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裹頭衆は合意形成をわらうか

2009
08-08
I

 仏教の話ついでに。

 ちかごろ、直接民主主義的なものごとのとりきめかたについての議論が、よく見受けられるようになった(気がする)。方法論としての合意形成論(decision making)、その実践的役割への言及──。
 なるほど、集団的な意思決定への過程が民主的でない、あるいは民主主義をうたないがら形骸化しているという現状批判は、よく分かる。どこにいっても、おさだまりの「意思決定するものの慣習」がその場を制していることは否めないように思う。とくに限られた時間のなかでの決定は、ともすれば多数派と少数派の対立と対立の表面的回避による決着のなかでしかなしえないものとしてあるだろう。このことは社会運動の現場においても例外ではない。
 だから意思決定についての課題としても、これまた輸入思潮の出番とされる。そしてもっぱらそうしたヨコモジの新たな方法論を、なにかすべてを解決するかのようなものとして傾聴する権威主義さえ見受けられるようだ。
 だが、いわれるところの集団的な合意形成にあたって、ほんとうに直接民主主義的な手続きやその追及がなされているのかどうかについては一概にいえるわけがない。日本であろうが、海外であろうが、現場ではそれはつねに問題としてある現在進行形の課題だ。
 反グローバリズム(あるいはオルター・グローバリゼーション)の社会運動の文脈のなかで画期的な抵抗闘争としてしばしば言及されるシアトルやジェノヴァの闘争にしても、全体を統一するような合意形成はありえなかった。その双方とも、実力行使を辞さない部分は最初から運動体の連合にはくわわっていなかった。だからかれ・かのじょらは最初から鬼っ子として叩かれる結果のなかにいた。間違いなく現場は分裂していた。その分裂のなかで、とりわけシアトルでは、一方は「ブラックブロック」を暴徒とよび、別の一方は平和主義者を「ピースコップス」とよんでお互いを侮蔑しあった。とある北米在の宿無しアナーコ・パンクの仲間はその経験を、ある意味で直接行動派とピースコップスとの闘いだったと笑ってふりかえったことがある。「おれたちを売る平和主義者はどこにでもいるからな」といってかれは肩をすくめた。
 ところがグレーヴァーのように「新しいアナーキスト」として売出され中のもののなかにさえ、たとえばブラックブロックをなにか非暴力主義的な本来性をもつものであるかのようにいいなす傾向が存在する。非暴力直接行動? ばかをいえ! ブラックブロックとは現場共闘の一時的な集合体で、その行動の性質について一概にいおうとすることじたいが間違いだ。平和におわる行動もあれば、実力行動にでる行動もある。分かりきったことではないか。ショーウインドウ破壊やモロトフカクテル投擲なども含まれる実力行動に従事するものをつかまえ、それを非暴力の使徒であるかのように位置づけるやり方は、欺瞞のわざというほかない。

 問題は、暴力をめぐる議論だ。現場はこのことをめぐってつねに分裂している。

 そうであるのに、たとえばこの日本では、海外の運動に派生する目新しい事象を見つけだしては、これを新たな民主主義の時代の到来を告げるものとして紹介し、その積極的な意義だけを強調する傾向がある。しかしそうした態度は、人がなすことにかならずつきまとう負の性質をおおいかくすことにさえ通じるだろう。
 もちろん、行動の多様性を保証するものとしての合意形成に関して、運動全体の統一をはかるものではないという議論があることは承知している。それでもなお、治安当局との一定のせめぎあいが前提としてあるときに、行動の空間的制約があるなかでの合議に関しては、やはりその一定の制約に対応する総体的な連絡がなければ(その連絡は調和的でなくてもよい)、現場は分裂せざるをえない。その分裂を含み込んだ場の共有ないし競合が最初から前提とされているならそれでよい。分裂・競合をめぐる各運動体は相互に批判しあえばいいだけだからである。問題は、それがけっして調和的なものでなくむしろ分裂含みであるということについてふれることを慎重に回避しながら、多様性とそれを保証するという合意形成のすばらしさについて喧伝する欺瞞にある。そんなに多数派になりたいのかということが、そこで問われる。

II

 さて、この地における合議をめぐる闘いの歴史はいうまでもなく古い。通俗的な言説として日本人の特質に「和」があるかのようにいうものがある。その正否はともかくとして、その「和」の根幹は、日本人は中世以後、基本的に衆議によってものごとを決めてきたという、その歴史的性質に規定された幻像にあるだろう。
 王権の権威が相対的に低下し、東国を中心とする幕権が京(京都)にさえ部分的におよんだとき、その社会はどうだったのか。中世の社会的本質をいうものとして「自力救済」ということばがあるが、これはひとことでいってしまえば弱肉強食に依拠した自由のことだ。誰も助けてくれないやったものがちの世界。そしてその力の世界のなかにあって朝幕に対抗する第三極をなしたのが、南都北嶺の武装した有力寺院であった。そしてその有力寺院の経済活動とともに台頭したのが金貸しどもである。中世の世界には統一された国家権力は存在しなかった。
 これら寺門は内部に武装勢力をかかえこむことによって権門としての地位を確保した。南都は興福寺・東大寺をはじめとする古代から残存する奈良の宗派勢力、北嶺はいうまでもなく京都をにらむ位置にあった山門=比叡山延暦寺などの諸寺坊で構成された天台宗系勢力のことだ。朝幕の権力に伍した寺社勢力には、高野山や根来寺などの真言宗系の宗派もあった。武家が支配したとされる東国においてさえ、たとえば日光山輪王寺などが一大武装勢力を形成して自治権を獲得していた。
 とまれ、権門としての寺社勢力は、その武力によって自治が保証されていた。その自検断の前には、朝廷も幕府も容易に手をだすことさえできなかった。そしてその荒ぶる寺社勢力はときとして朝廷とも結びつきながら広大な版図を手にしていった。(これら権門的宗派をのちにほりくずすのが浄土教系門徒で、一向一揆はその極端な自治的表現であった。)
 ところで、中世では政治権力の構成のされ方に変化が生じたことはよく知られるところだ。独裁から集団合議の権力へと移行するのである。朝廷でも武家でも基本的に変わりはない。むしろ突出する独裁者的人間が頂点にたつと、必ず波乱がまきおこった。朝令暮改の権力亡者・後醍醐しかり、将軍職初期時代の足利義政しかり。長期間の中世的世界のなかにあって、政治権力さえ規定したものごとのありようには、専制ではなく合議による動かされた形跡が一貫してみられる。
 これは政治権力だけでなく、あらゆる社会集団にみられた傾向である。惣村や都市の自治も、賤民とされたものたちの社会の自治も、基本的に合議によって運営されている。その社会を構成する基本的特質の大勢のなかに、有力寺院の政治もまたあったのである。
 その武装する有力寺院は独自の寺法をもって運営されていた。ものごとの決定には座主・別当の意思も影響をおよぼしはしたが、基本的には僧団(サンガ)の合議によってその運営が規定された。しかもサンガは上臈(上位)のものだけなく、下級の僧侶・宗教者・雑役従事者も構成するものとしてあった。寺院内にはいくつもの合議集団が形成され、そのなかには下位のものたちの集団も存在した。そして上位はつみあげられていく下位からの合意を無視することができなかった。武装していたのはかれら下位のものたちだったからである。そして京にのりこむ嗷訴やよその寺社との喧嘩について議論するかれらは、独特の合議の方法をもっていた。
 裹頭(かとう)袈裟というものがある。目元だけを残して頭をすっぽりとおおいかくす頭巾の役目をはたす特異な袈裟のことだ。そして南都北嶺の下級の僧団はこの頭巾をかぶって重要な会議をとりおこなった。裹頭衆の僉議(せんぎ)で、下級僧侶・僧兵たちは顔をかくし、比叡山ではさらに鼻をつまんで声音まで変えて各々が発言するというかたちをとった(『源平盛衰記』)。そうやって発言者を特定させないことで、意見の内容そのものだけをもってその合否をきめようとしたのだ。そこには、発言者に序列的権威を認めず、また外部からの介入を排し、内容だけでものごとを考えようとするまっとうな精神があった。とくに下位僧団の衆議は、ときに大衆蜂起にかんする議決をしなければならないなどの、自らのいのちにかかわることがしばしばあったため、集団の利害について生半なことでは決定しようがなかったはずなのだ。だからそこで個人的な利害得失が排除されるのも当然のことだったのである。とはいえ、酒を飲みながらだとか(延暦寺)、寺院内の大湯屋でもうろうとするなかで(興福寺)大衆蜂起の会議をしていたケースもあったようで、その場合は勢いだけで蹶起したのかよ!(どこが成員民主主義だよ)という「問題」が残るが、まあそれもいいじゃねえか、死ぬのは自分だ。
 このように、法相宗・華厳宗・天台宗・真言宗などの「顕密体制」をなす諸宗派に見られる「ブラックブロック」(笑)も、その行動会議でいちおうはまじめに衆議していたわけだ。あるいは土一揆のさいの百姓の意思決定も同様で、かれらは衆議・連判することで、オトナ主導とはいえ成員平等原理による合意をもって一揆契状を結び、戦乱の世界に対処した。南都北嶺の宗教秩序を打破する一向一揆にしても同じことであった。ただそれらは階級ごとの自足する秩序を形成しただけで、階級の異同をのりこえようとする水平性をもった民主主義であったかといえば、やはりそうとはいえない。
 しかしなにも近代以前のすべてが暗黒であったとする必要はない。制約はあるにしても、民主主義の萌芽はすでに前近代の世界にさえある。問題はやはり、理念そのものの高邁さがどうであるかよりも、実践の苦しみのなかにこそあるのだ。立派なことなら誰でもいうが、おれはもっとババをつかんだやつらのみじめでみっともなくてしょうがない、でもそれぬきには自治などありえない右往左往──そういう話がききたい。きれいごとは、もう、ほんとうにたくさんだ。

 でも「近代の超克」にならないように気をつけよう(わら)。

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