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php-apc で WordPress を(ちょっとだけ)高速化

2009
12-29
某 CentOS なサーバにつっこんだ WordPress が重い。まるで鈍牛。しょうがないので PHP をメモリ上のキャッシュでナニする APC をいれてみることにした。

pecl を直接叩いてインストールしてもよかったんだけど、最近サボりグセがついていて、remi のレポジトリたよって yum install で手抜き。

# yum install php-apc
(実際には php-pecl-apc がインストールされる。php-pear をいれてなかった場合はそれも)
# apachectl graceful
(Apache を*おだやかに*再起動。/etc/init.d/httpd restart でもべつにいいけど)

で、pecl コマンド叩いた場合とちがい、インストール時に必要な設定がすんでしまう。phpinfo() するとちゃんと APC Support が Enabled になっとる。なんちゅー気軽さ。ちなみに APC 3.1.2 (on CentOS5.4) がはいった。

某サーバ、じつはメモリは 512MB しかつんでないんで(笑)、いくらデュアルコアのCPUとはいえキャッシュしたところでキツイかな~と思っていたけど、予想以上に WordPress の管理パネルが軽くなったどー。表示もはやくなったっぽいな。体感速度で効果を感じるくらいなので、WordPress 重いじゃねえか~と思ってる貧乏サーバ管理者は試してみる価値あるかも。まあ、廉価な「PCサーバ」で超絶な速度期待するほうがムチャといやそうなんだけど。でもメモリ追加したい。

ちなみに remi の yum レポジトリはこんな感じ。

# cat /etc/yum.repos.d/remi-enterprise.repo
[remi]
name=Les RPM de remi pour Enterpise Linux $releasever - $basearch
baseurl=http://rpms.famillecollet.com/enterprise/$releasever/remi/$basearch/
http://iut-info.univ-reims.fr/remirpms/enterprise/$releasever/remi/$basearch/
enabled=1
gpgcheck=1
gpgkey=http://rpms.famillecollet.com/RPM-GPG-KEY-remi
failovermethod=priority
priority=1

[remi-test]
name=Les RPM de remi en test pour Enterpise Linux $releasever - $basearch
baseurl=http://rpms.famillecollet.com/enterprise/$releasever/test/$basearch/
http://iut-info.univ-reims.fr/remirpms/enterprise/$releasever/test/$basearch/
enabled=0
gpgcheck=1
gpgkey=http://rpms.famillecollet.com/RPM-GPG-KEY-remi
レポジトリ追加の手順はこれだけ。(priorityは追記している)

# rpm –import http://rpms.famillecollet.com/RPM-GPG-KEY-remi
# cd /etc/yum.repos.d
# wget http://rpms.famillecollet.com/remi-enterprise.repo

priority=1 はトラップになりそうなので自己責任で。enabled=0 にしといて、yum install するときだけ --enablerepo するのが穏当か。不安な人は Remi の説明読むがよろし。
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【転載】大阪ヒガシえっとう

2009
12-27
大阪ヒガシえっとう

大阪ヒガシ越冬闘争実行委員会
070-5506-8735

「黙って野たれ死ぬな!やられたらやり返せ!」を合言葉に寄せ場(寄り場)を中心に「越冬闘争」が取り組まれて40年近くなる。「土建国家」の要請の下、70年代、建労法体制下で寄せ場(寄り場)が建設労働者の日雇労働市場に特化される中で、偽装請負、飼い殺し飯場、暴力タコ飯場が常態化した。製造現場では重労働低賃金使い捨て労働力としての無権利下層労働者が激増した。大資本の要請の下、労働者派遣法(1985年)により「派遣」が導入され、上層労働者の非正規化が進行する中で、1991年バブル崩壊とともに、大失業時代を迎えて野宿者が激増した。大資本の海外進出と労働者派遣法の改悪は、失業者・貧困者をより激増させ、「野宿者予備軍」を準備した。
 かかる事態において、なおも行政の敷いたレールに便乗した「あいりん地区対策(本質的には暴動鎮圧を目的とした府・市・府警による治安維持対策)」及び「釜ヶ崎労働者のアブレ失業問題=野宿者問題」としか捉えない釜ヶ崎の運動体に見切りをつけて、大阪全土に拡がる野宿者の解放運動を90年代半ばより極少数の有志で開始した。「浮浪罪」を糾弾し、テントや段ボールハウス等の野宿者の「不法占拠」を断固支持し、「誰にも理解されない最後の仲間」とともに歩み、「野宿してもなお生きていける状況・基盤=野宿者の解放区を築く」ことを目的に、大阪キタ、淀川、中之島・桜ノ宮等の大川沿い、大阪城、靱公園本町通り、長居含む南大阪、東大阪を主な現場として様々な取り組みを行ってきた。
 1995年の大阪APECであらゆる公園でテントの強制排除が強行されたことを踏まえた1997年の大阪国体・天皇来阪を口実とした野宿者排除策動に対する反対闘争勝利、1998~2000年の淀川テント村建設・淀川農場開墾・連続放火、「2000年沖縄サミット反対!野宿者全国行脚」とそこで連帯した海外の同志たちとの貧困者サミット(ニューヨーク)等への参加とその後の欧米・アジア・アフリカ・南米の野宿者・貧民運動との連帯交流。そして2001年1月よりの北米五大湖地方トロントなどで闘う”貧困に抗するオンタリオ連合(OCAP)”や北米西岸ポートランドの尊厳の村との同志的連帯交流。2000~01年の長居公園シェルター(立ち退くか入所かを強要した強制収容所)反対闘争とシェルター支持派によるテロル・連続放火と長居公園テント村建設(長居現闘団により建設)。2002年の排除と収容の「ホームレス特措法」(10年時限立法)粉砕闘争。3名の日雇労働者が殺され埋められた2004~05年の朝日建設に対する労働争議、韓国民主労総建設支部・全国貧民連合との交流と釜山APECに対する国境を越えた実力粉砕闘争、2006年の靱・大阪城強制排除反対実力闘争等、闘いに継ぐ闘い、弾圧に継ぐ弾圧の連続だった。だが、権力の弾圧を恐れて「非暴力=無抵抗」をもっともらしく説教する「活動家」は去ればいい。我々底辺下層の労働者はそんなクダラナイ話に付き合っているヒマなど1ミリたりともない。
 「ホームレス特措法」前後より、新自由主義の典型である「自立支援」諸政策が「ホームレス特措法」を根拠に野宿者の排除と収容政策を容認する運動体が圧倒的多数を占め、「就労自立」(=若くても定職にはつけず運がよくても自己責任で不安定就労が見つけられる程度)を前提とした「生活保護」へと形骸化させる動きを民・社・国連立政権下でいっそう加速化している。そのため、野宿する場を追われ、路傍を彷徨わざるを得ない野宿者が環状線近辺から河内地方を含めた大阪ヒガシへと押し出され、大手企業の海外流出やリーマン・ショック以降の大不況下での東大阪や堺、北摂等の中小規模の工場地帯で下層労働者の失業が激増している。野宿者に特化した行路病院、生活保護受給者を食い物にするドヤ福祉・福祉ボッタクリ飯場・福祉ボッタクリマンション等、72年釜共・現闘委の闘争以前の段階に戻った暴力タコ飯場の横行など、我々底辺下層の労働者が解体すべき敵は数多い。我々は、野宿者解放運動という立場からこれらの動きを徹底的に批判し、潰し、「野宿者の解放を野宿者自身の手で」勝ち取るべく心を砕いていかなくてはならないだろう。昨今の上層労働者の「派遣村」に惑わされ野合することなく、底辺下層からの解放運動を今一度取り組みなおさなければならい。
 さらに危惧すべきは、このまま運動の現状維持や生活保護万能主義(「生活保護」自体、1950年日本革命を封じ込める国家権力の「エサ」であった事実を我々は肝に銘じるべきである)がまかり通れば、「テント村」等の野宿者集住地区は跡形もなく消え去るだろう。権力はその機会を虎視眈々とうかがっている。我々は、野宿者集住地区にすら住めず、路傍を彷徨うしかない仲間たち、あるいは生活保護で「生き甲斐」を失い「生き埋め」にされた仲間たちとの連帯をこの間、生活相談・労働相談・失業者や下層現場の労働者の組織化・パトロールという形で継続してきた。2009~2010年の越冬闘争は、環状線内から東へと押し出され、テントすら張れずに路傍を彷徨う野宿者と大量の失業者を抱える工場地帯・困窮世帯がひしめく大阪ヒガシの地で「根拠地なき越冬闘争」に取り組みたい。すべての志を同じくする仲間たちに呼びかける。我々の力はまったく弱小だ。そしてまた我々の取り組むこの闘いは近い将来に避けては通れない未踏の挑戦だ。だが、この越年越冬闘争は必ず近い将来における礎となる。これまでの野宿者解放運動がそうであったように。これからも路上に叩き出されていく仲間たちのために絶対必要な野宿集住地区が、次々に潰され、拠点らしい拠点がほぼ解体され排除されるがままに(あるいはコミュニティー解体に「善意」の運動・ボランティア・弁護士等がそれに手を貸す形で)されてきたここ数年、支援の人的・物量的に貧困な地域と敢えて向き合い「路傍の仲間たちが受けてきた怒りや痛み」を同じような底辺下層の境遇に置かれてきたおのれの怒りや痛みに共感させ重ね合わせながら、一人でも多くの路傍の仲間と語り合いたい。路傍に周縁化された仲間たち! 団結し、共に厳冬を乗り越え春をつかみ取ろう!

12月28日(月)20時~ 近鉄布施駅周辺パト・食料品配布
12月29日(火)30日(水)南港臨時宿泊所受付 整理券は朝5時~市更相
12月31日(木)13時~ 鶴見緑地公園パト・カイロ配布
        21時~ 天王寺周辺パト・カイロ配布
1月1日(金)21時~   天王寺周辺パト・カイロ配布
集合地点・内容等の詳細は、free_workers_federation(at)riseup.net か 上記電話連絡先まで。

このビラを見た仲間へ!
生活・労働問題等の電話相談は 070-5506-8735(自由労働者連合)へ!

越冬闘争を支援していただける労働者・市民の皆さんへ!
郵便振替口座 00960-6-145783
口座名称 自由労働者連合 
「越冬カンパ」と通信欄に付記願います。

政府・自治体の年末年始生活相談

2009
12-27
厚労省が案内している年末緊急職業相談(ハローワーク)年末年始の生活総合相談(各自治体)、なぜか窓口一覧がPDFのみ。いちおう第3世代携帯のみ対応のキャリモバ.jpにも情報おいてるようだが。
 肝心の生活相談だが、ほとんどの自治体では29・30日だけやって年内撤収という案配だ。例外的に年始までやるのは東京都、盛岡市、宮崎市くらいで、3日まで(宮崎市は年始以降の窓口は宿直室のみ)。
 窓口はないよりあったほうがマシにはちがいないが……「求職中」という要件によって事実上、従来からの日雇・野宿労働者は門前払いだろう。行政による野宿者排除がなくなったわけではない。しかし「官製派遣村」が対象とする失業者と日雇・野宿労働者はなにがちがうのか。政府・地方自治体は野宿者排除をただちにやめろ! モチ代を復活させろ!

ぜんしょうれんきゅうしゅうぶろっくの わかちがきをみて おもったこと

2009
12-27
あべ・やすし さんの「ひらがな あなーきずむ」のていきを しりつつ、いまだに漢字・漢語をたくさんつかう 反革命な わたしとしては、このように げんきゅうする たちばにもないことを だらしなく じかくしながら、反革命のおくじょうおくを かしてみます。(ほらまた よけいに むずかしくいう!)
 だれに かたってるんだか まるで いみふめいですが、けっしゅうされた すべてのなかまのみなさん、全障連(全国障害者解放運動連絡会議)って ごぞんじですか。(あたりまえじゃ!ナンセンス!のこえあり) 「障害者の主体性確立、反差別、地域社会における生活」をかかげた、たいへんゆうめいな うんどうたいです。(おめーにいわれたくねえわ!のやじあり) 「障害の克服ではなく、障害者差別からの解放を」という、かっきてきな スローガンを うちだしたことでも しられています。(しったかぶりはずかしいぞ!) 関西青い芝の会連合会と関西「障害者」解放委員会の きょうとうが このぜんこくそしき けっせいの きっかけとなったと いわれています。(ひっこめひっこめ!)
 全障連などの しゃうがいしゃかいほううんどうの たたかいや そのこうせきについては、すでに おおくいわれてきたことですから 門外漢(むじかく漢(おとこ)きゅうだん!)のわたしは ここではくりかえしません。こんかい ちょっと とりあげてみたいのは、全障連の九州ブロックのウェブサイトが 漢字と ひらがなの ふたつのメニューを よういしている ということです。
 全障連九州ブロックは しるひとぞしる 革労協(かくろうきょう)もしくは解放派(かいほうは)の えいきょうりょくがつよい グループです。バクロはやめろ! と おもうひとも いるかもしれませんが、九州ブロックみずからが ウェブサイトに けいさいした きじのなかで、ぶんれつした たいりつグループを はげしく しだんしているので(たとえば、「にゅうす28ごう」には「きもとぐるうぷと けんりょくをたたきつぶすような たたかいこそが しんのかいほうをかちとってゆく」とあります)、このブロックが革労共の現代社派(げんだいしゃ は)の えいきょうかにあるグループだということが よくわかるのです。
 へんなだっせんを しました。すみません。それで、この全障連九州ブロックのサイトの かくページを よんでいて おもったのですが、よくささやかれる「ひらがなのわかちがきは よみづらい」ということは、よみてが よんできたものの ちくせきのなかみにも かんけいしているような きがします。わたしは さよくてきな、しかも しんさよくてきな ぶんしょうを わりとよんできました。いや、しょせんぱいに くらべれば ぜんぜんたりないのですが、「せけん」をきじゅんにすれば やはり なんでそんなのよむの? というくらい しんさよく-こてんげいのうてきな ぶんしょうを めにしてきました。たとえば解放派についていうなら、そのテーゼのひとつとして プロ統(プレタリア統一戦線、ぷろれたりあ・とういつせんせん)という うんどうろんがあります。いや、そしきろんかもしれませんが、げんじつには うんどうろんてきな やくわりを はたしたとおもいます。ともあれ、このテーゼは 解放派しょきの じゅうようなりろんの ひとつでした。わたしは プロ統ろんの どうじだいてきな どくしゃであったわけではなく(こわいわ!(笑))、ただの おくれてきたごくつぶしに すぎませんが、ともかく こうした とうはのテキストもふくめ、さよくてきな ぶんしょうを ななめよみしてきました。ですから、全障連九州ブロックの ひらがなメニューを ワクワクしながらひらき、いくつかのぶんしょを めにしたときに、ひらがなのわかちがきが ウェブブラウザいっぱいにひろがっても、たいしてくもなく めでおうことができ、ないようも あたまにはいってきました。
 「ひらがなのわかちがきは よみにくい」というこえが ネットではいがいにおおいな、ということが あたまのかたすみにあったため、あれ、わたし、なにかおかしいのかしら? とおもいかけましたが、すぐに、ああこれは つかわれていることばが、かんごてきなひょうげんも ふくめ、なれしたしんだものだから それほどいわかんなく よめるのだなと ひとりがてんしました。ようするに、たんに ひらがなにひらかれただけの、漢語にいきょした さよくてきな かんようくを しっている(笑)からこそ、よんだはしから あたまのなかで漢字にへんかんできるものはそうして(あるいはそのつもりになって)、つまり ことばのカタチそのものを さいこうせいしながら、めにした ぶんしょうを りかいしているのだと おもったわけです。わたしは めがみえます。こえもだせます。にほんじんのことして うまれおちて にほんごを ぼご としてきました。ですから げんご(にほんご)の しゅうとくに あたっては、さいだいたすうはてきな みちすじを とおってきたことになります。漢字かなまじりの ぶんしょうを しかくに たよりながら よみくだし、りかいする というアレ。もちろん そのためには ことばをしり、ひらがな・カタカナ・漢字を おぼえ、そのくみあわせによる ことばを いっていりょう しゅうとくする ということが ぜんていと なるわけですが。
 と、かんがえてみると、ひらがなのわかちがきによる ちょうぶんが よみにくいということは、それはやはり 漢字かなまじりぶんへの なれのもんだいではないか、というきもしてきます。もちろん ぶんせつの こうせい・ながさの ありようや、とうてんやかいぎょうの いれかたなどに あらわれる ぶんたいにも さゆうされることだと おもいますが、すでにのべたように、わたしは さよくてきな ものいいに なれています(笑)。だから「よみあげソフト」りようしゃのために ぜんぶんひらがなの メニューを ていきょうしている 全障連九州ブロックの「ホームページ」も すぐに いわかんなく よめてしまったのでした。いちぶんがながくても やはり なれていれば、よめます。ぶんたいや ろんちょうに なれると、このぶんの つぎに なにがくるかまで だいたい よそうがついてしまうという、あるいみではこわい げんごてきな 身体性(しんたいせい)を えることさえできます。なんのこっちゃ。まああるいみで、すべてのテキストは じゅもん・ねんぶつのようなものですしね。
 わたしは「漢字かなまじり」を もじひょうげんじょうの「ぼご」としていると かていしてみれば、「ひらがなベースのわかちがき」という あまりみなれていない テキストにたいするとき、ちゅうがく・こうこうで そうだったように、たとえば英文を どうはあくするかということに ちょっとにた げんしょうに でくわしているのかもしれません。みなれぬ もじのならびが いみするものを、じぶんなりにりかいできるものに おきかえているというところで、おなじことをやっているのではないか というわけです。
 あるシニフィエ(signifié、いみされているもの)が もじのうえでは すべてひらがなで あらわされているとき、「漢字かなまじり ぼごしゃ」は、そのひらがなであらわされたものを、いったん「漢字かなまじりという ぼご」で あらわしなおす(しかも しゅんかんてきに)さぎょうをとおして りかいしたつもりになるのでしょう。もちろんそのシニフィエが にほんご(「やまとことば」、わご)であれば、このさぎょうをけいかせずに ダイレクトにりかいすることになるわけですが。ともあれ、たとえば「漢字」も「かんじ」も「kanji」も、みなシニフィアン(signifiant、いみしているもの)です。そのどれでいいあらわしても おなじもの(いみされているもの)をさします。つまり「漢字かなまじり ぼごしゃ」は、「かんじ」(や「kanji」)をみたしゅんかんに あたまのなかで「漢字」にへんかんしたうえで(あるいは かんじの かたちを めいかくに むすばなくても、なんとなく へんかんしたつもりになって──だから しゅうんかんてき)、そのいみされるものをイメージしている。ですから、たんに ぶんたいが どうあるかだけでなく、このことばのへんかん(あるいは へんかんしているとの さっかく)の こなれぐあいによっても、「漢字かなまじり ぼごしゃ」は わかちがきに いらついたり、そんなにきにならなかったり するのではないでしょうか。でも かなの ひょうげんになれれば、あえて漢字にへんかんしなくても(へんかんしたと さっかくしなくても)いみされているものを ちょくせつイメージできるはずですけどね。あれ、そうするとやはり よみやすさは ぶんたい、あるいは もじのかたちによるのか。なお、わたしは ひらがなベースより アラタしょたいなどで ひょうげんされた カタカナの わかちがきぶんの ほうが よみやすいと かんじていますが、これはきっと かんかくてきな このみの もんだいに ちがいないと おもうことにしました。こんきょはありません。
 あーあ、しろうとがせのびした(笑)、まったく ぐにもつかない はなしになってしまいました。

2010反戦♪デモ…?

2009
12-20
「2010年に反戦・反貧困デモでビートルズ全213曲が生演奏される」といいふらしてほしい人(たち)がいるようだ。もうしわけないが、おれはビートルズには興味のかけらもない。でも、(ゴタクばかりならべるより)デモをやろうということはいいことで、その心意気は支持したい。もしかしたら著作権管理団体に目をつけられるかもしれないけど(だからメジャー音楽産業の音楽はイヤ)、がんばってほしい。

アルフレド・ボナンノとクリストス・ストラティゴポロスの逮捕

2009
12-20
書こうかどうか迷っていたが、ええいままよ、とメモしておく。どうせギリシャの暴動だってスペクタクルとして消費されてるんだから、こうした真っ暗闇な情況についても記録しておく必要があるだろうと思ったのさ。

今年の10月、アルフレド・ボナンノがクリストス・ストラティゴポロスとともにギリシャのトリカラで逮捕された。
 アルフレド・マリア・ボナンノ(1937-)はバクーニン─マラテスタの系譜をひく立場にある人で、つまり「蜂起派(insurrectionary)」のアナキストとして当局に「悪名」高い。イタリアの治安当局はアルフレドを目の敵にしており、かれが1977年に『武装した喜び(La gioia armata)』を出版したことへの報復として18ヶ月もぶちこんでいる。また ORAI(Organizzazione Rivoluzionaria Anarchica Insurrezionalista)の親玉として2003年には6年の実刑+αをくらわせた。口実は「武装強盗」。1997年4月にはミラノの爆弾さわぎを契機として逮捕者が三ケタにもおよぶアナキスト大弾圧がイタリア全土にまきおこったが、アルフレドじいさんは「爆弾さわぎ→弾圧」のなかで「アナキスト武闘派」の黒幕とされた。
 今回のトリカラでの逮捕理由もまた「武装強盗(銀行強盗)」だという。ただし当然のことながらこれは当局がリークした情報にすぎず、クリストスがアルフレドの強盗加担を否定しているという「アルフレドとクリストスに自由を」の対抗情報もある。
 なお、昨年の警察による少年虐殺への「復讐」として都市ゲリラ活動をつづけてきたギリシャの「火付け陰謀団(Conspiracy of Cells of Fire)」と「ニヒリスト・フラクション」のコミュニケが、ボナンノとストラティゴポロスへの献辞となっている。まさに「蜂起派」、蜂起にいたらねど死なず。曰く、「新たなゲリラは石けんの泡などではなく、若者の衝動でも芸術的熱情の爆発でもないということを見せようではないか」。歴史はくりかえす。

(日本では)ほんの一部の人をのぞけば誰もしらないじいさんのことをオマエは……という感じだが、数年前東京に滞在していたヴェネツィア出身のアナキストにその存在を教えてもらってから、なんとはなしに気になっていた。しかし70歳をすぎた憎まれっ子が世にはばかるというのはある意味で痛快ではあるが、情況はかなり厳しいはずだ。それでも人には弾圧粉砕闘争勝利といわねばならない局面がある。

手当て、所有、盗み、

2009
12-18
Google News をだらっと見る。すると「子ども手当」の所得制限が云々というヘッドラインだけ目にはいってくる。どうやら年収二千万円レベルの人々には手当せぬ、いや八百万円だとぬかしおる。くだらぬ。親なり世帯主なりにカネをわたすくらいなら、子供を一己(いっこ)の人格として遇すればいいではないか。子供にカネをわたしたらろくなことに遣(つか)わないとすぐにお小言も聞こえてきそうだが、それならば大人がよりましなことにカネを使うのかと考えてみれば実に笑止千万の沙汰である。そも、大人こそがしょうことなしに遣ってきたカネとはいったいなんなのか。そのカネはどうやってうみだしたのか。
 貧乏人であるせいか、「所得」だとか「所有」だとか「福祉」だとかということにはひとなみに敏感であるつもりだ。だが、asexual 指向の(ただし性欲はある)単身者として類的滅亡だけが予定されている立場としては、こうした「親子」にわたるくだらぬ私有の共軛にはヘドがでそうな気分になる。なぜ、〈我と汝〉ではく〈我と我の予備軍〉なのか。こと「経済」単位としてみるならば、「家族」とは家長のみのが人格として起ち、家長以外は家長に従属するその所有物にほかならない。そしてその家長は次代の家長および家長に従属する人格を生産するために、「家」の成立に腐心する。だからかれにとっては「子ども手当」は「親手当」でなければならない。近代的所有制を所与の前提としながらも、また財産の相続に血道をあげながらも、「家族」とはつまるところかれにとっての再帰的な財のひとつにほかならないのだ。
 そもそもカネにまつわる「家」の単位化の背景には、近代的家族の定位による個の捨象という逆説をものともしない私有の擁護がある。世に行われる私有とは一代限りのものではない。自己の「はたらきへの(正当な)報酬」は自己の分身に還元してよい。報酬としてえたカネをなんに遣おうが勝手だ。なるほど、そのペイが真に独立した個人の才覚によるものなら、そうした「おれのものはおれのもの」という論理は是認されるかもしれない。しかしそれなら経済主体としての権能をそなえるおのれひとりが死ぬときに、私的所有の結晶であった財をひらいて共有化させ、もってそれをいわば「生活保障のための社会資本」と転化せしめ、子供を〈共〉に養育するための原資・原蓄とする。このほうがよほど人間存在の持続にとって効率的で「市場」のおめがねにもかなうはずだが、多くの人はそうしない。自由経済などウソもいいところで、あるのは私的経済だけである。どうやら人間は血脈への郷愁と言葉にならぬ確信めいたものがあるらしい。どうしてもわが子に血と汗と涙の成果(これは他人のそれを収奪したものでありうる)をひきつがせたいようなのである。結果の平等を悪平等として、おのれの稼ぎはおのれひとりの才覚によるものと自負し、民主主義の社会は機会の平等を実現しているのだから「優勝劣敗」の結果を感受せよとうそぶくブルジョア精神の持ち主どものあわれな自己瞞着はともかくとしても、階級の再生産は厳然たる事実であり、機会の平等などどこにもありはしない。つまり人はうまれおちる場所を選べないのだから、叛乱に起つ道理がはじめからあるのだ。
 現代世界において私有はもちろん法認されたものであるけれども、その淵源のほとんどすべてが盗みである。日本でいうならば、まず天皇家の財産が「維新」によりながらどのようにつくりだされたかを考えてみればよい。あますところなく奪い、なおまた奪う。シラスべき天皇が私有の頂点にたつという痴態を見せたのだから、翼下の天皇主義者どもの乱行たるや目をおおうばかりの惨状であったのもむべなるかな。あるいは、土地を利潤の源泉としてきた人間の経済のカラクリを思えばよい。先占という盗みこそが現代に連綿とつづく私的所有の歴史的基礎であるならば、われわれの世界は盗みの正当化によってこそ秩序を保ってきたのだというほかはない。領土争いは泥的どうしの臆面もない喧嘩にすぎぬ。すぎぬとはいえ、その喧嘩のせいでたくさんの人間が死んだ。いまも死んでいる。そうした所有をめぐる秩序とその裏面の死によって、われわれの世界が律されている。そうして律によって生起する秩序を乱すものは憎まれ、恐れられ、排斥されてきたのだ。暴動とは、この秩序=多数者の律にたいする、他方によるその他方にとっての自律的な叛乱にほかならない。
 人はその財を子に相続させようとする。なんによってか血統にもとづく共犯者をつくりだそうとする。それは生得的なリスク分散指向によるものというよりも、無自覚なおびえによるものではないのか。盗みの血族的共有という犯罪への無自覚な畏怖こそが、私有の相続をうみだす動力となるのではないのか。人はわが子がかわいいという。だがほんとうのところは自分がかわいいのだ。窮迫する貧乏人に子をかわいいと思う余裕はない。わが子かわいさとは、所有がもたらす自愛にほかならない。その自愛ゆえにこそ、所有の根拠たる自らの労働、あるいはただ存在するだけのこと(不労)に対する報酬をわが身一代限りの所持とせずに、分身として所有しているつもりの子への相続を望むのだ。だがこれは、私的所有を正当化する論理であるはずの「自らの労働(もしくは不労)を所有するものとしての自己=個人」というテーゼの否定である。ここに近代的所有のもつ魔力がある。個人の措定とその閥族化への欲望が近代的な支配と収奪の基礎的な条件であるならば、われわれは近代とその所有ということのもつ意味をいまいちど考える必要がある。

いまさら私有財産制・近代的所有制を否定し、集産主義や共産主義をたからかにうたいあげたところで、この「歴史の終焉」後の世界にあって時代錯誤もはなはだしいと嗤(わら)われるのが関の山だ。だが、わたしはいまなお本気で(自由な)共産主義をほっしている。たんにダラ幹になって得をしたいとか栄耀栄華をきわめたいとか人に気を遣われるなにものかになりたいとか、そういうことではない。いうことをきかないやつは皆死ねという裏返しのエリート主義たるポルポトになりたいわけでもなく、支配者たる地位を相続させることに汲々とするチュチェ主義者にかぶれたわけでもない。そうではなくて、人の盗みに加担し、また自ら盗み盗まれるという関係のなかで生きるのがつくづくいやだというだけだ。簡単な話ではある。
 自己の労働(ないし不労)を自らのものとだけ囲いこみながら、しかも自ら認定した「子」にのみその成果をうけわたす。これは養育ではなく、所有の支配そのものである。そうした支配さえも打ち砕く〈共に‐ある〉ことへの展望をどうしたら持ちうるか。「ある」ことの、あるいは「あろう」とする前段階的な実践(といえばごたいそうなものに聞こえるが、ようはあしもとも覚束ぬ試行)は、無前提に〈共に‐なる〉ことが可能であるかのようにパラ色の宣伝だけをして逃げるという欺瞞ではありえない。だがそうした実践そのものが、いまはほとんど困難になりつつあるようにも思える。人はすぐに脚光のあたるところに群がって暗闇には目もくれない。いったいなにが「共に」なのか。本来バラバラであるはずの人間は、どのようにすれば自己瞞着による「共同(翼賛)」という罠を粉砕しつつ、それでも「ある」という地平にたどりつくことができるだろうか。
 そのためにこそ、「持つ」ことのありようから問はなくてはならないと考える。史学のひそみにならえば、伝統的な所持ないし占有と近代的所有とはことなる概念として扱われてきたが、われわれがあたりまえのことだと思わされてきた近代的所有の現実を史的現前の連なりとしてとらえ、そのなかにさえある多様な差異と実態をふまえつつ、別の「ある」ことの可能性を構想することが肝要だ。「ある」とは存在の態様のことであり、その態勢をたもつために必要な「持つ」ことでもあるという連環をなす。この環をどのように開くのか。ただ、排他的な「自儘(自侭、じまま)」への対峙を意図するにせよ、たんに前近代へ遡行して古きよきなにかを幻視するだけではそれはかなわぬ夢となる。過去への訪問は、現在をとおした過去への対決でなければならない。所有は、いまだみぬ実践のなかでこそ「揚棄」されうべきものとしてわれわれの眼前にある。

【転載】「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」 ─生存権を求めたA君は無罪だ─

2009
12-16
貧乏人にはひとごとではない大阪での生保取得弾圧。生存無罪をうったえる集会が東京で準備されたようですが、当該労組のユニオンぼちぼちの委員長を迎えるんですね。貧乏人にとっては年々せわしなくばかりの年の瀬とは思いますが、万障繰り合わせて参加を! 案内は転送歓迎とのこと、フリーター労組のブログにも公開されているので転載もOKですね。

「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」
   ─生存権を求めたA君は無罪だ─


・日時:12月23日(水) 18時開場(18時半開始)
・場所:大久保地域センター(新宿区大久保2-12-7)
    JR新大久保駅または都営大江戸線東新宿駅より、いずれも徒歩10分
    http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/map/ookubo_toyama.htm
・資料代:500円(カンパ)

◆信じられないことが起きてしまいました。この8月、大阪府柏原市の福祉事務所に自身の生活保護申請に赴いた「ユニオンぼちぼち」の組合員A君が、二ヶ月半を経過した10月末に逮捕されたのです。彼は保護申請の様子をビデオカメラに収め、福祉事務所の職員に「生活保護申請をさせてください」と訴えました。そのためにそれから2ヵ月半もたって彼は逮捕され、11月16日には「職務強要」容疑で起訴されたのです。(以下参照)
http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/blog-entry-101.html

◆生活保護の現場では、ぎりぎりのところで保護を求める人々の希望を挫く「水際作戦」が展開されてきました。申請者にわたすべき用紙をわたさない、理由をつけては「また来てください」と追い返すなど、手続きのハードルを上げることで申請自体を断念させようとする行為です。その結果、生活保護を受けるべき状況にある人々の実に80%が保護から排除されています。

◆福祉に保護を求めることは権利であり、保護を求める人々の申請受け付けは、福祉事務所の当然の職務です。また、行政機関への適切な監視は市民としての義務ですらあります。A君は生きようとし、A君は福祉事務所が当然行なうべき職務を記録しようとしたのであり、それはなんら犯罪ではありません。彼の行為が犯罪なら、保護を求める行為は萎縮し、行政機関の活動はますます不可視化するでしょう。生きる権利から多くの人が排除されている状況を直視し、A君の無罪を勝ち取る必要があります。そのために何をすべきなのか、ともに考え行動しましょう。

---------- 集会内容 --------------------------------------------------
○報告
橋口昌治(関西非正規等労働組合「ユニオンぼちぼち」委員長)

○問題提起
稲葉剛(自立生活サポートセンター・もやい代表理事)/山谷労働者福祉会館活動委員会/根来祐(フリーター全般労働組合ムービーユニオン)山川宗則(Media Champon)

○会場討議

----------------------------------------------------------------------

主催:「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」集会実行委
連絡先:フリーター全般労働組合(新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階)
電話/FAX: 03-3373-0180
Web: http://freeter-union.org/union/
Log: http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/
Mail: union(at)freeter-union.org ←(at)を@に置き換えてください

ギリシャはフンタ時代に逆戻り?

2009
12-13
ギリシャで大弾圧の嵐がふきあれていますが、まとまって追う余裕がないのでとりあえずポインタだけ。まず Acclaim Collective による簡単なまとめ(いくつかの情報ソースへの指示あり)。Irregular Rhythm Asylum にもすこし注意喚起あり。それから、アテネのアナキストからのコミュニケ。現在の弾圧はフンタ──原義は「評議会」だが軍事独裁政権の代名詞──再来の危機だと訴えています。

【転載】アテネ★レザルト連帯基金の緊急カンパ要請

2009
12-13
【転載】

(ギリシャ語圏)
アテネ★レザルト連帯基金の緊急カンパ要請

 レザルトは、2009年12月5日晩に急襲された西アテネのアナキスト拠点である。

 同志22名が同拠点への無理くたの強襲の間に拘束されたのは、12月8日早暁のピラエウス裁判所による決定によるものだ。
 しかしながら、裁判所は22名全員で総額51000ユーロに及ぶ保釈金という重い保釈条件を突きつけた。更に特筆すべきは、22名の内の1名の保釈金として15000ユーロを、内3名それぞれに5000ユーロを、残りの17名に3000ユーロを設定した。
 保釈総額は12月17日木曜日までに供託されるべきであるが、カンパ金は、預金凍結回避のために、同15日火曜日までに預金される事が望ましい。その目的のために、連帯基金がレザルトの22名の経済的支援と彼らの保釈金の支払い目的のためにも立ち上げられた。
 我々総てが尋常ならざる高額の保釈金を集めることに貢献することは、とても重要なことである。
 この合計金額を確保していただくことは、大いなる支援であるし、またカンパ金が預金されうる銀行振替口座を獲得するために電話(+30 6973657960)もしくはtameio22@espiv.netに直接連絡していただくよう要請する。基金起ち上げのために宣伝された銀行口座は、ギリシャ国家の法の下では違法とされる。

連帯は我々の武器である!
ギリシャ語圏暴動の後で。

2009年12月11日

(*rebel_faKTorY 荒訳)

【紹介】『宮下公園~TOKYO/SHIBUYA~』(OurPlanet-TV制作)

2009
12-11
OurPlanet-TVが制作した『宮下公園~TOKYO/SHIBUYA~』が公開されています。ナイキが宮下公園(東京都渋谷区)の「ネーミングライツ」を購入して……という問題のアレについてひろく取材してまとめた映像作品で、独立メディアのもつ機動力がいかんなく発揮された力作。以下、内容紹介を OurPlanet-TV のサイトから転載。
DVD・CD無料配布中!詳しくはこちらから

 渋谷駅に一番近い公園・宮下公園。去年8月に渋谷区はスポーツメーカーのナイキ・ジャパンとネーミングライツ契約を結び、来年4月に「宮下ナイキパーク」と名前が変わる。また公園はナイキ側の負担で全面改修されスポーツ公園に変わる予定だ。

 これまで渋谷区は、議会の答弁の中で、宮下公園のスポーツ公園化は、区民の要望を受けたものと説明。要望書の提出を受けて、ネーミングライツの選定委員会を設置し、ナイキ・ジャパンを選んだとの説明してきた。

 しかし、OurPlanet-TVの取材によると、1000筆集まったとされる署名はNIKEと関係の深いスケートボードメーカーが集めたことが判明。また、要望書もロッククライミングは区議会議員自身が作成し提出していたことが分かった。

 そして、この計画は既に2006年にナイキが渋谷区に寄贈したジョーダンコート設置にまでさかのぼることが判明・・・。宮下公園の改修計画の背景にどのような事情があったのか—。日本の中で最も賑やかな街・渋谷の行政、議会とは—。

 これまで、ほとんど明らかになってこなかった宮下公園ナイキ化計画のプロセスを取材した。

■内容
Part1 Homeless
・Homeless
Part2 Street
・2つの要望書
・署名は誰が集めたか
・パークとストリート
Part3 NIKE
・マーケティング
・児童労働
・市場主義と公共空間
Part4 Sibuya
・ネーミングライツ
・ジョーダンコートとフットサルコート
・選定委員会
おまけ

■出演者(敬称略)
◇渋谷区役所◇
・桑原敏武(渋谷区長)/小澤明彦(渋谷区土木部 公園課長)
◇渋谷区議会議員◇
・広瀬誠(公明党)/植野修(公明党)/長谷部健(無所属)
・伊藤たけし(無所属)
◇スケーター◇
・佐野和俊(渋谷にスケートパークを作ってもらおう会)
・冨田誠(城南島パーク発起人)/秋山アキ(プロスケーター)
・渡部憲之(スケートショップ経営)
・渋谷周辺のストリートスケーターの皆様
◇渋谷区民◇
・渥美昌純(渋谷区民)
◇みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会◇
・藤井光(現代美術家)/植松青児(印刷労働者)
・黒岩大助(渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合)
・いちむらみさこ(アーティスト/美術カフェ・エノアール)
・小川てつオ(246表現者会議発起人、美術カフェ・エノアール)
・園良太(フリーター全般労働組合共同代表)
◇スペシャリスト◇
・吉澤恒男(元ナイキ及びミズノの社員)
・白木朋子(児童労働の撤廃・予防に取り組むNGO=ACE(エース)
・岡部明子(建築家)/尾林芳匡(弁護士)

■感想&リクエストをお送りください!
皆さんの感想または「こんな取材をして欲しい」というリクエスト
info@ourplanet-tv.orgにお送りください。

■制作応援カンパ募集!
OurPlanet-TVは非営利・非商業メディアです。企業などからの広告などは一切受けず、会費や寄付で運営しています。今回の5ヶ月間に及ぶ取材で、現在財政的に疲弊しております。ぜひ、制作費の支援をお願いいたします。

<ゆうちょ銀行>
口座番号:00100-4-77535 名義:OurPlanet-TV
※通信欄に「制作費カンパ」とご記入ください。
<三菱東京UFJ銀行>
神保町支店 普通 2338357 
名義 特定非営利活動法人OurPlanet-TV
※できましたらメールで、お名前や所属などをご一報ください。

【転載】ベオグラード6最新情報(2009年11月8日付)

2009
12-11


★【転載】ベオグラード6最新情報(2009年11月8日付)

12月7日、裁判所はベオグラード6の審理までの間、6人を拘置施設に置いたままにする決定を下した。このことは春先(日本列島での春先ではない!─訳者)にも何事かが起こることがありうるということだ。

(★旅浪人同志の翻訳より)

民主党土屋都議という必然

2009
12-11
土屋敬之都議が民主党都連から除名されたとか。土屋はタカ派的な右翼議員としてならしており、なぜ民主党にいられたのかと疑問をもっている人もいるようだが、そもそも同党のなりたちからしてこうした議員がいるのは当然のことだ。民主党についての左右に偏向した幻像は、政党の複合的な支持母体についてきちんとふまえられないからこそつくりだされる「不安の立像」にほかならない。労組系議員が云々としゃべりちらして政治談義を語ったつもりになったところで、それだけでは大味なヨタ話にしかならない。労組を支持母体とする議員には右も左もそろっているのが現実だからだ。
 民主党といえば労働組合の党であり、だから民主はサヨク!とわめきちらす手合いがネットにはたくさんいるが、そもそも労働組合の運動には右翼的潮流もしっかりと存在するのであって、左翼・中間派とならんで戦前戦後の労働運動を二分・三分してきた歴史を知らないからそんなバカなことがいえるのだ。ごくおおざっぱにいって、左派は総評、右派は同盟という枠組みが戦後のある時期からながらくつづいた。だから同盟の運動をしらずに労働運動についてあれこれ語ろうというのは、この意味では左翼的に偏向している。
 「労働組合運動の右翼的再編」といわれた連合結成への道行きは、ぶっちゃけ同盟のヘゲモニーのもとに成立したものだ。全民労協のヘゲとりに総評が失敗して、総評傘下の組合が危機感をもちながらも、潮目をみながら「労働戦線統一」にのりおくれるなとばかりに合流して連合ができたわけだ(「右翼的再編」を拒否した潮流のうち、共産党系は全労連を、その他は全労協を形成した)。連合が反共タカ派でならした旧同盟系労組とかつての中間派・左派の諸組合が呉越同舟する奇っ怪な連合体であるのは最初からそうなので、いまさらおどろくことではない。
 いまでも連合のヘゲモニーをにぎる民間最大単産であるUIゼンセン同盟といえば、(全繊同盟時代から)やはりゴリゴリの右派組合だが、そのゼンセンを支持母体とする土屋が名うての極右でいながら同時に民主党の地方議員であってもまったく不思議はない。政治的には反共右派、組合としては労使協調のゼンセンに領導される連合という視角からすれば、連合を支持母体のひとつとする民主党が労使融和のコーポラティズムでなんとかまとまっているのはむしろ当然である。土屋は跳ねすぎてトカゲのしっぽきりの憂き目をみただけのことだ(当該にしてみれば連合傘下最大単産の政治部門の一翼をになっているはずの自分が民主党に切られることには納得いかないだろうが)。なお岡田外相の血族的経済基盤であるイオングループにも労組があるが、ゼンセン傘下である。イオン資本の政治的表象である岡田の所属政党がゼンセン─連合の支持を受けてもいるという現実は、とりもなおさず民主党が労使協調を体現する党であることを示している。
 土屋敬之は政治家としては自民党議員の秘書として出発したが、そもそも民社協会会員であり、「労働組合の反共学校」とも呼ばれてきた富士社会教育大学校の研究員という経歴からして、時代が時代なら民社党=同盟系の右翼議員だったことだろう。民主党土屋都議という政治的存在は、ひとつの必然に違いなかったのである。

しつこくサーバ漂流記

2009
12-09
基本的にナマケモノのおれにしてみりゃ当然っちゃ当然の結果なんですが、やるべきことがつみかさなって下のほうが固まりかけたヘドロみたいになりつつあります。あしつっこんで、うっ。そのままじっとする(笑)。それじゃ意味ねーじゃんという状況なわけです。なんのこっちゃ。
 ともあれ、そーいう自堕落がまねく底なし沼の底のほうで、某ボランタリなたのまれごとにようやく手をつけたところです。某サーバをいれかえたのがきっかけになってて、計算機が物理的にイカレルというのもその意味ではわるくはない。はい、負け惜しみです。いまだに BIND の設定がおかしいんですご同輩。allow-update の罠にはまって無駄な時間いっぱいついやしました。もうしらん、見た目へんじゃないからとーぶん放置。さらに、どーして ntpd たてたのに nict.jp と同期できないんだろかと悩んでたらルータに穴あけてねーし……苦笑
 で、携帯端末からちょっとした文章書いたり写真とかウプできないか、ってのがたのまれごとのおもな要望だったりするんですが、おれいま携帯電話もってなくてテストできないというテイタラクなんですよねー。うひゃひゃ。
 緊急連絡というクリティカルなイベントからテメーを遮断する環境になれるととても気楽なんですが(ぉぃ)、貧乏人のネットへのアクセス手段はじつは携帯電話が主流なのだっつー現実はわかってますよ(貧乏パンクスも「パソコン」なんかもってねーというのが多数派で携帯で情報収集してます)。だからもちろん、携帯で閲覧できて、さらに携帯でも更新できるってのが、駈け入り寺的な運動体ウェブサイトの日本的要件なんだろなとおもいます。
 つーわけで長らくほったらかしにしすぎていまさら土下座のしようもないなか、ちまちまと環境構築に向かいはじめたわけなのでした。世間によくある「フリー(ロハ=只=無料)」なウェブログのサービスだのを利用するってことは、せちがらいマーケティング情報のいち因子となることとあくまでトレードオフなんで(心ある「アクティヴィスト」はそのことを恥じるべきというかおれが恥ずかしい)、まあ自前でやるのがフリーソフトウェア礼賛派としてはとーぜんだろということもあるんですが。

はっきりいって、日本の社会運動は「自由」としての「フリー」な成分がアットー的にかけてます。「プロプライエタリ(独占的、私有的)」な「製品(商品)」に依存しすぎでどーにもならない。よくよく考えてみると、こーいうところにも「運動」に参加するひとびとの「常識」に反映される構造的欠陥がみえかくれしてません? 批判する対象にドップリつかってあしをとられて転んでることにすら気がつかないという。気がついてても気がつかないフリをしなきゃならん状況にいるという。まさに資本主義的身体性という失陥。貧しいおれのカラダもきみのカラダも100円ショップやスウェットショップでできているんじゃないのかという疑念。というか事実。「エコ」は金持ちの私有物。コモンズとかえらそーにぶちあげたテキストもぜんぶプロプライエタリなつくりになってたり私有的独占的排他的オレノ・アタシノが陰に陽に主張されていたりして、理論家どもももういっぺん死んだらいいのに。なーにが反資本主義だってなもんで大東亜共栄圏(東アジア共同体)と裏表の一心同体でしかないカラダひきずってどうするつもりなんでしょう。おれ自身が情宣素材つくったりするのに Adobe 奴隷のままでとんだ恥知らず。
 さて、だから、F労/P団そのたの情報インフラの整備・保守運営をいってにひきうけてる某同志(バレバレな気もするけど公然情報ではないようなのでいちおう伏せます)はスゲエ、と、ひそかにおもいつづけてきたことをここであえていってみる。一枚のビラの背後に人間がいます。ひとつの行動の背後に、そのみえないところにも人間がいます。呼びかけや報告や声明の背後にも、行動を伝える写真や動画の背後にも人間がいます。それらの活動を効果的に支援するはずのウェブやメールにはバックエンドのシステムがあり、さらにその背後にもやはり人間がいるのです。そしてその人間たちは「ひとりはみんなのために」としてそこにいる。それでもその成果を独占的な自己販促の道具としてこれみよがしに見せつけるのではなく、共有物として提供するというのがとくにすごいんだってことの意味がわかりますか。わからないヒト=資本主義者は一刻もはやく滅ぶのが持続可能な世界への貢献です。
 もちろんテキスト書いたり呼びかけたりビラ刷ったりまいたり叫んだり非道な経営者おいつめたりパクられてもなお闘ったり、とーぜんながらそういうのがなににもましてエライのですが、ディジタルな「ムスケル」仕事だっておなじくらい貴重だということです。脳みそだって文脈によっては筋肉にもなります。おかげで「運動だって速くなった」でしょ。え、社会運動に速度はいらない? そうかもしれない。でも貧乏人は、敵に対抗する過渡にあっては、どこかで共有できる効率をつくりださなきゃならない。しかも貧しいだけに手づくりで。それこそが「無産者の生産」。
 まるでテメーがふんぞりかえるためにいってるみたいですが、とんでもない。たとえば某同志は「界隈」でははるかかなたからやってきた虚空蔵菩薩のようです。菩薩様はかぎりない慈愛と智慧をもってバリバリコードかくひと、こちとら愚痴ばかりたれながらチマチマ設定ファイルいじるだけの底なし沼の底のカッパ、あるいは聖未満の唱聞師(しょもじ、めでたい・まんざいと囃し立てて駄賃をもらう門付芸人)。そもそもくらべてどうするという話ですが、くらべようもありません。や、もちろん、カッパや唱聞師だから悪いつうことではぜんぜんなくて、おれがタコなだけです。
 じゃなにがいいたいんだといえば、できなくても菩薩様同志くらい精進せねばというわけです。だっていつまでたってもワナビーなタコのままだと、なにやるにしてももう時間かかってしょうがない…… 菩薩様とかいいながら自分すくわれろの利己的な動機じゃねーか(笑)。でも時間かけないとけっきょく精進にならないんですよね。釈迦も菩薩もほんとうはただの人間です。

それにしてもフリーソフトウェア運動があってつくづくよかったとおもいます。イマドキはFLOSSだの、あるいはある環境をさしてLAMPだのとかいろいろいうわけですが、いくらおれみたいなんが貧乏ですと僭称するにしても、「問題とするのは権利としての自由であって、価格ではありません」(GNU)という力強いことばにゃ心おどるじゃありませんか。われわれの反富裕・反独占(社会主義協会のいう反独占とはちょっとちがって、ここではむしろ個々人の排他的所有=私有に反対ってこと)の社会運動でも、「問題とするのは、ユーザがソフトウェアを実行、コピー、配布、研究、変更、改良する自由です」ということでなけりゃ、ね。ユーザってのはもちろんテメーのことであり、同時になかまのことです。

さ、屁理屈ばかりこねてないで実作業の手をうごかしましょう……

縦組ウェブページ

2009
12-04
佐賀一郎氏による縦組ウェブページ……これはすばらしいウェブ上の組版実践だ。こうした日本語組版におけるたて組処理は、やはり長文の可読性の面では有利だとおもう。ただ、テキスト表示の実装が Flash PLayer 10 依存なのよね。W3Cによる日本語組版処理対応は仕様策定にあたっての前提条件の整理という段階にあり(「日本語組版処理の要件」参照)、当然ながら web user agent の側もたて組の実用化にはいたっていない。だから Adobe という一企業の技術(FTE)をつかった過渡的な努力が貴重なものとなるわけだが……うーん。

100円の冬読書

2009
12-04
中央公論の『日本の歴史』20~25巻、各巻100円で落手。明治維新から侵略戦争まで。端本はたいてい安く放出されるので、古本で見かけたら買うのが吉。とくに不必要にかさばる函入りの通史本や文学全集は邪険にされて100均で出たりする。そこに尊敬する歴史家のものがあたったりして……嘆息するふりをして喜んでしまうあさましい根性がわれながら悲しい。でも誰にも買われないでたなざらしってのもなぁ。


:D

noiz

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


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