなければ把握できない)、アナーコ・パンクの動きが社会運動それじたいの消長に影響されたのはまあ当然だろうね。それに拠点個々の歴史をみるなら、「すたれたな……」という感慨をもつオールドパンクスがいても不思議じゃない。だってひとつの拠点はいつまでも続くものじゃないから。
だけど、実勢としてはアナーコ・パンクの運動はむしろ世界的に拡大してるんじゃないかな。ヴィールスがあっちこっちにバラまかれてもう消毒のしようもないというか。ラテンアメリカやアジアにもむかしっから飛び火してるし。これってパンクだけに限定される動きなのではなくて、オートノミスト、アナキスト的な運動の動向にからんでる。社会運動、もしくは文化/政治運動の消長にともなってパンクスの“DIY文化”運動もしつこくはびこりつづけているってわけだ。ただしUSの場合は、ヨーロッパから飛び火してきたスクウォッティングは1980〜90年代が全盛で、いまではジェントリフィケーションの波にあらわれてごく少数が残ってるだけだという状況についてはいっておかないとまずいかも。それでも ABC NO RIO とかが拠点として頑張ってる。
上記の「勤労しない理由」では、UKにおけるアナキストの運動がソフト路線に変わってきたととらえられているけど、それは一部の動向だけを見た判断ではないのかなぁ〜って思う。もちろん CLASS WAR のようなドンパチ派がいったんは下火になったことも事実だけれど、1990年代後半から直接行動にまたもや火がついてUKの治安弾圧テクノロジーがより進んだという状況をふまえないと。シティ暴動とか反サミットとかメイデイとかで一部の連中はやりたい放題だったわけだし、今年の3月・4月にもロンドンで反G20闘争がかなりの規模でまきおこって、rampART というスクウォットが弾圧をくらってたのも記憶に新しいところだ(rampART はロンドンにある DIY 文化拠点としてパンクもすくなからずクロスしてたけど、今年の10月15日に強制排除でつぶされた)。こういうDIYパンクとクロスする拠点はUKにはけっこうあって、もともとはアナキスト系の福祉受給支援の運動体がはじめた 1 in 12 Club もそのひとつ(他所さまの訪問記「1in12」)。ここはギグスペースもあってヨーロッパのDIYパンクにはよく知られた拠点だ。こうした自主管理の拠点はつぶされたり自滅したりしながら、同時に新たにうみだされつづけている(パンクとして?ロンドンにこだわるなら Autonomous London からの情報をたぐってみればいい)。こうした拠点をめぐる攻防にはDIYパンクス、アナーコ・パンクスがすくなからずかかわっている。
行動するパンクスが社会運動に密接にからんでいる好例として、ダンマルク・ケーベンハウンの Ungdomshuset(若者の家)をあげてもいいだろう。悪名高いノアブロ地区のヤクトヴァイ69番地にあったスクウォット拠点の Ungdomshuset は、2007年3月1日に警察の空挺部隊が急襲して陥落したけれど、それで数日の暴動となってダンマルク政府・ケーベンハウン市政府(コムーネ)に衝撃をあたえている。だってヨーロッパ中からアナキストやらアウトノーメンやらパンクスやらがワラワラとわいてきて結集するわ、14かそこらのクソガキまで独自のデモ隊列くむわで大騒ぎだったのだ。さすがにこんくらいの歳だと暴動の主体にはなりえないけど、それでも未成年が何人もパクられてた。このスクウォットをめぐる闘争は、「暴力反対」の「大人」連中からはおさだまりの非難があびせられた。ききわけのないガキってわけ。でもガキンチョパンクスの親世代にあたるヒッピーやアーリーパンクスなんかも結束して、Ungdomshuset を支持する大デモを敢行していて、ガキの闘争と矮小化することもできない。ここらへんがヴァイキング末裔のふところの深さ?というのか「非常識」というのか「野蛮」というのか(笑)、警察と市街戦さながらのイケイケドンドンの衝突を起こした連中が市当局に代替物件(ドロテアヴァイ61番地)を提供させるという一定の勝利をえてしまうところに、アウトノーメ的な文化/政治運動の強力さがある(もちろん暴動で実刑確定の被弾圧者がでた)。まー街そのものがスクウォッティングだっつうクニスチャニア地区がすぐ近くにあるくらいだから。で、当然 Ungdomshuset にはパンクスがなだれこんでいた。Ungdomshuset はヨーロッパ最大規模のDIYパンク祭 K-Town Festival(現 Shittown Festival)の会場だったんで、パンクスが黙ってるわけがなかった。てゆーかそもそもアナーコ・パンクスはアウトノーメ的な運動の担い手だしね。
ま、なんにせよ、アナーコ・パンクはジジイだけじゃなくて若いもんもいまだにたくさんいる。
どうも話が脱線する。で、パンクの階級問題についてちょっと。アーリーパンクスの一部がアートスクールだのの出身だという話をもってきてパンクはもともと労働者階級のものじゃないんだってまとめたがる傾向があるのは知ってるけど、問題はそのあとなんじゃないかな。とっぱながプチブル的だろうがそんなこたぁどうでもいい。連中はどうせすぐに撤退したんだから。問題は、パンク(あるいはそのあとにつづいたDIYパンク)といわれるシーンに実際にいたのは大多数が貧乏な労働者もしくは失業者だったわけじゃん。パブロックとかとの交差だって、UKプロレタリアートの文化ぬきには考えられないことだし。いいじゃん、もう。受容した圧倒的多数がプロレタリアだったんだから、あれこれいったってしょうがないじゃん。
ヨーロッパの一部じゃ失業給付が手厚い(=ぬるい)ってことで「労働者階級うんぬん」も神話にすぎないんだってな話にもなるんだろうけど、でもそれって労働者の先達による闘争の成果をうけついでいるだけのことで、パンクを受容したのがまぎれもなく明日なんかないプロレタリアートのクソガキどもだってことにゃ変わりはない。プチブル連中が流行にのってすぐにどっかにいっちゃったのはまあご愛嬌。あおられてパンクにいきついたのが未来に希望ももてない連中で、それがアナーコだか、オイだか(「左」のオイパンク集団──RASH: Red and Anarchist SkinHeads みたいなのもいるけど)にアウトプットが分かれるということはあっても、基本的にみんなロクな仕事もない不安定なプロレタリアかドロップアウト組。商業パンクとそのグルーピーはどうだか関知しないけど、すくなくともDIYパンク、アナーコ・パンク、ハードコアパンクは層としてほとんどがそう。
それが明確にゲットーの文化として成立してるのかどうかってことで、これまた問題にされるんだろうけどね。アナキズムなんてインテリのものじゃん? みたいな。フーディーズのあっけらかんとした小理屈ヌキのパンクのほうがすがすがしいってのも、字面だけからすればそうかもしれない。でもアナーコ・バンクとかいったって、みんな最初はたんなるカッコイイだけの記号としてサークルAを受容するとか、そういうことなんだと思うんだけどな。それにUKじゃないけど、シカゴじゃヒスパニック系のゲットーから LOS CRUDOS なんかがでてきたってこともある。アフロ・パンクみたいにアフリカン・アメリカンのコミュニティから育てられるってことだってある。パンクがどういう連中にどのように受容されてったのかということは、地域ごとに即して具体的にしかいえないような気もするし、おおざっぱにいえるような気もするし、よくわからん。
じゃ日本はどうなのよっていえば、やっぱり同じことだと思う。初期はどうだかしらね。でも少なくともハードコアのはじめの方は、はっきりいって不良のにいちゃんねえちゃんの文化の一部。とくにメジャーがどうこうということにはまったく関係しようとしないアンダーグラウンドのハードコアパンクは、社会的ステイタス(笑)の上昇には貢献するわけないし、そういう指向もその背景となるような文化的資質ももたない。むしろそういう地下のパンクスは分断され固定された状況への執着を見せてんじゃないの、と思うことさえある。ハードコア初期土着型の「ジャパコア」なんかをみてもそうだけど、肉体労働者であることを誇示するような装いが一部に定着してきたじゃん。日本での初期ハードコアは、ゾクかパンクかってな案配の「不良」文化との融合という特質もある。昔のライヴハウスって「テメどこよ?」みたいな空気充満してたじゃん(笑)。ケンカばっかでハコからしめだしくって。だから「パンクがヤンキーに殴られていた」(町田康)っつーのは、1970年代末そういう状況があったのかもしれないけど、たんに町田がいた場所がそうだっただけなんじゃねのという気もするんだよなあ。とにかく、パンクがパンクどうしメンチきってドツキあってるっつーのはひところの文化としてあったわけだけど、ヤンキーとハードコアパンクということならむしろかぶってたように思う。で、こーいうのもひっくるめて支持してきたのはまぎれもなく労働者階級のガキじゃないのかって話。ヨーロッパと日本でその見え方が違うのは社会保障のありかたの相違を反映してんでしょ。むしろ「労働神聖」の神話がガッチリ社会をつかみ、最低生活保障としての生保取得にエグいほどスティグマをちょうだいしなきゃならんような日本のほうが状況はよりハードで、「労働拒否」できない環境のなかでヒーコラしながら、それでもなおみんなパンクなんだって(笑)。そりゃおのれの腕一本で労働に勤しんで食おうとするパンクスがプチブルだといかいわれたらむかつくだろう。そんなのはセルアウトした連中にまかせておけばいい話なんでさ。
でもみんな歳くって人生どうすんだろ? ひとごとじゃないんだが、それこそ問答無用のノー・フューチャー……
最後に。フード付のパーカーはオールドなパンクだって着ています(笑)。
etikedo : DIYパンク



