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警察の暴走をしり、「情報の自由」についてかんがえる

2008
12-10
「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」の参加者が警察に連行されるという暴挙。フェスタ・ブログの12月6日付の記事のコメントらんに、自宅近くにパトカーがはりこんでいて警察署につれていかれた、との経験をしらせるかきこみがあります。土曜日というのはおそらく、フェスタ一週間後の12月6日にことだとおもいます。
デモに参加させてもらった者です。
土曜日、8:30に家に帰ってくると、警官が待っていて、パトカーで渋谷警察署に連れていかれ、デモの参加した理由などを聞かれました。
三時間くらい事情聴取を受け、昼には帰されましたが、他の参加者も呼んでいるようです。
どうして、私の家とか分かったのでしょうか?
私はユニオンなどの団体には一切入っておりません。
もし、同様に警察に呼ばれた人がいたら教えてください。
これは任意といいつつ実際は強制しておこなわれているはずです。やましいことがいっさいなくても、警察官にかこまれて(しかもパトカーまできている)おどされれば、ひとりではなかなか抵抗しづらいものだからです。警察がのさばっている社会のもとでは、任意同行(にんいどうこう)がかぎりなく強制捜査になってしまう現実があります。まったくゆるしがたいはなしですが、今回の暴挙も強制捜査権・逮捕権をちらつかせて警察(公安警察)がよくやるきたない活動のひとつであるわけです。もちろん任意をよそおう強制には、法的根拠はいっさいありません。

警察(警視庁)がしかけたリアリティーツアー弾圧が議会政治家をまきこんださわぎとなり、かつてのおやぶん(亀井議員)におこられ、あるいは国会質問に幹部がよびつけられるなどの事態におちいったので、なんとか報復してやろうとあがいた結果なのでしょう(1)。ちょくせつ参加者を脅迫さえしておけば、反戦運動や生存運動への参加もへっていくだろう式の、とてもいやらしいやり口。かげでコソコソしかけるというヤクザ顔負けの外道ぶり。しかも制度的権力をかさにきているということにかけては、ヤクザとくらべるのもヤクザに失礼なくらいです。

最低最悪の外道=警察(警視庁)はわるいこともだまってやればいいと思っているのでしょう。ところが、はばひろい情報伝達を可能にする環境がこれをゆるしません。たとえマスメディアがサボっていても、いっていの相互性と大衆性をもつ環境であるザ・インターネット(The Internet)があるかぎり、悪事は千里をはしっていきます(2)。引用した告発がそのことをはっきりとしめしています。また今回のようなケースであれば、法的な対応も含めてそれなりの経験をもっているはずの救援会がバックアップしてくれるでしょう。場合によっては、ほんのすこしの勇気があれば制度的権力の濫用(らんよう)をうつこともできるのです。

「情報の自由」(3)あるいは「情報の共有」がもつ潜在的なちからは、ことの発端となったリアリティツアーではっきりとしめされました(4)。いまやサボるだけのマスメディアをよそに、個人や諸個人の恊働(きょうどう)によって提供された情報が、司法権力の暴走にまったをかけるという実例がそこで展開されました。それは制度的権力のもつひとりよがりなありように対抗的なちからでありえたとおもいます。あるいはまた、それはわたしたちの関係のなかでさえ存在しうる権力性についての自覚へのたすけともなるでしょう。

ただひとつの情報だけでは、人は判断をあやまりがちです。とくにそれが司法権力がもたらしたものである場合、情報は人を自由にするどころか冤罪(えんざい)におとしいれることにちからを発揮してしまうことさえあります。もちろん、情報がおおくありさえすれば人は絶対にまちがえないということではありません。まちがう可能性をすこしでもへらすことができる、あるいはへらすための条件をととのえることができる、というだけです。

「情報の自由」が「人を自由にする」という主張は、いくつものことなった情報があり、そしてそれがおおくの人にひらかれているという状況において、ようやくいえることです。わたしたちはいまたしかに、そうした状況に存在しつつある。しかし行動なくしてその存在もない。リアリティツアー弾圧とそのごの事件には、そういうこともしめされているのではないかとおもうのです。

さいごに。警察(警視庁)は権力をかさにきた脱法(だっぽう)こういをただちにやめなさい。


(1)「リアリティツアー2」は「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉2008」のプレ企画でした。
(2)ザ・ネットの環境にアクセスできないひとびとにとっては、この可能性は不可能性でしかありません。コンピュータ・サイエンスを基礎とする情報伝達の環境は、アナログな手段と連係することによって「よりまし」なものとなるでしょう。ビラなどの紙のメディアを活用することなどがその一例です。ここで「コピーと破壊!」(copy & destroy!)というスローガンをおもいだすこともできます(むかしのことばでいえば「ガリをきれ!」でしょうか)。この破壊とは、情報提供につきまとうひとりじめと権威主義の破壊のことです。
(3)「情報の自由」をとなえたリチャード・マテュー・ストールマンらのフリーソフトウェア運動がのこしてきた成果が参考になるかもしれません。それらはコンピュータ・サイエンスの分野のものですが、たとえばストールマンおよびGNUプロジェクトがいう「フリーソフトウェアの第二の自由」──「身近な人を助けられるよう、コピーを再頒布する自由」などの主張については、ひとの社会的な関係いっぱんにとっても示唆的であるとおもいます。ソフトウェアのありかたについての主張を利用するというしごとが必要になりますが、たとえばストールマンの「自由か権力か」というエセーの一説 “This oft-overlooked distinction is crucial. Freedom is being able to make decisions that affect mainly you. Power is being able to make decisions that affect others more than you. If we confuse power with freedom, we will fail to uphold real freedom.” などもまた、「自由」ということについてかんがえるとき、あじわいぶかいものがあります。もちろんあじみしているだけではダメなんですが。
(4)くわしい経過については「麻生でてこい!!リアリティツアー救援会ブログ」を参照してください。

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ザ・インターネット(The Internet)て(笑)
  • 2008-12-11│10:35 |
  • URL│
  • [edit]
ツッコミの動機?
1 「ザ」ではなく「ズィ」もしくは「ジ」と表記すべき
2 そもそも仮構の話がおおげさ
3 引用から論旨展開が飛躍しすぎ

1)発音に関しては、まあなんというか、そんなにみなさん厳密に規則正しく発音してらっしゃる? もちろん表記するときになんでそーなんだよと笑いたくなるお気持ちは理解するつもりですけれども。

2)もちろんコメント報告は事実として仮構したうえでの記事でしかありません。主催者にも裏取ってるわけじゃありません。外野で勝手にわめいているだけ。じゃなぜ喚くか? 警察(とくに公安部門)の動態というか生態というか、ローラー作戦や「任意同行」はれんちゅうの「ふつー」のやりくちとしてある、とプロパガンダしておこうと思ったから。

3)略
  • 2008-12-11│14:00 |
  • la mukofungo URL│
  • [edit]

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