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奴隷の民主制を粉砕せよ

2008
12-25
無産大衆・無政府的同志が指摘しているように、戦後日本の天皇制は、占領者の統治テクノロジーにくみこまれることによって生きのこる契機をつかんだモノにほかならない。

「新憲法」(日本国憲法)施行以前のGHQ占領期において活用されたポツダム命令は、いわゆる「ポツダム緊急勅令」にもとづく。そして勅令は「旧憲法」(大日本帝國憲法)第八条第一項にそのレジティマシー(正統性)がもとめられる。つまり占領政策とは天皇および天皇制の権威をも利用した統治技術の実験でもありえたのである。とりわけ「新憲法」施行までの過渡的な統治─支配を補填する手段として、勅令のレジティマシーを利用しながら貫徹されたポツダム命令は、占領当初において絶大な威力を発揮した。

戦後の天皇制が「国民の総意」にもとづくというのは、戦後の体制づくりにかかわったものたちのおためごかしにすぎない。それは「新憲法」公布・施行以前から、占領軍の統治技術がゆるす範囲のなかで改変され残存が保証された制度であった。しかもその改変が勅令の活用にうらづけられていたという意味において、戦前─戦後をつらぬく権威の保存を意味した。日本帝国主義下人民にとって、政治的権限を廃されたという戦後天皇の国事行為のなかみをよく知らなくても、さしあたって生きることは可能である。しかしそれら国事行為が国政に直接関与しないものであれ、そこに天皇にまつわる権威のしるしが集約されていることは否定のしようもない。

1948年、松本治一郎(まつもと・じいちろう)は第二回国会の開会式に際して天皇拝謁を拒否した。いわゆる「カニの横ばい事件」である。松本のこの個人的決起まで、「国会議員が天皇に横顔・尻を見せずに横歩きする」=「カニの横ばい」の慣習は国会議員に是とされていた。人のうえに人をいただこうとするおそるべき奴隷の精神の発露は、それまでの国会議員にはむしろ必然であった。裕仁(ひろひと)が勅語として「第一囘国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君と一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところである」と述べていたのも(1)、この必然あればこそのものであろう。「朕=わたくし」の国事行為に「国会の召集」が含められる以上、国会開会にあたって天皇を拝まなければならないという慣習の踏襲は、「召された」議員たち、つまり「国会開会のために集りなさい」という天皇の命令を受諾する人々にとってみればなんらおかしなものではない。「被差別部落解放」というそのよってきたる立場から発せられたであろう松本治一郎の人としての問いかけは、「革新」勢力含め居並ぶ議員たちにしてみれば青天の霹靂(へきれき)であったはずだ。

敗戦と占領によってもたらされた「戦後民主主義」の出発とは、かかる精神的支配と屈従の関係性そのもに手をつけるものではなかったという意味で、〈奴隷の民主制〉の繰り延べでもあったということができよう。なぜ国会が「招集」ではなく「召集」されなければならないのかを考えるとき、人はここに形容しがたい権威とそれへの隷属的精神の存在を認めなければならない。その他の国事行為を受容する精神的構造も同断である。天皇による諸種の「任命」や「認証」がなくとも、国政の遂行は可能なはずだからである。

しかしながら、政治的権限を縮小したという天皇制にまつわる権威主義の貫徹は、代議制という統治の技術に矛盾するものではない。効率性を人質にとった代理代行の正当化は、人民の代表者たるべき議員にいっていの権威をまとわせるものでなければ完成しない。人が人との討議をいとわぬものであれば、そうしてその非効率をのりこえようと努力するものであれば、代議制がもつ欺瞞はすぐにあきらなかものとなる。であればこそ政治的代行主義の権威を補完するために、戦後日本では「伝統的な」支配と屈従の精神性がふたたび利用されたのである。そしてこの利用は、占領軍と日本政府の合作による権威の更新として示顕(じげん)したのであった。

国家とは、それがいかなるかたちであれ、支配する─される関係を構造化するもの以外ではない。明治政変以後に登場した国家主義的な天皇制は、国家に寄生し内在化することによって成立させられたものである。明治以来、「国家革新」がかならず天皇の権威を利用するものであったことはいうまでもない。軍人であろうとその他の高級官僚であろうと、天皇を利用することによって自らの行動綱領を実現してきた歴史を見よ。「昭和」の天皇=裕仁とはこの体制の共犯者にほかならない。USA帝国主義はその新たな共犯者であり、支援者であった。そうして日本人民(=「国民」)の名における天皇の権威の推戴こそが、(USAに)従属的な帝国主義者として「自立」する戦後日本国家の根幹にかかわる公然たる秘密なのであり、「国民」たる〈われ/われわれ〉こそがこの日本的国家主義のいまにいたる共犯者なのである。吐き気がする。

したがって「ヤルタ‐ポツダム体制の打倒」は、天皇制を拒否しその廃絶をめざす被征服者のスローガンでありうる。占領支配の秩序の拒絶は、反米民族派を自称する「新右翼」の専有物ではない。YP体制とその庇護のもとに生かされた戦後版天皇制、かかる制度を「輔弼」(ほひつ)する政治的権威主義、これらすべての解体はついにはまつろわぬ有象無象の政治綱領としてかちとられなければならない。日本帝国主義のあしもとにおいてアナーキーを唱えるものは、天皇制の廃絶をもめざすものでなければならない。そしてそれは国家ではない人の直接行動による以外にないのである。

(1)「第一囘国会開会式における勅語」を見ると、続いて「危機を克服」「民主主義に基く平和国家・文化国家の建設」への「切望」がかたられたことが分かる。「民主主義」とはなにか。「平和国家」「文化国家」とはなにか。少なくともそれらはまず第一に天皇制と共存可能な統治技術の形骸であろう。

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