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なにをいまさらアフィニティ・グループ

2010
04-18
また「だれそれが最初にいった」話に遭遇。
「Up Against the Wall Motherfuckers (UAW/MF)」って?(ざっと箇条書き):
(中略)
・「アフィニティー・グループ」という用語は、かれらがはじめて使用した。
(中略)

Motherfuckers!
えー、これはIRAのナリタさんが『Motherfuckers!』という本を紹介しているテキストのなかにある記述なんですが、たぶん en.wikipedia の UAW/MF の項目からの抜粋でしょう。でも、アナキストの組織形態としていう親和グループ(アフィニティ・グループ)という概念や言葉は19世紀からあるんですよね。
 言葉をリヴァイヴァルさせたのが UAW/MF だったということなのかもしれませんが、「だれそれがはじめて」という(手柄顔の)名乗り・名指しってなんかね。誰が最初にいったからえらい(だから特記する)とか、そんなことじゃないと思ってしまいます。社会運動にまつわる「発明」だの「起源」探しだの、ヘタしたら運動をなるべく共有物にしようとする態度への敵対行為になっちゃうから。そんなの誰だって望んでないはずです……「運動」にかかわってるふりしてセールスポイントを稼ぎたいアカデミシャンを除けば。

で、そのアフィニティ・グループについての en.wikipedia の項目をみていくと、これ、マレイ・ブクチンの議論の引き写し。だから親和グループはスペインのアナキスト運動の……というアレがそのままになってる(笑)。こういうの参照して鵜呑みにする人でてきたら、それこそ不幸というもの。
 ブクチンはスペイン革命を参照する過程で、親和グループというアナキストの結集形態にいきついたのだと思うけれど、それはスペインに限定されるような局地的な実践じゃありません。19世紀のヨーロッパにおいて、アナキストの運動にひろく見られたものです。てゆーか単に行動的なアナキスト組織の代名詞として、親和グループ(つまり同志集団)といっていただけのことです。ブクチンにしたって、たんに「ここがはじめて!(すごいでしょ)」の紹介としてスペイン・アナキストのグルーポ・デ・アフィニダ(grupo de afinidad)に言及したんじゃなくて、インター以来のスペインにおけるアナキスト運動の展開の過程を説明するために取り上げたんだと思います。勇み足で、現代的な「フラット」な運動の組織実践の源流と位置付けようとしたところがあるにしても。
 親和グループという形態素について考えるとき、まず第一インターに結集したアナキストのグループから検討する必要があると思います(インター以前からともいえるけど)。たとえば、第一インターのなかにはバクーニン派としてジュラ連合が存在していましたが、この連合内部の諸グループなんかはまさにそうだったと捉えるべきでしょう。あるいは、パリ・コミューンに結集した戦闘団としてのいくつかのグループもまさしく親和グループとして存在していたはずです(アナキスト、ブランキストのグループの別をとわず)。少なくとも、パリ・コミューン以後のヨーロッパで「行為による宣伝」(いわゆる「テロル」)時代に動いていた行動者グループくらいは親和グループの典型としておさえてしかるべき。
 だからこそ19世紀末から20世紀初頭にかけて台頭したフランス・サンディカリスムのなかで、アナキストは尖鋭的な結社の運動に窒息するのか、大衆運動としての労働運動にくわわるのかという議論が闘わされた経過があり、アナキストの結集形態としてのグルーペ・ダフィニテ(groupe d’affinité)の失効などがいわれたのです(もともと行動者集団にいてサンディカリストに転身したエミール・プージェの提起など:フランス語読める人は Quand des étudiants "inventaient" le syndicalisme révolutionnaire あたりを眺めるといいかも)。
 ようするに、昨今の局地的な北米発の親和グループ言説と、日本における現代思想的ジャーナル上のその紹介は、過去の議論のなかでさんざん叩かれてきた亡霊を不完全にあるいは恣意的に復活させたものにすぎないともいえるわけです。もちろんサンディカリスムにはサンディカの罠があるわけですから、「ものとり組織」批判として対置されるべきところの親和グループ議論であるなら、それこそいにしえの議論に再接続する有効な論争になるかもしれませんが、そうなってはいません。むしろ過去を切断する「新しいなにか」と位置付ける向きの方が多く散見されます(ただしこれは北米の「新しいアナキスト」と日本におけるそのエピゴーネン界隈でのことであり、ヨーロッパなど他地域の諸運動における言説状況を追跡したものではないことに注意)。
 てゆーか、日本に紹介するならするで、なんで戦前の純正アナキスト(全国自連、黒連)とサンディカリスト(日本自協)の対立についてふれて「温故知新」をはかろうとしないのでしょうか。日本で親和グループっていったら黒色青年連盟に参集した個々のグループがまさにそう。もっとさかのぼれば、ある時期の平民社だってそうでしょう。労働者たちと膝をつきあわせて談合した大杉や山川-寒村らの初期のサークルも。こんなの、ちょっと考えりゃ分かること。まあ鳴り物入りで紹介するには、過去にいわれてきたこと、実践されてきたことの焼き直しなんだなんて注釈したくないのかもしれませんが。

ともあれ、いま喧伝されている(とくに北米での)親和グループ議論は、往年の議論とは自らを切断したままの「思いつき」レヴェルのものです。歴史はぐるぐるまわる回廊のようになっているのに、そんなことにも気付かないテイタラクはいったいなんなんでしょうか。あるいはそのふりをしているだけなんでしょうか。海外における親和グループか利益グループ(サンディカ)かという理念的な議論の日本への紹介は1972年にも行われていますが(田中正人「アナルシスムと革命的サンディカリスム」『季刊 社会思想』第2巻第2号、1972年7月)、こういう「古い」議論にあらためて当たらなきゃならないなんて徒労もいいところです。でも一部の「新しいアナキズム」言説こそが、そういう徒労の舞台をセッティングしてるんですよね。なんのためにかって、ようするにメシのタネなわけでしょ。笑止。
 わたしのようなボンクラには学術的なサーヴェイなんてする必要は必ずしもないけれど、先人の議論の焼き直し、あるいは車輪の再発明にすぎないのに、まるでそう発言すればなんらかの地歩が占められるかのように「親和グループというのはね……」と語りだす「小文字のアナキスト」たちの厚顔さには、やはり一々「場所取りゲームなんかやってんじゃねえよ!」といってやる必要があると思います。だって学者だとか有名人の話を鵜呑みにする不幸な人々がいるんだもの。そういう奴隷根性は、いうまでもなくアナキズムからかけはなれた心性です。なんでも疑ってかかるのでなくては。(この記事だって疑って当然)

そもそも、いまこの状況で、親和グループがどうしたとかゴタクを並べていられる余地があるのかと考えると、とてもそうは思えません。意味の収奪や机上の理念いじりばかりで、「現場」で「責任」をひきうけようとする「主義者」的な主体がほとんどどこにもねえってのによー。

「大文字のアナキスト」(ってなんだよ! グレーヴァーこのやろう!)と侮蔑される「古い」タイプの人間からの、苦言でした。ちょっと愛情が足りなかったかな。

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