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パペットがやってきた──いつ・どこに?

2009
02-07
回虫さんの重い提起にふれ、パペットの来歴について若干のメモを残しておきます。

※追記:すんません日本語に不自由しておりテニヲハができておりませんでタイトルすら修正。かつテクスト増減中。こうした内容にふれると思いが千々乱れるのであります、というのはいいわけです。

「ラディカルパペット零年」──確定版を読んでいないのでハッキリしたことはいえませんが、このテクストがいうように2008年を日本における「パペット元年」とするなら、それは誤認です。すくなくとも03年には京都でパペットがつくられています。おおきなパペット(あやつり人形)を街頭行動に集団的に登場させるという動きは、日本ではたしかに昨年から本格化したのかもしれません。とはいえ、たとえ一体にすぎないパペットでも巨大であれば集団で登場させるしかなく、その意味でやはり08年元年説は間違っています。

08年といえば、4月の「パペティスタ」(Puppetistas)の営為を資料として念頭においた「自由と生存のメーデー」の自力自闘の創作過程では重量が課題となりましたが、こうした創作上の課題は、アカデミー領域運動であるG8対抗国際フォーラムきもいりのパペットの「輸入‐受容」のなかであっけなく改良・更新されるかっこうになったといえるでしょう。その後、パペット表現が東京の一部でひろがったことは周知のとおりです。

しかしある特定の個人をスタープレーヤとして紹介しなくても、街頭行動へのパペットの持ちこみは、ベトナム反戦運動に随伴した「パンとパペットの劇場」(Bread & Puppet Theater)などに見られるように、人の表現行為がもつ共同性のなかに自生するものとしてふるくから存在してきたのだと確認できるはずです。いうまでもなく、巨大な人形の制作と行動への合流ということははじめから複数の人間の恊働に依拠するものだからです。したがって、この日本の状況下にあって無前提に大学を「公共空間」だと規定するG8対抗国際フォーラムがデヴィッド・ソルニットをうやうやしく紹介したやり方は、ソルニットがあくまで活動者の一員であるならかれにとって災厄でしかなかったでしょう。逆にかれがアカデミシャンたらんとするのであれば利害は一致していたのでしょう。いずれにせよ、ワークショップの講師を任意のだれかに務めさせることが問題だというのではありません。そもそも無名の大衆運動の伝統のなかであらわれたにすぎないパペットに対して、そのパペット使いの一人だけを有名人として抽出する権威主義こそが問題であるべきなのです。

いまもむかしも、社会運動にはさまざまな無名のパフォーマンスが合流します。それはまさに大衆的な運動においてだからこそ見られることであり、そして名もなき人々の闘いとしての表現はどこにでもあった/あるとすべきでしょう。その創意と有効性がみとめられれば、人はすぐにそれをまねしてとりいれるものです。社会運動も例外なく模倣の文化によって支えられるのであって、実際、街頭行動のなかにパペット表現を導入する動きはかずおおくの無名の人々・集団によって担われてきました。北米では前記した「パペティスタ」もそうですし、「パペット使い組合」(The Puppeteers' Cooperative)もソルニットらの「芸術と革命の集団」(Art and Revolution Collective)も後追いとして同様です。そしてこれらの集合の背後には、名乗ることのない、名指されることのない、よりおおくの人々の営為があるはずなのです。

日本でも、すでにイラク反戦運動のさなかに巨大なパペットが登場していました。それはやはり無告の活動者の努力によるもので、制作者は北米から移住して京都にいついていた二人組でした。2003年当時、そのパペットは幸か不幸か模倣を誘発しませんでしたが、その特異さはきわだっていました。たしか有事法に反対する20労組よびかけの反戦デモ(東京)だったかで実物を見る機会があり、二人の作り手=使い手との再会を喜んだのですが、それぞれの役割があって近くで歩くことはできませんでした。二人はアナキストでしたが、このときはSYN(新自由主義・国家主義と対決する学生・青年ネットワーク)の隊列に合流して東京にやってきていたので、移動・運搬の手段もそのわくで便宜がはかられていたのでしょう。諸党派が主力の「五者共闘」(有事立法─改憲阻止 反帝国際連帯 反戦闘争実行委員会)の隊列にアナキストの手によるパペットがにょきっと突っ立っているさまがおかしくて、それだけが鮮明な記憶として残っています。あの類いのパペットが日本で最初に登場したのは党派系の隊列だった可能性もあるわけです。でも、それもだからどうしたという話にすぎません。ともあれ二人にとってパペットは慣れ親しんだ表現手段のひとつにすぎず、手間がかかるにしても特別なことをしたという意識もなかったと思います。

少人数の創意では影響力もかぎられたためか、二人組が日本を離れてからは同様のパペットを見ることはなくなりました。ごたくをならべる前に黙々とつくりあげる営為に拡散の機縁がなかったということです。二人の創作がアカデミーの領域で称揚されたことはもちろんありません。しかし無名の活動者の自己称揚なき営為がほとんど影響力をもつことがなかったのに対して、昨年のソルニットの場合がそうであったように、ほんらい活動者仲間であるはずの人間を著名人としてまつりあげることで伝播してしまうような「運動」の内実にいったいどのような可能性があるでしょうか。反権威主義をかかげるのであれば、むしろアカデミーという囲い込まれた権威のなかで領分を確保しようとするようなフォーラムこそボイコットすべきだったでしょう。しかしぼくは自分に関係のないこととしてこれを無視していました。勝手にすれば、というわけです。ただ「北海道にのりこむ」という点では、にかわじたてのサミットホッパー=外来者として──そして帝国主義本国人として──ぼくも同じ穴のムジナだったのでした。

話をもどすと、その後、人をぎょっとさせる非日常的な異装としては03年の演劇人反戦の顔面白塗りや06年の「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」のナマハゲがありましたが、大きな人形の再登場は07年のフリーターユニオン福岡の五月病祭まで待つことになる──それが個人的な運動の記憶です。

ひょっとしたら、それ以前にも名もなき存在としてのデモ中のパペットがどこかで登場していたかもしれません。ぼくが知らないだけでその可能性はおおいにあります。ケリー・モグが示唆しているように、デモンストレーションという公共空間での行動において、異形を表現の一要素として活用するこころみはいつ・どこででもあるはずだからです。だからあれこれの行動や表現には「零年」は存在しないはずなのです。あるのは共有だけ。そのことをふまえてこそ「社会運動史の記録」は生かされるのだと思っています。

参考資料

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