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帝国主義本国人として死ね

2009
07-14
おれは日本帝国主義の申し子。日本人などとしてヌクヌクと生まれ育ってきたその逃れようのない歴史的規定性を自覚するからこそ戦争とファシズムと排外主義に反対するんじゃないのか。

おれは日本帝国主義の申し子。くさりきった資本主義が国境をこえて収奪しまくってきたからこそのヌクヌクじゃないのか。

おれは日本帝国主義の申し子。ようするに人の骨の髄をすすって生きながらえてきただけの存在じゃないのか。

おれは日本帝国主義の申し子。オトシマエはいったいどうしたんだ。オマエはいったいどこにいるんだ。

おれは日本帝国主義の申し子。この在日特権ド帝国主義本国人が恥を知れ。

おれは日本帝国主義の申し子。死ね。

Trackback

Comment

日本が帝国主義をやってたのは65年も前の話だよ。あんた何才だよ
そもそもなぜ帝国主義になぜそう過剰に否定的に反応するのかナゾだな。
まるで特亜3国のように一面的かつ主観的な認識しかできてない人間のようだな。
世界が帝国主義の大流にあった中じゃ、当時の日本が
植民地化、奴隷化、されないための最善策として
欧米を習い帝国主義を歩んだのも妥当な選択だろ。
  • 2009-07-30│03:07 |
  • ddd URL│
  • [edit]
いまの日本が帝国主義ではないというまえに、従属帝国主義論や新植民地主義論くらいふまえたらどうなのか。それに君の話には資本主義がそもそも世界システムとしてあるという視点がかけていて、どうも話がかみあわなそうだ。
かりに現在の日本がかつての帝国主義ではないのだとしよう。しかし帝国主義の遺産はいやおうなく引き継がれている。俺や君が現在の日本に生きる人間であるなら、それは日本を日本たらしめるべき諸要素を構成してきた人間の史的営為の連続のなかにいるということにほかならない。自分の歳がいまいくつなのかということは問題にならない。人間が歴史的存在であるという自覚があるなら、(「正負」とわず)その遺産の継続についても逃れられないことに気づくべきではないのか。オトシマエにはそうした認識をもつことも含まれる。俺や君の先祖が直接「下手人」でなかったとしても、われわれが日本で生を享受する「日本の日本人」であるなら、このことから逃げて「わたしゃしらん」ということが許されるのか。「特亜」がどうという問題とは関係なく、自己としてどうなのかと問うている。君が「日本人」でないなら、この問いは撤回する。だが、いったいどのような立ち位置から帝国主義を擁護するのかを問いなおす。
俺が帝国主義に否定的なのは、たんにそれが人類に対する犯罪だからだ。日帝と欧米帝の犯罪はそれぞれにあるのであって、相殺できるようなものではない。だから欧米の皆がやってたからいいんだ式の火事場泥棒の泣き言にはまともに相手するつもりはない。そのためにいったいどれだけの人間が相争わされ、傷つき殺し殺されていったのか。恥を知りなさい。たんに功利主義的にものごとを考えるとしても、欧米の一員になったつもりの似非エスノセントリズムごときでやっていけると思うなら、石橋湛山の爪のあかでも煎じて飲むがいい。
  • 2009-07-30│18:20 |
  • noiz URL│
  • [edit]
>だから欧米の皆がやってたからいいんだ

だれもこの時代に帝国主義自体を肯定してない。
俺がオカシイと感じるのは君の認識だ。
正しい認識とは事実に対して客観的かつ多点的なものだ。
特亜三国人や君の認識は事実に対して主観的かつ一点的な見方だね。加害者、被害者という点を脱してない。
歴史認識とは、時代状況を考えた上で客観的かつ多点的に捉えるべきだ。
なぜ日本が帝国主義になったのか?それは「世界が帝国主義の大流」にあったからだ。
このまま「弱い」のままでいれば強い国(欧米諸国)によって
自国は植民地となり民族は奴隷化される。
事実「弱い国」のままだった所はすべてが植民地になっただろう。
残された選択肢は「強くなること」そして強くなることの
最も合理的な方法が、他国を侵略支配して自国のモノにする
帝国主義だったわけだ。日本が近代化し帝国主義を選択しなければどうなってた?すでに不平等条約を締結させられ
その先に植民地化があったのは言うまでもない。
事実、弱い国はすべてそうなった、日本だけ例外なんて甘い話はない。
つまり時代状況を考えれば当時の日本が帝国主義に進んだのは
ごくごく当然の選択だったと思われる。君の歴史認識には当時の世界の時代状況はどうあるのかね?
そこをしっかり踏まえてなければ客観的な歴史認識ができてるとはいえんね。

物事の善悪を語るとき、とくに左翼者に多い傾向だが「時代状況」を考えないで論じる者(馬鹿)が多い。
歴史を語るのに「世界は帝国主義の大流のなかにあった」という時代状況を考えないで
現在の時代状況でいえる論理。人殺しは悪い、犯罪だ、侵略は悪い、という
この時代の善悪でその時代の物事を論じる。

特亜三国人にいたっては話にならんレベルで「自国がもしその時代に強かったら」同じことをしたなど、と想像すらできない

。65年も経ったいまだに一点的かつ主観感情的に捉えてる有様だ。

>俺が帝国主義に否定的なのは、たんにそれが人類に対する犯罪だからだ
表象ではなく物事の本質を見るべきだ。
君は当時、例えば日本が近代化せず帝国主義に走るタイミングが遅れて、朝鮮が日本より先にそうなれたとしたらどう進んだ

と思う?俺は帝国主義に進んだと思うね。それ以外に道がないからな。その合理的な選択をしなければ欧米により自国は植民

地と化し、民族は奴隷化されるんだからな。違うか?中国も強かったら日本を侵略してただろ。
列強に植民地化されずに、同時に自国が強くなるためにね。
もちろん日本が核兵器を持っていればアメリカに落としてただろう。
その点じゃアメリカの核投下を責めることも浅はかな認識だといえる。
要はどこの国が、ではない。どこであろうとその時代ならば世界が帝国主義の大流にあった以上
強ければ、弱い国を侵略して自国を強くした。そして帝国主義はなぜ行われたのか?
すべては「世界が帝国主義の大流のなかにあった」からだ。二次大戦終了までのすべての諸悪の根源はソコにある。
表面に現れた事象ではなく、問題の本質はソレだろう。
自己を主観的に日本人と捉えてしか過去の歴史をみれないんじゃ、客観的かつ多点的な歴史認識ができないのも当然だな。


  • 2009-08-01│01:10 |
  • ddd URL│
  • [edit]
これは堂々巡りだな… 帝国主義が過去のものだというのは、あまりに欺瞞的な認識だ。先に従属帝論・新植民地主義論についてわざわざ示したのだが、意味が通じなかったようだ。現在の日本が覇権国家アメリカに従属する(かつ「周辺」を経済的に従属させる)、軍事的には制約された帝国主義国だという視点さえないのでは、話がかみあうはずもない。

日本がかつて帝国主義を選択しなければ植民地ないし半植民地になっていただろうという「情勢予測」の妥当性を一概に否定しているわけではない。情勢予測もしくは認識の妥当性うんぬんではなく、帝国主義の選択そのものを問題にしている。つまり主体の問題だ。はっきりいおうか? 帝国主義の「客観性」がどうあれ、人をふみにじって是とするくらいなら滅ぶなら滅べばいいのだというのがこの記事の主旨だ。ただそれは侵略者の奴隷に甘んじればいいということではない。侵略されるくらいなら侵略せよという二者択一から降りろということだ。支配をうけても抵抗を、つまりいってしまえばパルチザン論だ。
さて、「自分が何人であるか」を捨象して「客観的」に歴史を叙述することもできるだろう。しかし「客観認識」をときつつ、帝国主義の大勢にあっては日本が帝国主義を選択したのも当然ということそのものが、社会進化論をテコとした主意主義的な立場の選択ではないか。客観情勢がどうあれ、帝国主義をしかたのないもの(「妥当な選択」と君ははじめにいっている)とするその立場性を問うているのだ。帝国主義を選択した国家(ないし独占資本)とそれへの屈従という歴史を帝国主義本国人はしょっている。これはいいよね? ここからがおそらく分水嶺なのだと思うが、おれは歴史的存在としての自己の純粋な客体化はありえないと思っているため、あとで生まれてきたものが客観性を装い、その歴史の結果に関係がない(あるいはやむをえなかった)といってしまえる没主体的な立場が問題だというのだ。没主体的とはいえ、「優勝劣敗」の是認を客観性で偽装するという意味においてそれは「強者の主意主義」にほかならない。しかし「帝国」の遺産をすすってきた/すすっているわれわれに、ただの観客でいようなどというムシのよすぎる立場はありえない。
それに、「帝国主義の時代では弱小国は植民地になるしかない」という認識もどうなのか。非帝国主義的例外を例外として捨象するのもどうかと思うが、これでは大戦後の世界的な植民地解放闘争が獲得した地平を否定することに通じる。大戦後も東西の帝国主義的対立があったことはいうまでもないことのはずなのだが(おれはソ連の膨張主義・覇権主義を赤色帝国主義とみなす)、冷戦下の非同盟の運動を位置づけることもできない。
また気になるのは、国家主義的な枠組みでしかものごとが考えられていない点だ。日帝が帝国主義戦争を推進するうえで、帝国主義戦争反対をとなえた民衆の運動はたしかにすべて屈服させられた。だがその抵抗があったということが重要なのではないかと考えるからこそ、先の記述になる。宮崎滔天ではないが、反植民地主義・民族独立の「アジア主義」的な運動、あるいは現実に起こった東アジアの民衆の側の「革命」運動が提起した方図、それらすべてもまた日清・日露とつづいた日中戦争の時代には「夢」と潰えたわけだが、ではそうした人間の営為にまったく可能性がないとして冷笑するだけなら、あとにはただ現状肯定と自己肯定だけが残る。また現状を批判的に捉えようとする視座もなくなる。だから現代の帝国主義について君は口を閉ざしていられるわけなのだろうか。そもそも「弱い」ものが敗北するだけでしかないのなら、帝国主義戦争の直後において、中国共産党がアメリカの支援を受けていた国民党にうちかって大陸を「統一」していくことをどう位置づけるのか。(というからといってその後の中国共産党の行き方、中華覇権主義を支持するわけではない──ただ植民地支配を打倒したという意味で40年代の解放戦争に言及している)
さらに君のいう帝国主義問題の本質は「世界が帝国主義だったから帝国主義が行われた」という無内容のトートロジーになっていて(資本主義との関係が無視されている)、しかも現在性がまったくないことで致命的だ。帝国主義をどう捉えるかという議論は一様ではなく、それこそホブスン、レーニンらの古典から、自由貿易帝国主義論、世界システム論、中心─周辺論(従属論)へといたる展開・蓄積があり、それから帝国主義内部での「脱植民地化」の動きをふまえるジェントルマン資本主義論などもあって(英連邦の分析が中心だが)、直接的な植民地化をともなわない支配の問題についての分析も積み重ねられてきたところだ。だから先のコメントで新植民地主義論についてふれておいたのだ。帝国主義は変容しながらもなお現在に続くものとする把握がこれらにはあるが、君のトートロジーはたんに昔話にとどまっている。それではなぜ現代世界が局地的・「非対称」的な戦争を内在させつつも、大戦とはならずに危うい均衡をデッチアゲているのか、あるいは「植民地なき」金融帝国の帝国循環がかろうじて保たれているのか──などを捉えることはとうていできない。それらが現代帝国主義(もしくは「帝国」)の問題であるにもかかわらず、だ。
  • 2009-08-01│15:37 |
  • noiz URL│
  • [edit]
帝国てwww只の腐敗民族の非常識だろw
必要悪とか正義面して欲望のまま生きてるのが加害者だからな
加害者など支援組織があるから企業を語り大手を振ってやりたい放題やってるんだろ?政治=加害者支援組織と考えた方がいいのでは?
ちませんでした
  • 2009-10-21│23:56 |
  • a URL│
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