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おれたちゃ廃墟を怖れねえ──ドゥルーティ

2008
12-17
“おれたちゃ廃墟を怖れねえ”

ブエナベントゥーラ・ドゥルーティ インタヴュー

『トロント・スター』紙のピエール・ヴァン・パーセンによる取材
1936年9月、アラゴンにて


「おれらにしたらさ」、ドゥルーティはいう。
「ファシストどもを完膚なきまでぶっつぶすことが重要なの。おお、政府のかわりにな。」

「死ぬまでファシズムと戦う政府なんか、世界中のどこにもねえよ。ブルジョワジーは手にしてた権力がぐらつきゃ、その権力をなんとか保つのにファシズムに頼るってわけだ。スペインのリベラルな政府とやらはずっと、ファシスト部隊を力のないものにしておきたかったんだ。妥協したり時間稼ぎしたりするかわりにだよ。それが今じゃ、その反乱軍の方にホイホイついていこうって連中が政府のなかにいやがるんだから。」

ここでドゥルーティは笑った。
「こういってもあんたには分らないだろうな。労働者の運動をつぶすために、現在の政府はいまもこの反乱軍を必要としているかもしれねえんだ。」

「おれたちに必要なもんは分かってる。スターリンのせいで中国とドイツの労働者がファシストの蛮族どもの犠牲になってるが、それも自分たちの平和と平穏のためにって、そんなソ連が世界のどこかあってもおれらにゃまるで意味がねえ。おれたちは、たぶんこれから起きるヨーロッパの戦争の前に、スペインのいま、ここで、革命を欲してるんだ。おれたちの革命のせいで、ヒットラーとムッソリーニはロシア赤軍全軍よりおれらのことをおそれてやがる。おれたちはドイツとイタリアの労働者階級に、ファシストをどう扱えばいいかって一例を示してるんだ。」

「世界中のどんな政府にも、リバタリアン革命への援助なんか期待できねえな。ここ最近の状況からしたら、おれたちのものってことになってる政府だってまったくあてにできたもんじゃねえ。」

「しかし」とパーセンが口をはさんだ。
「きみは瓦礫の山のうえにすわることになるよ」

ドゥルーティは答えた。
「おれたちはいつだって貧民街や屋根裏部屋でくらしてきたんだ。これからもどうやっていけばいいかぐらい分かってるつもりだ。だからこのことは忘れてほしくないね。おれたちゃ建設もできるんだ。スペインのここにある広場や街、それにアメリカやほかのどんなところでだって、こういうものはおれら労働者がつくってきたんだろ。おれたち労働者はこういうのをとっぱらって別のもんを建設することだってできる。もっといいものをな! おれたちゃ廃墟をぜーんぜん怖れねえ。おれらはこの大地を継承するんだ、間違いねえ。ブルジョアジーが歴史の舞台から退場する前に、連中の世界をぐちゃぐちゃにしていきてえんだったらやりゃいいんだよ。おれらはおれらのなかに新しい世界を育ててるんだし、その世界はこの瞬間にも成長してんだからさ。」


[訳註]
  • 英語版(The Struggle Site に引用されたもの)をもとにベランメエ調で訳しました。内容保証はしません。誤訳・意訳が過ぎるなどの指摘歓迎。
  • 文中に出てくる「リバタリアン」はカスティーリャ語では「リベルタリオ」「リベルタリア」に相当する。ヨーロッパでは[カ]リベルタリオ/ア、[仏]リベルテールといえばほとんどアナキストを意味しており、北米の市場礼賛派のことはまったくイメージされないので要注意。
  • 文中に出てくる「大地」は、英語版では the earth があてられているが、おそらくドゥルーティの言葉では(カスティーリャ語で) tierra であっただろう。tierra には「地球」という意味のほかに「土地」「大地」という意味がある。カシーケ支配に苦しんだ隷属的な農業労働者にとって福音的スローガンにほかならなかった「大地と自由を!」は、次のように書く。¡Tierra y libertad!
  • ブエナベントゥーラ・ドゥルーティ・ドゥマンジェ(Buenaventura Durruti Dumange, 1896-1936)は労働者たたきあげのアナキスト。レオン生れ。14歳で機関車庫で働きはじめ、1917年社会主義者系のウヘテ(UGT、労働者総同盟)の呼びかけたストライキに参加、政府が軍を送り込んで70人を殺害する暴虐を目の当たりにする。2000人が法的手続きなく投獄されるなどスト参加者への弾圧が酸鼻をきわめたため、20年までパリに亡命。同地で機械工として労働するかたわら、終生の同志となるファン・ガルシア・オリベール、フランシスコ・アスカーソらと「ロス・ソリダリオス」(連帯)という行動者グルーポをつくりアナキスト運動に挺身。バルセローナ入りしたのちは、セネテ(CNT、労働者全国連合)・ファイ(FAI、イベリア・アナルキスト連盟)のミリタントとして活動し、資本家が雇った私兵や官憲による労働者への襲撃の復讐に忠実であり続けたため、絶大な支持を得た。
  • 1936年7月、「人民戦線政府」成立後のファシスト反乱を警戒していたバルセローナの労働者がアタラサナス兵舎を襲って鎮圧したため、カタルーニャにおけるファシスト反乱への呼応は不発におわる。この労働者蜂起に主導的役割をはたしたのがドゥルーティらロス・ソリダリオスの面々であった。なお、この戦闘で同志アスカーソ落命。
  • ドゥルーティは2000人の武装したアナキスト労働者とともに軍団(のちにドゥルーティ大隊と呼ばれる)を結成し、ファシストの手におちた要衝サラゴサの解放戦争に向かう。サラゴサはアラゴン州の首都であり、州全域の奪還のために諸民兵軍によってアラゴン戦線が形成された。
  • オリベールはバルセローナに残り、CNT-FAIの指導的活動者として、他党派との妥協の産物である反ファシスト民兵委員会の樹立と、アナキスト労働者によるカタルーニャ実効支配の防衛につとめた。このときCNT-FAIにとって、反スターリン派共産主義者のPOUM以外はすべて敵であったが、ヘネラリタート=カタルーニャ政府首班のコンパニィスを丁稚奉公させるかたちで「権力維持」にのめりこんでいくことになる。「民族主義者や共和主義者との連携」という煙幕によって諸「民主政府」からの反ファシズムの支援を期待しないまでも、戦争=革命への妨害をくいとめようとの心算があったのだろう。この動きはマドゥリードの中央政府にも持ちこされた。すなわち、「反ファシスト=人民戦線」内部での陣地戦を理由として、オリベールやモンツェニーらの中央閣僚就任というアナキスト「指導部」における官僚性の急成長がもたらされたのであった。ドゥルーティは前線にあって「とにかく物資を送れ」とのみ発言し、後衛の腐敗にはくわしく言及することのないまま9月のマドゥリード防衛戦で「戦死」することとなる。(当初は共産党の裏切りによる狙撃だと喧伝されたが、ドゥルーティ自らの銃の誤操作によるものとの説が有力視されている)
  • インタヴューが行われた時期はマドゥリード防衛戦の直前にあたる。

[文献]
  • ヴァーノン・リチャーズ『スペイン革命の教えるもの』(遠藤斌訳、自由思想社、1960) 創樹社版1979で読了。訳者さんが少し前に亡くなられました。
  • セサル・M・ロレンソ『スペイン革命におけるアナキストと権力』(今村五月訳、JCA出版、1982) かなりつっこんだ総括。
  • ホセ・ペイラツ『スペイン革命におけるCNT 第1巻』(今村五月訳、自由思想社、1982) 残念ながら続刊なし。
  • H. M. エンツェンスベルガー『スペインの短い夏』(野村修訳、晶文社、1982) この本に同じインタヴューの訳が出てます。抄訳だったかも。
  • バーネット・ボロテン『スペイン革命 ──全歴史』(渡利三郎訳、晶文社、1991)
  • アベル・パス『スペイン革命のなかのドゥルーティ』(渡辺雅哉訳、れんが書房新社、2001)
  • バーネット・ボロテン『スペイン内戦 上・下』(渡利三郎訳、晶文社、2008)  これは図書館コースですね。

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