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Dovecot+ManageSieve と Roundcube+SieveRules

2010
03-30
前の記事のつづき。

SieveRules プラグイン、動かなくて当然だわ。だって imap サーバ動かしてる Dovecot のバージョンが古いままで、ManageSieve のサービスが稼働してねんだもん。デフォルトの設定でポート2000を使用するのはこのサービスで、Roundcube の SieveRules プラグインはただそれをリッスンしてただけというオチ。

というわけで Dovecot を新調して、Sieve まわりで必要最小限の設定。よっしゃ、起動を確認。ただしフィルタのルールを書いてないので実質的にはまだ動かせてない。つづきはまた明日以降。息切れしたりして。

ちなみに Debian の Dovecot はいつからか pop3d と imapd で分割されてんのね。設定ファイルが古いもののままでも動くけれど、やや修正をかけておいた。サンプル見るとえらく設定項目(機能)がふえたような気もするけど、これは気のせいか。
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Roundcube on Debian (Squeeze)

2010
03-27
とある機会で某メールサーバにウェブメール環境をいれた。サーバのOSは Debian GNU/Linux で、Postfix と Dovecot で pop/imap/smtp の環境を構築してある。メーリングリストには Mailman。そこにウェブメールシステムとして、imap のみ対応してる Roundcube を追加。Ajax 環境ながらシンプルな動作がウリらしい。

Roundcube が扱えるウェブサーバは Apache か lighthttpd。某メールサーバは Mailman 使ってる関係ですでに Apache が稼働しているので流用する。つまりウェブサーバとメールサーバたててる環境では、おぜんだてが大体すんでることになる。

例によって手抜きで apt 利用、

# apt-get install roundcube roundcube-mysql

実際ほとんどこれだけでことたりる。

インストール中にロケールやDBまわりの設定など、基本的なことをきかれるので答えるだけ。mysql-server をいれてなかった場合は RoundCube の自動設定を ignore しておき、MySQL をたちあげてから改めて dpkg-reconfigure roundcube-core をやっておけばよい。インストール時の自動設定の行程が繰り返される。Debian ばんざい。

あとは Apache 向けのエイリアス指定のみ。

# vi /etc/apache2/conf.d/roundcube
冒頭の以下の2行をコメントアウト
Alias /roundcube/program/js/tiny_mce/ /usr/share/tinymce2/www/
Alias /roundcube /var/lib/roundcube

# /etc/init.d/apache2 restart

これだけで http://hogehoge/roundcube/ にアクセスすれば使える。ディレクトリ名を変えたければエイリアスで指定すればいい。ちとラクチンすぎて勉強にはならないな。しかしHTMLメールの編集インタフェースに TinyMCE 使ってるのか……HTMLメール書かせる環境なんかなくていいのに。

で、シンプルすぎて Roundcube 単体ではメールの仕分けができないため(笑)プラグインで補おうとしたが、動かせていない。あとで検討する(といってたぶん放置)。

以下、動かない備忘。

目をつけたプラグインは SieveRules
http://www.tehinterweb.co.uk/roundcube/#pisieverules

# cd /var/lib/roundcube/plugins/
# wget http://www.tehinterweb.co.uk/roundcube/plugins/markasjunk2.tar.gz
# tar xvzf ./markasjunk2.tar.gz

# vi /etc/roundcube/main.inc.php
プラグインに SieveRules いれたよと記述する
$rcmail_config['plugins'] = array('sieverules');

/var/lib/roundcube/plugins/sieverules/ にある
config.inc.php.dist を
config.inc.php に mv ないし cp しとく

incファイルながめる。どうもこのプラグイン、ポート2000を使う? ちゃんと読んでないんで詳細わからんが。いちおうルータに穴あけて Apache を再起動して、動作していないのを確認。ログ詳細を見る気力なく放置して夜になった。

まあでもウェブメール自体はさくさく使えるので文句なし。メール暗号化の技術などもまだ実装されてないっぽいけど(プラグインコミュニティで議論されてるだけ?)これもまあいいや。多機能さを追及するなら Squirrel とか IMP Webmail を使うべきかなと。

家父長の逆をいく「おとこ」

2010
03-26
主夫シガちゃん、子どもができても迎え酒のままがんばれ! しかし面接でアジとはみあげたもんだ。で、肝心の囚人連帯シャツはIRAで見たが、今月・来月は金欠が確定しているので買えない。どうか売り切れませんように。あ、ほとんどカンパのために売ってるんだから売り切れたほうがいいんだった。これだから骨の髄までコンシューマーなアホは救いようがないよなぁ~。とほほ。

資本制の子

2010
03-25
朝っぱらからしつこいなわたしも。

自分がいま生きている社会体制の根幹をなす資本制についてはよく考えるのですが、はっきりいってよくできたシステムだと思います。わたしは進歩史観・発展史観・決定論的唯物史観はとらないのですが、資本制は「みんなをよりよくくわせようとする」という幻想をふりまくうえでどんな体制よりもヨリマシであると思っています。この幻想が一国主義的な「自由」の余地のうえに成立するものである以上、資本制に規定される社会と人々の意識は前体制におけるものよりもはるかに狡猾だともいえるでしょう。しかもその「自由」は当然のことながら他者をふんづけて成り立つものであったりする!
 資本制的な「自由」のもとにおいても、特定の人間の周縁化と排除・差別はなくならない。それにこれは内部の話にすぎず、外部ではてしのない収奪と殺戮がくりひろげられる。内部はその外部に依拠して成立する。しかもそうしたありようはソフィスティケートされつづけて、収奪と殺戮であることさえ認識されにくくなっているかのようです。かりに日本で「みながくえる」ようになったのだとしても、それは(従属的か自立的かのとらえかたの別はともかくとして)現代的な「帝国主義」としての恩恵によるものすぎず、そのことにのみタテコモッテ考えるのだとしても、それはインターナショナリズムの理想をなげすてた「一国主義の中の蛙」の思考にすぎません。日本資本主義の戦後における復活はどのようになしとげられたのか? 「天佑」などといわれた朝鮮戦争であしがかりをえたのではなかったのか? 人の屍のうえに築かれた経済的な復活ではなかったのか? その復活のなかでおんな・こどもはより従属的な位置におしやられて「囲われる」ことで「自由世界」の恩恵のかげにおしこめられたのではなかったか? そのほうが資本制のもとの利潤追求の自転運動にとって「コスト低減」になる、という開き直り。いったいなにが「自由と民主主義」であったのでしょう。
 利益は「グローバル」にもたらされ、その恩恵にあずかっているのにもかかわらず、人は自分の帰属する体制がそれのみで自足するものと勘違いしがちです。こうした内閉する自己意識を反映したかのような資本主義(資本制)認識はけっきょく、「てめえさえよければかまわない」という生存のためのアパシー(無関心)のなせるわざでしょう。かくいうわたし自身ももちろん生活のための労働にくたばって、資本制についてよく考えるといいながら、ほんとうはふだんはあまりものを考えられないようになっているわけなのであります。

かあちゃんのアンペイドワークから〈われわれ〉の底辺へ

2010
03-24
アンペイドワーク、シャドウワーク、無償労働。なぜ、とうちゃんじゃなくてかあちゃんが担わなきゃならんのか。答え:おんなにゃろくな仕事がないから、か?

さて、わたしなんか百戦錬磨でもなんでもありませんので(恥ずかしいからやめてください…)というのはさておき、前の記事はちょっとイケズすぎたかもしれません。ねごろさんの記事のタイトルに過敏に反応して、シャドウワークという重い課題についてほとんどスルーするという。反省。
 ねごろさんのばあさまの話をきくと、やっぱり未組織が圧倒的なんだよなあと思わされます。そして母上は専業主婦=シャドウワーカーとのこと、うちのかあちゃんと一緒です。ただうちの場合は家事と宗教活動というふたつの無償労働にいそしんでおり、前者としては同じく未組織なんですけど、後者としては同志とともに歩んでいるわけです。信者のコミュニティに属しているぶん、きっと精神的に救われているんだと思います(何様だよという口ぶりですが)。それでも「社会」からは「見えない人」という点では同様かと思います。しんどい労働に対して、まったく無償の奉仕として従事している。親父がリタイアしてからは無償労働はいくらか軽減されているようですが。
 「夫」(「父」)の賃労働/「妻」(「母」)の無償労働という労働の核家族的結合がなぜ成立するのかといえば、性別役割分業が是とされる風土もそうですが、戦後日本の平均的(支配的)な賃金体系に規定されている側面もあるかと思います。いわゆる電産型賃金というあれです。とおちゃんの賃金は家族を養う水準に(基本給はおさえて「手当」をそれなりに)、というあれ… この意味では戦後日本の労働運動はすべてではないにせよ、やはり圧倒的に「男≒夫≒父」のものとしてあったのだといわねばならないと思います。
 しかし家族を養えるだけの賃金なんて、ほんとに平均的なものとしてあったのか? 「妻」の家事労働は「夫」の労賃に抱き合わせにされるほど「安い」ものだったのか? いや逆にいえば、日本資本主義は女の労働を下位のものと力づくにでも位置づけて買いたたかなければ成立しなかったのでしょう。そう考えれば、資本主義って、歴史を終わらせるほどたいしたもんじゃないですよね? そもそも底辺を動員しながら、かつ周縁においやることなくして成立しないそんな社会‐経済体制のなにが「自由」なのか。資本主義は持てる者にとっての自由しか保障しない。資本主義、ぜんぜんダメじゃないかと思います。

話を戻します。ねごろさんのおばあさんにとって「組合は共産党の人がやっていることだった」というのは、ひとつのとても重い現実です。活動家と労働者のあいだに距離がある。なぜなんでしょう。しょせんその組合は代行主義だったから? 有給専従(オルグ)がすべてをまとめてしまっていたから? そうなのかもしれません。だとすれば、ねごろさんの怨念ともいうべき「全ての当事者が自分が主役でなければ運動は全部嘘だといいきかせながら──」の決意は、代行主義を突破する契機ではないかと思うのです。わたしには、もはやこれ以上いうべき言葉がありません。

日本の労働運動が組織できんかった対象?

2010
03-23
根来祐さんが「日本の労働運動がパート労働者を組織できんかったこと」と書いてるけど、ある意味では正しく、ある意味では間違ってると思う。組織率からいえば「組織できんかった」といえる。けど、女性パート労働者を組織してきた運動がぜんぜんなかったかといえば、そりゃ違う。運動の内実はともかくとして、(女性の)パート労働者を組織してきた組合はたしかにある。地域合同労組もそうだけど、あのゼンセンだって流通部門では合同労組なんか問題にならないくらい強力に組織してきてるじゃん。つまりもっというと、女性のパート労働者でも組織される人とされない人に分かれているということです。これはたしかに運動の力量の問題にかかわるのだけれども。
 組織率の観点からすれば、日本の労働運動はいまや男女問わず労働者を組織できなくなってきたというべきで、とりわけ官公労と大企業中心の労働運動を問題にするなら、それは単に「男」中心というだけでなく、下請け・孫請け・ひ孫請けの底辺の野郎どもを度外視する差別的な「男本工」の世界であったとより踏み込んで規定すべきでしょう。だからこそニコヨンの全日自労や寄せ場における各組合・争議団の運動が成立したのだし。中小企業における運動は事情がややことなっていて、総評における合同労組の先駆である全国一般は中小企業対策という性格があり、それは総評合流以前の「中立」的な労働運動の系譜に属していて、しかも群小の工場が林立する地域における一般労組の運動は戦前からあって零細企業も射程にいれていたわけです。こっちのほうは家族ぐるみの運動として成立せざるをえなかった特質があり、戦後総評のある時期に「家族ぐるみ運動」が成果として語られたわけだれども、意地悪いいいかたをすればそれは戦前の運動のやきなおしにすぎなかった。
 話が脱線するけれど、パートではないにせよ、のちにゼンセンの女性部門の根幹となった繊維産業に就労する女性労働者の運動を組織したのは野郎ばかりじゃない。むしろ女性の職場活動家がいなければあれだけの組織化と闘争はできなかったはず。だってかつての紡績女工の運動って寮ぐるみ・生活ぐるみの闘いだったんだから。そのゼンセンがこんにちにおいても、たとえ排他的なユニオンショップ(職場ぐるみ)であれ、女性の非典型雇用労働者をも組織していることは当然無視できるわけがないのです。てゆーか日本の労働運動のうち、パートの組織化でもっとも力があるのってゼンセンでしょ。
 自分の目の届く範囲・かかわった範囲でのみの話として「パートは──」というならそりゃ限定して語るべきで、個別具体的な話を一般化できるかどうかはまた別の問題になる。人はどうしても自分が知っていることを世界のすべてと思い込みがちなので、このあたりのことについては慎重に考えてしかるべきなわけです。

それでも根来さんの眼目である論及(労働運動は男が組織してきた──だよね?)は、大雑把にいえば、まあそうなのかなとも思う。それにそれは労働運動にかぎったことじゃないし、根来さんは社会運動一般にありがちなこととして念頭においてるんでしょう。自分も「男」であるのにこういうのはなんですが、なんにつけてもヘテロの男、男、男ばかりの運動というのはありふれた光景だからです。
 でもやっぱり男が場を規定・リード・支配しがちという話と、労働運動の組織化の射程についてはやはり単純化して考えない方がいいと思います。男ばっかりじゃない地域運動・住民運動もたくさんあるしね……それこそ「パートの主婦」のような存在が主軸をしめる運動だってあるわけですよ、人がそれを知るかどうかはともかく。だから個人がかかわってきた限りでの「運動」の特質を性急に一般化して語るときに付随する陥穽について、自覚的であるべきだと思います。
 おまけに根来さん的文脈からすると、「妻」も「彼女」もいない・いらない単身者の男性、つまり「シャドウワーク」ももちろん自分でやる「男」はいったいどこにいればいいのかと(笑)。とりわけ asexual 指向の「男」はまあ……「女」「男」の紋切り型の弁別の場からは退場するしかないのかもしれないけど。
 さらに脱線すると、わたしの場合、酒も飲めないんで、「飲みゅニケーション」をインフォーマルな意思決定の場にされるとけっこうツライもんがあるんだよなー。飲む人と場を共有することじたいはできるんだけど。全国の下戸よ! 団結せよ! 謀議はシラフでよろしく、なんつってな。

ふざけんなシブヤ区エビクション! Shibuya Eviction at Miyashita Park, Bullshit!

2010
03-16
排除都市東京、今日か明日には渋谷区・宮下公園ナイキ化のために封鎖工事が強行されるかもしれない状況あり。賃労働に身体拘束されてままならず、こうして記事を書くくらいが労働規律に対するせめてものサボというテイタラクですが、本日すでに数十人のなかまが集まっており(「アーティスト」が以前より公園にキャンプインして「レジデンス」としていました)、ついに開始された「工事」の阻止行動をおこなっているもよう。「宮下公園 アーティスト・イン・レジデンス」にタイムラインのページがつくられているので、流動的な状況についてはそちらでご確認を。

渋谷区は公園を私企業(ナイキ)にうりわたすのをやめろ! 野宿のなかまの排除をやめろ!

17日朝追記:朝っぱらから機動隊をのせたバス7台、ワゴン2台などがはりついてるようです。こりゃやる気か。しかしわたしは今日も明日も賃労働 orz

労働会議所

2010
03-14
マニア備忘メモ。フランスの労働取引所(bourse du travail)に対応する機関として、イタリアには労働会議所(camera del lavoro, CdL)がありました。労働組合(しばしば抵抗同盟ともいわれた)がこの公的機関である会議所の設立に力を発揮し、また会議所が労働組合/抵抗同盟の結成を促進したともいわれています。会議所の運動と労働組合運動は、まさに勃興期のイタリア労働者運動の両輪だったというわけです。

cf.
三浦精一訳『イタリア・アナルコサンジカリズムの歴史』(自由思想社、1986)
※たぶん一般に出まわってない(模索舎にはまだあったかも?)

検索したら…あるもんですね
横山隆作「19世紀末イタリアにおける労働会議所と労働組合の展開」

労働者運動に関心があっても、こんな昔話を知ったところでなんになるんだという向きは、こんにち的なCOBAS(Comitati di Base)の運動について調べてみたらいいと思います。イラク反戦ゼネストへといたる動向などのように、ときとして既成のナショナルセンターを凌駕するほどの政治的影響力を発揮する「下部」もしくは「基礎」を自称する組合運動であることが理解できるはず。ベタないいかたをすれば独立労組、あるいは職場委員会的な運動といってもいいかもしれません。

(しかしCOBASについては、検索してもまともな日本語のリソースはひっかかってきませんな。おフランス大好きな日本人は SUD などについてはよく言及しますが…なんで? そもそもサンディカリスムについて考えるなら、スペイン、ポルトガル、ラテンアメリカ、(戦前の)日本、五四運動などひことろの中国なども外せないはずで、「西ヨーロッパ」にばかり目が向くのもおかしな話なんですけどね。おまけにイタリアもので輸入されるのは(現場から遊離した)「現代思想」ばかり…というのは、知的権威主義がのさばるウンコな状況を反映してるんでしょうかね。ネグリやらヴィルノやらアガンベンやらがどうしたとかいってる場合じゃないんですぜ、活動家の顔をしたい思想屋のみなさん!)

ジラール/ペルーティエ『ゼネストとは何か?』(1895年)がきた!

2010
03-13
フランスにおける革命的サンディカリスムについての分かりやすい解説をsarutoraさんが書かれています。いや、解説だけじゃなくてジラール/ペルーティエのあのゼネスト論も訳出されています。すばらしい。

このゼネスト論、CGT(労働総同盟)が改良主義へと変遷していく以前の、部分ストさえ否定的にとらえる(理念上の)戦闘団的な組合運動とでもよぶべきエッセンスがよくでていると思います(日常闘争の軽視という点ではこんにちにおける争議団的な運動ともことなっていますね)。労働者どうしの議論という形式をとっているところに「知識人」としてのペルーティエの苦心のあとがうかがわれるようです。当時のペルーティエがアナルシストを自称していなかったとしても(アナルシストとの交流はしているわけですが)、その根幹には「独裁」を否定する「自由連合」があるのだということがはっきりしています。しかも歴史的な状況に規定されたのであろう、武装蜂起からゼネストへの転換という「新しい闘い」についての苦悩がよくでており、かなり面白いです。

しかしいったい誰が興味もつんだろうということはさておき(笑)、sarutoraさんがあげられている参考文献について蛇足をつけくわえておくと、喜安さんや谷川さんの労作のほかにも、いまや名うての学生弾圧大学こと法政大学に所属する相良匡俊氏のアルマーヌ派についての研究があります(まとまった単著にはなっていないようですが)。かつては田中正人氏もサンディカリスムの研究をしていたような。このあたりになると過去の研究紀要だののいっぱんにはあまり流通しないものをあさるしかないわけですが、そういう行為じたいがもはや特権的であるのかもしれません。賃労働に生活のすべてを規定されるプロレタリアは、ともすると専門図書館にいく余裕さえもてなかったりするのですから。だからこれは蛇足なのです。

Severe Massive Damage vol.3

2010
03-10
ギグのお知らせです。
Aくんよろしくね!

Severe Massive Damage vol.3

Chaosmongers 1st CD release live
2010/3/28(日) 18:30/19:00~
Nisiogikubo UEN
¥1000

ZENOCIDE
BROB
VOĈO PROTESTA
CHAOSMONGERS

やっぱり基本は黙秘

2010
03-10
賃労働者という意味ではわたしにとっても同族であるはずの教育労働者への弾圧の件。
  • マスメディアの報道にかぎってみると、自治労のひとりはかなり「うたっている」ようだ
  • しかし北教組の被弾圧者は依然として黙秘をつらぬいている(報道で言及がないのはそういうことだ)
  • 他方、小林議員は地検から要請があれば任意聴取に応じるとマスメディアに対して発言
なんだよ議員ビビってんのかよ。やりあうなら起訴後の公判という状況になってからで十分だろ。これだから議員センセイってやつぁ信用ならねんだよなー。そんなにテメーのステータスが大事か。黙秘でがんばってる「仲間」のことをどう考えてんだよおい! こりゃ北教組の人らが結果的に貧乏くじひかされてるようなもんじゃねぇか。こんなこというとお前は分断に手をかすのかと怒られそうだけど、ちょっとあまりにも……反弾圧という意味では攻撃にあっている人らすべてに「頑張れ」というしかないんだけど、ここまでくるともう悲惨(黙秘組が)としかいいようがない。

労働組合運動とはぜんぜん違う局面でのことですが、「中」で対応が割れて救援が困難になるという煮え湯をのんできた経験があるので、とりわけ黙秘組の境遇をおもうと暗い気持ちになります。いっていの規模をもつ組合運動にとって被逮捕者がでるような「闘争の季節」はとうの昔におわったことなのかもしれませんけど、現在の事態は「かまえ」はいつの時代も必要だということを物語ってるんじゃないでしょうか。

ともあれ、労働者の皆さん! 獄入り意味多いの精神でひきつづき黙秘で頑張れ! ってここでいってもしょうがないけど書いておきます。

「北教組に勝手に連帯する会」の提起を読もう

2010
03-02
続きはブロマガを購入して楽しもう!
このコンテンツはブロマガ(有料)です。
購入すると続きをお楽しみいただけます。
ブロマガって何?

レゾンナント・アジテイト!

2010
03-01
ギグおわり。直後に酸欠?を感じるくらい体力が減退しているのがよく分かりました。根本的にトレーニングしないといけないかも。なにももってない自分ができることったって、走るとか腕立てとかストレッチくらいか。

でもおもわぬ再会があったりして、そして久々にあった人たちとそれぞれ話ができてよかったです。ふだんそんなにしないような話ができるのはじつにありがたいことです。いやーしかしみんな色々あるんだなぁ。あまりくりかえすと安っぽくなるかもだけど、みなさま、ありがとうございました。来月末もよろしくって宣伝かよオイ。

さて、いま〆切を余裕でぶっちぎった原稿の追い込みです……いつものことじゃないかと見捨てられているような。


:D

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


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