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社会運動を語るデマと「現場」

2009
09-14
やはり出来事を言葉で伝えようとするのは難しい。

かわされている議論には興味がないので、前後の文脈は詮索せずに、自分のかかわりのある範囲で言及された部分にのみ反応しておく。
運動者の間で明白となったのは、やってきた各国運動家から批判を受けた指導力・組織運営力を欠いて「言葉」しかなかった理念派指導の洞爺湖サミット運動でした。

http://h.hatena.ne.jp/hizzz/9234071495480631220
ウソをいうなウソを。こりゃ、現場にいなかった人間による「理念」のためだけにするデマ言説だ。ある部分で組織化の過程に反省が必要であったことは否定しない(「指導力」ときやがったド官僚ぶりについては黙殺)。しかし「洞爺湖サミット運動」には多様な潮流があったということさえ分かっていないようだ。先回りしてことわっとくが、「ピースウォーク」や「豊浦・壮瞥キャンプ」だけが「サミット運動」じゃねえ。
 洞爺湖サミットをめぐる運動の主体としてはいろいろあったのであって、ごくおおざっぱにいうと以下のようになる。

・中核派ふう(笑)にいうところの体制内派
・提言型NGO/NPO
・反対派

しかもこの傾向は、諸個人・運動体ごとにきれいに切り分けられるようなものでもない。たとえば旧社共勢力の場合は、提言型運動と反対派的運動の双方にまたがっていたりする。またひとくちに無党派(ノンセクト)といってみても、無党派はこのおおざっぱにわけた類型のなかすべてにいる。NGO/NPOのなかにも反対派的なスタンスをとるグループが存在する。また反対派のなかでも、治安弾圧のしめつけのなかでどうやって運動をくみたてようかという点でさらに分岐がある。ちなみに「1万人のピースウォーク」は旧社共を市民がブリッジしたかたちで主催が構成されており、それは札幌地域における社会運動の蓄積によるものだった。
 それでも新左翼やアナキストだけは反対派にくくっておけると思う向きもあるかもしれない。ところが「新しいアナーキスト」のなかには「反対」の看板に逆行するようなかたちで行政に対処しようとした流れもある。当別キャンプがどのように呼びかけられ成立したのかを見ればそのことはうかがいしれる。このキャンプは一方では街を一時的にスクウォットされるのを恐怖してその対策のためにあったとさえいえるのだから(「恐怖した」とはいわないものの、組織者の報告パンフ自身が対策の意図するところを説く)。だがその当別キャンプが「新しいアナーキスト」だけでつくられたかといえばそうでもない。当別キャンプの企画は東京から持ち込まれたとはいえ、在地の諸個人・運動体の協力があって実現したものであって、その主体は多様な結集となった。
 また新左翼やアナキストだって届け出のデモを独自に主催したりもする。これは法制度と警察の対応の問題があって「官許」の行動にならざるをえないわけで、気持ちとしては「反対」でも現実には「ぎりぎりのところでやっている」ということ以上にはならないのが実勢だろう。理念と現象は必ずしも一致しないのである。

さて、「批判を受けた」というのは「洞爺湖サミット運動」を構成したさまざまな運動体のうち、どの潮流・部分のことか? また批判主体の「各国運動家」とはなんのことで、またどのような批判をしたのか? 印象ではなく具体的にものをいうべきだろう。印象批評は自分の言説のためだけにする「理念」至上主義のうんこでしかないからだ。
 それにしても、おれが「総括」のために個人的に提起したなかで言及した「海外からきた人々」は、ごく一部をつかまえてのものでしかないということさえ理解できてないんじゃないの? 潮流ごとに連携する海外の個人・グループがきていたってことを分かってないんじゃないの? おれが批判の対象として数えた海外連中は、当別キャンプに滞在した主として「直接行動派」とみなされうる部分だったのであって、その他の潮流によってよばれた人たちについてはなにもいってない。たとえば、ビア・カンペシーナやATTACや民主労総やその他の海外の環境・人権団体などを言及の対象にしていたか? してない。ためにする言説に利用されるのはごめんだね。
 デマ編集子が「見えた」つもりになっているのは氷山の一角にすぎない。たとえば「1万人のピースウォーク」で弾圧をくった「サウンドデモ」部分はあくまで全体のうちの一部分だったのであって、そこに結集するかっこうとなった海外組も海外からきた人々のうちのごく一部だったともいえる。ピースウォークの各潮流ごとの隊列それぞれに、海外からきたいろんな人たちがいたんだぜ? 四つあった各キャンプも同様。伊達のキャンプはそれじたいで成立してたけど、そこにも海外からの仲間が参加した。発言するなら報告パンフくらい読みな。
 伊達キャンプ主導のデモでは統制をきかせていたときいているけれど(スクラムに表徴されるようにそれはただ黙って警察に屈服するということではない)、連日にわたって壮瞥からの合流があり、また最終日には豊浦・壮瞥からの合流が実現した。運動過程での「直接民主主義的な合意形成」にこだわるなら、統制型の行動への合流は、現実に展開する治安弾圧の制約のなかでの努力を見てそれを受容したということでもある。でなきゃそもそもがんじがらめの届け出の行動に参加するなよって話だわな。「海外の直接行動派」はその意味において態度を修正しているわけ。で、壮瞥は行動拠点としては放棄されたが、豊浦でも連日独自の行動が組織された。軋轢をふくむそのさまざまな過程において、海外からきた人々も逆に「学んで」帰っていった。んなこた想像できる範囲の話でしょうよ。ちなみにキャンプに合流した「海外組」の有志は独自にとらえかえしの努力をしていた。なぜピースウォークではああなってしまったのか、キャンプでの討議はどうだったか、自分たちと日本の友人とはなんだったのか等々。「批判者として正しい存在」としてかれ・かのじょらはいたんじゃない。
 いずれにしても、日本─海外の運動の連携は運動体それぞれに固有の歴史・蓄積があるのであって、その関係性を一概にいうことはできないんですわ。なんでこんなあたりまえの注釈をいまさらしなきゃならんのかねえ。「現場」不在でWWW上の情報だけでものごとを判断しようとするから、そういうトンチンカンな話になるんじゃねえの。いやWWW上の情報だけであっても、個々の運動体によるものをそれぞれ丹念に見ればそんなこたすぐに分かるはずなんだが。

さらにいえば、おれが海外からきた一部の「直接行動派」についても同志的批判の対象にしていることも読みとれていないんじゃないの? かれ・かのじょらもまた情報共有と討議を十分になしえなかった「ダメな主体」であるという含意が分からないようでは、「洞爺湖サミット運動」つにいて云々することはどだい無理だね。
 日本の運動は海外からきた人々に批判されるべきものとしてあったんだ、とでもいうような能天気なおしゃべりの問題についていっておくと、まず第一に無自覚の「海外」事大主義がある。冗談じゃねえな。どこにいる人間であろうと無謬なわけがなく、運動の組織化という位相において一方が他方を批判するだけですむと錯覚しているような認識的枠組みは、屁のつっぱりにもなんね。
 第二に、代理表象でことたれりとでもいうような認識の問題。もうすでに書いたことだから詳しくはくりかえさないけど、一部ですべてをいえると思わないこと。しかもその一部についての解釈がトンチンカン。
 第三に、論述における慎重さの欠如。そんなにいうなら「現場」いけって。参加じゃなくていい。ちゃんと観察すること。完璧な作業は誰にもできないとしても、丁寧な観察を欠く「運動論」はなんの役にもたたないから。せめてWWW上の一部の文句だけではなく、紙媒体にまとめられた記録などにもあたってから語ってください。

「理念派」うんぬんについても補足しておこう。
 たしかに「新しいアナーキスト」は理念にはしりがちではあったけれど、日本のかかる「理念上の直接行動派」の一部は、それまでの「不在」をすこしでもうめるべく準備段階から「現場」に合流してひっしになにかをつかもうとしていた。そういう一切を捨象して「理念派が運動を指導した」といいきることの傲慢さを自覚したらどうなの? 「個々現場援助活動の実態/検証のフォローアップがないまま言論を主活動とした理念派」って誰のこといってんの? おれは「新しいアナーキスト」的な「にわか運動家」とその行動については、それに批判的な者としていいたいことがあるけれど、それでもともに「現場にいた」ものとしてはこの点だけは擁護する。
 これまた繰り言かもしらんけど、「洞爺湖サミット運動」は「理念派」の「言葉」によって成立したんじゃないんで、そこんとこよろしく。「言葉」の背後には無数の営為があるということだけはふまえていただきたい。いったい誰が集会の場所を確保し、デモを申請し、ビラやウェッブサイトのような宣伝媒体をつくったり、文言をねりあげたり、技術的なサポートをしたり、そのために時間をかけて合議していると思っているの? 無名無告の「活動者」だよ。「活動者」というかただの人なんだが。そもそも「運動」は、それじたいとにとどまるものではなく、そこにいたるさまざまな運動が存在していたからこそのもんだ。かりに「理念的な言葉」が揚言されていたとして、それはしかしなんらかの蓄積あってのことだ。「オルタナティヴ・ヴィレッジ」などはなるほど輸入の言葉っぽかったわけだけれど、しかしそうした言葉に含意される内容に意義を見いだし、実践にうつそうとする試みもあってよかろう。

註釈すべきことはまだある。
イラク戦争を機に「ストリート」を現場にみたてた理念派+サブカル派の、「サウンドデモ」手法自体の陳腐化と、警察対決デモという自閉による社会各層/現場との乖離問題は、昨今の派遣/非正規運動が社会的関心を集め一定の具体的成功を勝ち取る横で、色濃くなってきました。

同上
「サウンドデモ」が「理念派+サブカル派」によるもの? そういう傾向の人たちがいなかったとはいわないけど、出自はいろいろがほんとのところ。2003年の東京にあっては、「実際に連絡をつないだ人々は、活動者と音楽関係者だけでなく、編集者、小説家、美術家、ライター、デザイナー、フリーター、プータロー、学生が含まれ」(「「サウンドデモ」史考」)ていた。イラク反戦運動のなかから登場した「サウンドデモ」が「理念派+サブカル派」によるものだったなんて話、いったいどこからネタをしいれてでっちあげたんだか。つうか「サブカル派」ってなに?

手法の陳腐化ということには異論はない。どんな方法であっても反復のうちに陳腐化するのは必然だ。その意味で、そもそもデモじたいが陳腐化しているというべきだろう。だからおおくの人たちが「新しい」ものにひかれる気持ちは理解できないでもない。おまけに(東京の一部では)おとなしく歩いているだけでも警察ががんじがらめにしてくるという息がつまりそうな閉塞状況があるんで、なおさらだ。沈滞した空気のなかで、そもそも存在じたいが不当な公安条例や恣意的な道交法の運用に縛られ、粛々と歩かされる「捕虜の隊列」の悲惨さを考えてみればいい。不当な規制にあらがいたくなる粗忽者の気持ちも十分に分かろうというもんだ。原因があって結果する。「不服従」の態度は規制・弾圧の結果でしかない。
 そう、つまり、歴史的経過を捨象して「サウンドデモ」を「警察対決デモ」と倒錯的に表出させることは、権威屈従への密通の回路となりうるのである。たかが届け出の、つまり「官許」のデモをやることじたいがある意味で現実的対処でしかなく、「対決」などとえらそーにいえるようなもんじゃないのに、この言説はいったいなにをいうのか。道交法や公安条例で不当なあみをかぶせてくる警察のデモ包囲があるからこそ、それにしたがおうとしない態度もまたでてくるんであって、その逆じゃあない。しかも届け出のデモに「対決」だなんだって、やっぱり恥ずかしいわ。そりゃ届け出のデモのなかでだって、行動者の側が実力行使におよぶこともあるでしょうよ。でもそれ、いつの時代のこといってんの?
 「サウンドデモ」の段でいえば、トラック周辺の「防衛」としてやってたことはせいぜい、機動隊の規制線上ぎりぎりのところで盾にこづきまわされながらじゅずつなぎになって圧力にこらえてただけで──サウンドカー直後の隊列のなかは熱狂的な踊りのため、スクラムがくめない(笑)──、「対決」というより「したがおうとはせずに、じっとこらえてる」っていったほうが実態に近い。手も足もだしてない。そうなりそうなところには同志的対応をもってあいだにはいっていたくらいで、これは2003年の話。03年の渋谷での弾圧は、ありゃ警察がデモの態様になんくせをつけたんじゃなくて、公安条例に依拠して時間制限でひっかけたもの。デモの側からつっこんだんじゃなくて、警察が無茶苦茶にしかけたからこそ弾圧にいたったのだ。心理的な「対決」状況の現出はその結果。具体像としては、デモ側は弾圧されてもぐっとこらえ、デモをやりつづけることで反撃とした。そして04年に消えた。
 行動を提起した側は「平和裡」にやってたからこそ、テレビだののマスメディアだって調子こいて「新しいデモ」(笑)を取材したんで、デモ総体が「対決」状況にあるんじゃあ、なかなか報道しない。で、そうした「平和裡」にあっては、いってしまえばデモ参加者のほうが「防衛」をのりこえていた。街を席巻したのはまさしくそういう参加者であって、組織したはずの人間はそのエネルギーをなるべく減殺しないようにつきしたがっただけともいえる(ただし弾圧後のデモでは「ANTI POLICE ACADEMY」と称した反警察・反弾圧プロパガンダなどで状況への警告をくりかえした)。それでもそののりこえにあげつらうべき暴力はない。機動隊が不当に押し込んでくることに対して押しかえす、それのなにが暴力か。いや状況によっては暴力になりうるが、その力の発動をおれは全然恥じない。そもそも「対決」してなにがわるいの? 踏みにじられっぱなしでさらにだまってしたがえってのは我慢ならん。
 その3年後に弾圧をくらった2006年の「自由と生存のメーデー」はどうだったかといえば、こういうと組織者には怒られそうだけど、映像を見る限り03年よりあきらかにテンションが低い。一車線内でボチボチやってる。それでも警察は弾圧した。おとなしくやってるデモを公安条例じゃひっかけるのが難しいから「道交法違反」で、だ。切符きるんじゃなくて(運転手は切符きられただけで逮捕をまぬがれた)、誰何(すいか)もしてないくせに「逃亡のおそれがあった」などと事後的にでっちあけつつ道交法違反でDJを逮捕した。トラックの荷台はぐるりと機動隊に囲まれていて逃げ場もないのに、公安警察が逮捕したんだよ。逮捕時の異様さは、記録された写真動画によって事後的にでも確認できらあな。しかも弾圧を主導した公安警察のやり口が無茶すぎて、維持するのが困難だったのか勾留の請求さえされずにこのDJは検事釈放となった。あるいはとられそうになった仲間を助けようとして一人が公務執行妨害で逮捕され、また公安が風船を盗み取ったのを取り返そうとしてさらにもう一人が公務執行妨害で逮捕された。この二人には勾留が請求され認容された。「現行犯」なのにガサが強行された。勾留を認容したりガサの令状にハンコをつくのは裁判官だ。つまり地裁も弾圧の協力者だ。それで逮捕者はみんな不起訴処分だ。つまり弾圧の実態はぜんぶ公務員による職権濫用だ。これのどこが「警察対決デモ」なのか。「対決」のなかみを具体的にいってほしいところだが、いえやしないだろう。憶測にもとづくデマでしかないのだから。

おれは所用で2006年のメーデーには参加していない。だけど仲間がやられたってんで、そのやり返しの秋葉原でのサウンドデモには申請ふくめて準備段階からくわわった。その申請をめぐる攻防のなにいて、警察‐公安委員会が結託する体制のもとで行動を組織するのがつくづくイヤんなった。お話にならないくらい、警察はウソと恫喝でことをすすめようとするからだ。それでも場は必要だ。場はそれじたいで交流の機会をうみだす。そしてその交流こそが、たえざる反省と新たな試みをうみだす原基として機能する。だからこそ08年まではメーデーやら反戦デモやらの「現場」にはりついていた。東京新宿のデモコースでの自粛慣行をくつがえして大ガード通過や駅前解散をかちとったのだって、チマチマチマチマチマチマチマ…としたデモ申請をめぐる警視庁とのやりあいと「現場」での攻防があってこそ実現したものだ。じつに涙ぐましい。こんなんで「対決」とかいわれても、はぁ?ってな実感しかない。少しでも「自由」にしようという苦し紛れが現れているだけだ。気持ちや姿勢としては「警察にはしたがわんぞ!」ではあり、参加者個々の行為もいろいろあるけれど、総体としては「なんとかやりぬく」というギリギリの線でしか届け出のデモは存立しえない状況がある。
 それにもはや、規制線を突破した先になにかがあるかのように夢見られる社会状況じゃない。「突破した先はアスファルト」という笑い話が「現場」にはあるけれど、ほんとうにそう。デモが邪魔ものあつかいされ、迷惑視され、野次馬が行動をつきうごかしたなんてそれいつの話?ってな状況のなかにあっては、いつも警察に包囲されて萎縮し、あるいは傍観者がたばになって補強する規制線を横目で睨みつけながら、それでもなんとか粘ってるしかない。そうだよ。はしゃいでんじゃねえよ。出発地があって解散地も決められているデモは、機能的にも最初から「対決」なんかじゃねえんだよ。
 むしろ警察と直にやりあうような局面って、定点での抗議行動こそそうだろ。排除と抵抗でせめぎ合いになる必然がそこにはある。そこでどう頑張るかで現象はことなったかたちを見せるのだけれど。

まだいうぞ。「陳腐化即乖離」とでもいいだけな情勢認識も間違っている。2003年でいきなりピークを迎えた東京の「サウンドデモ」は、それ以後テンションはたしかに下がった。だけれど手段が陳腐化すればテンションが長期低落するばかりかといえば、そうでもない。03年以後のサウンドデモのテンションは下がったが、下がりっぱなしではなかった。弾圧をしかけられた「自由と生存のメーデー」はそれで消えたりはせず、逆に年々拡大した。もちろんそれはメーデーに結集する人々の不屈の態度による。テンションは上がって下がってまた上がった。なぜか? 簡単なことだ。人がやるものだからだ。人の行為はそれだけで自立・自足するのは困難で、いつでも外部との関係において結果が左右されてしまう。いいかえれば、社会運動における各種の行動がもたらす勢いというものは、単に主体の条件だけによらず、それをとりまく社会状況によるということだ。「自由と生存のメーデー」が弾圧後もつぶれずにむしろ拡大して、沈滞しかかっていた「サウンドデモ」のひりつくような士気をふたたび獲得したのは、この外的条件によるところが大きいとおれは思っている。
 行動のスローガンとして「非正規」を問題化しようとはだれもなにもいわない2004年の段階で、「新宿フリーターメーデー」(フリーター労組準備会呼びかけ)として新宿で産声をあげたそのデモは、50人にも満たないような小さな行動だった。その行動は翌年に「自由と生存のメーデー」へと継承された。そして06年に弾圧とやり返し(プレカリアートの自称はこの年から)。弾圧のあとさきにも参加者はふえつづけていた。フリーターメーデー時代には台車にミニマムなサウンドシステムを積んで転がすという形態だったものが、トラックを使用する「サウンドデモ」となった。前述したようにそれは03年の熱狂にはおよぶものではなかったが、メーデーがしつこく労働と生存と戦争の問題を提起していくなかで、街頭をねりあるく様相は徐々にではあれたしかに変わったのだ。年々、参加者のテンションは上がっていくように見えたが、それは反戦運動の参加者とはことなる人々が数多く合流したことによっていたはずだった。生存/労働問題を提起しつづけた人々が、「非正規雇用」が社会問題としてひろく認知されていく外的状況におしあげられたかっこうとなっていた。こうした外部の条件の変化と、組織の外にある人間の参加こそ歓迎するという同メーデーの内的条件が、新宿駅周辺をとおさないとしてきた警視庁・新宿署の不当な規制慣行を事実としてうちやぶる勢いを形成したのである。その勢いは、従来の組織・党派ごとの結集という枠組みをのりこえる下地がつくられつつあったことにも現れていただろう。名も知れぬノンセクトが主導する行動に、新左翼のみならず既成左翼たる社共系の若干の人々が合流するということさえ近年まれにみる椿事だった。これは労働運動の一部で胎動しつつあった枠ののりこえという情勢に対応していた。しかし重要なのは、同伴者はそういう「左翼」とされるものばかりじゃなくて、日雇・野宿労働者、女性を軸とする労組、障害者、福祉受給者、「引きこもり」などの差別される蹶起者が合流していたことだ。既存の党派とはなんの関係ももたない圧倒的な人々が合流していたということ抜きに「自由と生存のメーデー」は語れない。
 「現場との乖離」? ばかをいうんじゃない。「自由と生存のメーデー」のよびかけ主体で、かつ主催を構成する一団体であるフリーター全般労組が「誰でも一人でも加入できる」地域合同労組として日夜格闘していなければ、こうした諸個人と組織それぞれの「現場」の交錯という状況をかちとることは困難だったはずだ。フリーター労組があくまで孤立するサークルにとどまっていたなら、同メーデーもまた誰にもしられない「現場」しか獲得できなかったに違いない。だが現実は逆だ。
 ところで、07年に東京新宿の大ガードの通過、つづく08年の東京新宿での駅前解散という事態は、なさけないことに何十年かぶりのことだった。もちろんその行動の内実はつねに問われなければならないが、警察の不当なしめつけに屈してきた自粛慣行を突破した画期は記録されてよい。これは孤立した小さな行動のままでは実現も困難な攻防だっただろう。参加者がふえつづける趨勢のなかで、主催者側も意を決して申請段階での攻防に力をいれなおしたということがあるからだ。デモの「不許可」という事態さえ主催者には覚悟されていた。しかし参加者のあとおしがなければそうした冒険もない。そういう意味では、「自由と生存のメーデー」の「サウンドデモ」は参加者の熱気とともにあった。同メーデーに限定していうなら、その数年の歩みは「社会各層/現場との乖離問題」とは無縁だ。「社会各層との乖離」をあくまで主張するなら、それは、「自由と生存のメーデー」に集う、どこにも属さない孤立した諸個人の一切を無視するどしがたい差別となる。孤立した無名無告の人々を社会運動の主体として無自覚にみとめない態度こそ、克服されるべき「現場との乖離」ではないのか。
 では現在はどうか。わたしは08年以後「現場」の組織化から撤退しているので、これは伝聞になることを断っておく。それでも、09年には参加者はやや減ったもののその高い士気はいまだに持続しているときいている。たとえ03年のような熱狂はもはやないとしても、粘りつづける人々の意気はなお軒昂だということだ。しかも06年以来、デモは無事に貫徹されつづけている。「対決」? そりゃ申請時やデモという「現場」のあちこちで対峙する局面はあるはずだ。そうだとしても、行動総体としては警察がしかける挑発をはねのけて無事におこなわれてきたという意味をきちんとふまえるべきだろう。「対決」を外在的に渇望するのはいったいだれなのか。

蛇足ながら「サウンドデモ」のテンションといえば、東京では同時代に並行している「素人の乱」提起のものやマリファナマーチなどがあることを人は知る。「素人の乱」によるデモが独自の緊張と興奮を維持していることはいうまでもないだろう。しかも「メーデー」を契機とする他者の交錯がここにもあるのだ(その意味で今年の阿佐ヶ谷メーデーもまた記憶されるべきだろう)。いまだはっきりとした姿を見せるにはいたっていないが、伏流水は底でつながっている。
 手段としての種子がばらまかれてはや数年。行動に内在する意味の変化をどうとらえるにせよ、かつての「路上解放」が手段に転化したいまでも、「サウンドデモ」のポテンシャルはまだなくならずにあるように思える。

というようなくだくだしい話は「現場」で泥水かぶってなきゃ感覚的には分からんのだろうとは思うが、それにしても思い込みのデマはたいがいにしてください。

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noiz

Author:noiz
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