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デモ「申請」雑感

2010
05-21
やーデモ「申請」おつかれさまです。園さんが「申請」をめぐることを記録されていますが、少し思ったことを。

園さんが説明されている「申請」とは、都内でのケースですね。公安条例を公布している自治体は多いのですが、都道府県レベルで条例がない場合は市区町村レベルで制定していたりと、全国一律ではありません(公安条例は俗称で、「集会」「集団行進」「集団示威運動」「に関する条例」というような名称がほとんどです)。でもすべての自治体にこの条例がしかれているわけではなく、存在しない自治体もあります。公安条例がない自治体では、道路を使用するため現実としては道交法上の届けが必要になります。(無届けでやるとおそらく道交法でひっかけられるでしょう)

「申請」関係についてまとめると、以下のとおり。

公安条例が存在する自治体の場合
・デモ許可申請書の届け先 条例を制定している自治体レベルの公安委員会(東京の場合は都公安委員会)
・窓口 デモ出発地の管轄署(の警備課)
※申請書を受理するのはあくまで公安委員会であって管轄署・都道府県警察ではないことに注意!

公安条例が存在しない自治体の場合
・道路使用許可申請書の届け先 デモ出発地の管轄署交通課

園さんはデモ「申請」の「行く宛ては交通課」としていますが、条例には担当課の規定はないものの実際にでばってくるのは警備課です。道路を使うんだから交通課じゃないの?と思うのが、自然な感覚かもしれません。警備課が担当として出てくるのは、警察がデモを「治安維持の対象」としてとらえているからです。申請者およびデモ参加者を「警備」するためではなく、「公共の安寧秩序を乱す輩をとりしまる」ために、警備警察が「申請」段階からでてくるわけですね。おまけに背後には公安警察がいる。(警備警察の本質は「警備公安警察」であることに注意しましょう)

デモコースが複数の警察のナワバリ(管轄)にまたがる場合、警備で出動するというたてまえの関係署を調整するのは都道府県警察の警備の本部です。そのため管轄署に届けにいっても本部とのやりとりが発生するとかでややもすると待たされます。ほんとは警察署はすみやかに申請書を公安委員会に届けるべくすぐに受け取って(警察署による受理ではなく「経由」としての預かり)、現場の調整なんぞは勝手にやっとけばいいんです。他署・本部との調整などに申請者がつきあういわれはありません。最初から都道府県警察の警備本部にのりこんであらかじめ調整させるやり方もありますが、申請書はあくまで「開催地を管轄する警察署を経由して」ですから、つくりあげた書類を管轄署にもっていかなきゃならんので、二度手間は回避できません。なんつー不合理な制度と現実。

ところで、「申請」のために管轄署に行ったケースで、ときに警視庁本部から警備課(の警備連絡係)がわざわざ管轄署にまででばってくることがあるのは、警察にとって通したくないデモコースだった場合に、おどしたりすかしたりして申請者を翻意させられないかとがんばりやがるからです。なれないうちはダマされてくれるだろうとか、ビビらせりゃしたがってくれるだろうとか、勝手な胸算用をしてるわけですね。わたしはデモ「申請」それじたいが予防弾圧にほかならないと考えますが、その理由がこれです。もちろん管轄署レベルでも申請者のことをなめきってカマかけてきたりしますから、弾圧者として都道府県警察本部との本質的な違いはありません。

また、(デモ「申請」の「許可」「不許可」を)「誰がどのように決定しているのか全然見えない」と園さんが指摘しているのはまさにそのとおりです。ただぶっちゃけてしまうと、実質的に決めているのは都道府県警察の「警備公安警察の本部」だと思います。公安委員会の庶務を担うのは警察官であると警察法が規定していることもありますが、交通事情など含めて「現場」のことなど公安委員は知ったこっちゃないため、「現場の警官(のエラソーな部分)」が判断しているフシが濃厚なわけです。以前、わたしが東京の新宿警察署で「申請」したときに警視庁からとんできた警備連絡係に対して「結局あんたたちが判断してんだもんな」といってもニヤっと笑って否定しませんでした。つか、このカラクリ、みんな前提として「申請」してきたんですよね。

いずれにしても、警察がその現実の振る舞いによってデモを許可制にしてしまっていることに変わりはありません。昨今、「事業仕分け」がマスコミネタになっていますが、ろくに仕事してない公安委員会も解体したらどうかと思います。警察をとりしまるためにつくられたはずなのに現実にはまったく機能していない。機能していないのに場所をとり、委員が「選任」され、かたちだけ委員会を開いてよしなしごとを委員が「決済」したこととしている。そのために予算がつけられ税金があてられる。制度上も警察が野放しのままデモをとりしまっているかたちにしてしまうほうがよっぽどスッキリしています。いまのねじけた法制度は人々の目をくらます煙幕として機能しているのですから、このように制度も現実の暴虐にあわせることにすれば、日本の統治システムおよびそのテクノロジーがいかに人間の行動を不当にしばりあげているかがよりハッキリすると思うのです。

そもそも条例が道交法の上前をはねるようなありかたそのものがオカシイのですが(道交法のあみをデモにかぶせようとするのもオカシイ──道交法読んだことある人なら分かるはず)、その罠にひっかかったままの状態で公然行動は闘いとられてきました。たたが公然行動されど公然行動、なめんなよ。

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