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かあちゃんのアンペイドワークから〈われわれ〉の底辺へ

2010
03-24
アンペイドワーク、シャドウワーク、無償労働。なぜ、とうちゃんじゃなくてかあちゃんが担わなきゃならんのか。答え:おんなにゃろくな仕事がないから、か?

さて、わたしなんか百戦錬磨でもなんでもありませんので(恥ずかしいからやめてください…)というのはさておき、前の記事はちょっとイケズすぎたかもしれません。ねごろさんの記事のタイトルに過敏に反応して、シャドウワークという重い課題についてほとんどスルーするという。反省。
 ねごろさんのばあさまの話をきくと、やっぱり未組織が圧倒的なんだよなあと思わされます。そして母上は専業主婦=シャドウワーカーとのこと、うちのかあちゃんと一緒です。ただうちの場合は家事と宗教活動というふたつの無償労働にいそしんでおり、前者としては同じく未組織なんですけど、後者としては同志とともに歩んでいるわけです。信者のコミュニティに属しているぶん、きっと精神的に救われているんだと思います(何様だよという口ぶりですが)。それでも「社会」からは「見えない人」という点では同様かと思います。しんどい労働に対して、まったく無償の奉仕として従事している。親父がリタイアしてからは無償労働はいくらか軽減されているようですが。
 「夫」(「父」)の賃労働/「妻」(「母」)の無償労働という労働の核家族的結合がなぜ成立するのかといえば、性別役割分業が是とされる風土もそうですが、戦後日本の平均的(支配的)な賃金体系に規定されている側面もあるかと思います。いわゆる電産型賃金というあれです。とおちゃんの賃金は家族を養う水準に(基本給はおさえて「手当」をそれなりに)、というあれ… この意味では戦後日本の労働運動はすべてではないにせよ、やはり圧倒的に「男≒夫≒父」のものとしてあったのだといわねばならないと思います。
 しかし家族を養えるだけの賃金なんて、ほんとに平均的なものとしてあったのか? 「妻」の家事労働は「夫」の労賃に抱き合わせにされるほど「安い」ものだったのか? いや逆にいえば、日本資本主義は女の労働を下位のものと力づくにでも位置づけて買いたたかなければ成立しなかったのでしょう。そう考えれば、資本主義って、歴史を終わらせるほどたいしたもんじゃないですよね? そもそも底辺を動員しながら、かつ周縁においやることなくして成立しないそんな社会‐経済体制のなにが「自由」なのか。資本主義は持てる者にとっての自由しか保障しない。資本主義、ぜんぜんダメじゃないかと思います。

話を戻します。ねごろさんのおばあさんにとって「組合は共産党の人がやっていることだった」というのは、ひとつのとても重い現実です。活動家と労働者のあいだに距離がある。なぜなんでしょう。しょせんその組合は代行主義だったから? 有給専従(オルグ)がすべてをまとめてしまっていたから? そうなのかもしれません。だとすれば、ねごろさんの怨念ともいうべき「全ての当事者が自分が主役でなければ運動は全部嘘だといいきかせながら──」の決意は、代行主義を突破する契機ではないかと思うのです。わたしには、もはやこれ以上いうべき言葉がありません。

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