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法大の運動の支援よびかけについて

2009
07-18
法政大が2001年のボアソの一件から急激におかしなことになってるのは周知のとおりだ。学館解体・自治組織解体をへてやってきたのが06年の29人弾圧。いまや逮捕者数のべ100人以上という異常な事態だ。そして、曲折がありながらも中核派と一部ノンセクトが共闘するかたちでうつつづく弾圧に抗する運動を粘り強くつづけてきたことも、知る人はそれなりにいると思う。

さて、今年にはいってからの一連の弾圧のなかで、学生諸君の行動に「暴処法」が適用されるというエスカレーションがあったあとの展開については、よく知る人は逆にそれほど多くないと思う。わたしも知らない。ただ中核派とそれ以外で救援方針をめぐってなにやら揉めているということくらいは、法大市民監視団blogを見れば誰にでも分かる。ただ、それ以上のことは分からない。その後に出てきた一連の法大弾圧と弾圧体制に抗議し法大生を支援する全国学生有志がカンパを含む被弾圧者への支援を呼びかけつつも、救援をめぐってどうやら発生しているらしい分岐については一切ふれないということが、またよく分からないのだ。中核派を支援するのか、非中核派の市民監視団を通じた支援をおこなうのか、あるいはその対立から離れた第三極形成を追求しているのか。

現在の法政大学におけるような、残存するノンセクト学生が中核派と共闘せざるをえない個別の苦境は理解するつもりだ。もちろんひとりへの弾圧は全員への弾圧という意味では、中核派が圧倒的多数派の運動だからほっておけばいいといいたいわけでもない。しかし支援の学生諸君。中核派のために苦しんできた(無党派の)「学生・市民・労働者」の「仲間の皆さん」が全国にたくさんいることは、君たちもよく知るところだろう。救援をめぐって対立があることが部分的に公開されたいま、中核派との相克という困難に口を噤んで支援を呼びかけることはいったいなにを意味するのだろうか。

かつて法政大ボアソナードタワーで開催された私学連シンポを実力で粉砕した行動(ノンセクト主体で中核派はくわわっていなかった)が弾圧され、その後の救対も無惨に分裂し、裁判闘争にも禍根を残して四散したとき、外部支援者にはなんの説明もなかった。ほんの一部の発言しうる当事者の一方的なお喋りが残されただけだ。語りえないものはそのまま「運動」から立ち去った。それだけ分裂は悲劇をもたらす。外部の支持者として知りえたかぎりでいうなら、その行動は様々な立場の人間が即席でいっしょになってやった「実力闘争」だった。意思一致もほとんどできていないその場のノリに近いようなもので、弾圧後に分裂するのもやむをえないようなずさんな主体(無)形成によるものだっただろう。そのために「後退戦」がほとんど敗北に帰結し、それがその後の法大学生運動にも暗いかげを落としたことを当事者は否定できないはずだ。ここに運動主体の多様性ということがもつ困難さが表れている。

統一性が確保できるなら幸せだ、などとはもちろん無前提には思わない。が、分裂の痛みについて覚悟しているノンセクト学生諸君なら、その軋みを前提として支援を呼びかけるべきではないかという思いをぬぐえない。

しかし、諸君の健闘を祈る。

弾圧粉砕、闘争勝利!

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