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Mac mini (ppc) + Debian GNU/Linux (lenny/squeeze)

2009
07-12
ノートブックの液晶が死亡したため、自宅で使える計算機がなくなってしまった。しょうがないのでハードディスクが死んだまま休眠させていた Mac mini(PowerPC)を復活させるかってんで、秋葉原で 2.5 inch(Ultra-ATA)のハードディスクを購入。

で、やっぱりこう思うわけだ。どうせ OS のクリーンインストールするのに、ただ Mac mini を Mac として復活させるだけでは芸がない。われらが Debian が PowerPC に対応しているではないか :-)

(一瞬 NetBSD や OpenBSD のことも頭をかすめたが、これからまたひとり追究するのはめんどうなのでなかったことにした)

というわけで(?)買ってきたディスクのパーティションきり、Mac OS X と Debian GNU/Linux のデュアルブートな環境に。後者の環境ではキーマップに一部おかしなところがあるが、それはおいおい直すとして、Xfceのデスクトップ環境でま~サクサク動いてくれること。あくまで体感だけど、Mac OS X(Tiger)より速い気がする。

なお、インストールに使用したのは PowerPC 用の netinst CD(→CDイメージの一覧)。ほんとは ext4 がサポートされている squeeze の CD からいれるつもりだったが、この CD に収録されているインストーラではなぜか swap 領域のマウントに失敗するのであきらめた。いったん lenny の基本システムだけをいれて squeeze にアップグレード。それからもろもろアプリいれてみたところ、というのがただいまの状況。

OmniBook XE3 + Debian GNU/Linux (Squeeze)

2009
07-04
だいぶ前の話になるけれど、送ってもらった OmniBook XE3、そのままもらっちゃうことになりました。某さんありがとう。

で、これもけっこう前のことですが、OSとしてぶちんこんでおいた Debian GNU/Linux Lenny を Squeeze にアップグレード。とくに問題なし。ブラッブなサウンドカードのファームウェアも継続して稼動してて、ストリーミングラジオ聞きながらテキスト書きにつかってます。

ソースコードがねえじゃねかコラァなファームウェア問題については、さすがに Debian では討議がなされているもよう。討議を煮詰めて投票(→意思決定)。そのあたりは General Resolution: Lenny and resolving DFSG violations 参照のこと。英語イヤンな人はムトゥ神(→解説)の超訳を。趨勢の解説も。(関係ないけど料理がうまそうー!)

めんどくさいことになりがちな意思決定の手続きもちゃんとやろうぜってのが Debian のいいところだと思います。内実がどうあれ、フリーソフトウェアのコミュニティに対していさぎよい「社会契約」(誓い)をたてようって態度でもう涙がにじんできますね(笑)。現実は醜悪なことのほうが圧倒的なのですから。

追記:OmniBook の液晶が逝去されました orz

リトルでビッグて、これいかに

2009
07-04
ただいま Little Big Muff 試行錯誤中。以前はバンドメンバーに Fuzz Face を借りていたけど、こりゃコンパクトで使いまわしがいいや。それにしても、ファズで歪みの音色をつくるのは楽しいね。好きなバンドがファズの極悪歪み音色なんだから楽しくてあたりまえか。ただイコライザかましてグシャッと汚くしてるので、ファズ一本(と楽器とアンプか)で音づくりしてる人からみれば邪道かも。課題はよくばってて、サステイン短めでロウ(raw)で音圧残ってて、かつブリブリに汚く歪ませるにはどうしたらいいんじゃーつうあたりです(Fuzz Face の方が案外サクッと調整できてたような)。ロウなのにブリブリって矛盾してるんだけど、それがいいのですね。あれだよ、D-beat raw punk だよ。時代は80年代だよ。なんのこっちゃ。

「ちっさくてビッグ」ってなんじゃいって名称だけど、もともと Big Muff というファズエフェクターの名機があって、そのちっさい版というわけでこのネーミング。Little は Big Muff じたいにかかってるわけですな。でもコンパクトエフェクターだからってあなどっちゃいけません。ファズらしい音もつくれるし、ディストーション寄りの音色もフォローするすぐれもの。おまけに古いボックスだと電源が電池オンリーなのがあたりまえだったりするけど、Litte Big Muff は現代のものだけあって9VDC(マイナス)のインタフェースがついてて便利だ。

そおいえば、前にヘルプでギターひいてくれてたAOKI君(お世話になりました)、Muffは Sovtek と Electro-Harmonix のどちらも使うんだね。

いったいなんの話? や、まだバンド生きてますよという生存の主張なのであります。なんか近況聞かれるんで。ところで誰かギターやらないか? できれば初期のロウなクラストパンクがいける人。性別年齢不問。公安とファシストはお断り。

OmniBook XE3 を Debian(lenny)+LXDE でつかう

2009
04-21
ともだちにおくってもらった HP の OmniBook XE3 GCDebian GNU/Linux 5.0 (lenny) をクリーンインストール。ディスクが10GBと容量がかぎられているため、最初にデスクトップ環境はいれず、あとから LXDE を追加してためしてみた。Lightweight というとおりマアマア軽快に動作するので、自宅でのメールのよみかきやネット徘徊はこれでいいだろう。これまでつかっていた計算機の HDD がご臨終してどうすんべとおもっていたけど、当面のツナギとしては必要十分だ。

でも自宅で制作関係の作業したい場合、Mac つかえないとこまるしなぁ。Serial ATA 全盛のいまとなっては、ふるい ATA の 2.5inch HDD って割高感がある……が、まあそのうちなんとかするしかない。

たのむからメシはだまってくってくれ

2009
03-30
安いメシをくわせる食堂で、写真を撮っている奴を見かけるようになったのはいつごろからだろうか。携帯電話の端末どころかわざわざデジカメを使う奴さえいる。はじめみたときは何をやっているのか理解できなかったが、いまはだいたい察しがつく。ブログネタの記録なのだろう。こんにゃろう、メシはだまって早くくえ!

安いメシに気取ってみせるほどバカなことはない。粋は通用しない世界だけが大衆食堂にはある。ただひたすら腹をふくらませろ。それがメシをくうことの意味だ。味わう? 味なんかしるか。素材? 貧乏人にははじめから選択肢はない。文句があるなら自炊しろって? 低賃金労働者にはそんな気力もなく、労力かけずにメシをくったら後はただじっとして労働力の再生産を待つばかり。ようするにメシとはエサのことである。くうことが道楽になるという話は、別の世界のできごとなのだ。わが買い食いの先人たちは、まずメシをつくるひまもない銭稼ぎのために買い食いをしていた。そしてその買い食い階級こそが、幕末の世を震撼させた世直しの主体だった。

それはともかく、料簡のせまい俺は、せまくてきたないメシ屋でシャッター音をきくとにわかにイラついてくる。きっとネタの仕込みなんだろうと思うとさらにイライラしてしまう。はらがへって気が立っているということもあるのだろうが、しかしそれにしてもなぜ、安いだけでたいしてうまくもないメシにまで「B級グルメ」気分を見つけだそうとするのか、その気持ちがサッパリわからないのである。記事をかくなら文章だけでいいはずだが、とにかくカシャカシャやっている。無粋だ。早飯早糞芸のうちとはいうが(というより早飯早糞は賃労働者の習い性的な規範だ)、メシをかきこむことしかしらない無芸の労働者としては、とにかくてめえは早くくって待ち客に席をあけてやれといってやりたくなる。無芸が無粋に腹を立てるという底辺の争いだ。しかし実際くちにだしてしまえば店内の雰囲気をわるくしてしまうわけで、根性なしの俺はいつもだまって店をでる。

東京・新宿駅の西口のガード近くに、しょんべん横丁と呼ばれる飲食街がある。ほんとうは思い出横丁と焼き鳥横丁といってゲートにもそうでているのだが、失敬なことにみんなしょんべん横丁という。由来はしらない。バイト先の先輩がそういっていたから、俺もそういうことにしていた。焼け跡の闇市がどうたらとか、とわずがたりのマーケ屋の売り文句になりさがった知ったふうなお喋りはいまはどーでもいい。そんなことより、ここは焼き鳥屋や飲み屋が多いところではあるが、じつは昼間にやってるメシ屋もけっこうあるということが腹をすかせた貧乏人にとって重要なのだ。もうだいぶ記憶がくたびれているが、いわゆる一膳メシ屋が多かったはずだ。いや、膳なんて高級なものはない。トレーすらない。とにかく安く早くメシをくうのに一番合理的なつくり置きシステムの店がけっこうあったのだ。感動するほど安いわけでもないが、昼間にはそれなりの値段でそううまくもないメシをくわせる店の存在は、昼メシ戦争をたたかう賃金労働者にとってはなによりもありがたいことだった。いつだったか横丁から火事がでたというが、戦後ノスタルジー的ちんけな観光地化にも負けず、たぶんメシ屋はいまもあるだろう。いうまでもなく、新宿は労働者の街でもあるからだ。

どうも話が脱線していけない。思えば貧乏な勤労学生だったころ(いまも貧乏だが)、しょんべん横丁の近くで長らくアルバイトをしていて、ここらのメシ屋で昼メシをくうのが日課のようになっていた。貧乏人には安い早いで十分、それ以上のぞむことはなにもない。横丁主流のL字型カウンター席を踏襲するメシ屋はとうぜんせまいところがおおく、そういうところでは奥の席へととおれるように、みな気をつかって背もたれなしの丸いパイプ椅子があまり後ろにつきでないようにしながらだまってメシをくっていた。ここらじゃコの字型カウンターをもつ食堂は少数派だった。そしてとくに安い定食とかどんぶりメシとか一膳メシをだしている店じゃ長居は禁物、モシャモシャとかきこんでお茶をすすって早々に席をたつ。発することばは「ごっそさん」、または「おあいそ」の一言だけ。なじみの放言ならともかく、「うまかった」なんてご機嫌取りはしない。酔っぱらいや健啖家気取り相手のボッタクリ屋への対応ならいざしらず、注文と勘定のときだけ意思表示をするのがメシ屋をなりたたせるための客の仁義の切り方で、それ以上の口上はいらない。ワンコイン(500円)でメシをくわせるような食堂は、とにかく客が回転しなきゃやってらんねえのだ。そんなところで間抜け面さげてシャッター切ってりゃ、てめえはだまってメシをくえという無言の敵意にとりまかれることになる。

メシ屋には、焼き置きの魚(というものがある)をあぶりなおしている音だとか、みそ汁をすする音だとか、メシをかみしめる音だとか、椅子をひく音だとか、おつりの小銭をならす音だとか、そういう音だけがあればいい。無駄口もいらない。グルメライター気取りの侵略者はとっととメシくって店をでろ。メシをくうなとはいわない。くえ。ただ、くえ。そしてくったものをいちいち反芻するな。講釈たれるな。うまかったらうまかったという記憶だけ残して、またくいに行くだけで十分なのだ。

なんだかんだいって俺が理屈おおいんだよな。いかん。はやくメシくいにいこ。

追記:そういえば友だち・なかま・知り合いというべきひとのなかにも、媒体とわずメシの話を書いてるひとが何人かいるなぁ……いま思い出した。批判あれば議論すんべ。

punk solidareco

2009
03-14
一年ぶりにシンガポールのクラスティと再会。賃労働の都合でスポットで東京にきてるだけなので、仕事がハネた夜ふけに会う。夜があけたらまた労働だそうだ。ギグやレコード屋に行く時間さえない。労働、労働、労働。みんな生きんのにヒッシだ。

このかれ、アフガンからシンガポールへの移民の子でそれなりの苦労を背負っている。911以後、シンガポール政府から親父ともども嫌がらせをうけたこともある。いまにはじまったことじゃねーけど政府はどこでも糞、糞、糞、それでも地下のパンクスの交流はなくなんねんだよこの糞やろう。protest and survive!

そういやシンガポールってデモ禁制でガス抜きさえさせないのな。数年前に短期滞在してたとき、ちょうど3月下旬だったこともあってここじゃ反戦デモないのかと念のためきいたら、「ねえよ」「示威目的で集まったらパクられんのよ」といわれたんだよなー。さすがに独裁都市国家だけのことはある。……去年一部「解禁」したってことらしいけど事実上禁制つづいてるだろうなァ。だから大日本糞帝国はマシだなんていわねえけどよ。

昼めしとデモ

2009
03-13
昼めしを食いにでて、新宿民商と区労連が新宿通りを四谷方向へとデモっているところにでくわした。しばらくその横を歩いてシュプレッヒコールをききながら定食屋にはいる。店はできあいの一品小皿をえらんでいく大衆食堂。めしをかきこみつつ「税金はオリンピックではなく中小企業対策につかえ」というコールをはんすうしてみる。まったくそのとおりだと思う。そこに零細企業やフリーランスもくわえてくれということはさておき、30人ほどのデモ参加者のほとんどが高齢者だったなァと思いながら茶をすすって店をでた。それだけの話。

明日は明日の家がたつ

2009
02-26
最近は心を入れかえて?賃労働を最優先しているので、まったくなにもできていません。私用ふくめ労働力再生産日もけっこうつぶしています。やけのやんぱちを少しあらためて自分の生活を優先するとこうなるのだ、ということがよくわかりました。困ったもんだし、なさけないことですが。

こないだA誌の編集委員とのはなしのなかで言及したことなんですが、戦前、とくに1920~30年代の東京下町の中小労組がみな長時間労働にいそしみながら(たとえば印刷工の場合、10時間超なんてあたりまえ!)活動できたのは、実は家族的・隣近所的な共同性がいっていあったからじゃないのかな、ということがあります。単身者どもは組合事務所で自炊しながら雑魚寝してたりとか、小さい組合だとそういうところもあったわけで。そもそも事務所なんか「だれかんち」ってこともあったわけで、そうして誰かが働きにいってデヅラおとしてみんなでメシ喰う、これは「自由労働者」(たちんぼ)の組合の場合。

いわゆる戦時体制期に「統制」された状況とことなり、30年代までの日本資本主義のもとでは、労働者のなかにはワタリの「職工」(しょっこう)が少なからずいて、かれらが腕一本で「労働市場」を横断的に流動していたことも、融通しあうという共同性の維持に少なからず影響をおよぼしていたのではないかと思います。とりわけ中小の群小工場なんかはそうですね。しかし夜10時に集まって相談しながら問題の起きた工場にみんなでおしかけるって、つまりは小さな町工場にいる職工が横断的につながってた、つながらざるをえなかったからこそできるワザなんですよね。いまでいう地域合同労組・コミュニティユニオンはこの系譜をひいてるんじゃないかと。しかし独占─下請け─孫請け─etcの底辺の零細親父も悲惨だったかなという気もするけど、まあ払うもん払わないといけないのはいつの時代もいっしょ。問題は甘い汁すってるやつが安穏とあぐらをかいてるその足下で、びんぼったれどうしがいがみあわなきゃならん構図。そりゃひとりぽっちだと陰々滅々ですわね。

話がそれる。んで、この戦前の超不安定雇用の先輩労働者たちはこうした共同性のなかで融通しあうことで、じっさい失業しても死なずに生きのびていました。争議になると「とーちゃん工場占拠」「かーちゃん物資もって行商」という家族ぐるみ闘争になったという記録もあります。……あーやばい、こんなとこでメモ書きしてないで、のばしのばしにしているものをかたづけないと。アナボル論争なんて主義者の論争だけみてても、現実の労農の運動がどうだったかなんて見えてこないんじゃ。なんのこっちゃ。

さて、「とーちゃん・かーちゃん・こども」の家族のありようはともかくとして、見知ったなかまうちでなんとかやりぬくという生きるための集団性は、古くて新しいものなのかもしれません。ひところ(もうだいぶ昔か)ブルジョア・アトミズムがうんぬんかんぬん…とよくいわれましたが、ブルジョア的単体として生きるには、とうぜんながらほとんどの賃金労働者は貧しすぎます。じゃこのさきどうすんの。ないものは背に腹にゃかえられぬ、あるところからブンドルしかありませんが、現実的にはなかなかそうもいってられない場合、なかまうちでなんとかするということもとーぜん視野にはいってくるでしょう。そういやおれ、東南アジアへDIYツアーに行ったときにバンドメンバーに借りた金を五年もかかって清算したとか(無利子金融ありがたや)、そういうわれながらひでえ話があるんですが、でもそんな一方向的なアレはともかくとして、お互いになんとか手をかしたりかりたりして生きのびるってことは十分射程にはいってくるでしょう。そう、貧乏人ほど都合つけあったりしてなんとかしてんじゃないのかというわけ。無尽やるほど余裕ないけど。しかし問題は友だち・仲間がいないぜどうなるんだ問題はここでは問題化できずに素通りするということです。ひどいな。

ってことで、いつにもましてコジツケがすぎますが、自由と生存の家! みんなで住むとか、それだけでもけっこう心強いものがあるのでは……貧+貧=強靭、という感じで。「孤独への権利」をたいせつにするひとには集住は向かないかもしれませんが(おれか)、ある共同性をもった居住の空間をつくりだすというのはこの殺伐としたサバイバルの時代には興味深いものがあります。弾圧くらうときは一蓮托生というような気もしますが、ガサの立ち会いもひとりよりふたり、ふたりよりさんにん、というようなこともおりこみずみで、「居住=運動」と展開できれば面白いのでは、と放言しておきます。面白いだけじゃすまないはずですけどね、なんとか日々暮らしていくということは……それこそ貧乏人ほどオモクロになる。

四谷三丁目物件は職場から近いはずなのですが、とにかくけっこう賃労働+αでままならず一度もお手伝いに行ってまへん。それどこじゃなくてそもそも労組の活動からもけつわってますが、とにかくおもしろい取り組みとしてメモ。

ではおやすみなさい。もうろうとしながら書いてるので、起きたら消すかも。

politika aŭ morta

2008
11-01
あ゛~、風邪ひいてシンドイので先に切り上げてしまった。トップバッターだったのが幸いして体力が持ちました。ヘルプでギグに臨んでくれたNくん、Bくん、どうもありがとう。KRIEGSHÖG & DEATHTRIBE、祝7'EPリリース。レーベル運営者ご苦労様。たぶんみんな朝まで打ち上がるはずなのに先にバックレてすんません。

たいていいつも何かしらあって、「仲間がパクられた」とか「今度行動があります」とか何とかギグでアピールしてるけど、今回もパンク仲間に向かって告知すべき状況にあったなと。リアリティツアー弾圧についてふれました。急なことでもあったのでビラは勝手につくりました。

アピールしたときにやった曲、

nenio estas krima

indiĝena personoj, do kio?
eksterlanda personoj, do kio?

nenio estas krima

diskriminacia personoj, do kio?
malhava personoj, do kio?

nenio estas krima

invalida personoj, do kio?
malsana personoj, do kio?

nenio estas krima

no one is criminal

indigenous persons, so what?
foreign persons, so what?

no one is criminal

discriminated persons, so what?
hove-nots, so what?

no one is criminal

disabled persons, so what?
sick persons, so what?

no one is criminal

誰も犯罪者なんかじゃない

先住民、それがどうした
外国人、それがどうした

誰も犯罪者なんかじゃない

被差別民、それがどうした
持たざる者、それがどうした

誰も犯罪者なんかじゃない

障碍者、それがどうした
病者、それがどうした

誰も犯罪者なんかじゃない


思い起こせば昨年の「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」ではトラックの荷台の上でやらせてもらったんですよね、おれら。あたりまえだけどハコでやるのと全然違いました。路上でマルキと公安の連中に包囲されながら、デモ隊に向かってというかデモ隊と一緒になってというべきだと思うけど、そーいう状況でやらせてもらうのなんて滅多にない経験で、実に楽しい思いをさせてもらいました。警備公安に脅迫されてるばかりじゃないのです。でもそのぶん他の人が大変なのです。だからとーぜん今回の件だって、去年の恩返しってわけじゃないけどバンドとしてできることはやらなきゃね、と思ってました。

この地では「政治的であること」はどうやら白眼視されるようだけど、地下のパンクスはんなこたいっさいかんけーねーし、勝手にやるだけ。話もしたことのない人の目ばかり気にして無味無臭きめこむカシコさんの世界に用はない。

ではおやすみなさい。はなみず垂れてきた。

騒音の記録

2008
09-27
昨日、パンク仲間のスタジオでレコーディング。
今まではアナログな MTR を使って raw な音でまとめていたけど、
今回はデジタルとアナログの半々の環境で作業。
それでも相変わらず音はブリブリな fuzzzz x mangel となるはず。
10月中にレーベルに音源送れるかな、といったところ。


:D

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


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