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ただ歩くということ

2008
10-28
さて、リアリティツアーが政治性を持つことは分かりきったことだと思う。しかし人は十人十色、こういう見方もある。
当の「被害者側」が一生懸命『これは政治行動じゃないんですよ~。ただの“見学ツアー”ですよ~。遠足みたいなもんですよ~。』と自らの政治性を否定するかのような主張をしているところ。
もう馬鹿かと。

想像力はベッドルームと路上から「『ただ歩いてただけで逮捕』なわけないじゃん。」

馬鹿は誰か。

それはさておき、主催者関係の「ただ歩いていた」との言表は、東京都公安条例の治安弾圧法規としての優れて予防拘束的な性質を暴露するもので、寄り歩きの政治性を否定するものではない。

事後対応の一時的集合とはいえ、行動主催の一部とみなしうる「麻生でてこい!!リアリティツアー救援会」の主張を見てみよう。(ただし「救援」活動は、行動には参加していなかった被逮捕者の近しい人々の協力のもとに行われることが多いため、行動主体と「救援」主体がまったく同じであるとは限らない)
誰もが歩くことができる行動を、渋谷駅頭から麻生邸の前まで歩きながら、その土地だけで62億ともいわれる豪邸をくっきり目に焼き付けて帰る。
「リアリティ・ツアー」とは、ただそれだけの「ツアー」でした。

麻生でてこい!!リアリティツアー救援会プログ「ブログ開設しました」

「ただそれだけ」が指示するものは(麻生首相の)「豪邸をくっきり目に焼き付けて帰る」である。それが政治的行動であるか否かは、読むものの判断に委ねられる。

そもそも同ツアーの呼びかけを見れば、その行動が持つ政治性は明白だ。「ただ歩くこと」は、それを否定しない。「ただ歩くこと」はまた、「歩くこと」がデモ(集団示威行進)でありうること自体を否定しない。それはただ、「デモには許可がいる」「デモは警察の思う通りに規制されるべきである」という警察の「公正中立」さを信じて疑わない権威主義的な精神への異議を表す。それは「政治的なるもの」の異化を拒否しようとする態度でもある。

デモ──集団示威行進という「ただ歩くこと」は、その時代・状況に応じて警備公安警察に様々に取り締まられてきた。かつて「無届け」でデモが行われえた時代があったことを知るとき、人は「ただ歩くこと」がどのように不当に規制されてきたのかの歴史的経過をも理解することになる。

しかも集団で「ただ歩くこと」が、あるものは「祭り」として受け止められ、またあるものは「政治的な示威行進」として別コースを歩かされ、さらにはまたそうした分化のコースにのせられずに「歩くこと」のまま放置される(1)という複数の現実は、「歩くこと」の「取り扱い」を違える警察の政(まつりごと)の性質を端的に示している。

弾圧をしかけられた人々がいう「ただ歩くこと」は、警察の勝手し放題への怒りにもとづくものとも受け止められよう。というのも、このツアーを主催をする人々(2)は「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」をはじめ、「自由と生存のメーデー」、あるいはその他の様々な行動に際して、常に警察によってがんじがらめにされてきたからである。しかし「政治的、即がんじがらめ」というのも実は近視眼的な見方だ。多様にある「政治的」デモの色々をよく見てみれば、警備公安警察の動員が少なく規制がスカスカになっているものもあんのね、ということくらい誰にでも分かる。

問題は、「こいつらはダメだ」と決めつける警察の勝手な「読み」にある。

「サウンドデモ」への警察の規制対応の変化を見てもそのことは明らかだ。たとえば2000年代前半の東京では、主催者から「デモの届け」(いわゆる「デモ申請」)が出されていれば、警視庁は「サウンドデモ」の敢行を現場で受け入れていた(3)(4)。しかし2006年になると警視庁(の公安部)は急にその態度を変え、「サウンドデモ」によく見られた「トラックの荷台にDJが乗車する」様態を違法化した。そしてそれは同年の「自由と生存のメーデー06」の弾圧に行き着いた(5)。法制度の運用変更の手管は、新たに道交法第55条にひっかけるというものだった。それが原因で、東京の荷台乗車式「サウンドデモ」のほとんどが「荷物押さえという目的」外の荷台乗車を可能とするために、道交法第56条および同法施行規則第8条に依拠して「荷台乗車申請」を行う煩雑さにとらわれることになった(ただし06年メーデー弾圧の直後に行われたある大きなデモでは、トラック荷台へのDJ乗車という同様の隊列が無事にデモを終えた事実があり、警察の「勝手し放題」は当初から明らかだった)。

警備公安警察=政治警察による「ただ歩くこと」の規制は、何によってか選別的にしかけられる。そのことの見極めと、自己言及のありようへの解釈のバラバラさ加減にしばし思うことがある秋の夜長。いったい私は何をいいたいのだろう。そうだ──

弾圧粉砕 闘争勝利!

こういってしまえば主催者にしてみれば余計なお世話かもしれない。でも、ただ歩くことが闘いとなることだってあるのです。


(1)この数年の東京でも、「申請」なしで警察が「黙認」した集団示威行進が幾つかあった。イラク爆撃を目前とした2003年3月に行われた、新宿駅頭から米大使館まで集団で歩道を歩いていくパンクスのデモなどが思い起こされる。爆撃が開始された20日以後、同大使館近辺では「政治的人間」が所払いとなった。
(2)もちろん「フェスタ」や「メーデー」の主催はそれぞれ異なる。ただ、その集まりが不変のものではありえないとしても、一定の近しい人々の努力によるものであることには違いがない。
(3)ASC(Against Street Control)の一連のイラク反戦デモなど。ちなみにASCという「主催名」は後付け。サウンドシステムを携行するデモは今やすっかり「サウンドデモ」という呼称に落ち着いているが、ASCは Reclaim the Streets! を意識して「レイヴデモ」としていた。もちろん「サウンドデモ」という呼び方も「好きにして」状態だっからこその定着といえる。このテキトーさ加減が離合集散する非党派的な多様者集合のいいところかも。
(4)公安条例のもとでは、デモ「申請」に対する「許可/不許可」の判断は公安委員会の職掌となる(ただし警察法の規定により、地方自治体レベルの公安委員会の庶務を警察官が担うため、公安委員会の独立監視機関としての性格は保証されない)。この場合、「申請」はあくまで出発地の管轄署を窓口として経由するだけであり、受理するのは公安委員会である。したがって「警察がデモを許可する(不許可にする)」という認識は形式論上は誤り。書類転送の窓口にすぎない警察署で、コースや時間などについて警備課に指図されて唯々諾々としたがえば、それは警察の脱法的な管理手法にのせられていることになる。このカラクリやその対処法につていは「8・5プレカリアート@アキバ」(2006)の「デモ「申請」顛末記」や、「自由と生存のメーデー」の
デモの心得みたいなもの」(2007)、デモへの道」(2008)あたりが参考になるだろう。もちろんこれらの情報資源が絶対的な解だというつもりはない。
(5)メーデー弾圧事件と被弾圧者の支援活動の経過についてはメーデー救援会のウェッブログを参照のこと。

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