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たのむからメシはだまってくってくれ

2009
03-30
安いメシをくわせる食堂で、写真を撮っている奴を見かけるようになったのはいつごろからだろうか。携帯電話の端末どころかわざわざデジカメを使う奴さえいる。はじめみたときは何をやっているのか理解できなかったが、いまはだいたい察しがつく。ブログネタの記録なのだろう。こんにゃろう、メシはだまって早くくえ!

安いメシに気取ってみせるほどバカなことはない。粋は通用しない世界だけが大衆食堂にはある。ただひたすら腹をふくらませろ。それがメシをくうことの意味だ。味わう? 味なんかしるか。素材? 貧乏人にははじめから選択肢はない。文句があるなら自炊しろって? 低賃金労働者にはそんな気力もなく、労力かけずにメシをくったら後はただじっとして労働力の再生産を待つばかり。ようするにメシとはエサのことである。くうことが道楽になるという話は、別の世界のできごとなのだ。わが買い食いの先人たちは、まずメシをつくるひまもない銭稼ぎのために買い食いをしていた。そしてその買い食い階級こそが、幕末の世を震撼させた世直しの主体だった。

それはともかく、料簡のせまい俺は、せまくてきたないメシ屋でシャッター音をきくとにわかにイラついてくる。きっとネタの仕込みなんだろうと思うとさらにイライラしてしまう。はらがへって気が立っているということもあるのだろうが、しかしそれにしてもなぜ、安いだけでたいしてうまくもないメシにまで「B級グルメ」気分を見つけだそうとするのか、その気持ちがサッパリわからないのである。記事をかくなら文章だけでいいはずだが、とにかくカシャカシャやっている。無粋だ。早飯早糞芸のうちとはいうが(というより早飯早糞は賃労働者の習い性的な規範だ)、メシをかきこむことしかしらない無芸の労働者としては、とにかくてめえは早くくって待ち客に席をあけてやれといってやりたくなる。無芸が無粋に腹を立てるという底辺の争いだ。しかし実際くちにだしてしまえば店内の雰囲気をわるくしてしまうわけで、根性なしの俺はいつもだまって店をでる。

東京・新宿駅の西口のガード近くに、しょんべん横丁と呼ばれる飲食街がある。ほんとうは思い出横丁と焼き鳥横丁といってゲートにもそうでているのだが、失敬なことにみんなしょんべん横丁という。由来はしらない。バイト先の先輩がそういっていたから、俺もそういうことにしていた。焼け跡の闇市がどうたらとか、とわずがたりのマーケ屋の売り文句になりさがった知ったふうなお喋りはいまはどーでもいい。そんなことより、ここは焼き鳥屋や飲み屋が多いところではあるが、じつは昼間にやってるメシ屋もけっこうあるということが腹をすかせた貧乏人にとって重要なのだ。もうだいぶ記憶がくたびれているが、いわゆる一膳メシ屋が多かったはずだ。いや、膳なんて高級なものはない。トレーすらない。とにかく安く早くメシをくうのに一番合理的なつくり置きシステムの店がけっこうあったのだ。感動するほど安いわけでもないが、昼間にはそれなりの値段でそううまくもないメシをくわせる店の存在は、昼メシ戦争をたたかう賃金労働者にとってはなによりもありがたいことだった。いつだったか横丁から火事がでたというが、戦後ノスタルジー的ちんけな観光地化にも負けず、たぶんメシ屋はいまもあるだろう。いうまでもなく、新宿は労働者の街でもあるからだ。

どうも話が脱線していけない。思えば貧乏な勤労学生だったころ(いまも貧乏だが)、しょんべん横丁の近くで長らくアルバイトをしていて、ここらのメシ屋で昼メシをくうのが日課のようになっていた。貧乏人には安い早いで十分、それ以上のぞむことはなにもない。横丁主流のL字型カウンター席を踏襲するメシ屋はとうぜんせまいところがおおく、そういうところでは奥の席へととおれるように、みな気をつかって背もたれなしの丸いパイプ椅子があまり後ろにつきでないようにしながらだまってメシをくっていた。ここらじゃコの字型カウンターをもつ食堂は少数派だった。そしてとくに安い定食とかどんぶりメシとか一膳メシをだしている店じゃ長居は禁物、モシャモシャとかきこんでお茶をすすって早々に席をたつ。発することばは「ごっそさん」、または「おあいそ」の一言だけ。なじみの放言ならともかく、「うまかった」なんてご機嫌取りはしない。酔っぱらいや健啖家気取り相手のボッタクリ屋への対応ならいざしらず、注文と勘定のときだけ意思表示をするのがメシ屋をなりたたせるための客の仁義の切り方で、それ以上の口上はいらない。ワンコイン(500円)でメシをくわせるような食堂は、とにかく客が回転しなきゃやってらんねえのだ。そんなところで間抜け面さげてシャッター切ってりゃ、てめえはだまってメシをくえという無言の敵意にとりまかれることになる。

メシ屋には、焼き置きの魚(というものがある)をあぶりなおしている音だとか、みそ汁をすする音だとか、メシをかみしめる音だとか、椅子をひく音だとか、おつりの小銭をならす音だとか、そういう音だけがあればいい。無駄口もいらない。グルメライター気取りの侵略者はとっととメシくって店をでろ。メシをくうなとはいわない。くえ。ただ、くえ。そしてくったものをいちいち反芻するな。講釈たれるな。うまかったらうまかったという記憶だけ残して、またくいに行くだけで十分なのだ。

なんだかんだいって俺が理屈おおいんだよな。いかん。はやくメシくいにいこ。

追記:そういえば友だち・なかま・知り合いというべきひとのなかにも、媒体とわずメシの話を書いてるひとが何人かいるなぁ……いま思い出した。批判あれば議論すんべ。

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