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〈現場〉から遊離する経験──「反サミット運動」言説の浮遊性についての試論

2008
11-22
嫌なものを見てしまった。紙媒体にまとめている個人的総括のパラフレーズとなるが、先行してこちらで書くべきことを書くことにする。

以下は、今年七月のG8首脳サミットに反対する諸運動の一つの場となった「キャンプ」を振り返っての言葉である。サミット会期の直前の四、五日の札幌でのデモなどに参加する人々が滞在するために用意された当別キャンプに関するものだ。なお、サミット会期中は豊浦・壮瞥・伊達の三キャンプが設営され、運営主体は前二者と後者とで異なっていた。前者は「G8サミットを問う連絡会キャンプワーキンググループ」、後者は「反G8サミット北海道(アイヌモシリ)連絡会」である。厳密にいえば当別キャンプの運営主体にしても、一部は豊浦・壮瞥のグループと人脈が重なるものの独自の「国際交流インフォセンター/国際交流キャンプ札幌実行委員会」であった。
ただ、口では「オルタナティブ・ヴィレッジ」、「下からつくる民主主義」なんていっていましたが、いざキャンプをはじめてみると、例えば海外の人とかぜんぜん知らない人がやってくるわけだし、怖い。

なぜ「海外の人とかぜんぜん知らない人」が理由となって恐怖を感じなければならないのか私には理解できない。仲間を信頼しないのなら、なぜキャンプを用意したのだろうか。なぜ海外の活動者に参加を呼びかけたのだろうか。
 「札幌キャンプ」(結局隣町の「当別キャンプ」になったが)はそもそも、海外からの行動参加者を含め、低廉な宿泊先と交流の場を設けようとして企図されたはずだ。未知とはいえ、やってくるのは仲間以外にない。公安警察あるいはその手先の潜り込みに警戒・緊張しなければならないことだってあるだろう。しかしそれは「海外の人とか」の受け入れとは根本的に異なる問題だ。
 栗原さんの正直な吐露には感心するが、しかし同時に愕然とする。グーロバル資本主義に反対するという私たちの唯一最大の武器は、他者を信頼するということではないのかと、怒りというより悲しみの感情がわいてくる。
 サミット会期前の札幌市街へと合流していく「拠点」として設営された当別キャンプの別の人間も、基本的に海外の仲間を信頼していなかったと窺わせるにたる心根をあらわにしたことがある。「すべて済んだ」あと、東京でのことだ。現場にあっては「黙って動く」を地でいくあるセンパイが「違うんだよ。連中は話せば分かるんだよ」と反駁したが、苦い思いだけが残った。
 その「かれら」は、キャンプ防衛を理由としてなのだろう──確かにそれは重要な任務である──七月五日の札幌の「チャレンジ・ザG8サミット 一万人のピースウォーク」にはいなかった。だが、先に引用した栗原さんのインタヴューのなかには「七月五日のデモにしても、サウンドデモのように「反サミット」の表現を最大限追求するというスタンスはありました」という発言が出てくる。「反サミットの表現」とは何か。「追求」とは何か。旧来の運動とは異なるものとしての言及であるなら、それがどのように登場したのかということに私はこだわらざるをえない。
 なぜなら、当別キャンプその他から結集した「インターナショナルズ」(海外からの参加者)や「日本人」が参集したあの元気で華やかな「サウンドデモ」の隊列には、はっきりいって自前の「防衛」体制がなかったからである。「サウンドデモ」は正確には当別キャンプによる企画ではない。部外者にしてみれば遂に謎としてしか判断できないが、起きたことの結果から見れば、おそらくそれは有志によるものである。その有志のほとんどがそもそものキャンプ構想に関係していた、というところだろう。とまれ、「防衛」は確かに統一的である必要はないが、行動細胞を現場で組成して個々に行動して自衛するなら、そのことは事前に通告しておかなければ主催者や合流先の他の人々はフォローのしようもない。だがそうした情報共有も一切なかった。ではキャンプの役割とはいったい何であったのか。単に楽しく過ごすことだけが目的だったのか。そうではあるまい。
 「当別キャンプからの合流者をサウンドデモ参加者としてひとくくりにするな!」という意見があるなら、なるほどその通りだと思う。自力自闘が嫌なのであれば、あれほど警察が執拗にマークしていた「インターナショナルズ」、とりわけ「ブラックブロック」と看做された部分に同調しなければいい。別の隊列に行けばいいだけなのだ。しかし結果として当別キャンプから合流した多くの人が「サウンドデモ」の隊列を和気あいあいと構成したのだった。
 こうして、当別キャンプでは五日の「ウォーク」主催の構成や隊列の組み方などについてほとんど把握されていなかったであろう状況が、当日になってようやく主催者や東京の「G8サミットを問う連絡会」関係の一部に察知された。主催者側として動いた「防衛」担当は愕然としながらもその任務についた。思いはそれぞれあるにせよ、受け入れと「防衛」の協力については一致していた。仲間だからである。
 私自身、「G8サミットを問う連絡会/貧困・労働ワーキンググループ」の一員として、そして「防衛」役として「ピースウォーク」に参加していた。「防衛」担当者は連絡会・幾つかのワーキンググループから出ていた。当別キャンプ組や「サウンドデモ」が合流しようがしまいが、もともとそういう手筈になっていたのだ。私たちは最初の「市民グループ」の挺団にいたが、他のグループ・挺団も同様だった。「自分たちの隊列は自分たちで何とかする」。当前のことだった。
 そして、詳細は省くが、私が参加する隊列に「サウンドデモ」が合流することになり、私自身はサウンドカーを誘導する位置に立つことを引き受けた。しかしいったい誰に対して引き受けたのかといえば、主催側や自分たちの隊列に対してなのだから実に奇妙な事態ではあった。こんなバラバラの状況じゃパクられる可能性高いナーと覚悟を決めざるをえなかったが、しょうがねえなという気分にもなった。引き受けたその位置は警察にしてみれば「責任者」のフィールドにほかならず、また尋常でない数の公安連中の動きが最初から異様であったので、もういいやと思うしかなかったのだ。しかし周知のとおり、実際にはサウンドカーに乗車する人々が血祭りにあげられることで弾圧は終熄した。
 「サウンドデモ」の隊列に「防衛」の構えが存在せず、ただ「参加者」だけがいる多衆であったことに気がついたのは「ウォーク」直前の野外集会の最中だっただろうか。主催・連絡会側が準備した「防衛」担当に「サウンドデモ」の「防衛」協力が要請されるのは当然のことだとしても、自前の「防衛」体制がないままキャンプ組が合流してくるとはさすがに誰も予想していなかった。要は「丸投げ」──信じられない事態だった。
 この事態を裏付ける報告がある。当別キャンプ、前日の話である。
気を取り直して、そこらにいる人に色々と聞いてみたら、別に全体のコンセンサスがとれたわけではないとの答えで、各自バラバラというかそれぞれのブロックで集まって行動するみたい。どんなブロックがあるのかもよく分からないし、今更参加もできないので、まあ、明日は一人で好き勝手にウロウロしようかなとも思ったんだけど、オマワリ対策というか現地での行動に際しての防衛ってどうなってんのかしらと思い、手近にいた人に話しかける。うーん、典型的な空気の読めない人な感じ。なんだか、関係者と勘違いされたのか活動家っぽい人のところに案内されたので、まあ、素人考えを適当に話す。真面目な人なのか、訳の分からないよそ者の話を聞いてくれて、そこまではいいのだけれども、なぜか話が俺の知りたいことではない方向へと進んで、さらにほかの人との話し合いに進んでいき、そもそも部外者の俺がそんな話に立ちいっていいのか非常に微妙だし、実際、話すこともないので手持無沙汰になってしまう。で、その辺りでハタと気づいたことはよくよく考えてみれば当たり前の話で、事前に何か全体の決定とか統括があるわけではなくてその場その場で作り上げていく形になっているらしく、皆知っていることも知らないこともそれぞれにバラバラ。そういうものかと思いつつ、一応怖いので話を聞いてくれた活動家っぽい人に隊列の仲間がパクられそうになったりした時とかどうすんの?と心得を聞く。その場の状況次第とのお答。そりゃ、まあそうだ。

「その場の状況次第」。なにほどかの議論はあっても、要するに反弾圧の構えについては放置されたままの状況を反映する言葉だ。もちろん問われた「防衛」とは五日のピースウォークに対してのものである。だからここから五日にいたる「無防衛」を類推することはたやすい。リーガルサポートのことについて云々するのではない。それは「防衛」の一部にすぎず、むしろことが引き起こされてからの「救援」の範疇に属するものである。法的支援者たちの現場での「監視」は、あの異常な警察の動員体制の前には残念ながらほとんど抑止力とはならない。
 当別キャンプ滞在者の個々には「防衛」についてどうするのかと憂慮していた活動者もいたはずだ。しかし結果として「総体としての体制」は、引用テクストにあるとおりそのつくりからしてありえなかっただろう。憂慮する個々人は浮遊するしかない。旅行記作者は「部外者」と謙遜するが──「部外者」こそどんどん「立ちいって」、完全でありえない人の「運動」の中身を重層化していくのが望ましいと思う──この問いかけは実に重い意味を持っている。

II

話を戻す。ともかくその場で調整しようにももはや手遅れだった。自前の「デモ指揮」や脇固めの人間は最初から存在せず、声をかけ協力すべき対象が空白なのだ。いや、当別キャンプからはただ一人だけが主催側の「防衛」への合流をかって出た。しかしそれだけだ。後はキャンプ外の「ロートル」が三々五々「防衛」に自主的に協力しただけである。仮に「サウンドデモ」の隊列に参集した人たちのなかから「防衛」役が立ったとしても、事前に周知されない「防衛」はほとんど機能しなかっただろう。事実、黄色いゼッケンをつけた私たちはただ右往左往する滑稽なピエロのようだった。
 それでも弾圧の機会をつけねらう警備公安警察に対する仲間の「防衛」に汲々とした。唯一要請が何とかかたちになったのは、主催者の協力を得て「防衛」役が身をていして隊列を圧縮し、後ろにつかえたバスを通したことだった。バスの滞留を放置すれば「やるぞ」という警備警察からの恫喝がかかっていたため、あえてそうしたのだ。弾圧はそれからしばらくしてから惹起した。何か誤解している言説も多々見受けられるが、弾圧は警察が街頭を制圧した「安定」状況のもとにしかけられたものだった。むしろ「ウォーク」出発直後の比較的自由だった状況は、自主的なものも含め「防衛」側が警察の圧力の間に入って保障されたものにすぎない。その間「責任者」と目された私は何度も逮捕恫喝を受けたが、結果として見せしめの弾圧はサウンドカーそのものに集中した。
 札幌市条例の運用慣行なのだろう、札幌方面中央警察署の警備課の対応により、デモ申請だけで宣伝車両としてのトラックの荷台乗車に関しては事前にケリがついていたはずだった。私は実際に書類を確認しているが、確かに書類には荷台乗車に関する事項が明記されてあり、市公安委員がこれを「許可」していた。だからサウンドカーまわりの弾圧は、近畿管区公安部隊による中央署警備課の頭上越しのものだったといえるのだ。しかもいいがかりは荷台乗車そのものにつけられたのではない。もし荷台乗車が罪に問われなければならないのなら、ほんの二ヶ月前の「自由と生存の連帯メーデー」のデモも潰されていたはずだが、実際にはとどこおりなく実行されている。七月五日には、乗車ではなくDJ行為が「煽動」としてでっち上げられたのである。
 当別キャンプとの調整を課題として捉えるならば、キャンプ以外の人間すべてに手抜かりがあったことは否めない。事態は特定の誰かに責任を背負わせてすむようなものではなかった。
 それにしてもなぜこうなったのかという疑問は、「サウンドデモ」部分が弾圧をくらった後の対応に奔走しながらも、長いあいだ私のなかに沈殿してきた。いまはその回答の一つとして、こういうことがいえるのではないかと思っている。単純な話だ。多様者の衆議・調整の欠落。平たくいえば、各運動体・ブロック間でコミュニケーションができていなかったということである。皆それぞれ精一杯のところでやっていたとしても、このことは動かせない。
 いや、多様な個人・グループが参集する形態の大きなデモになれば、そういうことは往々にしてあるものだ。しかし当否は別にして、それが各グループごとの落下傘式の指揮系統に律されていく「既存の大きなデモ」として終わるものであれば、そして各隊列が自存するものであれば、一部の隊列が少々跳ねたところで大きな問題は発生しない。諸隊列ごとに自存の構えさえ確立していれば、統制型の指揮系統のあり方も内部で変革できるはずであり、また弾圧をくらったところでその部分で自ら救援を貫徹し、主催者に仁義を通すこともできるからだ。しかし異様な警察の動員体制からみても、五日の状況は根本から異なっていた。その上に運動ブロック間の連絡不足が露呈することになったのだ。
 イルコモンズが反G8運動に際会して「新しい運動」という積極面の評価に注力しているが、やはり弾圧被害者にこそそうした「積極的な捉え返し」が担われるべきなのだろう。そしてかれは以下のように重要な問題を提起するのだが、私には諸処で都合よく語られてきたことに対する留保としてしか「反サミット運動」について「書く」ことができない。
「書く」という場面でよく「運動の簒奪」とか「表象の横領」といったことが起きてしまうので、「文化表象のポリティクス」の問題以来そういう問題に敏感にならざるを得ない

私が「書く」ことは、負の側面の強調による「運動のダメさかげんを表象するポリティクス」ばかりに寄与するだろう。やはりそのことに忸怩たる思いがあるが、都合のいいことばかりですべてを「表象」させることの方により深刻な問題があるとも考える。そのくせ、いまできることといえば、コミュニケーション不在という〈私たち〉自身のしょぼくれた主体性の捉え返しでしかないのだ。情けない話だが、それが偽らざるところだ。特に五日の「ウォーク」については、主催関係者の越田清和さん以外にセンシティブな捉え返しの声は聞こえてこない。ほとんどが自分を棚にあげた「あいつが悪い」論の平行線。ウンザリだ。だからこそデモ申請者としての越田さんの率直な総括報告に敬意を表したい。
 さて、「サウンドデモ」は「参加者だけ」の隊列であったので、三人+一人(一人はロイターのカメラパーソン)逮捕の弾圧がしかけられた直後、現場の収集をはかったのは前述の「防衛」者たちである。デモ隊が抗議に専心する間に、弾圧をしかけた下手人どもと心ならずも折衝し、隊列の滞留、つまり二次的な大量弾圧を招きかねない「違法状態」を押し付けられる状況に抗議して「ウォーク」の再開をはかった。見ようによっては被逮捕者を見殺しにするのかとも受け取られかねない「防衛」行為だ。しかし「官許」の「デモ」である以上、滞留は「許可条件違反」をでっちあげられ、また「奪還」はよほどの力量・訓練がない限りやはり大量の二次弾圧にいきつくしかない。「奪還」できたとしても、「デモ指揮」や主催関係に報復弾圧がくわえられるだろう。そして「ウォーク」解散後の救援初動の手立て──情報収集、事後の「サウンドデモ責任主体」の擁立、対応策の検討、そして主催者との連絡。これら初動救援は「サウンドデモ企画」外の人間が有志としてあたった。
 当別キャンプその他から合流した「サウンドデモ」はサウンドカーの運転手にくわえられた最後の弾圧のあと、幻のように消え失せた。もちろん多くの人がデモ解散後、弾圧被害者が強制連行された札幌中央署におしかけ抗議行動・激励行動を展開した。この行動もまた救援の一環をなす非常に重要なものであり、これに取り組んだ人々にナニゴトかをいうつもりはない。しかし解散地点での呼びかけにもかかわらず、現場状況の確認のための情報提供に協力したのはほんの一握りの人々にすぎず(弾圧時に携帯電話などで撮影するスペクタクル好きな人たちはたくさんいたのに)、「サウンドデモ主体」のうちに救援主体を形成する機会はありえないという結果が待っていた。それも仕方がない。そもそも「隊列」独自の責任主体が不明(不在)であったのだし、それに五日以後は「サミット本番」として豊浦・壮瞥・伊達のキャンプが待っていたのだから。もちろんキャンプでの闘いは重要だ。
 こうして「サウンドデモ」の救援主体の形成は、当別キャンプや「サウンドデモ」にそもそも関与していない東京からの有志が慌てふためいて組織化することからはじまった。キャンプ関係者のなかからなかば強引に「サウンドデモ責任主体」として要請された有志と、札幌の有志の合流もあって何とか救援会として動ける基盤が形成された。連絡・組織化の合間にも諸種の困難な対応が続き、一段落したのは夜も更けてからだった。ここで特記しておくべきことがある。弁護士との連携含め、札幌の有志たちの厚誼がはたした役割の大きさについてである。「持ち込まれたサウンドデモ」は札幌の運動体の潜勢力に文字通り救済されたのだ。この力がなければ「サウンドデモ」はその犠牲者とともに死に体として記憶されることになっただろう。五日当日の当別キャンプの留守居役の名誉のために補足しておくと、かれらはキャンプを閉めたあと救援活動に合流した。豊浦キャンプからも一人が撤収後に救援に加わった。だが結局「サウンドデモ」には自存する主体は存在しなかった──自力の「防衛」体制すらない「デモ」だったのだからそれもやむをえないと自分に言い聞かせながら、私は初動の後も救援対策に自らを追い立てた。
 断っておくが、救援対策(対応)とは押し込まれた状況に対する「反撃」でしかない。そのことによって従来あった運動のポテンシャルが拡大することはまずない。もちろん支援のひろがりによる交流の強化ということはありうる。だがそれまでのことだ。むしろマスコミの煽動にのせられた「社会」によって被逮捕者が被疑段階から「犯罪者」扱いされて終わる。いったん弾圧がくわえられれば被害者の生活含め、元の状態にまで回復することは二度とない。賃借人であれば大家・管理不動産屋への公安のローラー作戦的な密告があり、ときに職場へも圧力が及ぶ。被害者の家族との関係も往々にして不幸な状態になる。それは社会運動の自己組織化における杜撰さを撃つものとなる。「容疑者」報道に呼応するインターネットでの圧倒的物量となって拡散する無責任な情報にどう対するかで諸個人・運動体のもつ力量も試されるが、ジャーナル消費社会への反転攻勢をかけるカンパニア(キャンペーン)の力量は限られているのが実情だ。消費サイクルの圧倒的なスピードには「容疑者」報道に抗するカウンター情報はほとんど追いつかない。しかも当事者だけでなく支援者・周囲も確実に疲弊していくのだ。「サウンドデモ」弾圧は洞爺湖に迫ろうとする三キャンプへのさらなる抑圧をもたらしただろう。特に豊浦では緊張と萎縮の効果が如実に現れたことが窺える。
 被逮捕者を不起訴で取り戻し、気がつくと七月も下旬になっていた。
 帰るところがあるだけましだ。豊浦キャンプで献身的に炊事に貢献した東京東部の仲間たちは野宿に戻ったではないか。荒んだ気持ちのままの帰路に自分が嫌になっていた。そして「海外からの招聘」「サウンドデモ」を企画しただけで実体的な防衛体制の構築を放り投げていた人々、そしてその無責任体制のもとにはしゃいでいた人たちを分かっているだけとっちめてまわるつもりでいた。いい気なものだ。だが東京に戻ってからも救援関係の対応は続き、その過程で考えれば考えるほど、その無責任さのエアポケット状況の現出に自分が無関係でありえないことに思い当たっていた。こうなることは分かっていたんじゃないのか。分かって放置していたんじゃないのか。確かにそうだった。実際かかわる余裕がなかったため、「インターナショナルズ」の招聘だとかキャンプだとか「サウンドデモ」だとかの脚光のあびる舞台に中途半端・無責任にでしゃばることを避けたのは事実だ。仲間とはいえ人の描いた請負の絵図に踊らされるのも願い下げだった。自分の参加しているグループの課題にのみ黙然と集中すればよいと考え、「ピースウォーク」へもその一環として参加するはずだった。そうしてネグレクトのツケがまわってきたのだ。
 もちろん当別キャンプでは様々な創意をこらした取り組みがあったはずだし、フラットなミーティングもあったことだろう。その結果、喧伝されるとおりの有意な「ディシジョン・メイキング」(合意形成)などがあったはずなのだ。しかしそれは溜まりのなかの経験としてのみ存在したとしかいいようがない。裏を返していえば、「ピースウォーク」の主催者、あるいは東京の連絡会・各ワーキンググループなどもそれぞれ衆議を繰り返していたはずだが、その肝要な情報についてはついに各自連携する外部にうまく共有されずにしまった。五日に混乱があったとすれば、それは主催者、東京の連絡会、当別キャンプが相互に情報共有ができなかったという点に起因している。この結論は越田さんが表明された反省の後を追うものでしかない。実に当たり前のことを総括としとてあげなければならないところに、私自身の情けない(無為の)主体性も収斂していく。
今回のように、いろんな年齢層・グループ・政治的主張も違う人たちが一緒になってデモをすると、サウンドデモをしたい人もいるだろうし、静かに歩きたい人もいる(そもそもピースウォークとサウンドデモを一緒にできるかという問題もある)。フランスデモをすると警察が規制することを知っている人もいるし、外国からの参加者のようにフランスデモしか経験したことがない人もいる。
 たしかにこれまで経験したことのないデモだった。デモ=ピースウォークを自己規制するというのはおかしい話なのだが、そうしないためには、参加する時の原則を決めておくことしかないのかもしれない。それは例えば、自分たちのグループは、ただ歩くだけではなく、こんなことをするつもりだ(場合によっては逮捕者が出ても)ということを、他の参加グループにきちんと伝えるぐらいのことではないか。
 日本各地からだけではなく、海外からの参加者も多かった今回のようなデモでは、この情報共有をもっと徹底すればよかった。大きな反省点である(こんなデモ、札幌ではもうないかもしれないが)。

III

そしてその情報共有の欠如とともに致命的な問題として出てきたのが、具体的な「現場」に依拠した経験の交錯がなかったということである。
 たとえば、七月三日に当別キャンプで「直接行動ワークショップ」が行われている。G8MNニュースによれば、それは「G8サミットを前に、欧米諸国での各種抗議行動における経験から学んだ手法を、日本の人々に伝えることが目的」だったという。
 この「欧米諸国での各種抗議行動における経験から学んだ手法」は、こういってはなんだが、実際には役に立つわけがない。もちろんまったく意味がないというのではない。G8MNニュースが伝えるように、「体験してそれに慣れておくこと、そして自分がどんな人間かを知り、実際そうなったらどうすればいいかを考えておくことが一番重要」(リサ・フィシアン)というのは、まったくもってその通りだからだ。人の身体は訓練されていないととっさには動かない。その心構えもできない。行為のディシプリンとしてはそうなのだ。
 しかしこのロールプレイを通じての「追経験」は、日本の社会運動が置かれる状況におけばただちに意味をなさなくなる。このロールが日本の警備公安警察の性質や実際の行動パターンを追究し、その前提のもとに組み立てられるものなら、それなりに有効な体験となるだろう。しかし「欧米諸国での経験」をそのまま持ち込むだけではダメだ。あるいは、G8MN TV の動画「国際交流キャンプ札幌 in 当別」(04:00あたりから)が伝える内容を見ても断言できる。このロールプレイは身体所作の訓練にはなるが、「日本での諸現場」という観点からすればほとんど無意味なのだと。
 ワークショップで実際に行われている諸動作は、開放された道路という一定の広がりをもつ空間のもとでの「自分たち」と警官隊という集団対峙の状況を想定している。日本の届け出デモではこうはいかない。付け狙われる人々の場合、最初から機動隊の過剰な「警備」に包囲されたまま行進が進むのだ。はじめから空間が圧縮されているのである。機動隊の包囲網の外には公安警察が手ぐすね引いて待っている。密集すれば実力闘争の構えととられ、警察からの襲撃は必至である。ではそれに耐えうるスクラムの訓練は? そうした具体的な状況をチューターは把握していない。ワークショップ参加者もそうだろう。あるいは山間の行動などで警察の急襲部隊と対峙したら? かれらは機動隊のような平地想定の重装備だろうか。あるいは追捕しやすいように軽装だろうか。いずれにしても動画で見られる訓練の想定からは外れている。
 現在は警察の監視活動に携わる道警OBは次のようにいう。
かつて、昭和30年、40年代の安保闘争で札幌中心部がデモ隊で埋め尽くされ、激しい渦巻きデモに警察部隊は手も足も出なかった警備、投石や鉄パイプで攻撃され多くの警察官が負傷した警備、火炎瓶が飛び交った大学紛争等の警備、そうした経験のある筆者からすると、この2つのグループのデモ等は子供のパフォーマンスにしか見えなかった。

「非暴力」をあえて貫徹したのであろう仲間たちにしてみれば、「子供のパフォーマンス」とされては納得しない人々もいるかもしれないが、警備公安警察が煽り立てていた「暴動」のイメージからすれば確かにその通りだろう。むしろ警察国家がしかけるセンセーショナルな舞台を土台から崩壊させるものとして「非暴力直接行動」などが戦略的に選択されるということがありうる。五日がどうだったかは当事者それぞれに聞いてみなければ分からないが、前年のハイリゲンダムサミット反対闘争におけるドイッチュラント各地のデモでアウトノーメの大部隊が実力闘争を繰り返した状況を鑑みれば、結果としての札幌での「非暴力」には警察の手にはのらない戦略的意図があったのだとも考えられる。事実、札幌では「破壊行為」は一切なく、ハイエナのごときマスメディアは犠牲者を欲し、警察発表そのままの報道に血道をあげた。結果として、より中立的に振舞おうとした商業メディアは地元メディアに止まったのだった。逆にCMC(市民メディアセンター)を拠点とする G8 Media Network などの独立メディアの機動力によって、即座に警察の蛮行が余すところなく暴露され、世界中に伝播する独立メディア運動が持つ力が示された。
 その職掌からして若返りを繰り返さざるをえない機動隊の方も「子供」といえばそうだった。指揮官に叱咤されながら混乱している様に人は何を感じるだろうか。デモは機動隊の訓練の道具とされもするのだ。それにひきかえ、弾圧の直接の下手人となった大阪府警とおぼしき公安課連中の鬼気迫る様相は異様だった。マル暴もかくやというどぎつい態度に、人を踏みにじりやがて愉悦の表情を浮かべる暴虐に改めて唖然となるほかなかった。不当逮捕に抗議介入しようとすれば「どりゃ!」(そして公妨でいっちょあがり)の世界である。警備の若手が頼りないにしても、制服の指揮官や、検挙・採証隊となる公安連中はしっかりとその経験を蓄積してきている。しかも五日当日は、私服以外の背広を着込んだノーネクタイの公安警察の別働隊も蠢動し、検挙の際には人払いの応援で介入してきていた。まさにがんじがらめだ。異常すぎるかもしれない。しかし実力闘争ひとつ存在しないのに、警察にしたがわないと目された部分への攻撃はこういうものなのだ。〇三年と〇六年に東京で惹起した二波のサウンドデモ弾圧も同様である。かかる事態は誰かが逆にレクチャーしなければ、海外からのチューターにはそうそう理解できるものではない。
 そもそも日本でも以前から「非暴力トレーニング」などが存在してるというのに、この具体性を欠いた二番煎じの真意が理解できない。これはチューターの問題というよりも、ワークショップを「著名な活動家」に依頼した側が描いていたであろう絵図と現実のミスマッチの問題ではないのか。あるいは「外人崇拝」の悲惨な物象化。
 さらにくわえていえば、チューターの善意を疑うものではないものの、「欧米諸国での経験」そのままの持ち込みという意図そのものが人を愚弄するものだと釘を刺しておく必要がある。諸地域の警察の性質について熟知しているのはその土地の活動者以外にない。「欧米」も糞もない。アジアのどこかの地域ならその地域の、日本なら日本の特殊性・具体性があるのだ。せっかくのロールプレイなら、なぜ日本の警察の体制をフォローしたものにアレンジしないのか。未開のカラードに教えてやるという意識なのか。「方法の直輸入」というメソドロジー(方法論)じたいに疑問も持たずプレイを受容するのも、どういう心情によるものなのか。日本の警察の街頭支配という事態は、過去の社会運動がもった荒振る力に対応する反動の結果だ。その歴史性をふまえない議論や訓練は徒労に終わるだろう。
 「新しい運動」がこうした欧米セントリズムをもてはやすうちに展開されるものなら、そんなものはごめんだ。私たちに必要なのは水平な信頼関係だけであって、エスノセントリズムは排撃の対象である。諸経験の持ち寄りは、その持ち込まれた経験じたいを、持ち込まれた地域固有の運動現場の具体性の俎上において改めて練り直すものでなければならない。絶対の経験などない。しかし運動現場の具体性に依拠することはインターナショナリズムを拒否するものではない。inter とは相互性の保証であって、特定地域へのおもねりを意味しない。だから個別性の累積から理念の創出へと続く〈現場の思想〉は、思惟のインターナショナリズムを獲得する展望を持ちうるのだ。そしてそうでなければ支配的な巨大資本のグローバリティにはとうてい対峙できないだろう。
 日本は世界に冠たる公安警察国家である。そして諸国家の警察国家化はなお進み、治安管理の技術も「民間」を動員しながら日々拡大深化する。むしろG8国家間の統治の技術の共有の方が社会運動の先を行く。そのことはサミット対策としての入管での「水際作戦」にも現れている。
 五日の「ウォーク」であれば日本の届け出デモのおかれる条件を考慮し、あるいはキャンプ地からの抗議行動についても同様に検討したのち、ではどうするかという戦術やロールプレイの中身がはかられるべきだったのだ。こんな簡明なことさえ踏まえられない言説としてのみ流通する運動論はまったく検討に値しない。「新しいアナーキズム」? 「新しい運動」? アカデミーを根城とする職業的インテリゲンチャには、まずもって文化帝国主義を克服してから「海外」の議論を参照してほしい。そして自らの現場の経験を読み直してほしい。現場がないなら出てくればいい。現場は常に具体的だ。運動論をものすというなら、諸処の運動現場の個別具体性のなかにおいて咀嚼するほかないのである。
 当別キャンプでの経験すべてにイチャモンをつける気はない。むしろ運営の恊働性や空間の自律性構築への努力などは、この管理‐監視社会のなかにあっては貴重な経験として評価されるべきである。イチャモンをつけるとすれば「欧米」基準のお喋りにあぐらをかいて疑わない緊張感のなさに対してだ。当別キャンプの参加者が具体性の想定を欠いたまま迎えたのが五日だとすれば、私はキャンプ運営の努力に敬意を払いつつも、その内部で展開されたためにする「欧米優位」の「運動論議」や「実践」の一切を無視する。社会運動のふりをした言説に恊働の努力を搾取されるわけにはいかないからである。
 五日の「ウォーク」の解散後、被弾圧者が連行された札幌中央署での抗議行動に参加したあるアメリカの活動者がこういうことをいっている。
デモをするのに許可が要るなんておかしい。(中略)
 今日気がついたのは、警察の命令にみんなが従ってるってこと。警察に「それをしてはいけない」と言われたら「わかりました」て感じで。代わりに「なぜいけないんですか?誰がいけないと言ってるんですか?」と聞くこともできるはず。それをやるにはすごく強くないといけないし、それをやると逮捕されることもあるけど、でも、やらないと何も始まらないでしょう。怖がってたらなにもできない。日本ではみんながすごく(権力側を)怖がっている気がする。

札幌市公安条例と道交法を把握したうえで、そして被疑段階での保釈制度もない状況で、起訴手続きぬきに最長二三日間も身体拘束されうる日本の detention system(勾留制度)を知悉したうえでの発言なら、その勇気を讃えよう。解雇・放校をおそれず、自らの生活破壊も辞さずに闘える人間は立派である。しかしときとして主体の「召喚」をまねく結果は悲惨だ。もちろんデモに許可がいる事態は確かにおかしい。条例が憲法違反であろうがなかろうがまったくそのとおりだ。無理無体の警察を意味なく怖れるのもおかしなことだろう。ではなぜ自力で無届けデモを敢行しなかったのか。機会は幾らでもあったはずだ。覚悟があるのなら届け出デモを陽動とする登場もありえたはずだ。がんじがらめにされた日本の届け出デモに参加したのはどうしてなのか。
 このような発言が出てくることじたいが、法が絶対無謬と信仰される社会的状況の問題、社会運動が置かれた状況や運動主体の力量不足、あるいは届け出デモの内実や主催者のスタンス──五日の「ピースウォーク」は申請段階で市条例の違憲を主張したうえで二車線開放を要求したものが、不当にも札幌中央署に阻まれ一車線規制デモとなった──などについての具体的な情報が十分に知らされず、その対応協議が「インターナショナルズ」やあるいは「日本人」の間でなされなかったのだということを示している。この人が当別キャンプ滞在者でなかった可能性ももちろんある。だが、具体的な制約状況を踏まえないかのような雰囲気は当別キャンプからの「サウンドデモ」合流者の多くに濃厚だった。「防衛」役の「調整」の努力が敵意に晒され続けたということがその証左である。「あいつらは警察よりたちが悪い」。解散地点で「インターナショナルズ」の一部から「防衛」者たちに投げつけられた罵声だった。
 警察が「俺が法律だ」として登場してくるとき、対応は二つしかない。従うか、突破するか。主体に準備がないときは最大限抗議しつつ「従う」しかない。それがいやなら警察の掌にのることになる届け出デモなどには参加しないことだ。反弾圧の準備があるなら好きにすればいい。ただし事後の対応は自力自闘が原則だ。代用監獄に落ちたあとの内外の闘いの経験も自分たちで掴むしかない。かつてイラク反戦運動が興隆したとき、東京のある部分では弾圧が続いた。World Peace Now という大きなプラットフォームが提起するデモに合流していて弾圧されたある部分は自力で何とかした。それが当たり前だった。しかしその当たり前は東京から札幌に持ち込まれた「サウンドデモ」にはなかったのだ。
 遊撃の結果の責任を背負わないですむ身軽な立ち位置からなら、誰でもが「怖がってたらなにもできない」と口にすることができる。「直接行動」は口先でならいくらでもいえる。潮が引いていくなかで救援活動を組み立てるほかなかった立場としては、レヒトシャフナー発言がそうでなかったことを願うばかりだ。
 だが、こういうからといって、私は「インターナショナルズ」やその同調者を断罪するつもりはない。問題の根因は情報共有(と衆議)の不在にあると先に示したとおりだ。他者のなかに自らを見出さない者は「大衆運動」の信義を無視することになる。
 これで「札幌サウンドデモの顛末」のすべてではない。「顛末」にいたる公然化できようもない問題が多々残されており、思い返すだけで暗然となる。しかしこの数ヶ月間、多くの人たちが黙りこみ、あるいは自分に調子のいいことのみを並べ立てた話ばかりが流通している。自己切開の態度はほとんど見られないかのようだ。であるならば私は絶望の総括を繰り返し提起し続けるしかない。別にどうかしようというのではない。必要なことは相互批判にすぎないのだから。

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  • 2009-04-14│15:24 |
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noiz

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