ノー・パサラン!
カスティーリャ語 に ¡No Pasaran! ということばがある。「(やつらを)とおすな!」という意味 だ。1930年代 、対 ファシスト戦 のさなかに人民 戦線 のがわでさけばれたスローガンである。その後 、反 ネオナチや反ファシズム(アンティファ)の運動 であいことばのようにしてつかわれてきた。
きのう、埼玉県 蕨市 で「保守 」を自称 する民間 ファッショのデモがあった。主催 関係者 のひとりはヒトラーの擁護者 で、人類 にたいする罪人 である。デモで掲 げられた主張 は「不法 外国人 はでていけ」というものだった。これにたいして「生 きることは犯罪 じゃない」とのスローガンをかかげた抗議 行動 がよびかけられ、結果 として抗議行動がわに二人 の逮捕者 がでたという。
わたしは現場 にいなかったので、その抗議行動についてはなにもいえない。いうつもりもないし、その資格 もない。しかし「生きることは犯罪じゃない」のスローガンを支持 する。日帝 のこれまでの「経済 侵略 」をかんがえれば、あるいは現状 における内外 の支配的 資本 の結託 をみれば、「不法滞在 」などということがいかに盗人 猛々 しいものであるかがハッキリしている。
資本 の超国籍的 な活動 の自由 はあるのに、ひとの移動 の自由がない。しかし人間 はもとより生きるために移動するものである。いうまでもなく、この列島 のマジョリティとされる「日本人 」も、おおくのひとびとがまじりあってかたちづくられている。
よりよく生きようとするひとびとの奔流 はだれにもとめられない。だからこそ〈わたし〉/〈わたしたち〉「日本人」には、みずからが歴史的 にどのような存在 であるかを自省 しながら、マレビト(客人・稀人)と交流 していくことがまず必要 なのだとおもう。定着 をのぞむマレビトは〈わたし〉/〈わたしたち〉「日本人」の隣人 であり、またホマラニスモ(人類人 主義 )の立場 にたてば、マジョリティとしてどうふるまってきたのかというみずからの歴史的性格 をなげすてるわけにはいかないが、〈わたし〉/〈わたしたち〉「日本人」もまたマレビトにすぎない。
ファシストをとおすな! レイシストをゆるすな! だれも犯罪者なんかじゃない! ¡Alerta, alerta antifascista!
きのう、
わたしは
よりよく生きようとするひとびとの
ファシストをとおすな! レイシストをゆるすな! だれも犯罪者なんかじゃない! ¡Alerta, alerta antifascista!



