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【転載】自由と生存のメーデー10

2010
04-30
自由と生存のメーデー、直前に転載、やくたたずすぎ。
あしたはあしたで「超大規模デモ」(笑)があるとか。
労働やりくりできなさそうなんだけど。

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B r e a d and R o s e s

自由と生存のメーデー10 -- PRECARIAT-Z --

「逆襲の棄民 パ ンドラの箱が開く」

メーデー集会   5月2日    (千駄ヶ谷区民会館 )

サウンドデモ   5月3日 17時~(新宿中央公園 水の広場)

ムービーメーデー 5月4日 13時~(阿佐ヶ谷ロフト)

詳細は → http://d.hatena.ne.jp/mayday2010/

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私たちが棄民である。はじめまして。お久しぶり。

この社会が営々とつくりだす奔流。庭師、清掃、警備、テーマパークの芝生管理、型枠大工、畳職人、キャスト、アイヌモシリから、介護、ダスキ ン、土方、塾講師、ニート、カヤック、かつて南米大陸へ、ウェイター、パチンコ屋の並び、弁当工場、作家、台湾へ、校正、軽作業、重労働、ひきこもり、八 百屋、リネン、航空郵便、郵便仕分け、板金塗装、アクティビスト、いま南米大陸から、レジャー施設の芝生管理、ガソリンスタンド、デザイン、リサイクル ショップ、アニメーター、編集者、絵の先生、朝鮮半島へ、NPO職員、交通量調査、 スリーパー、水道工事、派遣営業、ショップ店員、デリヘル、失業者、政党職員、大学院生、カメラ助手、琉球へ、サクラ、寺の寺務、朝鮮半島から、レジ打 ち、検品、運転手、ゲーマー、事務員、中国から、カメラマン、パン職人、ボーイ、バーテン、アンケート調査員、セクキャバ、玄界灘を越えて、野宿者、新聞 勧誘、キャッチ、生保受給者、プログラマー、菓子販売、テレアポ、POP作成、ポスティング、コンビニ、ライター、駐車監視員。それが私たちです。

ニューディーラーを超えて、パンドラの箱が開く。

生存と尊厳の蓋。


● 日時・場所

(集会)5月2日 千駄ヶ谷区民会館

(デモ)5月3日 新宿中央公園(水の広場)集合17時 出発17時半

(ムービーメーデー)5月4日 阿佐ヶ谷ロフト 13時

● 連絡先

フ リーター全般労働組合

 新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階

 電話/FAX: 03-3373-0180 Mail: union(at)freeter-union.org


  ================= 賛同フォーマット =================

「自由と生存のメーデー10」実行委員会は、5月2日、3日の集会・デモを準備しています。ことしのテーマは「逆襲の棄民 パンドラの箱が開 く」です。

私たちに潜在する力は、わずか「雇用能力」の程度をプレゼンするために磨滅させられ、国籍や学歴など地位や資格を誇示して生存保障の枠組みに 滑り込むためにあるのではありません。そのような不毛を選ばず、棄民の位置から互いを結び合わせ、自身と仲間の生存と尊厳の蓋を開くためにこそあります。

その試みとして、私たちは2日の集会と、3日のサウンドデモを作り上げていきます。ともにメーデーを実行する仲間を求めます。実行委への参加 と賛同をお願いします。

●実行委員会運営上の確認

政治的立場の違いを暴力によって「解決」することを実践し、その行為と思想を正当化し続ける人びとの参加はおことわりします。

<賛同費振込先>

○郵便振替の場合

 00120-9-484797 口座名 自由と生存のメーデー実行委員会

○他銀行・ネットバンキングからお振込みになる場合

 ゆうちょ銀行 店番019 当座0484797 口座名 自由と生存のメーデー実行委員会


※※ 以下を上記の連絡先にあててお送りください。

「自由と生存のメーデー 10」実行委員会に賛同します

[ ]内は、該当するものに○をしてください。

〇お名前:(             )[団体・個人][公表 可・不可]

(肩書きまたは所属:               )

〇連絡先:(集会関連情報をお送りします)

 (e-mail)

 (住所)[自宅・事務所]

 (電話)[自宅・事務所・携帯]      (    )        

 (FAX)     (     )

〇賛同費:[ 団体2000円 ・ 個人1000円 ]を[ 振込・申し込み時・集会当日 ]にて入金します。


日教組×北教組=泥縄…?

2010
04-30
きつい提題ですが、すでに旧聞となりつつある例の件。北教組側も日教組にひきずられて起訴内容を認める方針に転換しましたね。あーあ、黙秘がムダになっちゃった。
 前の記事では日教組側の被逮捕者がうたっているようだと書きましたが、勾留中は黙秘だったとの保釈後の報道があるので訂正します。つーことは、逮捕・勾留以前に日教組側の被疑者がぺらぺら喋ってしまった(喋らされたのかもしれませんが)ことが致命傷になったわけですよね。これは勝手な推測ですが、逮捕直後に「不当弾圧だ」との声明さえ出した北教組の路線転換はこの致命傷が最初から効いていたんではないでしょうか。日教組側もはじめから法廷で争うかまえであったなら、北教組のこうもあっさりした屈服もなかったのではないかと思います。
 逮捕後の対応を見ても日教組側ははなから屈服という態度でしたから、北教組の敗北は、緊急事態に際しての意志一致ができていなかった教育労働者運動の一角における「闘う路線」の敗北といってもさしつかえないでしょう(もちろん教労の運動は日教組だけに集約されるものではありませんが)。上部団体が最初から腰砕け、(自分たちの側から出したものではないにせよ)ネタを最初から取られてるんじゃ闘えないという「現実的な判断」があったのでしょう。まさに苦渋の選択。
 やっぱり黙秘って大事ですよね。主体がバラバラという悲惨な状況での後退戦の経験はなきにしもあらずなので、救対担った人たちの苦労を思うと暗い気持ちになりますが、しかし……ちょっとヌルすぎやしませんか。とある貧乏人集団でさえ国賠で一矢を報いる(って失敬なものいいですまん)かまえでいたりするのに、資金も組織的体力もあるところがこんなんじゃ、根なし草のこちとら嫌味の一つでもいいたくなるってもんです。屈服するくらいなら最初から政治屋に資金提供なんかしてんじゃねーという天邪鬼な嫌味ですけど。まったく選挙なんかろくなもんじゃねえ。

(こっから長い余談)

こんなこといってたら自分にかえってきますね。それじゃお前はサミットホッパーで札幌に行ってなにしてたんだと。そうなんです。公安どもにトラックこわされてなぜか救対が修理代負担して(これまた奇妙なネジれです)そのままかよといわれりゃそうなんです。だって「闘う」主体が最初からありゃしねえというありさまでしたから、やり返しもクソもあったもんじゃねかったわけです。そもそも「闘う」ってなんだ?
 かりに国賠で反撃するのだとしたら、「あのサウンドでもの隊列」をつくった側から出すべきなのが筋ってもんですが(そういう話をその隊列の合流を受け入れた側=「外部」のこちらが、差し出がましくサウンドデモに関連してたと思われる一部には話をしたはずなんですが)、んなこたなーんも考えずにみんなさっさと散ったもんなぁ~。デモはただ楽しむ場。んなアホな。いや、力量の問題で泣き寝入りを選択せざるをえないような状況がままあることは重々承知してます。そうじゃなくて、反撃の可能性について考えもせずに消え去る「主体」のありようについてこだわらざるをえないんです。そもそもあのデモの参加者にゃ反撃の必要性すら意識されていなかったわけだから。その場で「警察かえれ」気分だけ満喫して。事後に反撃できないならできないという結論をだす集団としての主体がなにもなかった、いったいこれはなんなのか。「アナーキズム」とかうかれながら「闘う」主体性が全然ない、いったいこれはなんなのか。別にビンなげたわけじゃねんだし、ただデモってトラックこわされて修理費を負担させられたということのみにしぼってやりゃ法廷で勝てる要素はかなりあったのに、主体が起つ見込みがない状況のために救対のほうもそこまで踏み込めず散る。オトシマエをつけようとする主体なんか「反G8」のどこにもなかった。ぐあーーーー! よそさまへの弾圧を見るにつけ、こういうことをいつまでも考え込んでしまいます。ほんとろくなもんじゃねえというのを弾圧されてようやく自覚したりするテイタラクという。つーかしつこいなおれ。

IE8よ、おまえってやつは

2010
04-23
しごとでウェブサイト制作する場合まず Internet Explorer で確認しなきゃならんのが気にくわないのですがそれはさておきIE8っていまさらW3C標準に準拠しましたとうたいながらなんかテキストのベースラインが上に0.15emくらいずれてないかという気がすんだけどなーそうだべIE8お前がわるいんだろ?(息継ぎなしで一気にわめいたつもりで)。ぜぃぜぃ。

気のせいかもしれないと思って、ほかのエージェントさんたちに聞いてみる。Firefox、Google Chrome、Opera などの  WUA  では意図したとおりに表示してくれる。Micro$oft ォォォォ。ノォォォォ。しょうがないので div に display:table や table-cell で vertical-align の値をいれてみたら……やっぱりベースラインが上にずれてますよ?(他の人の環境でもそう) みんなが大好きな「CSSハック」(響きがなんか恥ずかしい)でもムリ。だせえ。ディセンダのはなしとかがあったのを記憶していたためメイリオひょっとして君なのかと疑いの目をフォントフェイスのせいにして MS P ゴシック優先で指定しても変わらず。けっ。どうせ「仕様です」だろーから腹をたてるだけムダだと思いつつキーボードをダーンと叩きたくなる本日昼下がりの労働。賢者ツッコミ待ち。

【転載】山谷で見る、映画:「山谷--やられたらやりかえせ」

2010
04-20
転載転送歓迎とのこと。やまのブログにはもう出てました。山谷の案内もあるようなので関心のある方はぜひ。集団の合意形成にムズカシサを感じている方は山谷・墨田のふだんの活動にもぜひ。……しかしオラは労働だ、たぶん。

--- 以下転載 ---

【山谷で見る、映画:「山谷--やられたらやりかえせ」】

映画「山谷一やられたらやりかえせ」の上映会を4月29日に山谷労働者福祉会館で行います。また、映画の前に、南千住の駅から山谷労働者福祉会館までの道をミニツアーします。主催は、山谷労働者福祉会館活動委員会、山谷争議団・反失実。是非ご参加下さい。

日時:4月29日(木曜日・休日) 夕方
5:00  日比谷線南千住駅南口集合→ミニツアーへ
6:00~  「山谷--やられたらやりかえせ」上映:山谷労働者福祉会館2Fホールにて
8:00~  山谷の現状・運動についての報告

 「山谷一やられたらやりかえせ」は、1984年から1985年にかけて撮られた、ドキュメンタリー映画です。日雇い労働者の街である山谷の過酷な生活を背景に、労働者の闘いをいきいきと描きつつ、植民地支配にルーツを持つ無権利労働とそれへの抵抗を広範な射程をもって示しています。映画の撮影を始めて間もなく、監督である佐藤満夫が暴力団組員により刺殺され、残されたフィルムを引き継ぎ映画を完成させる中心に位置した山岡強一もまた、暴力団組員に射殺されるという壮絶な過程を経て生み出された稀有な映画でもあります。
 この映画が撮られ、今年で25年になります。山谷の街は、人々の高齢化や、寄せ場の規模の縮小などにより、その姿を大きく変えました。一方、社会全体に不安定雇用が広がり、野宿を強いられる人々が普通に存在するような状態を指して「山谷的なものが社会全体に広がった」と言われることもあります。確かに、"不安定な生"の悲惨さは、すごい速さで社会に広がっているように見えます。
 しかし、日雇い労働者の間で受けつがれてきた、"不安定な生"をベースにした抵抗の形は、それほど知られていません。このような仲間たちの生に寄り添いながら、私たちは山谷・隅田川・上野において、当事者が主体となる運動を模索してきました。共同炊事(食事を作る側ともらう側の区別を無くした炊き出しの形)をベースに、労働問題、野宿の小屋の追い出しの問題、生活保護集団申請、などに取り組んでいます。上下関係を徹底して廃した空間を草の根から作り出していく方法に影響を受けつつ、大衆運動の構築をめざして日々の活動を続けています。
 4/29当日は、私たちのこの運動がベースとする山谷労働者福祉会館で映画を上映した後、山谷の現在と運動の現在について報告をします。
 また、映画の前に少し時間をとって、南千住の駅から山谷労働者福祉会館までの道をミニツアーする予定です。既に映画を見た方にも、山谷の地理関係に各場面を位置づける貴重な機会です。映画に出てくる場面の数々の説明を聞きながら、山谷の街をいっしょに歩いてみませんか?

日時:4月29日(木曜日・祭日) 夕方
5:00 日比谷線南千住駅南口集合→ミニツアーへ
6:00~ 「山谷--やられたらやりかえせ」上映:山谷労働者福祉会館2Fホールにて
8:00~ 山谷の現状・運動についての報告

主催:山谷労働者福祉会館活動委員会、山谷争議団・反失実
〒111 東京都台東区日本堤 1-25-11
電話・FAX 03-3876-7073
電子メール san-ya@sanpal.co.jp
ホームページ http://www.jca.apc.org/nojukusha/san-ya/
ブログ http://san-ya.at.webry.info/
山谷労働者福祉会館地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.724082&lon=139.80264667&sc=2&mode=map&pointer=on&home=on

XHTML1.1とルビ

2010
04-20
労働(ろうどう)でXHTMLとCSSに準拠(じゅんきょ)してマークアップしていく作業(さぎょう)必須(ひっす)なんですが、ここんとこちまちま()くような状況(じょうきょう)から(はな)れていたのでリハビリ(ちゅう)。で、実際(じっさい)のウェブサイト制作(せいさく)では XHTML1.0 transitional を使(つか)うことが(おお)いんですが、浦島太郎(うらしまたろう)さん状態(じょうたい)自覚(じかく)して、あらためてXHTML1.1をリサーチしていたところ、ルビについてかなりの進歩(しんぽ)があったことを再確認(さいかくにん)
 XHTML1.1でルビが追加(ついか)されただけでなく、「単純(たんじゅん)ルビ」「複雑(ふくざつ)ルビ」の(べつ)をもうける仕様(しよう)策定(さくてい)されていたんですね。追加(ついか)された rbc, rtc 要素(ようそ)にしたがって()けば……おわ、WUA(Web User Agent: いわゆるブラウザのこと)のほうがまだ対応(たいおう)してねえぜぃ。でもWUAの対応(たいおう)がすすめば、ルビに(かん)してはやる()さえあれば技術的(ぎじゅつてき)には問題(もんだい)ない地平(ちへい)まできていたのですね。うーむ、ますますサボってる場合(ばあい)じゃない。
 ちなみに組版(くみはん)でいえば、「単純(たんじゅん)ルビ」は「グループルビ」、「複雑(ふくざつ)ルビ」は「モノルビ」に相当(そうとう)します。モノルビっちゅうのは漢字(かんじ)ごとにふられたよみがな(ルビ)のことで、XHTMLではこれが「複雑(ふくざつ)」という(あつか)いにされたようです。漢字(かんじ)(ひと)つひとつにルビふるほうがめんどくさい(≒複雑(ふくざつ))という感覚(かんかく)なんでしょうけど、()からんでもない。
 それにしてもたしかにめんどくさいぜ(HTMLのソース参照(さんしょう)すれ)。しかしこのめんどくささを()()けなければ、視覚(しかく)障害(しょうがい)がある(ひと)漢字(かんじ)()めない(ひと)をあたりまえのように排除(はいじょ)することになるわけです。

追記(ついき)
ルビ()りスクリプトがあったー! すてき! てか、いまさらですよね。ほんと浦島太郎(うらしまたろう)だ。

ゲバラでタイポグラフィ

2010
04-19
賃労働中の息抜きメモ。ゲバラでタイポグラフィ。ライセンスはCCの表示-非営利 3.0 Unportedなんで、ちゃんと署名いれたままならコムニスタはポスターに使えるね! しかしなんちゅーイコンか。

いったりきたり

2010
04-18
こないだある用事があって数人で某大使館にいったんですが、大使館員らしき人がちん入してきたわたしたちを視認すると、なにげないそぶりで施錠して退路を断っていました。まあそりゃそうですよね。なんかあったら招かざる客の身柄を拘束するのも駐在武官の仕事でしょうし。でもわたしが中座して先に出ようとすると件の人物、すんなり鍵をあけてました。扉一枚へだてた向こうは他国、ただそれだけの話。

なにをいまさらアフィニティ・グループ

2010
04-18
また「だれそれが最初にいった」話に遭遇。
「Up Against the Wall Motherfuckers (UAW/MF)」って?(ざっと箇条書き):
(中略)
・「アフィニティー・グループ」という用語は、かれらがはじめて使用した。
(中略)

Motherfuckers!
えー、これはIRAのナリタさんが『Motherfuckers!』という本を紹介しているテキストのなかにある記述なんですが、たぶん en.wikipedia の UAW/MF の項目からの抜粋でしょう。でも、アナキストの組織形態としていう親和グループ(アフィニティ・グループ)という概念や言葉は19世紀からあるんですよね。
 言葉をリヴァイヴァルさせたのが UAW/MF だったということなのかもしれませんが、「だれそれがはじめて」という(手柄顔の)名乗り・名指しってなんかね。誰が最初にいったからえらい(だから特記する)とか、そんなことじゃないと思ってしまいます。社会運動にまつわる「発明」だの「起源」探しだの、ヘタしたら運動をなるべく共有物にしようとする態度への敵対行為になっちゃうから。そんなの誰だって望んでないはずです……「運動」にかかわってるふりしてセールスポイントを稼ぎたいアカデミシャンを除けば。

で、そのアフィニティ・グループについての en.wikipedia の項目をみていくと、これ、マレイ・ブクチンの議論の引き写し。だから親和グループはスペインのアナキスト運動の……というアレがそのままになってる(笑)。こういうの参照して鵜呑みにする人でてきたら、それこそ不幸というもの。
 ブクチンはスペイン革命を参照する過程で、親和グループというアナキストの結集形態にいきついたのだと思うけれど、それはスペインに限定されるような局地的な実践じゃありません。19世紀のヨーロッパにおいて、アナキストの運動にひろく見られたものです。てゆーか単に行動的なアナキスト組織の代名詞として、親和グループ(つまり同志集団)といっていただけのことです。ブクチンにしたって、たんに「ここがはじめて!(すごいでしょ)」の紹介としてスペイン・アナキストのグルーポ・デ・アフィニダ(grupo de afinidad)に言及したんじゃなくて、インター以来のスペインにおけるアナキスト運動の展開の過程を説明するために取り上げたんだと思います。勇み足で、現代的な「フラット」な運動の組織実践の源流と位置付けようとしたところがあるにしても。
 親和グループという形態素について考えるとき、まず第一インターに結集したアナキストのグループから検討する必要があると思います(インター以前からともいえるけど)。たとえば、第一インターのなかにはバクーニン派としてジュラ連合が存在していましたが、この連合内部の諸グループなんかはまさにそうだったと捉えるべきでしょう。あるいは、パリ・コミューンに結集した戦闘団としてのいくつかのグループもまさしく親和グループとして存在していたはずです(アナキスト、ブランキストのグループの別をとわず)。少なくとも、パリ・コミューン以後のヨーロッパで「行為による宣伝」(いわゆる「テロル」)時代に動いていた行動者グループくらいは親和グループの典型としておさえてしかるべき。
 だからこそ19世紀末から20世紀初頭にかけて台頭したフランス・サンディカリスムのなかで、アナキストは尖鋭的な結社の運動に窒息するのか、大衆運動としての労働運動にくわわるのかという議論が闘わされた経過があり、アナキストの結集形態としてのグルーペ・ダフィニテ(groupe d’affinité)の失効などがいわれたのです(もともと行動者集団にいてサンディカリストに転身したエミール・プージェの提起など:フランス語読める人は Quand des étudiants "inventaient" le syndicalisme révolutionnaire あたりを眺めるといいかも)。
 ようするに、昨今の局地的な北米発の親和グループ言説と、日本における現代思想的ジャーナル上のその紹介は、過去の議論のなかでさんざん叩かれてきた亡霊を不完全にあるいは恣意的に復活させたものにすぎないともいえるわけです。もちろんサンディカリスムにはサンディカの罠があるわけですから、「ものとり組織」批判として対置されるべきところの親和グループ議論であるなら、それこそいにしえの議論に再接続する有効な論争になるかもしれませんが、そうなってはいません。むしろ過去を切断する「新しいなにか」と位置付ける向きの方が多く散見されます(ただしこれは北米の「新しいアナキスト」と日本におけるそのエピゴーネン界隈でのことであり、ヨーロッパなど他地域の諸運動における言説状況を追跡したものではないことに注意)。
 てゆーか、日本に紹介するならするで、なんで戦前の純正アナキスト(全国自連、黒連)とサンディカリスト(日本自協)の対立についてふれて「温故知新」をはかろうとしないのでしょうか。日本で親和グループっていったら黒色青年連盟に参集した個々のグループがまさにそう。もっとさかのぼれば、ある時期の平民社だってそうでしょう。労働者たちと膝をつきあわせて談合した大杉や山川-寒村らの初期のサークルも。こんなの、ちょっと考えりゃ分かること。まあ鳴り物入りで紹介するには、過去にいわれてきたこと、実践されてきたことの焼き直しなんだなんて注釈したくないのかもしれませんが。

ともあれ、いま喧伝されている(とくに北米での)親和グループ議論は、往年の議論とは自らを切断したままの「思いつき」レヴェルのものです。歴史はぐるぐるまわる回廊のようになっているのに、そんなことにも気付かないテイタラクはいったいなんなんでしょうか。あるいはそのふりをしているだけなんでしょうか。海外における親和グループか利益グループ(サンディカ)かという理念的な議論の日本への紹介は1972年にも行われていますが(田中正人「アナルシスムと革命的サンディカリスム」『季刊 社会思想』第2巻第2号、1972年7月)、こういう「古い」議論にあらためて当たらなきゃならないなんて徒労もいいところです。でも一部の「新しいアナキズム」言説こそが、そういう徒労の舞台をセッティングしてるんですよね。なんのためにかって、ようするにメシのタネなわけでしょ。笑止。
 わたしのようなボンクラには学術的なサーヴェイなんてする必要は必ずしもないけれど、先人の議論の焼き直し、あるいは車輪の再発明にすぎないのに、まるでそう発言すればなんらかの地歩が占められるかのように「親和グループというのはね……」と語りだす「小文字のアナキスト」たちの厚顔さには、やはり一々「場所取りゲームなんかやってんじゃねえよ!」といってやる必要があると思います。だって学者だとか有名人の話を鵜呑みにする不幸な人々がいるんだもの。そういう奴隷根性は、いうまでもなくアナキズムからかけはなれた心性です。なんでも疑ってかかるのでなくては。(この記事だって疑って当然)

そもそも、いまこの状況で、親和グループがどうしたとかゴタクを並べていられる余地があるのかと考えると、とてもそうは思えません。意味の収奪や机上の理念いじりばかりで、「現場」で「責任」をひきうけようとする「主義者」的な主体がほとんどどこにもねえってのによー。

「大文字のアナキスト」(ってなんだよ! グレーヴァーこのやろう!)と侮蔑される「古い」タイプの人間からの、苦言でした。ちょっと愛情が足りなかったかな。

労働大好き!

2010
04-17
なわけねえんだが(→タイトル)

もっか、黄金週間が労働週間になる悪寒。ひゃっはー

いっそのことここはひたすら呪詛する労働日記にしようかな。ここの労働日記が面白く、みならいたい。

コストをかけて生きろ、職能なんかくそくらえ!

2010
04-07
「職能」に生存の技術と尊厳をみいだし、喧伝する知的「健常者」がいる。ではその「能力」をもたない人間は社会に生きる価値もないのか。変革主体が「手に職」「能力ある人」(しばしば「人=男」)だというなら、サンディカリズムと同じ陥穽にはまるほかない。いきつくさきはコーポラティズムという全体主義だ。

われわれに必要なのは職能ではない。えらそうにかたる主義者でもない。われわれがわれわれ自身を組織しようとする水平性だけが必要なのだ。もちろん、このように語ったところでなんにもならない。語りさえすればよいというなら、この社会はとうに変わっている。

われわれボンクラのゆくてには困難だけが待ちかまえている。「できる」やつが「できない」やつを支配しようとする「健常者」的秩序の度しがたさのただなかで、われわれは闘争しなければならない。主義者、くたばれ! 健常者、くたばれ! 労働者、くたばれ! おれ、くたばれ!

おはようございます。きょうも朝から晩までなけなしの「職能」にすがって賃金労働です(笑)。ほんとむかつくぜ。


:D

Author:noiz
vivu anarkiisma komunismo!

ちかごろ

けんさく

せんでん

Guilty for Brutal Pigs! Release All Protesters RIGHT NOW!

Free the Belgrade anarchists!

ふせん


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