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資本制の子

2010
03-25
朝っぱらからしつこいなわたしも。

自分がいま生きている社会体制の根幹をなす資本制についてはよく考えるのですが、はっきりいってよくできたシステムだと思います。わたしは進歩史観・発展史観・決定論的唯物史観はとらないのですが、資本制は「みんなをよりよくくわせようとする」という幻想をふりまくうえでどんな体制よりもヨリマシであると思っています。この幻想が一国主義的な「自由」の余地のうえに成立するものである以上、資本制に規定される社会と人々の意識は前体制におけるものよりもはるかに狡猾だともいえるでしょう。しかもその「自由」は当然のことながら他者をふんづけて成り立つものであったりする!
 資本制的な「自由」のもとにおいても、特定の人間の周縁化と排除・差別はなくならない。それにこれは内部の話にすぎず、外部ではてしのない収奪と殺戮がくりひろげられる。内部はその外部に依拠して成立する。しかもそうしたありようはソフィスティケートされつづけて、収奪と殺戮であることさえ認識されにくくなっているかのようです。かりに日本で「みながくえる」ようになったのだとしても、それは(従属的か自立的かのとらえかたの別はともかくとして)現代的な「帝国主義」としての恩恵によるものすぎず、そのことにのみタテコモッテ考えるのだとしても、それはインターナショナリズムの理想をなげすてた「一国主義の中の蛙」の思考にすぎません。日本資本主義の戦後における復活はどのようになしとげられたのか? 「天佑」などといわれた朝鮮戦争であしがかりをえたのではなかったのか? 人の屍のうえに築かれた経済的な復活ではなかったのか? その復活のなかでおんな・こどもはより従属的な位置におしやられて「囲われる」ことで「自由世界」の恩恵のかげにおしこめられたのではなかったか? そのほうが資本制のもとの利潤追求の自転運動にとって「コスト低減」になる、という開き直り。いったいなにが「自由と民主主義」であったのでしょう。
 利益は「グローバル」にもたらされ、その恩恵にあずかっているのにもかかわらず、人は自分の帰属する体制がそれのみで自足するものと勘違いしがちです。こうした内閉する自己意識を反映したかのような資本主義(資本制)認識はけっきょく、「てめえさえよければかまわない」という生存のためのアパシー(無関心)のなせるわざでしょう。かくいうわたし自身ももちろん生活のための労働にくたばって、資本制についてよく考えるといいながら、ほんとうはふだんはあまりものを考えられないようになっているわけなのであります。

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グッドイヴニング!
私は通りすがりのコミュニスタです。見た目はフランシスコザビエルみたいですが発音は北九州市です。そして私は観念的にしか考えられない悪い癖のある人種に属します。
なのでご無礼な内容があるかもしれませんがその際には突っ込みよろしくです。

noizさん。
事実判断として富がどのような形態(貨幣、商品、生産手段)であれ、それが必要である以上搾取はなくならず労働力と商品の不等価交換はなくなりません。
これ多分公理だと思います。
相互扶助だろうと自主管理だろうと計画経済だろうとです。
なので労働力と商品の不等価交換は永遠に不滅です。
多分議論はここからスタートするしかないと思うんです。
多分大切なことは「どれだけ痛みを少なくするか」とか「どれだけ負担を一部に集中させないシステムを作るのか」ということなんだと思うんです。そのうえでそれを「どうやって合意していくか」ということだと思うんです。
そのためになすべき理論的な課題はたくさんあると思うのですが、基本的な戦略の問題だと思うんです。
私はその基本的な戦略を承認した上でどのような方法を取るのかは各人の自由であると考えますし、その方法が多様であればあるほど合意の内容は重層的で豊かになると思います。あくまでもすべての搾取に「否!」を突きつける勢力が存在していてももちろん良いと思います。
事実判断に対する価値判断は個々人の自由の領域に属すると思うので。
ただ私が問題にしたいのは、それを隠蔽する勢力が絶えずそれを強化しているという事実です。ブルジョアであれマルキストであれアナーキストであれ、事実を事実として認めないということは結果として事実を歪めることに加担するのだと思います。
もちろん目下の最大の問題は労働力が富の源泉であることを承認せず、またそれが不等価交換であるということを承認しない勢力です。
搾取と不等価交換の事実判断がなしえないと良識と良心によるジャッジメントが支配的になると思います。
歴史認識において、とくに帝国主義支配の根本問題は、そもそも不等価交換を基礎とする経済体制としての資本主義が、その不等価交換さえも捨ててただひたすら「略奪」を基礎とする政治体制に変質している点に求められると思います。
もっとも略奪と不等価交換は資本主義においては仲良し兄弟で、これに専制という熱病が加わるとファシズム三兄弟の誕生になりますが、二人だけでも人民には十分すぎるほどです。
話がめちゃくちゃですが私が言いたいことは、たしかに事実規定として帝国主義の恩恵はありますが、そうだとしても搾取構造はどの社会においてもなくならないのですから、その形態(誰の誰に対するどのような搾取なのか?)を変革することの方が大切だと思うのです。そして意外と市場経済はそのへんダイナミックだと思います。非搾取者が明日の搾取者ということもままありますから。そのようなダイナミックさをもある意味で取り込んで運動をしていく方がご自身のお体と心に宜しいかと、おそらくnoizさまよりか弱い私は僭越ながら思う次第でございます。
長文失礼致しました。
  • 2010-03-25│20:54 |
  • とおりすがりのコミュニスタ URL│
  • [edit]
ヘタレからコミュニスタさんへ
くたばってるだのなんだのと書いたりするせいか、お気遣いいただき恐縮であります。実際のところ、からだはまだガタついておりませんのでお情け無用です。心はいつもアサッテの方向だったりするので、こちらも同様。
で、せっかく応答していただいた内容についてはまた改めて。まじめに返答しようとするとちょっと時間が必要になりそうなので。
でも、なんか学生時代にサークルのみんなで「学習」していた内容を思い出したりしてます。
  • 2010-03-26│00:15 |
  • noiz URL│
  • [edit]

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