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見栄の組織化は崩壊の組織化、つまりただのゴマカシである

2009
07-21
conflictive.infoが転載・公開してくれたので、だれもが全文参照できる。だからこちらも気安く言及できる。でも転載に気づくのにだいぶかかっちまった。モノはあれだ。矢部史郎の〇八年洞爺湖サミットをめぐる運動(現地キャンプの運動)についての報告。もともとは雑誌『リプレーザ』に掲載されたもの。あらためて読むと、ダメさ加減をまるごと捨象する矢部のこの前向きさはある意味貴重だと感心する。ゴマカシさえばれなきゃ、アジテーターとしてはまあアリなのかも。だけどそれじゃひとりでするものではない「運動」はやがて崩壊するしかないんじゃないのか。

肝心なことだけど、「現地キャンプ」関係者・参加者でこのプロトコルめいた文書をどれだけの人間が承認するんだろうかとハゲシク疑問だ。豊浦だけじゃねえな。分裂騒動のためにキャンプワーキンググループ事務局(ワーキンググループは以下WG)からなかば放棄された壮瞥キャンプに参加した人たちにとっちゃ、こういう大風呂敷をひろげることによる意味の表象と収奪ってどうなのか。いや、こういうからといって対立をあおるつもりはない。だってもうだいぶまえに終わってしまったことだしね。内容はどうあれ総括くらいしろよというだけ。外からみたら、豊浦も壮瞥も組織者も参加者も、みんな「現地行動」を構成したという意味でおんなじなんだからさ!

ほんとは人の目にふれるのがかぎられる極小紙媒体での原稿だし、この矢部のいいつくろいもまあいいかと思ってたんだけど、ウェブに転載された以上は解釈が必要だと判断して、こうして愚にもつかぬことを書くことにした。人(特に学者(ここは笑うところ))はアジテーターやら思想家やらのいうことをすぐうのみにする権威主義の動物だから、運動史料には当然ながら註が必要だ。註というかオーラルな訂正かもしらんが、人の目にふれるようにするにはやはり対立資料の文章化の作業が最後に必要になる。だからみんなもっと出てきて喋るなり喚くなりして、そして書くべきだと思っている(野次馬ではない同志的な記録者がいるなら自分で書かなくてもいい)。自分自身が民衆史の資料となりうるということを自覚する必要があるんじゃないかというこった。

しかしそもそも、おれは豊浦・壮瞥の「アクティヴィスト・キャンプ」には事前にかかわりをもつ余裕もなかったし、大風呂敷をひろげたキャンプのための無茶な請負のようすを横目で見ててちょっとウンザリしてたし、そして実際になんの貢献もしなかったので、いうだけ外在的な批評にしかならん。ならんのだが、矢部が列挙して称揚する NO! G8 Action がおこなったという準備作業のうち、「1、国内の運動団体・活動家との連絡調整」「10、通信システムの構築・防衛」についてはめぐりめぐって「協力」したはずなので、そのぶんだけ話をしてもバチはあたんねーと思ってる。

ちなみに「10、通信システムの構築・防衛」についていっておくと、それが広い「連合」の運動のためのものとしていっているなら、当然ながら現地キャンプのためだけにあったのではなく、また準備作業・運営・防衛を担ったのは NO! G8 Action ではなく独立メディア関連の運動体・個人だった。NO! G8 Action の自前のウェブサイトという意味での通信手段については、たしかに身内がつくったようなもんだ。だがキャンプWGの通信手段のうち電子メールベースのものは数年前からあった環境を利用しただけのこと。キャンプ地で電話とネットの回線を設営したのもキャンプの人間じゃねえじゃん。これもいつのまにか「できそうなとこにやってもらっちゃう」式のなし崩し請負になってただろ。海外への招聘ツアーふくめ、大変なことを色々とになったのは事実だろう。でも、なんでもかんでも NO! G8 Action がやったかのようにいうのは、ウソだ。それにしても「通信の兵站」も自力で組織できない行動ベースっていったいなんなの。自前の「工兵」獲得もまた「軍事」の基本。キャンプは「軍事」じゃない? それじゃ、兵法家をもちだしてきたり、その行動主体について「国際旅団」といいはるような行動報告をながらくそのまま放置してきた参加者の皆さんはいったいなんなんですか。消費になれきったただのお客さんですか。だれかの公的報告にそのつど気がついて直交しなゃきだめだというんじゃない。なんで自ら総括したことを仲間や社会に問わないのか、ということだ。だって社会に呼びかける運動に参加したんでしょ。参加して楽しかったって個人的な思い出としてしまいこんでるだけじゃ、アクティヴィストじゃなくて主体のないコンシューマー。議論喚起の功績はあるが、無註の転載という点ではconflictive.infoもどうなのか。それにしても、なんでこんな見えすいたホラやミエがそのままにされるのか、まったく理解できん。

テクストへの註ということのついででいっておく。PP研の山口響の報告(「反G8行動の中で考えたこと」『季刊ピーブルズ・プラン』44号所収)のような「ぼくはいうことをきかない悪い人たちの仲間じゃありません」といわんばかりの立場宣言はほっときゃいいとあのときはいったが、Kくん、でもやっぱり現場にいない権威主義の研究者たちがこういうテクストをありがたがって資料にしても悲惨なので、ここで註しておくことにした。英語ができるばっかりにまきこまれたあの兄ちゃんのテクストで展開された恨み節については、7・5の札幌のデモで幸か不幸かゼッケン組となってサウンドデモの混乱に立ち往生して大変だったんだろうなと同情もするが、それでウップンばらしのために本来的な仲間をこきおろすだけというのはまるでダメだといっておく。ダメなことはなにがどうダメだったのかを、運動の主体としてとらえるもんでなくてはならない。しかもはねあがりを批判するのに日本─東京での地道なデモの努力について兄ちゃんはひっぱってくるんだが、その現場にゃいねえときてやがる。なんてこった。自分がかかわってるもんをひっぱってこい。〇八年の自由と生存のメーデーで新宿駅前解散かちとったとか、やろうが敵視する立場に雷同するようなおれみたいなアホ一匹さえもがそのために現状にあしをとられながら警視庁とのチマチマとした事前のやりあいに涙ぐましくもコミットしてきたってことを知ってか知らずか、そういう裏方の努力については眼中にないかのようにして行動の結果だけをわがことのようにして語り、いうこときかないやつらをこきおろうそうなんざ残念ながらお笑いもいいとこだ。おれ自身はヘタレで届け出の行動ごときでそうそうはねあがる気はあんまねえんだが、気のいい連中がはねあがるのは心情的に支持してる。たかがデモのひとつやふたつを一車線におしこめて警察が仕事したつもりになってる了見のせまい公安警察国家体制が糞だと思ってるからな。メーデーのデモでだってコース説明の時間などを利用してはねたらパクられるかもしれないから自分で判断してくださいと現場責任者としていったことはあるが、はねるななんていったこたぁねえ。はねるならパックアップはするにしてもテメエらでカタつけろよとは思うけどな。それにしても札幌でいうこときかないやつらが片側全車線うめちゃったっていいじゃねえか。防衛きどりはあんとき瞬間的にせよのりこえられた。バスとおさないで滞留させて隊列防衛のこっちが野蛮な警察にギリギリしぼりあげられたって、まあそれもいい経験だ。バスの時間がちょっとくらいおくれたって、集団示威はそのための軋轢をひきうけながらも練り歩きゃいいんだ。別に相殺しろというつもりはないが、祭りやマラソンで任意団体や「地域社会」なるものがシャアシャアと全車線とめたりすんだから、「迷惑」を「迷惑」と自覚しながらおれらだってどうどうと「迷惑」をかけりゃいいんだ。挑発なくして示威の意味なし。脅威でない示威に意味なし。主催者の一員としてえらいめ見たはずの現地のピースネットの仲間は「フランスデモになってよかった」と救対の記者会見でキッパリいいはなった。びっくりしておれあんときちょっとグッときちゃったんだが(笑)、でも仲間とはそういうもんだ。いざとなったら理屈じゃねえ。仲間を見捨てるために理屈をこねるようなやつはおれの敵。それとは逆に、おれはピースは嫌いなんだが、ピースといって街頭にたつ勇気だってたいしたもんだと評価する。おいアナきどりボルきどりハネアガリ知識人きどり、ピースなめんなよ。これで日本帝国主義が近隣で糞な戦争おっぱじめてみやがれ、ピースをいうものがもっとも厳しいたたかいをしいられることになる。そのときおれらは灯台社みたいになれるかってことが問題になる。あるいはたとえば8月15日に靖国神社近くにいって(こわいから群れて)右翼に殴られ機動隊にボコられ公安に非国民と毒づかれながら排除されて、それでああおれは日帝本国人なんだと自覚する、そういう痛々しい求道が続けられるのか(正直やだな)ってことが問題となる。おれはこの取り組みを殴られても殴られても反撃せずに登場するトルストイアン的な行動だと規定しているのだが、仲間は「靖国解体」だという。解体するまで殴られるのかよ! 去年は札幌の一件でウンザリしていたのでサボって寝ていた。そうしたら疼くのです。たぶん今年も仲間が殴られてんだろなと。おれもトルストイアンになってしまったのか、平和主義が嫌いだったはずなのに。でもおれは中国や朝鮮やロシアやそのほかすべての近隣諸国家のもとで、そしてこの日本帝国主義のあしもとで窒息している仲間のはずの人間と戦争したくない。どんな国家のあしもとにいる人間とも殺し合いはしたくない。やるんだったら階級支配と差別の構造そのものをぶち壊したい。だけどそれで即座に監獄行きになるかぶち殺されるようになるかもしれないって状況がゆっくりとつくられつつある。だからピースウォークにも色々あって、その色々あるなかで全部が全部「おまわりさんありがとう」じゃなかったってことは、おれにとってとても重要なんです。いうこときかない自律者たちにぶち切れちゃったあの兄ちゃんとも、お互いにチクチクいいながらでだって仲間としてまた街頭で見かけることがあったらいいなとおれは思ってる。Kくんそういうことです。腹がたっても他者を全否定したらだめだ。それは完全ではないダメな自分をも否定するということだ。もちろん不完全な自分を叱咤激励するのに自己否定の精神は必要だ。だが死にいたる病としての自己否定は、やはりときには脇においておいたほうがいい。そうでなきゃ、矛盾をかかえながらも考えていくことができなくなるだろ?

さて、あたりまえすぎのつまらない話はもういいとして、現地キャンプについては問題としてこれくらいはおさえとかないとまずいだろと思うものをあげておく。残念ながら有志総括も公表できるほどにはまとめられないまま足踏みしているようなので、こんなんじゃ全然たりないくらいである。キャンプに関しては有志総括に期待するしかないんだけどな…

一、豊浦・壮瞥の二つのキャンプが分裂含みであったこと。このことについては、はやくも「G8を問う連絡会」の報告会において会場発言というかたちでその片鱗がにおわされた。(が、当事者以外のほとんどは事情をしるよしもなく、そのときはだれも反応しなかった。おれはあとで色んなキャンプ関係者から話をきかされてこれはまずいというか、思っていた以上に深刻だと認識させられた。)
二、実質的な分裂のため二キャンプのインフォメーションがうまくいってなかったこと。それが原因となって二キャンプ開幕以前の当別キャンプで対立的行動とそれにともなう混乱が発生したこと。これについては、のじれんの機関誌『ぴかぴかのうち』33号に対立当事者からの報告が不明瞭なかたちでなされている。
三、三キャンプ=三行動とはならなかったこと。つまり壮瞥キャンプ自前の行動が放棄され、同キャンプが主催者のことなる伊達キャンプの行動へと接合されたこと。二つの行動なら二キャンプで十分だったはずだが、独自行動をもたない壮瞥キャンプの位置づけはついに不明のままにおわった。しかし「ピンサー・ムーブメント・デモンストレーション」がなし崩しで「豊浦・壮瞥」ではなく「豊浦・伊達」にスリカエられたという意味からすれば、この壮瞥キャンプの行動拠点としての放棄はキャンプWG・現地行動WGの破産とするほかないだろう。ところが現地行動WGのブログ(=公式情宣局)でピンサー(はさみうち)の主体をスリカエたままキャンプが開幕した。壮瞥は行動ベースとしては放棄したとなぜはっきりいわなかったのか。伊達キャンプは二キャンプとは協力関係にあったとはいえ、あくまで独自の行動「G8洞爺湖サミット反対!決起集会とデモ」を提起していたのであって、ピンサーの一方になるべく自らの行動を呼びかけてはいない。これでは一方による他方の行動の意味の収奪じゃねえのかよ。独自主催の伊達キャンプは、豊浦・壮瞥のありようには無関係で、むしろ壮瞥からの連日の行動合流と行動最終日の三キャンプ合同のデモに便宜をはかった点で優先的に評価されるべきだろう。伊達キャンプと二キャンプの関係の実際につにいてふせたまま、調子こいて伊達キャンプにも言及するような報告は詐術にまみれているとしかいいようがない。

壮瞥についても語るべき人が語るだろうとは思ってきたが、それももう無理なのか。関係者には一方が語るだけでは話がこじれるだけなので、公式にちゃんと出したほうがいいと折にふれていってきたつもりだが、おれにゃ人徳・信用がないため効果がまったくなく、もうしわけないばかりだ。そりゃー運動をよびかけた仲間にたいして、ということなんだが。社会にたいしては……まあちょっとだけ。だけど、キャンプの行動について「行動の速度」だの「孫子の兵法」だののキテレツな自画自賛をするだけの小理屈が神話化されても「運動」にとってまったくタメにならないどころか有害でさえあるので、自分に累がおよんだ範囲のこととしてまずこのことをいっておく。そもそも豊浦キャンプ発の公然行動の準備でさえ外部の人間に請負わせようとするテイタラクだったじゃねえか。現地行動WGが請負のひとつみたいなもんだったのに、さらに孫請けにしないとできないのか、という事態。兵法以前のツマヅキだ。行動の組織化という位相からみるとまるでダメだったというあたりが、この一部の反サミット運動の性格をよく表しているんじゃねえのかとおれは思っている。

サミット開幕までもういくらも日がないときのことだった。札幌で「独立メディアのシステム構築」の一環としての作業中に、現地行動ワーキンググループの某から(豊浦の行動のために)「警察に申請にいってくれませんか?」という連絡があった。おれは札幌には「技術人足」としてきていた。「にわか工兵」任務以外で動くとしても、貧困・労働WGとしてだ。ヒマをもてあまして観光にきているわけじゃねえんだ。それにおれは合同労組の人間として同WGにかかわり、連絡会に属したのであって、その逆ではない。つまり連絡会の他のWGとは協力関係にあるとはいえ、指令を受けるいわれはない。そもそも各WGはやりたいものがやりたい課題を追及するという目的でつくられたはずだ。この事情は某も分かっているはずだった。こういうわけで、ふってわいた利用主義的な請負話にGNU/Linuxサーバの設定ファイルを書く作業を中断させられたおれは即座にブチ切れた。やりきれないようなら早めに判断したほうがいい、やるならとっとと道路使用許可をとるように算段すべきだ──当該地域では公安条例が存在しないためデモ申請は必要ない──と事前に忠告していたのになんだ。なーにがピンサーだこんにゃろ、てめえで現地行動やるっつっといてやる気がねえときゃがったかとムカっときてしまった。もちろんおれは目前の「任務」で動けるわけもなく(札幌から伊達署までどんだけ距離があると思ってやがんだ……)、かりに動けたとしても無責任連中のお先棒をかつぐつもりも一切なく、なんだこいつも結局はそうだったのかと半分ガッカリしながら「ざけんじゃねえぞ! やりたいやつでやれ! できねんだったらやめりゃいいじゃねえか! だいたい矢部が現地行動のWGはじめたんだろ、おめえが忙しくて無理なら矢部はどうしたよ!」と電話ごしに怒鳴りつけて拒絶した。某の名誉のために補足するが、某は結局自分で申請をやりきる。そして当初海外組から不評だった超ロングコースの示威行進をやりきる。その功績はぜったいに書く。文句だけたれてなにもしないやつより行動するやつを信頼すべきという心情(信条というより心情)のおれは、誰がなにをいおうとそのことは書く。日本という野蛮な警察国家のもとにある具体的な治安管理体制をまるで知りようもない海外連中から正論をもって批判されながらもやりきれない怒りをはらにためたまま行動を提起して開いてやりきるのは立派だ。しかも結局は海外組も22kmの無茶な「行軍」に合流することになる。自分ら独自の無届け行動が警察にがんじがらめに包囲されてあきらめざるをえない状況に追い込まれたからである。つうか海外組は公然拠点での情勢分析があますぎる。好き勝手やりたきゃ、むしろ公然キャンプをおとりとしてまったく関係ないとこに出没する可能性を追及すべきだろ。ともかく道警と全国警察のあんなアホみてえなしめつけのなか、準備と実際の行動、まあよくやったと思う。話がそれたが、さて、矢部はキャンプ直前の行動準備をめぐるこの悶着をたぶん知らない。某はこのことを切開しなかったし、また某と矢部のあいだでさえ割れていたため、豊浦キャンプ現地行動の直前までのたよりないフラツキを矢部は自覚しようがないはずだった。組織者のいやおうのない情報集約(これはよけいな情報を外部にたれながさないということを含む)と意思一致は「軍事」の基本だが、キャンプ・現地行動WGにはそういうある意味での行動者の視点がいっさいなかった。事前に組織者のあいだで意思疎通が滞って外部に文句だだ漏れってなんなのよ。行動なめてんの? 兵法いってる場合じゃねえぞ。ちゃちなパルチザンごっこにしたところで、規律と意思の統一が確保できなきゃ崩壊する。もちろん集権的な行動じゃないってんなら、それはそれ。ことがすんでから「国際旅団」とかうそぶく必要はない。しかし豊浦キャンプの強みは、さすがに日本含め世界各地で行動をつくってきた人間が結集してたってことだろうか。なれない野蛮な日本の警察相手に、行動をくみあげて弾圧させずにやりきったのだ。これは行動提起者と参加者のたぐいまれなる合作として記憶されるべきだろう。しかし豊浦行動の準備テイタラク問題については7・5の救援のあとにでも話をしようと思っていたのだが、矢部はWG単位の総括を拒否し、また有志総括にはいっさいくわわらなかった。

ダラ幹ぶりもここまでくると正直つける薬もねえな…という見本がここにある。先験的にあるべき総括を期待するのではない。いうまでもないが、かたちはどうあれ道連れになった連中がいっしょにふりかえるということそのものが重要なのである。そりゃあ矢部も聞けば人がびっくりするような大変な労力を投入したのも事実である。その意味ではその自己犠牲の精神に人はうたれるだろう。キャンプ地成立のための献身ぶりは賞賛されていいはずだ。しかし、それだけだ。革命戦争じゃあるめえし、無茶な献身だけがたたえられるような社会運動はじつはかなりまずい状態だ。負担と精神主義のバラツキ──それはつまり組織化に失敗しているということだからである。けっきょくは前線のやべえほうの任務を率先して自己組織化するのではなく、あくまで外部にふってしのいでいこうというあり方にゃ、人は胸くそわるい思いしかしない。そして信頼をうみだすことがついにできない。そしてそれを放置すればデッチアゲ運動は不可避的に崩壊する。きみら──「われわれ」は、いまその瀬戸際にあるのではないのか。

だってよ、ここでまたべらんめえ調になるしかねえんだが、豊浦キャンプの肝心要の防衛だっていってしまえばしわよせがあったじゃねえかよ。リーガルサポートのことじゃねえぞ。防衛の実務のことだよ。しかもしわよせがいったのは赤い党派だ。どこが「反権威主義」の「兵団」の運動なんだか、へそが茶をわかすとくらあ。誤解のないようにいうが、防衛任務についたのは豊浦キャンプにもぐりこんだ革共同再建協議会(いわゆる中核派の関西派)じゃあない。かれらはあくまで反サミット運動を通じて「共同行動」への足がかりをえるための斥侯として登場していただけだ。だからスキをついて革共同のでっかい赤旗をひろげようとして制動かけられてもそれを大人しくのんで、それでいてかれらの機関紙や雑誌では合流できたことにウハウハで宣伝したってわけだ。アナキストを最大限賛美して、キャンプについては直接民主主義を貫徹していたとほめそやす。まあ前衛党派のやることだ。で、おれは不寝番をつとめた別のボルシェヴィキ党派の年長の「兵士」たちをむしろその限りにおいて信頼するね(ただしかれらが再建協議会の呼び水となっただろう事態は、まあやっぱボル党派どうしだよなと割り引いて見るしかないけどね)。防衛についてはいいたいことがあるんだが、これをやるとこの運動に関係なかった人らに迷惑かけるんでだまっとく。はしょっていえば、現地キャンプの組織者はその任務についてはなから外部におしつけようとしてたってこった。主体的力量にとぼしいんなら率直に話して、キャンプ参加者に任務としてやってもらえばいいだけの話じゃん。出会い頭のあわただしいデモとわけはちがって、おちついて話をする時間はあったんだろ。だからそれでもしんどいことを拒否するコンシューマーはたたきだしゃいいんだ。それで誰もいなくなったらそもそもの宣伝戦に失敗したと総括すりゃいいんだ。経験のあるなしなんて関係ねえ。最初はみんな無経験であたりまえ、気にするこっちゃない。そういうおれだって行動キャンプにいったらキョドってるはず。無届けであたりまえのはずの、だけどセキュリティのきびしい抗議行動とか、マルキにボコられてきたせいかいつもビビってるもんな。かっこつけてるからおかしなことになるんだよ。打算があるにしても結局ロートルだけがなんかやらされてるって図はどうなの。結果的に請負になるのは、力量の限界としてしかたがないときもある。だけど反サミットのキャンプはいうまでもなく行動ベースで、そのベースに仲間がたくさん来たんじゃん。キャンプ運営のための会議があったはずなのに、なんで結果として一部だけが寝ずの番をするようなことになっちまうの。他方、壮瞥の防衛はまるごと放棄されてる。リーガルサポートすらない。リーガルチームは対立過程で壮瞥捨てたんだしな。そのなんとかならんものをなんとかしようとしたのは、やはり壮瞥に関係した人らの自発性によるものだ。こりゃたしかに「反権威主義」的かもしれねーけど、思想的装いをほどこすことじゃあなくて、せっぱつまった人として当然の反応だろ。こういうこともちゃんと切開する必要があるんじゃないのか。

これらの問題は特定個人がどうこうというより、つくりかた・構造の問題とすべきだ。心配した外部の人らは事後にそういってくれてただろ? ようするに助け舟だしてもらってたんじゃん。それをちゃんと問題としてとらえて、考え方はちがっても同席して俎上にのせような?っていうのが総括=ふりかえりだ。糾弾するんじゃないんだよ。こんなキモになる問題をあとでちゃんと一緒になってふまえられないってのがまた大きな問題なんだよ。それで陰口ばっかききあって分裂することか? 人憎んでどうするよ。

任務分担に信頼がない。これは7・5も一緒だ。自壊していたあのサウンドデモをすごいことやったかのように持ち上げるやつは、おれは全員ぶん殴りたいと思っていた。まあ先の山口響くんと一緒だね。だがこのデモあるいはピースウォークのダメっぷりにはめぐりめぐっておれも無関係ではく、そう思ったことを恥じた。もちろん個々の力量の問題はあるにせよ、問題は人そのものじゃなくて、そんなんでほんとはすまないけどすんじゃうような関係と構造にある。そこにおれもいたということだ。だから形式論でいえばサウンドデモの救援をやるべき責任は「国際連帯」とキャンプの構想者の一部にあったわけだが、おれとしちゃ揉めながらも懸命に努力しているその仲間たちを見て見ぬふりをしてきたオトシマエをつけるために、また北海道からみれば「東京からサウンドデモを持ち込んできて現場崩壊させて右往左往してるどーしよーもないやつら」として一緒だというそのサミットホッパーとしてのオトシマエをつけるために、多くのことで札幌の有志の力をかりながら救対を組織して残ることにしたのだった。オトシマエつったって押し込められた状況を少しでも押し返すだけなんだが。ここにサウンドデモのケツモチを本来すべき人間が要請に応じて合流してくれたことだけはほんとによかったと思ってる。叩いて持ち上げるようだが、こんなのは持ち上げるうちにも入らねえ、救対で奔走した人間のなかには矢部も含まれていて、期せずしておれと矢部は一回ずつ札幌中央署に「デモ申(デモシン)」にいく道連れになっちまった。そして東京からとんだ当別キャンプの組織者も、「国際連帯」とキャンプの双方で大きな役割をはたしただろう仲間もこのなかに含まれてる。ようするに腹のそこでは「やべえことやっちまった」と自覚していただろう人間はほとんど救対に合流した。逆にいえばサウンドデモ構想の側にそういうオトシマエのつけかたがなかったら、たぶんおれは東京で「新しいアナーキスト許さん」の党派闘争ごっこやってたね(笑)。いや、これはおれにも問題があったということを拒否したくて構造問題にスリカエようとしていっているのではない。おれ個人のもっとも大きな問題は、ありゃあ崩壊するぞとなんとなく思ってたくせにめんどくせーから介入せずに近づかないようにしてたってことだ。これは仲間の態度じゃなかったもしれない。でもなんでだか揉めてるザマを見せつけられてこんなの仲間としてやってる運動じゃないよなとしか思えなかったのだ。おまけにその内部対立の当事者の一部にゃ他潮流のことをバカにしてる向きもあって、望んでないのに「国際連帯」の張り合いで脚をとられてしまうという大変さでは同情もしたけど、でも競争で運動やってるんじゃねえんだよ、おまえいっぺん鏡のまえにたてってな具合だった。で、内外に信頼関係もなく揉めまくってるありさま見せつけられて、それを気安く仲間だろといってとびこんでいく器量はおれにはなかったというわけだ。やっぱり仲間を最大限仲間として見ようということに挫折してしまう個人的力量の問題もかなり大きくある。ダメだなあほんとに。

こんなんだから手抜きの前衛主義にふれそうになる。だってある立ち位置でならあっちのほうが絶対楽だよ。一部思考をすててもすむ立場がありえるから。あれは一部が支配者であとは奴隷の運動だから一定なりたつ。つまりそこにあるのは「自由からの逃走」。支配関係の受容のかわりに揉める必要もないという機能主義だ。それを拒否するにはどうしたらいいかってことをしょぼくても実践するのがノンセクトだとかアナキストの身上じゃなかったか。や、このくにのノンセクトもアナキストもそんな上等なもんには見られてこなかったか。そうだな。

相互の信頼が十分に存在していないのにピッピッピッと任務がアウトソーシングされていく。だからなんだかこんどの「新しいアナーキスト」派の運動は偽装請負みてえな官僚的な運動だよなぁと判断していた。しかも請負先に信頼がないから揉めるだけ揉める。人間は計算機じゃないんだからそんなに合理的には機能しない。まるで浪花節の世界だが、だから信頼こそが他者との関係のために欠かすことのできないもっとも基本的な触媒となる。利害の一致だけじゃそうつながってらんないよ。現地キャンプがただのお楽しみ会だけじゃなくて行動拠点だったとする(お楽しみ会それじたいはべつにいい)。行動の拠点だったんだろというその前提のもとでは、残念ながら同志的結合が後景化していた請負の実態をごまかして調子のいいことだけお喋りしてしまえばむしろすべてを無駄にしてしまう。「国際連帯」とキャンプを構想し、その請負的推進を共有していたはずのとある人間はとある場でこんどの運動は権威主義と反権威主義の対立だったとかいいはなったというが、よくぞいった、権威主義ってのはおれらのことなのである。そう捉えられなければあとはない、崖っぷち。

しかし黙ってる人らはまずいことを切開するのがいやなんかな。みっともないからなのかな。でも人間なんてみっともなくてナンボ。完璧超人なんてどこにもいないのに、どうして権威主義がなりたつんだろう。でも、あと一言いっとく。読むだけ、笑うだけの手合いが、人のみっともない苦闘のあとを眺めてなんか分かったつもりにはなって批評だけしますってのが、一番いらねえ。「日本の日本人」みてえにまだ相対的には安全圏といいうる立場にあぐらをかいてくっちゃべるだけのクズはクズだという話だ。外登証もってデモに参加するやつと、外登証もなくていつでも入管に狩られる不安定な位置にあってそれでもデモに参加するやつ(何年か前はそういう行動はまだあったんだよ! クズが笑ってるあいだに東京じゃ特命おびた警察の摘発部隊におしこめられちゃったけどな)の爪のあか煎じて飲めクズ。おれはいま自分で自分にムカついているクズだ。

追記:救対のところ書きたした。矢部もやることはやってたというのをいっとかないと公平じゃねえかなと思って。
追々記:豊浦キャンプの防衛について訂正。

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Comment

これいい!
矢部です。
季節遅れですが、いま読みました。
むかつく部分もちらほらありますが、かなりいいと思います。
こういうのを待っていた、というと嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、こういう作業は歓迎です。
続編に期待。
季節はずれのお返事
じゃ、共同作業を! やったこと・おきたことに対しての捉え方がかけ離れている点はたくさんあるはずだから、ほんとーは喧嘩しながらでも一緒にやるべきなんだと思うけど。いまさらだけど、東京に戻ってきてからきみにもっとせまっておけばよかった(笑)。
批判あるならよろしく。批判や議論はなるべく人の目にふれるかたちでの方が好ましいとは思いつつ、「表」にだせないようなこともかなりあったはずだから場を問うつもりはないけどね。蛇足ながら『アナキズム』の11号にも書いてるし(7.5札幌のこと中心)、それと重なる別記事も書き散らしてるんで、気が向いたらどうぞ。
http://autonome.blog7.fc2.com/blog-entry-47.html

それから、続編ってなにを期待してますか? 救対については表にだせないことのほうが多いし……そうでなく、もっと自分をえぐれってか。それとももっと理論的にまとめろってことかな。

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