スポンサーサイト

--
-----
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

隠蔽することばの政治=殺人への加担を自覚せよ

2008
12-04
hituziのブログじゃがー経由回虫経由の提起を受けて:

「だれのことであるのかということ」を問わずに呼称だけすげかえ、その呼称の対象を見ないようにする運動があります。これはだれの心のうちにもやどる運動であり、ときとして排外行動をささえる空気をうみだしもします。

「ホームレス」語法は、単に「浮浪者」のいいかえであるにとどまりません。日雇い労働者こそが野宿者の最大の供給源であった歴史性をおおいかくすものです。定宿(じょうやど)を持たざる者たちに「浮浪の罪」をおしきせて排斥するために、その労働者性すらうばうことがこれらのことばに期待されているとも考えられます。軽犯罪法は「働く能力がありながら職業に就く意思を有せず」ときめつけられるなら、「一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」を犯罪者扱いせよ、と主張しています。いいのがれはできないでしょう。わたしたちはこのような破廉恥(はれんち)な法を放置しながら、隠蔽(いんぺい)のことばの政治に加担してきたのです。

野宿者とは野宿労働者です。立ちん坊が労働者であったように、日雇い労働者や「労務者」(1)が労働者にほかならないのと同じように、全野宿者はみずからの労働によってのみ喰うほかない労働者です。そしていま、いわゆる「非正規」「非典型」の雇用にいそしむしかない人間たちが路上へと放逐(ほうちく)されています。あるいはまた「家庭」内の暴力などの理由によって「家」を出ざるをえなかった人々(しばしば「家長」の労働力の再生産を無賃でになってきた女性)も、無宿の領域を部分的にかたちづくってきました。いうまでもないことですが、かれ・かのじょらの労働者性は、「市場」にかなうその稼働性(かどうせい:就労が可能であるかどうか)によってすべてをはかることはできません。

ほとんどすべての野宿者が不労所得者(ふろうしょとくしゃ)でないことはあきらかです。単身者であろうと、かつて家庭単位の活計のもとに生きてきたものであろうと、野宿者は労働によって生きてきたし、生きています。カントリ・エサトリなどは、こんにち的なことばでいうならリサイクル的労働にほかならず、野宿者はなおそうした労働によって生きながらえています。しかしいまやこの労働すら窃盗として裁き、うばいとろうとするおそるべき動きが顕在(けんざい)化しつつあります。多くは自治体所有とされる資源ゴミへの所有権の設定は、野宿者だけでなくバタ屋・くず屋もまた犯罪者化する機能を発揮していくでしょう。

野宿者の由来とその労働者性を隠蔽し、「働かざるもの喰うべからず」という虚妄の論理に正当性があるかのように瞞着(まんちゃく)するために、「浮浪者」「ホームレス」などと人はいうのです。しかしそれらのことばは状況をあらわすものにすぎません。だからわたしたちは、「労働市場」の裁定から排除される野宿者や障害者を殺していくことへの加担を拒否しようとするなら、状況にいたる背景をも包含することばをあえて使う必要があります。

野宿者とは野宿労働者です。「ホームレスの人」なのではありません。障害者は、健常者によって害をなすものと決めつけられ、そうして逆に健常者がしいる害を受苦(じゅく)させられる、その意味において障害者です。ただひとりで身体的な障害を受容して障害者なのではありません。

差別者どもよ。わたしのなかにすくう差別者よ。そう指呼(しこ)する/されることによって、わたし‐たちがなにものであるかを自覚することからはじめるべきでしょう。何をはじめるのか? それは一人ひとりが考えるべきことです。

(1)「労務者」ということばの歴史的差別性については、松繁逸夫「《労務者》概念と差別の起源」に分かりやすくまとめられています。

Trackback

Comment

Post a comment

Secret


:D

noiz

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。