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何をなすべきなのか

2008
11-24
おはようございます。世界資本主義はスローガンばかりの道につきすすんでいますね。先週末のAPECのリマ宣言では「とにかく保護主義だけはやめておこう」と絶叫するだけ。
We will stand firm against any protectionist sentiment arising out of this crisis and maintain the process of reform and trade and investment liberalization and facilitation.

しかしインドネシア商業相のメディア向けの発言に見られるように、近いうちに「ある程度の保護分野が出てくるのはやむをえない」というリップサービスも出る始末で、共同宣言は実質的に張り子の虎といってもいいでしょう。WTOラウンドの年内妥結も悲鳴でしかありません。

世界的な株式市場の乱高下と長期低落傾向を見るまでもなく、実体経済への打撃はすでに深刻化しており、世界的大恐慌もいよいよ妄想ではありえなくなってきました。生産のファブレス化が進む北米帝国でかろうじて残されてきた基幹的製造業である自動車メーカー・ビッグスリーはすでに破綻寸前。あの詐欺的な住宅債を大量にくわえこんできた米地銀はばたばたと倒産し、地銀買収でスケールメリットをかせごうとしたシティなどの大手商業銀行さえあやうくなってきています。

米帝がデフォルトにいきつくのも時間の問題かもしれません。というのも、共和党政権下に発生した金融バブル崩壊の「共犯」状況をさけるかのようにオバーマ次期大統領は政策的な「空白」を続けているからです。ブッシュ政権はすでに死に体で、「市場」は次政権の無為を捉えて状況はますます悪化。オバーマはグリーン・ニューディールを唱えてきましたが、ルーズベルトの「最初の100日」で達成した修正資本主義的な「改革」には比すべくもないでしょう。それにニューディールは中盤で後退し(諸政策のための立法に違憲判決が出るなどした)、後期に対外戦争に突入することで変質したわけであり、社民主義による危機の乗り越えが可能なのかは不明だというしかありません。

ところで、米帝会計検査院の前院長だったディビッド・M・ウォーカーは面白いことをいっています。

「……日本とアジアのいくつかの国は、米国債の最大の保有国です。
  これにつきましては、皆様方の貯蓄の一部を私たちにご融資頂いて感謝申し上げます。ご存知のように、日本人はアメリカ人よりも、貯蓄に対するその必要性と重要性のより正しい認識を持ち合わせています。実際、多くのアメリカ人は消費が非常に得意ですが、貯蓄の方は非常に苦手と言えます。(中略)
 私の国でもその他の国でも、あまりに多くの政策立案者が、身近な問題や目の前の問題にとらわれてしまっています。彼らは近視を患っているのです。また、多くの人々がある時点で一つの問題又は彼らを代表とする政治的区域の目前の課題にのみ集中してしまって、視野狭窄に陥っているのです。皆様の多くも実際にご覧になったことがあると思います。国家や社会全体のニーズよりも、その時だけの要望に固執してしまう議員がいます。彼らの多くは次の選挙より先を見ることができないのです。(中略)
 ワシントンDCの政府指導者の多くは、明日に備えるより今日に生きようと決めました。波が静かに、しかし確実に沖合で強まっているにもかかわらず、意味のある改革をしよう、あるいは犠牲を分かち合おうという呼び声はほとんど聞こえません。事実、近年ではそれとは逆のことが起こっています。長期的な財政不均衡にもかかわらず、アメリカ政府は減税を拡大しながら、一方で追加支出を促すという、持続不可能な政策を追求しているのです。(中略)
  真の問題は現在の財政赤字ではありません。というのも、連邦政府の財政赤字はここ3年間連続して減少しているのです。それよりも、アメリカの将来における真の脅威は国債残高の増加と、我々の公的年金や医療保険制度として知られる社会保障、メディケア、メディケイドなどの、財源の裏づけがない連邦政府の公的給付プログラムです。これらのプログラムは、ここ6年間だけでも、他の債務と合わせた合計金額では20兆ドル(2,410兆円)から約50兆ドル(6,020兆円)に跳ね上がりました。
 これは、アメリカ政府は長期的に見れば恐らく守ることのできない約束をたくさんしている、ということを意味しています。理由を説明しましょう。50兆ドルというのは、アメリカのすべての家計がおよそ44万ドル(5,300万円)ずつの借金を負っている勘定になります。ここで考えていただきたいのは、アメリカの家計所得の中間値は年間5万ドル(602万円)に満たないということです。そして、この負担の伸びは、ほとんどのアメリカ人の正味資産やアメリカ経済の成長率を上回っているのです。」


日本人民の皆さまにおかれましては米帝のカモになっていただき大変ありがとうございます~ということはさておき、このような大状況をふまえれば、ケインジアン的な資本主義の修正を行財政支出の拡大をまねくものとして排撃する北米型リバータリアニズムやミナキズム(最小国家論)が一定の力を持つのは当然でしょう。北欧型資本主義のように高税率・ハイリターンというモデルが、巨大人口を抱える北米や日本に通有するでしょうか。日本経団連はすでに基礎年金財源の税金拠出化にかたむきつつありますが、政府‐霞ヶ関はその財源を間接税によって賄おうとする指向を示しています。日本では長期にわたって応能税(累進課税)が緩和され、租税の公平主義が「全員平等」に傾きつつあります。租税による所得の再配分機能が失われたわけではありませんが、間接税の比重加増の趨勢は動かしがたい事実としてあります。

さて、財政均衡を求め、官僚の腐敗を糾弾し、エンロン事件のときのように情報公開を妨害する政府要人を提訴さえする(1)この熱血漢はすでに今年2月15日に任期を残して退任していますが、かれの訴えは大局的には日本にもあてはまります。政府が巨額の財政支出を未来にむかって約束するという点では同じ穴のムジナ。問題は「貯蓄」をいかに金融市場に吐き出させるかということではなく、「政府の経済性、効率性、倫理、公平性、有効性を高めること」(ウォーカー)にあるでしょう。ウォーカーがいうように、求められているのはやみくもな民営化ではありません。財政の「効率性、有効性」に関して、ウォーカーはこの講演のなかで「経済の50%を超える予算を医療保険に充てています。しかしながら(中略)平均寿命は標準以下であり、乳児死亡率は標準を上回り、そして先進諸国の中では医療ミスの割合も高いのです。また、我々は主要な先進諸国の中では保険に加入していない人口の割合が最も高く、そして肥満では1番です」という事例をひきながら、財政改革の必要性を説き起こしています。

翻って鑑みるに、歴代の自民党政権が行ってきた「改革」は、ほんとうに公営部門の「経済性、効率性、倫理、公平性、有効性を高めること」に資するものだったのでしょうか。国鉄の分割民営化については、その下手人であった中曽根は傲然と国労の解体が真の目的と語っているとおり、必ずしも経済的な理由に純化できるものではありません。国策として強制された新幹線建設に端を発した赤字経営の責は、国鉄にだけ帰せられるようなシロモノではないのです。郵政民営化にしてもUSTR(米帝の通商代表部)の意を受けた「純政治的改革」という性格が強く、「効率」の面からいえば、本来は「特定郵便局」の問題であったはずが(特郵は簡郵に振り返ることでコスト圧縮は果たせたはず)、「郵貯・簡保に眠る資産の金融市場への開放」という金融資本のエサ場づくりの問題にすりかえられてしまったと換言できるのではないでしょうか。

確かに人口減少が迫っている「国」においては、「資源」の効率化を追求する行財政改革は必須でしょう。しかしその中身を精査することなく乱暴な「何でも民営化」は、社会の破壊をもたらすことにもつながります。特に社会資本や社会福祉にかかわる部門への正確な情報に基づかない政治的な攻撃は、めぐりめぐって「民」の自分たちの首をしめることにつながりかねないとすべきでしょう。もちろん地方自治体の財政窮乏化を放置すればいいというものでもない。八方ふさがりです。

今次の世界同時不況が深刻化すれば、外在的変革を世界に強制することになる。そうしてわたしたちの生活・社会がいかに「改革」されるのかということでは、すべての人間が無関係ではいられなくなります。景気回復のためにというかけ声のもとに資源は企業活動のために優先され、社会保障(social security)のラディカルな縮減による「社会不安」に対する治安警察・治安部隊(security police/force)の拡大という状況が現出する可能性も高まるでしょう。いますでに民間動員を伴うコミュニティ・ポリーシングが広がりつつあるのはいうまでもないことです。

一部のスビリチュアル派の人々は持続可能な経済理論としてサーカーらの「プラウト理論」に希望を見出しているようですが、協同組合型・コーポラティズム型の社会経済体制はもちろん「願う」だけでは「到来」するはずがありません。状況に抗する変革は到来するものではなく、なすものです。「予言」の「待望」の結果はゲームオーバー。

では高価なスピリチュアル商品さえ購入できない貧民はどうすればいいのか? 革命か改良か反動か。それら旧来のパラダイムを超越する何かなのか。「プラウト」にしても過去に現れた「ユートピアン社会主義」の焼き直しにすぎません。あらゆる人間が隘路に陥っているのは確かですが、突飛な回答はないと思います。われら人の子、地に這いつくばって「闘う」のみ。そのときようやくにして生存の主体性が各自厳しく問われることだけがわたしたちには了解できるのです。「たち」って誰だよ。

(1)エネルギー政策策定過程の情報開示を要求し、2002年チェイニー副大統領を提訴。コロンビア特別区連邦地方裁判所は訴えを却下。ウォーカーは控訴せず。

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