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生きてやりかえせ

2008
11-04
警視庁渋谷警察署の宇井警備課長が公営暴力団の跳ね上がりで、警視庁渋谷警察署警備課公安係長・伊藤警察官と佐野警察官とが公営暴力団の拷問係であることは、もはや覆いがたい事実である。

違法逮捕(特別公務員職権濫用)と違法な取調べ=精神的拷問(特別公務員暴行凌虐)を傲然と行い、それでも公務員だとふんぞりかえる。警察の公務とは人間を踏みにじることなのか。ならばかれら公営暴力団こそ「構造改革」─解体されるべきである。

わたしは警備公安警察の屑どもを公営ヤクザとは呼ばない。現代社会においてヤクザは蛇蝎のごとく嫌われる存在だが、かれらはまた、この階級社会の矛盾を体現するものとして必然的に生み出されてきた存在だからである。かれらは「反社会的存在」と決めつけられながらも、なおも社会の子としてある。かれらは他者を抑圧し、そして抑圧されるものとして分裂せざるをえない、矛盾する存在である。そうしてただ生まれ落ちた場の違いという偶然によりかかる醜い差別のもとに、スティグマ(負の烙印)を投げつけられてきたのである。この意味において、かれらはわたしたち貧者の本来的な「敵」ではない。

しかしかかる人間社会の分裂状況を利するものがいる。富の分配を制圧する「勝者」が「反社会的存在」を階級矛盾の影の調節弁として利用し、使い捨てているのだ。そうしてわたしたちはともに相争う存在へとごまかされ続け、資本家一族が首相となる国政を受容していく。だが、麻生家はいったいなにをやってその富を築き上げてきたというのか。人を殺して莫大な財をなす。先の大戦を見るまでもなくこの地の閨閥は血塗られている。わたしたちは他者の血の海のなかで窒息する存在にすぎない。

警察はこの矛盾の弥縫を補完し糊塗する国家的暴力装置にほかならず、わたしたち権力を持たない貧しい人間の前に立ちはだかる。かれらもまた矛盾をあらわす存在である。だが凶悪な公営暴力団員には人の子としての最低限の「仁義」すらありはしない。警察はただただ治安維持のための暴力機構の歯車としてのみ存在せざるをえないからだ。これは任侠喪失という現代ヤクザの変質をもってしても均質化できる事柄ではない。だからこの暴力団を公営ヤクザと呼ぶことは私にはできない。

しかし、いったい誰のための治安なのか。

麻生首相をはじめ富める国政政治屋たちの治安と財産が守られても、それはわたしたちに無縁の治安維持である。わたしたちの収奪され搾取され侮蔑される多数の生存はもはや限界のきわみにある。貧者の安楽は最初からなく、無の存在としてその生すら圧殺されようとしている。逆に、その生への意思を声にしてつぶやくだけで治安を乱すものと決めつけられ、連行・監禁され、人の日常からは見えない領域へと葬り去られる。

リアリティツアー弾圧事件=渋谷事件への反撃は、階級政治の本質を暴露するものとして闘われるだろう。首相が誰であれ同じことだったのだ。

わたしはこの闘いを支持する。そうしなければわたしもやがて殺されるだろうからである。

自殺は殺されるということにほかならない。わたしは自分が殺されないためにも「生きなければならない」。「生きさせろ」ではない。誰がなんと辱めようと「生きる」のである。渋谷二号、他の二人の健闘を祈る。そしてともに生きよう。ともに生きるということは、ただそこに、殺されずに生きて在るということだ。だからわたしは三人を奪い返さなければならない。

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Author:noiz
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