【転載】ベオグラード6最新情報(10月13日付)
【転載】先月のASIからのアピール(17 Sep.2009)
★先月のASIからのアピール(17 Sep.2009)
2009年9月4日に、ベオグラード地方裁判所の2009年9月3日付け捜査判決の決定に基づき、翌日に拘束されたベオグラード6は30日間以上の拘留判決を下された。告訴状の容疑事実は、8月25日午前3時にギリシャ大使館建物正面に落書きをし、ベオグラード市街フランチェスカ通りにある同大使館の建物に2本の火炎瓶を投げた、というものである。暴虐を待望するものは、もっとも激しい批判者を、全くもって陳腐な論理でその抑圧機構を通して国家の数々の法で扱う。明確に自らの絶対自由主義者的信条を表現するそれらの個々人は、単なる容疑者として図表化される。降った災いは、それらの入獄で終わり、一般大衆に国家のご都合についての誤った絵図が配布される。この降った災いにおける警察及び検察の無法な行為のせいで、拘束者たちは国際テロ犯罪を犯したとされたのだ。 ならずものセルビア国家の刑法におけるその法は、虐殺、人間性への犯罪、一般市民への戦争犯罪、虐殺や戦争犯罪を犯すことを鼓舞することや組織すること、積極的な戦争指導などを十把一絡げにして扱う。そのような分類の法的な重みの大きさのせいで、この間の弾圧のために強いられた出費は10000ユーロにもなる。故にこの救援金要請の目的のために、このページの下にある口座が、拘束中のアナキスト救援のために設けられた。また、集められた基金の状況同様に拘束者の声明についての追加情報を得ることが出来る電話番号・メールアドレスなどの連絡先もある。 我々は、自由を愛する個々人や組織群が、この人道的カンパ行動に参加し、拘束されたアナキストらを彼らの無実を証明することで支援いただきたい。
アナルコサンジカリストに自由を!
@カンパ方法について
口座は・・・
SWIFT: RZBSRSBG
RAIFFEISEN BANKA AD
Bulevar Zorana Djindjica 64
BEOGRAD, RS
名義人は・・・
IBAN RS35265050000016043150
MILAN (MILUTIN) STOJANOVIĆ
ADDRESS: SENJE
(★旅浪人同志の翻訳より)
【転載】ベオグラード6最新情報(5 Oct.2009)
【転載】セルビア国家司法部門は6名のASI同志を即刻解放せよ!
★セルビア国家司法部門は6名のASI同志を即刻解放せよ!★
★アナルコサンジカリスト・イニシアティヴ(セルビア語圏)声明
2009年9月4日、セルビア語圏のベオグラード地方裁判所が、拘束されたアナルコサンジカリスト・イニシアティヴ(以下、ASIと略)メンバーの30日間の拘留を行うことの決定をくだした。
我々の同志たちは反国際テロ法で告訴されたのだ。
労組総連合としてのASIは今夏のギリシャ大使館攻撃について、メディアを通じてこの法に責任を持たされる組織として見いだされた。
我々は、今一度、この機会に、公に大使館攻撃者の個別政治闘争の方法がアナルコサンジカリズムの方法ではなく、我々が我々自身の政治的立場を公に叫び、我々が総ての絶対自由主義者や進歩的組織やサンジカリスト運動などによって民衆にもたらそうとする努力を通じて、全くもってタレ流された非難が違うということを想起させるために活用する。この弾圧自体の構造、“被告人”としての絵図を通した陳腐な論理の法律群に対峙するその猛々しい非難者への暴虐的な抑圧を国家権力が望むものであることは、きっぱりと彼ら6人の絶対自由主義者的信条によって声明された。権力機構による悪辣な行為の数々は、最初の拘束の瞬間での国際テロに対する極刑という彼らの家族への脅しや彼らのアパートへの不法なガサなどからも観測されうるものだ。
我々は今、有名なアナキスト組織である“Crni Ilija(黒いイリヤ)”の行為を支持しないし、我々はなお、“国際テロリズム”として何が起こったのかを特徴づける事など出来ない。というのも、テロリズムは言うまでもなく、一般市民らの命を脅かすことになるが、この場合には、誰も傷つけられず、象徴的物的損害のみがなされたからだ。
この国家がこしらえた茶番劇は、単に不正と失望の現代社会を指摘しようと決断した威嚇しようとする何者かの一方通行を用意したということが明白である。
一般社会の無関心の中では、個々人は、多くの不信感に到達し、時に自己破滅、報道統制をぶち破ろうとしたり、注意の中心に自分たちの事柄を据えるための方策におよぶ。
首切りされ、仕事場で身を削る労働者を思い出してほしい。もしくは不運で、貧窮せる、セルビア大統領府に手榴弾を発破させることで恐怖せしめた者が公然と、自分たちの抱えた問題に注目を得ようとした、というようなことだ。
連帯のためのある象徴的行動を我々が説得することを、病的マナーによって、その表現をも許さないのであれば、反社会行為やテロリズム行為として扱うべき道理しかのこされない叛乱行為に及ぶ者たちと共にあろう。
我々は拘束された同志たちとその家族と連帯することを表明し、この降ってわいた災いについての真実を要求する!
★アナルコサンジカリストに自由を!
アナルコサンジカリスト・イニシアティヴ(ASI-IWA)
★ASIメンバー6名でっち上げ拘束を許すな──ベオグラード
@状況について
9月4日土曜日、セルビア語圏ベオグラードで5名の活動家がでっち上げの罪で拘束された。
タディ・クレパ(Tadej Kurepa)、イワン・フウォヴィ(Ivan Vulovi)、サンヤ・ドイキ(Sanja Dojki)、ラチボール・トリフナチ(Ratibor Trivunac)、ニコラ・ミトロヴィチ(Nikola Mitrovic)の5氏はアナルコサンジカリスト・イニシアティブ(IWAセルビア語圏セクション)の活動家である。(警察は6人目も捜索、イワン・サヴィチ“Ivan Savic”氏も数日後に拘束された)
奴らの言い分では、拘束者たちは、2009年8月25日のギリシャ大使館で起こった直接行動に関係している、という。
その行動とは、ソドロス・イリオポウロス同志への象徴的連帯行動として、ガラス一枚のひび割れ、大使館建物正面の小さな焦げ痕やサークルAのペイントという騒ぐほどのことでもない損害があっただけだった。しかしながら、検察はこのことを”国際テロリズム”の一環であると考え、そのようなものとして我々の同志たちに罪状を付す気が十分である。セルビア国家が同志たちを反テロ法関連の罪に問うことを進めれば、同志たちは懲役3ー15年の刑を科せられてしまう。
そのように、6人は拘束され、心理的圧迫を加えられ、法的状況が整うまでの少なくとも1カ月間、留置されることになった。
告訴された1人であるIWA総書記のラチボール・トリフナチ氏は公明正大に、自分が行動について何も知らないのに、拘束されたことを明らかにした。権力が彼や彼の同志たちをブチノメそうとやってきたのは、これが最初ではなかった。言うまでもないが、彼らが国家権力の根源的な批判者であるという事実のほかに理由など無いのだ。
我々は、行動にたちあがるよう、世界中の民衆・同志に呼びかける!
セルビア大使館や同政府関連機関などに抗議を行えるならば、可能な限り早く、お願いしたい。
統一一日行動よりは、行動は数日くらいに拡散したものであればよいと我々は考えるが、日和見せずにやっていただくのがよいと思う! 9月15-16日までに行動を組織していただくよう努力されたい。
また、我々がこのページ上に添付している宛先リストへのファックスや抗議書を送付されたい!
希望されるなら、このページからセルビア語圏実効支配政府への手紙を送ることも可能だ。ご自身の文面を書くことも、我々の用意したサンプルレターを活用することも出来る。我々のページは、署名簿を保持しうるので、我々はセルビア語圏の同志たちにそれらに目を通していただき、どんな組織や個々人が抗議を送ってくれたかを知ることが出来る。
あなた方のデモや抗議、この弾圧事件に対する報告の文面などの情報を送ってほしい!
6人の同志を今すぐ解放せよ!
@“セルビア共和国”外交関連部門アドレス
http://www.mfa.gov.rs/Worldframe.htm
“セルビア共和国”大使館
東京都品川区北品川4724
イワン・ムルキチ
EMBASSY OF THE REPUBLIC OF SERBIA
4724, Kitashinagawa, Shinagawa-ku,
TOKYO
JAPAN
Ambassador, Ivan Mrkic
Phone +813 / 3447-35-71, 3447-35-72
Telex: 22-360
Fax: 3447-35-73
Web site: Embassy of Serbia
E-mail: embassy@serbianembassy.jp
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このテクストは★旅浪人同志によって翻訳・編集された(荒訳とのこと)。転載については各自判断のうえ得手勝手にどうぞ。
セルビアのアナルコ・サンディカリスト6人に弾圧
セルビアのベオグラードで弾圧。弾圧されたのはアナルコ・サンディカリスト・イニシアティブ(SK ASI: Sindikalna konfederacija Anarho-sindikalistička inicijativa)のメンバーら6人。ASIは国際労働者協会(IWA-AIT)の加盟組織。風邪がなおらぬ、詳報次回。
天皇主義の鈴木邦男がアナキストだとさ、かーっぺっぺっぺっぺっ
天皇主義の鈴木邦男が大杉栄をもちあげて「アナキスト宣言」する滑稽の図。死人に口なし。アナというからには天皇崇拝を清算したんだろうなァ、なーんてことは期待しちゃいけませんぜ。「弱い人、恵まれない人々を励ますために天皇制はある」とトンデモないことをつぶやきながら「アナ宣言」するたぁ、ほんっと厚かましいやろうだ。マガジン9条も恥を知るといい。
アナは「大逆」でけっこう。「テロリスト」でけっこう。国家破壊をいうものが天皇制国家に消されるのは必然だ。それなのに「国家テロ」によるアナキスト/コミュニストの犠牲者の復権を鈴木がしれーっという目的は、ま、毒抜きだわな。アナキズムないしコミュニズムという、帝国の支配者からしたら許しがたい信条を持っていたもんをつかまえて、こんなに立派でしたなどと顕彰するのは、ようは叛逆者の系譜と戦後天皇制との両立をはかろうとするせこい下心があるからだ。まさに天皇主義的ド日本帝国人による予防拘束的治安対策。魂胆まる見え。
だいたい「国家テロひどい!」の善良市民面からする殉難主義者の「復権」って、行政まきこみも辞さないタイプの「おらが郷里の(近代主義の)えらいひと顕彰」と一蓮托生じゃん(国家テロはたしかにひどいんだが)。身内一党の怨み骨髄の弔い合戦とはわけが違う。そーいうあくまで赤の他人の野次馬的振る舞いのなかで、その主義者がもっていたはずの思想信条が無化ないし中和されるわけだ。鈴木にかかれば、大杉はこうやって利用される。
それでも鈴木は死者にむち打って三文芝居にいそしむ。なりぬりかまわぬ「安全・安心」の治安対策は死者にまで及ぼうってフリをする。鈴木はこともあろうに「大杉栄メモリアル」(大杉栄の会)にお呼ばれしてかくなる次第にいたったわけだが、幸徳、大杉、多喜二を「国葬」にせよとうそぶくあたり、吐き気がするほどその魂胆は確信的。
それにしても無政府主義者をつかまえて「国葬」って、よくもまあヌケヌケといいやがったもんだ。オトシマエならクビリ殺した天皇制国家の破壊だろが。ふざけんな。しかも大杉、伊藤野枝、橘宗一に言及しながら、亀戸事件はおろか関東大震災のもっとも凄惨な犠牲者である朝鮮人・中国人については一切ふれない。ぺっ。さらに聞き捨てならねえのは、戦争責任のオトシマエとして国家が戦没者を慰霊しろというトンチキの直後に、これら主義者の「国葬」をぶっていることだ。慈愛深き天皇を演出し、そのインチキをおしいただく国家の道義的役割の必然性をデッチアゲてスリコミたいってこったな。天皇と国家の叩き売り。そんな安っぽいプロパガンダにだれがひっかかるんだよ。
自称新右翼の鈴木の立ちまわりって昔からこうで、その真骨頂は反権力面して「テロリスト」「アナキスト」に秋波をおくって、その体制との調和を目的とした毒抜きをはかる道化師ぶりにある。けど、鈴木みたいな「天皇の赤子ムードだけ」やろうの軽口にひっかかる方が悪いっちゃ悪い。
しかしなあ、「愛国問答」をかかげてアナだあ? アナに「国」なんかあるか、じつにくだらねえ。
アナは「大逆」でけっこう。「テロリスト」でけっこう。国家破壊をいうものが天皇制国家に消されるのは必然だ。それなのに「国家テロ」によるアナキスト/コミュニストの犠牲者の復権を鈴木がしれーっという目的は、ま、毒抜きだわな。アナキズムないしコミュニズムという、帝国の支配者からしたら許しがたい信条を持っていたもんをつかまえて、こんなに立派でしたなどと顕彰するのは、ようは叛逆者の系譜と戦後天皇制との両立をはかろうとするせこい下心があるからだ。まさに天皇主義的ド日本帝国人による予防拘束的治安対策。魂胆まる見え。
だいたい「国家テロひどい!」の善良市民面からする殉難主義者の「復権」って、行政まきこみも辞さないタイプの「おらが郷里の(近代主義の)えらいひと顕彰」と一蓮托生じゃん(国家テロはたしかにひどいんだが)。身内一党の怨み骨髄の弔い合戦とはわけが違う。そーいうあくまで赤の他人の野次馬的振る舞いのなかで、その主義者がもっていたはずの思想信条が無化ないし中和されるわけだ。鈴木にかかれば、大杉はこうやって利用される。
共産主義からの自由、国家権力からの自由。あらゆる強制・束縛からの自由だ。それをアナキズムと言うのなら、僕だってアナキストだ。ボルからの自由というならともかく、共産主義からの自由ってのは詐術だな。おい鈴木、早く天皇から自由になれやってのはさておき、大杉栄は「アナボル共同戦線」の挫折を経過し、またロシア革命の内実を訴えるアナキストによる報告を受けて、たしかにボルシェヴィキに対する徹底的な批判者となった。ロシア革命は革命をどうやったらいけないかの見本だといった。しかし革命は擁護してたじゃねえか。「征服者」による「征服(と支配)の事実」を声高に糾弾し、あくまで革命によるその破壊を主張してたんだよ。天皇および天皇制・資本制の敵対者だから殺されたんだ。著作にふれたことがあるなら、そんなの分かりきったこと。看板はあくまで無政府主義であって、はっきりとは自由共産主義といういいかたはしなかったが、その思想が「大逆」であることは間違いない。大逆事件で同志たちが殺されたあと、大杉は次の句をよんだ。
春三月縊り残され花に舞う大杉がマフノらのウクライナにおける自由共産主義運動に執着したのも、その実力行使の運動にある理想を見ていたからだろう。だから大杉にならってアナキストというのであれば、同時に天皇にぬかづく鈴木邦男はホラ吹きだということがうきぼりになるだけ。愚かなり。
それでも鈴木は死者にむち打って三文芝居にいそしむ。なりぬりかまわぬ「安全・安心」の治安対策は死者にまで及ぼうってフリをする。鈴木はこともあろうに「大杉栄メモリアル」(大杉栄の会)にお呼ばれしてかくなる次第にいたったわけだが、幸徳、大杉、多喜二を「国葬」にせよとうそぶくあたり、吐き気がするほどその魂胆は確信的。
それにしても無政府主義者をつかまえて「国葬」って、よくもまあヌケヌケといいやがったもんだ。オトシマエならクビリ殺した天皇制国家の破壊だろが。ふざけんな。しかも大杉、伊藤野枝、橘宗一に言及しながら、亀戸事件はおろか関東大震災のもっとも凄惨な犠牲者である朝鮮人・中国人については一切ふれない。ぺっ。さらに聞き捨てならねえのは、戦争責任のオトシマエとして国家が戦没者を慰霊しろというトンチキの直後に、これら主義者の「国葬」をぶっていることだ。慈愛深き天皇を演出し、そのインチキをおしいただく国家の道義的役割の必然性をデッチアゲてスリコミたいってこったな。天皇と国家の叩き売り。そんな安っぽいプロパガンダにだれがひっかかるんだよ。
自称新右翼の鈴木の立ちまわりって昔からこうで、その真骨頂は反権力面して「テロリスト」「アナキスト」に秋波をおくって、その体制との調和を目的とした毒抜きをはかる道化師ぶりにある。けど、鈴木みたいな「天皇の赤子ムードだけ」やろうの軽口にひっかかる方が悪いっちゃ悪い。
しかしなあ、「愛国問答」をかかげてアナだあ? アナに「国」なんかあるか、じつにくだらねえ。
【転載】宮下公園ナイキ化反対、野宿者排除阻止、緊急デモ
明日のデモ
--- 以下転載 ---
宮下公園ナイキ化反対、野宿者排除阻止、緊急デモ
2009年8月27日渋谷区長とナイキジャパン社長の間で、宮下公園の命名権を売却する契約が非公開で行われました。命名権だけではなく、ナイキが全面的に公園を改修するという計画です。みんなの力で昨年5月計画発覚以降、反対しくい止めてきた計画が、いよいよ動きだそうとしています。(集会の使用は出来なくなっています。)
また、宮下公園内に起居する約30名の野宿者の方が追い出されようとしています。「強制排除はしないが、やわらかな排除はする」と公園課課長が言っています。渋谷区役所地下に夜寝ている約40名の野宿者もシャッター設置を理由に、出入りを禁止しようとしていす。(10月20日完成予定)。今回のデモは、野宿者排除と闘っている「のじれん」と共催で行います。
みなさん、ぜひ参加してください。
日時 9月27日(日)13時集合
集合場所 代々木公園A地区渋谷門
主催 ミケ(みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会)
共催 のじれん(渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合)
連絡 08031270639
--- 以下転載 ---
宮下公園ナイキ化反対、野宿者排除阻止、緊急デモ
2009年8月27日渋谷区長とナイキジャパン社長の間で、宮下公園の命名権を売却する契約が非公開で行われました。命名権だけではなく、ナイキが全面的に公園を改修するという計画です。みんなの力で昨年5月計画発覚以降、反対しくい止めてきた計画が、いよいよ動きだそうとしています。(集会の使用は出来なくなっています。)
また、宮下公園内に起居する約30名の野宿者の方が追い出されようとしています。「強制排除はしないが、やわらかな排除はする」と公園課課長が言っています。渋谷区役所地下に夜寝ている約40名の野宿者もシャッター設置を理由に、出入りを禁止しようとしていす。(10月20日完成予定)。今回のデモは、野宿者排除と闘っている「のじれん」と共催で行います。
みなさん、ぜひ参加してください。
日時 9月27日(日)13時集合
集合場所 代々木公園A地区渋谷門
主催 ミケ(みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会)
共催 のじれん(渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合)
連絡 08031270639
社会運動を語るデマと「現場」・その2
出先から執念深く追記、記事をあらためることにした。
さきの記事では「自分のかかわりのある範囲で言及された部分にのみ反応しておく」としたが、ここで指摘することは「間接的なかかわりの範囲」でのものになる。
「持たざる者」という認識のフレーム(枠組み)が追及する範囲ははばひろい。ひとりの貧困はみんなの貧困という問題意識がそこにはあるようにも思われる。こうした問題意識を反映する近年の運動に、「持たざる者の国際連帯行動」がある。それは東京・山谷の活動者がフランスの社会運動に接触することで2003年にはじまったものではあるが、年一度の集会・デモはいまなお日雇全協などが主体的にになっていることに示されているように、日雇・野宿労働者の運動の尽力によって成立し、現在にいたっている。もちろんそこには日雇・野宿労働者運動にかかわる人々だけでなく、かかる運動との連携を模索している諸個人・運動体が協力している。そしてこの「持たざる者」の運動においても「理念」をあつかう立場であろう人々が合流していることは、運動体が公表する情報だけを見ても容易に了解されるところなのである。
しかし上記の引用にみられるように、「最底辺」とされる人々の社会的営為はつねに「見えないもの」として隠蔽されてきた状況がこの社会にはある。〈いま・ここ〉の存在が自らの存在を主張するにもかからず、その協力者の存在もふくめてまるごと見て見ぬふりをする態度が横行しているのだ。なんという差別的な状況であることか。もちろん、ある社会運動が社会的に周知されないという問題は主体的力量の限界をも照射し、その運動主体にとっての省察さるべきことがらとしてあるともいえよう。
あるいは、同様の限界によってやはりなかなか周知されないが、女性─「主婦/パートタイム労働者」の立場から生活と労働の問題を撃ちつづけた運動体に、「パート・未組織労働者連絡会」がある。その歴史は古く、1970年代後半から各種媒体での積極的な発言があり、ウェッブサイトも90年代後半から存在している。ほとんど個人的ともいえるこの運動の主体は、当事者であるとともに「理念」的な内容を把持する発言者でもある(その足跡は村上潔によるまとめが参考になる)。そしてこのような発言者の背後には、だまって同様のたたかいをつづけることで発言とする無名の人々がそれこそ無数に存在しているのである。そのことは労働問題にかかわる裁判闘争の記録にあたれば十分すぎるほどに分かる。判例の蓄積による労働の法理はまた、かかる〈当事者=運動者〉の社会的発言のあととして残されてもいるのだ。
集会やデモや裁判闘争といった公的に訴求する試みそのものに気がつかず、また気づかないフリをしているか本当に気づかないマスメディアや傍観者の大勢にならったまま、貧富の偏在や階級の問題を論じるものが近年まで存在しなかったとまとめあげる憶断は、差別と収奪の構造を補強する怠惰でしかない。社会運動を論述するさいに慎重さが要請されるのは、運動史を問題とするはずの語りのなかでさえ除外される人々がつねに存在させられてしまうためでもある。こうした陥穽の問題にとり、論述しようとするものすべてがその潜在的当事者だ。だからこそ自戒もこめて、わたしは上記引用のいう状況論をここで否定する。
さきの記事では「自分のかかわりのある範囲で言及された部分にのみ反応しておく」としたが、ここで指摘することは「間接的なかかわりの範囲」でのものになる。
理念派の中にも山谷などのホームレス運動に参画する者はいましたが、社会全体の貧富階層構造を具体的に論じようとする理念派は、昨今の非正規労働問題までおりませんでした。この記述すべてが謬見である。寄せ場の運動にかかわろうとする「理念派」は、寄せ場や近年では無宿をふくむフィールドを、つねに社会全体にかかわる構造的な階級の問題として追及/追究してきたはずだからである。そのアウトプットの典型が1988年から刊行されつづけている『寄せ場』(寄せ場学会年報)だ。個々の研究内容やその立ち位置をどう評価するのかということはさておき、近年では移住労働者がおかれる状況もまた問題の射程としてとらえられている。誤解をおそれずにいうと、それは「越境する持たざる者」の自己認識にかかわる問題設定である。また「ニコヨン」の〈当事者=運動者〉であった平井正治の『無縁声声 日本資本主義残酷史』(藤原書店、1997年4月)が、アカデミーに籍をおくものたちの支援によって成立したことなども人は知るだろう。
http://h.hatena.ne.jp/hizzz/9234071495480631220
「持たざる者」という認識のフレーム(枠組み)が追及する範囲ははばひろい。ひとりの貧困はみんなの貧困という問題意識がそこにはあるようにも思われる。こうした問題意識を反映する近年の運動に、「持たざる者の国際連帯行動」がある。それは東京・山谷の活動者がフランスの社会運動に接触することで2003年にはじまったものではあるが、年一度の集会・デモはいまなお日雇全協などが主体的にになっていることに示されているように、日雇・野宿労働者の運動の尽力によって成立し、現在にいたっている。もちろんそこには日雇・野宿労働者運動にかかわる人々だけでなく、かかる運動との連携を模索している諸個人・運動体が協力している。そしてこの「持たざる者」の運動においても「理念」をあつかう立場であろう人々が合流していることは、運動体が公表する情報だけを見ても容易に了解されるところなのである。
しかし上記の引用にみられるように、「最底辺」とされる人々の社会的営為はつねに「見えないもの」として隠蔽されてきた状況がこの社会にはある。〈いま・ここ〉の存在が自らの存在を主張するにもかからず、その協力者の存在もふくめてまるごと見て見ぬふりをする態度が横行しているのだ。なんという差別的な状況であることか。もちろん、ある社会運動が社会的に周知されないという問題は主体的力量の限界をも照射し、その運動主体にとっての省察さるべきことがらとしてあるともいえよう。
あるいは、同様の限界によってやはりなかなか周知されないが、女性─「主婦/パートタイム労働者」の立場から生活と労働の問題を撃ちつづけた運動体に、「パート・未組織労働者連絡会」がある。その歴史は古く、1970年代後半から各種媒体での積極的な発言があり、ウェッブサイトも90年代後半から存在している。ほとんど個人的ともいえるこの運動の主体は、当事者であるとともに「理念」的な内容を把持する発言者でもある(その足跡は村上潔によるまとめが参考になる)。そしてこのような発言者の背後には、だまって同様のたたかいをつづけることで発言とする無名の人々がそれこそ無数に存在しているのである。そのことは労働問題にかかわる裁判闘争の記録にあたれば十分すぎるほどに分かる。判例の蓄積による労働の法理はまた、かかる〈当事者=運動者〉の社会的発言のあととして残されてもいるのだ。
集会やデモや裁判闘争といった公的に訴求する試みそのものに気がつかず、また気づかないフリをしているか本当に気づかないマスメディアや傍観者の大勢にならったまま、貧富の偏在や階級の問題を論じるものが近年まで存在しなかったとまとめあげる憶断は、差別と収奪の構造を補強する怠惰でしかない。社会運動を論述するさいに慎重さが要請されるのは、運動史を問題とするはずの語りのなかでさえ除外される人々がつねに存在させられてしまうためでもある。こうした陥穽の問題にとり、論述しようとするものすべてがその潜在的当事者だ。だからこそ自戒もこめて、わたしは上記引用のいう状況論をここで否定する。
etikedo : 社会運動論
社会運動を語るデマと「現場」
やはり出来事を言葉で伝えようとするのは難しい。
かわされている議論には興味がないので、前後の文脈は詮索せずに、自分のかかわりのある範囲で言及された部分にのみ反応しておく。
洞爺湖サミットをめぐる運動の主体としてはいろいろあったのであって、ごくおおざっぱにいうと以下のようになる。
・中核派ふう(笑)にいうところの体制内派
・提言型NGO/NPO
・反対派
しかもこの傾向は、諸個人・運動体ごとにきれいに切り分けられるようなものでもない。たとえば旧社共勢力の場合は、提言型運動と反対派的運動の双方にまたがっていたりする。またひとくちに無党派(ノンセクト)といってみても、無党派はこのおおざっぱにわけた類型のなかすべてにいる。NGO/NPOのなかにも反対派的なスタンスをとるグループが存在する。また反対派のなかでも、治安弾圧のしめつけのなかでどうやって運動をくみたてようかという点でさらに分岐がある。ちなみに「1万人のピースウォーク」は旧社共を市民がブリッジしたかたちで主催が構成されており、それは札幌地域における社会運動の蓄積によるものだった。
それでも新左翼やアナキストだけは反対派にくくっておけると思う向きもあるかもしれない。ところが「新しいアナーキスト」のなかには「反対」の看板に逆行するようなかたちで行政に対処しようとした流れもある。当別キャンプがどのように呼びかけられ成立したのかを見ればそのことはうかがいしれる。このキャンプは一方では街を一時的にスクウォットされるのを恐怖してその対策のためにあったとさえいえるのだから(「恐怖した」とはいわないものの、組織者の報告パンフ自身が対策の意図するところを説く)。だがその当別キャンプが「新しいアナーキスト」だけでつくられたかといえばそうでもない。当別キャンプの企画は東京から持ち込まれたとはいえ、在地の諸個人・運動体の協力があって実現したものであって、その主体は多様な結集となった。
また新左翼やアナキストだって届け出のデモを独自に主催したりもする。これは法制度と警察の対応の問題があって「官許」の行動にならざるをえないわけで、気持ちとしては「反対」でも現実には「ぎりぎりのところでやっている」ということ以上にはならないのが実勢だろう。理念と現象は必ずしも一致しないのである。
さて、「批判を受けた」というのは「洞爺湖サミット運動」を構成したさまざまな運動体のうち、どの潮流・部分のことか? また批判主体の「各国運動家」とはなんのことで、またどのような批判をしたのか? 印象ではなく具体的にものをいうべきだろう。印象批評は自分の言説のためだけにする「理念」至上主義のうんこでしかないからだ。
それにしても、おれが「総括」のために個人的に提起したなかで言及した「海外からきた人々」は、ごく一部をつかまえてのものでしかないということさえ理解できてないんじゃないの? 潮流ごとに連携する海外の個人・グループがきていたってことを分かってないんじゃないの? おれが批判の対象として数えた海外連中は、当別キャンプに滞在した主として「直接行動派」とみなされうる部分だったのであって、その他の潮流によってよばれた人たちについてはなにもいってない。たとえば、ビア・カンペシーナやATTACや民主労総やその他の海外の環境・人権団体などを言及の対象にしていたか? してない。ためにする言説に利用されるのはごめんだね。
デマ編集子が「見えた」つもりになっているのは氷山の一角にすぎない。たとえば「1万人のピースウォーク」で弾圧をくった「サウンドデモ」部分はあくまで全体のうちの一部分だったのであって、そこに結集するかっこうとなった海外組も海外からきた人々のうちのごく一部だったともいえる。ピースウォークの各潮流ごとの隊列それぞれに、海外からきたいろんな人たちがいたんだぜ? 四つあった各キャンプも同様。伊達のキャンプはそれじたいで成立してたけど、そこにも海外からの仲間が参加した。発言するなら報告パンフくらい読みな。
伊達キャンプ主導のデモでは統制をきかせていたときいているけれど(スクラムに表徴されるようにそれはただ黙って警察に屈服するということではない)、連日にわたって壮瞥からの合流があり、また最終日には豊浦・壮瞥からの合流が実現した。運動過程での「直接民主主義的な合意形成」にこだわるなら、統制型の行動への合流は、現実に展開する治安弾圧の制約のなかでの努力を見てそれを受容したということでもある。でなきゃそもそもがんじがらめの届け出の行動に参加するなよって話だわな。「海外の直接行動派」はその意味において態度を修正しているわけ。で、壮瞥は行動拠点としては放棄されたが、豊浦でも連日独自の行動が組織された。軋轢をふくむそのさまざまな過程において、海外からきた人々も逆に「学んで」帰っていった。んなこた想像できる範囲の話でしょうよ。ちなみにキャンプに合流した「海外組」の有志は独自にとらえかえしの努力をしていた。なぜピースウォークではああなってしまったのか、キャンプでの討議はどうだったか、自分たちと日本の友人とはなんだったのか等々。「批判者として正しい存在」としてかれ・かのじょらはいたんじゃない。
いずれにしても、日本─海外の運動の連携は運動体それぞれに固有の歴史・蓄積があるのであって、その関係性を一概にいうことはできないんですわ。なんでこんなあたりまえの注釈をいまさらしなきゃならんのかねえ。「現場」不在でWWW上の情報だけでものごとを判断しようとするから、そういうトンチンカンな話になるんじゃねえの。いやWWW上の情報だけであっても、個々の運動体によるものをそれぞれ丹念に見ればそんなこたすぐに分かるはずなんだが。
さらにいえば、おれが海外からきた一部の「直接行動派」についても同志的批判の対象にしていることも読みとれていないんじゃないの? かれ・かのじょらもまた情報共有と討議を十分になしえなかった「ダメな主体」であるという含意が分からないようでは、「洞爺湖サミット運動」つにいて云々することはどだい無理だね。
日本の運動は海外からきた人々に批判されるべきものとしてあったんだ、とでもいうような能天気なおしゃべりの問題についていっておくと、まず第一に無自覚の「海外」事大主義がある。冗談じゃねえな。どこにいる人間であろうと無謬なわけがなく、運動の組織化という位相において一方が他方を批判するだけですむと錯覚しているような認識的枠組みは、屁のつっぱりにもなんね。
第二に、代理表象でことたれりとでもいうような認識の問題。もうすでに書いたことだから詳しくはくりかえさないけど、一部ですべてをいえると思わないこと。しかもその一部についての解釈がトンチンカン。
第三に、論述における慎重さの欠如。そんなにいうなら「現場」いけって。参加じゃなくていい。ちゃんと観察すること。完璧な作業は誰にもできないとしても、丁寧な観察を欠く「運動論」はなんの役にもたたないから。せめてWWW上の一部の文句だけではなく、紙媒体にまとめられた記録などにもあたってから語ってください。
「理念派」うんぬんについても補足しておこう。
たしかに「新しいアナーキスト」は理念にはしりがちではあったけれど、日本のかかる「理念上の直接行動派」の一部は、それまでの「不在」をすこしでもうめるべく準備段階から「現場」に合流してひっしになにかをつかもうとしていた。そういう一切を捨象して「理念派が運動を指導した」といいきることの傲慢さを自覚したらどうなの? 「個々現場援助活動の実態/検証のフォローアップがないまま言論を主活動とした理念派」って誰のこといってんの? おれは「新しいアナーキスト」的な「にわか運動家」とその行動については、それに批判的な者としていいたいことがあるけれど、それでもともに「現場にいた」ものとしてはこの点だけは擁護する。
これまた繰り言かもしらんけど、「洞爺湖サミット運動」は「理念派」の「言葉」によって成立したんじゃないんで、そこんとこよろしく。「言葉」の背後には無数の営為があるということだけはふまえていただきたい。いったい誰が集会の場所を確保し、デモを申請し、ビラやウェッブサイトのような宣伝媒体をつくったり、文言をねりあげたり、技術的なサポートをしたり、そのために時間をかけて合議していると思っているの? 無名無告の「活動者」だよ。「活動者」というかただの人なんだが。そもそも「運動」は、それじたいとにとどまるものではなく、そこにいたるさまざまな運動が存在していたからこそのもんだ。かりに「理念的な言葉」が揚言されていたとして、それはしかしなんらかの蓄積あってのことだ。「オルタナティヴ・ヴィレッジ」などはなるほど輸入の言葉っぽかったわけだけれど、しかしそうした言葉に含意される内容に意義を見いだし、実践にうつそうとする試みもあってよかろう。
註釈すべきことはまだある。
手法の陳腐化ということには異論はない。どんな方法であっても反復のうちに陳腐化するのは必然だ。その意味で、そもそもデモじたいが陳腐化しているというべきだろう。だからおおくの人たちが「新しい」ものにひかれる気持ちは理解できないでもない。おまけに(東京の一部では)おとなしく歩いているだけでも警察ががんじがらめにしてくるという息がつまりそうな閉塞状況があるんで、なおさらだ。沈滞した空気のなかで、そもそも存在じたいが不当な公安条例や恣意的な道交法の運用に縛られ、粛々と歩かされる「捕虜の隊列」の悲惨さを考えてみればいい。不当な規制にあらがいたくなる粗忽者の気持ちも十分に分かろうというもんだ。原因があって結果する。「不服従」の態度は規制・弾圧の結果でしかない。
そう、つまり、歴史的経過を捨象して「サウンドデモ」を「警察対決デモ」と倒錯的に表出させることは、権威屈従への密通の回路となりうるのである。たかが届け出の、つまり「官許」のデモをやることじたいがある意味で現実的対処でしかなく、「対決」などとえらそーにいえるようなもんじゃないのに、この言説はいったいなにをいうのか。道交法や公安条例で不当なあみをかぶせてくる警察のデモ包囲があるからこそ、それにしたがおうとしない態度もまたでてくるんであって、その逆じゃあない。しかも届け出のデモに「対決」だなんだって、やっぱり恥ずかしいわ。そりゃ届け出のデモのなかでだって、行動者の側が実力行使におよぶこともあるでしょうよ。でもそれ、いつの時代のこといってんの?
「サウンドデモ」の段でいえば、トラック周辺の「防衛」としてやってたことはせいぜい、機動隊の規制線上ぎりぎりのところで盾にこづきまわされながらじゅずつなぎになって圧力にこらえてただけで──サウンドカー直後の隊列のなかは熱狂的な踊りのため、スクラムがくめない(笑)──、「対決」というより「したがおうとはせずに、じっとこらえてる」っていったほうが実態に近い。手も足もだしてない。そうなりそうなところには同志的対応をもってあいだにはいっていたくらいで、これは2003年の話。03年の渋谷での弾圧は、ありゃ警察がデモの態様になんくせをつけたんじゃなくて、公安条例に依拠して時間制限でひっかけたもの。デモの側からつっこんだんじゃなくて、警察が無茶苦茶にしかけたからこそ弾圧にいたったのだ。心理的な「対決」状況の現出はその結果。具体像としては、デモ側は弾圧されてもぐっとこらえ、デモをやりつづけることで反撃とした。そして04年に消えた。
行動を提起した側は「平和裡」にやってたからこそ、テレビだののマスメディアだって調子こいて「新しいデモ」(笑)を取材したんで、デモ総体が「対決」状況にあるんじゃあ、なかなか報道しない。で、そうした「平和裡」にあっては、いってしまえばデモ参加者のほうが「防衛」をのりこえていた。街を席巻したのはまさしくそういう参加者であって、組織したはずの人間はそのエネルギーをなるべく減殺しないようにつきしたがっただけともいえる(ただし弾圧後のデモでは「ANTI POLICE ACADEMY」と称した反警察・反弾圧プロパガンダなどで状況への警告をくりかえした)。それでもそののりこえにあげつらうべき暴力はない。機動隊が不当に押し込んでくることに対して押しかえす、それのなにが暴力か。いや状況によっては暴力になりうるが、その力の発動をおれは全然恥じない。そもそも「対決」してなにがわるいの? 踏みにじられっぱなしでさらにだまってしたがえってのは我慢ならん。
その3年後に弾圧をくらった2006年の「自由と生存のメーデー」はどうだったかといえば、こういうと組織者には怒られそうだけど、映像を見る限り03年よりあきらかにテンションが低い。一車線内でボチボチやってる。それでも警察は弾圧した。おとなしくやってるデモを公安条例じゃひっかけるのが難しいから「道交法違反」で、だ。切符きるんじゃなくて(運転手は切符きられただけで逮捕をまぬがれた)、誰何(すいか)もしてないくせに「逃亡のおそれがあった」などと事後的にでっちあけつつ道交法違反でDJを逮捕した。トラックの荷台はぐるりと機動隊に囲まれていて逃げ場もないのに、公安警察が逮捕したんだよ。逮捕時の異様さは、記録された写真や動画によって事後的にでも確認できらあな。しかも弾圧を主導した公安警察のやり口が無茶すぎて、維持するのが困難だったのか勾留の請求さえされずにこのDJは検事釈放となった。あるいはとられそうになった仲間を助けようとして一人が公務執行妨害で逮捕され、また公安が風船を盗み取ったのを取り返そうとしてさらにもう一人が公務執行妨害で逮捕された。この二人には勾留が請求され認容された。「現行犯」なのにガサが強行された。勾留を認容したりガサの令状にハンコをつくのは裁判官だ。つまり地裁も弾圧の協力者だ。それで逮捕者はみんな不起訴処分だ。つまり弾圧の実態はぜんぶ公務員による職権濫用だ。これのどこが「警察対決デモ」なのか。「対決」のなかみを具体的にいってほしいところだが、いえやしないだろう。憶測にもとづくデマでしかないのだから。
おれは所用で2006年のメーデーには参加していない。だけど仲間がやられたってんで、そのやり返しの秋葉原でのサウンドデモには申請ふくめて準備段階からくわわった。その申請をめぐる攻防のなにいて、警察‐公安委員会が結託する体制のもとで行動を組織するのがつくづくイヤんなった。お話にならないくらい、警察はウソと恫喝でことをすすめようとするからだ。それでも場は必要だ。場はそれじたいで交流の機会をうみだす。そしてその交流こそが、たえざる反省と新たな試みをうみだす原基として機能する。だからこそ08年まではメーデーやら反戦デモやらの「現場」にはりついていた。東京新宿のデモコースでの自粛慣行をくつがえして大ガード通過や駅前解散をかちとったのだって、チマチマチマチマチマチマチマ…としたデモ申請をめぐる警視庁とのやりあいと「現場」での攻防があってこそ実現したものだ。じつに涙ぐましい。こんなんで「対決」とかいわれても、はぁ?ってな実感しかない。少しでも「自由」にしようという苦し紛れが現れているだけだ。気持ちや姿勢としては「警察にはしたがわんぞ!」ではあり、参加者個々の行為もいろいろあるけれど、総体としては「なんとかやりぬく」というギリギリの線でしか届け出のデモは存立しえない状況がある。
それにもはや、規制線を突破した先になにかがあるかのように夢見られる社会状況じゃない。「突破した先はアスファルト」という笑い話が「現場」にはあるけれど、ほんとうにそう。デモが邪魔ものあつかいされ、迷惑視され、野次馬が行動をつきうごかしたなんてそれいつの話?ってな状況のなかにあっては、いつも警察に包囲されて萎縮し、あるいは傍観者がたばになって補強する規制線を横目で睨みつけながら、それでもなんとか粘ってるしかない。そうだよ。はしゃいでんじゃねえよ。出発地があって解散地も決められているデモは、機能的にも最初から「対決」なんかじゃねえんだよ。
むしろ警察と直にやりあうような局面って、定点での抗議行動こそそうだろ。排除と抵抗でせめぎ合いになる必然がそこにはある。そこでどう頑張るかで現象はことなったかたちを見せるのだけれど。
まだいうぞ。「陳腐化即乖離」とでもいいだけな情勢認識も間違っている。2003年でいきなりピークを迎えた東京の「サウンドデモ」は、それ以後テンションはたしかに下がった。だけれど手段が陳腐化すればテンションが長期低落するばかりかといえば、そうでもない。03年以後のサウンドデモのテンションは下がったが、下がりっぱなしではなかった。弾圧をしかけられた「自由と生存のメーデー」はそれで消えたりはせず、逆に年々拡大した。もちろんそれはメーデーに結集する人々の不屈の態度による。テンションは上がって下がってまた上がった。なぜか? 簡単なことだ。人がやるものだからだ。人の行為はそれだけで自立・自足するのは困難で、いつでも外部との関係において結果が左右されてしまう。いいかえれば、社会運動における各種の行動がもたらす勢いというものは、単に主体の条件だけによらず、それをとりまく社会状況によるということだ。「自由と生存のメーデー」が弾圧後もつぶれずにむしろ拡大して、沈滞しかかっていた「サウンドデモ」のひりつくような士気をふたたび獲得したのは、この外的条件によるところが大きいとおれは思っている。
行動のスローガンとして「非正規」を問題化しようとはだれもなにもいわない2004年の段階で、「新宿フリーターメーデー」(フリーター労組準備会呼びかけ)として新宿で産声をあげたそのデモは、50人にも満たないような小さな行動だった。その行動は翌年に「自由と生存のメーデー」へと継承された。そして06年に弾圧とやり返し(プレカリアートの自称はこの年から)。弾圧のあとさきにも参加者はふえつづけていた。フリーターメーデー時代には台車にミニマムなサウンドシステムを積んで転がすという形態だったものが、トラックを使用する「サウンドデモ」となった。前述したようにそれは03年の熱狂にはおよぶものではなかったが、メーデーがしつこく労働と生存と戦争の問題を提起していくなかで、街頭をねりあるく様相は徐々にではあれたしかに変わったのだ。年々、参加者のテンションは上がっていくように見えたが、それは反戦運動の参加者とはことなる人々が数多く合流したことによっていたはずだった。生存/労働問題を提起しつづけた人々が、「非正規雇用」が社会問題としてひろく認知されていく外的状況におしあげられたかっこうとなっていた。こうした外部の条件の変化と、組織の外にある人間の参加こそ歓迎するという同メーデーの内的条件が、新宿駅周辺をとおさないとしてきた警視庁・新宿署の不当な規制慣行を事実としてうちやぶる勢いを形成したのである。その勢いは、従来の組織・党派ごとの結集という枠組みをのりこえる下地がつくられつつあったことにも現れていただろう。名も知れぬノンセクトが主導する行動に、新左翼のみならず既成左翼たる社共系の若干の人々が合流するということさえ近年まれにみる椿事だった。これは労働運動の一部で胎動しつつあった枠ののりこえという情勢に対応していた。しかし重要なのは、同伴者はそういう「左翼」とされるものばかりじゃなくて、日雇・野宿労働者、女性を軸とする労組、障害者、福祉受給者、「引きこもり」などの差別される蹶起者が合流していたことだ。既存の党派とはなんの関係ももたない圧倒的な人々が合流していたということ抜きに「自由と生存のメーデー」は語れない。
「現場との乖離」? ばかをいうんじゃない。「自由と生存のメーデー」のよびかけ主体で、かつ主催を構成する一団体であるフリーター全般労組が「誰でも一人でも加入できる」地域合同労組として日夜格闘していなければ、こうした諸個人と組織それぞれの「現場」の交錯という状況をかちとることは困難だったはずだ。フリーター労組があくまで孤立するサークルにとどまっていたなら、同メーデーもまた誰にもしられない「現場」しか獲得できなかったに違いない。だが現実は逆だ。
ところで、07年に東京新宿の大ガードの通過、つづく08年の東京新宿での駅前解散という事態は、なさけないことに何十年かぶりのことだった。もちろんその行動の内実はつねに問われなければならないが、警察の不当なしめつけに屈してきた自粛慣行を突破した画期は記録されてよい。これは孤立した小さな行動のままでは実現も困難な攻防だっただろう。参加者がふえつづける趨勢のなかで、主催者側も意を決して申請段階での攻防に力をいれなおしたということがあるからだ。デモの「不許可」という事態さえ主催者には覚悟されていた。しかし参加者のあとおしがなければそうした冒険もない。そういう意味では、「自由と生存のメーデー」の「サウンドデモ」は参加者の熱気とともにあった。同メーデーに限定していうなら、その数年の歩みは「社会各層/現場との乖離問題」とは無縁だ。「社会各層との乖離」をあくまで主張するなら、それは、「自由と生存のメーデー」に集う、どこにも属さない孤立した諸個人の一切を無視するどしがたい差別となる。孤立した無名無告の人々を社会運動の主体として無自覚にみとめない態度こそ、克服されるべき「現場との乖離」ではないのか。
では現在はどうか。わたしは08年以後「現場」の組織化から撤退しているので、これは伝聞になることを断っておく。それでも、09年には参加者はやや減ったもののその高い士気はいまだに持続しているときいている。たとえ03年のような熱狂はもはやないとしても、粘りつづける人々の意気はなお軒昂だということだ。しかも06年以来、デモは無事に貫徹されつづけている。「対決」? そりゃ申請時やデモという「現場」のあちこちで対峙する局面はあるはずだ。そうだとしても、行動総体としては警察がしかける挑発をはねのけて無事におこなわれてきたという意味をきちんとふまえるべきだろう。「対決」を外在的に渇望するのはいったいだれなのか。
蛇足ながら「サウンドデモ」のテンションといえば、東京では同時代に並行している「素人の乱」提起のものやマリファナマーチなどがあることを人は知る。「素人の乱」によるデモが独自の緊張と興奮を維持していることはいうまでもないだろう。しかも「メーデー」を契機とする他者の交錯がここにもあるのだ(その意味で今年の阿佐ヶ谷メーデーもまた記憶されるべきだろう)。いまだはっきりとした姿を見せるにはいたっていないが、伏流水は底でつながっている。
手段としての種子がばらまかれてはや数年。行動に内在する意味の変化をどうとらえるにせよ、かつての「路上解放」が手段に転化したいまでも、「サウンドデモ」のポテンシャルはまだなくならずにあるように思える。
というようなくだくだしい話は「現場」で泥水かぶってなきゃ感覚的には分からんのだろうとは思うが、それにしても思い込みのデマはたいがいにしてください。
かわされている議論には興味がないので、前後の文脈は詮索せずに、自分のかかわりのある範囲で言及された部分にのみ反応しておく。
運動者の間で明白となったのは、やってきた各国運動家から批判を受けた指導力・組織運営力を欠いて「言葉」しかなかった理念派指導の洞爺湖サミット運動でした。ウソをいうなウソを。こりゃ、現場にいなかった人間による「理念」のためだけにするデマ言説だ。ある部分で組織化の過程に反省が必要であったことは否定しない(「指導力」ときやがったド官僚ぶりについては黙殺)。しかし「洞爺湖サミット運動」には多様な潮流があったということさえ分かっていないようだ。先回りしてことわっとくが、「ピースウォーク」や「豊浦・壮瞥キャンプ」だけが「サミット運動」じゃねえ。
http://h.hatena.ne.jp/hizzz/9234071495480631220
洞爺湖サミットをめぐる運動の主体としてはいろいろあったのであって、ごくおおざっぱにいうと以下のようになる。
・中核派ふう(笑)にいうところの体制内派
・提言型NGO/NPO
・反対派
しかもこの傾向は、諸個人・運動体ごとにきれいに切り分けられるようなものでもない。たとえば旧社共勢力の場合は、提言型運動と反対派的運動の双方にまたがっていたりする。またひとくちに無党派(ノンセクト)といってみても、無党派はこのおおざっぱにわけた類型のなかすべてにいる。NGO/NPOのなかにも反対派的なスタンスをとるグループが存在する。また反対派のなかでも、治安弾圧のしめつけのなかでどうやって運動をくみたてようかという点でさらに分岐がある。ちなみに「1万人のピースウォーク」は旧社共を市民がブリッジしたかたちで主催が構成されており、それは札幌地域における社会運動の蓄積によるものだった。
それでも新左翼やアナキストだけは反対派にくくっておけると思う向きもあるかもしれない。ところが「新しいアナーキスト」のなかには「反対」の看板に逆行するようなかたちで行政に対処しようとした流れもある。当別キャンプがどのように呼びかけられ成立したのかを見ればそのことはうかがいしれる。このキャンプは一方では街を一時的にスクウォットされるのを恐怖してその対策のためにあったとさえいえるのだから(「恐怖した」とはいわないものの、組織者の報告パンフ自身が対策の意図するところを説く)。だがその当別キャンプが「新しいアナーキスト」だけでつくられたかといえばそうでもない。当別キャンプの企画は東京から持ち込まれたとはいえ、在地の諸個人・運動体の協力があって実現したものであって、その主体は多様な結集となった。
また新左翼やアナキストだって届け出のデモを独自に主催したりもする。これは法制度と警察の対応の問題があって「官許」の行動にならざるをえないわけで、気持ちとしては「反対」でも現実には「ぎりぎりのところでやっている」ということ以上にはならないのが実勢だろう。理念と現象は必ずしも一致しないのである。
さて、「批判を受けた」というのは「洞爺湖サミット運動」を構成したさまざまな運動体のうち、どの潮流・部分のことか? また批判主体の「各国運動家」とはなんのことで、またどのような批判をしたのか? 印象ではなく具体的にものをいうべきだろう。印象批評は自分の言説のためだけにする「理念」至上主義のうんこでしかないからだ。
それにしても、おれが「総括」のために個人的に提起したなかで言及した「海外からきた人々」は、ごく一部をつかまえてのものでしかないということさえ理解できてないんじゃないの? 潮流ごとに連携する海外の個人・グループがきていたってことを分かってないんじゃないの? おれが批判の対象として数えた海外連中は、当別キャンプに滞在した主として「直接行動派」とみなされうる部分だったのであって、その他の潮流によってよばれた人たちについてはなにもいってない。たとえば、ビア・カンペシーナやATTACや民主労総やその他の海外の環境・人権団体などを言及の対象にしていたか? してない。ためにする言説に利用されるのはごめんだね。
デマ編集子が「見えた」つもりになっているのは氷山の一角にすぎない。たとえば「1万人のピースウォーク」で弾圧をくった「サウンドデモ」部分はあくまで全体のうちの一部分だったのであって、そこに結集するかっこうとなった海外組も海外からきた人々のうちのごく一部だったともいえる。ピースウォークの各潮流ごとの隊列それぞれに、海外からきたいろんな人たちがいたんだぜ? 四つあった各キャンプも同様。伊達のキャンプはそれじたいで成立してたけど、そこにも海外からの仲間が参加した。発言するなら報告パンフくらい読みな。
伊達キャンプ主導のデモでは統制をきかせていたときいているけれど(スクラムに表徴されるようにそれはただ黙って警察に屈服するということではない)、連日にわたって壮瞥からの合流があり、また最終日には豊浦・壮瞥からの合流が実現した。運動過程での「直接民主主義的な合意形成」にこだわるなら、統制型の行動への合流は、現実に展開する治安弾圧の制約のなかでの努力を見てそれを受容したということでもある。でなきゃそもそもがんじがらめの届け出の行動に参加するなよって話だわな。「海外の直接行動派」はその意味において態度を修正しているわけ。で、壮瞥は行動拠点としては放棄されたが、豊浦でも連日独自の行動が組織された。軋轢をふくむそのさまざまな過程において、海外からきた人々も逆に「学んで」帰っていった。んなこた想像できる範囲の話でしょうよ。ちなみにキャンプに合流した「海外組」の有志は独自にとらえかえしの努力をしていた。なぜピースウォークではああなってしまったのか、キャンプでの討議はどうだったか、自分たちと日本の友人とはなんだったのか等々。「批判者として正しい存在」としてかれ・かのじょらはいたんじゃない。
いずれにしても、日本─海外の運動の連携は運動体それぞれに固有の歴史・蓄積があるのであって、その関係性を一概にいうことはできないんですわ。なんでこんなあたりまえの注釈をいまさらしなきゃならんのかねえ。「現場」不在でWWW上の情報だけでものごとを判断しようとするから、そういうトンチンカンな話になるんじゃねえの。いやWWW上の情報だけであっても、個々の運動体によるものをそれぞれ丹念に見ればそんなこたすぐに分かるはずなんだが。
さらにいえば、おれが海外からきた一部の「直接行動派」についても同志的批判の対象にしていることも読みとれていないんじゃないの? かれ・かのじょらもまた情報共有と討議を十分になしえなかった「ダメな主体」であるという含意が分からないようでは、「洞爺湖サミット運動」つにいて云々することはどだい無理だね。
日本の運動は海外からきた人々に批判されるべきものとしてあったんだ、とでもいうような能天気なおしゃべりの問題についていっておくと、まず第一に無自覚の「海外」事大主義がある。冗談じゃねえな。どこにいる人間であろうと無謬なわけがなく、運動の組織化という位相において一方が他方を批判するだけですむと錯覚しているような認識的枠組みは、屁のつっぱりにもなんね。
第二に、代理表象でことたれりとでもいうような認識の問題。もうすでに書いたことだから詳しくはくりかえさないけど、一部ですべてをいえると思わないこと。しかもその一部についての解釈がトンチンカン。
第三に、論述における慎重さの欠如。そんなにいうなら「現場」いけって。参加じゃなくていい。ちゃんと観察すること。完璧な作業は誰にもできないとしても、丁寧な観察を欠く「運動論」はなんの役にもたたないから。せめてWWW上の一部の文句だけではなく、紙媒体にまとめられた記録などにもあたってから語ってください。
「理念派」うんぬんについても補足しておこう。
たしかに「新しいアナーキスト」は理念にはしりがちではあったけれど、日本のかかる「理念上の直接行動派」の一部は、それまでの「不在」をすこしでもうめるべく準備段階から「現場」に合流してひっしになにかをつかもうとしていた。そういう一切を捨象して「理念派が運動を指導した」といいきることの傲慢さを自覚したらどうなの? 「個々現場援助活動の実態/検証のフォローアップがないまま言論を主活動とした理念派」って誰のこといってんの? おれは「新しいアナーキスト」的な「にわか運動家」とその行動については、それに批判的な者としていいたいことがあるけれど、それでもともに「現場にいた」ものとしてはこの点だけは擁護する。
これまた繰り言かもしらんけど、「洞爺湖サミット運動」は「理念派」の「言葉」によって成立したんじゃないんで、そこんとこよろしく。「言葉」の背後には無数の営為があるということだけはふまえていただきたい。いったい誰が集会の場所を確保し、デモを申請し、ビラやウェッブサイトのような宣伝媒体をつくったり、文言をねりあげたり、技術的なサポートをしたり、そのために時間をかけて合議していると思っているの? 無名無告の「活動者」だよ。「活動者」というかただの人なんだが。そもそも「運動」は、それじたいとにとどまるものではなく、そこにいたるさまざまな運動が存在していたからこそのもんだ。かりに「理念的な言葉」が揚言されていたとして、それはしかしなんらかの蓄積あってのことだ。「オルタナティヴ・ヴィレッジ」などはなるほど輸入の言葉っぽかったわけだけれど、しかしそうした言葉に含意される内容に意義を見いだし、実践にうつそうとする試みもあってよかろう。
註釈すべきことはまだある。
イラク戦争を機に「ストリート」を現場にみたてた理念派+サブカル派の、「サウンドデモ」手法自体の陳腐化と、警察対決デモという自閉による社会各層/現場との乖離問題は、昨今の派遣/非正規運動が社会的関心を集め一定の具体的成功を勝ち取る横で、色濃くなってきました。「サウンドデモ」が「理念派+サブカル派」によるもの? そういう傾向の人たちがいなかったとはいわないけど、出自はいろいろがほんとのところ。2003年の東京にあっては、「実際に連絡をつないだ人々は、活動者と音楽関係者だけでなく、編集者、小説家、美術家、ライター、デザイナー、フリーター、プータロー、学生が含まれ」(「「サウンドデモ」史考」)ていた。イラク反戦運動のなかから登場した「サウンドデモ」が「理念派+サブカル派」によるものだったなんて話、いったいどこからネタをしいれてでっちあげたんだか。つうか「サブカル派」ってなに?
同上
手法の陳腐化ということには異論はない。どんな方法であっても反復のうちに陳腐化するのは必然だ。その意味で、そもそもデモじたいが陳腐化しているというべきだろう。だからおおくの人たちが「新しい」ものにひかれる気持ちは理解できないでもない。おまけに(東京の一部では)おとなしく歩いているだけでも警察ががんじがらめにしてくるという息がつまりそうな閉塞状況があるんで、なおさらだ。沈滞した空気のなかで、そもそも存在じたいが不当な公安条例や恣意的な道交法の運用に縛られ、粛々と歩かされる「捕虜の隊列」の悲惨さを考えてみればいい。不当な規制にあらがいたくなる粗忽者の気持ちも十分に分かろうというもんだ。原因があって結果する。「不服従」の態度は規制・弾圧の結果でしかない。
そう、つまり、歴史的経過を捨象して「サウンドデモ」を「警察対決デモ」と倒錯的に表出させることは、権威屈従への密通の回路となりうるのである。たかが届け出の、つまり「官許」のデモをやることじたいがある意味で現実的対処でしかなく、「対決」などとえらそーにいえるようなもんじゃないのに、この言説はいったいなにをいうのか。道交法や公安条例で不当なあみをかぶせてくる警察のデモ包囲があるからこそ、それにしたがおうとしない態度もまたでてくるんであって、その逆じゃあない。しかも届け出のデモに「対決」だなんだって、やっぱり恥ずかしいわ。そりゃ届け出のデモのなかでだって、行動者の側が実力行使におよぶこともあるでしょうよ。でもそれ、いつの時代のこといってんの?
「サウンドデモ」の段でいえば、トラック周辺の「防衛」としてやってたことはせいぜい、機動隊の規制線上ぎりぎりのところで盾にこづきまわされながらじゅずつなぎになって圧力にこらえてただけで──サウンドカー直後の隊列のなかは熱狂的な踊りのため、スクラムがくめない(笑)──、「対決」というより「したがおうとはせずに、じっとこらえてる」っていったほうが実態に近い。手も足もだしてない。そうなりそうなところには同志的対応をもってあいだにはいっていたくらいで、これは2003年の話。03年の渋谷での弾圧は、ありゃ警察がデモの態様になんくせをつけたんじゃなくて、公安条例に依拠して時間制限でひっかけたもの。デモの側からつっこんだんじゃなくて、警察が無茶苦茶にしかけたからこそ弾圧にいたったのだ。心理的な「対決」状況の現出はその結果。具体像としては、デモ側は弾圧されてもぐっとこらえ、デモをやりつづけることで反撃とした。そして04年に消えた。
行動を提起した側は「平和裡」にやってたからこそ、テレビだののマスメディアだって調子こいて「新しいデモ」(笑)を取材したんで、デモ総体が「対決」状況にあるんじゃあ、なかなか報道しない。で、そうした「平和裡」にあっては、いってしまえばデモ参加者のほうが「防衛」をのりこえていた。街を席巻したのはまさしくそういう参加者であって、組織したはずの人間はそのエネルギーをなるべく減殺しないようにつきしたがっただけともいえる(ただし弾圧後のデモでは「ANTI POLICE ACADEMY」と称した反警察・反弾圧プロパガンダなどで状況への警告をくりかえした)。それでもそののりこえにあげつらうべき暴力はない。機動隊が不当に押し込んでくることに対して押しかえす、それのなにが暴力か。いや状況によっては暴力になりうるが、その力の発動をおれは全然恥じない。そもそも「対決」してなにがわるいの? 踏みにじられっぱなしでさらにだまってしたがえってのは我慢ならん。
その3年後に弾圧をくらった2006年の「自由と生存のメーデー」はどうだったかといえば、こういうと組織者には怒られそうだけど、映像を見る限り03年よりあきらかにテンションが低い。一車線内でボチボチやってる。それでも警察は弾圧した。おとなしくやってるデモを公安条例じゃひっかけるのが難しいから「道交法違反」で、だ。切符きるんじゃなくて(運転手は切符きられただけで逮捕をまぬがれた)、誰何(すいか)もしてないくせに「逃亡のおそれがあった」などと事後的にでっちあけつつ道交法違反でDJを逮捕した。トラックの荷台はぐるりと機動隊に囲まれていて逃げ場もないのに、公安警察が逮捕したんだよ。逮捕時の異様さは、記録された写真や動画によって事後的にでも確認できらあな。しかも弾圧を主導した公安警察のやり口が無茶すぎて、維持するのが困難だったのか勾留の請求さえされずにこのDJは検事釈放となった。あるいはとられそうになった仲間を助けようとして一人が公務執行妨害で逮捕され、また公安が風船を盗み取ったのを取り返そうとしてさらにもう一人が公務執行妨害で逮捕された。この二人には勾留が請求され認容された。「現行犯」なのにガサが強行された。勾留を認容したりガサの令状にハンコをつくのは裁判官だ。つまり地裁も弾圧の協力者だ。それで逮捕者はみんな不起訴処分だ。つまり弾圧の実態はぜんぶ公務員による職権濫用だ。これのどこが「警察対決デモ」なのか。「対決」のなかみを具体的にいってほしいところだが、いえやしないだろう。憶測にもとづくデマでしかないのだから。
おれは所用で2006年のメーデーには参加していない。だけど仲間がやられたってんで、そのやり返しの秋葉原でのサウンドデモには申請ふくめて準備段階からくわわった。その申請をめぐる攻防のなにいて、警察‐公安委員会が結託する体制のもとで行動を組織するのがつくづくイヤんなった。お話にならないくらい、警察はウソと恫喝でことをすすめようとするからだ。それでも場は必要だ。場はそれじたいで交流の機会をうみだす。そしてその交流こそが、たえざる反省と新たな試みをうみだす原基として機能する。だからこそ08年まではメーデーやら反戦デモやらの「現場」にはりついていた。東京新宿のデモコースでの自粛慣行をくつがえして大ガード通過や駅前解散をかちとったのだって、チマチマチマチマチマチマチマ…としたデモ申請をめぐる警視庁とのやりあいと「現場」での攻防があってこそ実現したものだ。じつに涙ぐましい。こんなんで「対決」とかいわれても、はぁ?ってな実感しかない。少しでも「自由」にしようという苦し紛れが現れているだけだ。気持ちや姿勢としては「警察にはしたがわんぞ!」ではあり、参加者個々の行為もいろいろあるけれど、総体としては「なんとかやりぬく」というギリギリの線でしか届け出のデモは存立しえない状況がある。
それにもはや、規制線を突破した先になにかがあるかのように夢見られる社会状況じゃない。「突破した先はアスファルト」という笑い話が「現場」にはあるけれど、ほんとうにそう。デモが邪魔ものあつかいされ、迷惑視され、野次馬が行動をつきうごかしたなんてそれいつの話?ってな状況のなかにあっては、いつも警察に包囲されて萎縮し、あるいは傍観者がたばになって補強する規制線を横目で睨みつけながら、それでもなんとか粘ってるしかない。そうだよ。はしゃいでんじゃねえよ。出発地があって解散地も決められているデモは、機能的にも最初から「対決」なんかじゃねえんだよ。
むしろ警察と直にやりあうような局面って、定点での抗議行動こそそうだろ。排除と抵抗でせめぎ合いになる必然がそこにはある。そこでどう頑張るかで現象はことなったかたちを見せるのだけれど。
まだいうぞ。「陳腐化即乖離」とでもいいだけな情勢認識も間違っている。2003年でいきなりピークを迎えた東京の「サウンドデモ」は、それ以後テンションはたしかに下がった。だけれど手段が陳腐化すればテンションが長期低落するばかりかといえば、そうでもない。03年以後のサウンドデモのテンションは下がったが、下がりっぱなしではなかった。弾圧をしかけられた「自由と生存のメーデー」はそれで消えたりはせず、逆に年々拡大した。もちろんそれはメーデーに結集する人々の不屈の態度による。テンションは上がって下がってまた上がった。なぜか? 簡単なことだ。人がやるものだからだ。人の行為はそれだけで自立・自足するのは困難で、いつでも外部との関係において結果が左右されてしまう。いいかえれば、社会運動における各種の行動がもたらす勢いというものは、単に主体の条件だけによらず、それをとりまく社会状況によるということだ。「自由と生存のメーデー」が弾圧後もつぶれずにむしろ拡大して、沈滞しかかっていた「サウンドデモ」のひりつくような士気をふたたび獲得したのは、この外的条件によるところが大きいとおれは思っている。
行動のスローガンとして「非正規」を問題化しようとはだれもなにもいわない2004年の段階で、「新宿フリーターメーデー」(フリーター労組準備会呼びかけ)として新宿で産声をあげたそのデモは、50人にも満たないような小さな行動だった。その行動は翌年に「自由と生存のメーデー」へと継承された。そして06年に弾圧とやり返し(プレカリアートの自称はこの年から)。弾圧のあとさきにも参加者はふえつづけていた。フリーターメーデー時代には台車にミニマムなサウンドシステムを積んで転がすという形態だったものが、トラックを使用する「サウンドデモ」となった。前述したようにそれは03年の熱狂にはおよぶものではなかったが、メーデーがしつこく労働と生存と戦争の問題を提起していくなかで、街頭をねりあるく様相は徐々にではあれたしかに変わったのだ。年々、参加者のテンションは上がっていくように見えたが、それは反戦運動の参加者とはことなる人々が数多く合流したことによっていたはずだった。生存/労働問題を提起しつづけた人々が、「非正規雇用」が社会問題としてひろく認知されていく外的状況におしあげられたかっこうとなっていた。こうした外部の条件の変化と、組織の外にある人間の参加こそ歓迎するという同メーデーの内的条件が、新宿駅周辺をとおさないとしてきた警視庁・新宿署の不当な規制慣行を事実としてうちやぶる勢いを形成したのである。その勢いは、従来の組織・党派ごとの結集という枠組みをのりこえる下地がつくられつつあったことにも現れていただろう。名も知れぬノンセクトが主導する行動に、新左翼のみならず既成左翼たる社共系の若干の人々が合流するということさえ近年まれにみる椿事だった。これは労働運動の一部で胎動しつつあった枠ののりこえという情勢に対応していた。しかし重要なのは、同伴者はそういう「左翼」とされるものばかりじゃなくて、日雇・野宿労働者、女性を軸とする労組、障害者、福祉受給者、「引きこもり」などの差別される蹶起者が合流していたことだ。既存の党派とはなんの関係ももたない圧倒的な人々が合流していたということ抜きに「自由と生存のメーデー」は語れない。
「現場との乖離」? ばかをいうんじゃない。「自由と生存のメーデー」のよびかけ主体で、かつ主催を構成する一団体であるフリーター全般労組が「誰でも一人でも加入できる」地域合同労組として日夜格闘していなければ、こうした諸個人と組織それぞれの「現場」の交錯という状況をかちとることは困難だったはずだ。フリーター労組があくまで孤立するサークルにとどまっていたなら、同メーデーもまた誰にもしられない「現場」しか獲得できなかったに違いない。だが現実は逆だ。
ところで、07年に東京新宿の大ガードの通過、つづく08年の東京新宿での駅前解散という事態は、なさけないことに何十年かぶりのことだった。もちろんその行動の内実はつねに問われなければならないが、警察の不当なしめつけに屈してきた自粛慣行を突破した画期は記録されてよい。これは孤立した小さな行動のままでは実現も困難な攻防だっただろう。参加者がふえつづける趨勢のなかで、主催者側も意を決して申請段階での攻防に力をいれなおしたということがあるからだ。デモの「不許可」という事態さえ主催者には覚悟されていた。しかし参加者のあとおしがなければそうした冒険もない。そういう意味では、「自由と生存のメーデー」の「サウンドデモ」は参加者の熱気とともにあった。同メーデーに限定していうなら、その数年の歩みは「社会各層/現場との乖離問題」とは無縁だ。「社会各層との乖離」をあくまで主張するなら、それは、「自由と生存のメーデー」に集う、どこにも属さない孤立した諸個人の一切を無視するどしがたい差別となる。孤立した無名無告の人々を社会運動の主体として無自覚にみとめない態度こそ、克服されるべき「現場との乖離」ではないのか。
では現在はどうか。わたしは08年以後「現場」の組織化から撤退しているので、これは伝聞になることを断っておく。それでも、09年には参加者はやや減ったもののその高い士気はいまだに持続しているときいている。たとえ03年のような熱狂はもはやないとしても、粘りつづける人々の意気はなお軒昂だということだ。しかも06年以来、デモは無事に貫徹されつづけている。「対決」? そりゃ申請時やデモという「現場」のあちこちで対峙する局面はあるはずだ。そうだとしても、行動総体としては警察がしかける挑発をはねのけて無事におこなわれてきたという意味をきちんとふまえるべきだろう。「対決」を外在的に渇望するのはいったいだれなのか。
蛇足ながら「サウンドデモ」のテンションといえば、東京では同時代に並行している「素人の乱」提起のものやマリファナマーチなどがあることを人は知る。「素人の乱」によるデモが独自の緊張と興奮を維持していることはいうまでもないだろう。しかも「メーデー」を契機とする他者の交錯がここにもあるのだ(その意味で今年の阿佐ヶ谷メーデーもまた記憶されるべきだろう)。いまだはっきりとした姿を見せるにはいたっていないが、伏流水は底でつながっている。
手段としての種子がばらまかれてはや数年。行動に内在する意味の変化をどうとらえるにせよ、かつての「路上解放」が手段に転化したいまでも、「サウンドデモ」のポテンシャルはまだなくならずにあるように思える。
というようなくだくだしい話は「現場」で泥水かぶってなきゃ感覚的には分からんのだろうとは思うが、それにしても思い込みのデマはたいがいにしてください。
etikedo : 社会運動論
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