mukofungoj ĉiuloke

 変形菌はどこにでも
 

労工として殺され、生きる人々

戦時中の中国人強制連行問題といえば、たとえば花岡事件などは知っていたつもりですが、七尾の強制連行についてはまったく知らずにいました。それでなにがオトシマエだおまえは状態ですが、とりあえずリンクだけ。ウェッブページのタイトルの漢字が一字違っているようですが、七尾中国人強制連行問題
 運動体のサイトがないため地方議員さんのページへのポインタです。でも、サイトなんかなくても運動はできます。基本は紙つぶてです。

 さて、七尾の運動については、9日一緒に持ち場についた方にいろいろと教えてもらいました。びっくりしたのは、「いつのまにか前におしだされて──」と語ったその方が、ほとんど持ち出しで運動にとりくんできたということ。裁判闘争をすすめるために、たびたび大陸にとんで交流と調査を続けてきたというのです。どこかの篤志家がカンパしてくれるわけでもありません。他の仲間たちや弁護士もまったくの手弁当だそうです。それでもそれを助ける人々がいるから社会運動が成立するのです。人間の歴史は政治がかなりの部分をしめますが、政治に直接かかわらない人間もまた歴史をつくるのだということをよく示している話だな、と思いました。
 そしてわたしはただひたすら頭があがりません。前面にたつことと裏方の仕事に違いはないと思っていますが、ことこうした運動で前面にでることで引き受けざるをえないリスクというのもまた確かにあるからです。それは単に経済的負担というだけでなく、日本帝国主義の罪業を認めようとしない自民族中心主義者からの攻撃をも引き受けるということを意味しています。

 話をきくなかで、印象にのこったことをもうひとつ。
 強制労働の当該や「労工」として殺された人々の遺族が、最近までずっとだまってきたということ。「おまえ(のおやじ)は日帝のために働いた」といわれるのがおそろくして沈黙してきた経過があるというのです。これは当然にも戦争がなければありえない悲劇です。日本帝国主義の罪業は、戦争そのものだけでなく戦後もたらされる事態によって倍加せざるをえないのです。戦争と革命からある程度の時間が経過し、ようやく証言にたつことが可能になったということもあるでしょう。しかし沈痛の黙秘という事態を動かしたのは、やはり人間どうしが交流する社会運動あってのことです。

 大陸各地からきた人々はそろいのゼッケンをつけていて、前面には怨とありました。
 偶然にも怨ということについて思うところがあって、そしてなぜか愕然としました。慰霊行事で当該や遺族が慟哭にくずれおちても怨念はきっと昇華されないだろうと、そう思うことの不遜さを懼(おそ)れながら、なぜかそう思わざるをえませんでした。困苦は集団的でありながらも、結局は一人ひとりのものであるしかないからかもしれません。
 ではかわりに「人民連帯」によって怨みが晴らされるのでしょうか。あるいは帝国主義の打倒によってでしょうか。わたしには分かりません。ただ少なくとも、人々の実際の連なりのなかでなにかが動くということが確実にあります。それだけのことを思いながら、大陸からきた人々がうたうインターナショナルのサビの部分だけをそっと唱和しました。
etikedo : 強制連行
 
 

23号地にて


我還父親
6830人分の慟哭
大日本帝国が焼ける夏の日
定年退職後もかけずり回る人がいる
etikedo : 強制連行
 
 

裹頭衆は合意形成をわらうか

I

 仏教の話ついでに。

 ちかごろ、直接民主主義的なものごとのとりきめかたについての議論が、よく見受けられるようになった(気がする)。方法論としての合意形成論(decision making)、その実践的役割への言及──。
 なるほど、集団的な意思決定への過程が民主的でない、あるいは民主主義をうたないがら形骸化しているという現状批判は、よく分かる。どこにいっても、おさだまりの「意思決定するものの慣習」がその場を制していることは否めないように思う。とくに限られた時間のなかでの決定は、ともすれば多数派と少数派の対立と対立の表面的回避による決着のなかでしかなしえないものとしてあるだろう。このことは社会運動の現場においても例外ではない。
 だから意思決定についての課題としても、これまた輸入思潮の出番とされる。そしてもっぱらそうしたヨコモジの新たな方法論を、なにかすべてを解決するかのようなものとして傾聴する権威主義さえ見受けられるようだ。
 だが、いわれるところの集団的な合意形成にあたって、ほんとうに直接民主主義的な手続きやその追及がなされているのかどうかについては一概にいえるわけがない。日本であろうが、海外であろうが、現場ではそれはつねに問題としてある現在進行形の課題だ。
 反グローバリズム(あるいはオルター・グローバリゼーション)の社会運動の文脈のなかで画期的な抵抗闘争としてしばしば言及されるシアトルやジェノヴァの闘争にしても、全体を統一するような合意形成はありえなかった。その双方とも、実力行使を辞さない部分は最初から運動体の連合にはくわわっていなかった。だからかれ・かのじょらは最初から鬼っ子として叩かれる結果のなかにいた。間違いなく現場は分裂していた。その分裂のなかで、とりわけシアトルでは、一方は「ブラックブロック」を暴徒とよび、別の一方は平和主義者を「ピースコップス」とよんでお互いを侮蔑しあった。とある北米在の宿無しアナーコ・パンクの仲間はその経験を、ある意味で直接行動派とピースコップスとの闘いだったと笑ってふりかえったことがある。「おれたちを売る平和主義者はどこにでもいるからな」といってかれは肩をすくめた。
 ところがグレーヴァーのように「新しいアナーキスト」として売出され中のもののなかにさえ、たとえばブラックブロックをなにか非暴力主義的な本来性をもつものであるかのようにいいなす傾向が存在する。非暴力直接行動? ばかをいえ! ブラックブロックとは現場共闘の一時的な集合体で、その行動の性質について一概にいおうとすることじたいが間違いだ。平和におわる行動もあれば、実力行動にでる行動もある。分かりきったことではないか。ショーウインドウ破壊やモロトフカクテル投擲なども含まれる実力行動に従事するものをつかまえ、それを非暴力の使徒であるかのように位置づけるやり方は、欺瞞のわざというほかない。

 問題は、暴力をめぐる議論だ。現場はこのことをめぐってつねに分裂している。

 そうであるのに、たとえばこの日本では、海外の運動に派生する目新しい事象を見つけだしては、これを新たな民主主義の時代の到来を告げるものとして紹介し、その積極的な意義だけを強調する傾向がある。しかしそうした態度は、人がなすことにかならずつきまとう負の性質をおおいかくすことにさえ通じるだろう。
 もちろん、行動の多様性を保証するものとしての合意形成に関して、運動全体の統一をはかるものではないという議論があることは承知している。それでもなお、治安当局との一定のせめぎあいが前提としてあるときに、行動の空間的制約があるなかでの合議に関しては、やはりその一定の制約に対応する総体的な連絡がなければ(その連絡は調和的でなくてもよい)、現場は分裂せざるをえない。その分裂を含み込んだ場の共有ないし競合が最初から前提とされているならそれでよい。分裂・競合をめぐる各運動体は相互に批判しあえばいいだけだからである。問題は、それがけっして調和的なものでなくむしろ分裂含みであるということについてふれることを慎重に回避しながら、多様性とそれを保証するという合意形成のすばらしさについて喧伝する欺瞞にある。そんなに多数派になりたいのかということが、そこで問われる。

II

 さて、この地における合議をめぐる闘いの歴史はいうまでもなく古い。通俗的な言説として日本人の特質に「和」があるかのようにいうものがある。その正否はともかくとして、その「和」の根幹は、日本人は中世以後、基本的に衆議によってものごとを決めてきたという、その歴史的性質に規定された幻像にあるだろう。
 王権の権威が相対的に低下し、東国を中心とする幕権が京(京都)にさえ部分的におよんだとき、その社会はどうだったのか。中世の社会的本質をいうものとして「自力救済」ということばがあるが、これはひとことでいってしまえば弱肉強食に依拠した自由のことだ。誰も助けてくれないやったものがちの世界。そしてその力の世界のなかにあって朝幕に対抗する第三極をなしたのが、南都北嶺の武装した有力寺院であった。そしてその有力寺院の経済活動とともに台頭したのが金貸しどもである。中世の世界には統一された国家権力は存在しなかった。
 これら寺門は内部に武装勢力をかかえこむことによって権門としての地位を確保した。南都は興福寺・東大寺をはじめとする古代から残存する奈良の宗派勢力、北嶺はいうまでもなく京都をにらむ位置にあった山門=比叡山延暦寺などの諸寺坊で構成された天台宗系勢力のことだ。朝幕の権力に伍した寺社勢力には、高野山や根来寺などの真言宗系の宗派もあった。武家が支配したとされる東国においてさえ、たとえば日光山輪王寺などが一大武装勢力を形成して自治権を獲得していた。
 とまれ、権門としての寺社勢力は、その武力によって自治が保証されていた。その自検断の前には、朝廷も幕府も容易に手をだすことさえできなかった。そしてその荒ぶる寺社勢力はときとして朝廷とも結びつきながら広大な版図を手にしていった。(これら権門的宗派をのちにほりくずすのが浄土教系門徒で、一向一揆はその極端な自治的表現であった。)
 ところで、中世では政治権力の構成のされ方に変化が生じたことはよく知られるところだ。独裁から集団合議の権力へと移行するのである。朝廷でも武家でも基本的に変わりはない。むしろ突出する独裁者的人間が頂点にたつと、必ず波乱がまきおこった。朝令暮改の権力亡者・後醍醐しかり、将軍職初期時代の足利義政しかり。長期間の中世的世界のなかにあって、政治権力さえ規定したものごとのありようには、専制ではなく合議による動かされた形跡が一貫してみられる。
 これは政治権力だけでなく、あらゆる社会集団にみられた傾向である。惣村や都市の自治も、賤民とされたものたちの社会の自治も、基本的に合議によって運営されている。その社会を構成する基本的特質の大勢のなかに、有力寺院の政治もまたあったのである。
 その武装する有力寺院は独自の寺法をもって運営されていた。ものごとの決定には座主・別当の意思も影響をおよぼしはしたが、基本的には僧団(サンガ)の合議によってその運営が規定された。しかもサンガは上臈(上位)のものだけなく、下級の僧侶・宗教者・雑役従事者も構成するものとしてあった。寺院内にはいくつもの合議集団が形成され、そのなかには下位のものたちの集団も存在した。そして上位はつみあげられていく下位からの合意を無視することができなかった。武装していたのはかれら下位のものたちだったからである。そして京にのりこむ嗷訴やよその寺社との喧嘩について議論するかれらは、独特の合議の方法をもっていた。
 裹頭(かとう)袈裟というものがある。目元だけを残して頭をすっぽりとおおいかくす頭巾の役目をはたす特異な袈裟のことだ。そして南都北嶺の下級の僧団はこの頭巾をかぶって重要な会議をとりおこなった。裹頭衆の僉議(せんぎ)で、下級僧侶・僧兵たちは顔をかくし、比叡山ではさらに鼻をつまんで声音まで変えて各々が発言するというかたちをとった(『源平盛衰記』)。そうやって発言者を特定させないことで、意見の内容そのものだけをもってその合否をきめようとしたのだ。そこには、発言者に序列的権威を認めず、また外部からの介入を排し、内容だけでものごとを考えようとするまっとうな精神があった。とくに下位僧団の衆議は、ときに大衆蜂起にかんする議決をしなければならないなどの、自らのいのちにかかわることがしばしばあったため、集団の利害について生半なことでは決定しようがなかったはずなのだ。だからそこで個人的な利害得失が排除されるのも当然のことだったのである。とはいえ、酒を飲みながらだとか(延暦寺)、寺院内の大湯屋でもうろうとするなかで(興福寺)大衆蜂起の会議をしていたケースもあったようで、その場合は勢いだけで蹶起したのかよ!(どこが成員民主主義だよ)という「問題」が残るが、まあそれもいいじゃねえか、死ぬのは自分だ。
 このように、法相宗・華厳宗・天台宗・真言宗などの「顕密体制」をなす諸宗派に見られる「ブラックブロック」(笑)も、その行動会議でいちおうはまじめに衆議していたわけだ。あるいは土一揆のさいの百姓の意思決定も同様で、かれらは衆議・連判することで、オトナ主導とはいえ成員平等原理による合意をもって一揆契状を結び、戦乱の世界に対処した。南都北嶺の宗教秩序を打破する一向一揆にしても同じことであった。ただそれらは階級ごとの自足する秩序を形成しただけで、階級の異同をのりこえようとする水平性をもった民主主義であったかといえば、やはりそうとはいえない。
 しかしなにも近代以前のすべてが暗黒であったとする必要はない。制約はあるにしても、民主主義の萌芽はすでに前近代の世界にさえある。問題はやはり、理念そのものの高邁さがどうであるかよりも、実践の苦しみのなかにこそあるのだ。立派なことなら誰でもいうが、おれはもっとババをつかんだやつらのみじめでみっともなくてしょうがない、でもそれぬきには自治などありえない右往左往──そういう話がききたい。きれいごとは、もう、ほんとうにたくさんだ。

 でも「近代の超克」にならないように気をつけよう(わら)。
 
 

マレーシアで治安維持法反対デモが弾圧される

逃避の一環でメモ。

8月1日、マレーシア・クアラルンプルにて国内治安維持法(1960年制定)反対デモに1〜2万人参加。ポリ5000人がでばって弾圧。逮捕者報道にはばらつきあり、AFPでは288、ロイターでは589人。
マレーシアの Abolish ISA Movement や Wikipedia によると、この治安維持法(The Internal Security Act 1960; Akta Keselamatan Dalam Negeri)では外部交通を遮断したままひとまず60日間勾留できると説明されている。日本では最長23日間だが、その2.6倍か。その間、弁護士、家族いっさい接見できない。しかしそれだけじゃすまないケースもあるようだ。さらに2年間の勾留(!)ともなれば Kem Tahanan Perlindungan Kamunting(Kamunting Detention Centre、カムンティン拘置所)行きで、この場合は家族の訪問が可能だとか。

Wikipedia に掲載されているひっかけられた人の一覧見ると、最近はジェマー・イスラミーヤーの人らが2年間の勾留をくっている。なかには4年、6年勾留という人もいる。これは勾留が延長されているということか。なんというおそろしい未決勾留システム。未決ですよ。裁判なしで数年間も拘置所にぶち込んでおけるんですよ。カムンティンの拘置所では暴動も起きていますよ。拷問事件もあるというからそりゃ当然だ。

この弾圧法、もとは反共法としてあったようだが、その後いろんな人がひっかけられている。21世紀に入ってからはイスラーム主義組織つぶしにも使われていると見える。
Abolish ISA, Close Down KEMTA!(KEMTAはカムンティン拘置所のこと)
 
 

日本パペット抄史・補遺

自分で書いたもんにリンクつけんのってなんかやだわ。

「パペットがやってきた──いつ・どこに?」の補遺。これのなかで、デモ中の巨大なパペットは日本では〇三年ころには現れていたとしつつ、「それ以前にも名もなき存在としてのデモ中のパペットがどこかで登場していたかもしれません」と含みをもたせておきました。それより前にどっかで見たような気がしつつ、思い出せなかったからです。

で、思い出しました。当時からブラウザでチラ見(笑)していた PeaceT のウェブサイトの写真。以下、〇二年九月一一日夜、東京渋谷です。
Peace Walk@渋谷宮下公園
(PeaceT)
なんで見てたかって? 当時都内の「反戦平和」の集会や行動に参加しつつ(反戦と反戦平和はなんか違う)、いろんな人たちが出てくるんでネットもグルグル 徘徊してたんです。とくに共産党とかその他党派主導のあつまりには直接参加しなかったので、「見てるだけ〜」の補完としてチェックしてたわけです。だから このパペットも直接見たわけじゃありません。

PeaceTってのは、こういうと怒られそうですが、たぶん共産党系の東大生のグループ。アフガン反戦のころに登場した若い人たちの集まりですね。(フレーム仕様の)サイトの更新は停止しているので、おそらく活動も終息しているかと。しかしサイトよく残ってたな。

ピースウォークそのものも、おそらく共産党系です。呼びかけ出してたのがそっち系大衆団体でした。いやーそれにしてもこの当時から共産党もいっしょうけんめいピースウォークといっていたんですねえ。なつかしい。ウォークのあとには Be-in に参加しているようですが、これは別主催です。のちの World Peace Now の、やはりピースウォーク派だった部分(CHANCE!とか)に近しいグループ主催だったといってさしつかえないと思います。

さて、とりあえず日本のアレ系パペット(ってなんだ?)の存在は〇二年の九・一一まではさかのぼって確認できるということにしときましょう。「零年」探しをする意味はあんまりないと思いますが、一応「発見」メモ。まるでコロンブスだな。社会運動の歴史家きどりってのは要するに運動史侵略者ってことだ。ぎゃー最悪! なんでこんなにこだわるかというと、「新しい」はきっと「古い」に違いないという天の邪鬼のせいです。

え、こんな時間? いろいろ作業に追いつめられての逃避にきまってるじゃないですか。この間の書き散らしも逃避の一環です。書きすぎか xD
etikedo : パペット
 
 

ピッツバーグG20

次のG20サミット(金融サミット)はピッツバーグ、9/24-25。生きのびる資本主義に対抗してなにをどうする。刮目。なおピッツバーグはかつては鉄鋼生産で有名だったが、いまは先端技術産業が集積しているんだとか。ほんとかよ。
  • Pittsburgh Organizing Group の声明
  • アナーキーな夏のキャンプ 
    Pittsburgh G-20 Resistance Project からの提起。9月の平均気温は12/23℃らしいが、夏なのか秋なのか微妙な感じ? キャンプはaction-packedということなんでもちろん行動拠点なわけだが、以下のコードが提示されている。武器携帯はやめてねってなんてコードだよ笑
    1. No drugs or alcohol.
    2. No weapons other than pocket knives.
    3. Oppressive behavior will not be tolerated.
  • Do it Again, Pittsburgh! 運動カレンダー
 
 

見栄の組織化は崩壊の組織化、つまりただのゴマカシである

conflictive.infoが転載・公開してくれたので、だれもが全文参照できる。だからこちらも気安く言及できる。でも転載に気づくのにだいぶかかっちまった。モノはあれだ。矢部史郎の〇八年洞爺湖サミットをめぐる運動(現地キャンプの運動)についての報告。もともとは雑誌『リプレーザ』に掲載されたもの。あらためて読むと、ダメさ加減をまるごと捨象する矢部のこの前向きさはある意味貴重だと感心する。ゴマカシさえばれなきゃ、アジテーターとしてはまあアリなのかも。だけどそれじゃひとりでするものではない「運動」はやがて崩壊するしかないんじゃないのか。

肝心なことだけど、「現地キャンプ」関係者・参加者でこのプロトコルめいた文書をどれだけの人間が承認するんだろうかとハゲシク疑問だ。豊浦だけじゃねえな。分裂騒動のためにキャンプワーキンググループ事務局(ワーキンググループは以下WG)からなかば放棄された壮瞥キャンプに参加した人たちにとっちゃ、こういう大風呂敷をひろげることによる意味の表象と収奪ってどうなのか。いや、こういうからといって対立をあおるつもりはない。だってもうだいぶまえに終わってしまったことだしね。内容はどうあれ総括くらいしろよというだけ。外からみたら、豊浦も壮瞥も組織者も参加者も、みんな「現地行動」を構成したという意味でおんなじなんだからさ!

ほんとは人の目にふれるのがかぎられる極小紙媒体での原稿だし、この矢部のいいつくろいもまあいいかと思ってたんだけど、ウェブに転載された以上は解釈が必要だと判断して、こうして愚にもつかぬことを書くことにした。人(特に学者(ここは笑うところ))はアジテーターやら思想家やらのいうことをすぐうのみにする権威主義の動物だから、運動史料には当然ながら註が必要だ。註というかオーラルな訂正かもしらんが、人の目にふれるようにするにはやはり対立資料の文章化の作業が最後に必要になる。だからみんなもっと出てきて喋るなり喚くなりして、そして書くべきだと思っている(野次馬ではない同志的な記録者がいるなら自分で書かなくてもいい)。自分自身が民衆史の資料となりうるということを自覚する必要があるんじゃないかというこった。

しかしそもそも、おれは豊浦・壮瞥の「アクティヴィスト・キャンプ」には事前にかかわりをもつ余裕もなかったし、大風呂敷をひろげたキャンプのための無茶な請負のようすを横目で見ててちょっとウンザリしてたし、そして実際になんの貢献もしなかったので、いうだけ外在的な批評にしかならん。ならんのだが、矢部が列挙して称揚する NO! G8 Action がおこなったという準備作業のうち、「1、国内の運動団体・活動家との連絡調整」「10、通信システムの構築・防衛」についてはめぐりめぐって「協力」したはずなので、そのぶんだけ話をしてもバチはあたんねーと思ってる。

ちなみに「10、通信システムの構築・防衛」についていっておくと、それが広い「連合」の運動のためのものとしていっているなら、当然ながら現地キャンプのためだけにあったのではなく、また準備作業・運営・防衛を担ったのは NO! G8 Action ではなく独立メディア関連の運動体・個人だった。NO! G8 Action の自前のウェブサイトという意味での通信手段については、たしかに身内がつくったようなもんだ。だがキャンプWGの通信手段のうち電子メールベースのものは数年前からあった環境を利用しただけのこと。キャンプ地で電話とネットの回線を設営したのもキャンプの人間じゃねえじゃん。これもいつのまにか「できそうなとこにやってもらっちゃう」式のなし崩し請負になってただろ。海外への招聘ツアーふくめ、大変なことを色々とになったのは事実だろう。でも、なんでもかんでも NO! G8 Action がやったかのようにいうのは、ウソだ。それにしても「通信の兵站」も自力で組織できない行動ベースっていったいなんなの。自前の「工兵」獲得もまた「軍事」の基本。キャンプは「軍事」じゃない? それじゃ、兵法家をもちだしてきたり、その行動主体について「国際旅団」といいはるような行動報告をながらくそのまま放置してきた参加者の皆さんはいったいなんなんですか。消費になれきったただのお客さんですか。だれかの公的報告にそのつど気がついて直交しなゃきだめだというんじゃない。なんで自ら総括したことを仲間や社会に問わないのか、ということだ。だって社会に呼びかける運動に参加したんでしょ。参加して楽しかったって個人的な思い出としてしまいこんでるだけじゃ、アクティヴィストじゃなくて主体のないコンシューマー。議論喚起の功績はあるが、無註の転載という点ではconflictive.infoもどうなのか。それにしても、なんでこんな見えすいたホラやミエがそのままにされるのか、まったく理解できん。

テクストへの註ということのついででいっておく。PP研の山口響の報告(「反G8行動の中で考えたこと」『季刊ピーブルズ・プラン』44号所収)のような「ぼくはいうことをきかない悪い人たちの仲間じゃありません」といわんばかりの立場宣言はほっときゃいいとあのときはいったが、Kくん、でもやっぱり現場にいない権威主義の研究者たちがこういうテクストをありがたがって資料にしても悲惨なので、ここで註しておくことにした。英語ができるばっかりにまきこまれたあの兄ちゃんのテクストで展開された恨み節については、7・5の札幌のデモで幸か不幸かゼッケン組となってサウンドデモの混乱に立ち往生して大変だったんだろうなと同情もするが、それでウップンばらしのために本来的な仲間をこきおろすだけというのはまるでダメだといっておく。ダメなことはなにがどうダメだったのかを、運動の主体としてとらえるもんでなくてはならない。しかもはねあがりを批判するのに日本─東京での地道なデモの努力について兄ちゃんはひっぱってくるんだが、その現場にゃいねえときてやがる。なんてこった。自分がかかわってるもんをひっぱってこい。〇八年の自由と生存のメーデーで新宿駅前解散かちとったとか、やろうが敵視する立場に雷同するようなおれみたいなアホ一匹さえもがそのために現状にあしをとられながら警視庁とのチマチマとした事前のやりあいに涙ぐましくもコミットしてきたってことを知ってか知らずか、そういう裏方の努力については眼中にないかのようにして行動の結果だけをわがことのようにして語り、いうこときかないやつらをこきおろうそうなんざ残念ながらお笑いもいいとこだ。おれ自身はヘタレで届け出の行動ごときでそうそうはねあがる気はあんまねえんだが、気のいい連中がはねあがるのは心情的に支持してる。たかがデモのひとつやふたつを一車線におしこめて警察が仕事したつもりになってる了見のせまい公安警察国家体制が糞だと思ってるからな。メーデーのデモでだってコース説明の時間などを利用してはねたらパクられるかもしれないから自分で判断してくださいと現場責任者としていったことはあるが、はねるななんていったこたぁねえ。はねるならパックアップはするにしてもテメエらでカタつけろよとは思うけどな。それにしても札幌でいうこときかないやつらが片側全車線うめちゃったっていいじゃねえか。防衛きどりはあんとき瞬間的にせよのりこえられた。バスとおさないで滞留させて隊列防衛のこっちが野蛮な警察にギリギリしぼりあげられたって、まあそれもいい経験だ。バスの時間がちょっとくらいおくれたって、集団示威はそのための軋轢をひきうけながらも練り歩きゃいいんだ。別に相殺しろというつもりはないが、祭りやマラソンで任意団体や「地域社会」なるものがシャアシャアと全車線とめたりすんだから、「迷惑」を「迷惑」と自覚しながらおれらだってどうどうと「迷惑」をかけりゃいいんだ。挑発なくして示威の意味なし。脅威でない示威に意味なし。主催者の一員としてえらいめ見たはずの現地のピースネットの仲間は「フランスデモになってよかった」と救対の記者会見でキッパリいいはなった。びっくりしておれあんときちょっとグッときちゃったんだが(笑)、でも仲間とはそういうもんだ。いざとなったら理屈じゃねえ。仲間を見捨てるために理屈をこねるようなやつはおれの敵。それとは逆に、おれはピースは嫌いなんだが、ピースといって街頭にたつ勇気だってたいしたもんだと評価する。おいアナきどりボルきどりハネアガリ知識人きどり、ピースなめんなよ。これで日本帝国主義が近隣で糞な戦争おっぱじめてみやがれ、ピースをいうものがもっとも厳しいたたかいをしいられることになる。そのときおれらは灯台社みたいになれるかってことが問題になる。あるいはたとえば8月15日に靖国神社近くにいって(こわいから群れて)右翼に殴られ機動隊にボコられ公安に非国民と毒づかれながら排除されて、それでああおれは日帝本国人なんだと自覚する、そういう痛々しい求道が続けられるのか(正直やだな)ってことが問題となる。おれはこの取り組みを殴られても殴られても反撃せずに登場するトルストイアン的な行動だと規定しているのだが、仲間は「靖国解体」だという。解体するまで殴られるのかよ! 去年は札幌の一件でウンザリしていたのでサボって寝ていた。そうしたら疼くのです。たぶん今年も仲間が殴られてんだろなと。おれもトルストイアンになってしまったのか、平和主義が嫌いだったはずなのに。でもおれは中国や朝鮮やロシアやそのほかすべての近隣諸国家のもとで、そしてこの日本帝国主義のあしもとで窒息している仲間のはずの人間と戦争したくない。どんな国家のあしもとにいる人間とも殺し合いはしたくない。やるんだったら階級支配と差別の構造そのものをぶち壊したい。だけどそれで即座に監獄行きになるかぶち殺されるようになるかもしれないって状況がゆっくりとつくられつつある。だからピースウォークにも色々あって、その色々あるなかで全部が全部「おまわりさんありがとう」じゃなかったってことは、おれにとってとても重要なんです。いうこときかない自律者たちにぶち切れちゃったあの兄ちゃんとも、お互いにチクチクいいながらでだって仲間としてまた街頭で見かけることがあったらいいなとおれは思ってる。Kくんそういうことです。腹がたっても他者を全否定したらだめだ。それは完全ではないダメな自分をも否定するということだ。もちろん不完全な自分を叱咤激励するのに自己否定の精神は必要だ。だが死にいたる病としての自己否定は、やはりときには脇においておいたほうがいい。そうでなきゃ、矛盾をかかえながらも考えていくことができなくなるだろ?

さて、あたりまえすぎのつまらない話はもういいとして、現地キャンプについては問題としてこれくらいはおさえとかないとまずいだろと思うものをあげておく。残念ながら有志総括も公表できるほどにはまとめられないまま足踏みしているようなので、こんなんじゃ全然たりないくらいである。キャンプに関しては有志総括に期待するしかないんだけどな…

一、豊浦・壮瞥の二つのキャンプが分裂含みであったこと。このことについては、はやくも「G8を問う連絡会」の報告会において会場発言というかたちでその片鱗がにおわされた。(が、当事者以外のほとんどは事情をしるよしもなく、そのときはだれも反応しなかった。おれはあとで色んなキャンプ関係者から話をきかされてこれはまずいというか、思っていた以上に深刻だと認識させられた。)
二、実質的な分裂のため二キャンプのインフォメーションがうまくいってなかったこと。それが原因となって二キャンプ開幕以前の当別キャンプで対立的行動とそれにともなう混乱が発生したこと。これについては、のじれんの機関誌『ぴかぴかのうち』33号に対立当事者からの報告が不明瞭なかたちでなされている。
三、三キャンプ=三行動とはならなかったこと。つまり壮瞥キャンプ自前の行動が放棄され、同キャンプが主催者のことなる伊達キャンプの行動へと接合されたこと。二つの行動なら二キャンプで十分だったはずだが、独自行動をもたない壮瞥キャンプの位置づけはついに不明のままにおわった。しかし「ピンサー・ムーブメント・デモンストレーション」がなし崩しで「豊浦・壮瞥」ではなく「豊浦・伊達」にスリカエられたという意味からすれば、この壮瞥キャンプの行動拠点としての放棄はキャンプWG・現地行動WGの破産とするほかないだろう。ところが現地行動WGのブログ(=公式情宣局)でピンサー(はさみうち)の主体をスリカエたままキャンプが開幕した。壮瞥は行動ベースとしては放棄したとなぜはっきりいわなかったのか。伊達キャンプは二キャンプとは協力関係にあったとはいえ、あくまで独自の行動「G8洞爺湖サミット反対!決起集会とデモ」を提起していたのであって、ピンサーの一方になるべく自らの行動を呼びかけてはいない。これでは一方による他方の行動の意味の収奪じゃねえのかよ。独自主催の伊達キャンプは、豊浦・壮瞥のありようには無関係で、むしろ壮瞥からの連日の行動合流と行動最終日の三キャンプ合同のデモに便宜をはかった点で優先的に評価されるべきだろう。伊達キャンプと二キャンプの関係の実際につにいてふせたまま、調子こいて伊達キャンプにも言及するような報告は詐術にまみれているとしかいいようがない。

壮瞥についても語るべき人が語るだろうとは思ってきたが、それももう無理なのか。関係者には一方が語るだけでは話がこじれるだけなので、公式にちゃんと出したほうがいいと折にふれていってきたつもりだが、おれにゃ人徳・信用がないため効果がまったくなく、もうしわけないばかりだ。そりゃー運動をよびかけた仲間にたいして、ということなんだが。社会にたいしては……まあちょっとだけ。だけど、キャンプの行動について「行動の速度」だの「孫子の兵法」だののキテレツな自画自賛をするだけの小理屈が神話化されても「運動」にとってまったくタメにならないどころか有害でさえあるので、自分に累がおよんだ範囲のこととしてまずこのことをいっておく。そもそも豊浦キャンプ発の公然行動の準備でさえ外部の人間に請負わせようとするテイタラクだったじゃねえか。現地行動WGが請負のひとつみたいなもんだったのに、さらに孫請けにしないとできないのか、という事態。兵法以前のツマヅキだ。行動の組織化という位相からみるとまるでダメだったというあたりが、この一部の反サミット運動の性格をよく表しているんじゃねえのかとおれは思っている。

サミット開幕までもういくらも日がないときのことだった。札幌で「独立メディアのシステム構築」の一環としての作業中に、現地行動ワーキンググループの某から(豊浦の行動のために)「警察に申請にいってくれませんか?」という連絡があった。おれは札幌には「技術人足」としてきていた。「にわか工兵」任務以外で動くとしても、貧困・労働WGとしてだ。ヒマをもてあまして観光にきているわけじゃねえんだ。それにおれは合同労組の人間として同WGにかかわり、連絡会に属したのであって、その逆ではない。つまり連絡会の他のWGとは協力関係にあるとはいえ、指令を受けるいわれはない。そもそも各WGはやりたいものがやりたい課題を追及するという目的でつくられたはずだ。この事情は某も分かっているはずだった。こういうわけで、ふってわいた利用主義的な請負話にGNU/Linuxサーバの設定ファイルを書く作業を中断させられたおれは即座にブチ切れた。やりきれないようなら早めに判断したほうがいい、やるならとっとと道路使用許可をとるように算段すべきだ──当該地域では公安条例が存在しないためデモ申請は必要ない──と事前に忠告していたのになんだ。なーにがピンサーだこんにゃろ、てめえで現地行動やるっつっといてやる気がねえときゃがったかとムカっときてしまった。もちろんおれは目前の「任務」で動けるわけもなく(札幌から伊達署までどんだけ距離があると思ってやがんだ……)、かりに動けたとしても無責任連中のお先棒をかつぐつもりも一切なく、なんだこいつも結局はそうだったのかと半分ガッカリしながら「ざけんじゃねえぞ! やりたいやつでやれ! できねんだったらやめりゃいいじゃねえか! だいたい矢部が現地行動のWGはじめたんだろ、おめえが忙しくて無理なら矢部はどうしたよ!」と電話ごしに怒鳴りつけて拒絶した。某の名誉のために補足するが、某は結局自分で申請をやりきる。そして当初海外組から不評だった超ロングコースの示威行進をやりきる。その功績はぜったいに書く。文句だけたれてなにもしないやつより行動するやつを信頼すべきという心情(信条というより心情)のおれは、誰がなにをいおうとそのことは書く。日本という野蛮な警察国家のもとにある具体的な治安管理体制をまるで知りようもない海外連中から正論をもって批判されながらもやりきれない怒りをはらにためたまま行動を提起して開いてやりきるのは立派だ。しかも結局は海外組も22kmの無茶な「行軍」に合流することになる。自分ら独自の無届け行動が警察にがんじがらめに包囲されてあきらめざるをえない状況に追い込まれたからである。つうか海外組は公然拠点での情勢分析があますぎる。好き勝手やりたきゃ、むしろ公然キャンプをおとりとしてまったく関係ないとこに出没する可能性を追及すべきだろ。ともかく道警と全国警察のあんなアホみてえなしめつけのなか、準備と実際の行動、まあよくやったと思う。話がそれたが、さて、矢部はキャンプ直前の行動準備をめぐるこの悶着をたぶん知らない。某はこのことを切開しなかったし、また某と矢部のあいだでさえ割れていたため、豊浦キャンプ現地行動の直前までのたよりないフラツキを矢部は自覚しようがないはずだった。組織者のいやおうのない情報集約(これはよけいな情報を外部にたれながさないということを含む)と意思一致は「軍事」の基本だが、キャンプ・現地行動WGにはそういうある意味での行動者の視点がいっさいなかった。事前に組織者のあいだで意思疎通が滞って外部に文句だだ漏れってなんなのよ。行動なめてんの? 兵法いってる場合じゃねえぞ。ちゃちなパルチザンごっこにしたところで、規律と意思の統一が確保できなきゃ崩壊する。もちろん集権的な行動じゃないってんなら、それはそれ。ことがすんでから「国際旅団」とかうそぶく必要はない。しかし豊浦キャンプの強みは、さすがに日本含め世界各地で行動をつくってきた人間が結集してたってことだろうか。なれない野蛮な日本の警察相手に、行動をくみあげて弾圧させずにやりきったのだ。これは行動提起者と参加者のたぐいまれなる合作として記憶されるべきだろう。しかし豊浦行動の準備テイタラク問題については7・5の救援のあとにでも話をしようと思っていたのだが、矢部はWG単位の総括を拒否し、また有志総括にはいっさいくわわらなかった。

ダラ幹ぶりもここまでくると正直つける薬もねえな…という見本がここにある。先験的にあるべき総括を期待するのではない。いうまでもないが、かたちはどうあれ道連れになった連中がいっしょにふりかえるということそのものが重要なのである。そりゃあ矢部も聞けば人がびっくりするような大変な労力を投入したのも事実である。その意味ではその自己犠牲の精神に人はうたれるだろう。キャンプ地成立のための献身ぶりは賞賛されていいはずだ。しかし、それだけだ。革命戦争じゃあるめえし、無茶な献身だけがたたえられるような社会運動はじつはかなりまずい状態だ。負担と精神主義のバラツキ──それはつまり組織化に失敗しているということだからである。けっきょくは前線のやべえほうの任務を率先して自己組織化するのではなく、あくまで外部にふってしのいでいこうというあり方にゃ、人は胸くそわるい思いしかしない。そして信頼をうみだすことがついにできない。そしてそれを放置すればデッチアゲ運動は不可避的に崩壊する。きみら──「われわれ」は、いまその瀬戸際にあるのではないのか。

だってよ、ここでまたべらんめえ調になるしかねえんだが、豊浦キャンプの肝心要の防衛だっていってしまえばしわよせがあったじゃねえかよ。リーガルサポートのことじゃねえぞ。防衛の実務のことだよ。しかもしわよせがいったのは赤い党派だ。どこが「反権威主義」の「兵団」の運動なんだか、へそが茶をわかすとくらあ。誤解のないようにいうが、防衛任務についたのは豊浦キャンプにもぐりこんだ革共同再建協議会(いわゆる中核派の関西派)じゃあない。かれらはあくまで反サミット運動を通じて「共同行動」への足がかりをえるための斥侯として登場していただけだ。だからスキをついて革共同のでっかい赤旗をひろげようとして制動かけられてもそれを大人しくのんで、それでいてかれらの機関紙や雑誌では合流できたことにウハウハで宣伝したってわけだ。アナキストを最大限賛美して、キャンプについては直接民主主義を貫徹していたとほめそやす。まあ前衛党派のやることだ。で、おれは不寝番をつとめた別のボルシェヴィキ党派の年長の「兵士」たちをむしろその限りにおいて信頼するね(ただしかれらが再建協議会の呼び水となっただろう事態は、まあやっぱボル党派どうしだよなと割り引いて見るしかないけどね)。防衛についてはいいたいことがあるんだが、これをやるとこの運動に関係なかった人らに迷惑かけるんでだまっとく。はしょっていえば、現地キャンプの組織者はその任務についてはなから外部におしつけようとしてたってこった。主体的力量にとぼしいんなら率直に話して、キャンプ参加者に任務としてやってもらえばいいだけの話じゃん。出会い頭のあわただしいデモとわけはちがって、おちついて話をする時間はあったんだろ。だからそれでもしんどいことを拒否するコンシューマーはたたきだしゃいいんだ。それで誰もいなくなったらそもそもの宣伝戦に失敗したと総括すりゃいいんだ。経験のあるなしなんて関係ねえ。最初はみんな無経験であたりまえ、気にするこっちゃない。そういうおれだって行動キャンプにいったらキョドってるはず。無届けであたりまえのはずの、だけどセキュリティのきびしい抗議行動とか、マルキにボコられてきたせいかいつもビビってるもんな。かっこつけてるからおかしなことになるんだよ。打算があるにしても結局ロートルだけがなんかやらされてるって図はどうなの。結果的に請負になるのは、力量の限界としてしかたがないときもある。だけど反サミットのキャンプはいうまでもなく行動ベースで、そのベースに仲間がたくさん来たんじゃん。キャンプ運営のための会議があったはずなのに、なんで結果として一部だけが寝ずの番をするようなことになっちまうの。他方、壮瞥の防衛はまるごと放棄されてる。リーガルサポートすらない。リーガルチームは対立過程で壮瞥捨てたんだしな。そのなんとかならんものをなんとかしようとしたのは、やはり壮瞥に関係した人らの自発性によるものだ。こりゃたしかに「反権威主義」的かもしれねーけど、思想的装いをほどこすことじゃあなくて、せっぱつまった人として当然の反応だろ。こういうこともちゃんと切開する必要があるんじゃないのか。

これらの問題は特定個人がどうこうというより、つくりかた・構造の問題とすべきだ。心配した外部の人らは事後にそういってくれてただろ? ようするに助け舟だしてもらってたんじゃん。それをちゃんと問題としてとらえて、考え方はちがっても同席して俎上にのせような?っていうのが総括=ふりかえりだ。糾弾するんじゃないんだよ。こんなキモになる問題をあとでちゃんと一緒になってふまえられないってのがまた大きな問題なんだよ。それで陰口ばっかききあって分裂することか? 人憎んでどうするよ。

任務分担に信頼がない。これは7・5も一緒だ。自壊していたあのサウンドデモをすごいことやったかのように持ち上げるやつは、おれは全員ぶん殴りたいと思っていた。まあ先の山口響くんと一緒だね。だがこのデモあるいはピースウォークのダメっぷりにはめぐりめぐっておれも無関係ではく、そう思ったことを恥じた。もちろん個々の力量の問題はあるにせよ、問題は人そのものじゃなくて、そんなんでほんとはすまないけどすんじゃうような関係と構造にある。そこにおれもいたということだ。だから形式論でいえばサウンドデモの救援をやるべき責任は「国際連帯」とキャンプの構想者の一部にあったわけだが、おれとしちゃ揉めながらも懸命に努力しているその仲間たちを見て見ぬふりをしてきたオトシマエをつけるために、また北海道からみれば「東京からサウンドデモを持ち込んできて現場崩壊させて右往左往してるどーしよーもないやつら」として一緒だというそのサミットホッパーとしてのオトシマエをつけるために、多くのことで札幌の有志の力をかりながら救対を組織して残ることにしたのだった。オトシマエつったって押し込められた状況を少しでも押し返すだけなんだが。ここにサウンドデモのケツモチを本来すべき人間が要請に応じて合流してくれたことだけはほんとによかったと思ってる。叩いて持ち上げるようだが、こんなのは持ち上げるうちにも入らねえ、救対で奔走した人間のなかには矢部も含まれていて、期せずしておれと矢部は一回ずつ札幌中央署に「デモ申(デモシン)」にいく道連れになっちまった。そして東京からとんだ当別キャンプの組織者も、「国際連帯」とキャンプの双方で大きな役割をはたしただろう仲間もこのなかに含まれてる。ようするに腹のそこでは「やべえことやっちまった」と自覚していただろう人間はほとんど救対に合流した。逆にいえばサウンドデモ構想の側にそういうオトシマエのつけかたがなかったら、たぶんおれは東京で「新しいアナーキスト許さん」の党派闘争ごっこやってたね(笑)。いや、これはおれにも問題があったということを拒否したくて構造問題にスリカエようとしていっているのではない。おれ個人のもっとも大きな問題は、ありゃあ崩壊するぞとなんとなく思ってたくせにめんどくせーから介入せずに近づかないようにしてたってことだ。これは仲間の態度じゃなかったもしれない。でもなんでだか揉めてるザマを見せつけられてこんなの仲間としてやってる運動じゃないよなとしか思えなかったのだ。おまけにその内部対立の当事者の一部にゃ他潮流のことをバカにしてる向きもあって、望んでないのに「国際連帯」の張り合いで脚をとられてしまうという大変さでは同情もしたけど、でも競争で運動やってるんじゃねえんだよ、おまえいっぺん鏡のまえにたてってな具合だった。で、内外に信頼関係もなく揉めまくってるありさま見せつけられて、それを気安く仲間だろといってとびこんでいく器量はおれにはなかったというわけだ。やっぱり仲間を最大限仲間として見ようということに挫折してしまう個人的力量の問題もかなり大きくある。ダメだなあほんとに。

こんなんだから手抜きの前衛主義にふれそうになる。だってある立ち位置でならあっちのほうが絶対楽だよ。一部思考をすててもすむ立場がありえるから。あれは一部が支配者であとは奴隷の運動だから一定なりたつ。つまりそこにあるのは「自由からの逃走」。支配関係の受容のかわりに揉める必要もないという機能主義だ。それを拒否するにはどうしたらいいかってことをしょぼくても実践するのがノンセクトだとかアナキストの身上じゃなかったか。や、このくにのノンセクトもアナキストもそんな上等なもんには見られてこなかったか。そうだな。

相互の信頼が十分に存在していないのにピッピッピッと任務がアウトソーシングされていく。だからなんだかこんどの「新しいアナーキスト」派の運動は偽装請負みてえな官僚的な運動だよなぁと判断していた。しかも請負先に信頼がないから揉めるだけ揉める。人間は計算機じゃないんだからそんなに合理的には機能しない。まるで浪花節の世界だが、だから信頼こそが他者との関係のために欠かすことのできないもっとも基本的な触媒となる。利害の一致だけじゃそうつながってらんないよ。現地キャンプがただのお楽しみ会だけじゃなくて行動拠点だったとする(お楽しみ会それじたいはべつにいい)。行動の拠点だったんだろというその前提のもとでは、残念ながら同志的結合が後景化していた請負の実態をごまかして調子のいいことだけお喋りしてしまえばむしろすべてを無駄にしてしまう。「国際連帯」とキャンプを構想し、その請負的推進を共有していたはずのとある人間はとある場でこんどの運動は権威主義と反権威主義の対立だったとかいいはなったというが、よくぞいった、権威主義ってのはおれらのことなのである。そう捉えられなければあとはない、崖っぷち。

しかし黙ってる人らはまずいことを切開するのがいやなんかな。みっともないからなのかな。でも人間なんてみっともなくてナンボ。完璧超人なんてどこにもいないのに、どうして権威主義がなりたつんだろう。でも、あと一言いっとく。読むだけ、笑うだけの手合いが、人のみっともない苦闘のあとを眺めてなんか分かったつもりにはなって批評だけしますってのが、一番いらねえ。「日本の日本人」みてえにまだ相対的には安全圏といいうる立場にあぐらをかいてくっちゃべるだけのクズはクズだという話だ。外登証もってデモに参加するやつと、外登証もなくていつでも入管に狩られる不安定な位置にあってそれでもデモに参加するやつ(何年か前はそういう行動はまだあったんだよ! クズが笑ってるあいだに東京じゃ特命おびた警察の摘発部隊におしこめられちゃったけどな)の爪のあか煎じて飲めクズ。おれはいま自分で自分にムカついているクズだ。

追記:救対のところ書きたした。矢部もやることはやってたというのをいっとかないと公平じゃねえかなと思って。
追々記:豊浦キャンプの防衛について訂正。
etikedo : G8 キャンプ
 
 

法大の運動の支援よびかけについて

法政大が2001年のボアソの一件から急激におかしなことになってるのは周知のとおりだ。学館解体・自治組織解体をへてやってきたのが06年の29人弾圧。いまや逮捕者数のべ100人以上という異常な事態だ。そして、曲折がありながらも中核派と一部ノンセクトが共闘するかたちでうつつづく弾圧に抗する運動を粘り強くつづけてきたことも、知る人はそれなりにいると思う。

さて、今年にはいってからの一連の弾圧のなかで、学生諸君の行動に「暴処法」が適用されるというエスカレーションがあったあとの展開については、よく知る人は逆にそれほど多くないと思う。わたしも知らない。ただ中核派とそれ以外で救援方針をめぐってなにやら揉めているということくらいは、法大市民監視団blogを見れば誰にでも分かる。ただ、それ以上のことは分からない。その後に出てきた一連の法大弾圧と弾圧体制に抗議し法大生を支援する全国学生有志がカンパを含む被弾圧者への支援を呼びかけつつも、救援をめぐってどうやら発生しているらしい分岐については一切ふれないということが、またよく分からないのだ。中核派を支援するのか、非中核派の市民監視団を通じた支援をおこなうのか、あるいはその対立から離れた第三極形成を追求しているのか。

現在の法政大学におけるような、残存するノンセクト学生が中核派と共闘せざるをえない個別の苦境は理解するつもりだ。もちろんひとりへの弾圧は全員への弾圧という意味では、中核派が圧倒的多数派の運動だからほっておけばいいといいたいわけでもない。しかし支援の学生諸君。中核派のために苦しんできた(無党派の)「学生・市民・労働者」の「仲間の皆さん」が全国にたくさんいることは、君たちもよく知るところだろう。救援をめぐって対立があることが部分的に公開されたいま、中核派との相克という困難に口を噤んで支援を呼びかけることはいったいなにを意味するのだろうか。

かつて法政大ボアソナードタワーで開催された私学連シンポを実力で粉砕した行動(ノンセクト主体で中核派はくわわっていなかった)が弾圧され、その後の救対も無惨に分裂し、裁判闘争にも禍根を残して四散したとき、外部支援者にはなんの説明もなかった。ほんの一部の発言しうる当事者の一方的なお喋りが残されただけだ。語りえないものはそのまま「運動」から立ち去った。それだけ分裂は悲劇をもたらす。外部の支持者として知りえたかぎりでいうなら、その行動は様々な立場の人間が即席でいっしょになってやった「実力闘争」だった。意思一致もほとんどできていないその場のノリに近いようなもので、弾圧後に分裂するのもやむをえないようなずさんな主体(無)形成によるものだっただろう。そのために「後退戦」がほとんど敗北に帰結し、それがその後の法大学生運動にも暗いかげを落としたことを当事者は否定できないはずだ。ここに運動主体の多様性ということがもつ困難さが表れている。

統一性が確保できるなら幸せだ、などとはもちろん無前提には思わない。が、分裂の痛みについて覚悟しているノンセクト学生諸君なら、その軋みを前提として支援を呼びかけるべきではないかという思いをぬぐえない。

しかし、諸君の健闘を祈る。

弾圧粉砕、闘争勝利!
etikedo : 反弾圧
 
 

労働争議が暴力であるとき

労働者のサンディカリスムが暴力ときってきれないもんだったなんて、あたりまえの話。やられたら、やりかえす。それを暴力だといわれても、それがどうしたというしかない。

しかし官民の「安全・安心」の毒気にあてられて、そのあたりまえの話が現代では通用しなくなってきている。たとえ戦後の労働立法で(所定の手続きをふんだ)争議行為が合法化されたからって、ある力の発動が暴力じゃないなんてこたーない。ストライキだけでなくサボタージュだって資本家からみりゃ暴力です。治安警察法が撤廃されようが、暴力行為等処罰ニ関スル法律が残されていようが、そのことに変わりはない。やつらの財産に傷をつけるという意味で当然なんです。ゼネストなんてとんでもないんですよ。そのとんでもないことを夢見るのがわれわれプロレタリア。

かつてフェルナン・ペルーティエ(Fernand-Léonce Emile Pelloutier)は、ゼネスト(grève générale)は労働者のフォルス(force)=強制力によっておこなうと主張していた。全般的なストライキがもたらす力は、資本家にとっては強制的な粗暴な力そのもの。もちろんペルーティエはかつてのフランス民衆の武装蜂起の文脈には慎重にふれないようにしている。幾多のたたきつぶされてきた歴史があるからだろう。その後、書斎で夢見たソレルは暴力論をあらわしたが、かれのいうヴィオランス violence とは、このペルーティエのいう労働者がブルジョアに強制する力のこととほとんど同じ(文脈によって一部ブレがあるが)。つまり団結した労働者自身の力の発動によって社会を変革するのだという着想だ(いまどきの中核派のことではない、あれははっきりいってサンディカリスム未満)。ジェネラルとはその労働者の総体としての結合のことにほかならない。

※さいわい、ソレルやベンヤミンの暴力論の翻訳は日本にもある。だが、そもそもの提議をしたひとりであるペルーティエの翻訳はない。活動家のつたないプロパガンダであるからだろうか。
というわけで、19世紀末、最初期にゼネスト─グレーヴェ・ジェネラル(grève générale)論を提起したジョセフ・トルトゥリエ(Joseph Jean-Marie Tortelier)やアリスティード・ブリアン(Aristide Briand)あたりの主張をサルベージしてください、だれか。いきなり懇願調(笑)。

※この当時のブリアンはアナルシスト。のち議会主義に転じて、社会主義の立場を堅持しつつ首相や外相となる。トルトゥリエは生涯アナルシスト・プロレタリア。

労働者のゼネスト論といば、しばしば労働取引所連盟(Fédération des bourses du travail)の先導者であったペルーティエが言及されるけれど、トルトゥリエのような指物大工のオッサンがなにいってたかも気になるってもんです。そういう意味じゃ、直接行動を念仏のように唱えたアナルシスト労働者のエミール・プージェだとか、ブランキスト労働者のヴィクトル・グリフュールあたりのプロパガンダもフォローする必要がある。あと無視できないのがアルマニスト(アルマーヌ派の潮流)。労働運動のなかの連合主義と労働者主義はかれらもまた強く主張していたのであって、連合主義はアナルシストの専売ではなかった。

結局、知識人とはあとからくるものでしかない。ソレルもベンヤミンも、「現場」に発生したミリタン(活動家)のマグマのごとき夢想にふれただけだとさえいえる。かりにプロレタリアのゼネストが解放=滅びへの夢想だったとしたら、かれらはそれを掬(すく)いあげただけだったのではないか。
 
 

餓鬼

 
 
おまえこそだれだ

Author:noiz
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