スポンサーサイト

--
-----
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

しつこくサーバ漂流記

2009
12-09
基本的にナマケモノのおれにしてみりゃ当然っちゃ当然の結果なんですが、やるべきことがつみかさなって下のほうが固まりかけたヘドロみたいになりつつあります。あしつっこんで、うっ。そのままじっとする(笑)。それじゃ意味ねーじゃんという状況なわけです。なんのこっちゃ。
 ともあれ、そーいう自堕落がまねく底なし沼の底のほうで、某ボランタリなたのまれごとにようやく手をつけたところです。某サーバをいれかえたのがきっかけになってて、計算機が物理的にイカレルというのもその意味ではわるくはない。はい、負け惜しみです。いまだに BIND の設定がおかしいんですご同輩。allow-update の罠にはまって無駄な時間いっぱいついやしました。もうしらん、見た目へんじゃないからとーぶん放置。さらに、どーして ntpd たてたのに nict.jp と同期できないんだろかと悩んでたらルータに穴あけてねーし……苦笑
 で、携帯端末からちょっとした文章書いたり写真とかウプできないか、ってのがたのまれごとのおもな要望だったりするんですが、おれいま携帯電話もってなくてテストできないというテイタラクなんですよねー。うひゃひゃ。
 緊急連絡というクリティカルなイベントからテメーを遮断する環境になれるととても気楽なんですが(ぉぃ)、貧乏人のネットへのアクセス手段はじつは携帯電話が主流なのだっつー現実はわかってますよ(貧乏パンクスも「パソコン」なんかもってねーというのが多数派で携帯で情報収集してます)。だからもちろん、携帯で閲覧できて、さらに携帯でも更新できるってのが、駈け入り寺的な運動体ウェブサイトの日本的要件なんだろなとおもいます。
 つーわけで長らくほったらかしにしすぎていまさら土下座のしようもないなか、ちまちまと環境構築に向かいはじめたわけなのでした。世間によくある「フリー(ロハ=只=無料)」なウェブログのサービスだのを利用するってことは、せちがらいマーケティング情報のいち因子となることとあくまでトレードオフなんで(心ある「アクティヴィスト」はそのことを恥じるべきというかおれが恥ずかしい)、まあ自前でやるのがフリーソフトウェア礼賛派としてはとーぜんだろということもあるんですが。

はっきりいって、日本の社会運動は「自由」としての「フリー」な成分がアットー的にかけてます。「プロプライエタリ(独占的、私有的)」な「製品(商品)」に依存しすぎでどーにもならない。よくよく考えてみると、こーいうところにも「運動」に参加するひとびとの「常識」に反映される構造的欠陥がみえかくれしてません? 批判する対象にドップリつかってあしをとられて転んでることにすら気がつかないという。気がついてても気がつかないフリをしなきゃならん状況にいるという。まさに資本主義的身体性という失陥。貧しいおれのカラダもきみのカラダも100円ショップやスウェットショップでできているんじゃないのかという疑念。というか事実。「エコ」は金持ちの私有物。コモンズとかえらそーにぶちあげたテキストもぜんぶプロプライエタリなつくりになってたり私有的独占的排他的オレノ・アタシノが陰に陽に主張されていたりして、理論家どもももういっぺん死んだらいいのに。なーにが反資本主義だってなもんで大東亜共栄圏(東アジア共同体)と裏表の一心同体でしかないカラダひきずってどうするつもりなんでしょう。おれ自身が情宣素材つくったりするのに Adobe 奴隷のままでとんだ恥知らず。
 さて、だから、F労/P団そのたの情報インフラの整備・保守運営をいってにひきうけてる某同志(バレバレな気もするけど公然情報ではないようなのでいちおう伏せます)はスゲエ、と、ひそかにおもいつづけてきたことをここであえていってみる。一枚のビラの背後に人間がいます。ひとつの行動の背後に、そのみえないところにも人間がいます。呼びかけや報告や声明の背後にも、行動を伝える写真や動画の背後にも人間がいます。それらの活動を効果的に支援するはずのウェブやメールにはバックエンドのシステムがあり、さらにその背後にもやはり人間がいるのです。そしてその人間たちは「ひとりはみんなのために」としてそこにいる。それでもその成果を独占的な自己販促の道具としてこれみよがしに見せつけるのではなく、共有物として提供するというのがとくにすごいんだってことの意味がわかりますか。わからないヒト=資本主義者は一刻もはやく滅ぶのが持続可能な世界への貢献です。
 もちろんテキスト書いたり呼びかけたりビラ刷ったりまいたり叫んだり非道な経営者おいつめたりパクられてもなお闘ったり、とーぜんながらそういうのがなににもましてエライのですが、ディジタルな「ムスケル」仕事だっておなじくらい貴重だということです。脳みそだって文脈によっては筋肉にもなります。おかげで「運動だって速くなった」でしょ。え、社会運動に速度はいらない? そうかもしれない。でも貧乏人は、敵に対抗する過渡にあっては、どこかで共有できる効率をつくりださなきゃならない。しかも貧しいだけに手づくりで。それこそが「無産者の生産」。
 まるでテメーがふんぞりかえるためにいってるみたいですが、とんでもない。たとえば某同志は「界隈」でははるかかなたからやってきた虚空蔵菩薩のようです。菩薩様はかぎりない慈愛と智慧をもってバリバリコードかくひと、こちとら愚痴ばかりたれながらチマチマ設定ファイルいじるだけの底なし沼の底のカッパ、あるいは聖未満の唱聞師(しょもじ、めでたい・まんざいと囃し立てて駄賃をもらう門付芸人)。そもそもくらべてどうするという話ですが、くらべようもありません。や、もちろん、カッパや唱聞師だから悪いつうことではぜんぜんなくて、おれがタコなだけです。
 じゃなにがいいたいんだといえば、できなくても菩薩様同志くらい精進せねばというわけです。だっていつまでたってもワナビーなタコのままだと、なにやるにしてももう時間かかってしょうがない…… 菩薩様とかいいながら自分すくわれろの利己的な動機じゃねーか(笑)。でも時間かけないとけっきょく精進にならないんですよね。釈迦も菩薩もほんとうはただの人間です。

それにしてもフリーソフトウェア運動があってつくづくよかったとおもいます。イマドキはFLOSSだの、あるいはある環境をさしてLAMPだのとかいろいろいうわけですが、いくらおれみたいなんが貧乏ですと僭称するにしても、「問題とするのは権利としての自由であって、価格ではありません」(GNU)という力強いことばにゃ心おどるじゃありませんか。われわれの反富裕・反独占(社会主義協会のいう反独占とはちょっとちがって、ここではむしろ個々人の排他的所有=私有に反対ってこと)の社会運動でも、「問題とするのは、ユーザがソフトウェアを実行、コピー、配布、研究、変更、改良する自由です」ということでなけりゃ、ね。ユーザってのはもちろんテメーのことであり、同時になかまのことです。

さ、屁理屈ばかりこねてないで実作業の手をうごかしましょう……

Trackback

Comment

Post a comment

Secret


:D

noiz

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。