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イスラームのフェミニズム

2008
09-30
調べもののついでの備忘録。増量中。内容保証不可。




ミスル(エジプト)で結成されたムスリム同胞団(Al-Ikhwān al-Muslimūn)は、イスラーム復興主義の運動体のなかでは「穏健派」とされる。同胞団の歴史にはそのはじめから、イスラーム主義の枠内であれ女性運動との連携があった。ただし同胞団とこの女性運動はともに時の政権から弾圧される立場にあったため、提携は自然な流れにあったかもしれない。あるいは、現在のヨルダンにおける同胞団の政治部門であるイスラーム行動戦線(Hizb Jabhah al-‘Amal al-Islami)は、民主主義とシューラー(衆議)に基づく政治、女性・青年の権利擁護を唱えている。党内人事はシューラーによっているという。

イスラーム主義といえばすぐに「原理主義者」「過激派」ということが連想されるが、当然のことながらイスラーム主義者の運動には幾つもの潮流がある。「原理主義者」や「過激派」が西欧的な価値観からもっとも激しく非難されるのは「家父長制」「性差別」「普遍的人権の欠如」などについて。女性だけでなくセクシャル・マイノリティへの暴力と抑圧も夙(つと)に指摘されるところだ。「改革派」に対する「原理主義者」からの暗殺恫喝があるのも事実。しかし、イスラーム主義の外部だけでなく内部に改革派的な女性の動きが存在していることもまた事実である。

アラブ世界にあって早期に女性解放論が登場したのはミスル(エジプト)であろう。そのうち女性の権利擁護を最も早く唱えたのは、非イスラーム・近代主義の立場から『女性解放』(1899)を著したカースィム・アミーン(Qasim Amin)である。アミーンの非ムスリムという立場性を批判して登場したのがマラーク・ヒフニ・ナシーフ(Malak Hifni Nasif, 1886-1918)で、女性の権利擁護をイスラームの枠内で位置づけようと試みた。フーダ・アル‐シャーラウィ(Huda al-Sha’rawi, 1882-1947)は短命であったナシーフの試みを再評価し、ミスル人女性同盟(Al-Ittihad al-Nisa’i al-Misri)を結成し、ワフド党(Hizb al-Wafd)女性部の指導者となった。

ザイナブ・アル‐ガザーリ(Zainab al-Ghazali, 1917-2005)は、ワフド党の英帝国主義との妥協に同調できず在野のまま活動した。早くから女性運動に入ったガザーリは17歳でシャーラウィ率いる女性同盟を脱退し、18歳でムスリマ女性協会(Jamaa’at al-Sayyidaat al-Muslimaat, 1936-64)を組織。イスラム復興主義運動体の先駆であるムスリム同胞団を創設したハッサン・アル‐バンナ(Hasan al-Banna)から合流要請を受けるも、同協会の自立性を確保するために拒否。しかし協力して運動を進め、バンナ暗殺(1948)の前年に同胞団に加入し、エジプト政府の弾圧で壊滅的状況にあった同胞団の再建に努めた。女性協会もまた政府によって何度も強制解散させられ、ガザーリ自身もたびたび投獄され、そして拷問を経験している。

cf.
Jordan Today~今日のヨルダン:ヨルダンの政党イスラム行動戦線、幹事長と執行部を選出
Egyptian Feminism in a nationalist century By Margot Badran
Zaynab Al-Ghazali - Islamic Thinkers Society
福田志津枝「現代エジプトの福祉と女性運動 ─エジプト調査研究の報告─」 PDF


現在、イスラーム主義の著名な在野活動者といえば、マグリブ(モロッコ)の「公正と善行」(Al-Adl wa al-Ihsan)に女性部門をつくり、同グループのスポークスパーソンになっているナーディア・ヤスィーン(Nadia Yassine, 1958-)といったころか(彼女自身はフェミニストとは自称しない)。ヤスィーンは大衆的支持で知られ、立憲君主制のもと「民主化」を勧めるというマグリブの体制に対抗する行動には多くの(下層の)ムスリマが結集する。「公正と善行」は非暴力主義を掲げる穏健派のイスラーム主義運動体で、独自の教育・福祉運動を展開しているが、ヤスィーンは王制を批判して共和制について言及したため、それだけで起訴された(2005年6月)。彼女の父、シェイク・アブデッサラーム・ヤスィーン(Cheikh Abdesslam Yassine)は「公正と善行」の創設者であり、モロッコにおけるスーフィの権威である。そうした家に生まれたことが関係しているのか、娘ナーディアのイスラームへの忠誠は、世俗主義的な男女同権を盛り込んだ家族法(Mudawwana)改定への強硬な反対に表れている(改定は2003年)。なお、女性人権民主同盟(LDDF)モロッコ女性民主協会(ADFM)などの女性団体は新家族法を支持した。

イスラミック・フェミニズムの流れを神学的に発展させたのが、アフリカン・アメリカン(母方がベルベル人系)のアミナ・ワドゥード(Amina Wadud, 1952-)である。北米の大学で学位を修めたのち、カイロ大学でクルアーンを、アズハル大学でイスラーム哲学を研究し、マレーシア国際イスラーム大学に勤めていた折にイスラームに男女平等の改革を求める「イスラームの姉妹たち」(Sisters in Islam)の創設に加わる。ワドゥードの著作『クルアーンと女性』(Qur’an and Woman, Fajar Bakti, 1992 初版マレーシア)はイスラーム世界に少なからぬ衝撃を与え、欧米諸国だけでなくヨルダン、南ア、ナイジェリア、ケニア、ネパール、パキスタン、インドネシア、マレーシアなどで草の根の講演会が行われた。ワドゥードの活動は神学・理論的な領域に留まらず、2005年3月18日、ニューヨーク市で自らイマーム(導師)を務めた女男同席の金曜礼拝を組織し、男性だけがイマームを独占してきた伝統を破って波紋を呼んだ。女性イマームも認められるとするワドゥードのクルアーン解釈には、少数ながらイランのムフスィン・キャディーヴァル(Mohsen Kadivar)のようなイスラーム法学者(シーア派・十二イマーム派)からの擁護者も現れている。

cf.
非公認の宗教団体 指導者の娘が抗議デモ - モロッコ
A’ishah’s legacy: Amina Wadud looks at the struggle for women’s rights within Islam
Interview Amina Wadud
Interview with the Muslim Reform Thinker Amina Wadud "The Koran Cannot Be Usurped"
イスラムと女性【ミリエト紙】
女性の導師はトルコでスカーフを外した【ラディカル紙】




その他・人物略伝

ナワール・エル・サーダウィ(Nawal El Saadawi, 1931-)  アラブ・イスラーム世界のみならず非イスラーム世界でも著名なフェミニスト作家、心理学者。ミスル・カイロ北部の Kafr Tahla 村に生まれる。55年カイロ大卒。保健省に勤務しているときに三人目の夫となるシェリーフ・ヘタタ(Sherif Hetata)と出会う。政治活動を理由に保健省大臣の職を解任されたのち、73~76年に国立アインシャムス大学で働き、79~80年に国連のアフリカ・中東女性プログラムのアドバイザーを務める。81年1月よりサダト政権の反政府派弾圧が始まり、9月投獄。サダト暗殺後の同年中に釈放。91年イスラーム主義者の脅迫のため、カイロから米ノース・カロライナに移住。96年エジプトに戻る。2001年、女性のベール着用・一夫多妻制・相続法などのイスラームの慣習法にふれる発言で告訴される。04年、欧州議会の南北賞を受賞。

○『あるフェミニストの告白』(未來社, 1989, Memoirs of a Woman Doctor, 1986)
○『イヴの隠れた顔──アラブ世界の女たち 』(未來社, 1994, The Hidden Face of Eve: Women in the Arab World, 1977)
○『0度の女──死刑囚フィルダス』(三一書房, 1987, Woman at Point Zero, 1979)
○『女性に天国はあるのか』(未來社, 1996, She Has No Place in Paradise, 1979)
○『女子刑務所──エジプト政治犯の獄中記』(三一書房, 1990, Memoirs from the Women's Prison, 1984)
○『もうひとりの私』(學藝書林, 1990, Two Women in One, 1983)
○『カナーティルの12人の女囚たち』(未來社, 1992)
○『女ひとり世界を往く』(図書出版社, 1992)
○『イマームの転落』(草思社, 1993, The Fall of the Imam, 1987)


ファーティマ・メルニーシー(Fatima Mernissi, 1940-) マグリブの社会学者。古都フェス生まれ。民族主義運動のなかで設立された学校で初等教育を受ける。仏ソルポンヌ大、米ブランダイス大などで学位を修めたのちマグリブに戻り、ムハンマド5世大に勤務。イスラームのフェミニズムに果たした功績で知られるが、社会学者としてもマグリブの女性の置かれる状況を調査し(ユネスコやILOなどとも協力)、その改善に理論的支援を行っている。2003年、スーザン・ソンタグとともにアストゥリアス皇太子賞(スペイン皇太子賞)受賞。 著書も多く、日本では三作が翻訳されている。

○『ヴェールよさらば──イスラム女性の反逆』(アストラル, 2003, Beyond the Veil, 1975)
○『イスラームと民主主義──近代性への怖れ』(平凡社選書, 2000, Islam and Democracy: Fear of the Modern World, 1992) 書評
○『ハーレムの少女ファティマ』(未來社, 1998, Dreams of Trespass: Tales of a Harem Girlhood, 1995)

cf.
The Veil and the Male Elite: A Feminist Interpretation of Women's Rights in Islam


リファット・ハッサン(Riffat Hassan, 1943-) イスラムのフェミニズムの理論的パイオニアの一人。パキスタン出身、72年娘とともにアメリカに移住。ルイズヴィル大・宗教学教授。「クルアーンは人権のマグナ・カルタ」として男女平等を主張。婚姻慣習にまつわる「名誉殺人」の反対派として「パキスタンにおける暴力の女性犠牲者の権利のための国際ネットワーク」(The International Network for the Rights of Female Victims of Violence in Pakistan)を99年に設立。

cf.
Members, One of Another: Gender Equality and Justice in Islam
Are Human Rights Compatible with Islam?


ファトゥ・ソウ(Fatou Sow) セネガル出身。著名なアフリカン・フェミニスト。ソルボンヌ大で学位を修める。ユネスコや大学教員で働く一方、DAWN(Development Alternatives with Women for a New era)などの女性団体に所属して活動。自己規定は「ムスリム・フェミニスト」だが、新自由主義を厳しく批判するとともに文化相対主義にも反対する。政治的にはセキュラリズム(政教分離)の戦略を採ることで男性のイスラーム支配に対抗し、同時に西欧フェミニズムの「普遍主義」を拒否する立場にあるという。

cf.

西アフリカにおいて女性が果たしてきた政治的役割 05年3月
日本アフリカ学会第 43 回大会 海外からの招聘者による記念講演 PDF




その他・リソース

International Congress on Islamic Feminism 2006年よりバルセローナで開催。イスラーム内部のフェミニストが一同に会する国際会議。
岩本珠実「イスラムと女性の人権 ─国連での討議をとおして─」 PDF
ズィーバー・ミール=ホセイニー『イスラームとジェンダー ──現代イランの宗教論争』(明石書店, 2004)




-> イラン関係のメモ

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