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労働争議が暴力であるとき

2009
07-17
労働者のサンディカリスムが暴力ときってきれないもんだったなんて、あたりまえの話。やられたら、やりかえす。それを暴力だといわれても、それがどうしたというしかない。

しかし官民の「安全・安心」の毒気にあてられて、そのあたりまえの話が現代では通用しなくなってきている。たとえ戦後の労働立法で(所定の手続きをふんだ)争議行為が合法化されたからって、ある力の発動が暴力じゃないなんてこたーない。ストライキだけでなくサボタージュだって資本家からみりゃ暴力です。治安警察法が撤廃されようが、暴力行為等処罰ニ関スル法律が残されていようが、そのことに変わりはない。やつらの財産に傷をつけるという意味で当然なんです。ゼネストなんてとんでもないんですよ。そのとんでもないことを夢見るのがわれわれプロレタリア。

かつてフェルナン・ペルーティエ(Fernand-Léonce Emile Pelloutier)は、ゼネスト(grève générale)は労働者のフォルス(force)=強制力によっておこなうと主張していた。全般的なストライキがもたらす力は、資本家にとっては強制的な粗暴な力そのもの。もちろんペルーティエはかつてのフランス民衆の武装蜂起の文脈には慎重にふれないようにしている。幾多のたたきつぶされてきた歴史があるからだろう。その後、書斎で夢見たソレルは暴力論をあらわしたが、かれのいうヴィオランス violence とは、このペルーティエのいう労働者がブルジョアに強制する力のこととほとんど同じ(文脈によって一部ブレがあるが)。つまり団結した労働者自身の力の発動によって社会を変革するのだという着想だ(いまどきの中核派のことではない、あれははっきりいってサンディカリスム未満)。ジェネラルとはその労働者の総体としての結合のことにほかならない。

※さいわい、ソレルやベンヤミンの暴力論の翻訳は日本にもある。だが、そもそもの提議をしたひとりであるペルーティエの翻訳はない。活動家のつたないプロパガンダであるからだろうか。
というわけで、19世紀末、最初期にゼネスト─グレーヴェ・ジェネラル(grève générale)論を提起したジョセフ・トルトゥリエ(Joseph Jean-Marie Tortelier)やアリスティード・ブリアン(Aristide Briand)あたりの主張をサルベージしてください、だれか。いきなり懇願調(笑)。

※この当時のブリアンはアナルシスト。のち議会主義に転じて、社会主義の立場を堅持しつつ首相や外相となる。トルトゥリエは生涯アナルシスト・プロレタリア。

労働者のゼネスト論といば、しばしば労働取引所連盟(Fédération des bourses du travail)の先導者であったペルーティエが言及されるけれど、トルトゥリエのような指物大工のオッサンがなにいってたかも気になるってもんです。そういう意味じゃ、直接行動を念仏のように唱えたアナルシスト労働者のエミール・プージェだとか、ブランキスト労働者のヴィクトル・グリフュールあたりのプロパガンダもフォローする必要がある。あと無視できないのがアルマニスト(アルマーヌ派の潮流)。労働運動のなかの連合主義と労働者主義はかれらもまた強く主張していたのであって、連合主義はアナルシストの専売ではなかった。

結局、知識人とはあとからくるものでしかない。ソレルもベンヤミンも、「現場」に発生したミリタン(活動家)のマグマのごとき夢想にふれただけだとさえいえる。かりにプロレタリアのゼネストが解放=滅びへの夢想だったとしたら、かれらはそれを掬(すく)いあげただけだったのではないか。

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Comment

反撃の「暴力」を肯定します、その立場に立ち続けたいと思います。
またアナキズム4号で読ませて頂いたプージェさんの「直接行動」についての言葉は今の自分の有り様を深くえぐります・・・
  • 2009-07-18│00:17 |
  • gotcha1977 URL│
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